NHKは矜持を失ったか

私がNHKに対して批判的な記事を書くのは、おそらく今回が始めてではないかと思います。これまでも自分のOFFICIALサイトで度々NHKについて書いてきましたし、お仕事として依頼された原稿を提供している産経デジタル社のサイト、「iRONNA」にも会長問題、受信料問題など書いてきました。

私の論調は一貫してNHK擁護の立場でありました。NHKには時の政権からのいかなる圧力にも屈することなく、不偏不党で中立公正にジャーナリズムの王道を走って欲しい。そのための受信料だから、当然支払うべきだと昔から主張してきました。

かくいう私も長年にわたってNHK内部の人間であり、NHKで働いて禄を食み、子供のミルク代を得てきたという恩義もあります。このサイトを共同で主宰している仲宗根さんと30年前にローマで出会った時、私は株式会社NHKクリエイティブという、今はなきNHKの関連企業に籍を置いていました。自らの社名にクリエイティブと名付けるとは、ずいぶん気負った会社だなと思いましたが、まあいいでしょう。とにかくNHKについて私は知り尽くしています。

時代は令和になって、そこここからNHKの報道姿勢に疑問を持つ声が、急速に高まってきました。「みなさまのNHK」ではなく「安倍様のNHK」に成り果てているのではないかという指摘です。これについては、さすがの私も擁護しきれません。ハッキリ言いましょう。ここ数年間でNHKは80年の伝統で培ってきた中立公正なNHKの矜持をかなぐり捨て、安倍政権の広報機関へと大きく舵を切りました。変貌してしまったのです。もはや長年私がお世話になった古き良きNHKは、どこかへ消え去ってしまったかのようです。

何がNHKを変えてしまったのでしょうか。1万2千人の職員と数万人の外部スタッフが、そう簡単に考え方を変えるでしょうか。NHKの体質に何か根本的な変容があったのでしょうか。

組織の体質などというものはそう簡単に変わるものではありません。私が思うには、体質、などという漠然としたものについて語ってもあまり意味がないのではないでしょうか。あえてNHKの組織としての体質は、と問われるなら、それは役人と職人を融合したような体質だ、とお答えしておきましょう。役人ですから上司の命令には忠実です。一方では「いかなる圧力にも屈せず自らの良心のみに基づいて判断する」という崇高な理念があり、職員は常にその狭間で揺れ動いています。それは今も昔も変わっていないでしょう。

体質ではなく何が変わったのか。それは極めてわかりやすくシンプルです。ズバリ会長人事です。役人組織ですからトップの意向でいかようにも変貌します。NHKの会長は経営委員会で選任されますが、長年にわたってNHK内部からのたたき上げの職員が就任したら、次の会長は外部から選ぶ、その次はまた内部から、と交互に就任してきました。少なくとも私の現役時代はそうでした。

私がNHKにいた頃は内部からのたたき上げの人物が、歴代の会長を務めていました。1989年からの島桂次会長、1991年からの川口幹夫会長、1997年からの海老沢勝二会長と20年にわたって内部からの人選でしたが、内部で派閥を構成する報道局政治部出身と番組制作局出身から交互に選ぶことによって、局内のバランスも取れていました。

それが2008年以降、外部から招聘された会長の代が続くのです。アサヒビールから来た福地茂雄会長、JRから来た松本正之会長、三井物産から籾井勝人会長、現在の上田良一会長と既に10年あまりにわたって、異例の外部出身会長が続いています。会長の人選は経営委員会が行いますが、その経営委員たちは内閣総理大臣によって直接指名されます。

この10年は、安倍晋三の政権期間と見事に一致しています。籾井勝人氏はNHK会長就任の際に「政府が右と言っている時に左とは言えない」と発言して物議をかもしましたが、そういった発言を口に出すか出さないかの違いこそあれ、安倍首相に直接選任された会長がNHKを牛耳っている限り、「みなさまのNHK」ではなく「安倍様のNHK」になるのは当然のことだと私は思います。

画面上のことで言うと、かつて硬派のジャーナリストであった国谷裕子さんがクローズアップ現代から降ろされた頃、その変化は多くの人に感じ取られたと思います。変わって安倍首相にずっと密着して取材を続けてきた報道局政治部の岩田明子記者が、今やメインの解説者として度々ニュースの画面に登場しますが、話す内容はまさに政府広報です。

NHKの経営委員会をここまで指揮下に収めることができたのは、安倍首相の長期政権によるものだと言ってよいでしょう。日本の議院内閣制はたてまえは三権分立ですが、実際には立法、行政、司法の三権が内閣総理大臣に集まりやすくなっています。特に長期政権が続くとその傾向は強まります。三権に続いて四番目の権力と言われるマスコミまで手中に収めた安倍政権は、もはや怖いものなしの独裁者になっているようです。

国民から選挙で選ばれた代議士であり、その代議士から選挙で選ばれた総理大臣なのだから、最も国民の意思を代弁しているはず、という民主主義の原則に基づいていることは間違いないでしょう。だからといって総理大臣は何をしてもよい、というわけではないはずです。

ファシズムは民主主義から生まれます。ヒトラーは公正な選挙によって選ばれ独裁者になったわけで、クーデターでも犯罪を犯したわけでもなかったのです。私はこの日本でもマスコミが政府に牛耳られ、言論が封殺されるようになったなら、それは十分国家の危機だと言うべきだと思います。

NHKにはまだ希望を捨てていません。役人としてだけではなく職人としての資質も持ち合わせているのだから、職員一人ひとりが己の信念に基づいて行動する勇気を持てば、独裁者に屈することなくジャーナリズムを貫徹できるはずだと信じています。信じさせてください。

Stand Up!Wake Up!

9月に会いましょう

イタリアでは毎年6月にもなると、それほどひんぱんには会わない人同士の別れの挨拶として、「9月に会いましょう」というのが多くなります。

夏のバカンス後にまたお会いしましょうね、という意味です。

さらに7月にもなると、しょっちゅう会っている人同士でも、この「9月に会いましょう」が別れの常套句、あるいは合言葉のようになります。

何が言いたいのかといいますと、イタリア人にとっては夏の長期休暇というのはそれほどに当然のことで、人々の日常の挨拶にも如実にあらわれるということです。

良く言われるように、長い人は1ヶ月の休みを取ることも珍しくありません。もちろんそれ以上に長いバカンスを過ごす者もいます。休暇の長さは、人それぞれの仕事状況と経済状況によって、文字通り千差万別です。

裕福な人々や幸運な道楽者のうちには、子供の学校の休みに合わせて、3ヶ月の休暇を取るようなトンデモ人間もいたりしますが、さすがにそれはごく少数派。

それでも、子供の休みに合わせて、妻以下の家族が6月から8月の間は海や山のセカンドハウスに移住し、夫は都市部に残って通常通りに働きながら週末だけ家族の元に通うケースもよくあります。

筆者はそれを「通勤バカンス」と勝手に呼んでいますが、通勤バカンスを過ごす男たちも、もちろんどこかで長期の完全休暇を取ることはいうまでもありません。

休むことに罪悪感を覚えるどころか、それを大いに賞賛し、鼓舞し、喜ぶ人々が住むこの国では、そんな風にさまざまなバカンス模様を見ることができます。

とはいうものの実は、大多数のイタリア国民、つまり一般の勤め人たちは、最低保証の年間5週間の有給休暇のうち、2週間の「夏休み」を取るのが普通です。

それは法律で決まっている最低限の「夏期休暇の日数」で、たとえば筆者がつい最近まで経営していた個人事務所に毛が生えただけのささやかな番組制作会社でも同じです。

会社はその規模には関係なくスタッフに最低2週間の有給休暇を与えなければなりません。零細企業にとっては大変な負担です。

しかし、それは働く人々にとってはとても大切なことだと筆者は感じます。人間は働くために生きているのではない。生きるために働くのです。

そして生きている限りは、人間らしい生き方をするべきであり、人間らしい生き方をするためには休暇は大いに必要なものです。

イタリアでは2週間の夏の休みは、8月初めから同月の半ば頃までの間に取る人が圧倒的に多い。会社や工場などもこの期間は完全休業になります。

ところが、時間差休暇というものがあって、時間に融通のきく仕事を持っている人々の中には、多くの人の休暇が集中する8月の混乱期を避けて、バカンスを前倒しにしたり、逆に遅らせて出かける者も相当数います。

そうすると、普通の期間に休みを取る人々は、休み前にも休みが明けてもクライアントがいなかったり、逆に自らがクライアントとなって仕事を出す相手がいなかったりします。

どんな仕事でも相手があってはじめて成り立ちますから、休暇前や休暇後に相方不在の状況に陥って、仕事の量が減り能率もがくんと落ちてしまいます

そこに長期休暇を取る人々の仕事の空白なども加わって、7月から8月末までのイタリアは、国中が総バカンス状態のようになってしまうのです。

すると人々の心理は、7月特に8月なんてどうせ仕事にならない、というふうに傾いてさらに労働意欲が失せて、ますます仕事が遠のきます。

だから6月にもなると、7月と8月を飛び越して、「9月に会いましょう」が仕事上の人々の合言葉になるわけです。

イタリアがバカンス大国であるゆえんは、夏の間は仕事が回らないことを誰もが納得して、ゆるりと9月を待つところにあります。

プロのテレビ屋としてロンドン、東京、ニューヨークに移り住んで仕事をした後にこの国に来た筆者は、当初は仕事の能率の上がらないイタリアの夏の状況を怒りまくり、ののしりまくっていたものです。

しかし今はまったく違います。これだけ休み、これだけのんびりしながらも、イタリアは一級の富裕国です。働く人々の長期休暇が極端に少ないたとえば日本などよりも、豊かさの質がはるかに上だとさえ感じます。

9月に会いましょう!と明るく声をかけあって、イタリア的に休みまくるのはやはり、誰がなんと言おうが、いいことなのだと思わずにはいられません。

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スイスの銃は発砲されなければならない

「そこにある銃は発砲されなければならない」とする“チェーホフの銃”は、ドラマツルギーの一環としての創作法を提示するに過ぎませんが、“ スイスの銃 ”は現実社会の病の一つを体現する事象としてより深刻です。

2019年5月、スイスでEU(欧州連合)と同じ厳しい銃規制策を採用するかどうか、を問う国民投票が行われました。スイスは伝統的に銃を所有している国民が多い国です。

スイスの人口当たりの銃の保有数は世界で4番目に高い。同国には徴兵制度があり、兵役を終えた人々が軍隊で使った銃を自宅で保管できる独特の仕組みがあります。

スイス国民は彼らの1人ひとりが自国防衛にたずさわるべき、という堅牢な考えを持っています。そのため兵役を終えた後も、自宅に銃を置いて“いざ鎌倉”に備えるのです。

スイスは永世中立国です。従って理論的にはこちらからは戦争を仕掛けません。しかし、国土が侵略された場合は速やかに立ち上がって戦う、というのが彼らの決意です。そして戦いには銃が必要です。

スイス国民、特に男性は、銃の扱いに慣れるように教育されます。銃の使い方を学ぶのは彼らの義務なのです。そのことを象徴するように、13~17歳の少年を対象にした全国的な射撃コンテスト等も行われます。

スポーツとしてのライフル射撃なども同国では人気があります。また自己防衛や狩猟等のために銃を保有するのは当然の権利、という基本理念もあります。そうしたことの全てがスイス人の銃所持の壁を低くします。

日本とは大きく違って、欧米をはじめとする世界の国々では、銃保有は当然の権利と捉えられるのが普通です。スイスも例外ではないということです。

スイスの銃規制はゆるいとは言えませんが、銃保有の割合が高いために、同国はEU(欧州連合)から国内の銃保有率を下げるように、としきりに要請されてきました。

スイスはEU加盟国ではありません。しかし、人とモノの移動の自由を定めた「シェンゲン協定」には加盟しています。そのためにEUは、スイスが銃規制策も彼らと同基準にするように求め続けたのです。

それを踏まえてスイスは先日、EUの要請を受けるかどうかを問う国民投票を実施したのです。その結果、EUと足並みをそろえるという主張が勝利。スイスの銃規制は強化されることになりました。

スイスは既述のように国民の銃保有率が高い国ですが、イスラム過激派のテロが頻発する昨今のEU各国や、歴史的に銃が蔓延する米国のような銃乱射事件はほとんど起きません。

最後に銃乱射事件が起きたのは2015年5月9日。スイス山中の静かな村で、男が別れた妻の両親と弟を銃撃した後、偶然通りかかった隣人も殺害し、自らも自殺して果てる事件が起きました。

背景には複雑な家族の問題がありました。男は暴力的で、彼から逃れるために妻が子供3人を連れて家を出ました。逆恨みした男は妻の実家を襲って犯行に及んだのです。

家族間のトラブルから来る発砲事件はここイタリアでもよく起こります。それなのにイタリアのメディアは当時、外国のスイスのその事件を大きく伝えました。それが「スイスでの事件」だったからです。

スイスはイタリアよりもはるかに銃保有率の高い国です。兵役後も成人男性のほとんどが予備役または民間防衛隊の隊員であるため、既述のように多くの家庭に自動小銃や銃弾が保管されています。

それにも関わらずに、銃を使ったスイスでの犯罪はイタリアよりも桁違いに少ないのです。スイスでは過去30年以上に渡って、銃による虐殺事件は前述の2015年のケースも含めてたった9回しか起きていません。

だからこそニュースになるのですが、その時はちょうどイタリア・ミラノの裁判所で被告人が弁護士や裁判官を銃撃する、という前代未聞の事件が起きた直後でした。それだけに、イタリアのメディアはスイスの「珍しい」銃撃事件を大きく報道したのです。

銃犯罪が少ない一方でスイスでは、銃を使った自殺が多発します。銃によるスイスの自殺者の数は逆に、イタリアとは比べものにならないくらいに多いのです。

スイスでは一日あたり3~4人が自殺をします。年間では交通事故の死亡者数の4倍にも上る数字です。そのうち銃で自殺をする人の割合は25%弱。欧州で最も高い割合です。

銃で自殺をする人が多いのは、そこに銃があるからです。自殺のほとんどは衝動的なものです。とっさに自殺したくなった時に、わざわざ銃を買いに行く者はいません。身近にある銃に手を伸ばすのです。

しかし、スイスで銃による自殺が多いのはそれだけではないように思えます。スイスでは安楽死及び尊厳死が合法化されています。正確に言えば自殺幇助が許されているのです。

不治の病に冒された人や耐え難い苦痛に苦しむ人々が死を望めば、医師が自殺を幇助してもよい。スイスには自殺願望のある不運な人々が国内はもとより世界中から集まります。

安楽死や尊厳死を認めるスイス社会の在り方が、スイス人1人ひとりの心中に潜む自殺願望を助長しあるいはそれへの抵抗感を殺ぎ、結果として銃による自殺の割合も欧州で最も高くなる、という見方もできます。

安楽死や尊厳死というものはありません。死は死にゆく者にとっても家族にとっても全て苦痛であり、悲しみであり、ネガティブなものです。あるべきものは幸福な生、つまり安楽生と、誇りある生つまり尊厳生です。

不治の病や限度を超えた苦痛などの不幸に見舞われ、且つ人間としての尊厳をまっとうできない生はつまり、安楽生と尊厳生の対極にある状態です。人は 安楽生または尊厳生を取り戻す権利があります。

それを取り戻す唯一の方法が死であるならば、人はそれを受け入れても非難されるべきではありません。死がなければ生は完結しません。全ての生は死を包括します。安楽生も尊厳生も同様です。

その観点から筆者は安楽死・尊厳死を認めるスイス社会のあり方を善しと考えます。しかしそれがスイスにおける銃自殺率の高さに貢献しているのであれば、銃規制の厳格化はもちろん朗報です。

銃がそこになければ、銃によるスイスの人々の自殺率は、世界中のほぼ全ての国と同じように国民の銃保有率と正比例するだけの数字になり、もはや驚くほどのものではなくなるでしょう。



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反安倍一辺倒ではないが反安倍の理由

安倍首相批判になった前記事に対して保守派の方から抗議の便りをいただきました。何度か便りをくださっている方で、結局筆者は安倍首相の全てが嫌いで全てに反対なんですね、と締めくくられていました。

安倍さん批判の記事を書くと彼のファンの方からよくメッセージをいただきます。たいてい筆者が一から十まで反安倍だと思い込んでいます。だがそんなことはまったくないので、その旨の返事をしました。これから書くのは安倍ファンのその読者にお送りした内容を踏まえて、さらに少し加筆・拡大したものです。

安倍さんの全てが悪いのではない

筆者は安倍さんを政治的に支持しませんが、別に彼の全てに異を唱えているわけではありません。以前から言っているように彼の「全てが悪いのではなくやり方に問題がある」と考える者です。そこに言及する前に、これから述べる事案における筆者の政治的な立ち位置をはっきりさせておきます。

筆者は日米同盟には賛成です。賛成どころか同盟の強化を願っています。むろん日米安保も支持します。また筆者はアメリカが好きです。仕事でニューヨークにも住みました。しかし筆者がアメリカを好きなのは、ニューヨークに住んだことが理由ではありません。筆者はアメリカの在り方が好きなのです。

アメリカには人種差別も不平等も格差も貧困も依然として多くあります。それは紛れもない事実です。だがアメリカは、今この時のアメリカが素晴らしいのではありません。愚昧な差別主義と無知から解放された米国の良識ある人々が、アメリカは「かくありたい」と願い、それに向かって前進しようとする「理想のアメリカ」が素晴らしいのです。

その理想とは、より寛容でより自由でより平等なアメリカという理念であり、偏見や差別や憎しみをあおるトランプ大統領の政治姿勢とは真っ向から対立する行動規範です。 そしてアメリカの強さは、彼らが理想を語るだけではなく実際に行動を起こすことです。

アメリカ合衆国は地球上でもっとも人種差別が少ない国です。これは皮肉や言葉の遊びではありません。奇をてらおうとしているのでもありません。日本で生まれ、ロンドンに学び、ニューヨークに住んでアメリカ人と共に仕事をし、今も彼らと付き合いつつ欧州から米国の動向を逐一見ている筆者自身の、実体験から導き出した結論です。

米国の人種差別が世界で一番ひどいように見えるのは、米国民が人種差別と激しく闘っているからです。問題を隠さずに話し合い、悩み、解決しようと努力をしているからです。断固として差別に立ち向かう彼らの姿は、日々ニュースになって世界中を駆け巡って目立ちます。そのためにあたかも米国が人種差別の巣窟のように見えるのです。

アメリカには人種差別があります。同時に自由と平等と機会の均等を求めて人種差別と闘い続け、絶えず前進しているのがアメリカという国です。長い苦しい闘争の末に勝ち取った、米国の進歩と希望の象徴の一つが、黒人のバラック・オバマ大統領の誕生でした。

安倍さんに賛成し反対する

アメリカが腹から好きな筆者は、安倍首相がトランプ大統領との友情を深め日米同盟の絆を強調し、軍事経済文化その他全ての分野で日米が仲良くすることに賛成です。ところが筆者には安倍さんのやり方が腑に落ちない。アメリカへの追従が過ぎる、と思うのです。

日本は敗戦以来、常にアメリカの子分として生きてきました。戦争に敗れ、軍事また経済で圧倒され、文化・文明度でもアメリカの足元にも及ばない、と政府も国民も自信を喪失していたのですから、そうなったのも仕方がありません。

時は過ぎて、日本が少しは自信を取り戻した幸運な季節に権力を握った安倍さんは、戦後レジームからの脱却を旗印にしました。つまりアメリカとの同盟関係を維持しながら属国の位置を抜け出し、対等な付き合いを目指すと見えたのです。

ところが安倍さんは逆方向に進みました。それはトランプ大統領が誕生して以降は加速をつづけて、今ではもはや後戻りはできないほどになりました。それが端的に現れたのが2016年、トランプさんが大統領選に勝利したとき、安倍首相が世界の首脳に先駆けてトランプタワーに乗り込んで、彼を祝福し友好親善を推し進めたエピソードです。

世界の大半がトランプ勝利に眉をひそめている最中に、「何らの批判精神もなく」彼に取り入った安倍さんの行為は世界を驚かせました。そこには安倍さんならではの無邪気と無教養が如実に現れていました。 自尊心のかけらもないような諂笑を振りまいて恥じない姿はおどろきでした。

筆者の安倍さんへの不信感の根はそのエピソードに象徴的に集約されます。しかし「何らの批判精神もなく」トランプ大統領に追随する姿勢は、安倍さんのその他の政治行為や施策にも多く現れて、筆者の中では違和感が高まりつづけました。ほんの2、3の例を挙げてみます。

北朝鮮

先ず北朝鮮への対応です。安倍首相は金魚のフンよろしくトランプ大統領に寄り添って、彼が圧力と経済制裁と言えば全く同じように追従し、大統領が強硬姿勢を対話へと切り替えて金正恩委員長との首脳会談を実現すると、またそれを真似て前提条件なしに金正恩とトップ会談をしたい、と臆面もなく言い出します。

対話は相手が誰であれ良いことです。だがトランプさんの物まねにしか見えない動きはみっともないのひと言につきます。あるべき姿はアメリカと協調して圧力と制裁は続けながらも、水面下で彼独自の対話路線を模索するなどの、外交のいろはに基づく信念のある政策と行動です。それは中国との場合も同じです。

トランプ大統領は、北朝鮮や中国に今にも武力攻撃を仕掛けかねないような激しい言動をしていても、常に対話の道を探る姿勢を言葉の端々に込めて発言しています。それなのに安倍さんが、まるでトランプさんの表向きの言葉のみに注目して右往左往するかのような姿は不可思議です。

安倍首相は最近、前提条件なしでの日朝首脳会談を呼びかけて「安倍は軍国主義」と軍国主義者の金委員長に斬り捨てられましたが、さて次はどう動くのでしょうか。米北朝鮮の対話路線は紆余曲折を経ながらも続きそうです。ならばもしも2国関係が元に戻って対決姿勢を強めるなら、安倍さんは次はまた前言を翻して、北朝鮮に圧力と制裁を!と叫び始めるのでしょうか。

中東政策

イスラエルの例も見てみましょう。トランプ米大統領が2017年12月、エルサレムをイスラエルの首都と認める、と宣言して世界を震撼させました。それはトランプ大統領によるアラブ・イスラムの国々への新たなる挑発であり侮辱でした。

驚きの声明にアラブ世界は言うまでもなく、欧州列強をはじめとする世界の国々が反発、非難しました。ところがトランプ大統領の政策なら何でも支持する安倍政権は、トランプ大統領の宣言に異を唱えるどころか「沈黙を守ること」で、チェコやフィリピンと共に大統領支持に回ったのです。

トランプ大統領は例によって、臆面もなく一方を立て一方を無残に斬り捨てる方法で、中東のイスラエルを庇護し、パレスチナを含むアラブ諸国を貶めました。安倍さんもこれまた例によって「なんらの批判精神もなく」トランプ大統領を100%支持しました。

無批判に米国に付き従う施策はエスカレートして、日本とイスラエル間に史上初めて直行便が飛ぶ事態にまで至りました。そこにはトランプさんに追従し忖度し彼のケツ舐めに徹する、安倍さんの意向が働いていると見てもそれほど的外れではないでしょう。

筆者の批判はそこでも同じです。イスラエルとの交誼は歓迎するべきことですが、そこに安倍さん独自の考えがなく、トランプさんに絡めとられているとしか見えない事態がやりきれないのです。加えてイスラエルと敵対するアラブ諸国への配慮が欠けていて、国益を損なうものなのですからなおさらです。

真の同盟関係の強化は、卑屈を排し互角の立場で付き合うところでしか成り立ちません。それは一方が軍事的に強力で経済的に豊かで国力がある、という物理的な優劣とは別の、いわば「精神の対等性」のことです。それがあれば、たとえば欧州などの首脳が、米国を最大の同盟国と認めながらも、トランプ大統領に堂々と物申す姿勢と同じやり方が可能になります。

友情とは対等な人間関係に基づく信頼と親しみと絆のことであり、言いにくいことでも言うべきところは言い合う関係です。それは国家間にもあてはまります。日米間になそんな友情は存在しません。ご主人様のアメリカに日本が従僕のごとくひざまずくことからくる、見せ掛けの友宜があるのみです。安陪さんはそれを矯正するどころかさらに補強し悪化させています。

短期留学の陥穽

安倍さんが米国と対等の付き合いを模索できないのは、もしかすると彼がアメリカに2年間留学したという経験がトラウマになっているのではないか、とさえ疑うほどです。外国、特に欧米に短期留学したり仕事などで長期滞在をした日本人の中には、突然ナショナリストへと変身する者が少なくありません

それには理由があります。彼らは憧れて行った欧米の文明国で、日本社会の徹底した西洋模倣の現実と同時にその後進性に衝撃を受けます。そこでふいに欧米への強い対抗心に目覚めて民族主義者になるのです。そこで欧米社会と欧米人に見下された、という体験が重なると相乗効果が生まれて事態はさらに深刻になります。

そうしたショック現象は、留学が長期化するに従って和らいでいき、やがて彼らは欧米の文化文明の真の価値に目覚めていきます。彼らは欧米社会の寛容と解放と自由と人権主義に触れ、それに拠って立つ民主主義の進歩性に気づき、これを理解し尊敬し成長して、そこから生まれる叡智によって自らの国の文化文明も客観視し理解することができるようになります。

欧米に1~2年程度の短い留学や在住経験を持つ保守主義者には気をつけた方がいい。彼らは親欧米であろうが反欧米であろうが、生半可な西洋理解の知識蓄積に縛られていて、知ったかぶりと誤解と曲解に基づくねじれた主義主張をして平然としていることが少なくありません。彼らのねじれた心理が矯正されるためには、頭でっかちの机上論ではなく欧米の地にさらに長く留まることで得られる経験知が必要です。

安倍さんがとらわれているように見える、トランプさんやアメリカへの抜きがたい劣等感のようなものは、もしかすると短期留学体験者が陥りがちな陥穽に嵌まった彼の心理屈折がもたらすものではないか、と筆者は時々疑ってみます。劣等感は、西洋文明の堅牢に圧倒された短期留学者が、その反動で必要以上に西洋の文物や在り方に対して居丈高になるのと病原が同じなのです。

もう少し続けます。学校等で得た知識ではなく、知識と共に欧米社会の中に長く住み続ける以外には理解できない文化・文明の懐の深さというものがあるのです。それを理解すれば劣等感と劣等感の裏返しである行過ぎた国粋主義や敵愾心も消えます。なぜなら西洋文明の分別は、そうした劣等感の無意味もまた教えてくれるからです。

愛国者

平家、海軍、国際派という成句があります。社会のメインストリームから外れたそれらの人々は、日本では出世できないという意味の言葉ですが、政治問題関連の論壇などでは往々にして「反日」と同じ風に使われたりもする言葉です。

だがそれは間違いで、平家の中にも、海軍の中にも、国際派の中にも愛国者はいます。と言いますか、そこには源氏、陸軍、国内(民族)派とまったく同数の愛国者がいるのです。そして筆者自身は国際派の愛国者を自負している者です。国際派ですから、こう して出世もできずに恐らく死ぬまで外国を放浪し続ける、という寂しい人生を送っているわけですが。

一方安倍さんは、日本最強の権力者であると同時に、日本主流派のそれも中核に属する愛国者です。日本の傍流の国際派の、プー太郎的愛国者である筆者とは比べるのがアホらしいほどに格が違います。しかしながら愛国者の度合いにおいては彼と筆者のそれは何も違いません。筆者はその立ち位置から彼にもの申しているだけです。

これからも機会があれば、安倍さんへの批判記事や逆に「賞賛記事」でさえ恐れずに書いて行くつもりです。が、正直に言えばここまでに既に言いたいことの多くは言った気がしないでもありません。安倍首相ファンの皆さんのおしかりや反論は、それが匿名の卑怯者の咆哮ではない限り喜んでお受けしますが、意見の開陳は一つひとつの記事のみならず、これまでのいきさつも含めて考察した後にしていただければ有難い。

次にこれまでのいきさつに当たる記事のリンクを貼付します。できれば目を通していただきたいと思います。

http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52128918.html
http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52173441.html
http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52258325.html
http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52273203.html


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