「フェルーカ」挽歌

フェルーカ船

イタリア、シチリア島にちょうど今ごろの季節にはじまる「フェルーカ」と呼ばれる伝統的な漁があります。マグロやカジキを銛で突いて取るいわゆる”突きん棒”です。筆者はかつてこの漁の模様を描いてNHKスペシャルのドキュメンタリー番組を作ったことがあります。

”突きん棒”は世界中のどこにでもある漁法です。もちろん日本にもあります。海面すれすれに浮遊している魚を銛で一突きにする原始的な漁ですから、大昔に世界中の海で同時発生的に考案されたものなのでしょう。
  
シチリア島の”突きん棒”は、古代ローマ帝国時代以前から存在した記録が残っています。この素朴な漁の伝統は以来、船や漁具に時代に沿った変化はあったものの、シチリア島の漁師たちによって、古代の息吹をかたくなに守る形がえんえんと受け継がれてきました。

「フェルーカ」とは、漁に使われる漁船の名前です。総屯数二十トン程のふつうの漁船を改造して、高さ三十五メートルの鉄製のやぐらと、伸縮自在で長さが最大五十メートルにもなる同じく鉄製のブリッジを船首に取りつけた船。

フェルーカ船のやぐらとブリッジは、互いに均衡を保つように前者を支柱にして何十本ものワイヤーで結ばれて補強され、めったなことでは転ぷくしないような構造になっています。
  
しかし船体よりもはるかに長い船首のブリッジと、天を突くようにそびえているやぐらは、航行中も停船時も波風でぐらぐらと揺れつづけていて、見る者を不安にします。
 
やぐらは遠くの獲物をいちはやく見つけるための見張り台です。てっぺんには畳半畳分にも満たない広さの立ち台があって、常時3人から4人の漁師が海面に目をこらして獲物の姿を追います。船首の先に伸びているブリッジは、銛打ち用のものです。

銛の射手は、それを高く構えてブリッジの先端に立ちつくして、獲物が彼の足下に見えた瞬間に打ち込みます。つまり彼は、本来の船首が魚に到達するはるか手前で銛をそれに突き立てることができるのです。

逃げ足の速い獲物に少しでも近く、素早く、しかも静かに近づこうとする、漁師たちの経験と知恵の結晶がやぐらとブリッジ。やぐら上の見張りとブリッジ先端の銛手のあうんの呼吸が漁の華です。

筆者はこの不思議な船と漁を題材にドキュメンタリーを作ると決めた後、情報集めなどのリサーチを徹底するかたわら、何度もシチリア島に足をはこんで、漁師らに会い船に乗せてもらったりしながら準備をすすめました。
 
これで行ける、と感じて企画書を書いてNHKに提出し、OKが出ました。そこまでに既に6年以上が過ぎていました。短く、かつ忙しい報道番組のロケや制作を続けながらの準備ですから、筆者の場合それぐらいの時間は普通にかかるのです。

番組の最大の売りは何と言ってもマグロ漁にありました。大きい物は400キロを越え、時には500キロにもなんなんとする本マグロを発見して船を寄せ、大揺れのブリッジをものともせずに射手が銛を打ち込む。

激痛で憤怒の塊と化した巨大魚が深海をめがけて疾駆します。船ごと海中に引きずり込みそうな暴力が炸裂して、銛綱の束が弾けるようにするすると海中に呑み込まれます。すると綱で固着された浮き代わりのドラム缶数本が、ピンポン玉よろしく中空を乱舞し海面にたたきつけられます。

マグロは銛を体に突き通されたまま必死に逃げます。獲物の強力な引きと習性を知り尽くした男たちが死にものぐるいで暴力に対抗し、絶妙な綱引きの技でじわじわと巨大魚を追い詰めて取り込んで行く・・・・。
 
筆者がフェルーカ漁に魅せられて通ったそれまでの6年間に、幾度となく体験した勇壮なシーンを一つ一つ映像に刻み込めば、黙っていてもそれは面白い作品になるはずでした。ところがロケ中に獲れるのはカジキだけでした。肝心の本マグロがまったく獲れないのです。

フェルーカ漁は毎年4月頃から準備が始まり5月に幕を開けます。そしてイタリア半島とシチリア島の間にあるメッシーナ海峡とエオリア諸島近海を舞台に8月まで続きます。
 
準備の模様から撮影を始め、次に海上での漁に移りました。1ト月が経ち、2タ月が経ち・・・やがて漁の最盛期である7月に入りました。ところがマグロが暴れる場面は一向に出現しません。狐につままれたような気分でした。

しかしそれは海や山などを相手にする自然物のドキュメンタリーではありふれた光景です。魚や野生動物が相手ですから、不漁続きで思ったような絵が撮れない、という事態がひんぱんに起こるのです。

筆者はロケ期間を延長し、編集作業のためにどうしても自分が船に乗れない場合には、カメラマン以下のスタッフを張り付けて漁を追いつづけました。ロケ期間はそうやって最終的には5ヶ月近くにもなりました。
 
しかし最後まで一匹のマグロも獲れずにとうとうその年のフェルーカ漁は終わってしまいました。

筆者は仕方なくカジキ漁を話の中心にすえて編集をして、一応作品を完成しました。それは予定通り全国放映されましたが、反響は「予想通り」いまいち、という感じで終わりました。

フェルーカ漁とそれにまつわる人々のドラマは、ある程度うまく描かれているにもかかわらず、どこかインパクトに欠けて物足りないものがある、というのが人々の一致した印象であり意見でした。

筆者はそうなった理由を誰よりも良く分かっていましたが、もちろん一言も弁解をするわけにはいきませんでした。たとえ何が起ころうと番組作りの世界では結果が全てです。

ロケ中の障害のために結果が出なかったならば、それはひとえにディレクターである筆者の力量が足りなかったからです。あらゆる障害を克服して結果を出すのが監督の仕事なのです。

そんなわけで筆者は自らの無力をかみしめながら、忸怩たる思いでその仕事を切り上げなければなりませんでした。

年ごとに先細りになっていくフェルーカ漁は、漁そのものの存続があやぶまれる程に漁獲量が落ちこんでいます。漁獲量がほぼゼロの年もあります。

観光客を乗船させ漁を体験してもらうことで収入を得て、ようやく漁船の維持費を稼ぐことも珍しくありません。

それでも漁師たちはあきらめず、何とかして漁の伝統を次の世代に受け渡そうと必死になっています。しかし先行きは暗い。それでもなお彼らは海に出ます。今日も。明日も。

勇壮で厳しく、同時にそこはかとなく哀感のただようフェルーカ漁のその後を、もう一度カメラで追ってみたい、と筆者はロケ以来つづいている漁師たちとの友情を大切にしながら考えることも一再ではありません。

 

 

 

 

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平気で生きる 




筆者は以前、次のようなコラムを新聞に寄稿しました。それと前後してブログほかの媒体にも投稿しそこかしこで同じ趣旨の話も多くしました。

悟りとは「いつでもどんな状況でも平気で死ぬ」こと、という説がある。

死を恐れない悟りとは、暴力を孕んだいわば筋肉の悟りであり、勇者の悟りである。

一方「いつでもどんな状況でも平気で生きる」という悟りもある。

不幸や病気や悲しみのどん底にあっても、平然と生き続ける。

そんな悟りを開いた市井の一人が僕の母である。

子沢山だった母は、家族に愛情を注ぎつくして歳月を過ごし、88歳で病に倒れた。

それから4年間の厳しい闘病生活の間、母はひと言の愚痴もこぼさずに静かに生きて、最後は何も分からなくなって眠るように息を引き取った。

療養中も死ぬ時も、母は彼女が生き抜いた年月のように平穏そのものだった。

僕は母の温和な生き方に、本人もそれとは自覚しない強い気高い悟りを見たのである。

同時に僕はここイタリアの母、つまり妻の母親にも悟りを開いた人の平穏を見ている。

義母は数年前、子宮ガンを患い全摘出をした。その後、苛烈な化学療法を続けたが、副作用や恐怖や痛みなどの陰惨をおくびにも出さずに毎日を淡々と生きた。

治療が終わった後も義母は無事に日々を過ごして、今年で87歳。ほぼ母が病気で倒れた年齢に達した。

日本の最果ての小さな島で生まれ育った僕の母には、学歴も学問も知識もなかった。あったのは生きる知恵と家族への深い愛情だけである。

片やイタリアの母は、この国の上流階級に生まれてフィレンツェの聖心女学院に学び、常に時代の最先端を歩む女性の一人として人生を送ってきた。学問も知識も後ろ盾もある。

天と地ほども違う境涯を生きてきた二人は、母が知恵と愛によって、また義母は学識と理性によって「悟り」の境地に達したと僕は考えている。

僕の将来の人生の目標は、いつか二人の母親にならうことである。

筆者はこの話を修正しなければならなくなりました。義母がその後こわれてしまったからです。いや、こわれたのではなく、死の直前になって彼女の本性があらわれた、ということのようでした。

義母は昨年92歳で亡くなったのですが、死ぬまでの2年間は愚痴と怒りと不満にまみれた「やっかいな老人」になって、ひとり娘である筆者の妻をさんざんてこずらせました。

義母はこわれる以前、日本の「老人の日」に際して「今どきの老人はもう誰も死なない。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と言い放ったツワモノでした。

老人の義母は老人が嫌いでした。老人は愚痴が多く自立心が希薄で面倒くさい、というのが彼女の老人観だったのです。その義母自身は当時、愚痴が少なく自立心旺盛で面倒くさくない老人でした。

こわれた義母は、朝の起床から就寝まで不機嫌でなにもかもが気に入らない、というふうでした。子供時代から甘やかされて育った地が出た、とも見える荒れ狂う姿は、少々怖いくらいでした。

義母の急変は周囲をおどろかせましたが、彼女の理性と老いてなお潔い生き方を敬愛していた筆者は、誰よりももっとさらにおどろき内心深く落胆したことを告白しなければなりません。

義母はほぼ付きっ切りで世話をする妻を思いが足りないとなじり、気がきかないと面罵し、挙句には自ら望んだ死後の火葬を「異教徒の風習だからいやだ。私が死んだら埋葬にしろ」と咆哮したりしまた。

怒鳴り、わめき、苛立つ義母の姿は、最後まで平穏を保って逝った母への敬慕を、筆者の中にいよいよつのらせていくようでした。

義母を掻き乱しているのは、病気や痛みや不自由ではなく「死への恐怖」のように筆者には見えました。するとそれは、あるいは命が終わろうとする老人の、「普通の」あり方だったのかもしれません。

そう考えてみると、「いつでもどんな状況でも平気で生きる」という母の生き方が、いかにむつかしく尊い生き様であるかが筆者にはあらためてわかったように思えました。

いうまでもなく母の生き方を理解することとそれを実践することとは違います。筆者はこれまでの人生を母のように穏やかに生きてはきませんでした。

戦い、もがき、心を波立たせて、平穏とは遠い毎日を過ごしてきました。そのことを悔いはしませんが、「いかに死ぬか」という命題を他人事とばかりは感じなくなった現在、晩年の母のようでありたい、とひそかに思うことはあります。

死は静謐です。一方、生きるとは心が揺れ体が動くことです。すなわち生きるとは、文字通り心身が動揺することです。したがって義母の最晩年の狼狽と震撼と分裂は、彼女が生きている証しだった、と考えることもできます。

そうした状況での悟りとはおそらく、心身の動揺が生きている者を巻き込んでポジティブな方向へと進むこと、つまり老境にある者が家族と共にそれを受け入れ喜びさえすること、なのではないか。

それは言うのはたやすく、行うのは難しい話の典型のようなコンセプトです。だが同時に、老境を喜ぶことはさておき、それを受け入れる態度は高齢者にとっては必須といってもよいほど重要なことです。

なぜなら老境を受け入れない限り、人は必ず不平不満を言います。それが老人の愚痴です。愚痴はさらなる愚痴を誘発し不満を募らせ怒りを呼んで、生きていること自体が地獄のような日々を招きます。

「いつでもどんな状況でも平気で生きる」とは、言い方を変えれば、老いにからむあらゆる不快や不自由や不都合を受け入れて、老いを納得しつつ生きることです。それがつまり真の悟りなのでしょう。

苦しいのは、それが「悟り」という高い境地であるために実践することが難しい、ということなのではないでしょうか。もはや若くはないものの、未だ老境を実感するには至らない筆者は、時々そうやって想像してみるだけです。

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奇妙なカップル

天皇代替わりに合わせるように、安倍首相とトランプ大統領が4月、5月、6月と3回連続で首脳会談を行うという不思議な話は、日本のメディアの関心をあまり買っていないようです。

トランプ大統領は5月に国賓として来日し新天皇と会見します。新天皇が即位後初めて会見する外国首脳がトランプ大統領、という仕組み。一連の行事の主要目的はそこにあるように見えます。

日本の主要メディアは政府発表のスケジュールを短く伝えただけです。立て続けに3度も首脳会談を行うべき緊急課題があるとも思えないのに、あえて強行する異様な状況には口をつぐんでいます。

異様さに気づかないわけではなく、例によって安倍一強政権への恐れや忖度があるのかもしれません。たとえそうではなくても、今回の場合は皇室への遠慮もからんでいる可能性があります。

忖度や遠慮がジャーナリズムさえ凌駕するのが日本の神秘です。いつになったら権力への監視や批判がジャーナリズムの生命線であることを理解するのでしょうか。

トランプ大統領はその後、6月28、29日にも来日して大阪でのG20会議に出席し安倍首相とまた会談する予定。4月の安倍首相の米国訪問に始まった不可解な3連続会談がそこで終了します。

5月の訪日ではトランプ大統領は、新天皇と会う以外には大相撲観戦をしたり、安倍首相と例によってノーテンキなゴルフ遊びに興じるだけです。結局、世界の首脳に先がけて、同大統領を新天皇に会わせることが主題だからなのでしょう。

退位して上皇になったばかりの前天皇はひそかに、だが気をつけて吟味すれば時にはあからさまな言辞で、安倍首相に敵対していました。憲法護持、国民重視、沖縄擁護、日本の戦争責任追及などなど、安倍首相がいやがる内容ばかりです。

そこで安倍首相は、目の上のたんこぶ的存在だった前天皇が退位した機をとらえて、新天皇を取り込む画策を立てた。その作戦の一環としてトランプ大統領にも協力を頼んでいる、という見方は荒唐無稽に過ぎるでしょうか。

そんな策略に乗るトランプさんは-いまさらおどろくようなことではありませんが-人品のレベルが相棒の安倍さんとどっこいどっこいの寂しい資質であることを露呈しているようで、見ていて空しい限りです。

それにしても、安倍さんが目立たない動きや術策で、やりたい放題をやっているように見える現行の日本の政治状況は驚くばかりです。それが高じて天皇までも思い通りに動かそうとしているらしい姿は、まるで8世紀に登場して世間を騒がせた道鏡のようです。

道鏡は天皇になる野心まで抱いていました。さすがに安倍さんにはそこまでの山気 はないでしょうが、憲法改正に向けて新天皇を何とか懐柔したい意志があっても不思議ではありません。

政治家としてまた国のトップとして、安倍さんがそういう風に動くのは、事態への賛否は別にして、理解できることです。彼は憲法改正という自らの政治目的を達成するためにそう策しています。そして政治目的を完遂することが政治家の正義です。

安倍さんのスタンスに、穏便な形ながら断固として異議を唱え続けた前天皇が、平和憲法護持の立場であったのは隠しようもない事実でした。安倍首相は新天皇が上皇の意思を受け継いでいるかもしれないことが不安なのでしょう。

新天皇の「おことば」などに微妙にあらわれる変化から、安倍政権が天皇即位の前の皇太子さんに近づき、揺さぶりをかけてきたであろうことが推測できます。安倍首相は本気で天皇の籠絡を試みているようです。

彼は政治目的の達成のためには手段を選ばない構えです。日本の真の独立を阻むアメリカのトランプ大統領に借りを作ってでも、天皇の抱き込みを試みようとしているように見えるのです。

それは大胆であると同時に危険な動きです。なぜなら世話になったトランプさんにますます逆らえなくなって、今後も長きにわたって彼の阿諛外交が続き、日本のアメリカ従属がさらに深まりかねないからです。

安倍首相の大胆さは無知と無恥から来るものです。それはトランプ氏が大統領当選を決めたとき、就任前にもかかわらずに彼のもとに駆けつけて諂笑して以来、一貫して続いている安倍さんと政権の最大の特徴です。

世界の大半がトランプ勝利に眉をひそめている最中に、「何らの批判精神もなく」彼に取り入った安倍さんの行為は世界を驚かせました。繰り返しになりますがそこには安倍さんならではの無恥と無知が如実に現れていました。

しかし、矛盾するようですが、ここでは安倍首相に対してフェアなことも言っておきたいと思います。

トランプさんが大統領選に勝利した2016年、安倍首相が世界の首脳に先駆けてトランプタワーに乗り込んで、彼を祝福し友好親善を推し進めたのは日本のトップとしては十分に理解できる行為でした。

なぜならトランプさんがたとえ「何者であれ」彼は米国大統領に当選したのですから、安倍さんは「日本の国益のために」未来のアメリカ大統領に挨拶をしておこうとして動いた側面もあるからです。

安倍さんの行動のすべてが悪いのではありません。しかしながら安倍さんは、トランプさんとのお友達関係を一方的に且つ懸命に強調しつづけるものの、実は彼のポチでしかない卑屈な立ち回りに終始しています。

自尊心のかけらもないような追従外交方ばかりを続けています。それでいて、一向にその事実に気づいていないように見えます。そこが大きな問題なのです。

トランプ大統領は、異様な指導者です。彼の施策はこれまでのところネガティブなものが多い。だがフェイクニュースを流して彼の主張こそ真実だと言い張る行動によって、それまで完璧に見えた大手メディアにもまたフェイクな顔がある、という事実を暴き出した功績は大だと思います。

同時にトランプさんは、「差別や憎しみや偏見などを隠さずに、しかも汚い言葉を使って公言しても構わない」という考えを人々の頭に植え付けてしまいました。つい最近までタブーだった「罵詈や雑言も許される」といった間違ったメッセージを全世界に送ってしまったのです。

それはつまり、人類が多くの犠牲と長い時間を費やして獲得した「寛容で自由で且つ差別や偏見のない社会の構築こそ重要だ」というコンセプトを粉々に砕いてしまったことを意味します。その罪は重い。異様な指導者であるトランプ大統領の奇異に気づかない安倍首相もまた異様です。

2人の異様は、これまでのところ、安倍首相がトランプ大統領をノーベル平和賞候補に推薦した、という噴飯茶番劇によって極限に至りました。しかしながらノーベル賞の茶番は、オバマ前大統領への平和賞やボブ・ディランへの文学賞授与などでもすでに示されていますから、もはやおどろくほどのことではないのかもしれません。

安倍政権に遠慮する大手メディアと、ネトウヨ排外差別主義者らが声高にネットを席巻する日本国内にいるとあるいはよく見えないかもしれませんが、欧州を含む世界の良心は、安倍&トランプという奇妙なカップルの、友情なのか政治パフォーマンスなのか判別できない「奇怪なダンス」を窃笑しつつ“遠巻き”に監視しています。



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連休という果報、飛び石連休という貧困

2019年、日本のゴールデンウイークが10連休になるというニュースは、ここイタリアにいても日本の衛星放送やネットを介していやというほど見、聞き、知っていました。

それに関連していわゆる識者や文化人なる人々が意見を開陳していましたが、その中にはまるで正義漢のカタマリのような少し首を傾げたくなる主張もありました。

いわく10連休は余裕のあるリッチな人々の特権で、休みの取れない不運な貧しい人々も多い。だから、10連休を手放しで喜ぶな。貧者のことを思え、と喧嘩腰で言い立てたりもしていました。

10連休中に休めない人は、ホテルやレストランやテーマパークなど、など、の歓楽・サービス業を中心にもちろん多いと考えられます。

しかし、まず休める人から休む、という原則を基に休暇を設定し増やしていかないと「休む文化」あるいは「ゆとり優先のメンタリティー」は国全体に浸透していきません。10連休は飽くまでも善だったと筆者は思います。

休める人が休めば、その分休む人たちの消費が増えて観光業などの売り上げが伸びます。その伸びた売り上げから生まれる利益を従業員にも回せば、波及効果も伴って経済がうまく回ります。

利益を従業員に回す、とは文字通り給与として彼らに割増し金を支払うことであり、あるいは休暇という形で連休中に休めなかった分の休息をどこかで与えることなどです。

他人が休むときに休めない人は別の機会に休む、あるいは割り増しの賃金を得る、などの規則を法律として制定できるかどうかが、真の豊かさのバロメーターです。

そうしたことは強欲な営業者などがいてうまく作用しないことが多い。そこで国が法整備をして労働者にも利益がもたらされる仕組みや原理原則を強制する必要があります。

たとえばここイタリアを含む欧州では、従業員の権利を守るために日曜日に店を開けたなら翌日の月曜日を閉める。旗日に営業をする場合には割り増しの賃金を支払う、など労働者を守る法律が次々に整備されてきました。

そうした歴史を経て、欧州のバカンス文化や「ゆとり優先」のメンタリティ-は発達しました。それもこれも先ず休める者から休む、という大本の原則があったからです。

もちろん休めない人々の窮状を忘れてはなりませんが、休める人々や休める仕組みを非難する前に、働く人々に窮状をもたらしている社会の欠陥にこそ目を向けるべきなのです。

休むことは徹頭徹尾「良いこと」です。人間は働くために生きているのではありません。生きるために働くのです。

そして生きている限りは、人間らしい生き方をするべきであり、人間らしい生き方をするためには休暇は大いに必要なものです。

人生はできれば休みが多い方が心豊かに生きられる。特に長めの休暇は大切です。夏休みがほとんど無いか、あっても数日程度の多くの働く日本人を見るたびに、筆者はそういう思いを強くします。

バカンス大国ここイタリアには、たとえば飛び石連休というケチなつまらないものは存在しません。飛び石連休は「ポンテ(ponte)=橋または連繋」と呼ばれる“休み”でつなげられて「全連休」になります。

つまり 飛び石連休の「飛び石」は無視して全て休みにしてしまうのです。言葉を変えれば、飛び飛びに散らばっている「休みの島々」は、全体が橋で結ばれて見事な「休暇の大陸」になります。

長い夏休みやクリスマス休暇あるいは春休みなどに重なる場合もありますが、それとは全く別の時期にも、イタリアではそうしたことが一年を通して当たり前に起こっています。

たとえば今年は、日本のゴールデンウイーク前の時分にもポンテを含む連休がありました。復活祭と終戦記念の旗日がからんだ4月20日から28日までの9連休です。

その内訳は:4月20日(土)、21日(日“復活祭”)、22日(月“小復活祭=主顕節”・旗日)、23日(火“ポンテ”)、24日(水“ポンテ”)、25日(木“イタリア解放(終戦)記念日”・旗日)、26日(金“ポンテ”)、27日(土)28日(日)の9日間。

もちろん誰もが9連休を取る(取れる)わけではありません。23日(火)と24日(水)は働いて25日から28日の間を休む。つまり26日(金)だけをポンテとして休む、という人も相当数いました。同時に20日から28日までの長い休暇を取った人もまた多かったのです。

そうした事実もさることながら、旗日と旗日の間をポンテでつなげて連休にする、という考え方がイタリア国民の間に「当たり前のこと」として受け入れられている点が重要です。

飛び石、つまり断続または単発という発想ではなく、逆に「連続」にしてしまうのがイタリア人の休みに対する考え方です。休日を切り離すのではなく、できるだけつなげてしまうのです。

「連休」や「代休」という言葉があるぐらいですからもちろん日本にもその考え方はあります。だがその徹底振りが日本とイタリアでは違います。勤勉な日本社会がまだまだ休暇に罪悪感を抱いてるらしいことは、飛び石連休という思考法が依然として存在していることで分かるように思います。

一方でイタリア人は、何かのきっかけや理由を見つけては「できるだ長く休む」ことを願っています。休みという喜びを見出すことに大いなる生き甲斐を感じています。 そして彼らは願ったり感じたりするだけではなく、それを実現しようと躍起になります。

そんな態度を「怠け者」と言下に切り捨てて悦に入っている日本人がたまにいます。が、彼らはイタリア的な磊落がはらむ豊穣が理解できないのです。あるいは生活の質と量を履き違えているだけの心の貧者です。

休みを希求するのは人生を楽しむ者の行動規範であり「人間賛歌」の表出です。それは、ただ働きずくめに働いているだけの日々の中では見えてきません。休暇が人の心身、特に「心」にもたらす価値は、休暇を取ることによってのみ理解できるように思います。

2019年に出現した10連休は、日本の豊かさを示す重要なイベントでした。日本社会は今後も飛び石連休を「全連休」にする努力と、連休中に休めなかった人々が休める方策も含めて、もっとさらに休みを増やしていく取り組みを続けるべきです。




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