イタリアの宿命~多様性とカオスと

新聞に次の趣旨の短いコラムを書きました。

 

~イタリアの宿命~

イタリア政府は、欧州の新型コロナ対策では最も長く最も厳しいロックダウンを、6月3日に全面解除すると発表した。

人々の動きが自由になり店やレストランや工場やオフィスなど、ビジネスの全てが解禁される。EU域内からの外国人の入国も許可される。

ただし新型コロナウイルスの感染拡大が再確認されれば、即座にロックダウンに移行する、という条件付きである。

イタリアでは2月21日~23日にかけて感染爆発が起き、たちまちコロナ地獄に陥った。

ウイルスとの長い厳しい戦いを経てイタリアは危機を抜け出しつつある。だが依然として死者数も感染者数もゼロではない。

一方、状況が劇的に改善していることもまた事実だ。

それを受けてのロックダウン解除だが、実施前の特に週末には、イタリア中の街や海やその他の歓楽地に人々がどっと繰り出して、良識ある国民の警戒心を一気に高めた。

北部イタリアのいくつかの街はただちに繁華街を閉鎖さえした。

それとは逆に感染者の少ない南部イタリアのナポリ市長は、歓楽街や施設は閉鎖するよりも開放するほうが人が密集しないから安全、という屁理屈を持ち出して人々の行動を擁護した。

さまざまな意見や主張や行動様式が乱舞するのが、多様性に富むイタリア社会の良さであり強みである。

多様性は人々に精神の解放をもたらし発想の自由を鼓舞する。

誰もが自説を曲げずに独自の道を行こうと頑張る結果、イタリアにはカラフルで多様な行動様式と、あっとおどろくような 独創的なアイデアが国中にあふれる。

だがそれは時として社会的な混乱ももたらす。多様性を死守しつついかにしてカオスを抑えるか。イタリア共和国の永遠の課題である。それはコロナ危機の中でも変わらない。

 

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ロックダウン解除の泣き笑い

つい最近まで世界最悪の新型コロナ被害国だったイタリアも落ち着いて、通常化へ向けて歩みを始めました。しかし問題は尽きません。

6月3日に予定されているロックダウンの「ほぼ全面解除」を前に、厳しい外出禁止策に疲れ果てた人々が、大挙して街や海やその他の歓楽地に繰り出して物議をかもしたりしています。

マスクの着用や対人距離の確保などの感染予防も忘れて、はしゃぐ人々の様子は欧州で最初の且つ最も長かったロックダウン策の過酷を物語っています。

9割以上のイタリア国民が支持してきたロックダウンですが、人々の心と体への負担は耐えがたいレベルにまで達しています。

欧米のひいては世界のロックダウン策と、そこからの出口策の多くは、イタリアが先鞭をつけました。

イタリアはロックダウンの施行法を中国に倣いましたが、民主主義国家ですので一党独裁国の強権的手法をそのまま用いることはできず、あくまでも民主主義の枠組みの中で敢行しました。

その意味でイタリアの先駆けは画期的なものでした。他の欧米諸国が一斉にそれに倣ったのも肯けます。

ひとつ付け加えておけば、イタリアのロックダウン策は国内外から「国民の自由行動を保障する憲法に違反している」とさえ批判されました。

ところが中国政府の専門家は、イタリアのロックダウンは「生ぬるい」と斬って捨てました。独裁国家では権力は、人権も自由も民意も全て無視して思いのままに何でもできますから、そんな発言ができるんですね。

イタリアにおける突然の感染爆発。それを受けての前代未聞のロックダウン。また医療崩壊の悲惨などは、日本でも逐一報道されていました。

しかし感染爆発の連鎖がスペインからフランス、ドイツ、やがてイギリス、アメリカと伝播するに従って、日本の報道はたちまち仏独英米に移りイタリアは忘れ去られました。

欧州は英独仏が中心、また日本の「宗主国」はアメリカ、という報道界(日本国民)の思い込みが露骨に出ました。いつものことです。

ただ筆者は、映像キュメンタリーが専門ではありますが、報道番組も多く手がけてきましたので、「報道の偏向体質」の担い手のひとりでもあります。

したがって日本の報道や報道姿勢、またその担い手などを批判する場合には、常に自戒の意味も込めて発言していることは付け加えておきます。

新聞テレビSNSなどにあふれるそれらの「偏向報道」を監視しつつ、筆者はイタリアに居を構え且つイタリア-特にその多様性-を愛する者としての役目も意識しています。

つまり、一貫してこの国の情報を流し続けることです。その意味も込めて、新型コロナ関連では、欧州の中でもまずイタリアの情報を優先させて発信しています。

イタリアは3月10日に導入したロックダウンを、5月4日を皮切りに段階的に緩和し始めました。それはおよそ一週間単位で拡大されてきています。

政策は今のところはうまく行っています。感染の拡大も抑えられています。いうまでもなくウイルスとの闘いは続きますが、かつてのイタリアの惨状は過去のものになりつつあります。

そこでイタリア政府は先日、「感染拡大が再燃すれば即座にロックダウンに戻る」ことを条件に、6月3日をもってロックダウンを全面解除する、と発表しました。

すると前述の如く、人々が解除の10日も前の特に週末などに、一斉に自宅から飛び出しては遊びほうけ、大騒ぎになったりしているのです。

残念ながら新型コロナとのイタリアの闘いは全く終わってなどいません。感染流行第2波への警鐘はけたたましく鳴り響いたままです。

そうした状況なども勘案して、 イタリア政府は 各州間の人の移動に規制をかけ続けることも検討しました。しかし5月29日夜、 予定通り6月3日に全面解除すると決定しました。

ちなみにロックダウンの解除日が、6月1日の月曜日ではなく6月3日の水曜日とされているのは、間の火曜日がイタリア共和国記念日になっているからです。

第2次大戦後の1946年6月2日、イタリアでは国民投票により王国が否定されて、現在の「イタリア共和国」が誕生しました。以来その日は共和国記念日となっています。

共和国記念日は祭日です。そこで週末と旗日の火曜日に挟まれた月曜日も休みにして、5月30日から6月2日までの4日間が連休。その連休が明ける6月3日が解禁日と決まりました。

                           

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コロナ忙中の閑

イタリアが世界最悪の新型コロナ被害地だった頃から今日にかけて、心穏やかでいたつもりでしたが、やはりCovid-19の悪影響から完全に自由ではいられなかったようです。

その痕跡は、ここまでテーマを新型コロナ一色に絞って書き綴って来た記事やコラムその他の文章の内容に如実に示されています。

加えて、移動規制が緩和された今でさえ、外出をひどく億劫に感じたりするのも、恐らくコロナの障りに違いありません。

菜園管理にも悪影響が出ました。筆者は例年3月始めころに果菜類を主体にプランターで育苗をして、4月に直播きの野菜と前後して菜園に移植しますが、ことしはまったく育苗をする気になれませんでした。

それでも小さな畑に耕運機を入れて土起こしだけはやりました。そのあと、ようやく4月の20日前後に、菜園のかなりの部分にサラダ用野菜の混合種をびっしりと蒔きました。

野菜が隙間なく生い茂れば、一部を収穫して普通にサラダとして食べ、残りは雑草の抑えとしてそのまま茂るにまかせるつもりでした。

菜園では、農薬も化学肥料も使わない有機栽培を実行していて、雑草が繁茂し虫が湧きます。雑草には特に苦労しています。

そのせいもあって、以前から生食用の野菜を一面に育てて雑草の邪魔ができないか、と考えていました。それが土にどんな影響を与えるかは知りませんが、とうとうことし実行してみました。

5月になるとミックスサラダの新芽が生い茂りました。雑草の害も明らかに少ない。気をよくしつつ一部を収穫して食べるうちに、ふつうに菜園管理への意欲がわいてきました。

先日、苗屋に行ってみました。人々はロックダウン中もきちんと仕事をしていて、りっぱな苗が育っていました。ロックダウンのため店は半ば閉まっていますが、訪ねてくる客には販売もしているという。早速トマト、ピーマン、ナス、ズッキーニ、胡瓜、また少しのハーブ苗を購入しました。

ことしは毎年自分で育苗をするトマトも育てなかったので、夏以降に行うトマトソース作りも中止、と考えていました。それだけに苗屋で新芽を手に入れることができ心が躍りました。トマトソースは毎年大量に作って友人らにも裾分けするのが筆者の習いです。

トマトは購入した苗に加えて、昨年の落実から菜園で自然に芽吹いた苗も育ててみることにしました。両方がうまく育てば、結局いつもの年よりも多目のトマトソースができることになるでしょう。

ところで日本人の中には、トマトソースをイタリア料理の基本と考える人もいるようですが、それは誤解です。イタリア料理では確かにパスタやピザや煮込みなどにトマトソースがよく使われます。

とはいうものの、トマトソースはイタメシの基本でもなければ主体でもありません。あくまでも料理素材の一部に過ぎないのです。

もっとも筆者はトマトソースに塩、胡椒のみを加えて、そのまま煮ただけでも美味しいと感じます。そのため他の素材にからめて料理をするばかりではなく、ソースそのものもふつう以上によく食べますが。

菜園では、いたるところに蒔いたサラダが生い茂ったおかげで、いつもよりもあきらかに雑草が少なくなっています。今後は毎年同じことをやってみようか、と思い始めました。

それをやれば連作障害が起きる懸念があります。が、しつこくて始末に困るある種の雑草の成長をブロックできるなら、それでも構わないのではないか、とも考えます。実際のところはどうなのでしょうか。



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イタリアの初動は間違っていたのか

《3月初旬執筆記事》

イタリアの感染者が極端に多いのは、ウイルス検査が厳しく実施されているという面もありますが、いずれにしても感染者が多いことには変わりはありません。今後欧州の国々で検査が多数行われれば、感染者の数も増えることは必至でしょう。

イタリアには世界に先駆けて中国便をシャットアウトした政府の果断な処置を、パフォーマンスを重視しただけの失策、と批判する声もあります。それよりも第1号患者を隔離する処置こそ優先されるべきだった、と批判者は言います。それは第1号患者が多くの人にウイルスを移してしまったことへの不満が言わしめる言葉ですが、決して間違ってはいません。

とはいうものの、中国便を即座に排除していなければ、イタリアの状況はさらに悪いものになっていたでしょう。少なくともその措置そのものが悪影響を及ぼした事実はありません。第1号患者を隔離しなかったのは、中国便の全面禁止措置とはまた別の問題であり論点です。

批判者はまた、第1号患者が引き起こした集団感染が明らかになるや否や彼の住む町と周辺地域をイタリア政府が直ちに封鎖し、学校や図書館などの公共施設も閉鎖かつレストランやカフェなどの営業も禁止あるいは規制するなどした、スピーディな動きにも不満をもらします。

集団感染が起きたこと自体が、失策だというのです。だが38歳の第1号患者には中国への渡航歴はありませんでした。そのために新型コロナウイルス感染者とは見なされず、普通のインフルエンザ患者として扱われて感染が拡大してしまいました。

むろんそのこと自体は決してほめられるべきことではありません。が、当時イタリアでは、中国人旅行者夫婦と武漢から帰国したイタリア人若者1人の合計3人が感染確認されているに過ぎず、しかも彼らは集団感染が起きた北イタリアの町からは遠い首都ローマで隔離、治療を受けていました。

そうした状況の中で、後に第1号のCOVID-19患者と判明する38歳の男が、インフルエンザらしい症状で入院したのです。そして不幸にも彼から無防備だった医療スタッフに新型コロナウイルスが移る院内感染が起きてしまいました。のみならず彼は、入院以前に既に、彼の妻を含む身近な人々にもウイルスを移してしまっていました。

後に「巨大事件」の始まりだったことが明らかになる北イタリアの小さな町のエピソードと経緯(いきさつ)を、病院のひいては政府の失策と決め付けるのは筋違い、と筆者の目には映ります。ジュゼッペ・コンテ政権が、11の自治体を速やかに丸ごと封鎖して戒厳令並みの厳しい監視下に置いたのは、決して間違いではありません。

間違いは中国の「一帯一路」構想への政権の対応であり、それは医療や危機管理ではなく政治判断の誤りです。たとえ遠回しにしろ封鎖隔離を批判するのは、その厳しい管制下でじっと我慢をし、今も我慢を続けている5万人の住民への侮辱、とさえ言えます。

いわば不可抗力とも言える、第1号患者を発端とする集団感染の拡大とは別に、初動に大きな間違いがあったとすれば、第1号患者にウイルスを移した0号患者がついに発見できなかったことでしょう。彼は前者と共に、あるいは彼以上の勢いで人々を感染させた可能性もあります。

また、第一号患者のほかに、当時イタリア中に多くいた中国人観光客やビジネスマン、また文化・観光イベント関連の多くの中国人スタッフの中にウイルスに感染した人々がいて、そこからも同時に感染が広まった可能性もあります。それらの見えない感染者は全て0号患者です。少なくとも0号患者と同じミステリアスな存在です。

爆発的な感染が次々と発生している今となっては、真の0号患者を含むそれらの「0号患者たち」を確定することはもはや不可能です。将来の研究ではあるいは明らかにされるのかもしれませんが。ともあれ今この時は、もはや0号患者は重要ではなく、感染爆発の阻止が最大の課題であることは言うまでもありません。

 

 

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例外だらけの法律は例外のない法律と同じ喜劇だ

イタリア政府は、欧州で最も長く且つ最も厳しい新型コロナ対策・ロックダウンを、6月3日に全面解除すると発表しました。人々の動きが自由になり店やレストランや工場やオフィスなど、ビジネスの全てが解禁されます。EU域内からの外国人の入国も許可されます。

つまり、新型コロナウイルスの感染拡大が確認されれば、ただちにロックダウンを再導入する、という段階的解除の度に付けられてきた条件と同じ要項を別にすれば、ほぼ全ての社会経済生活の営みが新型コロナ以前に戻る、ということです。

最新のイタリア政府の施策の根本は上記のようになっていますが、実はここ数日は、ロックダウン解除に向けての政府の方針の細部はめまぐるしく変わっています。

特にレストランやビーチ施設や美容院などの営業再開に向けての緩和基準が、早い再開を要求する事業者自身や、彼らを後押しする野党議員や経済人などの口出しで揺れにゆれています。

ひとつの典型的な例がレストランのテーブルの設定条件です。感染は始まったもののロックダウンがまだ導入されなかった頃の規則では、テーブルとテーブルの間を最低1メートル以上空けること、とされました。

その規則は感染拡大が進むに従って厳しくなり、すぐに1、5メートルと改められて次には2メートルなどとも言われました。カフェやバールなどで立ち飲みをする際の、人と人の間隔も似たようなものでした。

ところがその規定は、ロックダウンが解除されて営業を再開する際には、テーブルは4メートル四方内に1セットだけ設定すること、とされました。たった一つのテーブルのために4メートル四方ものスペースを割けというのは、小規模店は営業するな、と言うにも等しい厳しい条件です。

感染のリスクが低くなるように、店の外にテーブルを設置しての営業を促す意味合いも、それにはあったように見えます。店の外なら密閉また密集することが少なくなりますから、感染防止対策上の理想の形です。

しかしながら全てのレストランが、店の外に自由に使えるスペースを有しているとは限りません。むしろそうではない店のほうがはるかに多いでしょう。

案の定、狭いスペースしか持たないレストランをはじめとする飲食店から激しいブーイングが起こりました。すると当局は早速、テーブルとテーブルの間に一定以上の以上の間隔を空けること、と修正しました。

そうした混乱に加えて、資金不足や解雇した従業員の再雇用ができないなどの理由で、店を再開できないケースも多くなると見られています。一事が万事そんな具合です。営業再開に向けてはまだまだ紆余曲折がありそうです。

イタリアでは法律や法令や自治体の条例などが、施行された後でふいに変わるのは日常茶飯事です。それらの規則の試行(Prova)期間というものがあって、実際に運用した上で不都合があればさっさと変更されます。

それはきわめて現実的で柔軟な制度です。しかし、はたから見ている者の目には、いつものイタリアのカオスや混乱やいい加減さが顕現したもの、と映りがちです。つまり例外だらけの法律。それは例外のない法律と同じ程度の悲劇であり喜劇です。

だがそれほど悪いシステムとも思えません。法律や規則は人間が作り人間に適用されるものです。実際に施行してみて、人間と人間の関係性に不都合が生まれるならさっさと改訂し、再びトライしてはまた改善すれば良いのではないか。

イタリア社会の典則のほとんどは官僚に支配されています。官僚制度の複雑さ奇怪さは、日本以上に目に余るものがあります。社会機能を停滞させる悪しき仕組みでさえあります。ところが同じその体系が、いま述べたように新しく施行される法令等の修正や改定にはとても身軽です。

それは混乱であると同時にフットワークが良いとも形容できる仕組み。カトリックの古い体質と価値観が、インターネットを駆使する若い政治勢力「五つ星運動」と併存する国、イタリアならではの光景です。筆者はいつものことながらため息をついたり感心したりするのみです。

6月3日をもってイタリアのロックダウンの全面解除が実施されるのは、今後「感染拡大の第2波が襲わない限り」間違いありません。しかしその中身の詳細は日々変化していくことが予想されます。

そんなわけで、今日ここに記した内容が明日には変わっている、という事態が今後もひんぱんに起きる可能性も高いことをここにお知らせし、あらかじめ了解を願っておきたいと思います。

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ロンバルディア州が石橋をたたき続ける理由(わけ)

イタリア政府は先日、コロナ感染抑止策として導入したロックダウンを5月4日から7日周期で徐々に緩和して行き、6月1日に全面解除すると発表していました。

ところが営業許可が出るのが一番最後の6月1日になるレストランなどの飲食業界と、美容業界から猛烈な抗議の声が挙がり、政府はそれに応える形で2週間前倒しして5月18日に全ての業種の営業再開を認める、と決めました。

収入の道を絶たれて苦しむ勤労者世帯と経済界から歓喜の声が沸きあがる中、ひとつ転遷がありました。新型コロナウイルスの最大の被害地、北部ロンバルディア州が政府の決定に異議を唱えたのです。

ロンバルディア州のアッティリオ・フォンターナ知事が、2業種の営業開始を1週間遅らせて5月25日にする、と宣言しました。するとすぐに隣接州のピエモンテが知事に同調しました。ピエモンテ州はロンバルディア州の次に新型コロナの感染者が多い地域です。

いうまでもなくレストランやカフェは人と人の接触が極めて多い。営業空間も濃密です。また美容業界も客とスタッフが顔を寄せ合って作業が進む場所です。

同時に美容室や理髪店では、待合室を含む屋内空間も狭いのが普通ですから、感染の可能性が高まる。人懐っこい国民が多いイタリアではなおさらです。それだけにこの国では営業再開がいつも慎重に議論されます。

ふたつの業界はまた個人営業である場合が多い。そのため資金的な体力も弱いのが普通です。閉鎖されている間の政府の支援などがあってもなくても、生き残るのは厳しい業界。関係者が早期の営業再開を主張するのは当然です。

ロンバルディア、ピエモンテ両州の感染状況は、イタリア全体と同じように確実に改善に向かっています。それでもロックダウンが大幅に解除された5月18日現在、感染者の数はロンバルディア州一州だけでイタリア全体の37,63%、死者の数は48.56%、ほぼ5割という惨状です。

そうした状況に鑑みてフォンターナ州知事は、政府が5月18日とした2業種の営業再開日を一週間遅らせる、と決めたのでした。

その動きは、州都ミラノのジュゼッペ・サーラ市長が5月7日、多くの若者が繁華街に無防備に集まったことに激怒して、「街を再びを閉鎖することも辞さない」と宣言した強い危機意識に通じています。

繁華街のナヴィリオで起きた現象は、ミラノ市長の脅迫じみた宣言も功を奏して、その後ぴたりと収まりました。そうしたエピソードが語るように、多様性を重視する結果、時としてエゴイストにさえ見える自己主張の強いイタリア国民の間にも、Covid-19への切迫感と連帯意識は極めて強いのです。

ロンバルディア州と思いを同じくするピエモンテ州が、前者に倣ってレストランの再開を遅らせたのは理解できることです。またヴェネト、エミリアロマーニャ、トスカーナなど感染者の多い他の北部各州も、ロンバルディアとピエモンテ両州と同じように経済活動の拙速な全面再開には慎重な姿勢です。

それでもベニスが州都であるヴェネト州は、隣のフリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州との間の人の往来を、政府の決めた期日を前倒しして再開すると決めました。そのようにイタリアでは中央政府の決定と地方のそれが違うことがよくあります。それは双方が合意の上で起こる齟齬です。

イタリア共和国の政治の仕組みは、地方がまず在って、その地方の合意の上に中央政府が存在する、と考えればよく理解できます。各地方の多様性が重視されるのが当たり前なのです。多様性が大きいと国家はまとまりに欠けるように見えます。

だがそこ には大きなプラス面もあります。つまり多様性がもたらす精神の開放と、それに触発された人々の自由な発想の乱舞です。誰もが自説を曲げずに独自の道を行こうと頑張る結果、イタリア共和国にはカラフルで多様な行動様式と、あっとおどろくような 独創的なアイデアが国中にあふれることになります。  

そして何よりも大切な点は、イタリア人の大多数が、「国家としてのまとまりや強力な権力機構を持つことよりも、各地方が多様な行動様式 と独創的なアイデアを持つことの方がこの国にとってははるかに重要だ」と考えている事実です。言葉を変えれば、彼らは、「それぞれの意 見は一致しないし、また一致してはならない」という部分でみごとに意見が一致するのです。

多様性を尊重し重視しようとするイタリア国民の確かな哲学は、凄惨な新型コロナ危機を経ても無くなっていません。各州に代表される地方自治体が、中央政府や他の地方とは違う歩みを歩むことを恐れず、恐れるどころかむしろわが道を行く気概を強調しつつ、イタリアは独自のやり方で復興への道筋を見極めようとしています。

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3密空間で食べるイタメシの味

イタリアの経済は新型コロナウイルスによって破壊されました。いうまでもなくそれは欧州のほとんどの国を含む世界中が同じ状況ですが、欧州財務危機以来の不況と借金苦に悩まされているイタリアの現実はより深刻です。

ジュゼッペ・コンテ首相が5月4日からのロックダウンの段階的緩和を発表したとき、営業開始が遅れるレストランなどの飲食業者と美容師組合などは早速大きな抗議の声を上げました。

それに呼応するように、南イタリア・カラブリア州のヨーレ・サンテッリ( Jole Santelli )知事は、レストランほかの飲食店の営業を政府が指定する6月1日からではなく、解除初日の5月4日から許可すると宣言して物議をかもしました。

またベニスではレストランオーナーや美容師らが街の中心のサンマルコ広場に集合して、6月1日を待たずに営業を許可しろと抗議デモを行いました(冒頭写真)。世界に名高い観光都市ベニスを象徴する美しい広場での怒りの集会は、主催者の思惑通りメディアの注目を集めました。

5月4日の第一段階の規制緩和では、約450万人が働く製造業と建設業の営業が許可され、5月18日からは飲食業と美容業以外のほとんど全ての業種の営業が始まる、とされました。しかし営業許可が遅れる業種からは強い不満が沸き起こったのです。

感染拡大への恐れと、経済のさらなる破壊を懸念する声が激突して、イタリアは騒然としました。多様性を何よりも重んじ、自己主張の噴出を当然のこととして受容するイタリア社会の、いつも通りのにぎやかな光景です。

業種ごとに営業許可の日にちが違うのは不公平という反論と、経済の全面的な再始動を要求する財界からの強い圧力にさらされたイタリア政府は、ついにレストランや美容室を含む全ての業種の営業を5月18日付けで許可すると発表しました。

それを受けてイタリア高等保健研究所(ISS)と全国労働災害保険機構(INAIL)は、レストランなどの飲食店とビーチ施設等の営業条件を発表しました。その内容は:

1.客はレストランへの出入りの際にはマスク着用を義務付けられ、トイレに行くときなど席を離れる際にもにも必ずそれを着ける。

2.テーブルはウエイターの動きも勘案して、4メートル四方内に1セットだけ置くこと。飲食費の精算は人と人の接触を避けるために、できるだけWebなどによる電子決算にすること。

3.メニューは伝統的なものではなく人が直接に手で触れないものにする。たとえば黒板表記にする。あるいは使い捨ての紙などに書く。またWEBやアプリで見る形などにする。

3.店の必要な場所、たとえばバスルームの出入り口などにはたえず消毒薬を用意しなければならない。客はその使用を義務付けられる。

4.また入店を待って客が集まったり、待合室で人が密集したりすることを避けるために、予約制で営業すること。同じ理由でビュッフェも禁止とする。

など、など。


それらの設備やルールの多くは店側に課せられるものです。だが客にとってもひどく窮屈な内容です。むろん必要不可欠の措置なのでしょうが、いかにも重苦しい。

個人的には、食べている時間以外は店の中でもマスク着用が義務付けられる環境は、密閉空間にウイルスがふわふわ浮かんでいるような印象。そんなところで、わざわざ金を払って食事をする気には残念ながらなれません。

しかしレストランでぺちゃくちゃ“しゃべり”ながら食べたり、ビーチで家族や友人と“しゃべり”遊んだり、いつでもどこでも寄り集まって“しゃべり“ふざけるのが大好きなイタリア人にとっては、ウイルスがいようがいなかろうが、レストランに行けること自体がきっと既に至福なのです。



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多様性はそれを知らない者も懐抱する 

先日の記事「多様性という名のカオス」を読んだ保守系の読者の方から、「やはり多様性は良くないのですね」という趣旨のメッセージが届きました。

人は文章を読みたいようにしか読みません。あるいは自分の都合のいいようにしか解釈しません。よくメッセージをいただくこの方は民族主義的思考法が強く、多様性をほとんどアナキズムと同義にみなしています。

千差万別、多彩、人それぞれ、 百人百様、十人十色、 多種多様、、蓼食う虫も好き好き 、各人各様、など、など。人の寛容と友誼と共存意識の源となる美しいコンセプトを理解しません。

言うまでもなく彼は間違っています。多様性というのは絶対善です。絶対とはこの場合「完璧」という意味ではなく、欠点もありながら、しかし、あくまでも善であるという意味です。つまり、例えば民主主義と同じです。

民主主義はさまざまな問題を内包しながらも、われわれが「今のところ」それに勝る政治体系や構造や仕組みや哲学を知らない、という意味で最善の政治体制です。

また民主主義は、より良い民主主義の在り方を求めて人々が試行錯誤を続けることを受容する、という意味でもやはり最善の政治システムです。

言葉を変えれば、理想の在り方を目指して永遠に自己改革をしていく政体こそが民主主義、とも言えます。

多様性も同じです。飽きることなく「違うことの良さ」を追求し歓迎し認容することが、即ち多様性です。多様性を尊重すればカオスも生まれます。だがそのカオスは多様性を否定しなければならないほどの悪ではありません。

なぜならそれは、多様性が内包するところのカオス、つまり千般の個性が思い思いに息づく殷賑にすぎないからです。再び言葉を変えて言えば、カオスのない多様性はありません。

多様性の対義概念は幾つかあります。全体主義、絶対論、デスポティズムetc。日本社会に特有の画一主義または大勢順応主義などもその典型です。

筆者はネトウヨ・ヘイト系排外差別主義と極端な保守主義、またそれを無意識のうちに遂行している人々も、多様性の対極にあると考えています。

なぜなら それらの人々は、彼らのみが正義で他は全て悪と見做す視野狭窄の習慣があります。つまり彼らは極論者であり過激派です。むろんその意味では左派の極論者も同じ穴のムジナです。

それらは絶対悪ですが、多様性を信奉する立場の者は彼らを排除したりはしません。 ネトウヨ・ヘイト系排外差別主義や極右は悪だが、同時にそれは多様性の一環でもある、と考えるのです。

多様性の精神は、「それらの人々のおかげで、多様性や寛容や友愛や友誼や共存や思いやり等がいかに大切なものであるかが分かる」という意味で、彼らはむしろ“必要悪”であるとさえ捉えます。

先に触れた記事「多様性という名のカオス」の中で筆者は、

多様性を重視するイタリア社会は平時においては極めて美しく頼もしくさえあるが、人々の心がひとつにならなければならない非常時には、大きな弱点になることもある。今がまさにそうである。

と書きました。メッセージを寄せた方はそれを読んで、彼流の解釈ではあたかも多様性を否定しているとも見えるらしい筆者の言葉尻をとらえて曲解し、大喜びしたようです。

しかし真実は違います。多様性は非常時には大きな弱点になること“も”ある。という書き方でも分かる通り、筆者はそこでは単純に可能性の話をしただけなのです。

最も重要なことは、多様性が平時においては美しく頼もしいコンセプトである、という点です。非常時には平時の心構えが大きく作用します。つまり、多様性のある社会では、多様性自体が画一主義に陥り全体主義に走ろうとする力を抑える働きをします。

一方でネトネトウヨ・ヘイト系排外差別主義がはびこる世界では、その力が働きません。それどころか彼らの平時の在り方が一気に加速して、ヘイトと不寛容と差別が横行する社会が出現してしまいます。

日本で最後にそれが起きたのが軍国主義時代であり、その結果が第2次大戦でした。日本まだ往時の悪夢から完全には覚醒していない。つまり日本社会には多様性が十分には存在しない。その証拠が「多様性の枢要を理解しない国民の多さ」です。

多様性を獲得しない限り、あるいは多様性の真価を国民の大多数が血肉となるほどにしっかりと理解しない限り、日本は決して覚醒できず、従って真の民主主義と多文化と人種共存の意義も認識できない、とさえ筆者は懸念します。

 


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報道とオピニオンの狭間

イタリアはロックダウンの段階的解除2週目に入りました。解除第一週目の後半には、いわば「自宅軟禁」からの解放感に我を忘れた人々が、大挙して街にくり出して感染拡大への懸念がふいに高まりました。

特に感染爆心地・ロンバルディア州の州都、ミラノにあるナヴィリオ地区の人出が大きく取り上げられました。ナヴィリオはミラノ屈指のおしゃれな街。その日はマスク無しで且つ対人距離も無視した多くの若者が集まって顰蹙を買いました。

さらに悪いことに、その動きはミラノだけではなく、感染者の少ない南部イタリアの主要都市でも起こっていたことだと判明。早くも感染拡大が再開するのではないか、とイタリア中が大きな不安に揺れました。

ところで、緩和に向かっているイタリア全土のロックダウンの開始日については、3月9日、3月 10日、3月11日、3月12日、などの説があります。それ以前の地域限定の隔離・封鎖処置などの影響もあって、時系列の情報が混乱して伝えられがちです。

また政府発表が事前にリークされたり、政策発表の日と施行日が混同していたり、さらに法令の内容が迅速に変わったりするのも混乱の原因です。

ロンバルディア州を中心とする北部5州に適用されていたロックダウンが、全土に拡大されたのは3月10日からですが、措置の発表は3月9日です。

そして3月11日にはその強化策が明らかにされて、翌3月12日から施行されます。この日からレストランなどの飲食店も営業が全面禁止になりました。それまでは時間を短縮しての営業が認められていました。

イタリア全土の過酷なロックダウンは「3月12日をもって完成した」というのが筆者の考え方です。従って筆者は「イタリアのロックダウンは3月12日に始まった」と書き続けてきました。だが正確には、3月10日に始まった、と言うべきでしょう。

そこで筆者は、イタリアのロックダウンの一部解除をテーマにした記事「イタリアは石橋をたたき、またたたいては渡ると決めた」から、ロックダウン開始日の表記を「3月10日」と改めました。

時事ネタの場合は、「報道ではなくいわば“報道にまつわる私見や考察”を書く」というのが筆者のスタンスです。従ってロックダウンの正確な日にちは筆者にとってはそれほど重要ではありません。そのことを「どう思うか」がポイントなのです。

だが同時に、ブログを情報源として読んでくださる読者がいることも筆者は知っています。従っていい加減なことは書けません。そこでイタリアのロックダウン開始日の“ぶれ”の理由についても書いておこうと考えました。

ブログ記事の場合は、新聞・雑誌・本などの紙媒体とは違って、編集者や校正者がいません。全て書き手がひとりで担います。そのために誤字脱字はもとより、間違いや思い違いや思い込みその他の誤謬が多い。

自らの記事を読み返すたびに、信じられないようなミスを発見します。読み返すたびに添削をしている、といっても過言ではありません。ロックダウンの開始日の不明瞭も、筆者にとってはある意味で誤謬の一つです。

そこでここにお断りの一筆を入れておくことにしました。


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多様性という名のカオス

イタリアが5月4日、新型コロナウイルス感染拡大を抑え込むために導入しているロックダウンの一部を解消してからはじめての週末がきました。

イタリアでは一日当たりの新規感染者数も、累計の感染者数も共に減少し、逆にcovid-19からの回復者の数は増え続けています。

また死者数も減少しています。それでも5月4日以降、昨日までの一日当たりの死亡者数は:
4日195人 5日236人 6日369人 7日274人 8日243人、と依然として多い。総計も30201人となりました。

死者数がすでにイタリアを上回り、感染者数の合計が明日にもイタリアを超えそうなイギリス、またそのどちらの数字も世界最悪のアメリカに比べれば増しかもしれません。が、例えば日本に比較すれば、イタリアは相変わらず地獄の様相を呈しています。

しかしあらゆる数字が状況の改善を示唆してはいます。1人の感染者がウイルスを何人にうつすかを示す基本再生産数 も1を下回っています。イタリアの死者数が多いのはこれまでに感染し重症化した人が亡くなり続けているからです。

それらの事情を踏まえてイタリア政府は5月4日、ほぼ2ヶ月に渡った過酷なロックダウンを「一部解除」しました。ところが多くの地域で人々があたかも「全面解除」のような動きに出て問題になっています。

イタリアの感染爆心地、北部ロンバルディア州ミラノで5月7日、若者を中心とする人々がおしゃれなナヴィリオ地区にどっと繰り出しました。彼らはマスク着用や対人距離の確保の義務などを無視して思い思いに集いました。

感染予防を全く気にしないそれらの人々への非難が殺到し、ミラノ市長は「恥知らずな行為」とまで罵倒して、再び同じことが起こるなら即座にナヴィリオ地区を封鎖する、と宣言しました。

ところが同様な光景はイタリア中に展開されて、感染拡大への懸念が募っています。特に感染者の少ない南部の主要都市で、ミラノにも勝る人数の人々が密集しマスクも外して談笑する様子が多く見られました。

この週末に感染拡大があってもそれはすぐには表面化しません。結果が明らかになるのは来週以降です。そこでCovid19関連の数字が悪化すれば、政府や地方自治体は規制を強化する可能性が高い。

しかし数字に変化が見られなければ、当局が厳しい動きに出るのは困難になり、人々の開放感はますます募って感染予防策がおろそかになることでしょう。

イタリアのコロナ禍は世界のそれと同じように全く終わってなどいません。行過ぎた規制緩和や人々の安易な行動は、将来大きな災いを呼び込む危険性が高い。

多様性を重視するイタリア社会は平時においては極めて美しく頼もしくさえありますが、人々の心がひとつにならなければならない非常時には、大きな弱点になる可能性もあります。

今この時がまさにそうです。


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