報道に不偏不党はあり得ない

マスメディアあるいは報道機関は、よく不偏不党の報道姿勢を前面に打ち出します。だが、不偏不党の報道など元よりあり得ません。

報道には必ずそれを行う者のバイアスがかかっています。事実を切り取ること自体が、すでに偏りや思い込みの所産なのです。

なぜなら事実を切り取るとは、「ある事実を取り上げてほかの事実を捨てる」つまり報道する事案としない事案を切り分けること、だからです。それは偏向以外のなにものでもありません。

少し具体的に言います。例えば日本の大手メディアはアメリカの火山噴火や地震情報はふんだんに報道しますが、南米などのそれには熱心ではありません。

あるいはパリやロンドンでのテロについてはこれでもか、というほどに豊富に雄弁に語りますが、中東やアフリカなどでのテロの情報はおざなりに流す。そんな例はほかにも無数にあります。

そこには何が重要で何が重要ではないか、という報道機関の独善と偏向に基づく価値判断がはたらいています。その時点ですでに不偏不党ではないのです。

だからこそ報道者は自らを戒めて不偏不党を目指さなければならない。「不偏不党は不可能だから初めからこれをあきらめる」というのは、自らの怠慢を隠ぺいしようとする欺瞞です。

報道機関は不偏不党であろうとする努力を怠ってはならない。「不偏不党は不可能」だからこそ、不偏不党の報道を追求する姿勢を持ちつづけるべきです。

そして資金や人的資本が豊富な大手メディアのうちの「まともな」報道者は実は、不偏不党を目標に事実に裏付けられた報道をしようと努力している場合がほとんどです。

一方ブログなどの個人報道ツールを用いる者には、自己以外には人材もなく金もないために、足と労力を使って得た独自情報やニュースは少ない。せいぜい身の回りの出来事が精一杯です。

そこで彼らは大手メディアが発信する情報を基に記事を書く場合が多くなります。そしてそこには、偏向や偏見や思い込みに基づく記述があふれています。それはそれでかまいません。

なぜならブログをはじめとするSNSは、事実や事件の正確な報告よりも「自分の意見を吐露する場」であるべきだからです。あるいは事実や事件を「考察する」ツールであるべきだからです。

そこでの最も重要なことは、報道者が自らの報道はバイアスのかかった偏向報道であり、独断と偏見による「物の見方や意見」であることをしっかりと認識することです。

自らの偏向独善を意識するとはつまり、「他者の持つ違う見解の存在を認めること」です。他者の見解を認めてそれに耳を貸す者は、やがて独善と偏向から抜け出せるようになるでしょう。

個人の報道者はそうやって自らの不偏不党を目指すべきです。ブログなど個人の情報発信者が、大手メディアを真似てニュースを発信しようとするのは間違っています。

独自の記事として書いても、また「シェア」という形で他者の記事を紹介しても事情は変わらない。自身の足と金と労力を注ぎ込んで集めた情報ではないからです。

このサイト「ピアッツァの声」では報道ではなく、「報道に基づく」書き手の意見や哲学や思考を発信して行ければ、と思っています。それは筆者が個人ブログなどでも一貫して努めてきた姿勢です。

 

※第一回投稿記事を加筆再録しました

 

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酔っ払いとヨッパライ

イタリアに住んでいて一番なつかしいのは日本の酒場です。この国には、じっくりと腰を落ちつけてひたすら飲んだり、あたりをはばからずに浮かれ騒いだりすることのできる、居酒屋やバーや赤ちょうちんやスナックやクラブというものがほとんどありません。

それではイタリア人は酒を飲まないのかというと、全く逆で彼らは世界でも1、2を争うワイン生産国の国民らしく、のべつ幕なしに飲んでいます。食事時には夜昼関係なく水や茶の代わりにワインを飲むし、その前後には食前酒や食後酒も口にします。

それとは別に、人々は仕事中でも「バール」と呼ばれる カフェに気軽に立ち寄って、カウンターで1杯のビールやワインをぐいと立ち飲みして去るのが普通の光景です。 そんな具合に酒を飲みつづけていながら、彼らは決して酔いません。

西洋社会はおおむねそうですが、イタリア社会はその中でも酔っぱらいに非常に厳しい。一般におおらかで明るいイタリア人は、酔っぱらいにも寛大そうに見えます。だが、現実は完全に逆です。彼らはたしなみ程度の飲酒には寛大です。しかし酔っぱらいを蛇蝎のように嫌います。

「いやあ、ゆうべは飲み過ぎてしまって」
「いやいや、お互い様。また近いうちに飲(や)りましょう」
とノンベエ同志が無責任なあいさつを交わし合い、それを見ている周囲の人々が、
「しょうがないな。ま、酒の上のことだから・・・」
と苦笑しながら酒飲みを許してやっている日本的な光景は、ここには存在しません。

酒に酔って一度ハメをはずしてしまうと、よほど特殊な状況でもない限り、その人はもう翌日からまともな人間としては扱ってもらえません。酔っ ぱらい、つまり酒に呑まれる人間を人々はそれほどに嫌います。交通安全の標語じゃないが飲んだら酔うな。酔うなら飲むな。というのが、イタリアにおける酒の飲み方なのです。

それならイタリアには酔っぱらいは一人もいないのかといいますと、面白いことにこれまた全く逆の話なのです。うじゃうじゃいます。というより も、イタリア国民の1人ひとりは皆酔っぱらいです。ただし、彼らは酒に酔った本物の酔っぱらいではない。精神的なあるいは性格的なヨッパライです。

酔うと人は楽しくなります。陽気になります。やたらと元気が出て大声でしゃべりまくります。社長も部長も課長も平社員も関係がなくなって、皆平等になり本音が出ます。仕事仕事とガツガツしません。いや、むしろ仕事など投げ出して遊びに精を出す・・こうした酔っぱらいの特徴は、そのまま全てイタリア人に当てはまります。上戸も下戸も、男も女も子供も老人もドロボーも警察官も、そして夜も昼も関係がない。彼らは生まれながらにして、誰もが等しく酔っぱらいならぬヨッパライなのです。

ヨッパライたちの酔いぶりは、アルコールとは縁がないから抑制がきいていて、人に迷惑をかけない。くどくどと同じことを繰り返ししゃべらない。狂暴にならない。言動に筋が通っていて、翌日になってもちゃんと覚えている等々、いいことずくめです。

ただし、イタリア野郎にフランス男と言うくらいで、男のヨッパライの多くは、白昼でもどこでもむやみやたらに若い女性に言い寄る、という欠点はあります。なにしろ、ヨッパライだからこれはしょうがない。

ところで、この「むやみやたらに女性に言い寄るというイタリア野郎どもの欠点は、実は欠点どころかヨッパライであるイタリア人の最大の長所の一つではないか、と筆者は最近考えるようになっています。

女性に言い寄っていくヨッパライたちの最大の武器は言葉です。俗に言う歯の浮くようなセリフ、臆面もないホメ言葉、はたで聞いている者が 「ちょっと待ってくれよ」と思わずチャチを入れたくなるような文句の数々、つまりお世辞を連発して、ヨッパライたちは女性に言い寄ります。

男「君って、いつもホントにキレイだな」
女「ありがとう」
男「髪型、少し変えたね」
女「分かる?」
男「トーゼンだよ。前髪をちょっとアップにしたから、額が広くなってますます知性的に見える。額が広くなると、どうして人間はかしこく見えるんだろう?あ、分かった。かしこく見えるだけじゃないんだ。セクシーになるんだ」
女「うれしい。ホントにアリガト」
みたいな・・

まるで天気か何かの話しでもしているように自然でスムーズで、且つなぜかいやらしくない、彼らの口説きのテクニックをひんぱんに目のあたりにしているうちに、筆者はある日ハタと気づきました。彼らの言動は、口説くとか、言い寄るとか、あるいは愛情表現や情事願望などといった、艶(つや)っぽい動機だけに 因っているのではない、と。

それはほとんどの場合、単なる挨拶なのです。まさに天気の話をするのと同じ軽いノリで、彼らはそこにいる女性を持ち上げ、称賛し、あれこ れと世辞を投げかけているに過ぎません。そして目の前の相手を褒めちぎり、世辞を言いつづけるのは、男と女の間に限らず、実はイタリア社会の対人関係の全般に渡って見られる現象です。

こぼれるような笑顔と、身振り手振りの大きな仕草を交えながら、彼らは近況を報告し合い、お互いの服装を褒め、靴の趣味の良さを指摘し合 い、学業や仕事や遊びで相手がいかにガンバッテいるかと元気づけ、家族や恋人に言及して持ち上げ、誰かれの噂話をした後には再びお互いの話に戻って、これ でもかこれでもかとばかりに相手の美点を言いつづけます。

イタリア人に悩みがない訳ではありません。他人の悪口を言う習慣がない訳でもありません。それどころか人生の負の局面は、悲しみも苦しみも妬みも憎しみ も何もかも、イタリア人の生活の中にいくらでも織り込まれていて、彼らの心に絶えず重石を乗せ陰影を投げかけます。彼らはそれを隠すこともなければ否定もしません。あるがままに素直に受け入れて、泣いたり、怒ったり、絶望したりしています。

ところが彼らは、同じ生活の中にある喜びの部分、明るい部分、楽しい部分になると俄然態度が変わります。それをあるがままに素直に受け入れるのではなく、できる限り大げさに騒ぎ立て、強調し、目いっぱいに謳歌して止むことがありません。彼らはそうすることで、人の力では決して無くすことのできない人生の負の局面を、相対的に小さくすることができる、とでも信じているようです。何事もポジティブに前向きに考え、行動しようとする態度の一つの表われが、対人関係における彼らのあからさまなお世辞なのです。

男と女の場合に限らず、お世辞は言わないよりは言った方がいいのだ、と筆者はイタリアのヨッパライ社会を見て思うようになりました。よほどヘソの 形が違う人はともかく、たとえお世辞と分かっていてもそれを言われて悪い気のする人はいません。それならば皆がどんどんお世辞を言い合えばいい。そうすれば 誰もが良い気分になって世の中が明るくなる。陽気になる。イタリア社会のようになる。

そう思ってはみるものの、沈黙を尊ぶ東洋の国から来た筆者にとっては、美人はともかく、不美人に対しても美しい、きれいだ、センスがいいと絶えず言葉に出して言いつづけるのは辛い。勇気もいるが、体力も気力も必要です。面倒くさい。ましてや、日常生活の中で会う人のことごとくに賛辞を述べ、元気づけ、がむしゃらに前向きの会話をつづけるのは、気が遠くなりそうなくらいに疲れる。それこそ酒でも飲んでいなければとてもそんな元気は出ません。しかし、 酒を飲んで酔っぱらってしまってはルール違反です。飽くまでも素面のヨッパライでなくてはならないのです。

そういう訳で、筆者は素面のままで彼らに合わせようと毎日いっしょうけんめいに努力をします。努力をするから連日疲れます。疲れるから、夜は一杯 やってストレスを解消したくなる。ところが、もう一度くり返しますが、この国では酒を飲んで酔っぱらうのはご法度です。ヨッパライは大歓迎されますが、本物の酔っぱらいは人間扱いをしてもらえない。当然ここでも飲みながら酔わないように、酔わないように、と努力の連続。

そういう暮らしばかりをしているものですから、飲んで騒いで無責任になれる日本の酒場がなつかしい。赤ちょうちんや居酒屋の匂いが恋しい。努力なんか少しもしないでなれる本物の酔っぱらいになりたい、と昨日も今日も、そしてきっと明日も心から思うのです。

 

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名車という名の欠陥車たち

イタリアには名車がたくさんあります。古くはOMという車に始まり、現在はフェラーリ、ランボルギーニ、マセラッティ、アルファロメロ、ランチァなどとつづきます。これらの車はどれをとってみても、非常にカラフルで新鮮な印象を人に与えます。なんとも美しく個性的です。

ドイツにもイギリスにもアメリカにも名車はあります。しかし、人それぞれの好みというものを別にしても、筆者が知る限りではイタリアのそれほど個性的でカラフルな感じはしないように思います。

なぜそうなのかと考えてみると、どうもこれはイタリアの車が完全無欠というにはほど遠いせいであるらしいことがわかります。典型的な例はアルファロメオです。この車はスポーツカータイプの、日本で言えば高級車の部類に入る車の一つですが、イタリアではごく一般的に街を走っています。筆者もかつて乗り回したことがあります。

アルファロメオはバカバカしいくらいに足が速くて、スタートダッシュから時速100キロメートルに至るまでにわずかな時間しかかかりません。まるでレース カーのような抜群の加速性です。ボディーの形もそれらしくスマートで格好がいい。ところがこの車には、古くて新しく且つ陳腐だが人を不安にさせる、笑い 話のような悪評がいつもついてまわります。

いわく、少し雨が降るとたちまち雨もりがする。いわく、車体のそこかしこがあっという間にサビつく。いわく、走っている時間よりも修理屋に入っている時間のほうが長い・・・云々。アルファロメオの名誉のために言っておきますが、それらは大げさな陰口です。

しかし、火のないところに煙は立ちません。アルファロメオはドイツ車や日本車はもとより、イタリアの他の車種と比べても、故障が多く燃費も悪い上に排気音も カミナリみたいにすさまじい。スマートで足が速い点を除けば、車そのものが不安定のカタマリようなマシンです。つまり「欠陥車」ですね。

ところがイタリア人にとっては、アルファロメオはそれでいいのです。スマートで格好が良くてハチャメチャにスピードが出る。それがアルファロメオのアル ファロメオたるゆえんであって、燃費や排気音や故障の多い少ないなどという「些細な事柄」は、ことこの車に関するかぎり彼らにとってはどうでもいいことな のです。

そんなバカな、とおどろくにはあたリません。イタリア人というのは、何事につけ、ある一つのことが秀でていればそれを徹底して高く評価し理解しようとする傾 向があります。長所をさらに良くのばすことで、欠点は帳消しになると信じているようでもあります。だから欠点をあげつらってそれを改善しようとする動きは、いつも 二の次三の次になってしまいます。

人間に対しても彼らは車と同じように考えます。というよりも、人間に対するそういう基本的な見方がまずあって、それが車づくりや評価にも反映している、という方が正しいと思います。分かりやすい例を一つ挙げればベルルスコーニ元首相です。

醜聞まみれのデタラメなこの男をイタリア人が許し続けたのは、デタラメだが一代で巨財を築いた能力と、人当たりの良い親しみやすい性格が彼を評価する場合には何よりも大事、という視点が優先されたからです。そうしたイタリア的評価法の真骨頂は子供の教育にも如実に現れます。

この国の人々は、極端に言えば、全科目の平均点が80点の秀才よりも、一科目の成績が100点で残りの科目はゼロの子供の方が好ましい、と考えます。そして どんな子供でも必ず一つや二つは100点の部分(試験の成績という意味だけではなく)があるから、その100点の部分を120点にも150点にものばして やるのが教育の役割だと信じ、またそれを実践しているように見えます。

たとえば算数の成績がゼロで体育の得意な子がいるならば、親も兄弟も先生も知人も親戚も誰もが、その子の体育の成績をほめちぎり心から高く評価して、体育の力をもっともっと高めるように努力しなさい、と子供を鼓舞します。

日本人ならばこういう場合、体育を少しおさえて算数の成績をせめて30点くらいに引き上げなさい、と言いたくなるところだと思いますが、イタリア人はあまりそういう発想をしません。要するに良くいう“個性重視の教育”の典型なのです。

子供の得意な分野をまず認めてこれを見守る、というのは非常に人間的であたたかく、しかも楽観的な態度です。同時に厳しい態度でもあります。なぜなら一人一 人の子供は、平均点をのばして偏差値を気にするだけの画一的な勉強をしなくても良い代りに、長所と認められた部分を徹底して伸ばす努力をしなければならな いからです。

長所とは言うまでもなく個性のことです。そして個性とは、ただ黙ってぼんやりと生きていては輝かない代物なのです。

かくしてアルファロメオは、社会通念になっているイタリア国民一人一人の前述の物の見方に支えられて、第一号車ができて以来ずっと、速さとカッコ良さだけ にせっせと磨きをかけてきました。一日や二日で達成したものではないからその部分では他のどんな車種にも負けません。

同時に雨もりや故障という欠陥部分の強い印象も健在です。突出しているが抜けている。だから憎めない。それがアルファロメオであり、名車の名車たるゆえんです。なんともイタリア的というべきか。はたまた人間的と言うべきか・・陳腐な結論かもしれませんがそれ以上の言葉はみつかりません。

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銃の重さ

 

少し物騒に聞こえるかもしれない話をしようと思います。

アメリカを筆頭に銃乱射事件があとを絶ちません。乱射には至らないものの銃による殺人事件や事故も世界中でもっとひんぱんに起こっています。

筆者は厳しい銃規制に賛成の立場ですが、個人的には近く拳銃を扱う訓練を始める計画です。拳銃を扱う訓練とは、要するに銃撃の仕方を習うということです。

筆者は銃、特に拳銃に恐怖心を抱いています。自身のそのトラウマを筆者はほぼ25年前に偶然に発見しました。

1994年、シチリア島で長期ロケ をしていたとき、ある人が護身用に保持している拳銃を手に取ってみる機会がありました。

拳銃は合法的に取得・登録済みのもので、そのとき実弾も装填されていました。

手にした拳銃はずしりと重いものでした。手に取るとほぼ同時にその重さは強い不安に変わり恐怖心を呼び込みました。今にも暴発しそうなイヤな感触もありました。

そのくせ筆者は、引き金に指を掛けるどころかグリップさえ握らずに、銃を寝かせたまま全体を手の平に乗せて、軽く包み込むように持っただけなのです。

いうまでもなくその恐怖心は、拳銃が殺傷の道具である事実と、それを所持した人間が犯す事件や事故の可能性を知っていることから生じています。

また筆者は拳銃がもたらす事態の怖さを知っているのに、その怖さを生み出す拳銃そのもののことが全く分かりません。弾丸を撃ち出す仕組みも構造も何もかも、手にした拳銃の実体の全てが理解できないのです。

その現実も不安となりさらに大きな恐怖となりました。人間が作った道具を、それへの無知ゆえに筆者は激しく怖れる。そこでは無知こそが恐怖の動機でした。

そのとき湧き起こった恐怖心はさらなる心理の屈折を筆者にもたらしました。つまり筆者は拳銃を怖れている自分にひどい屈辱感を覚えたのです。

そうやって筆者は恐怖と屈辱といういやな感情を自分の中に抱え込んでしまいました。

それは25年後の今もはっきりと筆者の中に刻み込まれています。二つながらの感情を克服するには、再び銃を手に取って、今度は実際にそれを撃ってみることです。

銃撃を習得する過程で筆者は銃の構成やからくりや大要や論理等々についても勉強していくでしょう。射撃を習うことができる試射場はイタリアには数多くあります。

実は10年ほど前には猟銃の扱いを覚えました。狩猟に出る気は毛頭ありませんが、素人には猟銃のほうが扱いやすい、という友人の軍警察官のアドバイスで試してみたのです。

秋の狩猟シーズンに友人らに連れられて山に入り、主に空に向かって猟銃を撃っては少しづつ慣れていきました。そうやって今では筆者は、割りと平穏に猟銃を扱えるようになりました。

課題は拳銃です。映画などでは手慣れたオモチャの小道具のように拳銃を軽々とあしらうシーンがひんぱんに出てきますが、拳銃は猟銃とは違って扱いが難しい。慣れないうちは暴発や事故も頻発します。

また片手の内に収まるものさえある小さな装備が、引き金にかかる指先のかすかな動きで爆発し、圧倒的な威力で人を殺傷する悪魔に変わる実態の、重圧と緊張と悪徳もうっとうしい。

筆者の恐怖感の正体も、片手でも扱える小さな、そのくせずしりと重い拳銃への無知と疎ましさと嫌悪に基因があります。筆者はそれらの全てを克服してすっきりしたいのです。

拳銃を自在に使いこなしたいのは恐怖の克服が第一義の理由ですが、実はほかにも2点ほど筆者がその必要性を思う理由があります。

筆者はここイタリアでは少し特殊な家に住んでいます。古い落ちぶれ貴族の館で、過去には何度も盗みや押し込みの被害に遭っている場所なのです。

そんな歴史があるため、屋内には金目のものは置かれていません。もしも盗む価値のあるものが見つかるとすれば、それは古い大きな建物そのものだけです。家屋自体はむろん持ち去ることなどできません。

イタリア中に存在する「私有の」貴族館や歴史的豪邸や城などは、ほぼ100%がそんな状況にあります。要するに貧乏貴族のボロ家なのです。イタリア人のプロの盗賊なら経験上そのことを知っています。

しかし、今のイタリアには外国人の犯罪者があふれています。イタリアの歴史的家系の内情を知らない彼らは、建物の堂々たる外観だけに目を奪われて、報われない盗みの計画を立てるかもしれません。

それでも彼らのほとんどは武装した危険な賊徒です。そうした連中は常に暴力的ですが、屋内に目ぼしい金品がないと知ると特に、憤怒にかられた殺人者に変貌することも多い、と統計が語っています。

自家は警備システムで厳重に守られていますが、筆者自身が護身のために武器を秘匿しておくのも悪くない、と感じないでもありません。ここは平和な日本ではない。普通に危険な欧州の一国なのです。

筆者は臆病な男ですが、もしも賊に襲われたときには、黙って難を受け入れることを潔しとしません 。家族を守るために必ず行動しようとするでしょう。

もうひとつの理由は少々形而上学的なものです。将来ムダに長生きをしたとき、尊厳死 が認められている社会ならいいのですが、そうでないときはあるいは拳銃が役に立つかもしれません。

形而上学的どころかひどく生々しい話に聞こえるかもしれません。しかし、筆者には自壊の勇気 など逆立ちしてもありません。将来もそんな勇気は湧かないでしょう。従ってそれは妄想という名の形而上学的世界。

小心者の筆者は120歳になんなんとする時まで生きてもきっと、拳銃を手にして、この悪魔を喜ばせないためにも自滅などしない。もっともっと生き続けなければならない、などと自己弁護に懸命になっていることでしょう。

それらのことを踏まえて、筆者は近く射撃場の扉を叩く予定を立てています。

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型やぶりがイタリア人の型である

 

日本とイタリアのテレビスタッフがいっしょに仕事をすると、かならずと言っていいほど日本の側から驚きの声が湧きあがります。それはひとことで言ってしまうと、日本側の生真面目さとイタリア側の大らかさがぶつかって生じるものです。

お互いに初めて仕事をする者どうしだからこの場合には両者が驚くはずなのに、びっくりしているのは日本人だけ。生真面目すぎるからです。それは「偏狭」という迷い道に踏み込みかねません。同時に何事も軽く流すイタリア人の大らかさも、「いい加減」の一言で済まされることが良くあります。

こんなことがありました。

「どうしてフォーマットをつくらないのかねぇ・・・。こんな簡単なこともできないなんて、イタリア人はやっぱり本当にバカなのかなあ・・・」

その道35年のテレビの大ベテランアナウンサー西尾さんが、いらいらする気持ちをおさえてつぶやくように言いました。

西尾さんを含むわれわれ7人のテレビの日本人クルーはその時、イタリアのプロサッカーの試合の模様を衛星生放送で日本に中継するために、ミラノの「サン・シーロ」スタジアムにいました。

われわれが中継しようとしていたのはインテルとミランの試合です。この2チームは、当時“世界最強のプロサッカーリーグ“と折り紙がつけられているイタリア「セリエA」の中でも、実力人気ともにトップを争っていた強力軍団です。

ただでも好カードであるのに加えて、その日の試合は18チームがしのぎを削る「セリエA」の選手権の行方を、9割方決めてしまうと言われる大一番でした。

スタジアムに詰めかけたファンはおよそ9万人。定員をはるかにオーバーしているにもかかわらず、外には入場できないことを承知でまだまだ多数のサポーターが集まってきていました。

球場内では試合前だというのに轟音のような大歓声がしばしば湧きあがって巨大スタジアムの上の冬空を揺り動かし、氷点下の気温が観衆の熱気でじりじりと上昇していくのでもあるかのような、異様な興奮があたりにみなぎっていました。

こういう国際的なスポーツのイベントを日本に生中継する場合には、現地の放送局に一任して映像をつくって(撮って)もらい、それに日本人アナウンサーの実況報告の声を乗せて日本に送るのが普通です。

それでなければ、何台ものカメラをはじめとするたくさんの機材やスタッフをこちらが自前で用意することになり、ただでも高い番組制作費がさらに高くなって、テレビ局はいくら金があっても足りません。

その日われわれはイタリアの公共放送局RAIに映像づくりを一任しました。つまりRAIが国内向けにつくる番組の映像をそのまま生で受け取って、それに西尾アナウンサーのこれまた生の声をかぶせて衛星中継で日本に送るのです。言葉を変えれば、アナウンサーの実況報告の声以外はRAIの番組ということになります。

ところがそのRAIからは、いつまでたっても番組の正式なフォーマットがわれわれのところに送られてきませんでした。西尾さんはそのことに驚き、やがていらいらして前述の発言をしたのです。

フォーマットとはテレビ番組を作るときに必要な構成表のことです。たとえば1時間なら1時間の番組を細かく分けて、タイトルやコマーシャルやその他のさまざまなクレジットを、どこでどれだけの時間画面に流すかを指定した時間割表のようなものです。

正式なフォーマットを送ってくる代わりに、RAIは試合開始直前になって「口頭で」次のようにわれわれに言いました。

1)放送開始と同時に「イタリア公共放送局RAI」のシンボルマークとクレジット。

2)番組メインタイトルとサブタイトル。

3)両チームの選手名の紹介。

4)試合の実況。

ほとんど秒刻みに近い細かなフォーマットが、一人ひとりのスタッフに配られる日本方式など夢のまた夢でした。

あたふたするうちに放送開始。なぜかRAIが口頭で伝えた順序で番組はちゃんと進行して、試合開始のホイッスル。2大チームが激突する試合は、黙っていても面白い、というぐらいのすばらしい内容で、2時間弱の放送時間はまたたく間に過ぎてしまいました。

西尾さんは、さすがにベテランらしくフォーマットなしでその2時間をしゃべりまくりました。しかし、フォーマットという型をドあたまで取りはずされた不安と動揺は隠し切れず、彼のしゃべりはいつもよりも精彩を欠いてしまいました。

ところでこの時、西尾さんとまったく同じ条件下で、生き生きとした実に面白い実況報告をやってのけたもう1人のアナウンサーがいます。ほかならぬRAIの実況アナウンサーです。

筆者はたまたま彼と顔見知りなので、放送が終わった数日後に彼に会ったとき番組フォーマットの話をしました。

彼はいみじくもこう言いました。

「詳細なフォーマット?冗談じゃないよ。そんなものに頼って実況放送をするのはバカか素人だ。ぼくはプロのアナウンサーだぜ。プロは一人ひとりが自分のフォーマットを持っているものだ」

公平に見て彼と西尾さんはまったく同じレベルのプロ中のプロのアナウンサーです。年齢もほぼ似通っています。2人の違いはフォーマット、つまり型にこだわるかどうかの点だけです。

実はこれは単に2人のテレビのアナウンサーの違いというだけではなく、日本人とイタリア人の違いだと言い切ってもいいと思います。

型が好きな日本人と型破りが型のイタリア人。どちらから見ても一方はバカに見えます。この2者が理解し合うのはなかなか難しいことです。

型にこだわり過ぎると型以外のものが見えなくなります。一方、型を踏まえた上で型を打ち破れば、型も型以外のものも見えてきます。ならば型破りのイタリア人の方が日本人より器が大きいのかというと、断じてそういうことはありません。

なぜならば型を踏まえるどころか、本当は型の存在さえ知らないいい加減なイタリア人は、型にこだわり過ぎる余り偏狭になってしまう日本人の数と恐らく同じ数だけ、この国に生きているに違いありませんから・・・

 

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イタリア式回転ドア内閣の愉快

民主党ジンガレッティ・五つ星運動ディマイオ両党首

イタリアの左右のポピュリスト、五つ星運動と同盟の連立政権が倒れるとすぐに、前者が臆面もなく天敵の民主党に駆け寄って手を結び、新たな連立政権が樹立されました。

不安定なイタリア政治は面白い。いや、興味深い。内閣がくるくる変わるのはとんでもない欠点だとばかり思ってきましたが、最近筆者はそれは欠点ではなく、イタリア政治の「特徴」なのだと考えるようになりました。

戦後のイタリアの内閣はひんぱんに変わることで知られています。平均寿命は一年未満、という時期が長く続きました。今もよく変わります。2018年に発足した五つ星運動と同盟の連立政権も1年と2か月で崩壊し、第66代ジュゼッペ・コンテ内閣が間もなく船出します。

今回の政変ではほとんど見られませんでしたが、政権交代の度に大きな政治空白が生じます。だがそれによってイタリア経済が停滞したり、行政が行き詰まったり、司法が恐慌をきたしたりすることはまずありません。

もしもそういう状況があったとするならば、それは政治空白や政治不安のせいではなく、イタリアの経済や行政や司法が「元々そういう風だった」からに過ぎません。イタリアではそれらは常に問題山積の領域なのです。

ひっきりなしにやって来るイタリアの政治不安は、政権交代が可能な政治体制だからです。政権交代が可能な分、権力につきものの腐敗が最小限にとどまる、というむしろ余得を伴うのがイタリアの政治の在り方だとも言えます。

腐敗が最小限にとどまると聞けば、政治腐敗にうんざりしている多くのイタリア国民は、あるいはデタラメをいうな、と怒るかも知れません。だがここでも筆者は確信を持って言えます。政治不安と政権交代がなければ、腐敗はもっとはるかに大きなものになっているであろう、と。

連立政権の一翼を担っていた極右政党同盟のサルヴィーニ党首は先月、閣僚でありながら内閣不信任案を提出して政権を崩壊に導きました。コンテ首相は、サルヴィーニ氏の行動は自身と党の利益のみを優先させる利己的で無責任な行動だ、と国会で厳しく指弾しました。

コンテ首相の批判を待つまでもなく、サルヴィーニ氏は内閣を倒して総選挙に持ち込みたい思惑を強く持っていました。副首相兼内務大臣の彼は、強硬な反移民・難民政策を実行に移して、地中海を介してイタリアに押し寄せるアフリカ・中東からの難民・移民を締め出しにかかりました。

その政策は移民疲れの激しいイタリア国民の支持を集めました。サルヴィーニ氏は急上昇する彼自身と同盟への支持率を背景に発言力を強め、ここ最近はまるで自分が首相だと言わんばかりの態度に出ることも少なくありませんでした。

しかし、議会解散から総選挙に持ちこもうと画策した彼の思惑は裏目に出ました。連立相手の五つ星運動が、政権が崩壊するや否や、なんと野党の民主党にすり寄って新たに連立を組もう、と持ち掛けたのです。

五つ星運動と民主党は犬猿の仲どころか、お互いが天敵ともいうべき相手同士です。五つ星運動は、先の総選挙で政権与党だった民主党を激しく攻撃して支持率を上げ、ついに第一党となって政権を勝ち取った、といういきさつもあります。

その五つ星運動が、臆面もなく民主党に言い寄ったのです。まさかの展開にサルヴィーニ氏は真っ青になり、自分を棚に上げて五つ星運動を「裏切り者!」とののしりましたがもう後の祭り。あれよという間に両党の連立協議が進行しました。

五つ星運動と民主党はほどなく合意に至り、コンテ氏を首班とする政権が再び誕生することになりました。同盟とサルヴィーニ氏は排除される形で下野。あっという間にお山の大将からただの人になってしまいました。

2011年、イタリア政界を長きにわたって牛耳ってきたベルルスコーニ元首相が失脚した後、イタリアではモンティ、レッタ、レンツィ、ジェンティローニという選挙の洗礼を受けない政権が続いてきまた。

そこに反体制ポピュリストの五つ星運動と反EU反移民を旗印にする極右の同盟とが、それぞれの極論をうまくオブラートに包んで選挙を戦い、政治不信に疲れきった国民の不満を吸い上げる形で支持率を伸ばして政権を奪取しました。

しかし、既述のようにそのポピュリスト政権も内部分裂であえなく終焉。結果として8年間で6つの政権が現れては消え、消えては現れるいつもの展開になりました。

そこで見えてくるのは、混乱の様相を呈したイタリアの柔軟な政治制度です。それは混乱ではなく、政権交代が確実に実行される、いわばイタリア的秩序の顕現なのです。

特に「まさか」と思われた左派ポピュリストの五つ星運動と、極右ポピュリストの同盟による連立政権の樹立は、まさに「なんでもあり」がイタリアの政治の王道であり、政権の座に就く者はイタリア的なしなやかさで「なんとか」政権運営をしていく、という厳然たる事実です。

柔軟に政権交代が起こり、権力を握った者は誰もがそれなりに国の舵取りをこなしていく、という驚異的な現象がさりげなく出現するイタリアの政治状況は、全くもって面白く興味深い、と筆者は最近つくづく思うようになりました。


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爆増する中国人観光客の重さでベニス沈没が加速中!


高潮の度にベニスのシンボル・サンマルコ広場は水没する


陸路のイナゴ風大集団

先日ロケでまたベニスを訪れました。そこで異様な光景に出会いました。中国人観光客の群れが大型観光バスを連ねて次々にベニスに入り、また出て行くのです。彼らの数の多さに圧倒されました。異様とはそういう意味です。もっとさらに異様な話も聞きました。中国人観光客の重さでベニスの沈下速度が倍加しているというのです。

ベニスは水没しつつあります。それは今に始まった問題ではありません。周知のようにベニスは、遠浅の海に人間が杭を打ち込んで土地を構築・造成し建物を作っていった街です。地盤が沈下するほどの脆弱な場所に、季節風が送る高潮や海面上昇、またその他の地域特有の問題が重なって、街そのものが沈下を続けているのです。

そんな折に中国人観光客がイナゴ並みの大群で押し寄せて、ベニスは彼らの重みで当初の見込みよりも急速に崩壊し海底に沈降しつつある、というのです。むろんジョークに違いないと思います。だがそれは、たとえジョークではあっても、事の本質が笑い話とは極めて遠い深刻な内容の風説です。

ベニスには世界中から観光客が押し寄せます。訪問者のあまりの多さに音を上げたベニス当局は、街を訪れる人に入場料を課すと決定しました。イタリアの有名観光地の多くはホテルを介して訪問者から観光税を徴収しています。ベニスはそれとは別に、日帰りの訪問客を含む全ての訪問者に新税を課すとしたのです。

その施策の真のターゲットは実は中国人、という噂もこれまたまことしやかにささやかれています。観光で生きているベニスのような街が、(中国人)観光客を締め出す目的で入場料を取るのは矛盾であり、偽善であり、悪政以外のなにものでもありません。とはいうものの、そんなヨタ話が出るほどにベニスへの中国人入域者は多い、ということの証ではあるかもしれません。

大群増加のわけ

ただでも多かったイタリア訪問の中国人観光客の数が、ことし4月以降は爆発的に増えています。イタリアが3月、中国の一路一帯構想への協力を盛り込んだ覚え書きを同国との間に交わしたからです。そこではインフラや農業またエネルギーなどの取り決めと共に、2020年を両国の観光・文化の年と位置づけて連携を強めていくことも確認しあいました。

それを受けて中国人観光客へのイタリアのビザ承認が簡略化され、中国からイタリアへの直行便が増えるなどしました。中国人にとってはイタリア行きが一段と魅力的になったのです。財政難のイタリア政府にとっては、懐の豊かな中国人観光客が増えるのはきわめて喜ばしいことです。GDPの13%を占めるイタリアの観光業は、中国人の増加で多大な恩恵を蒙ることでしょう。

だがその他のイタリア国民にとっては、大挙して押し寄せる中国人観光客は必ずしも嬉しいものではないかもしれません。それというのも中国人観光客のマナーの悪さが、ここイタリアでもひんぱんに取り沙汰されるからです。ベニスで事あるごとに中国人が悪者扱いにされ悪評を立てられるのも、そのことと無関係ではないように見えます。

日本イナゴvs中国イナゴ

群れをなして世界中の観光地を掻き回したのはかつての日本人ですが、それとは比較にならない数と頻度で世界の名所旧跡を荒らし回るのは、いまや中国人です。それは世界の誰もが知っている事実でしょう。

すねにキズを持つ日本人のひとりとしては、中国人を責めるのに気後れがない訳ではありませんが、人々の批判にうなずかざるを得ないこともあります。なにしろ彼らの場合は集団を作る人間の数がケタ違いに違う。少し数を減らしてほしい、とベニスを愛する者として勝手に思ってみたりしないでもありません。

中国人旅行者は、数の膨大に加えて既述のようにマナーの悪さを世界各地で指摘されたりもします。傍若無人な群集が観光地に押し寄せれば、彼らの粗野の度合いがますます目立ってしまいますから、悪行も誇張拡大されて人々の目に映ります。

そういうことが重なって、世界における中国人観光客の野風俗はすっかり悪名高くなってしまいました。だが、マナーなどというものは、人々の暮らしが真に豊かになるに従って矯正されていくものです。われわれ日本人がその生きた証です。

日本人が昔から清潔好きで日本の集落はどこも衛生的でキレイだった、という神話を騙るネトウヨヘイトつまり民族主義系の人士が最近は多い。日本人であること以外には何も誇るものを持たない彼らは、時を選ばずありとあらゆる場所で「日本ってすごい」と孤独な自己賛美に明け暮れます。

だがそれらのナショナリストの言い分は、手前味噌てんこ盛りの国粋主義的主張に過ぎず、視野狭窄の暗闇に満たされたデタラメ以外のなにものでもありません。日本では古来、アニミズム信仰のおかげで、神々が宿るとされる場所が少しは掃除されて清潔になることは確かにあったかもしれません。

しかし、貧しい庶民にとっては、身の回りの清潔や潔癖や衛生観念はいつも二の次のコンセプトでした。日々の空腹を満たすことで精一杯の人々にとっては、今この時を生きのびることのみが重要であり、あたりの汚れや不潔な環境を憂う余裕はありませんでした。飢えで死にかけている者は自他の口臭など気にしないのです。

日本イナゴの洗練また成長過程

時が過ぎ、1970年代から80年代の高度経済成長期には、農協海外ツアーに代表される日本人の団体が、海外に出かけては人々のひんしゅくを買うようになりました。史跡に日本語で落書きをし、旅客機の中で酒盛りをし、スチュワーデスにセクハラを働き、ワイキキビーチをステテコ姿で歩きました。

1991年には、国土交通省(当時は運輸省)が、外国で批判されたり禁止されている行為などをビデオやパンフレットにして飛行機の中で上映したり、ガイドブックに掲載したりもしました。日本人旅行者のマナーの悪さが海外から強く批判されることに危機感を抱いて、国をあげて懸命に対応したのです。

そうした努力が実って、日本人は世界に通用するマナーを徐々に身につけ、今では世界で最も歓迎される観光客、という評判を得るようにさえなりました。だが日本人が海外で“日本人お断り”の洗礼を受け続けていたのは、たった30年かそこら前のことに過ぎない事実を忘れてはなりません。

日本人が昨今の中国人旅行者のマナーの悪さを笑いものにするのはあまりあたらない。中国が経済的にさらに発展して国民の心に余裕が生まれれば、旅を行くおびただしい数の中国人観光客の、衛生観念を含むマナーも必ず向上するでしょう。そのことを踏まえた上で、「今このとき」の話をしておきたいと思います。

海路のイナゴ風大集団

最近ベニスではもうひとつの問題も起こっています。巨大クルーズ船が狭い運河で立ち往生したり操船を誤るなどして危険な状況が頻発するのです。先日は突風にあおられた巨大豪華客船が岸壁に迫って重大な危機を招きました。その少し前にはやはり似たような巨大クルーズ船が、観光客を乗せた地元の小船を道連れにして、桟橋に激突する事故も起きました。


大規模バロック建造物「サルーテ聖堂」を圧して運河を行く巨大クルーズ船

そうした事件は、運河に入る巨大な船の数が急速に多くなったのが原因です。つまり観光客が増えたのです。そして最近極端に増えた観光客が中国人。中国人は迷惑だ、と彼らはまたここでも悪者にされています。その悪口をうのみにする訳ではありませんが、中国人観光客の多さとベニスの危機を思い合わせた時、やはり流言を完全に無視することもできない、という気もします。

海上都市のベニスは現在、イタリア本土と橋で結ばれて列車が乗り入れています。が、元々は街には船でしか入れませんでした。クルーズ船もそんな船舶の一つです。列車が街に乗り入れるようになって以降も、豪華客船で旅をする裕福な観光客は絶えることはなく、ベニスの運河にはいつも巨大船の姿が見えました。

悠然と航行する船はかつてはむしろ一幅の絵になる光景でした。だが今は-あらゆる観光旅がそうであるように- 一般大衆がクルーズ船にもなだれ込んで群がり、結果多くの船が野放図にベニスの運河を行き交うようになりました。事故やトラブルが後を絶たないのはそれが理由です。

全てが中国人のせいではもちろんない。しかし、そうした不都合の大半が中国系の人々の数の暴力によって引き起こされる、と考えるベニス人が増えているのは残念なことです。決して偽善からではなく、筆者は中国人の皆さんに「団体の人数を制御しながらベニス旅をしてほしい」と進言したいと思います。

中国人移民&中華ビジネス

中国人が欧州で目立つのは観光客としてだけではありません。中国人移民の数の多さと彼らのビジネスの拡大も強く人目を引きます。ここイタリアに限って言えば、中国人はローマやミラノなどの大都市はもちろん、地方都市にまで進出して、特に飲食店などの零細事業の分野で勢力を急激に拡大しています。

イタリア北部・ロンバルデア州の田舎にある筆者の住む地域でも、駅や繁華街のカフェやバールなどの飲食店の多くが中国人経営に変わり、ニョキニョキと生まれ出る「“中国系”日本レストラン」の数もものすごい勢いで増えています。それらの店は日本レストランと銘打ってはいるものの、経営者や従業員は全て中国人です。

かつて隆盛した中華料理店が消滅して、代わりに日本食レストランが爆発的に増えました。和食の人気が中華食を圧倒したのです。その機会をとらえて、中国人が日本人を装って日本食を提供し始めました。その実態を知る者にとっては、あまり愉快とばかりはいえない状況です。再びイタリアだけに関して言えば、今や日本食レストランの9割以上が中国人の店、ともいわれています。

世界第2の経済大国である中国は多くの製品・商品も輸出しています。それはかつて世界第2の経済大国だった日本がやってきたことと同じです。だが2国の間には大きな違いがあります。それは中国が物と共に「中国人そのもの」も輸出することです。しかもその輸出は往々にして中国側の一方的な都合に因っています。

巷にあふれる中国人移民は、常に地元民に歓迎されているとは言えません。例えばミラノでは、無法地帯のようにはびこるチャイナタウンを街ごとミラノ郊外に移してしまおう、という案が検討され実施される直前までいったほどです。その他の場所でも彼らの数の多さと閉鎖性が疎まれたりもします。

中国人移民の幸運

そこにアフリカや中東などからの難民・移民問題が勃発しました。欧州全体が難民・移民危機におちいったのです。中でも地中海を隔ててアフリカと隣接するイタリアは、文字通り怒涛の勢いで殺到する難民・移民の巨大津波に飲み込まれて呻吟しはじめました。それは中国人移民にとってはラッキーな事態でした。

なぜなら中国人移民に向けられていたイタリア国民の不満が、たちまちアフリカ・中東からの難民・移民へと矛先を転じたからです。今ではイタリア国民の間では、少なくとも「中国人移民は仕事を持っていてしかも働き者。さらにイスラム過激派のようにテロを起こす“中華過激派”も存在しない」と好意的に話す者が増えました。

筆者の身近にも少なからずいる中国人移民のそうした幸運を彼らと共に喜びたいと思います。レストランやバールやアジア食料品店などで働く中国人の皆さんとは、筆者も親しくさせてもらったりしています。イタリアに来て汗水たらして働いている彼らは、ほぼ全員が善良で気のいい人たちです。

だが彼らの幸運を、中国本土の共産党独裁権力機構、特に習近平国家主席に照らして見れば、彼の「悪運」の強さそのものの現れにも見えて、あまり気分が良いとは言えません。その良くない気分は、残念ながら、ベニスで中国人観光客の大群を目の当たりにする時の心情に似ていないこともありません。

政治の風向きが変わるとき

ことし4月以降に大幅に増えた中国人観光客への実害を伴う批判や偏見や憎悪などはしかし、特殊な環境下にあるベニス界隈を別にすれば、あまり目立って増えているようには見えません。イタリアは全国的に、まだまだ地中海を経由してなだれ込む難民・移民ショックに心を奪われている状態です。先日、難民・移民を厳しく規制する連立政権が崩壊して、収まりかけていた難民・移民の流入が再び激化するのではないか、という不安も国民の心中に満ちています。

イタリア国民の中国系移民への関心、また激増する中国人観光客への監視の目は、前述したようにアフリカ・中東からの難民・移民に向けられている分、ゆるやかです。しかしアフリカ・中東からの難民・移民の流入が止まった場合、国民の厳しい目が再び中国人観光客や移民に集中する可能性は極めて高いと思います。

地中海ルートの難民・移民への強硬策を推し進めた連立政権の一翼の「同盟」は、政権崩壊に伴っていったん下野しそうな状況です。入れ替わりによりリベラルな勢力が政権入りを果たせば、強硬な反移民・難民策は後退するでしょう。しかし、不安に後押しされた国民が「同盟」の政策の継続を要求することは避けられない情勢です。

つまり、イタリアの「寛大な」移民・難民政策は終わりを告げました。極右政党「同盟」が押し進めた強硬な反移民・難民策は、より柔軟なものに変わることはあっても、もう決して姿を消すことはないでしょう。従ってイタリアが中国人への監視の目を徐々に強めていく可能性はやはり高いと言わざるを得ません。中国人の皆さんはぜひそのあたりの機微に敏感になったほうが得策、と思います。

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能なき過激派には隠す爪とてない

 

イタリアにまたお家芸の政治不安の風が吹いています。まもなく大嵐になる気配です。ジュゼッペ・コンテ首相820日、議会上院で演説し、連立政権内の「同盟」と「五つ星運動の」対立激化を理由に辞意を表明したのです。

連立政権を組む極右「同盟」と左派ポピュリストの「五つ星運動」は、主に経済政策を巡って政権発足直後から対立を続けてきました。その結果「同盟」は89日、「五つ星運動」との関係修復は不可能だとして内閣不信任案を提出しました。

コンテ首相は辞任演説の中で、政権危機の引き金となった「同盟」の党首兼副首相のサルビーニ氏は、「個人と党の利益しか考えておらず無責任だ」と非難しました。が、首相に近い「五つ星運動」も「同盟」と大同小異の無責任体質だと筆者は思います。

連立政権発足時には、総選挙で第一党になった「五つ星運動」の力が政府内でやや優勢でした。しかし、最低所得保障制度(ベーシック・インカム)を目玉にする経済政策が嫌われたことなどもあって、同党の支持率は低迷しました。

そうした中、ことし5月の欧州議会選挙では「同盟」が大きく支持率を伸ばしました。強硬な難民・移民政策と並行して、米トランプ政権を真似た「イタリア・ファースト(第一)」をスローガンに、国民の不満をうまく吸い上げて躍進したのです。

2019年8月20日現在、総選挙になれば「同盟」が「五つ星運動」を大きく抑えて第一党になる可能性が高い、と多くの統計が示唆しています。それをよく知るサルビーニ氏は権力掌握に意欲を見せていて、まるで首相のような振る舞いを見せることも多くなりました。

「同盟」の支持率は5月末の欧州議会選挙では34%でした。これは政権発足時からは倍増の数字。むろんイタリア国内では第一党にあたる力強い値です。一方、連立相手の「五つ星運動」は逆に、ほぼ半減の17%の支持率にとどまりました。

総選挙になっても「同盟」は単独で過半数を制することはできません。しかし現在の状況で選挙に突入すれば、「五つ星運動」と完全に手を切って、自身よりもさらに右寄りの小政党と保守派を巻き込み、極右一辺倒の政権を樹立する可能性が高まります。

ところが、幸い、一気にそういう動きにはならず、現時点では敗者にも見える「五つ星運動」が、前政権与党で第3党の民主党にすり寄って新たに連立政権を組もう、と持ちかけました。あわてた「同盟」のサルビーニ党首は強気の姿勢を少し弱めました。が、もはや事態は後には戻らない状況です。

「五つ星運動」と「民主党」の連立の可能性も含めて、今後のイタリア政局の行方はきわめて流動的です。議会解散権を持つマタレッラ大統領は、急いで解散をするのではなく、まず政党間の仲を取り持ち調整をして、新たな連立政権の誕生を模索しようとするでしょう。

そして連立政権構想が頓挫した場合には、イタリアではよくあるように非政治家を首班とするテクノクラートの暫定政権を発足させて、ひとまず当面の政治危機を乗り越えようとする可能性が高い。そのあとで解散総選挙を行うという手順です。

大統領の判断によっては、「同盟」のサルビーニ党首が渇望する即時解散・総選挙のシナリオももちろんあり得ます。それを避けるには、民主党が一枚岩となって「五つ星運動」との連立か中立の暫定政権の発足を後押しすることですが、同党は相変わらず内部分裂を続けていて団結は難しい。

それにしても、極右政党の「同盟」と左派ポピュリストの「五つ星運動」の我欲の強さにはあきれます。彼らは国民そっちのけで政権内の政治闘争に明け暮れ、ついに政権そのものの崩壊を招きました。

左寄りと右寄りの思想信条また行動は政治の常識です。両者の対話と、対話から生まれる妥協を民主主義といいます。まずいのは「極」右と「極」左です。2者は英語にいうExtremistつまり過激な者。極論支持者であり過激論者。要するに過激派です。

彼ら過激派は対話を拒否し、自らを絶対善として突っ走り、究極的にはテロさえも厭わなくなります。極右と極左は異なるものに見えて、実は「極」で融合する一卵性双生児。そっくりさん。なのに仲が悪い。なぜでしょうか。

どちらも吼えまくり、噛みつき、殴りかかる傾向のある厄介者だから、似た者同士でも吼え合い、噛みつき合い、殴り合うのです。それが右派と左派のポピュリスト党「同盟」と「五つ星運動」の本性です。

「五つ星運動「と「同盟」に極左と極右のレッテルを貼るのはどうか、という意見もあります。もっともな話です。右と左は立ち位置によって違って見えます。左寄りの目には中道も右に映り、右寄りの目には中道も極左に見えかねません。

「五つ星運動」は自らを左にも右にも属さない政治勢力だといいます。「同盟」も、私は極右です、とは口が裂けても言いません。だが彼らの正体は極左と極右だと筆者は思います。能があるかどうかは別にして、両者は連立政権掌握中はまだ過激派の爪を隠しお互いに牽制し合っていまた。

だが、牽制のタガが外れたとき、つまり両者のうちのどちらかが単独で政権を握ったときは危ない、と筆者はいつも考えてきました。単独で政権を取れば「五つ星運動」はイタリア共和国をアナキストの巣窟に変えてしまうでしょう。「同盟」が単独で議会過半数を制して政権の座に就けば、ファシズムの足音が高く響き出すでしょう。

彼らは連立を組んで互いに牽制し合うから、政権運営を任せてみる価値が「あった」のです。異なる者同士が手を組んで、お互いの極論を抑えつつ新しい発想で国の舵を取る彼らに期待されたのはそういう政治でした。

だがそれはしょせん夢物語だったようです。本性をむき出しにして喧嘩ばかりをしていた彼らの連立政権は、両者がそれぞれ単独で政権を握った場合と同じくらいにイタリア共和国のためになりません。

極論者たちは冷静に対話をし、妥協点を見出し、且つ守旧派の政治勢力とは違うめざましい施策を打ち出せないなら、決して一国の政権に就くべきではありません。だが極論者の「同盟」と「五つ星運動」は幸運にもその機会を与えられました。そして見事に失敗しました。

今後の政局の動きによっては、彼らが再び政権与党になる可能性も十分ありますが、できれば過激派と過激派が手を結ぶ形にはならないでほしい。あるいは右の極論者がもうひとつの右の極論者と組んだり、左の極論者がもうひとつの左の極論者と結びつく誤謬は犯さないでほしい、と願います。

とはいうものの、ここは政治には「なんでもあり」の愉快国イタリアです。イタリアの政治は混乱が「常態」です。国民はそれに慣れています。従って何が起きてもおどろきません。根強い政治不信と諦めと、だが冷静な監察力がイタリア国民の十八番。政治混乱くらいでは国は沈没しません。今回の政治危機も恐らく、多くのドタバタ劇を経て、落ち着くところに落ち着くことでしょう。

 

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令和元年8月15日にも聞く「東京だョおっ母さん」

 

先ごろ亡くなった島倉千代子が歌う、母を連れて戦死した兄を靖国神社に偲ぶ名歌「東京だョおっ母さん」を聞くたびに筆者は泣きます。言葉の遊びではなく、東京での学生時代の出来事を思い出し、文字通り涙ぐむのです。

筆者は20歳を過ぎたばかりの学生時代に、今は亡き母と2人で靖国神社に参拝した経験があります。筆者の靖国とは第一に母の記憶です。そして母の靖国神社とは、ごく普通に「国に殉じた人々の霊魂が眠る神聖な場所」です。母の心の中には、戦犯も分祀も合祀も長州独裁も明治政府の欺瞞も、つまり靖国神社の成り立ちとその後の歴史や汚れた政治に関わる一切の知識も、従って感情もありませんでした。母は純粋に靖国神社を尊崇していました。

筆者の母は沖縄で生まれ、育ち、そして沖縄の地で死にました。母は90余年の生涯を国家と夫によるあらゆる横暴や理不尽にじっと耐えて生きました。母の不幸は沖縄の不幸に重なります。だから筆者はそれが何者によるものであろうが、またいかなる形ででもあろうが、沖縄への横暴や理不尽を許しません。それは筆者の母への侮辱と同じことでもあるからです。

一方、筆者には「天皇」のひと言でいつも直立不動になる軍国の申し子の父がいました。国家には忠実で妻には権高だった父は昨年、101歳でこの世を去りました。生前の父には沖縄を切り捨てた昭和天皇への怨みはなかったのだろうか。また母には、天皇とその周辺には卑屈なほどに神妙で、妻には横柄だった夫への怒りはなかったのだろうか、と筆者はよく自問自答します。

血肉の奥まで軍国思想に染まっていた父には天皇への反感はかけらほどもありませんでした。彼は天寿を全うするまで常に天皇の従僕でした。母もまた天皇の子供でした。しかし母の中には父への怒りや怨みがありました。母の言葉の端々にそれは感じられました。母には伝統への反逆法と、伝統によって阻まれている経済的自立の方策が皆無でした。だから彼女は耐え続けました。全ての「伝統的な」母たちがそうであるように。

男の無道に耐える女性たちの悲劇は、経済的自立が成就されたときにほぼ確実に消えます。夫に「養ってもらう」窮屈や屈辱からの解放がすなわち女性の解放です。母の次の世代の母たちはそのことに気づいて闘い、その次の若い母たちの多くはついに経済的に自立して解放されつつあります。女性たちの自主独立志向は欧米に始まり日本でも拡散し、さらに勢いを得て広がり続けています。

閑話休題

「東京だョおっ母さん」で
優しかった兄さんが 桜の下でさぞかし待つだろうおっ母さん あれが あれが九段坂 逢ったら泣くでしょ 兄さんも♫
と切なく讃えられる優しかった兄さんは、戦場では殺人鬼であり征服地の人々を苦しめる悪魔でした。日本男児の2面性です。

筆者は歌を聞いて涙すると同時に、「壊れた日本人」の残虐性をも思わずにはいられません。だが彼らは「壊れた」のではない。国によって「壊された」のです。優しい心を壊された彼らは、戦場で悪鬼になりました。敵を殺すだけではなく戦場や征服地の住民を殺し蹂躙し貶めました。

「東京だョおっ母さん」ではその暗部が語られていません。そこには壊れる前の優しい兄さんだけがいます。歌を聴くときはそれがいつも筆者をほろりとさせます。優しい兄さんに靖国で付き添った母の記憶が重なるからです。だが涙をぬぐったあとでは、筆者の理性がいつもハタと目覚めます。戦死した優しい兄さんは間違いなく優しい。同時に彼は凶暴な兵士でもあったのです。

凶暴であることは兵士の義務です。戦場では相手を殺す残虐な人間でなければ殺される。殺されたら負けです。従って勝つために全ての兵士は凶暴にならなければならない。だが旧日本軍の兵士は、義務ではなく体質的本能的に凶暴残虐な者が多かったフシがあります。彼らは戦場で狂おしく走って鬼になりました。「人間として壊れた」彼らは、そのことを総括せずに戦後を生き続け、多くが死んで行こうとし、実際に死んでいきます。筆者の父のように。

日本人の中にある極めてやさしい穏やかな性格と、それとは正反対の獣性むき出しの荒々しい体質。どちらも日本人の本性です。凶暴、残虐、勇猛等々はツワモノの、つまりサムライの性質です。サムライは同時に「慎み」も持ち合わせていました。それを履き違えて、「慎み」をきれいさっぱり忘れたのが、無知で残忍な旧日本帝国の百姓兵士たちでした。

百姓兵の勇猛は、ヤクザの蛮勇や国粋主義者の排他差別思想や極右の野蛮な咆哮などと同根の、いつまでも残る戦争の負の遺産であり、アジア、特に中国韓国北朝鮮の人々が繰り返し糾弾する日本の過去そのものです。アジアだけではない。日本と戦った欧米の人々の記憶の中にもなまなましく残る歴史事実。それを忘れて日本人が歴史修正主義に向かう時、人々は古いが常に新しい記憶を刺激されて憤ります。

百姓兵に欠如していた日本人のもう一つの真実、つまり温厚さは、侍の「慎み」に通ずるものであり、やさしい兄さんを育む土壌です。女性的でさえあるそれは世界に普遍的なコンセプトでもあります。

戦場での残虐非道な兵士が、家庭ではやさしい兄であり父であることは、どこの国のどんな民族にも当てはまるありふれた図式です。しかし日本人の場合はその落差が激しすぎる。「うち」と「そと」の顔があまりにも違いすぎるのです。

その落差は日本人が日本国内だけに留まっている間は問題になりませんでした。凶暴さも温厚さも同じ日本人に向かって表出されるものだったからです。ところが戦争を通してそこに外国人が入ったとき問題が起こりました。土着思想しか持ち合わせない多くの旧帝国軍人は、他民族を同じ人間と見なす「人間本来」の“人間性”に欠け、他民族を殺戮することだけに全身全霊を傾ける非人間的な暴徒集団の構成員でした。

そしてもっと重大な問題は、戦後日本がそのことを総括し子供達に過ちを充分に教えてこなかった点です。かつては兄や父であった彼らの祖父や大叔父たちが、壊れた人間でもあったことを若者達が知らずにいることが重大問題なのです。なぜなら知らない者たちはまた同じ過ちを犯す可能性が高まるからです。

日本の豊かさに包まれて、今は「草食系男子」などと呼ばれる優しい若者達の中にも、日本人である限り日本人の獣性が密かに宿っています。時間の流れが変わり、日本が難しい局面に陥った時に、隠されていた獣性が噴出するかもしれない。いや、噴出しようとする日が必ずやって来ます。

その時に理性を持って行動するためには、自らの中にある荒々しいものを知っておかなければなりません。知っていればそれを抑制することが可能になります。われわれの父や祖父たちが、戦争で犯した過ちや犯罪を次世代の子供達にしっかりと教えることの意味は、まさにそこにあるのです。

靖国にいるのは壊れた人々の安んじた魂です。それは安らかにそこにいなければならない。同時に生きているわれわれは、壊れた事実と「壊した」者らの記憶を忘れてはなりません。靖国に眠る「壊された」人々の魂が、安んじたままでいるためには、「壊した」者らを封じ込めるしか手はありません。なぜなら戦争はいつも「壊した」者らの卑怯卑劣な我欲によって引き起こされるものだからです。

島倉千代子の「東京だョおっ母さん」を聞く度に筆者は泣かされます。母を思って心が温まります。その母は「壊された弱い人々を思いなさい」と筆者に言います。母の教育はいつもそういうものでした。だが、筆者は母の教えをかみしめながら、「壊した」者らへの憎しみも温存し彼らへの返礼をも思います。歌手のやさしい泣き節は、筆者のその荒々しい心を鎮めようとします。

するとすさんだ心は静まります。島倉千代子の歌唱力のすごさが凶悪な物思いを鎮めるのです。だが筆者は歌を聴いたあとに必ず、密かに、「壊した」者らへの敵愾心をなお育み、拡大させようと心に誓います。島倉千代子の「東京だョおっ母さん」を聞く度に筆者は泣かされる。泣きながら、若者たちを壊した力、すなわち日本を破壊し、沖縄を貶め、従って母を侮辱する力への抵抗と弾劾を改めて決意するのです。

 

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盆は生者のためにある

日本の多くの地域で今日から始まる盆は、昨年11月に101歳で逝った父の新盆にあたります。盆最終日の8月15日にはイタリアでも大きな宗教行事があります。聖母マリアが死して昇天することを寿ぐ聖母被昇天祭です。筆者はその日は家族と共に教会のミサに出席するつもりです。

筆者はキリスト教徒ではありませんが、教会の行事には家族に請われれば、また時間が許す限りは、顔を出すことを厭いません。一方キリスト教徒の筆者の妻は日本に帰るときは、冠婚葬祭に始まる筆者の家族の側のあらゆる行事に素直に参加します。それはわれわれ異教徒夫婦がごく自然に築いてきた、日伊両国での生活パターンです。

教会では父のために、盆の徳を求めて祈ろうと思います。教会はキリスト教の施設ですが、聖母マリアも、その子で神のイエス・キリストも、霊魂となった父を拒みません。拒むどころか抱擁し赦し慈しむ。祈る筆者に対してもそうです。イエス・キリストとはそういう存在です。全き愛と抱擁と赦しが即ちイエス・キリストです。

祈りには実は宗教施設はいりません。筆者は普段でも父に先立って逝った母に語りかけ、父を思っても祈ります。 だが信心深かった母と父はもしかすると、多くの人と同様に寺や神社や祠や仏壇などの宗教設備がないと寂しい思いをするかもしれない。だから筆者はそうした場所でも祈ります。キリスト教の教会においてさえ。

イエス・キリストの代弁者である教会は筆者の祈りを拒まないし拒めません。もしもそこに拒絶があるなら、それは教会施設の管理者である聖職者と信者たちによってなされるものです。だが異教徒でありながら、あるいは仏教系無神論者でありながら、いや仏教系無神論者だからこそ、イエス・キリストを尊崇してやまない筆者を彼らも拒みません。

仏教系無神論者とは、仏教的な思想や習慣や記憶や情緒などにより強く心を奪われながら、全ての宗教を容認し尊崇する者、のことです。同時に筆者は仏陀と自然とイエス・キリストの「信者」でもあります。幾つもの宗教を奉ずる者は、特に一神教の信者にとっては、「何も信じない者」であるに等しい。

その意味でも筆者はやはり無神論者なのであり、無神論者とは「無神論」という宗教の信者だと考えています。そして無神論という宗教の信者とは、別の表現を用いれば、先に述べた「全ての宗教を肯定し受け入れる者」にほかなりません。

葬儀や法要や盆などを含むあらゆる宗教儀式と、それを執り行うための施設は、死者のためにあるのではない。それは生者のために存在します。われわれは宗教施設で宗教儀式を行うことによって、大切な人を亡くした悲しみや苦しみを克服しようとします。盆もその例に漏れません。

宗教はそれぞれの信仰対象を解釈し規定し実践する体系です。体系は教会や寺院や神社などの施設によって具現化されます。信者は体系や施設を崇拝し、自らの宗教の体系や施設ではないものを拒絶することがあります。特に一神教においてそれは激しい。

再び言います。筆者はあらゆる宗教を認め受容し尊崇する「仏教系無心論者」です。筆者にとっては、宗教の教義や教義を含む全体系やそれを具現し実践する施設はあまり意味をなしません。筆者はそれらを尊重し信者の祈りももちろん敬仰します。

だが筆者はあらゆる宗教の儀式やしきたりや法則よりも、ひたすら「心が重要」と考える者でもあります。心には仏教もキリスト教も神道も精霊信仰も何もありません。心は宗派を超えた普遍的な真理であり、汎なるものです。それは何ものにも縛られることがありません。

灰となった父の亡き骸の残滓は日本の墓地に眠っています。父に先立って逝った母もそうです。だが2人はそこにはいません。2人の御霊は墓を飛び出し、現益施設に過ぎない仏壇でさえも忌避し、生まれ育ちそして死んだ島さえも超越して、遍在します。

2人は遍在して筆者の中にもいます。肉体を持たない母と父は完全に自由です。自在な両親は筆者と共に、たとえば日本とイタリアの間に横たわる巨大空間さえも軽々と行き来しては笑っています。筆者はそのことを実感することができます。

筆者は実感し、いつでも彼らに語りかけ、祈ります。繰り返しますが祈りは施設を必要としません。しかし盆の最終日には筆者は、イエス・キリストを慕いつつ仏陀の徳を求めて、母と、そして新盆を迎える父のために、キリスト教の施設である教会で祈ろうと思います。

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