地獄から見上げてみれば

12月6日、イタリアの新型コロナの死者の累計は節目の6万人を超えました。欧州ではイギリスの6万千42人に次いで多い数字です。

イタリアの死者のうち40%近い2万2千252人は、パンデミックの始まりから常に最悪の被害地域であり続けている、ミラノが州都のロンバルディア州の犠牲者。

2番目に犠牲者が多いのはボローニャが州都のエミリアロマーニャ州の5805人(10,4%)。以下トリノが州都のピエモンテ州5556人(10%)、ヴェネツィアが州都のヴェネト州3899人(7%)、首都ローマが州都のラツィオ州2525人(4,5%)などと続きます。

筆者の住むブレッシャ県は、イタリアで最もコロナ被害が大きいロンバルディア州の12県のうちの一つ。第1波では隣のベルガモ県と並んで感染爆心地になりました。筆者の周囲でも親戚を含む多くの人々が犠牲になりました。

今進行している第2波でも、ロンバルディア州が相変わらずイタリア最悪のコロナ被害地ですが、感染爆心地は州都ミラノ市とミラノ県に移っています。が、むろんブレッシャ県の状況も決して良好ではありません。

イタリアのコロナ死者の平均年齢は80歳。死者のうち50歳以下の人は657人。全体のたった1%強に過ぎません。また死者の97%が何らかの持病あるいは基礎疾患を持っています。

筆者は死者の平均年齢の80歳にはまだ届きませんが、50歳はとっくに通り過ぎて且つ基礎疾患を持つ者です。パンデミックのちょうど1年前に狭心症のカテーテル治療を受けたのです。従ってコロナに感染すると重症化する危険が高いと考えられます。

還暦も過ぎたので、死ぬのはしょうがない、という死ぬ覚悟ならぬ「死を認める」心構えはできているつもりですが、コロナで死ぬのはシャクにさわる、という思いでいます。死は予測できないから死ぬ覚悟に似た志も芽生えるのではないでしょうか。避けることができて、且つ死の予測もできるコロナで死ぬのは納得がいかない、と強く感じます。

2週間前には同期の友人がコロナで亡くなりました。彼は長く糖尿病を患っていました。既述の如くこれまでにも親戚や友人・知人がコロナで逝きました。だが全員が70歳代後半から90歳代の人々でした。年齢の近い友人の死は、なぜかこれまでよりも凶悪な相貌を帯びて見えます。

筆者はパンデミックの初めから、世界最悪のコロナ被害地の一つであるイタリアの、感染爆心地のさらに中心付近にいて、身近の恐怖を実感しつつ世界の恐慌も監視し続けてきました。その筆者の目には、最近の日本がコロナに翻弄され過ぎているように見えます。

コロナはむろん怖れなければなりません。感染を阻止し、国の、従って国民の生命線である経済も死守しなければなりません。それが世界共通の目標です。ところがイタリアは、第1波で医療崩壊の地獄を味わい、全土ロックダウンで経済を完膚なきまでに打ち砕かれました。

そのイタリアに比べたら日本の状況は天国です。欧州のほとんどの国に比べても幸運の女神に愛されている国です。アメリカほかの国々に比べても、やっぱり日本のコロナ状況は良好です。むろんそれがふいに暗転する可能性はゼロではありません。

だが日本が、イタリアを始めとする欧州各国の、第1波時並みの阿鼻叫喚に陥る可能性は極めて低い。万万が一そんな事態が訪れても、日本は例えばイタリアや欧州各国を手本に難局を切り抜ければいいだけの話です。

ここ最近筆者は、あらゆる機会を捉えて「日本よ落ち着け」と言い続けています。言わずにはいられません。コロナに対するときの日本の大いなる周章また狼狽は、おどろきを通り越して筆者に少し物悲しい気分さえもたらします。

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