癒しのワンダーランド

サルデーニャ島ペローザビーチ

2018年夏、ほぼ20年ぶりにイタリア・サルデーニャ島を訪れました。ミラノから飛行機で約1時間の便利さを避けて車ともどもフェリーで島に着きました。船中一泊の長い旅です。

簡便な飛行機旅を避けたのは、 サルデーニャ島の歴史や文化の大半 は、「イタリア本土から遠いという事実に規定される」と考える持論に基づいて、イタリア本土とサルデーニャ島との距離感を実体験したかったからです。

サルデーニャ島がイタリア本土からかなり遠い位置にある、ということを肌身に感じて体験するには船旅が最適です。人はつい最近まであらゆる島には船でしか渡れませんでした。人の距離感覚は飛行機に乗ると麻痺するのです。

日本ほど島が多くはないイタリアには、意外なことに地中海で面積が1番大きいシチリア島と2番目に大きなサルデーニャ島があります。

筆者はロンドンの映画学校の学生時代からシチリア島は何度も訪れています。イタリアに居を定めてからは、仕事でもプライベートでもさらにひんぱんにシチリア島に行きました。

ところがサルデーニャ島は今回が2度目。しかも20年以上も時間が経っての再訪です。島の羊飼いを追いかけるドキュメンタリーを制作しようと思いついて、いろいろ調べた時期もありましたが、多忙に呑み込まれて立ち消えになっていきました。

サルデーニャ島は日本の四国よりも面積が大きい島ですが、人口はその半分にも満たないおよそ165万人程度です。内陸部は特に人口密度が低いことで知られています。

筆者は辺鄙な離島で生まれ育ったせいか、もともと島という場所に特別の愛着を抱く傾向があります。島と聞けばすぐに興味を持ち訪ねてみたくなります。サルデーニャ島も例外ではありません。

その上サルデーニャ島は、イタリアの島のうちでは面積もさることながら、多くの意味でシチリア島と並ぶ重要な島なのです。これまでに一度しか訪問していないのが自分でも不思議なくらいでした。

サルデーニャ島は何よりも自然の景観が目覚ましい島です。イタリアの自然はどこも美しい。だがサルデーニャ島のそれは格別です。なぜならこの島には、イタリアでも1、2を争うほどの豊かで手付かずの大自然がどんと居座っているからです。

島の北部の港町に午前6時に着いて、ホテルにチェックインするまでの長い時間と翌日の全てをかけて、島の半分ほどを一気に車で巡りました。それだけで20年前に経験した島のワイルドな自然を再確認することができました。

緑一色がえんえんと続く、集落も人影も見当たらない島の内陸部を旅すると、DHローレンスがいみじくも指摘したように、まるで限界ある島ではなく大陸の雄大の中を走っているような印象さえ受けます。

サルデーニャ島は、地中海の十字路とも形容されて古くから開発が進んだシチリア島やイタリア本土の大半とは違い、近代化の流れから少し取り残される形で歴史を刻んできました。

手付かずの大自然が多く残っているのはそのことと無関係ではありません。近代化とは開発の異称であり、開発は往々にして自然破壊と同義語です。

近代化の遅れを工業化の遅滞、あるいは産業化の滞りなどと言い換えてみれば、サルデーニャ島の置かれた状況は、イタリア本土の南部地域やシチリア島などにもあてはまる現象であることが分かります。

イタリア共和国を語る時によく引き合いに出される「南北の経済格差」問題とは、サルデーニャ島とシチリア島を含む南イタリア各州の経済不振そのもののことにほかならないのです。

サルデーニャ島の近・現代は、そのようにイタリアの南部問題のなかに包括して語られるべきものですが、同島の場合にはそれだけでは語りつくせない「遅れ」のようなものがあると筆者は考えています。

つまり、先史時代からサルデーニャ島が刻んできた特殊な歴史が、同島の近代化の遅れを語る前に既に、島の「後進性」の源を形成してきたということです。

サルデーニャ島には紀元前16世紀頃から謎に満ちたヌラーゲ人が住み着き、紀元前8世紀頃にはフェニキア人が沿岸部に侵攻して次々に都市を建設しました。やがてカルタゴ人が島を征服します。次にローマ帝国の支配を受けその後アラブ・イスラム教徒に支配されました。

海の民とも呼ばれるフェニキア人は今のレバノン近辺、またカルタゴ人は今のチュニジア周辺に生を受けた人々です。つまり彼らはアラブ人です。彼らのほとんどは7世紀以降、当時の新興宗教だったイスラム教に帰依していきます。

アラブ・イスラム教徒の支配は、9世紀にはシチリア島にも及びました。しかしサルデーニャ島の場合は、そのはるか以前からアラブ系の人々の侵入侵略、また占領が間断なく続いていたのです。その意味では島の歴史は、イタリアよりもスペインに近い、とも考えられます。

またシチリア島が、古代ギリシャの植民地となって発展した時代もサルデーニャ島は経験していません。そうした歴史が、サルデーニャ島を立ち位置のよく似たシチリア島とは異質なものにした、と言うこともできるようです。

さらに言えばサルデーニャ島は、再びシチリア島やマルタ島、またロードス島とクレタ島に代表されるギリシャの島々などとは違って、十字軍の進路の版図内にはありませんでした。そのために十字軍とともに拡散した「欧州の息吹」がもたらされることもなかったのです。

そればかりではありません。サルデーニャ島は極めて開明的だったベニス共和国が、アドリア海に始まる東地中海を支配して、自らの文化文明を地域に浸透させ発展させた恩恵にも浴することはありませんでした。

そのようにサルデーニャ島は、欧州文明のゆりかごとも規定される地中海のただ中に位置しながら、一貫していわば「地中海域の普遍的な発展」から取り残された島であり続けました。それがサルデーニャ島の後進性の正体ではないか、と筆者は考えます。

シチリア島が輝かしい文化の島なら、サルデーニャ島は素朴で庶民的な文化に満ちた場所です。そこにはシチリア島に見られる絢爛な歴史的建築物や芸術作品はあまり多くは存在しません。その代わりに豊穣雄大な自然と、素朴な人情や民芸などの「癒しの文化」がふんだんに息づいているのです。

サルデーニャ島はイタリアの中でも、ひいては欧州の中でも、きわめてユニークな歴史と文化を有しています。同島に関しては以前にも幾つかの論考を書きました。世界一の成獣羊肉料理を食するイタリア・サルデーニャ島海鮮料理に見る殖民地メンタル肉料理の島の海鮮レシピサルデーニャ島「4人のムーア人旗」の由来~島民の誇りと屈折などです。

それに続いて先日「アートに救われた人殺しの島」を書きました。そのついで、というわけではありませんが、筆者の心を捉えてやまない美しい島について、再びここで幾つかの論点にしぼって書いておくことにしました。

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