新型コロナ・ワクチンは超高速で誕生するか

新型コロナで痛めつけられたイタリアは、日本などの知ったかぶり専門家らに「医療レベルが低い」「感染爆発への対応が悪い」などと、先進国にもあるまじき不備やうっかりやアバウトさを批判されることはあっても、最新の医療分野での新技術や発明や発見などを賞賛されることはあまりありません。

ところがどっこいイタリアは、欧州の技術革新の基礎になったローマ帝国やルネサンスなどの昔を持ち出すまでもなく、現代の医療分野でもそれなりに傑出した貢献をしている国です。新型コロナのワクチン開発でも同じ。国内での独自の研究開発とは別に、国外の研究機関や施設とも提携して成果を挙げています。

その最たるものが、ローマ近郊の製薬会社IRBMが英オックスフォード大学のJENNER研究室と共同で進めているワクチン開発。世界では現在、合計140(120という説も)種類前後のワクチンの研究開発が進められています。今のところそのうちでもっとも有望なのが、英伊共同開発ワクチンなのです。

しかしほとんど誰もイタリアの関与には触れません。まず「オックスフォード大学が開発中」と研究機関の名を挙げて報道し議論を展開します。イタリアの名前はずっと後になって申し訳程度に言及するのが普通です。もっとも言及されることがあれば、の話ですが。

ワクチンはウイルスを改変したり弱体化させて作るのが従来のやり方です。それは接種された者が病気になる危険などを伴うこともあって、細心の注意を払い用心の上に用心を重ねた治験を経て完成します。早くても1年~2年は時間がかかるのが当たり前です。

ところがオックスフオード大学とIRBMが共同開発中のワクチンは、従来のものとは違って遺伝子を基に作り出します。そのために時間の短縮が可能になります。同ワクチンは研究開始からわずか数ヶ月で臨床試験に入り、もっとも難しい最終段階の治験を夏にかけて行います。これが成功すれば年内にも実用化する可能性があります。

そんな重大な研究開発に最初から絡んでいるイタリアですが、既述のようにほとんど誰もそのことには言及しません。イタリアの厚生大臣だけがIRBMを持ち上げたり、オックスフォード大学のイタリア人研究開発スタッフを紹介したり顕彰したりして、イタリアが研究開発に一枚噛んでいることを懸命に宣伝しています。

あるいはIRBMが民間の製薬会社であることも影響するのでしょうか、イタリアにおいてさえワクチンの開発事情に同社の名をからめて語るメディアはほとんどありません。ワクチン開発のような事案では、商業目的の薬剤生産者よりも、大学や研究機関などの高邁な探求や開発に人々の関心が向かい勝ちだからでしょう。

BBCなどの世界的に影響力のあるメディアは、人々のそうした思考傾向を利用しつつ、大学が英国内の施設である事実から来る「愛国心」にも押されて、いよいよオックスフォード大学の名ばかりを強調して報道します。世界のメディアもこれに追随します。イタリアのメディアでさえも。

そうした風潮の底には、先進国の中のハチャメチャ国・イタリアには最先端の技術、学問、哲学等々は育たない、というひそかな偏見も手伝っていると筆者は思います。さすがに創造性と芸術の国イタリア、という大きなコンセプトを看過する者はいないと思いますが。。

それやこれらが重なって、あるいは世界を救うかもしれない天晴れな新型コロナワクチン第1号の開発に、イタリア“ごとき”がかかわっているとはメディアはなかなか主張せず、メディアが口をつぐむので人々も気づかない、という現象が生まれます。メディアはそういう局面では、事実に気づいていても無視します(報道しない)からいよいよ性質が悪い。

オックスフォード大学&IRBMワクチン(と仮称する)には、イギリスとイタリアのほか、フランス、ドイツ、オランダ、さらにアメリカが供給契約に署名しました。従ってワクチンは完成した暁にはその6ヵ国にまず行き渡り、その後世界各地にも販売されることになります。

日本や中国をはじめとする世界の多くの国々も、オックスフォード大学&IRBMワクチンには強い関心を抱いています。ワクチンが予定通り最終段階の臨床試験をクリアし、年内に供給が始まれば画期的なことです。しかし懸念がないわけではありません。

ワクチンはその有効性と安全性を、摂取量や期間またその道筋などの重要事案を3段階に分けて繰り返し確認し、最終的に大規模集団においても確実に有効性と安全性がある、と認められたときにのみ生産が許されます。最終治験では数千人が対象にされることもあり、もっともコストが掛かる。ハードルも高い。有望とされたワクチンがこの段階でボツになることも多いのです。

オックスフォード&IRBMワクチンが最後の治験でNGとなる可能性はまだ半分はあると考えられます。そこに至る以前に新型コロナが終息して、商業的にも社会的にもまたモラル的にもワクチンを開発する意味がなくなれば、ワクチン開発は沙汰止みとなります。過去にはSARS(重症急性呼吸器症候群)や、MERS(中東呼吸器症候群)のワクチン開発が途中で立ち消えになりました。

儲からない事業は前に進まないのが世界の現実です。しかし新型コロナの場合は状況が全く違います。開発が中止になることはまずないでしょう。それどころか、オックスフォード&IRBMワクチンが成功し供給が開始されても、他のワクチン開発が止むことはありません。需要が桁違いに多い分、ワクチンの供給は滞ります。従って各事業者は儲けを求めて開発を続け、各国政府は自国民を守るためと称して事業者を援護し、自前のワクチンを手に入れようと躍起になる、と考えられるからです。


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新型コロナは体重も破壊する

統計によるとイタリア人は、新型コロナ感染抑止のために行われたロックダウン中に平均2キロ太りました。

自宅にこもりきりで運動や散歩もできないのに、いやできないからこそ、人々の食事の量は18%増えました。

不安やストレス、またロックダウンによって十分な食料が手に入らなくなるのではないか、という恐怖感などが悪く作用しました。

食べるものはジャンクフードにも似た簡単な内容や作りの料理。砂糖のほかパスタに代表される炭水化物、また脂肪質の豊かなもの。

その一方で、料理の勉強のために時間をかけてじっくりと調理をする独身者や若者も増えましたが、飽くまでも少数派でした。

ロックダウンが明けた今、イタリア国民の47%にも当たる人々が、減量が当面の最大の目標と答えています。

良い話もあります。ロックダウン中は66%の家庭が、野菜や果物の皮など、食べられない部分を除いて食料をほとんど何も捨てなかったと答えました。

そればかりではなく、インタビューに応じたカップルのほぼ8割と子供のいる家族および独身者の7割近くが、自宅待機中は食料を以前よりもより大切に扱ったとしています。

世界のあらゆる富裕国の人々と同様に贅沢に慣れ切っているイタリア国民が、新型コロナ禍を機に“もったいない”の精神に目覚めたのなら、災いもよしとする余地があるのかもしれません。

ロックダウン初期の3月には、犯罪も大幅に減少しました。昨年同月比で約70%も減ったのです。DV(家庭内暴力)も37,4%少なくなりました。ロックダウン中にDVが増えたイギリスやフランスとは逆の現象です。

一方、高利貸しなどの悪徳商法の被害者は10%近く増えました。これはロックダウンによる営業縮小で、経済的に行き詰まった小規模事業者や個人が、マフィアなどの犯罪組織から金を借りるケースが急増したもの。

シチリア島をはじめとするイタリア南部では、マフィアほかの犯罪組織が経済的に困窮する人々を救済する振りで金を貸したり贈与するなどして、彼らを借金漬けにして食いつぶす手法が社会問題になってきました。

経済活動がほぼゼロにまで制限されたロックダウン下で、組織犯罪が横行し特に貧しい人々が被害をこうむる事態に、イタリア司法は強い警鐘を鳴らしています。

また倒産の不安を抱える企業はイタリア全体で4割近くに上ります。パーティーや会食などに出張し料理を提供するケータリングを含む飲食サービス業また歓楽業では、5万社が破産し30万人が失業する可能性があります。

営業再開が全面解禁になったものの、40%しかオープンしていないホテル業界では、5月だけでも11万8千の季節雇用が失われました。

面白いことにロックダウン中にはおよそ63万人が禁煙に成功しました。ただし、電子タバコの喫煙者は43万6千人増加。紙巻きタバコから電子タバコに乗り換えた者が多いと見られています。

その一方で国家環境保護対策局の分析では、ロックダウンによって海やビーチから人影がなくなったことも手伝って、5400キロメートルに渡る海岸線がクリーンになり環境保全のランクが上がりました。

またイタリア人のほぼ半数は、新型コロナもなんのその、 ことしも夏のバカンスを計画しています。しかし実際に宿泊先などの施設や交通機関等の予約を入れているのは、たった5,5%に過ぎません。

最低でも一週間は滞在するのが当たり前のバカンスに、予約なしで出かける者はまずいません。従って“6月になっても予約を入れていない”とは、ほぼバカンスに行かない、と言っているに等しい。

片やバカンスに出ない、と決めた約半数の国民のうちの25%は、ごく素直に「新型コロナが怖いから」と答えました。また16%の人々は、コロナの影響で収入が減ってとてもバカンスどころではないということです。

結局、コロナにもめげずにバカンスに行く、というのはバカンス好きのイタリア国民の願望、ということなのでしょう。いつもの年よりも多くの国民が、7~8月のバカンス期に自宅に留まるのは間違いありません。

すると、ロックダウン中ほどではないにしろ、人々はそこでもまた大食らいをしそうな雰囲気です。つまるところイタリア人が痩せるのは、多くの事案と同じように“ワクチン待ち”、ということのようです。

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イタリアの苦悩は尽きない

欧州の多くの国、またEU加盟国のほとんどがロックダウンを解除し国境を開放した6月15日、イタリアのコロナ死亡者数は2月28日以来もっとも少ない26人を記録しました。しかしその後は上昇をつづけ、6月18日には66人、19日には47人が亡くなりました。

6月19日現在、イタリアの累計のコロナ死亡者は34561人。感染者の総数はアメリカ、ブラジル、ロシア、インド、イギリス、スペインに次いで世界第7位にまで後退しましたが、死者数はアメリカ、ブラジル、イギリスに続いて世界第4位です。死亡率も高い。

死者数が多いのは、これまでに罹患した人々が亡くなり続けているからです。一日当たりの死亡者が919人にのぼった3月27日以降、日ごとの死者数は徐々に減ってきてはいますが、数字がゼロになるのはまだ先のことになりそうです。

漸減傾向に変わりはないものの、死亡者の数は24時間ごとに減ったり増えたりを繰り返してきました。一方、医療崩壊の象徴とも言われたICU(集中治療室)の患者数は、4月3日の4068人をピークに減り続け、6月19日現在は161人。患者数が前日より増えたのは6月18日のみです。

コロナとの闘いは全く終わっていませんが、ICUに余裕ができ新規患者数も死亡者も減って、イタリアの医療の現場は平穏を取り戻しつつあります。世界を震撼させた2月の感染爆発と医療崩壊への反省もあり、感染拡大の第2波、第3波への備えも怠りないように見えます。

しかしながらコロナで破壊されたイタリア経済の先行きは全くの暗闇です。イタリアの過酷なロックダウンは-終盤には段階的に緩和されたものの-3ヶ月近くに及びました。

その間の社会、文化、経済活動の破壊は凄まじいものでした。古くからの経済不振に加え、2010年の欧州ソブリン危機でイタリア経済はさらに落ち込みました。EU圏内最大の借金約302兆円も抱えています。そこを新型コロナが襲いました。

イタリアは一時世界最大のコロナ被害国となり経済が一層停滞しました。イタリアでは新型コロナによる打撃によって企業の4割近くが倒産の危機に瀕しているとされます。中でも観光業や飲食業などの被害は甚大です。

6月3日、イタリアはロックダウンをほぼ全面解除して国内外の移動を自由化。EU加盟国からの観光客やバカンス客も制限なしに受け入れています。ロックダウン期間中はほぼ動きがゼロだった観光業を促進するのが目的です。

イタリアのGDPの13%が観光業によっています。そして観光客の多くは外国人です。コンテ政権はいま触れたように6月15日を待たずに国内外の観光客の移動を解禁しました。が、外国人は言うまでもなくイタリア国内の動きも鈍い。

統計によると、イタリア人のほぼ半数がことしも夏のバカンスを計画しています。しかし実際に宿泊先ほかの施設や移動・交通機関などの予約を入れているのは、たった5,5%に過ぎません。

最低でも一週間は滞在するのが当たり前のバカンスに、予約なしで出かける者はまずいません。従って「6月も残り少なくなった今も予約を入れていない」とは、ほぼバカンスに行かない、と言っているようなものです。

またバカンスを考えている人々の92,3%はイタリア国内での遊興を希望していて、外国にまで足を伸ばす、と答えた者はわずか7,8%にとどまっています。

バカンスに出ない、と決めた約半数の国民のうちの25%は、ごく素直に新型コロナが怖いからと答えました。また16%の人々は、コロナの影響で収入が減って、とてもバカンスどころではないといいます。

イタリア国内における人々の心理的また経済的なあり方は、国によってバラつきはあるものの生活水準がほぼ似通っている欧州全体のあり方、と言ってもそれほど乱暴な形容ではないでしょう。

そうするとイタリアが国境を開いている国々の、人口の半分が夏の旅行を考えていて、そのうちの8%弱が外国を訪問しようとしています。そしてその8%弱は行き先別にさらに細かく分けられて、人数が少なくなります。

イタリア全体のホテルは、営業が全面解禁になった今もおよそ6割が営業をしていません。予約が入らないからです。また営業を再開したホテルも、今年の夏のビジネスはほぼ失われた、と考えるところが多い。

それはバカンスに行きたい人のうちの5、5%しか予約を入れていない、という国内の統計や、恐らくそれと似たりよったりであろう、欧州全体の状況が如実に反映されたものではないでしょうか。

そしてそこに、もしも感染流行の第2波がやってくれば、観光産業においては夏のビジネスどころか、今年の営業収入は全てゼロ、ということにもなるでしょう。そんなわけでイタリアの苦悩は少しも尽きるところがないのです。

 

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景気の気分~ロックダウン解除記念日によせて

欧州では6月15日、新型コロナの感染拡大を抑えるために敷かれていた移動規制がほぼ全面解除され、EUおよび移動の自由を認めたシェンゲン協定域内での人の移動が自在になりました。

あえて楽観的に表現すれば、2020年6月15日は「コロナからの欧州解放記念日」です。むろんコロナの脅威は全く消えていませんし、季節が冬に向かえばウイルスはまた牙を剥く可能性が高い。

それどころか、6月15日を境に欧州全体の社会経済活動が活発になって、冬を待たずにヨーロッパ大陸が再びコロナ地獄に陥る可能性さえあります。ワクチンの開発まではあらゆる活動再開は暗中での模索です。

経済破壊が進んだイタリアでは、コロナ恐怖に苛なまれつつも5月4日、建設業と製造業を再開。5月18日には商店や飲食店の営業を許可。6月3日以降は全ての移動制限を解除して、EU加盟国からの観光客も受け入れています。

欧州ロックダウンほぼ全面解除直前の週末、正確に記せば6月13日の土曜日、ガルダ湖畔を訪ねました。前アルプスの山並みが迫るリゾート地には、驚くほど多くの地元民や観光客がいました。観光客のほとんどはドイツ人です。

湖畔の町には古くからドイツ人観光客が多い。そこに住み着いたドイツ人も少なくありません。ゲーテの時代からドイツ人に愛された場所なのです。ゲーテ自身もガルダ湖を訪ねて、大湖を「海のようだ」と形容しました。

町の賑わいには腑に落ちない暗さがあるように感じました。マスク姿の人々と感染予防対策を厳重に施している通りの店のたたずまいが、半ば開いているような半ば閉まっているような印象で、落ち着かないのです。

ひとことで言えば、働く人々も買い物や飲食を楽しむ人々も、そして明らかにドイツ人と分かる観光客らも、少し無理をして懸命に楽しさを「演出し演技」しているように見えたのです。

筆者はそこにイタリアの観光業の厳しい先行きを見たように思いました。経済は人が作り出す生き物です。その動静をあらわす景気は、気分の景色と書くように人の気分に大きく作用されて動きます。

経済学者や専門家は、数字や論理や実体&金融のあり方や学識や机上理財論等々によって景気を語る。そして彼らは往々にしてそのあり方を理路整然と間違います。

専門バカは人の気持ちが分からない。だから人の気持ちの集合が動かす景気が、従って生きた経済が分からない、ということなのかもしれません。

リゾートの町のいわば「空疎な賑わい」は、人々の心がコロナの恐怖で固くなっているからです。人々は長い外出規制と抑圧から解放されて意気揚々と町に繰り出しました。

久しぶりの歓楽はまちがいなく彼らに喜びをもたらしています。だがそれは心の底までしみこむ十全の歓喜ではありません。完全無欠の喜悦はコロナの終焉まではおそらく望めないのです。

ウイルスが消滅することはないのですから、それはごく当たり前に言えばワクチンが開発されて人々に行き渡る時、ということでしょう。ならばそれは筆者自身の心理ともぴたりと符合します。

筆者はワクチンが登場するまでは、好きなワインバーやレストランやパブやバールなどに行く気がしません。その気分ではありません。そして多くの人が筆者と同じ気分でいるでしょう。だから景気は簡単には回復しません。

筆者はリゾートの町の通りを急ぎ足に歩いただけで、いつもなら立ち寄る美味いワインが飲める数店のバールやエノテカ(ワインバー)をスルーしました。

対人距離を確保して設えられた店のテーブルが満席だったからではありません。「気分的に」そこに腰を落ち着けるスペースが見えなかったのです。

イタリア政府は苛烈なロックダウンによって破壊された、特に観光業を救うために早め早めに規制を緩め、国内外からの観光客を呼び込もうと躍起になってきました、だが情勢は厳しい。

イタリアのホテルは営業再開が可能になってもおよそ60%がシャッターを降ろしたままです。営業を再開した飲食店には、ガルダ湖畔のように人が集まるケースもなくはありません。

だがそうした店で遊ぶことが好きな筆者のような人間が、一度、二度三度、と足を運ぶことをためらうケースもまた多い。それらの人々の気分が蝟集して景気が動くことを思えば、やはり先行きは安泰とばかりは言えないようです。

 

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差別の感じ方&対処法 

また白人による有色人種差別のビデオ映像が流出しました。

人種差別への抗議デモがアメリカを席巻しています。現状では差別者も少しは萎縮するものです。しかし委細かまわずに差別行為をする人々がいる現実が、人種差別の根深さとその撤廃の難しさを示唆しています。下にURLを貼付します。
https://edition.cnn.com/2020/06/12/us/torrance-woman-park-video/index.html

今回は白人老婆がフィリピン系米人女性に投げつけた激しい侮蔑語の洪水。場所はアジア系の住民が40%近くを占める米カリフォルニア州の町、トーランス。日本人と日系人がきわめて多いことでも知られています。

老婆は数々の罵声を投げつける中で若い女性に言います。「お前がアジアの何国人かは知らないがとっとと自分の国へ帰れ!ここはお前の家じゃない!」
被害者の女性は後のCNNのインタビューに「差別問題は知っていたが、それがまさか自分に向けられるとは考えてもいなかった・・」と話しました。

被害者女性の「まさか自分に向けられるとは」という思いは、町に多い日本人や日系人のものでもあるでしょう。同時にそれは全ての日本人のものでもあります。この稿ではそこに少しこだわります。

老婆が繰り返しののしる「アジア人」から筆者が先ず連想したのは、アジア人にはむろん日本人も含まれていて、従って老婆の罵声は一歩間違えば日本人にも向けられる性質(たち)の攻撃、ということです。

つまり日本人は世界の中では飽くまでも有色人種なのであり、人種差別はふとしたことで自分にも向けられかねない害悪、と自覚したほうがいい。日本人差別は過去には多く起こり、現在でも世界各地で散発しています。要するに今この時に世界を揺るがせている人種差別問題は、事態の進展によっては日本人の問題にもなり得るのです。

人種差別問題では日本人に特有の現象がひんぱんに立ち現れます。つまり日本の内外には、自らがアジア人ではないと無意識に思い込み行動する日本人や、白人か準白人のつもりでいる日本人もきわめて多く、そのことが影響して日本人が人種差別問題に鈍感になる、ということです。人種差別問題を対岸の火事と捉える日本人は少しも珍しくありません。

ましてやそうした人々にとっては、人種差別問題にからんで「自らが差別される側に回る」事態が起こり得るとは思いもよらないことでしょう。だが今このエントリーで取り上げているトーランスの町のエピソードを少し注意深く見てみれば、そうも言っていられなくなるのではないでしょうか。

加害者の白人女性は明らかに「アジア人は誰も彼も皆同じ」という意識で被害者女性に罵詈雑言を浴びせています。アジア人ではないと無意識に(あるいは意識的に)思っているある種の日本人は、白人女性の差別感情は自分には向けられていない、と主張するかもしれません。

アジア系住民が多いトーランスは、そのアジア人の中でも特に日本人の比率が高いことで知られています。加害者女性もそのことは十分知っているに違いない。それでも彼女はアジア人はアジアに帰れ、と罵倒するのです。繰り返しますが彼女の言うアジア人にはむろん日本人も含まれています。われわれ日本人はそこのところを真剣に見つめるべきです。

自らがアジア人ではないと無意識に思い込み行動する日本人や、白人か準白人のつもりでいる日本人は特に、なによりも先ず自らがアジア人であるという当たり前の現実を冷厳に認めるべきです。次に常にそれを意識してアジアの人々と対等に付き合い、その上で彼らと共に欧米を始めとする世界にも「対等」な付き合いを要求していくのです。世界のそこかしこで今回と類似の問題が発覚する度に痛切にそう思います。

それなのに日本には、人種差別主義者のトランプ大統領の太鼓もちに徹する首相がいて、その太鼓もちの動静を喜ぶネトウヨ排外差別主義者や、表は黄色いのに中身が白くなった「アジア蔑視主義者のバナナ国民」が横行しています。そんな状況では世界の人種差別問題の意義どころか、そのことに関心さえも抱かない国民が多いのではないか、と危ぶみます。

今世界で巻き起こっている人種差別問題、とくに「黒人差別」問題がよく理解できない人、あるいは実感できない人は、それをまず「アジアと日本」また「アジア人と自分」などの土俵に引き入れて考えてみたらどうでしょうか。身近な国や国民との比較で考えれば、あるいは理解が深まるかもしれません。とは言うものの、自らをアジア人と感じない日本人にとってはそれもまた無意味なのでしょうが。

日本国内に住んでいる日本人には人種差別問題が中々実感できないことは理解できます。またここイタリアのように親日の人々が多い国に住む者にとっても、居心地が良い分やはり人種差別問題を身近に引き寄せ実感することが難しくなります。むろんこの国にも日本人が嫌いな者はいます。だが人は自分を嫌う他人とはあまり付き合いません。そのため周囲にはますます日本好きのイタリア人ばかりが集うことになります。筆者自身の場合もそうです。

そうではあるものの同時に、故国の外にいる分だけ問題により敏感に反応するのもまた事実です。今動乱の渦中にあるアメリカははもちろん、欧州でも英仏を筆頭に人種差別問題は頻発します。ここイタリアも例外ではありません。多人種が共存する場所では残念ながら避けて通れない課題です。

そこでは日本人は欧米の人々との友誼を堅持し深化させつつ、自らのアジア人としてのアイデンティティーも直視し続けなければなりません。それがぶれることなくまた恐れることなく人種差別問題に対峙する秘訣です。なぜなら他人種の人々は、表は黄色いのに中身が白いという得体の知れないバナナ的人間よりも、表と中身が一致した本物の、正直な人間を信頼し尊重するものだからです。

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秘められた人種差別が真のパンデミック

黒人のジョージ・フロイドさんが、白人警官の膝で首を圧迫されて死亡した事件に触発された人種差別反対の抗議デモは、アメリカから欧州に伝播して拡大。特に英独仏等で大きなうねりとなっています。

フロイドさんがミネアポリスで殺害されたちょうど同じ日に、ニューヨークではある意味でそのフロイド事件よりも重大な意味を持つ出来事がありました。

英BBCが報告した白人女性による人種差別事件がそれです。記事に挿入されたMelody Cooperさんのツイートのリンク先をここに貼付します。

https://twitter.com/melodyMcooper/status/1264965252866641920

事件はニューヨークのセントラルパークで起きました。

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黒人のクリスチャン・クーパーさんは、「犬は常にリードにつないでおかなければならない」と明確にサインの出ている場所でバードウォッチングをしていた時、リードから放たれて駆け回る犬を見ました。

野生生物が危険にさらされると恐れた彼は、飼い主らしい女性に「お嬢さん、このあたりでは犬をリードでつないでおかないといけませんよ。すぐそこにサインがあるでしょう」と伝えました。

しかし女性が無視(拒否)したので彼は動画で撮影を始めました。すると女性は逆上して「撮影をやめて。でないと黒人が私の命を脅かしている、と通報する」とクーパーさんに噛み付きます。

クーパーさんがどうぞ、なんとでも伝えてください、と言うと女性は犬の首輪をつかみつつ警察に電話。その際の彼女の口振りを忠実になぞると:

女性(マスクをはずして電話に):(セントラルパークの)散策場(ランブル)で黒人が私を撮影しながら私と犬を脅しています。

(正確には「African・Americanman:アフリカ系アメリカ人男性」と発音しているが、敢えてアフリカンを付けることで、黒人であることをもっとさらに強調しようとする意図がはっきり見える)

女性(嫌がる犬を無理やり押さえつつ、繰り返す):セントラルパークにいます。黒人が私を撮影しながら私自身と犬を脅しています。

女性(犬が騒ぎ、ひと声吠えるのを無理やり押さえ突然泣き声になって):よく聞こえません。セントラルパークの散策場にいます!男に脅迫されています!すぐに警官を送ってください!

**************************************

規則違反を指摘されて、恐らく羞恥心も働いたであろう女性の心理も分からないではありませんが、彼女の嘘と演技と威嚇にはおどろかされます。

一歩間違えば女性の電話を受けた警察官が駆けつけ、うむを言わさずにクーパーさんを射殺していたかもしれません。

それは少しも大げさな指摘ではありません。アメリカではそんなことが日常茶飯に起こっています。ジョージ・フロイドさんの殺害も同じ土壌で発生したのです。

ちょっとしたことで表に出てしまった彼女の黒人(恐らく白人以外の全ての人種)蔑視の心情は、残念ながら少なくない国の、特にアメリカの白人の中に秘められた現実の一つだと思います。

それは今に始まったことではなく常に存在しましたが、トランプ大統領の出現で米国人のほぼ半数(主にトランプの岩盤支持層)が、そうした人々であることが暴露されました。

そのことへの抗議デモが今各地で起こっているわけですが、トランプ大統領が依然としてそこにいて且つ彼の岩盤支持層の割合が減らない現実は、差別の撤廃がいかに至難であるかを如実に物語っています。

だからと言って声を上げなければ、差別の解消どころか、そこへ向けての「きっかけ」さえ生まれません。その意味でいまアメリカから世界に広がりつつある黒人差別への抗議デモはきわめて重要なものです。

 

 

 

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NHKは「BLACK LIVES MATTER」を誤解していないか

黒人への暴力や構造的差別に反対する抗議デモのニュースで、NHKが「BLACK LIVES MATTER」を「黒人の命“”重要だ」ではなく「黒人の命“”重要だ」と言ったり表記したりするのに強い違和感を抱いています。

「は」を「も」に言い換えただけですが、一音違いで差別への認識の濃淡が透けて見えると思うからです。英語の「BLACK LIVES MATTER」は、「黒人の命“”重要だ」あるいは「黒人の命“”大切だ」(以下:重要だ、に統一)であって、断じて「黒人の命“”重要だ」ではありません。

「黒人の命は重要だ」と言えば、黒人の命は白人やアラブ人や日本人やアフリカ人や中国人など、つまり全ての人の命とまったく同じように重要だ、という意味になります。一方「黒人の命“”重要だ」と言えば、黒人の命だけを特別扱いする意味合いが生じます。

そしてそこでの特別扱いの意味はたとえば、「重要ではない黒人の命だが、実は重要なものなのだよ」などとなって、言わば教え諭すような上から目線のニュアンスが入り込む余地ができます。NHKの言い換えの真意もその辺にあるのではないでしょうか。

だがそこには、文脈に明白に示されているように、黒人の命だけを特別なものとして扱うことによる黒人差別が秘匿されています。そして、その言い換えは-ここが重要ですが-差別するどころか、むしろ差別に反対する、という意味でなされています。

黒人や移民との接触が少ない、特に日本人などを含む世界の多くの人々が犯しやすいのは、普段はほとんど気にかけたことさえない黒人差別問題を、ふいに議論のテーマとして目の前に突きつけられた時に、あわててそれを特別扱いしてしまうことです。

黒人差別が悪いことであるのは誰もが理解しています。だから何かが起きると正義感に駆られて抗議の声を上げます。それは欧米、特にアメリカを中心に繰り返し行われてきたことです。ジョージ・フロイドさん殺害事件への抗議も同じ。むろんその意義や規模の大きさは過去の事例とは非常に違いますが。

ところが黒人差別問題を身近な事案として「実感できない」人々は、同じく正義感に駆られて抗議行動に出はするものの、往々にして問題の本質を理解しないか、あるいは誤解します。その結果、良かれと思ってしたことが逆の効果を生んだりします。

「黒人の命“”重要だ」を「黒人の命“”重要だ」と言い換えることもそうです。それはあたかも黒人の命だけが重要だ、と主張するのにも似た言わば「善意の差別」です。正義感は普通並に強いが、黒人差別を実際に自分の町内で見、聞き、実感したことがない現実がそうした齟齬の原因ではないか、と考えます。

黒人の命は-敢えて言う必要もありませんが-白人やアラブ人や日本人やアフリカ人や中国人など、つまりあらゆる人の命とまったく同じように重要です。そのことを全ての人々が極く普通に、自然体で、理解し表明し行動するようになった時、はじめて黒人差別は終焉を迎えます。それまでの道のりは長い。

今欧米で起きている抗議デモは、黒人差別を自らの町内で見、聞き、実感している人々の怒りのアクションです。黒人の命重要ではなく、黒人の命重要。なのにそれがそれとして当たり前に認識されないことへの抗議です。黒人の命は特別、と叫んでいるわけではないのです。

そのことにやや鈍感でいる大部分の日本人の心情がくっきりと現れたのが、NHKの言い換えではないでしょうか。日本のメディアで筆者が最も信頼するNHKですが、言い換え問題に通じる違和感を時々覚えます。その最たるものの一つが、やはりニュースなどでNHKが日本以外のアジアの国々に言及する場合に、全く何のためらいもなく「それらのアジアの国々では~」というふうに表現することです。

そういう言い方をする時、キャスターやアナウンサーには、ということはつまりNHKの報道の現場には、日本もそれらのアジアの国々と同じアジア国、と言う認識が欠落します。意識的にしろ無意識にしろ、日本はアジアの国ではない、と皆が催眠術にかかったように思い込む瞬間があるのです。その時の人々の思い込みの中では日本はどこにあるかと言うと、アジアとは違うところの先進国域であり、欧米グループの一員、です。

「黒人の命“”重要だ」を「黒人の命“”重要だ」と言い換える軽さには、それと似た無自覚と鈍感と危うさと共に多少の思い上がりが併存している、と感じます。日本の良識の牙城-嫌&反NHKの人々が何を言おうがNHKは日本の良識を代表するメディアですーであるNHKがそうだということは、日本人の一般的な意識がほぼそうだということです。NHKは先ず国民があってこそ存在するのですから。

ところがネット論壇などではさらに進んで、「Black Lives Matter」を「黒人の命“が”大切」とか「黒人の命“こそ”重要」などと表現する向きもあるようです。個別の事件にからめてそう記述することが適切な場合もあるかもしれませんが、アメリカに始まって欧州ほかにも伝播している今の反人種差別運動のコンセプトの中では、飽くまでも「黒人の命“”重要だ」とするべきです。

なぜなら-敢えて繰り返しますが-黒人の命は、全ての人々の命と寸分の違いもなく重要であり、かけがえのないものです。そのコンセプトには例外は一切ありません。言葉を換えれば、そこでは黒人の命は特別なものではないのです。それを敢えて命“”、や命“こそ”、などと言い換えて特別扱いすることは、冒頭に触れたNHKの命“”、と同様に差別を孕んだ表現になってしまいます。

特別であり異常であるのは、当たり前に重要でありかけがえのないものである黒人の命が軽視され、差別され、やすやすと奪われさえする現実なのです。それは異常事態ですから、普通の、当たり前の状態へと矯正されなければならない。「BLACK LIVES MATTER」運動が目指しているのはまさにそれであり、そのスローガンの正確な訳語は「黒人の命“は”重要だ」です。




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新型コロナパンデミック~中国は有罪?無罪?

《3月30日執筆記事》

イタリア時間2020年3月30日午前9時現在、世界の新型コロナウイルス感染者数は722289人。感染者数の多い順にアメリカ142502人、イタリア97689人、中国82149人。

以下スペイン、ドイツ、フランス、イラン、イギリスと続き、オランダとベルギーも1万人を超えて、感染者数9661人の韓国を上回りました。

筆者はイタリアの新聞corriere della seraが転載するジョンズ・ホプキンズ大学発信の掲示板をリアルタイムで追いかけていますが、いつも気になることがあります。それが中国に関する数字です。

周知のように新型コロナウイルスは中国の武漢が発祥地とされます。中国はそれを否定し、あまつさえウイルスは米軍が武漢に持ち込んだ、とも主張しています。

何が真実で何が虚偽であるかは歴史が証明するでしょうが、個人的には筆者は中国独裁政権の主張をあまり信用しません。だがそれは同時に、アメリカの言い分を鵜呑みにすることも意味しません。

特にトランプ大統領になってからのアメリカの政権の主張は、時として一党独裁国中国、独裁国北朝鮮、変形独裁国ロシアなどのそれと同じ程度に歪んで見えることも少なくありません。

それでも、また「お山のトランプ大将」への不信感とは関わりなく、新型コロナウイルスに関する中国の主張や発表する数字は、眉に唾をつけて見るべき、と自分に言い聞かせています。

それは筆者が、中国独裁政権の本来の隠蔽体質と、新型コロナウイルス情報を歪曲した初期の彼らの動きを懐疑的に見ているからです。従ってそれは、いわば中国の身から出た錆です。

中国の一党独裁政権が発生した新型コロナウイルスの感染情報を隠蔽せず、また面子にもこだわることなく初期の段階でウイルスを抑え込んでいれば、世界的なパンデミックはあるいは避けられたかもしれないのです。

今となっては、むろん世界は中国も共にパンデミックの収束を目指して一致団結しなければなりません。中国の生き残りとそれ以外の世界の生き残りとは同じ運命です。だがそれは-もしも中国にパンデミックの責任があるなら-彼らがその責任を取らなくても構わないということを意味しません。

冒頭に記した2020年3月30日午前9時現在の中国の感染者総数82149人から、死者数と回復者数を差し引くと、同日現在の中国の実質のCovid19患者は2960人です。

中国の死者数は、最大被害地の湖北省の3186人と、河南省22人、 黒竜江省13人、北京市8人、 山東省7人、安徽省と海南省と河北省がそれぞれ6人、さらに上海5人、香港4人に加えて、数の少ないほかの9州の合計32人を足した3285人。治癒した者は75904人です。

実質の感染者2960人という数字は、イタリア、スペインに始まる欧州各国とアメリカの感染者数の多さに衝撃を受けている目には極めて少なく見えます。新型コロナウイルスを制圧したと主張する中国の言い分が、かなりの信憑性を帯びて聞こえるほどです。

だが同時に、中国では新たな感染者も毎日確実に出ています。それだけを見てもウイルスの完全制覇は成っていない、と言うべきではないでしょうか。それよりも何よりも、中国が発表する数字はいったいどこまで信用できるのか。基本的な疑義への答えがないのが歯がゆい。

中国の感染者数も、死亡者数も、回復した者の数も全て正確ではないという声があります。それどころか全て仕組まれた嘘だという声さえ聞こえます。特に死亡者の数は発表の数字よりもはるかに多い、という見方は根強いのです。いったいなにが真実なのでしょう。

習近平主席率いる共産党政権は、自らは病気から回復したとして、あるいは病気だがそれを押して人々の手助けをしたい、と恩を着せつつ世界の多くの国に救援物資を送っています。今日現在の世界最大の新型コロナウイルス被害国、イタリアに対してもです。

イタリアには五つ星運動という中国寄りの政党があります。その五つ星運動は現在の連立政権の一翼を担っています。五つ星運動は「一帯一路」構想への支持も表明し、協力を具体化して進める旨の覚書を中国との間に交わすようにゴリ押しをしました。そして昨年3月、ついにそれを実現させた経緯があります。

イタリアが新型コロナウイルスの流行で大きな痛手を蒙っている今このとき、中国は五つ星運動所属のディマイオ外相を介して、この国に医療スタッフやマスクなどの救援物資を送り込んだりしています。人の良いイタリア人の中には、ウイルスを撒き散らしたかもしれない中国への怒りを忘れて、習近平政権に感謝する者さえ出てきました。

イタリアでは爆発的感染流行が立て続けに発生して、もっとも医療環境の充実した北部の、そして北部の中でもさらに豊かなロンバルディア州が、あっという間に医療崩壊にまで追い込まれて苦しんでいます。地獄並みの惨状に陥っているイタリアにとって、たとえそれが誰であれ援助の手はむろんありがたいものです。

だが中国がもしも世界的なコロナウイルス禍に責任があるなら-再び再三でも繰り返して指摘しておきますが-その重大な責任をうやむやにしたまま、何食わぬ顔で援助国の役割を演じるのは許されるべきことではありません。

イタリアほかの国々の困窮を尻目に、中国はウイルスの抑え込みに成功しつつある、とも主張しています。事実なら喜ばしいことです。だが習近平主席が武漢を訪れた後には、それまで新規感染者の数が減っていたのに、ふいに増加に転じたという報告もあります。例によって隠蔽工作が成されているのなら、それもまた許しがたいことです。

世界では感染が広まるにつれて、アジア系の人々への差別や偏見が強くなり、暴力にまで発展するケースも出ています。中国人と見た目が違わない日本人も差別されたりしています。その意味ではわれわれ日本人と中国人は同じ運命を背負っています。手を取り合って差別や偏見と戦わなければなりません。

だがそのこととパンデミックを呼び込んだ責任とはあくまでも別の議論です。そして最後にこのことも繰り返して言っておきたい。つまりそれらの論難は、パンデミックをもたらした巨大責任は中国にある、と世界が確認した場合にのみ成立し、且つ糾弾の矛先は中国の権力機構だけに向けられるべきです。なぜなら中国人民の多くももまた一党独裁政権とcovid-19の被害者にほかならない、と考えるからです。(2020年3月30日)

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こやじ外相のとっつぁん坊やな言動

ギリシャは6月15日から観光客の受け入れを開始するが、新型コロナの被害が甚大なイタリアからの入国は拒否する、と発表しました。

するとさっそく、イタリアのルイジ・ディマイオ外相が「イタリア人の入国を受け入れないのはけしからん」とギリシャに噛み付きました。

あわてたギリシャは、方針を変えてコロナ感染率の高いイタリアの北部4州すなわちロンバルディア、ピエモンテ、ヴェネト、エミリア・ロマーニャからの訪問客のみを規制するとしました。

その内容は、6月15日から6月30日の間、4州からの入国者にウイルス検査を義務付け、陽性の場合は2週間、陰性の場合は1週間それぞれホテルなどに隔離する、というもの。

イタリアはこれにも猛反発。特にヴェネト州のルカ・ザイア知事はギリシャの統一性のない規制や解禁は理解不可能、として激しく抗議しました。

ちなみにザイア知事は極右の「同盟」所属。新型コロナが猛威を振るっていた3月には「中国人は生きたネズミを食べる」と発言するなど、差別主義的な思想傾向があるようにも見えます。

ギリシャはさらに妥協して、7月1日からはイタリアを含む全ての国からの入国を受け入れ、空港で無作為にウイルス検査だけを実施する、と改めました。

このエピソードには、イタリアの傲岸な一面があらわれているような気がしないでもありません。

ギリシャとイタリアは、ギリシャ文明とローマ文明という共通の巨大な歴史足跡を持ち出すまでもなく、心理的にも地理的にもとても近い親和的な間柄です。

現代では、ギリシャと比較して人口で約6倍、経済規模でおよそ9倍の大きさがあるイタリアから、観光やバカンスで多くの国民がギリシャへ移動し同国経済に貢献する、いう事情もあります。両国の関係はイタリアが兄貴、ギリシャが弟の、いわば兄弟分というふうです。

ギリシャの観光業はGDPのほぼ21%を占め、国全体の就労者の4分の一を支えています。ギリシャはウイルスの早期封じ込めに成功した国の一つですが、観光業のほとんどを外国人客に頼っているため新型コロナの世界的流行で大打撃を受けました。

それは世界中の多くの国と同じです。が、ギリシャはGDPに占める割合が世界平均の2倍にも当たる巨額を観光業に依存しています。ダメージはさらに深刻です。切羽詰った状況にも押されて、ギリシャは早めに外国人観光客を受け入れることを決めたのです。

ギリシャが受け入れるのは、EU域内と世界の合わせて29のコロナ低感染国からの訪問客です。同じ欧州内でも感染者が多いスペイン、フランス、イギリスなどは除外されます。イタリアだけが入国拒否のターゲットになっていたわけではないのです。

それを知りつつイタリアがギリシャにねじ込んだのは、「親しい仲ゆえの甘え」という面もありますが、やはり兄貴分としての少しの優越意識もあるようです。それはイタリア国民というよりも、ディマイオ外相の個人的な思いこみの所産、という印象が強い。

ディマイオ外相は、コメディアンのベッペ・グリッロ氏が11年前に創設した五つ星運動の元党首です。30歳そこそこで政界にデビューし、31歳で同党のトップになりました。彼はそれまで政治経験はおろかまともに就職したことさえない流浪の若者でした。

「とっつぁん坊や」とも「こやじ青年」ともつかない不思議な雰囲気を持つ彼は、連立政権の出だしのころこそ無難に第一党のリーダー役をこなしているように見えました。しかし時間経過とともに 政治のみならず人生の無経験ぶりももろに影響するのか、やることなすことに精彩を欠くようになりました。

ことし2月、イタリアが突然世界最悪の新型コロナ地獄に陥ると、ディマイオ外相は迷い子を彷彿とさせる頼りない言動を繰り返して無力になり、ますます存在感をなくしていきました。外相が所属する五つ星運動に近いジュゼッペ・コンテ首相が、鮮やかな手際でコロナ危機に対処する姿とは好対照でした。

だがそんな中でもディマイオ外相は、中国を賞賛することは忘れませんでした。中国のマスク外交を有難がり、武漢の封鎖策を賞賛し、イタリアのロックダウンに口を挟む中国を持ち上げ、イタリア語でいうLeccaculo(ケツナメ)外交を遺憾なく発揮して、習近平主席のケツを舐め続けました。

外相も率いるポピュリストの五つ星運動は、中国の一帯一路構想の信奉者です。イタリア政府は昨年3月、 EUを筆頭に多くの国々が反対するのを無視して 、一帯一路構想に協力する旨の覚書を中国との間に交わしました。そこには政権与党の五つ星運動の、ゴリ押しともいえる猛烈な勧奨がありました。

イタリア共和国の外交政策は、いつもしたたかでフルボ(知恵者)で且つ大人然としています。ですから覚書自体にはそれほど重みはないと考えられます。イタリアはいざとなれば即座に覚書を破棄する腹積もりです。しかし、それを交わしたことによる中国との関係の深化はきわめて重大な結果をもたらしました。

覚書が交わされたとたんに、イタリアには中国人観光客が大量に押し寄せ、中国人ビジネスマンが急増し、それまでも既に国中に溢れていた中国人移民がさらに増えました。そんな折に新型コロナがイタリアを急襲し感染爆発が起きました。そこには中国人が関係していた、と見る専門家も多くいます。

しかし、なぜかイタリアにはそのことを指摘して中国を非難する風潮は今のところはありません。むろん親中国の五つ星運動とその中心人物のディマイオ外相の場合はなおさらです。中国を責めるどころか相変わらず賞賛するふうでさえあります。

不思議なことに反中国の極右政党同盟やその他の右派また中道勢力などからの論難もありません。中国共産党と習近平指導部は-決して中国国民ではなく-新型コロナの流行に責任があるなら厳しく指弾されるべき、と考えている筆者はいささか解せません。だがそれが現実です。

感染予防策としてイタリアからの観光客の入国を拒否するギリシャに声高に抗議をするのは、ディマイオ外相の政治パフォーマンスです。存在感が皆無の最近の外相の仕事は、EUをはじめとする国外の組織や国や仕組みや人物に、反対や反論また抗議の声を挙げてイタリアを、いや、五つ星運動をなめるな、と叫ぶことだけのようにさえ見えます。ギリシャに噛み付いたのもその一環です。

ディマイオ外相は、友好国ギリシャの今このときの暫定的な措置に文句を言う時間があるなら、一党独裁国家中国が新型コロナのパンデミックに関して責任があるのかどうか、また「一帯一路覚書」に象徴されるイタリアの中国への施策に誤謬、行き過ぎ、緩みなどがなかったかどうか、など、もっと重大な事案の考察にも時間を割いてほしいものです。


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コロナめがギリシャとイタリアの仲さえ裂く時節

一年でヨーロッパがもっとも輝く季節、6月が始まりました。花々が咲き乱れ、木々の緑が増し、日差しが強く高くなって万物がめいっぱいに生を謳歌します。梅雨でじめじめする日本の感覚では分かりづらいかもしれませんが、イタリアの6月も一年で一番美しい季節です。

だが残念ながら、ここイタリアを含む欧州は未だに新型コロナ禍の真っ只中にあります。それでも-アメリカは混乱し世界の感染状況も決して予断を許さないものの-つい昨日まで世界の感染爆心地だったこの地は落ち着きつつはあります。

イタリアの感染者と死者の数は減り続け、スペインは6月に入ると同時に一日の死者数ゼロを記録しました。フランスまたそのほかの国々の環境も改善しています。欧州で最も感染者と死者の数が多い英国でさえも、一部の学校が再開されました。

イタリアでは6月3日以降ロックダウンが解除され、各州間の人の往来も自由になります。EU域内からの外国人の入国も解禁されます。つまり義務化された感染予防策を別にすれば、ほぼ全てが新型コロナ以前の相貌に戻ります。

筆者にとってはいつもの6月は、ギリシャの海などでの休暇を計画する時期でもあります。だがことしは新型コロナのせいで様相がまったく違います。バカンスどころではない気分がします。

それでも、もしかすると状態が良くなって、マスクなども気にせずに旅ができるようになるかもしれない、という希望的観測が胸に湧いたりもします。

そうすると思うのは、やはりギリシャの島々です。南イタリアも良いが、そこよりももっと南の、そして地中海の中でももっと東寄りの、できればエーゲ海などの島がいい。

地中海では、同じ緯度なら西よりも東のほうが気温が高く、空気もより乾いています。そのため光はまぶしく清涼感も高く、なにもかもが輝き白色に染まっているような心地よい錯覚をもたらします。

そのうえ6月はとても日が長く、7月や8月ほどには暑くなく、かつ人出も少ない。人出が少ないから旅や移動や宿泊、また飲食や歓楽などの費用もより安い。良いことずくめなのです。

費用の安さという意味では9月~10月も同じですが、陽光の目覚ましさや万物の命の輝き、などという視点からはやはり夏の初めの6月にはかないません。

ところがことしは大きな障害があると知らされました。ギリシャは6月15日から観光客やバカンス客を受け入れますが、新型コロナに猛襲され蹂躙されたイタリアからの入国は拒否すると発表したのです。

新型コロナの感染が極めて深刻だったイタリアだから当然といえば当然ですが、ちょっとおどろきました。ギリシャにとってイタリア人観光客は上得意だし親しみも強い。

背に腹はかえられないということなのでしょうが、少し寂しい気がしないでもありません。日本からの入国はOKなので日本人の筆者はギリシャ訪問が可能です。が、イタリア人の妻が渡航できません。

それでなくてもイタリアに長く住み、イタリアに感情移入することが多い筆者は、ひとりでそこに渡ろうとは思いません。イタリアがことし2月、突然新型コロナ地獄に陥ってからはさらにその傾向が強まりました。

新型コロナ危機に立ち向かうイタリア国民の強さと、真摯と、勇気と、誠実に筆者は強く撃たれました。以来、イタリアへの親愛感はさらに深まりました。筆者はイタリア国籍は有しませんが、心情的イタリア人のつもりにさえなっています。

ギリシャは新型コロナの早期封じ込めに成功した国のひとつです、6月2日現在、感染者は2937人、死者は179人に留まっています。一方イタリアは感染者の累計が6月2日現在233515人、死亡者数は33530人にものぼります。

イタリアの新型コロナ危機は先に触れたように収まりつつあります。3月~4月の状況からは想像もできないほどの劇的改善、と言っても構いません。それでも6月2日の新規感染者数は318人、死者も55人と終息と呼ぶには程遠い現実です。

今このときの状相 ではギリシャの措置はきわめて妥当です。ギリシャは最初の受け入れから2週間後の7月1日に、改めて入国受入れ国の見直しを行う予定。そこではおそらく十中八九の割合でイタリア人もギリシャ入国を認められることになるでしょう。

そうなった暁には、筆者は9月か10月のギリシャ旅を考えるかもしれません。6月には及ばないものの、ギリシャの9月はまだ夏真っ盛りです。過去の経験では10月も同じ。7月と8月に比べればむしろ凌ぎやすい夏、というふうです。

いずれにしても7月と8月はイタリアで過ごすのが筆者と家族の慣わし。よほどのことがなければ外国には出ません。イタリアに留まること自体が既にバカンス、という気分でさえいます。なにしろイタリアは国全体が世界有数のリゾート地なのですから。

ことし中にギリシャ旅に出ることがあるなら、筆者にとってはそれは間違いなく新型コロナが収束したか、それに近い状況になっていることを意味します。ぜひそうなっていてほしいものです。「終息」まではまだまだ時間がかかるでしょうが。。



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