銃を統べる 理由(わけ)

コロナ禍で中断していた射撃訓練を再開しました。

始めてすぐに、自分の中の拳銃への恐怖心がほぼなくなっていることに気づきました。

うれしい誤算でした。

撃ち方を習うのは、身内に巣食っている銃への恐怖心を克服するのが目的です。

筆者はその恐怖心を偶然に発見しました。それから20年ほど後に猟銃の扱い方を習得しました。

次に拳銃の操作を習い始めました。

稽古を始めたのは2019年の9月。射撃場に10回前後通ったところでコロナパンデミックがやってきました。

ほとんどの公共施設と同様に射撃場も閉鎖されました。2021年には条件付きで再開されましたが、全く訪ねる気になりませんでした。

2022年も同じ状況で過ごしました。

銃を殺傷目的の武器として扱うのではなく、自分の中の嫌な恐怖心をなくすための実習であり訓練です。それでも銃撃法を習うのは決して心おどる作業ではありません。

コロナ疲れもありましたが、稽古を再開するのは億劫でした。

先日、ようやく踏ん切りがついてほぼ3年ぶりに射撃場に行きました。

そこは世界的に有名なイタリアの銃器製造メーカー 「ベレッタ」の近くにあります。わが家からは車で30分足らずの距離です。

前述の如く、練習を再開してすぐにうれしい発見をしました。

てきぱきと銃を扱うところまではまだ行きませんが、それを手にすることを恐れない自分がいました。

予想外の成り行きでした。

危険防止の細心の注意をはらいながら、弾を込め、安全装置を解除して的に向けて射撃をする。

終わると銃口をしっかりと前方に向けたまま弾倉をはずし、再び弾を装てんし、両手と指を決められた仕方で慎重に組み合わせ、制動しつつ撃つ。

その繰り返しを心穏やかにできるようになっていました。

それは楽しいとさえ感じられました。

射撃がスポーツと捉えられる意味も初めて腑に落ちました。

恐怖心の克服が成ったいま、射撃練習を続ける意味はありません。が、せっかくなので目標に正確に撃ちこめるようになるまで続けようかとも考えています。

とはいうものの、習熟して射撃大会に参加するなどの気持ちにはなれません。

的確な銃撃のテクニックが役に立つことがあるとすれば、おそらくそれは家族と自分を守るために行動する時でしょう。

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ザ女優・ロロブリジーダの寂寥

2023年1月16日、イタリア人女優のジーナ・ロロブリジーダが95歳で亡くなりました。

ちょうど同じ日にマフィアの最後の大ボスとも呼ばれるマッテオ・メッシーナ・デナーロが、30年の逃亡生活を経て逮捕されました。

翌日、イタリアきっての高級紙「Corriere Della Sera」は二つの出来事を一面トップに並べて報道しました。

他の紙面も、テレビほかのメデァイアの扱いもほとんど同じでした。

筆者はロロブリジーダと実際に会ったこともありながら、面識などあるはずもないメッシナ・デナーロの逮捕劇を優先して記事に書き、発言し、女優の死については後回しにしてきました。

イタリアでは大女優として扱われるロロブリージダですが、筆者の中ではあまりそういう印象がありっませんでした。彼女が出演した映画もいくつかは観ているはずですが、記憶が薄い。

女優とは一度テレビのインタビューの仕事をしました。

当時彼女は60歳代半ばあたりの年齢だったと思います。女優業は既に休止して写真家として活動していました。

スタジオインタビューの際、彼女は照明の一つ一つに注文をつけました。われわれスタッフに指図をして彼女の好みの位置に照明を移動しろ、というのです。

映像は光の芸術とも呼ばれます。照明は絵作りの命のひとつです。

撮影現場で照明を担当する責任者が「撮影監督(Director of Photography)」と作品そのものの監督以外で唯一“監督“の名をつけて呼ばれるのも、その仕事が極めて重要なものだからです。

ロロブリジーダは女優業を休んで写真家として活動していたこともあり、照明にこだわったのかもしれません。だが、撮影対象の彼女が、撮影のプロのわれわれに照明の指図をするのはあまり歓迎はされません。

しかし、それはスタジオでの単純なインタビューであり、照明はできるだけフラットに鮮明にするだけのもので、陰影や深みや色調その他を考慮して映像を詩的に美しく作り上げようとする類のものではありませんでした。

だからわれわれはあまり怒ることもなくロロブリジーダの主張を受け入れました。

彼女の注文は、初老の女優が、肌や容貌の衰えをなんとか胡麻化したい一心で出しているもの、と筆者の目には映りました。

当時、女優の半分程度の年齢だった筆者は内心で苦笑しました。隠しきれない老いを隠そうとする彼女の姑息を、少し軽蔑する思い上がりも若かった筆者の中にはあるいはあったかもしれません。

今、当時の女優とほぼ同じ年齢になって彼女の訃報に接したとき、筆者は照明に注文をつけた女優の心理を「日々是好日」という禅語にからめて感慨深く思い出しました。

筆者は学生時代に初めてその言葉を知ったとき、「毎日が晴れた良い天気だ」と勝手に理解し、これは愚かな衆生に向かって「たとえ雨が降っても風が吹いても晴れた良い天気と思い(こみ)なさい。そうすれば仏の慈悲によって救われる」という教えだと勘違いしました。

そこにはまやかしと偽善の東洋的思想、日本的ものの見方が集約されていると大いに僻見し、禅哲学なるものを嫌いました。

だがずっと後になって気づいた日々是好日という言葉の真意とは、どんな天気であってもそれ自体が素晴らしい時間だ、ということです。

つまり雨の日は雨の日の、風の日は風の日の面白さがある。あるがままの姿の中に趣があり、美しさがあり、楽しさがある。だからそれを喜びなさい、という意味です。

ジーナ・ロロブリジーダはインタビューされたとき、老いを受け止めて日々是好日と達観できず、若かりし頃の筆者の間違った解釈と同じように、悪い天気も良い天気と思い込みたがっていました。

老いから目をそらして、自分はまだ若く美しいと信じたがっていました。

その思い込みは老醜を安らげるどころか加速させるだけです。筆者が当時、照明にこだわる彼女に覚えた違和感もそこに根ざしていました。

彼女はその後、老いを受け入れて安らかに生きることができたのだろうか、と筆者は女優の訃報を悲哀感とともにかみしめました。

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マフィア鬼の‘かくれんぼ’は続く

先日逮捕されたマフィアの最後の大ボス、マッテオ・メッシーナ・デナーロは30年に渡って逃亡潜伏を続けました。

彼の前にはボスの中の大ボス、トト・リイナが、1993年に逮捕されるまでの24年間姿をくらましていました。

圧巻は2006年に逮捕されたベルナルド・プロヴェンツァーノ。彼は時には妻子まで連れて43年間隠伏し続けました。

3人とも逃亡中のほとんどの期間をシチリア島のパレルモ市内で過ごしました。

プロヴェンツァーノが逮捕された時、マフィアのトップの凶悪犯が、人口70万人足らずのパレルモ市内で、時には妻子まで引き連れて40年以上も逃亡潜伏することが果たして可能か、という議論が起こりました。それは無理だと考える人々は、イタリアの総選挙で政権が交替したのを契機に何かが動いて、ボス逮捕のGOサインが出たと主張しました。

もっと具体的に言うと、プロヴェンツァーノが逮捕される直前、当時絶大な人気を誇っていたイタリア政界のドン、シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相が選挙に 負けて政権から引きずり下ろされました。そのためにベルルスコーニ元首相はもはやマフィアを守り切れなくなり、プロヴェンツァーノ逮捕のGOサインが出た、というものです。

その説はベルルスコーニ元首相とマフィアが癒着していると決め付けるものでした。が、確たる証拠はありません。証拠どころか、それは彼の政敵らによる誹謗中傷の可能性さえあります。しかしながらイタリアではそういう「噂話」が絶えずささやかれるのもまた事実です。

なにしろベルルスコーニ氏以前には、3回7期に渡って首相を務め、長い間イタリア政界を牛耳ったジュリオ・アンドレオッティ元首相が、「隠れマフィアの一 員」という容疑で起訴されたりする国です。人々の不信がつのっても仕方がない現実もあります。また、次のようにも考えられます。

シチリアは面積が四国よりは大きく九州よりは小さいという程度の島です。人口は500万人余り。大ボスはシチリア島内に潜伏していたからこそ長期間つかまらずにいました。四方を海に囲まれた島は逃亡範囲に限界があるように見えますが、よそ者を寄せつけない島の閉鎖性を利用すれば、つまり島民を味方につければ、 逆に無限に逃亡範囲が広がります。警察関係者や政治家等の島の権力者を取り込めばなおさらです。

そうしておいて、敵対する者はうむを言わさずに殺害してしまう鉄の掟、いわゆる『オメルタ(沈黙)』を島の隅々にまで浸透させていけばいい。『オメルタ(沈黙)』は、仲間や組織のことについては外部の人間には何もしゃべってはならない。裏切り者は本人はもちろんその家族や親戚、必要ならば 友人知人まで抹殺してしまう、というマフィア構成員間のすさまじいルールです。

マフィアはオメルタの掟を無辜の島民にも適用すると決め、容赦なく実行していきました。島全体に恐怖を植えつければ住民は報復を怖れて押し黙り、犯罪者や逃亡者の 姿はますます見えにくくなっていきます。オメルタは犯罪組織が島に深く巣くっていく長い時間の中で、マフィアの構成員の域を超えて村や町や地域を巻き込んで巨大化し続けました。冷酷非道な掟はそうやって、最終的にはシチリア島全体を縛る不文律になってしまいました。

シチリアの人々は以来、マフィアについては誰も本当のことをしゃべりたがらない。しゃべれば報復されるからです。報復とは死です。人々を恐怖のどん底に落とし入れる方法で、マフィアはオメルタをシチリア島全体の掟にすることに成功しました。しかし、恐怖を与えるだけでは、恐らく十分ではありませんでした。住民の口まで封じるオメルタの完遂には別の要素も必要でした。それがチリア人が持っているシチリア人と しての強い誇りでした。

シチリア人は独立志向の強いイタリアの各地方の住民の中でも、最も強く彼らのアイデンティティーを意識している人々です。島は古代ギリシャ植民地時代以来、ローマ帝国、アラブ、ノルマン、フラ ンス、スペインなど、外からの様々な力に支配され続けました。列強支配への反動で島民は彼ら同志の結束を強め、かたくなになり、シチリアの血を強烈に意識するようになってそれが彼らの誇りになりました。

シチリアの血をことさらに強調するする彼らの心は、犯罪結社のマフィアでさえ受け入れて しまう。いや、むしろ時にはそれをかばい、称賛する心根まで育ててしまいます。なぜならば、マフィアもシチリアで生まれシチリアの地で育った、シチリア の一部だからです。かくしてシチリア人はマフィアの報復を恐れて沈黙し、同時にシチリア人としての誇りからマフィアに連帯意識を感じて沈黙する、というオメルタの二重の落とし穴にはまってしまいました。

シチリア島をマフィアの巣窟たらしめている、オメルタの超ど級の呪縛と悪循環を断ち切って再生させようとしたのが、パレルモの反マフィアの旗手、ジョヴァンニ・ファルコーネ判事でし た。90年代の初め頃、彼の活動は実を結びつつありました。そのために彼はマフィ アの反撃に遭って殺害されました。https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52323611.htmlしかし彼の活動は反マフィアの人々に受け継がれ、大幹部が次々に逮捕されるなど犯罪組織への包囲網は狭まりつつあります。だがマフィアの根絶はまだ誰の目にも見えていません。

「マフィアとは一体何か」と問われて、筆者はこう答えることがあります。「マフィア とはシチリア島そのもののことだ」と。シチリア島民の全てがマフィアの構成員という意味では勿論ありません。それどころか彼らは世界最大のマ フィアの被害者であり、誰よりも強くマフィアの撲滅を願っている人々です。シチリア島の置かれた特殊な環境と歴史と、それによって規定されゆがめられて行ったシチリアの人々の心のあり方が、マフィアの存続を容易にしている可能性がある、と言いたいのです。

自分の言葉にこだわってさらに付け加えれば、マフィアとはシチリア島そのものだが、シチリア島やシチリアの人々は断じてマフィアそのものではありません。島民全てがマフィアの構成員でもあるかのように考えるのは「シチリア島にはマフィアは存在しない」と主張するのと同じくらいにバカ気たことです。マフィアは島の人々の心根が変わらない限り根絶することはできません。同時に、マフィアが根絶されない限りシチリア島民の心根は変わらない。マフィアはそれほ ど深く広くシチリア社会の中に根を張っています。





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マフィアの壊滅はあり得るか

マフィアの最後の大ボスとも呼ばれる、マッテオ・メッシーナ・デナーロが逮捕されました。

デナーロは悪名高いトト・リイナの弟子。リイナとその後継者のベルナルド・プロヴェンツァーノが収監された2006年以降、逃亡先からマフィア組織を統率していたとされます。

デナーロはリイナが逮捕された1993年に逃亡。以後30年に渡って潜伏を続けました。

彼はシチリア島の反マフィアの急先鋒だったファルコーネとボルセリーノ両判事の爆殺に加わり、ミラノ、フィレンツェ、ローマの連続爆弾事件の共犯者とも目されています。

また1996年には裏切り者への報復として、彼の12歳の息子を誘拐し殺害して酸で溶かすという凄惨な事件にも関わりました。

2010年前後にはシチリア島の中心都市パレルモで、デナーロ の顔を建物の壁に描いた落書きが出現して大きなニュースになりました。

壁の似顔絵は、デナーロの逮捕が近いことの現われなのではないか、と筆者はそのとき密かに思いました。

マフィアの大物の逮捕が近づくと、 逮捕されるべき男に関する不思議な話題が突然出現したりするのです。

だが何事もなく過ぎて、彼の行方はその後も杳として知れませんでした。

閑話休題

1992年5月23日、シチリア島のパレルモ空港から市内に向かう自動車道を高速走行していた 「反マフィアの旗手」ジョヴァンニ・ファルコーネ判事の車が、けたたましい爆発音とともに中空に舞い上がりました。

マ フィアが遠隔操作の起爆装置を用いて500キロの爆弾をさく裂させた瞬間です。  

90年代初頭のマフィアは、判事を爆殺し国家に挑戦するとまで宣言して得意の絶頂にいました。だがそこは組織の転落の始まりでもありました。

判事の 殺害は民衆の強い怒りを呼びましだ。

イタリア中に反マフィアの空気がみなぎり、司法は世論に押される形で犯罪組織への反撃を開始。

翌93年1月、ほぼ4半世紀に渡って潜伏、逃亡していた、ボスの中の大ボス、トト・リイナを逮捕しました。  

シチリア島のマフィアは近年、イタリア本土の犯罪組織ンドランゲッタやカモラに比べて影が薄い。

マフィアはライ バルに「最強者」の地位を奪われているようにさえ見えます。だが、実態は分からない。

マフィアは地下に潜り、より目 立たない形で組織を立て直している、と見る司法関係者も多くいます。

現にコロナパンデミック禍中には、マ フィアが困窮した人々を助ける振りで、彼らを食い物にする実態も明らかになりました。

メッシーナ・デナーロが逮捕された今、マフィアの息の根が止まるのではないか、という希望的観測もあります。

しかしマフィアの絶滅が近いとはまだと ても考えられません。 それは文字通りの楽観論。大きな誤謬ではないかと思います。

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中国とアベノボーレイ&アベの忠犬政権が軍拡の暴走を招く

欧米の多くの心ある人々が呆気に取られた岸田首相の5ヶ国パフォーマンス歴訪は、5月のG7へ向けての日本式の根回しという思惑があったのでしょうが、他者の都合を顧みない無神経と滑稽感がてんこ盛りで見苦しかった。

G7会議に向けて根回しをするとは“会議についての会議をする“ということであり、その間抜け振りは噴飯を通り越して見ている者が恥ずかしくなるほどでした。

日本の情勢に詳しい人々は、岸田首相が国民多数の反対を無視して強行した安倍国葬や統一教会問題など、多くの内患の煩わしさを癒そうとして外遊に逃げた、と喝破しました。

岸田首相は、外遊の目的を「各国首脳と法の支配やルールに基づく国際秩序を守り抜く基本姿勢を確認し、(中露北朝鮮がかく乱する)東アジアの安全保障環境への協力を取り付ける」などと語りました。

だがそれらはこれまでに繰り返し話し合われ、確認し合い、同意されてきた事案です。のみならずG7でもまた文書や口頭で傍証する作業が行われるのがは確実です。会議前に論証する意味はありません。

多忙な折に、敢えて戸別訪問をして「サミットをよろしく」と触れ回るKYな岸田首相は、5ヶ国の首脳の皆さんにとってはさぞ迷惑なことだったでしょう。

だが人笑わせな5ヶ国歴訪にはひとつだけシリアスな動機があり、岸田首相はそのことを隠すために無体な外遊をした、ということも考えられないではありません。

それはつまりロシアによるウクライナ侵略(侵攻ではない)をきっかけに、日本が中露北朝鮮からの軍事的脅威に対抗して軍拡を進めることを、アメリカに認めてもらうよう交渉する、ということである。

岸田首相がその重大なプロセスをカムフラージュするために、アメリカ訪問の前に英仏伊カナダを歴訪したとしたらどうでしょうか。

ロシアの脅威を目の当たりにした欧州では、EU加盟国を筆頭に軍事費を急速に拡大する流れが起きました。中でも、戦後は平和主義に徹してきたドイツの軍事費が、一挙に増大したことが注目されました。

のみならずナチスドイツにアレルギーを持つ欧州が、将来彼らの脅威となるかもしれないドイツの変貌を実に易々と黙認したのです。

ドイツは第2次大戦を徹底総括し、過去のナチスドイツの犯罪を自らのものとして認め、 反省に反省を重ねて謝罪し、果ては「ナチスドイツの犯罪の記憶と反省はドイツ国家のアイデンティティの一部」とさえ認定しました。

日本は欧州の情勢も見つめつつ、中露北朝鮮のうち特に中国の覇権主義に対抗するため、という大義名分を掲げて防衛費の大幅増額を決めました。

加えて米韓インドなどと提携して三国の封じ込めを画策。そこに欧州の協力も取り付けようとしています。

核兵器の製造・保有とまではいかないでしょうが、日本への持ち込みの容認、さらにはアメリカとの核の共有などを含めた抜本的な政策転換を目指していても不思議ではありません。

結果、アジアには軍拡が軍拡を呼ぶ制御不能な状況が訪れようとしています。

日本はこれまでのところ戦争を徹底総括せず、直接にも間接的にも過去の侵略戦争を否認しようと躍起になっています。

それはネトウヨ・ヘイト系俳外差別主義者の一般国民、また同種の政治家や財界人や文化人また芸能人などに支持されて、近隣諸国との摩擦や軋轢を招き続けています。

その意味では、日本が軍拡を進めるのはドイツのそれよりもはるかに危険な事態です。アメリカはそのことを十分に認識しつつ、中国・ロシアへの対抗軸として日本を活用しようとしています。

それは過去に学ぼうとしないアメリカの独善的な態度であり、将来に大きな禍根を残す可能性も高い。

そうではあるものの、しかし、欧州の状況と東アジアの安全保障環境に鑑みて、日本が防衛力強化に踏み切るのはやむを得ない成り行きとも見えます。

日本は自由と民主主義を死守しようとするアメリカほかの友好国と連携しながら、慎重に防衛力を維持するべきです。

その際に日本が強く意識しなければならないのは、今でも多大な基地負担に苦しんでいる沖縄の島々を安全保障の名の元に再び犠牲にしないことです。

南西諸島の西南端の島々では既に、狭い土地に自衛隊基地や部隊がひしめく自然・環境破壊が着々と進められています。次は戦闘による人的破壊があるのみです。

沖縄の人々は、抑圧と差別と一方的な犠牲を再び受け入れてはなりません。

中央政府の対応を監視しつつ、今こそ自己決定権を行使するための決死のアクションを含めた、強い真剣な生き方を模索していくべきです。

 

 

 

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G7への“地ならし歴訪“ってなに?

岸田首相がG7へ向けての“地ならし“に5ヶ国を訪ね歩くとは、いったいどういう意味だったのでしょう?

話したいことがあるなら、それこそG7で話し合えばいいだけの話ではなかったのか。

そのためのG7ではないのでしょうか?

首相の欧米5ヶ国歴訪は、統一教会や安倍国葬や軍拡やコロナ第8波etcの都合の悪い事案から、国民の目をそらしたい一心でのこじつけ外遊に見えないこともありません。

内政危機の場合には国民の目を外に向けさせろ、というのが権力機構の常套手段でもあることですし。

安全保障その他の重要な分野で、日本が米英仏伊カナダと連携するというのは、これまでに幾度となく確認されてきたことです。G7に向けて敢えて“地ならし“をする必要などありません。

それにもかかわらずに、政権の噴飯ものの動きをNHKなどが無批判且つ盛んに報道するものですから、外事にナイーブな国民は首相が何か重大な行動を起こしている、と勘違いしてしまいます。

それって忖度てんこ盛りで、ほとんど詐欺まがいにさえ見えます。

ここイタリアのメローニ首相は岸田首相を暖かく迎えました。日本は大切な友人だし、岸田首相は無能とはいえ友人国の代表だから当然です。

それはマクロン、バイデンの両大統領もスナク、トルドー両首相も同じでしょう。

彼らが岸田首相の意味不明なパフォーマンス訪問をせせら笑うことはありえません。

一方で欧米の冷静な人々は、岸田首相の子供じみた無意味なアクションをぽかんと口を開けて見つめました。

子供じみているその度合いが法外なので、彼らは嘲笑することさえ忘れて呆然としてしまったのです。

岸田首相はもしかすると、安倍元首相の手法を真似て外国訪問を繰り返したいのかも知れません

それならば彼はその前に、安倍元首相の盛んな外遊が、ネトウヨヘイト系差別主義者らが考えたがるほど諸外国に評価されていたものではないことを、しっかりと確認するべきです。

安倍国葬熱烈支持派などの人士は、元首相の無闇な外遊がもたらした結果とも言える彼自身とトランプ前大統領との蜜月、という重篤な問題さえノーテンキに誇り、語りたがります。

そんな彼らには世界世界情勢など読めるわけがありません。

岸田首相は外遊を売りものにしたいのなら、それの是と非をいくえにも沈思黙考した上で、世界の笑いものにならないように慎重に行動するべき、と腹から思います。

 

 

 

 

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ベネディクト16世の置き土産

ほぼ10年前、719年ぶりに自由意志によって生前退位し名誉教皇となったベネディクト16世が、12月31日に死去しました。

厳しいようですが筆者は彼に対しては、安倍晋三元首相と同様に「死ねばみな仏、悪口を言うな」という美徳を適用してはならないと考えています。

なぜならベネディクト16世は聖職者でありながら大いなる権力者でもあったからです。

筆者はベネディクト16世の死に際しては、彼が隠遁生活から突然ゾンビのようによみがえった時に覚えた違和感と同質の感慨しか抱けませんでした。

ベネディクト16世は2020年、隠棲地からふいに表舞台に姿をあらわして、世迷い言にも見える主張をして多くの人々の顰蹙を買ったのです。

世迷い言とは、「カトリック教会は聖職者の独身制を守り通すべき」というものでしだ。カトリック教会の司祭の独身制は、未成年者への性的虐待の元凶ともいうべき悪しき習慣として、今世紀初頭から世界中で厳しく批判されています。

そんな折に、ブラジルのアマゾンに代表される世界中の僻地での司祭不足がクローズアップされました。地球上の辺縁地ではカトリックの司祭の成り手がなく、ミサが開けないために信者への接触もままなりません。それは地域の信者のカトリック離れにつながります。

カトリック教はただでもプロテスタント他の宗派に信者を奪われ続けていて、バチカンは危機感を抱いています。フランシスコ教皇は、既婚者の男性も司祭になる道を開くことで、その問題に風穴を開けようとしました。それは聖職者による性的虐待問題の解決の糸口とも見られた動きでした。

そこに突然反対を表明したのが、この世にほとんど存在しないようにさえ見えた名誉教皇、ベネディクト16世でした。彼は現役の教皇時代からバチカン守旧派のラスボス的存在でした。どうやら死んだ振り隠棲をしていたようです。

ベネディクト16世は自らの退位の理由として高齢を挙げました。しかし歴代教皇はほぼ誰もが死ぬまで職務を全うしてきました。その事実も影響するのか、ベネディクト16世の言動には違和感を覚える、という人が少なくありませんでした。筆者もその一人です。

違和感の理由はいろいろあります。最大のものはベネディクト16世が、聖職者による性的虐待問題から逃げるために退位した、という疑惑また批判です。問題は2002年に明らかになり、2010年には教皇の退位を要求する抗議デモが起きるなど、ベネディクト16世への風当たりが強まりました。

「教義の番犬」とも陰口されたベネディクト16世は、ガチガチの保守派で在位中にはほかにも少なくない問題を起こしました。例えば不用意なイスラム教のジハード批判や、ホロコースト否定者への安易な接近、あるいは「聖職者による性的虐待は“ アメリカの物質偏重文化 ”にも一因がある」というトンチンカン発言などです。

重篤なHIV問題を抱えるアフリカの地で、感染予防に用いられるコンドームの使用に反対する、とやはり無神経に発言したこともありまする。産児制限、同性愛、人工妊娠中絶などにも断固反対の立場でした。またバチカンで横行するマネーロンダリングと周辺問題への対応でも彼は強く批判されました。

さらに言えば教皇ベネディクト16世は、聖職者による未成年者性虐待の元凶とされる、司祭の独身制の維持にも固執していました。そして3年前、あたかもゾンビの出現にも似た唐突さで表舞台に現れて、十年一日のごとく「独身制を維持するべき」と発言したのでした。

その主張への反発と共に、勝手に引退をしておきながらふいにまかり出たさらなる身勝手に、信者の間ではおどろきと反駁の嵐がひそかに起こりました。彼の言動はただでも抵抗の強いバチカン保守派を勢いづけて、フランシスコ教皇の改革を停滞させ、バチカン内に分裂をもたらす恐れもあると批判されました。

教皇の突然の声明は、ローマ教会内の守旧派が名誉教皇を焚きつけて出させたもの、という見方もありました。むしろその方が真相に近かったかもしれません。それでなければ名誉教皇が、友好的な関係にあったフランシスコ教皇に、出しぬけに正面から刀で切りつけるような発言をした真意が判りづらい、と筆者は思います。

世界13億の信者の心の拠り所であるバチカンの威儀は、2005年のヨハネ・パウロ2世の死後、まさしく今ここで言及しているベネディクト16世の在位中に後退しました。少なくとも停滞しました。 しかし2013年に第266代フランシスコ現教皇が就任すると同時に、再び前進を始めました。

清貧と謙虚と克己を武器に、保守派の強い抵抗の中バチカンの改革を推し進めようともがいている現教皇フランシスコは、聖人ヨハネ・パウロ2世に似た優れた聖職者です。少なくともベネディクト16世とは似ても似つかない存在、というふう見えます。

ローマ教皇はカトリック教徒の精神的支柱です。その意味では、日本教という宗教の信者である日本国民の精神的支柱、と形容することもできる天皇によく似ていまする。両者にいわば性霊の廉潔が求められることも共通しています。

その例にならえば、自らの意思で退位したベネディクト名誉教皇は、同じく平成の天皇の地位から自発的に退位した明仁上皇のケースとそっくりです。退位の動機が高齢と健康不安からくる職務遂行への憂慮、というのも同じです。

だが、双方の信者の捉え方は全く違います。明仁上皇の人となりや真摯や誠実を疑う日本国民はほとんどいないでしょう。一方ベネディクト名誉教皇の場合には、明仁上皇のケースとは正反対の意見を抱いている信者が多くいます。「不誠実で身勝手な存在」と声を潜めて言う信者を筆者も多数知っています。

それでも彼らは、名誉教皇が隠棲所・地に引っ込んで、この世にほとんど存在しないような状況が続いていた頃には、彼への反感を覚えることなどありませんでした。存在しないのですから反感の覚えようがありません。そして2013年以降はそれが常態でした。彼の存在の兆候はそれほどに希薄だったのです。

そんな人物がにわかに姿をあらわして、自らの持論をゴリ押しする態度に出たものですから人々が驚かないわけがありません。ましてやその主張が時流に真っ向から対峙する「聖職者の独身制を維持しろ」というものでしたから、反発する信者や関係者が多いのもうなずけます。

司祭の独身制はカトリックの教義ではありません。 単なる慣習です。12世紀以前には聖職者も普通に結婚していました。イエスキリストの一番弟子で初代教皇とされる聖ペテロが結婚していたことは明らかですし、イエスキリスト自身が既婚者だった可能性さえあります。少なくとも彼が独身であることが重要、という宗教的規範はありません。

カトリック教会が司祭の独身制を導入した直接の動機は、聖職者が家庭を持ち子供が生まれた暁に生じる遺産相続問題だったとされます。教会は子供を持つ聖職者に財産を分与しなければならなくなる事態を恐れたのです。そのことに加えて、精神を称えて肉体を貶める二元論の考え方も重要な役割を果たしました。

元々キリスト教は子を産む生殖つまり婚姻と性交を称揚します。そんな宗教が司祭の結婚を否定する奇天烈な因習にとらわれるようになったのは、肉体と精神のあり方を対比して説く二言論の影響があったからです。そこでは肉体に対する精神の優位が主張され、肉体の営為であるセックスが否定されます。だから聖職者の独身が奨励されるのです。

その論法には婚姻をあたかも肉体の行為のためだけのメカニズム、と捉える粗陋があります。婚姻は夫婦の性の営みと共に夫婦の精神的なつながりや行動ももたらす仕組みです。それなのに夫婦の性愛だけを問題にするのは、教会こそが男女のセックスのみを重視する色情狂である、と自ら告白しているようなものです。

聖職者が独身であることが、性的虐待行為の「引き金」の全て、という証拠はありません。また既婚者であることが虐待行為の完全抑止になる訳でもありません。しかし、相当の効力はあると考えられます。それだけでも独身制を破棄する意味があります。性欲を無理やり抑え込むから聖職者がいびつな性衝動に囚われるのです。

だがそうしたことよりも何よりも、聖職者の結婚を不浄とみなす馬鹿げた考えを捨てる意味で、カトリック教会は独身制の継続を諦めるべきと思います。独身(制)の強要は不誠実で、偽善的で、卑猥でさえある教会の偏執に過ぎない、という真実に教会自身がそろそろ気づくべきです。

名誉教皇の突然の寝ボケた声明は、世界中で湧き起こっている聖職者の性的虐待問題の火にひそかに油を注ぎました。燃え上がったのは反感の炎と共に保守派の気炎です。対立する二つの火焔はさらに燃え上がって、ローマ教会を焼き尽くし大きく分裂させる可能性もゼロではありません。

突然のようですが、しかし、最後に付け加えておきたいと思います。

名誉教皇ことベネディクト16世は、教皇在位の頃から時流や世間に合わないずれた言動をすることがよくありました。そんな彼の真の問題は実は、コミュニケーション能力の欠落にあった、と筆者は考えます。

教義と理論のみを愛する無味乾燥な神学者、と見えなくもなかった教皇ベネディクト16世は、温かく豊かな情感と信義と慈悲を教会に求める大部分の信者には不人気でした。

ベネディクト16世はコミュニケーションが絶望的に下手だったのです。

コミュニケーション能力のない者が教皇になるのは禁物です。ローマ教皇は神学の押し売りではなく、愛と寛容と慈悲と救済の喧伝に長けた者、つまりコミュニケーションの達人が就くべき地位なのです。

 

 

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サッカーには人心の写し絵という深刻な一面もある

2022年W 杯決勝戦を戦ったアルゼンチンとフランスのどちらを応援するか、という世論調査がイタリアで行われました。

そこではおよそ7割がアルゼンチン、2割がフランス、1割は両方あるいはどちらでもない、と回答しました。

いくつかの統計がありましたが、いずれも圧倒的にアルゼンチン支持が多い結果でした。

アルゼンチンにはイタリア移民が多い。

その影響もあるのでしょうが、イタリアのプロサッカーリーグのセリエAでプレーするアルゼンチン人選手も少なくありません。

付け加えれば、アルゼンチンのスーパースター・メッシもイタリア系(祖父)です。メッシという名前もイタリアの姓です。

その統計は、しかし、イタリア人がフランスを好いていないという意味ではないと思います。

なぜなら例えばフランスとドイツが対決したならば、ほぼ間違いなくフランス支持が7割、ドイツ支持が2割というような数字になるからです。

W杯の優勝回数だけを見れば、イタリアとドイツは南米のブラジルとともに世界サッカーのトップご3家を形成します。

イタリアにとってはブラジルもドイツもライバルですが、ブラジルは同じラテン系なのでより親近感を覚えます。

片やドイツはライバルであると同時に、歴史と欧州の先進民主主義国の理念を共有する国としてやはり強い愛着を感じます。

ところがドイツはかつてヒトラーを持った国です。ドイツ国民は必死でヒトラーの悪を清算し謝罪し否定して、国民一丸となって過去を総括・清算しました。結果彼らの罪は大目にみられるようになりました。

だがドイツに対する欧州人の警戒心が全て消えたわけではありません。何かのネジがゆるむとドイツはまたぞろ暴虐の奔流に支配され我を忘れるのではないか、と誰もがそっと憂慮しながら見つめています。

欧州の人々が密かにだが断固として抱えているドイツ人への不信感は、彼らが国際政治の舞台で民主主義の旗手となって前進する今この時でも変わりません。

イタリア国民はW杯で日本がドイツを破ったとき狂喜しました。

彼らが普段から日本びいきという事実に加えて、ドイツがサッカーではライバル、政治的にはナチスの亡霊に囚われた国、としての反感がどうしてもくすぶるからです。

戦争を徹底総括したドイツに反感を持つのなら、それさえしてこなかった日本にはもっと嫌悪感を持ってもいいはずですが、何しろ日本は遠い。直接の脅威とは感じ難いのです。

先の大戦中、日独伊三国同盟で結ばれていたドイツとイタリアは、1943年に仲たがいが決定的になりました。同年10月3日、イタリアはドイツに宣戦布告。

イタリアは開戦後しばらくはナチスと同じ穴のムジナでしたが、途中でナチスの圧迫に苦しむ被害者になっていきました。ドイツ軍によるイタリア国民虐殺事件も多く発生しました。

戦後、イタリアがドイツに対して、ナチスに蹂躙され抑圧された他の欧州諸国と同じ警戒感や不信感を秘めて対することが多いのは、第2次大戦におけるそういういきさつがあるからです。

イタリア人を含めた全てのヨーロッパ人は、ドイツの経済力に感服しています。同時にドイツ以外の全てのヨーロッパ人は、心の奥で常にドイツ人を警戒し監視し続けています。

彼らはヨーロッパという先進文明地域の住人らしく、ドイツ人とむつまじく付き合い、彼らの科学哲学経済その他の分野での高い能力を認め、尊敬し、評価し、喜びます。

しかし、ドイツ人は彼らにとっては同時に、残念ながら未だにナチズムの影をひきずる呪われた国民なのです。

いや、ヨーロッパ人だけではありません。米国や豪州や中南米など、あらゆる西洋文明域またキリスト教圏の人々が、同じ思いをドイツ人に対して秘匿しています。

欧米諸国のほとんどの人々は、前述したようにドイツ国民の戦後の努力を評価し、ナチズムやアウシュヴィッツに代表される彼らの凄惨な過去を許そうとしています。あるいは許しました。

しかし、それは断じて忘れることを意味するのではありません。

「加害者は己の不法行為をすぐに忘れるが被害者は逆に決して忘れない」という理(ことわり)を持ち出すまでもなく、ナチスの犠牲者だった人々はそのことに永遠にこだわります。

それは欧米に住んでみれば誰でも肌身に感じて理解できる、人々の良心の疼きです。「許すが決して忘れない」執念の深さは、忘れっぽいに日本人には中々理解できないことですが―。

既述のようにイタリアは、第2次対戦ではドイツと袂を分かち、あまつさえ敵対してナチスの被害を受けまし。だが、初めのうちはナチスと同じ穴のムジナでした。

イタリアにはそのことへの負い目があります。だからイタリア国民は他の欧米諸国民よりもドイツ人を見る目が寛大です。

しかし、ことサッカーに関する限り彼らのやさしい心はどこかに吹き飛びます。

そこに歴史の深い因縁があると気づけば、筆者は自分の口癖である「たかがサッカー。されど、たかがサッカー」などとふざけてばかりもいられないのです。

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神の手と神の足

2022年ワールドカップ・カタール大会決勝戦の翌日、イタリアの新聞(写真)にはメッシを「神の足」を持つ男と称える見出しが躍りました。

「神の足」という形容は、1986年のワールドカップ・メキシコ大会の準々決勝戦で、マラドーナがイングランドを相手にボールを手で触ってゴールに押し込んだ、いわゆる「神の手」ゴールのエピソードになぞらえたものです。

大物議をかもしたその事件は、マラドーナの偉大さが呼んだ審判の誤審という見方と、スポーツマンにあるまじき彼の狡猾なアクション、という考え方があります。

どちらも正しく、どちらも間違っていて、どうでもいいじゃん、サッカーが面白ければ、というのが筆者の意見です。

へてからに

サッカーは手ではなく足が主体のスポーツですから、「神の足」を持つ選手が正当であり、その意味でもマラドーナとメッシのふたりの神のうちでは、やっぱりメッシが上なのかな、と思ったりするのです。

メッシがマラドーナを超えた日

深い悲しみ、怒り、喜びなどの感情の奔流の前には言葉は存在しません。

そのとき人はただ泣き、叫び、哄笑するだけです。つまり感情の激流は言葉を拒絶する。

感情が落ち着いたとき初めて人は言葉を探し言葉によって自らの感情を理解しようとし、他者にも伝えようとします。

それが表現であり文学です。

W杯決勝戦のフランスVSアルゼンチンを、人の深い感情になぞらえて言葉が存在し得ないほどの劇的なせめぎあいだったと言えば、それは少し言葉が過ぎるかもしれません。

しかし、試合はそんな言い方をしても構わないのではないか、と思えるほどの驚きと興奮と歓喜にあふれた世紀のショーでした。

人が書くドラマには伏線とどんでん返しがあります。だがそれは筋書に沿った紆余曲折です。

サッカーのゲームには筋書がない。それは世界トップクラスの選手たちが、彼ら自身も知らない因縁に導かれて走り、飛び、蹴り、躍動する舞台です。

その因縁はしかし、神によって描かれた予定調和ではありません。一流のアスリートたちが汗と泥にまみれて精進し、鍛え、苦しみ、闘い抜いた結果生まれる展開です。

つまりそれは、選手たちの努力によっていくらでも変えることができるいわば疑似宿命。

だから人は彼らの躍動を追いかけ、なぞり、復唱し自らの自由意志にも重ね見て感動するのです。

2022W杯の決勝戦におけるドラマのほとんどは、両チームのスーパースターによって生み出されました。

アルゼンチンはメッシ、フランスは若きエースのエンバペです。

2人はゴールをアシストし、ゲームを構築しつつ相手ディフェンダーたちを引きつけて味方のためにスペースを作り、パスを送りパスを受けて攻撃の起点となって躍動しました。

そして何よりも重要なのは、彼ら自身が次々とゴールを決めたことです。それは眼を見張るような劇的な働きでした。

特にアルゼンチンのメッシの活躍は世界サッカーの歴史を書き換える重要なものになりました。

彼はここまでに数々の記録を打ち立ててきた途方もない名手ですが、自国の天才マラドーナと比較すると格落ちがすると批判され続けました。

それはひとえにメッシがナショナルチームにおいてマラドーナほどの貢献をしてこなかったからでした。

中でもワールドカップでの活躍、とりわけ優勝の経験がないのが致命的とされてきました。

そのメッシが今回大会では見違えるような動きをしました。彼はマラドーナが1986年のW杯をほとんどひとりで勝ち進んだ雄姿をも髣髴とさせるプレイを見せました。

人によって多少の評価の違いはあるでしょうが、メッシはW杯前の時点で数字的には既にマラドーナを凌駕していました。

だが彼のキャラクターはマラドーナほどには民衆に愛されません。

それは例えばかつて日本のプロ野球で、2大スターの長嶋と王のうち、成績では王が断然勝っているものの、人気では長嶋が王を圧倒してきた事例によく似ています。

民衆は完璧主義者の王よりも、明るくハチャメチャな雰囲気を持つ長嶋に心を惹かれてきました。マラドーナはアルゼンチンの長嶋でメッシは王なのです。

だが歴史が進行し、選手たちの生の人間性への興味が失われたときには、彼らが残した数字がクローズアップされるようになります。

そのときに真に偉大と見なされるのは成績の勝る選手です。

メッシはその意味で将来、文字通りマラドーナもペレをも凌ぐ史上最高のサッカー選手と規定されることが確実です。

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