世界最古のカフェの瀬戸際

ベニスのカフェ・フローリアンが廃業の瀬戸際に立たされています。言うまでもなく新型コロナパンデミックが原因です。

カフェ・フローリアンは1720年12月29日に開業しました。ベニス最古の、おそらく世界でも最古のカフェと考えられています。

昨年12月29日がちょうど創業300年の節目でしたが、都市封鎖下のベニスでは飲食点の営業が禁止されています。

禁止が解かれても、観光客でもっているカフェ・フローリアンは生き延びられません。ベニスにはほとんど観光客がいないのです。

カフェ・フローリアンは開業300年記念を祝うどころか、店の扉さえ開けられないまま昨年暗い年末を過ごし、年が明けた今も店の営業ができずにいます。

カフェ・フローリアンはひとことで言えば喫茶店ですが、歴史と物語と文化に彩られて、もはや単なる飲食店ではなく古都ベニスの欠かせない一節になっています。

店は17世紀に完成した街の行政館の回廊にあります。建物の完成から80年後に開業しましたが、店自体も古色美しい荘重な雰囲気に満ちています。

大理石のテーブルの間を完璧に正装したウエイターが行き交います。壁の金箔や絵画や年代ものの装飾品などがそれを見つめています。

カフェ・フローリアンはカフェ・ラッテの発祥地としてもよく知られています。軽い食事も提供されます。だが店の醍醐味は飲食物ではなく充満する「時間の雰囲気」です。

「時間の雰囲気」の中にはカサノバからバイロン、ディケンズからヘミングウエイ、チャップリン、ワグナー、そしてアンディ・ウォーホルなど、など、世界中のセレブが残した夢の残り香も含まれています。

カフェを訪れた世界の有名人は枚挙に暇がありません。いま述べた人々は記録に残っている大物のほんの一部ですが、記録にはなくてもベニスを訪れたあらゆる分野の世界中のスターは、1人残らず店を訪れている可能性があります 。

ベニスを旅する一般の観光客も、ほとんどの人が カフェ・フローリアンを訪れているのではないでしょうか。訪れないのは、おおかた店の名を知らない者ぐらいでしょう。

仕事とプライベートでベニスを頻繁に訪れる筆者も店内を撮影したり、店の内外の席で飲食を楽しんだりしてきました。その経験から訪問者は店の「雰囲気」に魅了されるのだと実感として分かります。

店は常時70人ほどのスタッフを雇い、夏の最盛期にはさらに多くのスタッフが働きます。 カフェ・フローリアン=ブランドは、2019年には1千万ドル以上の売り上げがありました。

ところがコロナが蔓延した2020年にはその80%が失われました。ワクチンが行き渡るなど、劇的な展開がない限り、ことしも見通しは暗いようです。

カフェはロックダウンが始まって以来、国からの援助を一切受けていないといいます。倒産の瀬戸際にあります。おそらく決定的な閉鎖に追い込まれるでしょう。

とは言うものの―これは私見ですが―ベニスの歴史の一部をなす店は、たとえ倒産しても誰かが買い取って事業を継続するのではないか。由緒ある店にはそれだけの魅力と価値があります。

だが言うまでもなく、そうやって再開された店が、これまでの優雅な雰囲気と伝統と心意気を維持していくのかどうかは不明です。

イタリアの多くの歴史的なブランドやモニュメントや工芸や商品などと同様に、中国人ビジネスマンやロシア系商人らが、新しい伝統を作ろうと群がり集うのかもしれません。

また近年はカフェ・フローリアンも、母体の古都ベニスも、ボー大な大衆観光客に占領されることが多くなっていました。特に中国人旅行者が目立ちました。

ところが新型コロナの猖けつで事態はふいに転回しました。たとえコロナが終息しても観光客はすぐにはベニスに戻らない、という分析もあります。

それならばそれで、ベニスもカフェ・フローリアンも、昔日の実態と面影を取り戻すチャンス、と考えるのはたぶん単なる希望的観測なのでしょう。

たとえその可能性があるとしても、ベニスの街自体はともかく、カフェ・フローリアンが将来も存続しているのかどうか覚束ない、というのはとても寂しいことです。

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バイデン時代への期待・倦怠・難題

2021年1月20日、ジョー・バイデン第46代米国大統領就任式の一部始終をライブ中継で見ました。新大統領は少し長過ぎた就任演説の中で、民主主義という大儀が勝利したと強調。同時に米国民の結束と融和を呼びかけました。

またバイデン大統領は、議会議事堂襲撃に代表される国内テロや白人至上主義を打倒するという言い方で、その名を一度も口にすることなく退任するトランプ大統領を厳しく糾弾しました。

ひとことで言えばバイデン演説の内容は、自由と平等と多様性及び民主主義を信奉するアメリカ国民が、アメリカはかくありたいと願う「理想のアメリカ」へ向けて歩もう、と語りかけるものでした。アメリカには人種差別や格差や不寛容がはびこり、その傾向はトランプ時代に加速しました。

アメリカの理想を訴えた、という意味ではバイデン新大統領の演説の中身は目新しいものではありません。過去には何人もの大統領が、バイデン新大統領とよく似た内容を言葉を変えて語っています。それでもバイデン演説は特別なものです。なぜならそれがトランプ時代のレガシーである分断と憎しみが渦巻く中で提示されたものだからです。

トランプ以前の世界の大半は、「理想のアメリカ」を追い求める米国民とアメリカ合衆国を賛美し慕ってきました。だが差別と憎悪と不寛容を平然と口にし行動するトランプ大統領の登場で、賛美は失望に変わり傾慕は嘲笑に変わりました。

人々ははじめ米国の変質は、トランプ大統領という怪異だけに付いて回る独特の現象だと考えました。だがそれは米国民のほぼ半数に当てはまる世界観であることが次第に明らかになりました。トランプ大統領は彼らの存在ゆえに誕生したのであり、その逆ではありません。事態は2016年の選挙時に既に明らかになっていましたが、世界はそれを中々理解できませんでした。それが常識を覆す異様な事象だったからです。

だが時が経つにつれて変容は疑いないものとなり、アメリカ国内は深く分断されていきました。アメリカの趨勢は世界にも影響し、同様の傾向が強まって行きました。その中でくっきりと全貌を顕したのがBrexit(英のEU離脱)であり、フランスの極右ル・ペンの躍進であり、イタリアの極右政党「同盟」の連立政権入りでした。ドイツ、オランダ、オーストリア他の国々にも極右勢力が台頭しました。

バイデン新大統領は、かつてのアメリカの理念を前面に押し出して国内の融和を図り、世界と協調すると宣言しました。だがアメリカの民主党にもトランプ主義と同じ極論や過激姿勢がそこかしこに見受けられます。バイデン新大統領の誕生は、多くの分野でトランプ時代よりはましな変化をもたらすでしょうが、米民主党的偏向もまた必ず形成されるに違いありません。

イデオロギーが存在する限りそれは避けることができません。ポイントはバイデン大統領が、トランプ時代の負の遺産を政権の糧にして、民主党ならではの極端化を抑えながら対立勢力も取り込んだ、真に融和的な政策を押し進められるかどうかにあります。

例えば覇権主義に取り付かれている中国との付き合い方です。国際法を無視して蛮行に走り続ける中国を、バイデン大統領は日欧などの同盟諸国と協調しつつ強く指弾し牽制することができるのか。つまりトランプ政権並みの明快さで反中国キャンペーンやメッセージを世界に送り続けることができるかどうかも焦点です。

アメリカが先導する民主主義陣営は中国ともむろん対話をしなければなりません。だが中国が対話をする振りで、香港やチベットやウイグルまた尖閣を含む東シナ海域や台湾で無法傲慢な動きを続けるならば、外交重視の穏当な言語をいったん脇に置いて、トランプ大統領まがいの強い批判の言葉を投げつけることがあってもいいのではないか。

トランプ大統領はおよそ外交儀礼とは縁のない露骨な言行で中国と対峙しました。それはあまりにも刹那的に過ぎて、長期的には中国に資する危険があるとも批判されました。だがトランプ政権の声高な中国批判には明らかなメリットもありました。老獪な動きで自らの虚偽を隠蔽しようとする中国の正体を、絶えず人々の意識に上らせ続ける、という効果です。

バイデン新大統領は日本を含む西側同盟国と協力しながら中国と向かい合うことを宣言しています。それは長期的にも利のあるやり方です。だが習近平主席が率いる唯我独尊の一党独裁政権には、対話と同時にトランプ政権ばりの厳しい姿勢で臨むことも必要ではないかと考えます。

バイデン新大統領はこれまでどちらかと言えば親中派の政治家と見られてきました。米中が対立する状況でもその姿勢は変わらない可能性があります。対話と同時に威嚇に近い圧力を中国にかけることができるのかどうか。またその意思があるのかどうかさえ不明です。

スターリン並みの独裁政治を強行する習近平政権には、民主主義世界の穏健なやり方は通用しないことが明らかになっています。中国は日本を含む西側陣営の尽力もあって貧困を克服しました。それどころか世界第2の経済大国にまでなりました。だが自由主義世界が期待したような民主的な体制に変貌することはありませんでした。

習近平主席と共産党が支配する限り、中国は民主的な政体に移行するどころかその精神や哲学や思想を尊重することさえあり得ない。従って自由主義世界は、バイデン新大統領のこれまでの在り方に代表される、中国への穏健一辺倒のアプローチ法を改める必要があります。そして変化へのヒントは、実は使命を終えたばかりのトランプ政権にあるように思えます。

筆者は理想を満載したバイデン大統領の就任演説を少し斜に構えて見、聴きました。演説の内容は目新しくはないものの、まさに理想に満ちていました。全てが実現されれば素晴らしい主張ばかりです。だが新大統領に果たしてそれらの理想を現実化する力量があるかどうかは疑問です。

大統領就任式のあと、筆者が直ちにブログに思いを書かなかったのはその疑問ゆえです。筆者はバイデン新政権をトランプ狂犬政権に替わる制度として大いに支持しますが、今のところその才幹には懐疑的です。バイデン大統領による、自身の平凡な議員履歴や副大統領としての前歴を打ち壊す、まさに「大統領然」とした明白な実力行使を見なければならないと思います。

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不覚人たちの不始末

イタリア下院では18日、コンテ内閣の信任投票が行われました。レンツィ元首相が主導する小政党「Italia Viva イタリア・ヴィヴァ」が連立政権から離脱したのが混乱の原因。

下院では賛成321、反対259で内閣は信任されました。だが19日の上院では絶対多数を獲得しての信任は厳しい見通し。

イタリアでは一方的に連立政権を離脱したレンツィ元首相への反感とともに、中国寄りの反体制政党「五つ星運動」に親和的なコンテ首相への不信感も少なからずあります。

上院議員のうちには、昨年の新型コロナ第1波の危機を乗り切ったコンテ首相を賞賛しつつも、中国と親しい左派ポピュリストを頼る姿勢を善しとせずに反対票を投じる者も出ると見られています。

政治アナリストによる分析等では、上院で絶対多数に届かなくてもコンテ内閣の信任投票は可決される可能性が高い。

「Italia Viva イタリア・ヴィヴァ」所属の上院議員は、信任投票では棄権に回る方針。そのため他の欠席議員数などを含めれば、絶対多数よりは少ない単純多数には届くと見られます。

単純多数で信任された場合、コンテ首相は「少数与党政権」を率いることになります。その形はイタリアでは珍しくありません。が、新型コロナパンデミックの中では、いつもよりも厳しい政権運営になることが確実です。

なぜならイタリアでは、予算案などの重要法案は絶対多数での可決が法律で義務付けられています。それらの可決の度に絶対多数工作をしなければならないのは政権にとって大きな痛手です。

イタリアの政治システムでは上下両院が同等の力を持ちます。コンテ内閣を「壊し」つつあるレンツィ元首相は2016年、上院の力を大幅に削ぐか否かの国民投票に敗れて下野しました。

レンツィ元首相は上院の権限を縮小することを強く主張しました。上院の力を大きく弱めることには、当の上院議員以外の全てのイタリア人が賛成している、と言われるほどそのシステムは長く問題視されてきました。

レンツィ元首相は真っ当な考えを推し進めながら当時大きな間違いを犯しました。いつもの唯我独尊体質のために自らを過信し、「私を取るか、否か」という言い方で国民投票のキャンペーンを張って、思いきりコケました

元首相の思い上がったキャンペーンの文句に国民は反発し、彼に対抗する政治勢力は国民の憤懣をうまく利用して、国民投票をあたかも「レンツィ信任投票」のように仕向けました。

そうやって必ず卑小化されると見えた上院は強権体質のまま存続し、大敗sぎたレンツィ首相は辞任しました。レンツィ首相は上院改革に失敗したことと連立政権から離脱したことで、コンテ首相を2重に貶めていると見ることもできます。

コンテ首相が拠って立つ「五つ星運動」は、現金バラまき策のベーシックインカム制をゴリ押し成立させたり、中国との連帯を強く主張するなど、過激左派的な不穏な勢力です。ですから政権の存続を嫌う者が多くいても不思議はありません。。

だが今は、パンデミックが猖獗を極めている非常事態です。そんな時に我欲に目がくらんで政権を瓦解させようとするレンツィ元首相一派の動きは言語道断です。

コロナ危機のただ中でイタリアが政治不安に陥るようなら―それがイタリアのお家芸とはいうものの―レンツィ元首相は、議会議事堂の襲撃教唆で「万死に値する」ほどの不名誉にまみれて退任するトランプ大統領と同じ不覚人だといわざるを得ません。


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パンデミックよりもパンデミックなイタリア・レンツィ元首相 

マッテオ・レンツィ元首相が、支持率3%以下の自身の極小政党「Italia Viva」を連立政権から引き離しました。それによってコンテ内閣は一気に崩壊の危機にさらされました。

このままコンテ政権が倒れるなら、レンツィ元首相は進行中の新型コロナパンデミックよりも悪質なイタリアのパンデミックとして、歴史に名を刻むことになるかもしれません。

レンツィ元首相の反乱の動機は、EU(欧州連合)からイタリアに贈られる莫大な新型コロナ復興資金の使い道に対する不満。

いろいろもっともらしい言い分がありますが、結局彼の真意を翻訳すると

⇒【俺にも分け前を寄越せ】あたりです。

レンツィ元首相は、若くしてイタリア政界にデビュー。彗星の勢いで首相にまで上り詰めました。頭の回転が速く弁舌が得意なところが新鮮に見えました。

ほどなくして、回転の速い頭はジコチューな発想をもたらすだけの機能に過ぎず、能弁は巧言令色以外の何ものでもないことが判明。

それらの残念な能力はさらに悪いことに、彼に傲岸という風体も付け加えました。

筆者はかつて彼を評価し将来に期待もしました。多くの不誠意で老体の政治家が跳梁跋扈するイタリアでは、若いという事実だけでも貴重に見えました。

レンツィ元首相はEU(欧州連合)信奉者でもあります。EUは欧州の国々の融和と、その結果としての経済的メリットの顕現という意味でも重要です。

さらに独裁勢力の中国やロシア、また狂犬的な米トランプ主義とそれに連なる政権等に対抗する総合力としても見逃せません。

加えてEUは―少なくない問題を抱えつつも―これまでのところは究極の「戦争回避装置」という重要な役割も十分に果たしています。筆者はEUを強く支持しますが、レンツィ元首相には失望しか感じません。

レンツィ元首相は2016年12月の憲法改正を問う国民投票で、「私を取るか、私を失うか」という尊大なキャッチフレーズをかかげて戦って大敗。権力の座から引き摺り下ろされました。

彼はそれでも懲りず、民主党の党首になってからも、いかにも彼らしいさまざまな権謀術数を展開。陰湿な動きはイタリア政局を揺らし続け、彼は「壊し屋」と異名されました。

「壊し屋」は政界の多くのシステムや関係やルールを壊し続け、ついには彼自身が所属する民主党さえも壊しました。そうやって追随する少数の国会議員を率いて、極小政党「Italia Viva」を結成しました。

レンツィ元首相は今回、その極小政党「Italia Viva」を道具にして、存在意義を見せたい、落ち目の党勢を拡大したい、などの強い我欲に駆られ「俺の言うことを聞かなければ連立の枠組みを抜ける」とコンテ首相を脅しました。

そして脅しが効かないことを悟ると、すぐさま自らも寄って立つコンテ連立政権を「壊し」にかかったのです。そこにはレンツィ氏らしい複雑狡猾な駆け引きが透けて見えます。

イタリアは依然としてコロナ危機のまっただ中にあります。そして危機を乗り越えるにはジコチューな主張が多い従来の政治家ではなく、敵を作らずバランス感覚に優れ且つ誠実なコンテ首相が最適です。

そのことは昨年3月から5月にかけてのコロナ地獄のまっただ中で十分以上に証明されました。

大学教授から突然内閣首班に抜擢されたコンテ首相は、最初の頃こそ周囲の政治家連の操り人形と批判されました。だが間もなく彼は有能なリーダーであることが明らかになっていきました。

百戦錬磨の既成政治家をうまくかわし、また別のときには彼らを適切にまとめて政権を運営しました。そのコンテ首相の武器は、敵を作らない温厚な言動とバランス感覚、そして何よりも国民に愛される誠実さでした。

やがてコロナパンデミックが起こりました。コンテ首相の政治手腕は、世界最悪のコロナ地獄の中で最も良く発揮されました。

首相は阿鼻叫喚のコロナ修羅場の底で、テレビを通して文字通り連日連夜、団結と我慢と分別ある行動を、と国民に語りかけ訴え続けました。

全土ロックダウンの呪縛の中、恐怖と不安にわしづかみにされながらテレビ画面で彼の演説を見、聞く人々は、その誠心に説得され共感し勇気付けられていきました。

第1波の過酷なロックダウンでは、法律や規則や国の縛りが大嫌いな自由奔放なイタリア国民の、なんと96%もが施策を支持しました。

それ以外には当時のイタリア国民には選択肢がなかったこともあります。だが、過酷な政策への異様なほどに高い支持率は、コンテ首相の類い稀な意思伝達能力と誠実と情熱によって成就されたものでした。

特に重要なのはコンテ首相の誠実さです。彼の言動にはうそ偽りのない誠情があふれているため国民の信頼を集め、その度合いは日々大きくなっていきました。

レンツィ元首相にはコンテ首相にある清廉正直な資質が全く感じられません。あるのは自己中心的な能弁と政治的駆け引き、それに若くして首相にまで登り詰めた自信から来るらしい驕慢だけです。

稀代の策略家であるレンツィ元首相は、彼と彼の政党が、三角波の渦巻くイタリア政局の藻屑となって消えるかもしれない瀬戸際で、ぎりぎりの政治ゲームを仕掛けています。

だがイタリアは、今この時も新型コロナ危機のまっただ中にいます。そしてコンテ首相は、世界最悪のコロナ第1波の地獄を先導し克服した立役者です。

コンテ首相の背後には、連立政権の中心である左派ポピュリスト党の五つ星運動がいます。五つ星運動は、ベーシックインカムと称して票集め目的の現金バラマキ策をゴリ押しするなど、極左的な策も進めています。

コンテ首相は五つ星運動所属ではなく、過激論にも与していないように見えます。彼の政治の真骨頂は穏健とバランス感覚。極論よりも中庸論を好む指導者です。

少なくともパンデミックが終わるまでは、国民の信頼が厚いコンテ首相が政権を担うべきではないでしょうか。

凄惨なコロナ地獄からイタリアを救えるのは、レンツィ元首相をはじめとするイタリア政界の魑魅魍魎ではなく、誠実な政治素人のコンテ首相しかいないと思うのです。

なぜそう思うかですって?

だって昨年2月から5月にかけてのコロナ地獄中に、勇気ある過酷なロックダウン策を導入してイタリアを救ったのは、レンツィ元首相に代表される政界の魑魅魍魎ではなく、コンテ首相その人だったのです。

レンツィ元首相は論外ですが、この国の他の政治家らにも、未曾有のコロナ危機を切り抜ける力量と勇気、そして何よりも人としてのまた政治家としての誠実さがあるとは全く思えません。



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万死に値する政治的放火魔トランプに一分の理があるとするならば

米国議会議事堂へ殴りこむよう支持者を教唆したトランプ大統領は万死に値します。だが例によって、少なくとも統計上はアメリカ国民の半数近くはそうは考えていません。支持者らの暴力行為には眉をひそめても、トランプ大統領を支持するアメリカ国民は依然として多いのです。

アメリカはもはや民主主義国家の理想でもなければ世界をリードする自由の象徴国でもありません。ネトウヨヘイト系排外差別主義者とそれを否定しない国民が半数を占める、「普通の国」に過ぎません。だからトランプ大統領が誕生したのです。彼がアメリカを作り変えたのではありません。

むろんトランプ大統領の存在は、自由と寛容と人権と民主主義の死守という「理想のアメリカ」のコンセプトとは対照的な概念とその信者を増やし、勢いづけ、悪のトレンドを加速させたことは言うまでもありません。

アメリカほど暴力的ではありませんが、ネトウヨヘイト系排外差別主義者とそれを否定しない国民が半数を近くを占める普通の国は、欧州を始め世界中に多い。ここイタリアもフランスもイギリスも、そして日本もそんな国です。南米にも多い。

アメリカ以外の地域、特にここ欧州などでは、トランプ登場以前の良識や政治的正義主義(ポリティカルコレクトネス)が一見優位を占めるような空気がまだあります。そのためアメリカで起きている無残な政治的動乱は対岸の火事のようにも見えます。

だがイギリスには右派のBrexit信奉者がいて、フランスには極右のル・ペン支持者が数多くいる。ここイタリアにおいては、極右の同盟支持者とそれに同調する反EU勢力を合わせると、国民のほぼ半数に相当します。それらの人々は、たとえあからさまに表明はしなくても、心情的にはトランプ支持者と親和的です。

さらに言えば、普通の国のそれらの右派勢力は―彼らがいかに否定しようとも―どちらかと言えば中国やロシアや北朝鮮などの独裁勢力とも親和的なリピドーを体中に秘めています。ネトウヨヘイト系排外差別主義は独裁思想に通底しています。

そうは言うものの、アメリカに関して言えば、トランプ信奉者また共和党支持者に対抗する民主党も、彼らの対抗者と同様に危なっかしい存在です。成立する見込みのないトランプ大統領弾劾決議案を、彼の退任が間近に迫った時点で再び出したことは、ナントカの一つ覚え的でさえあります。

それは絶望的な上院での3分の2の賛成を目指すのではなく、民主党がかすかに過半数を占めることになる1月20日以降に狙いを定めて、上院の過半数の決議でできる「トランプ公職追放」に狙いを定めているとも言われます。

それならば理解できます。だがその場合でも、共和党とトランプ支持者らの激しい反発を招いて、アメリカ国民の融和と癒しはますます遠ざかることでしょう。リスクに見合うだけの意義があるかどうかは不明です。

もっとも既述したように、アメリカはネトウヨヘイト系排外差別主義者とそれを否定しない国民が半数を近くを占める国なのですから、いずれにしても今後はしばらくの間は、分断と対立と不穏が渦巻く社会であり続けるでしょうが。

トランプ時代への反動という一面があるにせよ、民主党の施策も極端な動きが目立ちます。政権の広報担当者を全員女性で固める策などがその典型です。どっちもどっちなのです。

トランプ大統領は2016年、差別や憎しみや不寛容や偏見を隠さずに、汚い言葉を使って口に出しても構わないと考え、そのように選挙運動を展開して米国民のおよそ半数の共感を得ました。

そして前述のようにネトウヨヘイト系差別主義や右派ポピュリズムは、米国のみならず世界のほぼ半数の人々が隠し持つ暗部であることが明らかになりつつあります。いや、もう明らかになった、と言うほうがより正確でしょう。

トランプ大統領の、民主主義大国の大統領にあるまじき人格下種と差別思想は、あくまでも万死に値します。だが、彼の存在は、大手メディア等に代表される世界の「良識」が、実は叩けば埃が出る代物であることも暴き出しました。

そしてその巨大な負の遺産を暴き出したこと自体が、世界が真の開明に向けて歩みだす「きっかけ」になるのなら、あるいはわれわれは将来、彼の存在は「大いなる必要悪」だったとして再評価することになるのかもしれません。

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それでもやはりプリンシプルを欠くと人も国も右顧左眄する

直近記事、「プリンシプルを欠くと人も国も右往左往する」の読者から
「全ての外国人の入国を拒否したのは変異ウイルスをシャットアウトする目的で《念のため》に導入した措置。従って問題はない」という趣旨の便りがありました。

菅首相の胸の内も、おそらくこの読者と寸分違わない。そしてそこには一理があります。だがそれだけです。敢えてダジャレを言えば、十理のうち一理だけが正しく、残りの九理が間違っています。

人に品位があるように国家にも品格 があります。仮にも先進国の一角を成す日本には、おのずとそれなりの風格が求められます。

それは国家に自由と明朗と自信が備わっているかどうか、ということです。自由主義世界では、国々はお互いに相手を敬仰し国境を尊重しつつ同時に開放する、という精神でいなければなりません。なにかがあったからといって突然国境を閉ざすのは品下る行為です。

世界は好むと好まざるにかかわらず、イメージによっても成り立っています。従来からあるメディアに加えて、インターネットが爆発的に成長した現代では、実体はイメージによっても規定され変化し増幅され、あるいは卑小化されて見えます。

突然の国境閉鎖は、世界に向けてはイメージ的に最悪です。子供じみた行為は、まるで独裁国家の北朝鮮や中国、はたまた変形独裁国家のロシアなどによる強権発動にも似た狼藉です。

独りよがりにしか見えない行動は、西側世界の一員を自称する日本が、結局そことは異質の、鎖国メンタリティーに絡めとられた国家であることを告白しているようにも映ります。

事実から見る管首相の心理は、後手後手に回ったコロナ対策を厳しく指弾され続けて、今度こそは先回りして変異コロナの危険の芽を摘み取っておこう、と思い込んだものでしょう。焦りが後押しした行為であることが見え見えです。

実利という観点からもそのやり方は間違っています。「全世界からの外国人訪問者を一斉に拒否」することで、管首相はわずかに回っていた外国とのビジネスの歯車も止めてしまいました。経済活動を推進し続けると言いながら、ブレーキを踏む矛盾を犯しているのです。

コロナ禍の世界では感染拡大防止が正義です。同時に経済を回し続けることもまた同様に正義です。しかも2つの正義は相反します。

相反する2つの正義を成り立たせるのは「妥協」です。感染防止が5割。経済活動が5割。それが正解です。両方とも8割、あるいは9割を目指そうとするからひたすら右顧左眄の失態を演じることになります。

変異種のウイルスを阻止するのは言うまでもなく正道です。だがそのことを急ぐあまり、周章狼狽して根拠の薄いまま国境を完全封鎖するのは、たとえ結果的にそれが正しかったという事態になっても、国家としていかがなものか、と世界の良識ある人々が問うであろう行為です。

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