ヌーディスト村の落ちこぼれたち

数年前のバカンス旅の、ボスニア・ヘルツェゴビナから遠くないクロアチアの小さな入り江のビーチで実際にあった話です。

ツーリストガイドやネットにも載っていない隠れ家のようなビーチに寝そべっていて、ふと見ると、まるで小山のようなトドが2頭ごろりと寝ころがっていました。

びっくり仰天して、目をこすりつつよく見ると、人間の男と女が素っ裸で、横柄にとぐろを巻いています。

肉塊の周囲では、地元民と見られる家族連れが、子供たちの目を手でおおいかくさんばかりにして、あわててトドから遠ざかろうとしています。

一方では若いカップルが、素っ裸の巨大な老いた肉塊を盗み見ては、くすくす笑っています。

また土地の人らしい高齢の夫婦は、不快感をあからさまに顔に出して、ぶざまに肥え太った2頭をにらみつけています。

ひとことでいえばあたりに緊張感がみなぎっていました。

だが2人の裸の侵入者は何食わぬ顔で日光浴をつづけます。

それは明らかにドイツ人ヌーディストのカップルです。

クロアチアのそこかしこにはドイツ人が中心のヌーディストスポットが多くあります。自然を体感する目的で裸体主義者が集まるのです。

そこからおちこぼれるのか、はぐれたのか、はたまたワザと一般人用のビーチに侵入するのか、臆面もなく裸体をさらして砂上に寝転ぶ者もときどきいます。

そうした傍若無人、横柄傲慢なヌーディストは筆者が知る限りほぼ100%が高齢者です。

平然と裸体をさらして砂浜に横たわったり歩き回ったりして、あたりの人々が困惑する空気などいっさい意に介しません。実に不遜な態度に見えます。

彼らには性的な邪念はない、とよく言われます。

彼ら自身もそう主張します。

多くの場合はそうなのでしょうが、筆者はそれを100%は信じません。

それというのも、高齢者のヌーディストのうちの男の方が、筆者の姿が向こうからは見えないようなときに、はるか遠くからではありますが、わざとこちらに向けて下半身を押し出して、ドヤ顔をしたりすることがあるからです。

そういう因業ジジイは、筆者が姿をあらわしてにらみつけてやるとコソコソと姿を隠します。だが彼と共にいる彼のパートナーらしき女性は、遠目にも平然としているように映ります。男をたしなめたり恥じ入ったりする様子がありません。

そのあたりの呼吸も筆者には異様に見えます。

彼らのあいだではあるいは、彼らの主張を押しとおすために、そうしたいわば示威行動にも似たアクションが奨励されているのかもしれません。

そうした体験をもとに言うのですが、彼らはいま目の前のビーチに寝転がっているトド夫婦なども含めて、性欲ゼロの高齢者ばかりではないように思います。

かなりの老人に見える人々でさえそんな印象です。ましてや若い元気なヌーディストならば、性を享楽しない、と考えるほうがむしろ不自然ではないでしょうか。

そうはいうものの、まがりなりにも羞恥心のかけらを内に秘めているヌーディストの若者は、一般人向けのビーチに紛れ込んできて傍若無人に裸体をさらしたりはしません。

また欧州のリゾート地のビーチでは、トップレスの若い女性をひんぱんに見かけますが、全裸のヌーディストの女性はまず見あたりません。

ヌーディストの縄張りではない“普通の”ビーチや海で平然と裸体をさらしているのは、やはり、 もはや若くはない人々がほとんどなのです。

おそらくそれらの老人にとっては、若い美しい肉体を持たないことが無恥狷介の拠りどころなのでしょう。

コロナパンデミックの影も形もなかった2019年の夏、ヌーディストの本場ドイツでは、記録的な暑さだったことも手伝って、例年よりも多くの裸体主義者が出現しました。

彼らは欧州ほかのリゾート地にも繰り出して、フリチン・フリマンの自由を謳歌しました。

そういうことは彼らが彼らの領域である裸体村や、ヌーディストビーチなどで楽しんでいる限り何の問題もありません。

むしろ大いに楽しんでください、と言いたくなります。

だが、筆者と連れのような普通の、つまりヌーディストに言わせれば「退屈でバカな保守主義者」が、水着を着て“普通に“夏の海を楽しんでいるところに侵入して、勝手に下半身をさらすのはやめてほしいのです。

繰り返しになりますが彼らが彼らの領域にとどまって、裸を満喫している分には全く何も問題はありません。筆者はそのことを尊重します。

だから彼らもわれわれの「普通の感覚」を尊重してほしい。

水着姿で夏のビーチに寝そべったり泳いだりしている筆者らは、既に十分に自由と開放感を味わっています。

身にまとっている全てを脱ぎ捨てる必要などまったく感じません。

それに第一、人は何かを身にまとっているからこそ裸の自由と開放を知ります。

全てを脱ぎ捨ててしまえば、やがて裸体が常態となってしまい、自由と開放の真の意味を理解できなくなるのではないでしょうか。

さて、

ほぼ1年半にもわたるコロナ自粛・巣ごもり期間を経て、筆者らはふたたび南の海や島やビーチへ出かける計画です。

ヌーディストたちも自宅待機生活の反動で、わっと海に山に飛び出すことが予想されています。

筆者らは、今後は必ずヌーディスト村から遠いリゾートを目指す、と思い定めています。

それはつまり、出発前にネットや旅行社を介して、近づきになりたくないヌーディスト村の位置情報などを集めなければならないことを意味します。

申し訳ないのですが、彼らは2重、3重の意味で面倒くさい、と感じないでもありません。

 

 

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