それでもやはりプリンシプルを欠くと人も国も右顧左眄する

直近記事、「プリンシプルを欠くと人も国も右往左往する」の読者から
「全ての外国人の入国を拒否したのは変異ウイルスをシャットアウトする目的で《念のため》に導入した措置。従って問題はない」という趣旨の便りがありました。

菅首相の胸の内も、おそらくこの読者と寸分違わない。そしてそこには一理があります。だがそれだけです。敢えてダジャレを言えば、十理のうち一理だけが正しく、残りの九理が間違っています。

人に品位があるように国家にも品格 があります。仮にも先進国の一角を成す日本には、おのずとそれなりの風格が求められます。

それは国家に自由と明朗と自信が備わっているかどうか、ということです。自由主義世界では、国々はお互いに相手を敬仰し国境を尊重しつつ同時に開放する、という精神でいなければなりません。なにかがあったからといって突然国境を閉ざすのは品下る行為です。

世界は好むと好まざるにかかわらず、イメージによっても成り立っています。従来からあるメディアに加えて、インターネットが爆発的に成長した現代では、実体はイメージによっても規定され変化し増幅され、あるいは卑小化されて見えます。

突然の国境閉鎖は、世界に向けてはイメージ的に最悪です。子供じみた行為は、まるで独裁国家の北朝鮮や中国、はたまた変形独裁国家のロシアなどによる強権発動にも似た狼藉です。

独りよがりにしか見えない行動は、西側世界の一員を自称する日本が、結局そことは異質の、鎖国メンタリティーに絡めとられた国家であることを告白しているようにも映ります。

事実から見る管首相の心理は、後手後手に回ったコロナ対策を厳しく指弾され続けて、今度こそは先回りして変異コロナの危険の芽を摘み取っておこう、と思い込んだものでしょう。焦りが後押しした行為であることが見え見えです。

実利という観点からもそのやり方は間違っています。「全世界からの外国人訪問者を一斉に拒否」することで、管首相はわずかに回っていた外国とのビジネスの歯車も止めてしまいました。経済活動を推進し続けると言いながら、ブレーキを踏む矛盾を犯しているのです。

コロナ禍の世界では感染拡大防止が正義です。同時に経済を回し続けることもまた同様に正義です。しかも2つの正義は相反します。

相反する2つの正義を成り立たせるのは「妥協」です。感染防止が5割。経済活動が5割。それが正解です。両方とも8割、あるいは9割を目指そうとするからひたすら右顧左眄の失態を演じることになります。

変異種のウイルスを阻止するのは言うまでもなく正道です。だがそのことを急ぐあまり、周章狼狽して根拠の薄いまま国境を完全封鎖するのは、たとえ結果的にそれが正しかったという事態になっても、国家としていかがなものか、と世界の良識ある人々が問うであろう行為です。

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極端な管政権は過激派に似ていなくもない

12月27日早朝、いつものように書斎兼仕事場の机の前に座ってネットにアクセスしました。するとそこかしこのサイトに「日本、全世界からの外国人入国を拒否」「Japan bans new entries of foreigners」という類いの見出しが踊っていてびっくりしました。

新型コロナウイルスの変異種に感染した人が国内で見つかったことを受けて、28日から来月末まで、全世界からの外国人の新たな入国を拒否する、のだといいます。

BBCやロイターやCNNなどの大手を筆頭に、外国メディアが特に大きく伝えています。

ところが衛星放送で見るNHKニュースはそのことを取り上げていません。ようやくNHKネットで扱っているだけです。

ためしに朝日新聞を見ました。やはりニュースになっていません。そこで見出しの一覧を一日前までたどって探しましたが、表記されていませんでした。

つまりそのニュースは、日本国内では重要とは見なされていないのです。だから大手メディアを中心に扱いが極小になるか、扱ってもすぐに消えています。

ところが世界では、日本のような先進国が、いとも簡単に「全世界からの訪問者をシャットアウト」するなどというのは、一大事なのです。だから外国メディアは騒いでいます。

世界の多くの国々は、変異種のウイルスがはびこっている英国からの訪問者を拒否しています。英国からのウイルスに染まりかけているいくつかの国からの訪問者も拒否しています。

それは理解できることだし正しい動きのように見えます。

だが、数人の感染者が見つかったからといって、突然世界中からの入国者を一斉に拒絶する、というのはどう考えても異様です。

日本政府の施策は特にコロナ関連では混乱しっぱなしです。つい最近も絶対に見直さないと言い続けていたGoToトラベルを突然やめました。その前には「勝負の3週間」でコケました。

パンデミックのしょっぱなでは、中国に遠慮すると同時に彼の国からの観光客が落とす金に目がくらんで、今とは逆に中国人を受け入れ続けて感染拡大を招きました。

その後も安倍前政権の失策は続きました。前政権を受け継いだ菅内閣は、安倍さんの失策癖まですっかり継承したようです。

いや、突然の「全世界からの外国人入国者を拒否」の如く、右から左、極端から極端へとぶれる政策を見ていると、前政権よりもアブナっかしい。

菅首相と幹部は「全世界からの訪問者を拒否」という施策が、いかに重いものであるかを理解していないように見えます。

理解していないから重大な施策をいとも簡単に導入してたじろがない。そこにプリンシプルの欠如という誤謬が重なって、政策が大ぶれにぶれます。

だが「全世界からの訪問者を拒否」ということの意味を理解していないのは政府ばかりではない。実はメディアも全く理解していません。だからそれを軽く見て大きなニュースにはしないのです。

一国の政府やメディアは国民の鏡です。それらは先ず国民がいて、それから存在します。政府やメディアがある事柄を理解しないのは、国民が理解していないからです。

そうやって国民と政府とメディアによる、巨大な無知また無関心が形成されます。

日本は12月28日から1月末まで江戸時代以来の鎖国体制に入ります。

そのことの重みもさることながら、そういう施策を何のためらいもなく導入してしまえるメンタリティーの軽さが、面白くもあり、怖いといえば怖いようでもあります。

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擬似“戒厳令”下のクリスマス

イタリアは新型コロナの感染拡大を抑えるために、今日クリスマスイブから年末年始にかけて全土のロックダウンに入りました。

今回は3月~5月の全土ロックダウンとは違って、1月6日までの間にスイッチを入れたり切ったりたりする変形ロックダウンです。

12月24日から始まった最初のロックダウンは27日まで。イタリアではクリスマスと翌日の聖ステファノ(santo stefano)の日は休日。その2日間と前後は特に人出が多くなり、家族が集い、友人知己が出会って祝日を楽しみます。

次は12月31日から1月3日まで。言うまでもなく大晦日から新年も人出がどっと多くなります。 

最後は1月5日から6日。6日が公現祭 の祝日 (Epifania :東方の3博士が生後間もないキリストを訪れて礼拝した日)でやはり人が集まりやすくなります。

要するに1月24日から1月6日までの2週間のうち、12月28、29、30日と1月4日以外は全土のロックダウンを徹底するということです。

食料の買出しや病気治療など、必要不可欠な外出以外は移動厳禁。しかも外出の際には移動許可証を携帯することが義務付けられます。
 
ロックダウン中は住まいのある市町村から出てはならない。一つの自治体からもう一つの自治体への移動、州から州への移動も禁止です。

レストランやバール(カフェ酒場)を始めとする飲食店や全ての店は閉鎖。営業が許されるのは薬局、新聞売店、コインランドリー、美容理髪店のみ。
 
また午後10時~翌朝5時は、全期間に渡って全面外出禁止、など、など。

クリスマスの教会のミサも禁止になりました。

筆者はキリスト教徒ではありませんが、クリスマスの朝はできる限り家族に伴って教会のミサに出かけるのが習いです。

この国にいる限りは筆者は、クリスマス以外でもキリスト教徒でイタリア人の家族が行うキリスト教のあらゆる儀式や祭礼に参加しようと考え、またそのように行動してきました。

一方家族は筆者と共に日本に帰るときは、冠婚葬祭に始まる日本の家族の側のあらゆる行事に素直に参加します。

だが既述のようにことしは、新型コロナへの用心から、人々が多く集う教会でのミサは禁じられました。

筆者は先年、クリスマス、特に教会のミサでのもの思いについて次のような趣旨のことを書きました。ことしは書斎で同じことに思いを巡らせています。

クリスマスの時期にはイエス・キリストに思いをはせたり、キリスト教とはなにか、などとふいに考えてみたりもする。それはしかし僕にとっては、困ったときの神頼み、的な一過性の思惟ではない。

僕は信心深い人間では全くないが、宗教、特にキリスト教についてはしばしば考える。カトリックの影響が極めて強いイタリアにいるせいだろう。クリスマスの時期にはそれはさらに多くなりがちだ。

イエス・キリストは異端者の僕を断じて拒まない。あらゆる人を赦し、受け入れ、愛するのがイエス・キリストだからだ。もしも教会やミサで非キリスト教徒の僕を拒絶するものがあるとするなら、それは教会そのものであり教会の聖職者であり集まっている信者である。

だが幸いにもこれまでのところ彼らも僕を拒んだりはしたことはない。拒むどころか、むしろ歓迎してくれる。僕が敵ではないことを知っているからだ。僕は僕で彼らを尊重し、心から親しみ、友好な関係を保っている。

僕はキリスト教徒ではないが、全員がキリスト教徒である家族と共にイタリアで生きている。従ってこの国に住んでいる限りは、一年を通して身近にあるキリスト教のあらゆる儀式や祭礼には可能な範囲で参加しようと考え、またそのように実践してきた。

人はどう思うか分からないが、僕はキリスト教の、イタリア語で言ういわゆる「Simpatizzante(シンパティザンテ)」だと自覚している。言葉を変えれば僕は、キリスト教の支持者、同調者、あるいはファンなのである。

もっと正確に言えば、信者を含むキリスト教の構成要素全体のファンである。同時に僕は、仏陀と自然とイエス・キリストの「信者」である。その状態を指して僕は自分のことをよく「仏教系無神論者」と規定し、そう呼ぶ。

なぜキリスト教系や神道系ではなく「仏教系」無神論者なのかといえば、僕の中に仏教的な思想や習慣や記憶や日々の動静の心因となるものなどが、他の教派のそれよりも深く存在している、と感じるからである。

すると、それって先祖崇拝のことですか? という質問が素早く飛んで来る。だが僕は先祖崇拝者ではない。先祖は無論尊重する。それはキリスト教会や聖職者や信者を僕が尊重するように先祖も尊重する、という意味である。

あるいは神社仏閣と僧侶と神官、またそこにいる信徒や氏子らの全ての信者を尊重するように先祖を尊重する、という意味だ。僕にとっては先祖は、親しく敬慕する概念ではあるものの、信仰の対象ではない。

僕が信仰するのはイエス・キリストであり仏陀であり自然の全体だ。教会や神社仏閣は、それらを独自に解釈し規定して実践する施設である。教会はイエス・キリストを解釈し規定し実践する。また寺は仏陀を、神社は神々を解釈し規定し実践する。

それらの実践施設は人々が作ったものだ。だから人々を尊重する僕はそれらの施設や仕組みも尊重する。しかしそれらはイエス・キリストや仏陀や自然そのものではない。僕が信奉するのは人々が解釈する対象自体なのだ。

そういう意味では僕は、全ての「宗門の信者」に拒絶される可能性があるとも考えている。だが前述したようにイエスも、また釈迦も自然も僕を拒絶しない。

僕だけに限らない。彼らは何ものをも拒絶しない。究極の寛容であり愛であり赦しであるのがイエスであり釈迦であり自然である。だから僕はそれらに帰依するのである。

言葉を変えれば僕は、全ての宗教を尊重しながら「イエス・キリストを信じるキリスト教徒」であり「全ての宗教を尊重しながら釈迦を信奉する仏教徒」である。同時に全ての宗教を尊重しながら「自然あるいは八百万神を崇拝する者」つまり「国家神道ではない本来の神道」の信徒でもあるのだ。

それはさらに言葉を変えれば「無神論者」と言うにも等しい。一神教にしても多神教にしても、自らの信ずるものが絶対の真実であり無謬の存在だ、と思い込めば、それを受容しない者は彼らにとっては全て無神論者だろう。

僕はそういう意味での無神論者であり、無神論者とはつまり「無神論」という宗教の信者だと考えている。そして無神論という宗教の信者とは、別の表現を用いれば「あらゆる宗教を肯定し受け入れる者」、ということにほかならない。

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イギリスが新型コロナ対策をドタキャンした真意が怖い

イギリスが12月19日までの新型コロナ対策を突然変更して、クリスマス期間中も厳しい移動規制をかけ続けると発表しました。

感染力の強い変異したウイルウが発見されたからです。

変異種のウイルスは、伝染力が従来の種より最大で70%以上強い可能性がある。一方で従来の種と比べて重症化率や致死率が高いという確証はない、ともされます。

20日から導入される厳しい規制では、不急不要の外出が禁止され、生活必需品を扱う店以外は全て営業停止となります。19日までは小売店や美容室などの営業は許されていました。

またイギリス政府はこれまで、12月23~27日のクリスマス休暇中は最大3世帯まで集うことを許可するとしていました。だが、これも覆して移動規制が強化された地域では集まりを禁止する、と発表しました。

筆者はジョンソン政権の出し抜けな方向転換におどろきました。欧州各国がクリスマスから年末年始にかけて規制を強化する中、イギリスだけは逆に規制をゆるめるとしていたからです。

その決定は異端者のジョンソン首相の意向に沿っていました。

政府方針に対してイギリスの医学会は、クリスマス前後の5日間に制限を緩和するのではなく、強化する必要があると指摘。政府は多くの命を犠牲にする過ちを犯そうとしている。制限強化を発表したドイツ、イタリア、オランダなどにならうべき、と強く警告をしていました。

野党やロンドンのカーン市長らも警告に賛同しジョンソン首相の翻意を求めていました。

激しい反対運動に対してジョンソン首相は、クリスマスの集いを禁止したり、違法化はしたくない。政府があらゆるケースを見越して法律を定めることはできない、などと主張して飽くまでも規制緩和にこだわりました。

新型コロナの感染拡大阻止を目指す先進民主主義国の共通の悩みの一つは、厳しい移動規制やロックダウンを導入することで、人々の個人の自由を強く抑圧しなければならない現実です。

個人の自由は民主主義社会の最重要な構成概念の一つです。ジョンソン首相は、ジレンマを押して個人の自由を抑圧する厳しい規制を打ち出す欧州の指導者を尻目に、民主主義社会の根幹を成す要素を死守しようとしているようにも見えます。

だが一方で、彼がパンデミックの始まりの頃にこだわった集団免疫の考えや、米トランプ大統領ばりの経済至上主義やコロナ軽視の自らの信条を秘匿して、個人の自由の守護神を装っているだけなのではないか、という疑惑も呼び起こさないではありません。

国民に人気があると見えるジョンソン首相のコアな支持者は、つまるところトランプ大統領の岩盤支持者にも親和的な英国の保守層であり、反知性主義的心情も強いと考えられるBrexit賛成派です。

ジョンソン首相は彼らの親玉的存在です。彼が打ち出す新型コロナ対策が時として異様に見えるのは、それらがトランプ大統領の施策にも似た色合いを帯びているからです。

彼はそれを嫌う欧州の良心に気づいています。だから往々にしてその生地を包隠しようとします。その態度が彼をさらに異様に見せる、というふうです。

そんなジョンソン首相が、頑なにこだわってきたクリスマスの規制緩和を撤回する気になったのは、引き金となった変異種のウイルスの正体が、あるいは見た目以上に険悪な性質のものであることを意味しているのかもしれません。

万が一そうであるなら、ウイルスは当のイギリスが世界に先駆けて国民に接種を行っている、新型コロナワクチンを無効にする能力を秘めている可能性もあります。ある意味ではジョンソン首相の二枚舌や仮面性よりもはるかに怖い事態です。


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コロナ色のクリスマスが見える

2020年12月17日現在、イタリアの新型コロナの累計死者数は6万6千537人。欧州最悪です。

死者数は長くイギリスがトップでしたが、12月13日にイタリアがイギリスを超えました。

なお累計の感染者数では依然としてフランスが最も多い246万5千126人。2位はイギリスの191万8千736人。3位はイタリアで188万8千144人。続いてスペインの177万3千290人です。

イタリアの1日当たりの感染者数はいわば高止まり状態。連日1万5千人前後から1万9千人の間で推移しています。

イタリアの死者数は相変わらず多い。感染者数が減少傾向にあった12月3日、突然993人もの死亡者が出て過去最悪を更新しました。

その後はさすがに減少して、1日あたり500人前後で推移していますが、12月10日にはまたふいに887人が死亡するなど、凄惨な状況は変わっていません。

なぜイタリアの死者数は多いのか、という疑問への解答はまだ出ません。十年一日のごとく「イタリアが欧州一の高齢化社会」だから、という答えが繰り返されるのみです。

答えはおそらく今後何年もかけて、分析・研究がなされた後に明らかになるでしょう。それまでは、死者数が劇的に減らないのならば、せめて頭打ちになることを願うのみです。

良い兆候もあります。ICU(集中治療室)の患者数が着実に減り続けていることです。治癒した者と亡くなった患者が多い、とも言えますが ICU全体の数字が減少しているのは朗報でしょう。

イタリアの状況は、例えば日本などに比べたら惨状以外の何ものでもありませんが、欧州の中では増しなほうです。あるいは普通程度に悪い環境。

いま厳しいのはドイツであるように見えます。優等生のドイツは、新型コロナに苦しんでいるとはいえ、欧州の主要国の中では、また欧州全体の中でも、常に症状が軽い方でした。

だがここに来て事態が深刻化しています。ドイツは先月から行ってきた部分的ロックダウンが功を奏していないことを認めて、12月16日から規制をさらに強化し来月10日まで続けます。

例えば小売店の営業は全て禁止。公共の場での飲酒も禁止。学校も閉鎖されます。メルケル首相は規制強化前の12月9日、より過酷なロックダウンを受け入れてくれるよう、ほとんど涙ながらに国民に訴えました。

12月11日には、ドイツの1日の感染者は過去最多のほぼ3万人にのぼり、死者も過去最多の589人を数えました。それらの数字はさらに悪化の一途をたどっています。

フランスは感染が急拡大した10月末、罰金を伴う厳しいロックダウン措置を導入しました。12月半ばまでに感染拡大を抑えて、国民にクリスマスを楽しんでもらおうという思惑がありました。

それに向けてフランス政府は具体的な数値目標を立てました。12月15日までに1日の感染者数を5000人程度、ICU患者数を2500~3000人程度に抑える、としたのです。

規制によって感染拡大は徐々に静まり、11月28日からは小売店の屋内での営業再開を許可。また12月15日からは外出禁止を緩和して、朝6時から20時までは外出自由、それ以外の夜間だけ外出禁止としました。

しかし、前述の数値目標のうち、12月15日までにICU患者数を2500~3000人程度に抑えるという項目は達成したものの、感染者を5000人程度に減らす計画は失敗し1万人程度に留まりました。そのため16日から予定していた 映画館、劇場、美術館などの再開は見送られました。

第1波の全土ロックダウンで経済を徹底的に破壊されたイタリアは、再びのロックダウンを回避すると同時に、クリスマス休暇明けに襲うことが容易に予想される第3波にも神経を尖らせています。

そこでクリスマスイブの12月24日から年明け、あるいはさらに先まで、週末と祝日には飲食店の営業を禁止し商業施設も閉鎖します。また不要不急の移動を禁止し、これまで行われてきた夜間外出禁止措置も延長します。

そうした施策を察知した国民の中には、規制が強化される12月24日までに帰省して、家族と共にクリスマスと年末年始を過ごそうと目論む者が出始めています。そうした不届き者の多くは、ほぼ常に南を目指して動きます。

イタリアのクリスマスも、欧州の他の国々のクリスマスも、重苦しい雰囲気の中で過ぎることが確実です。だが多くの人々は、騒がず怨まずに休暇を耐え過ごして、1月から始まるワクチン接種に希望を見出そうとしているようです。

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地獄から見上げてみれば

12月6日、イタリアの新型コロナの死者の累計は節目の6万人を超えました。欧州ではイギリスの6万千42人に次いで多い数字です。

イタリアの死者のうち40%近い2万2千252人は、パンデミックの始まりから常に最悪の被害地域であり続けている、ミラノが州都のロンバルディア州の犠牲者。

2番目に犠牲者が多いのはボローニャが州都のエミリアロマーニャ州の5805人(10,4%)。以下トリノが州都のピエモンテ州5556人(10%)、ヴェネツィアが州都のヴェネト州3899人(7%)、首都ローマが州都のラツィオ州2525人(4,5%)などと続きます。

筆者の住むブレッシャ県は、イタリアで最もコロナ被害が大きいロンバルディア州の12県のうちの一つ。第1波では隣のベルガモ県と並んで感染爆心地になりました。筆者の周囲でも親戚を含む多くの人々が犠牲になりました。

今進行している第2波でも、ロンバルディア州が相変わらずイタリア最悪のコロナ被害地ですが、感染爆心地は州都ミラノ市とミラノ県に移っています。が、むろんブレッシャ県の状況も決して良好ではありません。

イタリアのコロナ死者の平均年齢は80歳。死者のうち50歳以下の人は657人。全体のたった1%強に過ぎません。また死者の97%が何らかの持病あるいは基礎疾患を持っています。

筆者は死者の平均年齢の80歳にはまだ届きませんが、50歳はとっくに通り過ぎて且つ基礎疾患を持つ者です。パンデミックのちょうど1年前に狭心症のカテーテル治療を受けたのです。従ってコロナに感染すると重症化する危険が高いと考えられます。

還暦も過ぎたので、死ぬのはしょうがない、という死ぬ覚悟ならぬ「死を認める」心構えはできているつもりですが、コロナで死ぬのはシャクにさわる、という思いでいます。死は予測できないから死ぬ覚悟に似た志も芽生えるのではないでしょうか。避けることができて、且つ死の予測もできるコロナで死ぬのは納得がいかない、と強く感じます。

2週間前には同期の友人がコロナで亡くなりました。彼は長く糖尿病を患っていました。既述の如くこれまでにも親戚や友人・知人がコロナで逝きました。だが全員が70歳代後半から90歳代の人々でした。年齢の近い友人の死は、なぜかこれまでよりも凶悪な相貌を帯びて見えます。

筆者はパンデミックの初めから、世界最悪のコロナ被害地の一つであるイタリアの、感染爆心地のさらに中心付近にいて、身近の恐怖を実感しつつ世界の恐慌も監視し続けてきました。その筆者の目には、最近の日本がコロナに翻弄され過ぎているように見えます。

コロナはむろん怖れなければなりません。感染を阻止し、国の、従って国民の生命線である経済も死守しなければなりません。それが世界共通の目標です。ところがイタリアは、第1波で医療崩壊の地獄を味わい、全土ロックダウンで経済を完膚なきまでに打ち砕かれました。

そのイタリアに比べたら日本の状況は天国です。欧州のほとんどの国に比べても幸運の女神に愛されている国です。アメリカほかの国々に比べても、やっぱり日本のコロナ状況は良好です。むろんそれがふいに暗転する可能性はゼロではありません。

だが日本が、イタリアを始めとする欧州各国の、第1波時並みの阿鼻叫喚に陥る可能性は極めて低い。万万が一そんな事態が訪れても、日本は例えばイタリアや欧州各国を手本に難局を切り抜ければいいだけの話です。

ここ最近筆者は、あらゆる機会を捉えて「日本よ落ち着け」と言い続けています。言わずにはいられません。コロナに対するときの日本の大いなる周章また狼狽は、おどろきを通り越して筆者に少し物悲しい気分さえもたらします。

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イタリアは良くも悪くももう動じない

イタリアの日ごとの新型コロナ感染者数は減少傾向にあります。

ところが12月3日、1日の死者が過去最多を更新して993人にものぼりました。

これまでの記録は第1波のロックダウン中の969人。3月27日のことでした。

新法令

死者が激増した同じ日、イタリア政府は、新型コロナ対策として新たな法令を発動しました。

それによるとクリスマス直前の12月21日から1月6日までは、州をまたいだ移動は禁止。

また夜10時から翌朝5時までの外出も引き続き禁止とする。

さらにクリスマス当日と翌日、また元日には住まいのある自治体から外に出てはならない。

ただし、いずれのケースでも、仕事や医療また緊急事態が理由の移動は許される。

レストランは、赤、オレンジ、黄色の3段階の警戒レベルのうち、最も低い黄色の地域にある店だけ午後6時まで営業できる。

大晦日から新年をホテルで過ごす場合、食事はルームサービスのみ許される。

スキーリゾートは来年1月6日まで閉鎖。1月7日より営業が可能、など。など。

パニくらないイタリア

イタリアの累計の新型コロナ死亡者は、12月3日現在5万8千38人。

欧州ではイギリスの6万210人に次いで多い。

欧州で死者が節目の5万人を超えているのは、イギリス、イタリア、そしてフランスの5万4千231人。スペインの死者数ももうすぐ5万人クラブに入る勢いです。

イタリアの1日あたりのコロナ感染者数は、例えば日本に比べると、依然としてぞっとするほどに多い。重症者も、従って死者も然りです。

なぜイタリアのコロナ死亡者は多いのか。答えは相変わらずイタリアが欧州一の高齢化社会だから、という陳腐なもの。一種のミステリーです。

もやもやした心情を抱きつつも、人々は落ち着いています。第1波のコロナ地獄と全土のロックダウンを経験して、イタリア国民はコロナとの共存法をある程度習得し、さらに習得しつつあります。

イタリアが最も賑やかになるクリスマスシーズンを控えめに過ごして、休暇後の感染爆発を回避しようとする政府の方針は、ほとんど国民的合意といってもかまわないように見えます。

そうした社会情勢は、2回目のロックダウンを敷いて感染拡大をいったん制御し、クリスマスを前に一息ついているフランス、イギリス、スペインなども同じ。

欧州主要国の中ではドイツだけがロックダウンを延長していますが、それはドイツ的慎重の顕現で、同国のコロナ状況は依然として英仏伊西よりも良好です。

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「ベンチのマラドーナ」より愛をこめて

偉大なマラドーナが逝ってしまいました。ふいにいなくなってしまうところが悲しく、だがさわやかでもある、いかにもマラドーナらしいサヨナラの仕方であるようにも思えます。

サッカー少年だった筆者が「ベンチのペレ」と呼ばれて相手チームの少年たちに恐れられていたころ、マラドーナはまだマラドーナではなかった。ディエゴ・アルマンド・マラドーナという筆者よりも少し幼い少年でした。

マラドーナがアルゼンチンで頭角をあらわし、むくりと立ち上がって膨張したころ、筆者は既にサッカーのプレーはあきらめて、サッカー理論や情報に興味を持つだけの頭でっかちのサッカーファンに成り果てていました。

テレビドキュメンタリーの監督として仕事をするようになってから、筆者はニューヨークに移動し2年後にそこを離れてイタリアに移住しました。それはちょうどマラドーナがアルゼンチンを率いてワールドカップを制した時期に重なっていました。

1986年のワールドカップを筆者はニューヨークで見ました。決勝戦に際して筆者は、同僚のアメリカ人ディレクターらをはじめとするTVスタッフと遊びで賭けをしました。アメリカ人は当時も今もサッカーを知りません。誰もが前評判の高いサッカー強国ドイツが有利とみて、そこに金を賭けました。

筆者とプエルトリコ出身の音声マンだけがアルゼンチンに賭けました。ヒスパニックの音声マンは同じヒスパニックのアルゼンチンに好感を持ったのです。筆者はアルゼンチンではなくマラドーナの勢いに賭けました。確信に近い思いがありました。

結果は誰もが知る内容になりました。マラドーナは対イングランド戦での「神の手ゴール」と「5人抜きゴール」の勢いに乗ったまま、アルゼンチンを世界の頂点に導きました。そしてマラドーナ本人の人気は、頂点を越えて宇宙の高みにまで突出していきました。片や筆者は騒ぎのおこぼれにあずかって、賭けの嬉しい配当金を手にしました。

同年から翌年にかけて、筆者は仕事の拠点をニューヨークからイタリア、ミラノに移しました。ワールドカップを沸かせたマラドーナもイタリアにいました。彼はその2年前からイタリア、ナポリでプレーをしていたのです。ナポリが所属するプロサッカーリーグのセリエAは当時、世界最高峰のリーグとみなされていました。

例えて言えば、現在隆盛を極めているスペインリーグやイギリスのプレミアリーグなどにひしめいているサッカーのスター選手らが、当時はひとり残らずイタリアに移籍するような状況が生まれていました。その典型例がマラドーナだったのです。

時間は少し前後しますが、絶頂を極めた80年代から90年代のセリエAにはマラドーナのほかにブラジルのジーコ、カレカ、ロナウド、フランスのプラティニ、オランダのファン・バステン、フリット、アルゼンチンのバティストゥータ、ドイツのマテウス、イギリスのガスコインなどなど、スパースターや有名選手や名選手がキラ星のごとく張り合っていました。

そこにバッジョ、デルピエロ、トッティ、マンチーニ、バレージ、マルディーニ等々の優れたイタリア人プレーヤーが加わってしのぎを削りました。筆者はそんな中、イタリアのサッカーを日本に紹介する番組や報道取材、また雑誌記事などの媒体絡みの仕事でも、セリエAにかかわる幸運に恵まれました。

マラドーナは常に燦然と輝いていました。筆者が自分のサッカーの能力を紹介するフレーズ「僕はベンチのペレと呼ばれた」を「ロッカールームのマラドーナと呼ばれた」と言い変えたりするのはそのころからです。それはやがて「僕はベンチのマラドーナと呼ばれた」へと確定的に変わっていきました。

「ベンチのマラドーナ」とは言うまでもなく補欠という意味です。そのジョークはイタリア人に受けました。受けるのが楽しくて言い続けるうちに、それは筆者の定番フレーズになりました。サッカー少年の筆者は、ベンチを暖めるだけの実力しかありませんでしたが、少年時代の悔しさはマラドーナのおかげで良い思い出へと変容していきました。

閑話休題

マラドーナはよくペレと並び称されます。 ペレは偉大な選手ですが、筆者にとってはいわば「非現実」の存在とも言えるプレーヤーです。筆者は彼と同じ世代を生きた(サッカーをした)ことはなく、彼のプレーも実際に見たことがありません。一方マラドーナは同年代人であり、筆者は彼のプレーも何度か間近に見ました。

巨大なマラドーナは、プレースタイルのみならずその人となりも人々に愛されました。彼はピッチでは「神の子」ではなく神同然の存在でした。が、一度ピッチの外に出るとひどく人間くさい存在に変わりました。気さくでおおらかでハチャメチャ。人生をめいっぱい楽しみました。

楽しみが極まって彼は麻薬に手を出しアルコールにも溺れました。そんな人としての弱さがマラドーナをさらに魅力的にしました。天才プレーヤーの彼は間違いを犯しやすい脆弱な性質でした。ゆえにファンはなおいっそう彼を愛しました。

その愛された偉大なマラドーナが逝ってしまいました。2020年は猖獗を極める新型コロナとともに、あるいはもう2度とは現れない「サッカーの神」が去った年として、歴史に永遠に刻み込まれるのかもしれません。

マラドーナは繰り返し、もしかすると永遠に、ペレと名を競います。が、人としての魅力ではマラドーナはペレをはるかに凌駕します。また今現在のサッカー界に君臨する2人の巨人、クリスティアーノ・ロナウドとリオネル・メッシは、技量において恐らくマラドーナを超えます。数字がそれを物語っています。

だが彼ら2人も人間的魅力という点ではマラドーナにははるかに及びません。マラドーナの寛容と繊細とハチャメチャと人間的もろさ、という面白味を彼らは持たないのです。マラドーナはまさに前代未聞、空前絶後に見える偉大なサッカー選手であり、同時に魅惑的な人格でした。

合掌。

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ステレオタイプたちの真実

イタリア人(男)のイメージとして「スケベで怠け者で嘘つきが多く、パスタやピザをたらふく食って、日がな一日カンツォーネにうつつを抜かしているノーテンキな人々」というステレオタイプ像があります。

イタリアに長く住む者として、その真偽についての考察を少し述べておくことにしました。

イタリア人は恋を語ることが好きです。男も女もそうですが、特に男はそうです。恋を語る男は、おしゃべりで軽薄に見える分だけ、恋の実践者よりも恋多き人間に見えます。

ここからイタリア野郎は手が早くてスケベだ、という評判が生まれます。しかも彼らは恋を語るのですから当然嘘つきです。嘘の介在しない恋というのは、人類はじまって以来あったためしがありません。

ところで、恋を語る場所はたくさんありますが、大人のそれとしてもっともふさわしいのは、なんと言っても洒落たレストランあたりではないでしょうか。イタリアには日本の各種酒場のような場所がほとんどない代わりに、レストランが掃いて捨てるほどあって、そのすべてが洒落ています。なにしろ一つひとつがイタリアレストランですから・・。
 
イタリア人は昼も夜もしきりにレストランに足を運んで、ぺちゃクチャぐちゃグチャざわザワとしゃべることが好きな国民です。そこで語られるトピックはいろいろありますが、もっとも多いのはセックスを含む恋の話です。

実際の恋の相手に恋を語り、友人知人のだれ彼に恋の自慢話をし、あるいは恋のうわさ話に花を咲かせたりしながら、彼らはスパゲティーやピザに代表されるイタリア料理のフルコースをぺろりと平らげてしまいます。
 
こう書くと単純に聞こえますが、イタリア料理のフルコースというのは実にもってボー大な量です。したがって彼らが普通に食事を終えるころには、2時間や3時間は軽くたっています。そのあいだ彼らは、全身全霊をかけて食事と会話に熱中します。

どちらも決しておろそかにしません。その集中力といいますか、喜びにひたる様といいますか、太っ腹な時間のつぶし方、というのは見ていてほとんどコワイ。
 
そうやって昼日なかからレストランでたっぷりと時間をかけて食事をしながら、止めどもなくしゃべり続けている人間は、どうひいき目に見ても働くことが死ぬほど好きな人種には見えません。

そういうところが原因の一つになって、怠け者のイタリア人のイメージができあがります。
 
さて、次が歌狂いのイタリア人の話です。

この国に長く暮らして見ていると、実は「カンツォーネにうつつを抜かしているイタリア人」というイメージがいちばん良く分かりません。おそらくこれはカンツォーネとかオペラとかいうものが、往々にして絶叫調の歌い方をする音楽であるために、いちど耳にすると強烈に印象に残って、それがやたらと歌いまくるイタリア人、というイメージにつながっていったように思います。

イタリア人は疑いもなく音楽や歌の大好きな国民ではありますが、人前で声高らかに歌を歌いまくって少しも恥じ入らない、という性質(たち)の人々では断じてありません。むしろそういう意味では、カラオケで歌いまくるのが得意な日本人の方が、よっぽどイタリア人的(!)です。
 
そればかりではなく、スケベさにおいても実はイタリア人は日本人に一歩譲るのではないか、と筆者は考えています。

イタリア人は確かにしゃあしゃあと女性に言い寄ったり、セックスのあることないことの自慢話や噂話をしたりすることが多いが、日本の風俗産業とか、セックスの氾濫する青少年向けの漫画雑誌、とかいうものを生み出したことは一度もありません。

嘘つきという点でも、恋やセックスを盾に大ボラを吹くイタリア人の嘘より、本音と建て前を巧みに使い分ける日本人の、その「建て前という名の嘘」の方がはるかに始末が悪かったりします。
 
またイタリア人の大食らい伝説は、彼らが普通1日のうちの1食だけをたっぷりと食べるに過ぎない習慣を知れば、それほど驚くには値しません。それは伝統的に昼食になるケースが多いのですが、2時間も3時間もかけてゆっくりと食べてみると、意外にわれわれ日本人でもこなせる量だったりします。
 
さらにもう一つ、イタリア人が怠け者であるかどうかも、少し見方を変えると様相が違ってきます。

イタリアは自由主義社会(こういう表現は死語になったようですがイタリアを語るにはいかにもふさわしい語感です。また自由主義社会ですから中国は排除します)の主要国の中で、米日独仏などにつづく経済力を持ちます。イタリアはイギリスよりも経済の規模が大きいと考える専門家さえいるのです。

言うまでもなくそれには諸説ありますが、正式の統計には出てこないいわゆる「闇経済」の数字を考慮に入れると、イタリアの経済力が見た目よりもはるかに強力なものであることは、周知の事実です。
 
ところで、恋と食事とカンツォーネと遊びにうつつを抜かしているだけの怠け者が、なおかつそれだけの経済力を持つということが本当にできるのでしょうか?
 
何が言いたいのかといいますと・・

要するにイタリア人というのは、結局、日本人やアメリカ人やイギリス人やその他もろもろの国民とどっこいどっこいの、スケベで嘘つきで怠け者で大食らいのカンツォーネ野郎に過ぎない、ということです。

それでも、やっぱりイタリア人には、他のどの国民よりももっともっと「スケベで嘘つきで怠け者で大食らいのカンツォーネ野郎」でいてほしい。せめて激しくその「振り」をし続けてほしい。それでなければ世界は少し寂しく、つまらなく見えます。

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日本よ、あわてるな

2020年11月18日、イタリア時間の昼間、午後1時に日本とのリアルタイムで流れるNHKの夜9時のニュースが、「新型コロナの一日あたりの感染者数が過去最大の2201人!」とまるでこの世の終わりのような勢いで報道していました。

東京の一日あたりの感染者も493人の新記録。重症者も39人と多い。全国では276人。感染拡大が止まらない。医療現場は逼迫の一途をたどっている!等々と不安と恐怖のオンパレードです。

筆者はそのニュースを見ながら正直うんざりしました。日本の平和と、平和を恐慌に見立てるNHKの軽さと嘘っぽさにです。それは日本の軽さであり嘘っぽさです。日本があってNHKがあるのですから。決してその逆ではありません。

同じ日のイタリアの一日あたりの新規感染者数は32191人。日本のほぼ15倍です。スペイン、フランス、イギリスなども似たリ寄ったり。ドイツでさえ一日で26231人の新規感染者を数えました。

むろん死亡者も多く、重症の患者も日本とは比較にならないほどにおびただしい。医療現場も多くの国で逼迫しているのは言うまでもありません。

欧州では連日そういう状況が続いています。各国はロックダウンやそれに近い厳しい行動規制を敷いて感染拡大を食い止めようと必死になっています。そしてその多くが、それなりの成果を収めています。

成果とは、感染拡大を劇的に抑えているという意味では断じてありません。欧州が第1波の恐怖と絶望の時間を経て、感染拡大と共存する方法を日々学びながら、それをいわば自家薬籠中の物としつつある、という意味です。

欧州どころか世界でも最も悲惨な第1波の洗礼を受けたここイタリアでさえ、第2波の恐慌を冷静に受け止めてこれに立ち向かっています。

イタリアよりも強い第2波に襲われてきたフランス、スペイン、イギリス等も果敢にパンデミックに対峙し、恐れ怒りつつも断じてパニックには陥っていません。

それなのに日本の体たらくはどうでしょう。世界、特に爆発的な感染拡大が続く欧米などに比べたらどうということもない数字に慌て、悲鳴を上げ、錯乱しています。

日本はコロナ禍中の世界の国々の中では、経済も医療も社会状況も依然として良好な幸運な国です。少しはそのことを思って気を落ち着け、状況を見極めつつ行動する努力をするべきです。

一見した限りでは、ここまで運に恵まれ続けたとしか思えない日本のコロナ状況が、ふいに激変する可能性はゼロではありません。従って油断は禁物です。

だが、ほんの少しの状況の悪化に、脱兎の群れの如くパニくる日本は少し見苦しい。メディアも政府も国民も冷静になって、感染を抑えつつ経済も回す知恵をさらに磨いたほうがいいのではないでしょうか。

幸いコロナワクチンも開発されつつあります。それが日本を含むワクチン非開発国にまで行き渡るのはまだ先のことでしょう。だが恐らくそれは流通します。

それまではー繰り返しますーメディアも政府も国民も、日本がうまくやっていることをしっかりと認識して、ここイタリアを含む欧州同様に威厳を持ってパンデミックに対峙して行ってほしいと願います。

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