名誉殺人という怪異も「多様性」として許されるべきか

筆者はイスラム教徒とイスラム過激派はまったく違うものであり、これを混同してはならない、といつも考えまたそう主張もしています。それに異議を唱える人はあまりいないと思います。ところが同時に、イスラム教の持つ極端な保守性が、過激派のテロリストと一般のイスラム教徒を同一のものに見せてしまうような事案ひんぱんに起こるのも事実です。たとえば次のような事件です。

先年、中東ドバイのビーチに家族で遊びに来ていた20歳の娘が波に呑みこまれ、助けを求める叫びに応えて居合わせた救助員2人が海に飛び込も うとしました。すると屈強な体格の娘の父親が彼らを力ずくで引き止めました。見ず知らずの男に触られたら娘が汚れる、そうなるくらいなら彼女は死んだほうがいい、 と暴力がらみで救助を拒み続け娘はついに溺れて死にました。

イスラム教徒が起こす類似の事件は欧州でも頻発します。少し前にはここイタリアでパキスタン人移民の娘が父親に喉を掻き切られて殺害され、遺体を庭に埋めら れました。犯行動機は娘が父親の意向に背いて「西洋風」に自由に生きようとし、挙句に「キリスト教徒の」イタリア人若者と付き合っている、というものでした。父親の兄弟が共犯者になりました。娘が西洋風に自由に生き、西洋人を恋人にまでしたのは、一族の名誉を汚す行為だからそれは名誉の殺人だと彼らは主張しました。

そうした凶悪事件ばかりではなく、親が娘に暴力を振るったり、イタリア人の友人を作ることを禁止したり、親の決めた相手との結婚を強制したりという横暴が 次々に明るみに出ています。移民社会におけるそうした女性虐待の流れの一つで、イタリア国内だけで年間2000件程度の強制未成年者結婚が行われていると推 定されています。この場合の犠牲者も全て女性です。似たような事件は欧米のそこかしこで発生しています。

犬が人に噛み付いてもニュースにはなりませんが、人が犬に噛み付けばニュースになる。異常な出来事だからです。イスラム教徒によるそれらの事件は、人が犬に噛 み付くケースと同様の異変です。従ってそれらを持ってすべてのイスラム教徒が同じだと考えてはならない、というのは理想的なあるべき態度です。しかし現 実はそううまくは運びません。

それらの異様な事件は、キリスト教徒(イスラム教徒と対立する)が多数を占める欧米社会に強い衝撃を与え、少数派のイスラム移民への偏見や差別を増幅させます。 そのことがひるがえって中東移民を主体とするイスラム社会の反発を招き、憎悪が憎悪を呼ぶ悪循環が繰り返されます。結果、欧米で生まれ育ったイスラム教徒の息子らが、テロを起こしたり中東のイスラム過激派に身を投じたりします。

欧米社会の良心ある人々は、歴史的に一貫して中東移民との融和を唱えて行動してきました。そして現在は事態が悪化するごとに危機感を覚えて、イスラム社会との対話をさらに強く模索しています。イスラム系移民への欧米側の偏見と差別は糾弾されて然るべきです。同時にイスラム系移民も自らが所属する欧米社会の文化を尊重し、郷に入らば 郷に従え、の精神で欧米社会に順応しようと懸命の努力をするべき、というのが欧州住民で且つ第3者的な立場にいる「日本からの移民」の筆者の意見です。

ドバイの事件もイタリアの事件も、根底にあるのは子供、特に女子を親の所有物でもあるかのように見なす時代錯誤な保守性です。それをほとんど未開性と呼 んでもかまいません。見知らぬ男に触れられた娘は傷物であり、従って売り物にならない、つまり嫁に行けない。それは一家の不名誉である。処女信仰も加わった イスラム特有の考え方は奇怪ですが、実はそうした考え方や風習はその昔、ヨーロッパにもまた日本にもあったものです。

今の日本では考えられないことですが、娘を物のように扱って遊郭に売り飛ばしたり、強制的に労働させたり結婚させたりしたのは、つい最近まで日本でも普通に あったことです。時期は違うものの西洋でも事情は同じでした。娘ばかりではありません。かつて子供は男女とも親の所有物でした。少なくとも親の所有物に近い存 在でした。子供が生まれながらにして一個の独立した存在であり人格である、と認めそのように社会通念を変えていったのは欧米人の手柄です。

われわれ日本人はイスラム圏の人々よりも一歩早くその恩恵にあずかって、子供、特に女子を親の思いのままに扱う野蛮な文化を捨てました。しかし何百年も続いた 習わしはそう簡単には消えません。日本社会に根強く残る女性差別、男尊女卑の風はその名残です。そればかりではありません。親が子供を自己の所有物と見なす風俗 さえも実は日本社会には残っています。それが如実に表れる例の一つが親子の無理心中です。自分が死んだ後に残される子供が不憫だ、という理由で親が子を道連 れにするのは、子供の人格を認めずに自らの所有物だとどこかで見なしているからです。

そこまで極端な例ではなくとも、日本社会には同じ陥穽におちいっている現象が多い。たとえば親子の間に会話がなく、思春期の子供が激しく親に反抗する事態なども 実はその遠因に子供を独立の人格と認めない、つまり自らの所有物と見なす精神構造が関係しています。幼児から子供を独立の人格と見なしていれば、親は子供と対等に対話をせざるを得ないし、ただひたすらに勉強しろ、いい大学に入れと問答無用に強制し続けることも無くなります。

今イタリアを含む欧米のイスラム系移民社会で起こっていることは、どこかで日本の過去にもつながっています。欧米の過去にもつながっています。欧米も日本も試行錯誤を重ねて「学習」し今の自由な社会を築きました。それはそこかしこに問題の多い、まだまだ不完全な自由社会ですが、少なくとも中東のイスラム教社会よりは進歩した社 会です。この進歩とは欧米的基準あるいは日本的基準で見る進歩です。従ってイスラム教徒がそれを進歩とは認めないと主張するなら、彼らがそう主張する 権利と自由を認めつつも、やはりこちらの社会の方が進歩している、とわれわれが宣言する進歩です。

イスラム系移民がその進歩した社会に適合する努力をすることと、彼らが自らの宗教を守りその教義を実践することとはいささかも矛盾しません。欧米社会はそこ でもまた不完全ながら、多様性を重視しようと日々努力をしています。イスラム教徒の信仰を認め尊重することを欧米社会はためらいません。しかしそれを他人に押 し付けようとしたり、自らの宗教を盾に欧米社会の価値基準に挑もうとする者は容赦なく排除しようとします。

宗教は個人的内面的なものであり、社会の価値基準は公共の財産である。もしも宗教が公共の社会的価値基準に抵触する行動や主張をしなければならない場合にはこれを慎む、ということが西洋社会における最重要な暗黙の合意事項です。それは無論、自らの神のみが絶対だと信じて疑わないイスラム教徒も当てはまります。しかしながら、イス ラム系移民はこのことを知らず、あるいは知っていてもルールを認めずに我を通そうとすることが多い、と自称「仏教系無神論者」の筆者などの目には映ります。

イスラム系移民のかたくなさは、たとえば先年テロに遭った仏風刺新聞シャルリー・エブドのジョークや風刺を受け入れない狭量にもつながります。シャルリー・エブドのイスラム風刺はもちろんイス ラム教徒への侮辱です。だが同時にそれは、違う角度から見たイスラム教やイスラム教徒やイスラム社会の縮図でもあります。立ち位置によって一つのものが幾つ もの形に見える、という真実を認めるのが多様性を受け入れるということです。そして多様性を受け入れない限り、欧米社会における中東移民と地元住民との融合はありえません。それはもちろん欧米側の住民にも求められていることです。

 

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イタリア人がベルルスコーニを許す理由(わけ)

 

2019年5月、イタリアの欧州議会議員選挙でベルルスコーニ元首相が率いる「フォルツァ・イタリア」は8議席を獲得しました。ベルルスコーニ氏自身も欧州議会議員に名を連ねました。2013年に脱税で有罪判決を受けて以来、初の公職復帰です。

元首相は少女買春容疑等を含む数々の醜聞や訴訟事案を抱えながらも、1994年から約20年に渡ってイタリア政界を牛耳り、首相在任期間は4期9年余に及びました。2011年に失脚しその2年後に議員資格を剥奪されてからも、自身が率いるFI(フォルツァ・イタリア)党の党首として居座り続けてきました。

他の先進民主主義国ならありえないようなデタラメな言動・行跡に満ちた彼を、なぜイタリア国民は許し、支持し続けるのか、という疑問が国際社会では良く提起されます。その答えは、世界中のメディアがほとんど語ろうとしない、一つの単純な事実の中にあります。

つまり彼、シルヴィオ・ベルルスコーニ元イタリア首相は、稀代の「人たらし」なのです。日本で言うなら豊臣秀吉、田中角栄の系譜に連なる人心掌握術に長けた政治家、それがベルルスコーニ元首相です。

こぼれるような笑顔、ユーモアを交えた軽快な語り口、説得力あふれるシンプルな論理、誠実(!)そのものにさえ見える丁寧な物腰、多様性重視の基本理念、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさ、などなど・・・元首相は決して人をそらさない話術を駆使して会う者をひきつけ、たちまち彼のファンにしてしまいます。

彼のそうした対話法は意識して繰り出されるのではなく、自然に身内から表出されます。彼は生まれながらにして偉大なコミュニケーション能力を持つ人物なのです。人心掌握術とは、要するにコミュニケーション能力のことです。従って元首相が、人々を虜にしてしまうのは少しも不思議なことではありません。

元首相はそのコミュニケーション力で日々顔を合わせる者をからめ取ります。加えて彼の富の基盤である、自身が所有するイタリアの3大民放局を始めとする巨大情報ネットワークを使って、実際には顔を合わせない人々、つまり視聴者まで取り込んで味方にしてしまうのです。

イタリアのメディア王とも呼ばれる元首相は、政権の座にある時も在野の時も、ひんぱんにテレビに顔を出して発言し、討論に加わり、飽くことなく政治主張をし続けてきました。有罪判決を受けて以降も、彼はあらゆる手段を使って自らの潔白と政治メッセージを明朗に且つ雄弁に申し立ててきたのです。

しかしながら彼の明朗や雄弁には、負の陰もつきまとっています。ポジティブはネガティブと常に表裏一体なのです。即ち、こぼれるような笑顔とは軽薄のことであり、ユーモアを交えた軽快な口調とは際限のないお喋りのことであり、シンプルで分りやすい論理とは大衆迎合のポピュリズムのことでもあります。

また誠実そのものにさえ見える丁寧な物腰とは、偽善や隠蔽を意味し、多様性重視の基本理念は往々にして利己主義やカオスにもつながります。さらに言えば、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさは、徹頭徹尾のバカさだったり鈍感や無思慮の換言である場合も少なくありません。

そうしたネガティブな側面に、彼の拝金主義や多くの差別発言また人種差別的暴言失言、少女買春、脱税、危険なメディア独占等々の悪行を加えて見れば、恐らくそれは、イタリア国民以外の世界中の多くの人々が抱いている、ベルルスコーニ元首相の印象とぴたりと一致するのではないでしょうか。

それでもイタリア国民は彼を許し続けています。その証拠に彼は政界で命脈を保ち、先日は欧州議会議員にさえ選ばれました。ポジティブ志向のイタリア国民は、元首相のネガティブな側面よりも彼の明朗に多く目を奪われます。短所はそれを矯正するのではなく、長所を伸ばすことで帳消しにできる、とイタリア国民の多くは信じています。短所よりも長所がはるかに重要なのです。

例えばこういうことです。この国の人々は全科目の平均点が80点のありふれた秀才よりも、一科目の成績が100点で残りの科目はゼロの子供の方が好ましい、と考えます。そして どんな子供でも必ず一つや二つは100点の部分があるから、その100点の部分を120点にも150点にものばしてやるのが教育の役割だと信じ、またそれを実践しようとします。

具体的な例を一つ挙げます。ここに算数の成績がゼロで体育の得意な子供がいるとします。すると親も兄弟も先生も知人も親戚も誰もが、その子の体育の成績をほめちぎり心から高く評価して、体育の力をもっともっと高めるように努力しなさい、と子供を鼓舞するのです。

日本人ならばこういう場合、体育を少しおさえて算数の成績をせめて30点くらいに引き上げなさい、と言いたくなるところでしょうが、イタリア人はあまりそういう発想をしません。要するに良くいう“個性重視の教育”の典型です。醜聞まみれのデタラメな元首相をイタリア人が許し続けるのも、子供の教育方針と似た理由からです。

元首相は未成年者買春や収賄や脱税などの容疑にまみれた男である。同時に彼は性格が明るく、コミニュケーション能力に長け、一代で巨万の富を築いた知略を持つ傑出した男でもある。ならば後者をより重視しよう、という訳です。繰り返しになりますが、短所を言い募るのではなく長所を評価するべき、と考える人が多いのです。

実はそこには「過ちや罪や悪行を決して忘れてはならない。しかしそれは赦されるべきである」 というカトリック教の「赦し」の理念も強く作用していると筆者は思います。人々は元首相の負の側面を決して忘れてはいない。忘れてはいないがあえてそれを赦して、彼のポジティブな要素により重きをおいて評価をしている、とも考えられるのです。

しかし、イタリア人の忍耐と寛容にももちろん限界があります。元首相はかろうじて彼の政治生命を保っていますが、コアな支持者を別にすれば、多くの国民が時間と共に元首相に見切りをつけています。彼が率いる政党への支持率が年々落ち込んでいるのがその証拠です。議員として返り咲いた元首相ですが、再び乱行を重ねれば、さすがの慈悲深いイタリア国民も今度こそ完全にそっぽ向いてしまうことでしょう。

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美味いヤギ料理はいつも世界一に見える

 

2019年6月、イタリア・サルデーニャ島でバカンスを過ごしました。前年と合わせて2年連続での同島への休暇旅になりました。自然が豊かなサルデーニャ島では、名所旧跡巡りよりもビーチで過ごす時間や食ベ歩きが主な楽しみになります。

サルデーニャ島の、いわばソウルフードともいうべき深みのある郷土食また伝統食は、肉料理です。島でありながら魚料理よりも肉料理が充実したのは、外敵の侵略にさらされ続けた島人が、内陸部に逃げ込んで定住した歴史があるからです。

島の肉料理の素材は、豚・牛・鶏・羊・山羊・馬・猪・鹿・驢馬等々です。驢馬を別にすればそれらの食材は欧州ではありふれたもの。また驢馬肉はサルデーニャ島でも珍しい部類の食品です。ひんぱんには見られるものではありません。

サルデーニャ島の有名肉料理にポルケッタ(島語ではporceddu=ポルチェッドゥ)があります。つまり子豚の丸焼き。乳飲み子豚が最高級品とされます。また牛、豚、羊、ヤギなどは肉以外の内臓や器官もよく食べられます。ポルケッタを別にすれば、筆者は島のヤギ及び羊料理が好きです。

牧羊が盛んな島なのでヤギ肉や羊肉(以下=ヤギ・羊肉)も良く食べられていますが、豚や牛や鶏肉などに比較すると目立たちません。通常食材の豚・牛・鶏肉が多く食べられるのは、島が「イタリア本土化」し、経済的に豊かになったからです。かつては ヤギ・羊肉 は島の食文化の中心にありました。

島の「イタリア本土化」つまり島の近代化は、魚介料理の発達ももたらしました。魚料理は昔からもちろん島にはありました。しかし現在の豊富な魚介膳は、イタリア本土の金持ちバカンス客らによって導入された側面が大きい。そしてリゾート地としての同島の中心食は、今や海鮮料理なのです。

四方が海の島だけにサルデーニャの海産物は新鮮です。新鮮であれば魚介は何でも既に美味い。刺身が美味いのがその証拠です。そこにさらに、本土由来の豊穣なイタリア料理のレシピが導入されたのですから、島の魚介膳が飛躍的に発展したのもうなずけます。

特に魚介を使ったパスタは今では、イタリア全国でも屈指の美味さを誇るほどになりました。筆者は島ではいつものように肉料理、中でもヤギ・羊肉料理を探し求めましたが、同時に魚料理も積極的に食べました。ただ魚料理といってもメインコースではなく、魚介パスタのファーストコースが主でした。

今回旅ではアサリとボッタルガ(カラスミの一種)をはじめとするミックス魚介のパスタに見るべきものが多くありました。秀逸な具材の組み合わせと味付けは、舌の肥えたバカンス客を相手にすることが多い、サルデーニャ島のレストランならではの品々だと痛感しました。

だが実は筆者は昨年、よく似た種類のパスタで最悪の味の一皿に同じサルデーニャ島で出会っています。その店の顧客は多くが北欧や旧共産主義圏のバルカン半島からの観光客でした。彼らは食物の味におおらかで、イタメシなら何でも美味い、と思い込んでいるとも評価されます。

それが理由の一つなのかどうか、その店のアサリとボッタルガのスパゲティは両方とも水っぽく、具材の良さが完全に失われた粗悪な一品でした。パスタの本場のイタリアでは麺料理はほぼ常に美味い。それだけに店の不手際は少し異様にさえ見えました。

今年は魚介の美味い店に多く行合いましたが、肉料理には当初は見るべきものがありませんでした。それでも情報を集めてポルケッタが美味いと評判のアグリツーリズモにたどり着きました。しかしそこの料理の味は、昨年食べたポルケッタには遠く及びませんでした。

昨年は島の北部のレストランで、サルデーニャ本来の少し風変わりだが濃厚な味の肉料理を堪能しました。しかし今回は勝手が違うようなので同じ雰囲気の店を探すことは諦め、それ以後はイタリア本土が起源の、だが島独自の要素もふんだんに盛り込んだ、海鮮料理に的をしぼって食べ歩くことにしました。

 

前述のように魚介の店は、ハズレがほとんどない場所の連続でした。その中でも海辺のレストランで食べた、上の写真のアサリ&ボッタルガのスパゲティが超一級品でした。やはり昨年、似たような立地のビーチレストランで食べたパスタとは、似ても似つかない素晴らしい味だったのです。

滞在先に近い島の中心都市カリャリにも足を伸ばしました。そこでは昨年のサルデーニャ肉料理店と良く似た体験をしました。想定外のおどろきのヤギ肉料理に出会ったのです。成獣のヤギ肉をサフランで煮込んだ一皿で、昨年の一大発見である「 羊の成獣の骨付き焼肉 」に勝るとも劣らない風味を閉じ込めた絶品でした。

冒頭の写真がそれです。見た目は、例えば沖縄のヤギ汁から汁だけを取り除いたような一品ですが、味わいはヤギ汁とは雲泥の差のある極上、且つ上品なものでした。上質なヤギ・羊肉料理の常で、独特の豊かな風味は残しながら、それらの肉の最大の欠点である異臭がきれいさっぱり消し去られていました。

ヤギや羊の成獣の肉には、独特の臭気という深刻な障害があります。そこで出色の店は、ハーブや香辛料やワインや酢やリキュール等々を駆使して肉をさばいて臭みを消します。その店ではサフランに加えて、おそらくワインも併用して見事に消臭を成し遂げていました。

ヤギと羊の成獣肉には肉質が非常に硬いという難点もあります。成功した調理法では、異臭を消すと同時に、肉も柔らかく且つ上品な歯ごたえに改良されているケースがほとんどです。筆者が知る限りでは舌触りも必ずまろやかになっています。むろんその店の仕上がりも同様でした。

ヤギ肉のサフラン煮込みとは正反対のサプライズもありました。子羊の骨付き肉のローストを頼んだところ、肉がタイヤのように硬くて、ナイフで切り分けるのも一苦労、という信じがたい代物が出てきたのです。ようやく切り分けて口に含むとやはり異様に硬い。

味は、ま、普通の味でしたが、肉質の硬さが料理を完全にぶち壊しにしていました。成獣肉のサフラン煮込みという見事なレシピを編み出したシェフが、なぜこんなにも粗悪な料理を提供するのか、と筆者は不審になりました。よほどクレームを入れようかと思いましたが、やめにしました。

子羊肉はサルデーニャでは秋から春が旬の食材、という話を思い出したからです。牧羊が盛んなサルデーニャ島では、子羊料理が一年中食べられると思い込んでいた筆者は、再び昨年、子羊料理は季節限定の品だとレストランで告げられてひどくおどろいた経験があります。

冷凍技術が発達した現在では、子羊肉はイタリアでは一年中出回っています。ましてや牧羊が活発なサルデーニャ島なのだからいつでもどこでも食べられると思ったのです。だが牧羊が盛んで羊肉を良く知っているからこそ、サルデーニャの人々は新鮮な子羊肉にこだわる、ということのようでした。

間違った季節に子羊料理を注文した自分が悪い、と筆者は思い直しました。ヤギ成獣肉のサフラン煮込みのあまりの美味さが、子羊料理のガッカリ感を吹き飛ばしていたこともあります。また最高と最悪の味が同居している島の食環境は面白い、という思いもありました。

昨年は最悪の味のアサリとボッタルガのスパゲティを食べました。今年は一転して、妙妙たる口当たりのアサリ&ボッタルガのパスタに出会いました。そして今、超ド級の味覚のヤギ成獣肉を頬張りながら、木切れのように味気ない子羊肉を咀嚼している。実に面白い、と筆者はひとり密かにつぶやきました。

そうやって筆者のヤギ・羊肉料理体験記には、また一つ「世界一」と格付けしたくなる極上レシピがリストに加えられました。そのリストは実は、子ヤギ・子羊料理のランク付けとして始まったものですが、いつの間にかヤギ・羊の「成獣肉」料理の一覧になりつつあります。

ヤギ・羊の成獣肉は、子ヤギ・子羊の肉よりもはるかに臭気が強く肉質も硬い。従って料理の切り盛りも幼獣肉のそれよりずっと難しい。良く言えば珍味、どちらかと言えば“ ゲテモノ ”の部類に入るであろうヤギ・羊の成獣肉を、目覚ましい食材に変貌させるシェフたちの意気と技量に、筆者は大いに感じ入ることが多くなりました。

 



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ベニスを見てから死ね

ベニスは街の全体が巨大な芸術作品と形容しても良い場所です。

その意味では、街じゅうが博物館のようなものだと言われる、ローマやフィレンツェよりもはるかに魅力的な街です。

なぜなら博物館は芸術作品を集めて陳列する重要な場所ではありますが、博物館そのものは芸術作品ではないからです。

博物館、つまり街の全体も芸術作品であるベニスとは一線を画すのです。

ベニスは周知のように、何もない海中に人間が杭を打ちこみ石を積み上げて作った街です。 

そこには基本的に道路は存在しません。その代わりに運河や水路や航路が街じゅうに張り巡らされて、大小四百を越える石橋が架かっています。

水の都とは、また橋の都のことでもあるのです。

ベニスの中心部には自動車は一台も存在せず、ゴンドラや水上バスやボートや船が人々の交通手段となります。

そこは車社会が出現する以前の都市の静寂と、人々の生活のリズムを追体験できる、世界で唯一の都会でもあるのです。

道路の、いや、水路の両脇に浮かぶように建ち並んでいる建物群は、ベニス様式の洗練された古い建築物ばかり。

特にベニスの中心カナルグランデ、つまり大運河沿いの建物はその一つ一つがい謂(いわ)れのある建物群。全てが歴史的建造物。

それぞれの建物は、隅々にまで美と緊張が塗りこめられて大運河の全景を引き立て、それはひるがえって個別の建築物の美を高揚する、という稀有(けう)な街並みです。 

しかしこう書いてきても、ベニス独特の美しさと雰囲気はおそらく読む人には伝わりません。

 ローマなら、たとえばロンドンやプラハに比較して、人は何かを語ることができます。またフィレンツェならパリや京都に、あるいはミラノなら東京やニューヨークに比較して、人はやはり何かを語ることができます。

ベニスはなにものにも比較することができない、世界で唯一無二の都会なのです。

唯一無二の場所を知るには、人はそこに足を運ぶしか方法がありません。

足を運べば、人は誰でもすぐに筆者の拙(つたな)い文章などではとうてい表現し切れないベニスの美しさを知ります。

ナポリを見てから死ね、と良く人は言います。

しかし、ナポリを見ることなく死んでもそれほど悔やむことはありません。

ナポリはそこが西洋の街並みを持つ都市であることを別にすれば、雰囲気や景観や人々の心意気といったものが、たとえば大阪とか香港などにも似ています。

つまり、ナポリもまた世界のどこかの街と比較して語ることのできる場所なのです。

見るに越したことはないが、見なくても既に何かが分かります。

ベニスはそうはいかない。

ベニスを見ることなく死ぬのは、世界がこれほど狭くなった今を生きている人間としては、いかにも淋しいことです。

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地中海のカモメがつぶやいた

昨年に続き地中海のサルデーニャ島でひと足先にバカンスを過ごしました。6月の地中海の気温は高く、だが風は涼しく空気は乾いてさわやかでした。

日本語のイメージにある地中海は、西のイベリア半島から東のトルコ・アナトリア半島を経て南のアフリカ大陸に囲まれた、中央にイタリア半島とバルカン半島南端のギリシャが突き出ている海、とでも説明できるでしょうか。

日本語ではひとくちに「地中海」と言って済ませることも多いのですが、実はそれは場所によって呼び名の違う幾つかの海域から成り立っていて、イタリア語を含む欧州各国語で言い表される地中海も、もっと複雑なコンセプトを持つ言葉です。

地中海にはイタリア半島から見ると、西にバレアス海とアルボラン海があり、さらにリグリア海があります。東にはアドリア海があって、それは南のイオニア海へと伸びていきます。

イタリア半島とギリシャの間のイオニア海は、ギリシャ本土を隔てて東のエーゲ海と合流し、トルコのマルマラ海にまで連なります。それら全てを合わせた広大な海は、ジブラルタル海峡を通って大西洋にあいまみえます。

地中海の日差しは、北のリグリア海やアドリア海でも既に白くきらめき、目に痛いくらいにまぶしい。白い陽光は海原を南下するほどにいよいよ輝きを増し、乾ききって美しくなり、ギリシャの島々がちりばめられたイオニア海やエーゲ海で頂点に達します。

乾いた島々の上には、雲ひとつ浮かばない高い真っ青な空があります。夏の間はほとんど雨は降らず、来る日も来る日も抜けるような青空が広がっています。

さて、エーゲ海を起点に西に動くとギリシャ半島があり、イオニア海を経てイタリア半島に至ります。その西に広がるシチリア島を南端とする海がティレニア海です。

地中海では西よりも東の方が気温が高くより乾燥しています。そして筆者が2年連続でバカンスを過ごしたサルデーニャ島は、地中海のうちでも西方に当たるティレニア海にあり、一方でギリシャの島々の多くは東方のエーゲ海に浮かんでいます。

サルデーニャ島よりもさらに気温が高く空気も乾いているギリシャの島々では、目に映るものの全てが透明感を帯びていて、その分だけ海の青とビーチの白色が際立つように見えます。

ギリシャの碧海の青は、乾いた空気の上に広がる空の青につながって融合し一つになり、碧空の宇宙となります。そこには夏の間、連日、文字通り「雲ひとつない」時間が多く過ぎます。

カモメが強風に乗って凄まじいスピードで真っ青な空間を飛翔します。それはあたかも空の青を引き裂いて走る白光のようです。

サルデーニャ島とギリシャの島々の空と海とビーチの空気感を敢えて比べて見れば、エーゲ海域をはじめとするギリシャの方がはるかに魅力的です。

サルデーニャ島の海やビーチは言うまでもなく素晴らしい。またサルデーニャ島の海上にもカモメたちは舞い、疾駆します。しかし白い閃光のような軌跡を残す凄烈な飛翔は見られません。

上空に吹く風が弱いためにカモメの飛行速度が鈍く、また空にはところどころに雲が浮かんでいて、青一色を引き裂くような白い軌跡は、雲の白に呑み込まれて鮮烈を失うのです。

そうした光景やイメージに、それ自体は十分以上に乾燥しているものの、ギリシャに比較すると湿り気を帯びているサルデーニャ島の環境の「空気感」が加わわります。

それらのかすかな違いが重なって、どこまでもギリシャを思う者の心に、サルデーニャ島の「物足りなさ」感がわき起こります。それは超一級のバカンス地であるサルデーニャ島にとっては、少し理不尽な物思いといわなければなりませんが。

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