自業自得なスケープゴート

 

5月25日、ニューヨークのセントラルパークで、黒人男性に規則違反を指摘された白人女性が、いわば仕返しに(心理的に)警察に電話をして「黒人が私を脅している」と通報して問題になりました。事件は沙汰止みになるどころか捜査が進展して、被告女性は虚偽申告の罪で起訴されることになりました。

筆者は妥当な結果、と思う一方で、正直少しの違和感も禁じ得ません。

妥当だと思うのは、ビデオに記録された被告と被害者のやり取りの一部始終を見る限り、あたかも相手に暴力でも振るわれたかのように装う被告の演技と嘘は許しがたい。また電話申告の内容は実質、「黒人の男が私を殺そうとしている」と言うにも等しいひどいものです。

被告の深い人種差別意識があらわになった醜悪な光景もさることながら、電話を受けた警官が現場に駆けつけて、うむを言わさずに被害者の男性を射殺したかもしれない蓋然性を考えれば、恐ろしい内容です。そういう事件が日常茶飯に起こっているのがアメリカの問題です。

同時に、違和感も覚えます。彼女の行為は許しがたいものですが、それがきわめて多くの白人に共通する「秘められた」差別意識であることが分かりますから、正義感にあふれた人々が騒げば騒ぐほど、被告がいわばそれを正当化するためのスケープゴートにされているようにも感じるのです。

被害者が被告女性の攻撃の様子を撮影したビデオがSNSで拡散されたために、彼女は人種差別を理由に事件後すぐに会社をクビになりました。さらに彼女は公式に謝罪したにもかかわらず、「殺してやる」という脅迫まで受けたりしています。その後も捜査が進められて起訴にまで至りました。

事件発生後の一連の出来事は、正当であると同時にどうも胡散臭いとも筆者は感じます。いま述べたように被告はSNSほかで激しく叩かれ死の脅迫さえ受ける一方で、職を失い住まいを追われました。つまり、被告はすでに相当以上に「社会的制裁」を受けています。だから許されるべき、という意見もあるかもしれません。

そういう意味からではありませんが、筆者は彼女に対してどうしても少しの同情を禁じ得ません。繰り返しになりますが、人々の(特に白人)中の悪意を見えなくするための大騒ぎのようにも見えて仕方がありません。

むろん差別者自身に彼らの差別感情を秘匿する意志がそこで働くとは思えません。が、大勢が騒ぐことで、彼らの心の中に巣食う差別意識が知らず隠蔽されていくという効果があらわれます。筆者はどちらかといえばその点をより憂慮します。

一方ではまた、言うまでもなく被告が指弾されることで、社会全体の悪意が抉り出されてその毒が弱まる可能性は高い。こうした事件を罰する意義はまさにそこにあります。

だが、悪意が心身の奥深くにまで食い込んでいる者、つまり、例えばトランプ大統領の登場によって暴露された、大統領自身を含む半数近い米国人のうちの特に差別意識と憎悪心が強い者にとっては、喧騒は格好の隠れ蓑になる可能性もある。

被告女性を糾弾するばかりではなく、日本のネトウヨ系排外差別主義者らの同類である米国人、つまり差別と憎しみという心の闇に支配されてうごめく、特に白人の米国人の実態について思いをめぐらし監視を続けることが、真の「差別反対思想」やそれへの賛同を示す際の重要なポイントではないか、と考えます。

facebook:masanorinakasone

official siteなかそね則のイタリア通信

 

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください