ダンクショットは異星人のフラメンコ

開会式は見逃してしまいましたが、パラリンピックの車いすバスケットボール女子の試合をテレビ観戦しました。

予選2試合目のオランダvs米国です。

オランダが68-58で米国を下しました。片時も目を離せない出色の試合内容でひどく感動しました。

選手のテクニックも身体能力もガッツも、そしてむろんスポーツマンシップも、超一流だと心から思いました。

いうまでもなく選手は全員が身体障害者ですが、彼女たちのプレーに引き込まれるうちに健常者のそれとの違いが分からなくなりました。

例えばNBAなどのプロバスケットチームの試合のほうが非現実で、こちらのほうがリアルだと思ったりしました。

特に男子のプロバスケットのゲームでは、よくダンクショットなどのスーパープレーが飛び出して拍手喝采を浴びます。

だがそうした超人的なパフォーマンスは、筆者には異空間の出来事のようで、少しも面白くありません。

ただの見世物か曲芸の類いにしか見えないのです。

身長2m内外の大男たちが、ジャンプしてバスケットの上から中にボールを叩き入れるダンクショットは、単に身体能力の高さを示すだけで、優れたテクニックや意外性や創造性とは無縁です。

ま、いわばウドの大木の狂い舞い、というところでしょうか。

身体能力抜群のプロ選手を「のろまなウドの大木」と形容するのはむろん正確ではありません。

なので「異星人のフラメンコ」とでも言い直しておきましょう。

いずれにしてもダンクショットは、背が高くてジャンプ力があれば、いわば誰にでもできるアクションです。

それどころか、例えば身長が2m46㎝あるイランのパラリンピック選手、モルテザ・メヘルザードセラクジャーニーさんなら、ジャンプしなくても普通に立ったままでダンクショットができそうです。

その場合も身体能力はむろん高いに違いありません。しかし、テクニックや創造性というわれわれを感動させるスポーツのエッセンスは、やはりほとんど存在しません。

一方、女子車いすバスケットの選手たちは、不自由な身体を持ちながらもテクニックによってそれをカバーし、プレーヤーとしてはるかな高みにまで達しています。

車いすをまるで自らの体の一部でもあるかのように正確に操作しつつボールを受け、ドリブルしパスを送り、相手の動きをかわしたりブロックしたりします。

そして究極のアクションは、上半身だけのバネを使っての正確かつエレガントなショットの数々。

ショットはもちろん外れることもります。だがおどろくほどの高い確率でボールはゴールネットに吸い込まれます。

ショットの力量も、身体の全ての動きも、ボールコントロール技術も何もかも、飽くなき厳しい鍛錬によって獲得されたものであることがひと目で分かります。

彼女たちがパラリンピアンとして、あるいは世界有数のアスリートとして、そのひのき舞台に立っているのは必然のことなのだ、とまざまざと思い知らされるのです。

選手の躍動を支えているに違いない激甚なトレーニングと、自己管理と、飽くなき向上心が目に見えるようで激しく心を揺さぶられます。

彼女たちのプレーは現実の高みにあるものです。

言葉を替えれば、われわれ素人がバスケットボールを遊ぶその遊びの中身が、鍛錬と自己規制と鉄の意志によって、これ以上ない練熟の域にまで達したものです。

ダンクショットを打つNBAの猛者たちももちろん優れたアスリートであり熟練者です。

しかし彼らの身体能力は、キャリア追及の初めから常軌を逸するほどに優れていて、努力をしなくても既にはるかな高みにあります。

そのことが彼らをいわば異次元のアスリートに仕立て上げます。現実味がありません。いや現実味はあるのですが、われわれ凡人とは違う何者か、という強烈な印象を与えます。

もっと言えば、われわれは努力しても逆立ちしてもダンクショットを打つプレーヤーにはなれませんが、われわれは努力し情熱を持ち鍛錬すれば女子車いすバスケットの選手の域に達することができる。

達することができる、とわれわれが希望を持っても構わないような、そんな素晴らしい現実味があります。

彼女たちがわれわれと同じ地平から出発して、プロの高みと呼んでも構わない最高位のプレーヤーの域に達したように。

いや、少し違います。

不自由な肉体を持っている彼女たちは、身体能力という意味ではむしろわれわれ健常者よりも低い地平から身を起こしました。

そしてわれわれの域を軽々と超えて、通常レベルのアスリートの能力も凌駕してついに熟練のプレーヤーにまでなりました。

しかも彼女たちは、ダンクショットを打つ異星人ではなく、飽くまでもわれわれと共にいる優れたアスリートであり続けます。

その事実はわれわれを激しく感動させてやみません。


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日本の感染爆発とワクチン無策の相関図

ワクチン無策の危険

日本の今の急激なコロナ感染拡大は、経済活動を含む国民の全ての動きを封鎖する厳格なロックダウンを断行してこなかったことの当然の帰結です。

経済も維持しながら感染拡大も抑える、という理想像を追いかけて日本はここまで来ました。

その延長で経済を回すどころか、必ず感染拡大につながると見られていたオリンピックさえ開催しました。

そして予想通り感染急拡大がやってきました。

しかし日本の真の課題は感染拡大ではありません。

ワクチン政策の失敗、あるいはもっと直截に言えば、ワクチン無策が最大の問題です。まともなワクチン政策があったならば日本の今の感染爆発などどうということもなかったのです。

なぜならワクチン接種が進展していれば、感染拡大が起きても重症化や死亡が防げます。それは医療崩壊危機も遠ざけるということと同義語です。

ここイタリアを含む現在の欧州やアメリカ、またイスラエルなどがそういう状況下にあります。

展望なき2人のボスの罪

ウイルス感染を予防するワクチンだけがコロナパンデミックから人類を救うというコンセプトは、コロナ禍が深刻になった時点で世界中の科学者や有能な政治家などに共有されていました。

だがそのことを理解した有能な政治家の中には、残念ながら日本の安倍前首相と菅首相は含まれていなかったようです。

彼らはワクチン争奪戦が熾烈になることを予測するどころか、ワクチンそのものが人類を救うという厳然たる事実にさえ気づかないように、目の前の感染拡大と経済、つまり金との融和だけに気を取られていました。

もっと言えばオリンピックという巨大イベントの開催を執拗に推し進めながら、ワクチンが五輪開催にとって命綱とさえ言えるほどに重要であることに気づかず、いたずらに時間を費やしました。

その意味では安倍前首相の罪は菅首相にも増して深い。なぜなら安倍前首相こそ五輪開催を熱心に唱えた張本人だからです。

前首相の右腕だった菅首相は、ボスの足跡を忠実になぞっただけです。だからと言って、現在は日本最強の権力者の地位にいる菅首相の罪が軽減されるわけではありませんけれど。

いつか来た道

今の日本の感染拡大のありさまは、イタリアの昨年の10月末~11月ころに似ています。

とはいうものの似ているのは一日当たりの感染者の増減で、重症者や死者の数は圧倒的に当時のイタリアのほうが多かったのですが。

第2波に見舞われていた当時のイタリアには、今とは違って、ワクチン接種が進行している事実から来る希望も余裕もありませんでした。

イタリアは世界に先駆けてロックダウンを敢行した第1波時とは逆に、同国に先んじてロックダウンを導入したドイツ、フランス、イギリス等を追いかけて、部分的なロックダウンを断行しながら第2波の危機を乗り切りました。

そして2020年12月27日、世界の情勢が読めない日本がまだぼんやりとしている間に、ワクチン接種を開始してコロナとの戦いの新たなフェーズに突入しました。

ワクチン争奪戦

ワクチンの入手は当初は困難であることが明らかになりました。イギリスのアストラゼネカ社のワクチン生産が間に合わず、EUはワクチン不足に陥りました。

EUは一括してワクチンを購入し加盟各国に分配する方式を取りました。そのためEU加盟国であるイタリアもワクチン不足で接種事業が停滞しました。

ところがBrexitでEUを離脱したばかりのイギリスは、EUをはるかに凌ぐ勢いでアストラゼネカ社製を含む各種のワクチンを入手して、急速に国民への接種を進めました。

EUは疑心暗鬼になりました。イギリスの製薬会社であるアストラゼネカが、秘密裡に母国への供給を優先させているのではないか、と考えたのです。

EU加盟国はこぞってアストラゼネカを責め、同社の製品をボイコットするなどの対抗措置に出ました。イギリス政府への不満も募らせました。

しかしアストラゼネカ社の不正がうやむやになる中、幸いにもファイザー社のワクチンを始めとする各社の製品の供給が進んで、EUのワクチン接種戦略は2月末~3月にかけて大きく進展しました。

イタリアの安心

EUへのワクチン供給がスムーズになるに連れて、イタリアのワクチン接種環境も大きく改善しました。

2021年8月23日現在、イタリア国民の61,2%が2回の接種を済ませています。

それによって人々の日常は―マスクを付けたまま対人距離を保つ習慣はまだ捨てられないものの―コロナ禍以前と同じ生活に戻りつつあります。

それはEUに加盟する国々にほぼ共通した状況です。

イタリアの過ぎた地獄と日本のノーテンキ

イタリアは2020年3月、コロナの感染爆発に見舞われ医療崩壊に陥りました。そのため世界に先駆けて全土ロックダウンを敢行しました。

それは功を奏してイタリアは地獄から生還しました。

イタリアの先例は後に感染爆発に見舞われたフランス、イギリス、スペイン、ドイツの欧州各国やアメリカなどの手本となり、ロックダウンは世界中で流行しました。

例によって世界の成り行きを固唾を飲みながら見守っていた日本政府は、感染爆発の気配が見えた時、責任逃れがし易く且つ強制力のない「緊急事態宣言」を発出して国民の移動を規制し危機を脱しようと企みました。

「緊急事態宣言」は、日本社会に隠然とはびこる同調圧力を利用しての、政権の安易なコロナ政策にほかなりません。

国民が自らの「自由意志」によって外出を控え、集合や密を回避し、行動を徹底自制して感染拡大を防ぐ、とは言葉を替えれば「感染拡大が止まなければそれは国民自身のせいだ」ということです。

日本社会の同調圧力は、時として「民度の高さ」と誤解されるような統一した国民意識や行動規範を醸成して、ポジティブに作用することも少なくありません。

だがそれは基本的には、肌合いの違う者や思想を排除しようとするムラの思想であり精神構造です。村八分になりたくないなら政府の方針を守れ、と恫喝する卑怯な政策が緊急事態宣言です。

それに対してロックダウンは、政府が敢えて国民の自由な行動を規制して感染拡大を食い止める代わりに、不自由を押し付けた代償として政府の責任において国民生活を保障し国民の健康を守る、という飽くまでも国民のための「不愉快な」強行政策なのです。

日本の幸運がもたらした不幸

安倍前政権と菅政権は、1度目はともかく2度目以降は必ず“宣言慣れ“や“宣言疲れ”が出て効果が無くなる緊急事態宣言を連発して、災いの元を断たない対症療法に終始しました。

その結果起きているのが、閉幕したオリンピックの負の効果も相乗して勢いを増している、今現在の感染爆発です。

だがそれは、日本のコロナ禍が世界の多くの国に比較して軽いという、「僥倖がもたらした行政の怠慢」という側面もあると思います。

つまり日本はこれまで、ロックダウン=国土の全面封鎖という極端な策を取らなければならなくなるほどの感染爆発には見舞われなかった

だからこそコロナパンデミックの巨大な危機に際して、緊急事態宣言という生ぬるい政策を思いつき、gotoキャンペーンのような驚きの逆行策がひねり出され、挙句にはオリンピックの開催という究極の反動策まで強行することができました。

そうした日本の幸運な、だがある意味では不幸でもある現実に照らし合わせてみれば、安倍前首相や菅総理を一方的に責め立てることはできないかもしれません。

万死に値する無定見

ところが現実には彼らは、日本の最高責任者として万死にも値するというほどの失策を犯しました。

それが冒頭から何度も述べているワクチン政策の巨大なミスです。いや、ワクチン対応の巨大な無策ぶりと言うべきかもしれません。

彼らは世界の多くの指導者たちが早くから見抜き、遠慮深謀し、そこへ向けてシビアに行動を開始していた「ワクチン獲得への道筋」を考えるどころか、それの重要性さえ十分には理解していなかった節があります。

だからこそ安倍前首相は、東京五輪を開催すると繰り返し主張しながら、長期展望に基づいたワクチン戦略を策定しなかった。いや、策定できなかった。

そんなありさまだったからこそ、日本はワクチン争奪戦に敗れたのです。

そのために欧米またイスラエルなどがワクチン政策を成功させて、パンデミックに勝利する可能性さえ見えてきた情勢になっても、日本国内にはワクチンが不足するという目も当てられないような失態を演じることになりました。

それだけでは飽き足らず、日本は人流と密と接触の増大が避けられない東京五輪まで強行開催しました。

その結果、冒頭でも例えた如く「予定通りに」感染爆発がやってきました。

祈り

コロナ地獄に陥ったイタリアで、身の危険を実感しながら日々を過ごした体験を持つ筆者の目には、実は今の日本の感染爆発はまだまだ安心というふうに見えます。

その一方で、ワクチン不足と接種環境の不備という2つの厳しい現実があることを思えば、それは逆に極めて不気味、且つ危険な様相を帯びて見えてくるのもまた事実です。

筆者は遠いイタリアで、母国のワクチン接種の進展と、さらなる僥倖の降臨を祈るばかりです。


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死刑廃止論も存置論も等しく善人の祈りである

ステレオタイプの二元論

残忍な殺人事件や、銃乱射、テロ等が発生するたびに死刑制度の是非について繰り返し考えます。そのたび思いは深くなり、重なり広がってやがて困惑するのがいつもの道筋です。

最近では77人を虐殺したノルウエーの殺人鬼アンネシュ・ブレイビクが、刑期のほぼ半分を終えて10年後に自由の身となる事実に、いわく言い難い違和感を覚えました。

筆者の理性は死刑を否定し、その残虐性を憎み、自らの思いが寛容と開明に彩られた世界の趨勢に共鳴しているらしいことに安堵します。

ところが同時に筆者の感情は、何かが違うとしきりに訴えています。

死刑は非情で且つ見ていて苦しいものですが、それを否定することで全ての問題が解決されるほど単純ではありません。

死刑制度を否定することで、われわれは犠牲者を忘れるという重大な誤謬を犯しているかもしれません。

だが死刑制度を必要悪として認めてしまえば、それは死刑存置論となにも変わらない依怙地な守旧思想になります。

そうは言うものの古くて新しい命題である死刑制度の是非論には、守旧部分にも何らかの真実や事態の本質が詰まっています。

そして守旧派の主張とは死刑制度の肯定にほかならないのです。

殺人鬼 

2011年7月22日、極右思想に染まったキリスト教原理主義者のアンネシュ・ブレイビク はノルウエーの首都オスロで市庁舎を爆破したあと、近くの島で若者に向けて銃を乱射する連続テロ事件を起こしました。

爆破事件では8人、銃乱射事件では69人が犠牲になりました。後者の犠牲者は、ほとんど全員がリベラル政党を支持するために集まっていた10代の若者たちでした。

警官制服で偽装したブレイビクは、自らが計画実行した市庁舎の爆破事件の捜査を口実にして、若者らを整列させ銃を乱射し始めました。

逃げ惑う若者を追いかけ狙い撃ちにしながら、ブレイビクは倒れている犠牲者の生死を一人ひとり確認し、息のある者には情け容赦なくとどめをさしました。

泣き叫ぶ者、情けを請う者、母の名を呼ぶ者などがいました。ブレイビクは一切かまわず冷酷に、そして正確に若者たちを射殺していきました。

今からちょうど10年前、そうやって77人もの人々を爆弾と銃弾で虐殺したノルウェーの怪物ブレイビクは、たった11年後には自由の身となります。

ノルウェーの軽刑罰 

残虐な殺人者は、逮捕後は死刑どころか終身刑にさえならず、禁固21年の罰を受けたのみです。

ノルウェーにはほとんどの欧州の国々同様に死刑はなく、いかに酷薄な犯罪者でも禁固21年がもっとも重い刑罰になります。

ノルウェーには他の多くの国に存在する終身刑もありません。厳罰主義を採らない国はここイタリアを始め欧州には多くありますが、ノルウェーはその中でも犯罪者にもっとも寛容な国といっても過言ではないでしょう。

世界の潮流は死刑制度廃止であり、筆者もかすかなわだかまりを覚えつつもそれには賛同します。

わだかまりとは、死刑は飽くまでも悪ではあるものの、人間社会にとって―必要悪とまでは言わないが―存在するは意義のある刑罰ではないか、という疑念が消えないことです。

少なくともわれわれ人間は集団で生きていく限り、死刑制度はあるいは必要かもしれない、と常に自問し続けるべきだと思います。

それぞれの言い分  

世界の主流である死刑廃止論の根拠を日本にも絡めて改めて列挙しておくと:

1.基本的人権の重視。人命はたとえ犯罪者といえども尊重されるべき。死刑で生命を絶つべきではない。

2.どんなに凶悪な犯罪者でも更生の余地があるから死刑を避けてチャンスを与えるべき。

3.現行の裁判制度では誤判また冤罪をゼロにすることは不可能であり、無実の人を死刑執行した場合は取り返しがつかない。

4.国家が人を殺してはならないとして殺人罪を定めながら、死刑によって人を殺すのは大いなる矛盾。決して正当化できない。

5.死刑執行法と制度自体が残虐な刑罰を禁止する日本国憲法第36条に違反している。

6.死刑廃止は世界の潮流であるから日本もそれに従うべき等々。

これらの論拠の中でもっとも重大なものは、なんといっても「誤判や冤罪による死刑執行があってはならない」という点でしょう。このことだけでも死刑廃止は真っ当すぎるほど真っ当に見えます。

一方、死刑存置派はもっとも重大な論拠として、被害者とその遺族の無念、悲しみ、怒り等を挙げます。彼らの心情に寄り添えば極刑も仕方がないという立場での死刑肯定論です。

それらのほかに凶悪犯罪抑止のため。仇討ちや私刑(リンチ)を防ぐため。凶悪な犯罪者の再犯を防ぐため。大多数の日本国民(80%)が死刑制度を支持している。人を殺した者は自らの生命をもって罪を償うべき、等々があります。

主張の正邪

死刑肯定論者が主張する凶悪犯罪抑止効果に対しては、廃止論者はその証拠はない、として反発します。実際に抑止効果があるかどうかの統計は見つかっていません。

また80%の日本国民が死刑を支持しているというのは、設問の仕方が誘導的であり実際にはもっと少ないという意見もあります。

「誤判や冤罪は他の刑の場合にも発生する。死刑だけを特別視するのはおかしい」という存置派の主張に対しては、死刑廃止論者はこう反論します。

「死刑以外の刑罰は誤判や冤罪が判明した場合には修正がきく。死刑は人の命を奪う。その後で誤判や冤罪が判明しても決して元に戻ることはできない。従って死刑の誤審や冤罪を他の刑罰と同列に論じることは許されない」と。

そうして見てくると、死刑制度が許されない刑罰であることは明らかであるように思います。

無実の者を死刑にしてしまう決してあってはならない間違いが起こる可能性や、殺人を否定しながら死刑を設ける国の矛盾を見るだけでも、死刑廃止が望ましいと言えるのではないでしょうか。

生きている加害者の命は死んだ被害者の命より重いのか

生まれながらの犯罪者はこの世に存在しません。何かの理由があって彼らは犯罪を犯します。その理由が貧困や差別や不平等などの社会的な不正義であるなら、その根を絶つための揺るぎのない施策が成されるべきです。

死刑によって犯罪者を抹殺し、それによって社会をより安全にする、というやり方は間違っています。

憎しみに憎しみで対するのは、終わりのない憎しみを作り出すことです。その意味でも死刑廃止はやはり正しいことです。

それでいながら筆者は、やはりどうしても死刑廃止論に一抹の不審を覚えます。

それは次のような疑念があるからです。

「殺人鬼の命も重い。従って殺してはならない」という死刑廃止論は、殺されてしまった被害者の命を永遠に救うことができません。

命を救うことが死刑廃止の第一義であるなら、死刑廃止論はその時点で既に破綻しているとも言えます。

また死刑廃止論は、「生きている加害者を殺さない」ことに熱心なあまり、往々にして「死んでしまっている被害者」を看過する傾向があります。

生者の人権は、たとえ悪人でも死者の人権より重い、とでもいうのでしょうか。それでは理不尽に死者にされてしまった被害者は浮かばれません。

死刑廃止は凶悪犯罪の抑止にならない

死刑は凶悪犯罪の抑止に資することはないとされます。ところが同時に、死刑廃止も凶悪犯罪の抑止にはつながりません。

死刑のない欧州で、ノルウェー連続テロ事件やイスラム過激派によるテロ事件のような重大犯罪が頻発することが、そのことを如実に示しています。

この部分では死刑制度だけを責めることはできません。

なるべくしてなった凶悪犯罪者には死刑は恐怖を与えない。だから彼らは犯罪を犯します。

だがそれ以外の「まともな」人々にとっては、死刑は「犯罪を犯してはならない」というシグナルを発し続ける効果があります。それは特に子供たちの教育に資します。

恐怖感情を利して何かを達成するというのは望ましいことではありません。が、犯罪には常に恐怖が付きまといます。

特に凶悪犯罪の場合にはそれは著しい。

従って恐怖はこの場合は、必要悪として認めても良い、というふうにも考えられます。

汚れた命 

殺してはならない生命を殺した凶悪犯は、その時点で「人を殺していない生命」とは違う生命になります。分かりやすいように規定すれば、いわば汚れた生命です。

汚れとは被害者からの返り血に他なりません。

従って彼らを死刑によって殺すのは、彼らが無垢な被害者を殺したこととは違う殺人、という捉え方もできます。

汚れた生命は「汚れた生命自身が与えた被害者の苦しみ」を味わうべきという主張は、復讐心の桎梏から逃れてはいないものの、荒唐無稽なばかりとは言えません。

理論上もまた倫理上も死刑は悪です、だが人は理論や倫理のみで生きているのではありません。人は感情の生き物でもあります。その感情は多くの場合凶悪犯罪者を憎みます。

揺るぎない証拠に支えられた凶悪犯罪者なら、死刑を適用してもいいと彼らの感情は訴えます。だが、最大最悪の恐怖は―繰り返しになりますが―冤罪の可能性です。

法治国家では誤判の可能性は絶対に無くなりません。世の中のあらゆる人事や制度にリスクゼロはあり得ない。裁判も例外ではなく必ず冤罪が起きるリスクを伴います。

ほんのわずかでも疑問があれば決して死刑を執行しない、あらゆる手を尽くして死刑に相当するという確証を得た場合のみ死刑にすることを絶対条件に、極刑を存続させてもいいという考えもあり得ます。

ノルウエーのブレイビクのような凶悪な確信犯が、彼らの被害者が味わった恐怖や痛みを知らずに生き延びるのはおかしい。理由が何であるにせよ、残虐非道な殺人を犯した者が、被害者の味わった恐怖や痛みや無念を知ることなく、従って真の悔悟に至ることも無いまま、人権や人道の名の下で保護され続けるのは不当だと思います。

彼らは少なくとも死の恐怖と向き合うべきです。それは殺されない終身刑では決して体験できません。死刑の判決を受けて執行されるまでの時間と、執行の瞬間にのみ味わうことができる苦痛です。

彼らは死の恐怖と向き合うことで、必ず自らの非情を実感し被害者がかけがえのない存在であることを悟ります。悟ることで償いが完成します。

死の恐怖を強制するのはむろん野蛮で残酷な仕打ちです。だが彼らを救うことだけにかまけて、被害者の無念を救おうとしない制度も同様に野蛮で残酷です。

犯罪者以外は皆善人

つまるところ死刑制度に関しては、その廃止論のみが100%善ではなく、存置論も犯罪を憎む善人たちの主張であることを忘れてはなりません。

無闇やたらに死刑廃止を叫んだり、逆にその存置を主張したりするのではなく、多くの人々―特に日本人―が感じている「やりきれない思い」を安んじるための方策が模索されるべきです。

死刑をさっさと廃止しない日本は、この先も世界の非難を浴び続けるでしょう。

だが民意が真に死刑存置を望むなら、国民的議論が真剣に、執拗に、そして胸襟を開いてなされるべき時が来ています。

日本は国民議論を盛り立てて論争の限りを尽くし、その上で独自の道を行っても構わないのではないかとも考えます。

いつの日か「日本が正しい」と世界が認めることがないとは誰にも言えないのですから。

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地中海が気温50℃の“火中海”になる時

イタリアは文字通り燃えるほどの猛暑に見舞われています。

南部のシチリア島では8月11日、欧州の最高気温となる48,8℃を記録しました。それまでの欧州記録は1977年ギリシャのアテネで観測された48℃です。

なお、1999年に今回と同じシチリア島で48,5℃が観測されましたが、それは公式の記録としては認められていません。

欧州とは思えないほどの熱気はアフリカのサハラ砂漠由来のもの。

広大な砂漠の炎熱は、ヒマラヤ山脈由来の大気が日本に梅雨をもたらすように、地中海を超えてイタリアに流れ込み気象に大きな影響を及ぼします。よく知られているのは「シロッコ」。

熱風シロッコはイタリア半島に吹き付けて様々な障害を引き起こしますが、最も深刻なのは水の都ベニスへの影響。

シロッコは秋から春にかけてベニスの海の潮を巻き上げて押し寄せ、街を水浸しにします。ベニス水没の原因の一つは実はシロッコなのです。

48、8℃を記録した今回の異様な気象は、アフリカ起源の暑熱に加えて地球温暖化の影響が大きいと見られています。

シチリア島では熱波と空気乾燥によって広範囲に山火事が起きました。

シチリア島に近いイタリア本土最南端のカラブリア州と、ティレニア海に浮かぶサルデーニャ島でも山林火災が次々に勃発し、緊急事態になっています。

同じ原因での大規模火災は、ギリシャやキプロス島など、地中海のいたるところで発生しています。

熱波と乾燥と山火事がセットになった「異様な夏」は、もはや異様とは呼べないほど“普通”になりつつありますが、山火事に関してはイタリア特有の鬱陶しい現実もあります。

経済的に貧しい南部地域に巣くうマフィアやンドランゲッタなどの犯罪組織が、人々を脅したり土地を盗んだりするために、わざと山に火を点けるケースも多々あると見られているのです。

イタリアは天災に加えて、いつもながらの人災も猖獗して相変わらず騒々しい。

偶然ですが、ことし6月から7月初めにかけての2週間、筆者はいま山火事に苦しんでいるカラブリア州に滞在しました。

その頃も既に暑く、昼食後はビーチに出るのが億劫なほどに気温が上がりました。

夕方6時頃になってようやく空気が少し落ち着くというふうでした。

それでもビーチの砂は燃えるほどに熱く、裸足では歩けませんでした。

人々の話では、普段よりもずっと暑い初夏ということでした。今から思うとあの暑さが現在の高温と山火事の前兆だったようです。

北イタリアの筆者の菜園でもずっと前から異変は起きていました。

4月初めに種をまいたチンゲン菜とサントー白菜が芽吹いたのはいいのですが、あっという間に成長して花が咲きました。

花を咲かせつつ茎や葉が大きくなる、と形容したいほどの速さでした。

チンゲン菜もサントー白菜も収穫できないままに熟成しきって、結局食べることはできませんでした。

温暖化が進む巷では、気温が上昇する一方で冷夏や極端に寒い冬もあったりして、困惑することも多い。

しかし菜園では、野菜たちが異様に早い速度で大きくなったり、花を咲かせて枯れたり、逆に長く生き続けるものがあったりと、気温上昇が原因と見られる現象が間断なく起きています。

自然は、そして野菜たちは、確実に上がり続けている平均気温を「明確」に感じているようです。

だがいかなる法則が彼らの成長パターンを支配しているかは、筆者には今のところは全くわかりません。

今回のイタリアの酷暑は、バカンスが最高に盛り上がる8月15日のフェラゴスト(聖母被昇天祭)まで続き、その後は徐々にゆるむというのが気象予報です。

だがいうまでもなくそれは温暖化の終焉を意味しません。

それどころか、暑さはぶり返して居座り、気温の高い秋をもたらす可能性も大いにありそうです。

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開会式で五輪マークを神輿に改造した日本のケセラセラ

東京五輪の開幕式の様子をやや否定的な気分でテレビ観戦しました。思い入れの強いシークエンスの数々が、「例によって」空回りしていると感じました。

「例によって」というのは、国際的なイベントに際して、日本人が疎外感を穴埋めしようとしてよく犯す誤謬にはまっていると見えたからです。

英語にnaiveという言葉があります。ある辞書の訳をそのまま記しますと:

「(特に若いために)世間知らずの、単純な、純真な、だまされやすい、(特定の分野に)未経験な、先入的知識のない、甘い、素朴な」

などとなります。

周知のようにこの言葉は日本語にも取り込まれて「ナイーブ」となり、本来のネガティブな意味合いが全てかき消されて、純真な、とか、感じやすい、とか、純粋な、などと肯定的な意味合いだけを持つ言葉になっています。

五輪開会式のパフォーマンスには、否定的なニュアンスが強い英語本来の意味でのnaiveなものがいっぱいに詰まっていると思いました。意図するものは純真だが、結果は心もとない、とでもいうような。

それは五輪マークにこだわった開会式典の、コアともいうべきアトラクションに、もっともよく表れていました。

美しい空回り

日本独特の木遣り唄に乗せて職人が踊るパフォーマンスは興味深いものでした。トンカチやノコギリの音が打楽器を意識した音響となって木霊し、やがて全体が大仕掛けの乱舞劇へとなだれ込んでいく演出は悪くなかったと思います。

しかしすぐに盛り下がりが来ました。

踊る職人たちの大掛かりな仕事の中身が、「木製の五輪マーク作り」だった、と明らかになった時です。

演出家を始めとする制作者たちは、日本文化の核のひとつである木を用いて、「オリンピックの理念つまり核を表象しているところの五輪マーク」を創作するのは粋なアイデアだ、と自画自賛したに違いありません。またそれを喜ぶ人々も多くいたようです。

英国のタイムズ紙は、開会式が優雅で質朴で精巧だった、とかなり好意的に論評しました。パンデミックの中での開催、また日本国民の不安や怒りなどが影響して、あまり悪口は言えない雰囲気があったのだと思います。

木遣り唄のパフォーマンスは、タイムズ紙が指摘したうちの質朴な要素に入るのでしょうが、実際にはそれは、日本人の屈折した心理が絡んだ複雑極まる演出で、質朴とはほど遠いものでした。

なぜなら職人たちが作ったのは五輪マークという「神輿」だったからです。

五輪マークは技量抜群の職人と伝統の木遣り唄によって神輿に改造され、現実から乖離し神聖になり、担いで崇めてさえいればご利益があるはずの空虚な存在になりました。

傍観者

五輪マークに異様なまでに強くこだわるその心理は、世界の気分と乖離していると筆者は感じました。

五輪の理念や理想や融和追求の姿勢はむろん重要なものです。

だがそれらは、日本が建前やポーズや無関心を排して、真に世界に参画する行動を起こすときにこそ意味を持ちます。

しかし日本はその努力をしないままに、世界や日本自身の問題に対しスローガンや建前を前面に押し出すだけの、いわば傍観者の態度で臨んでいることが多い。

具体的に言えば例えば次のようなことです。

日本は先進国でありながら困難に直面している難民に酷薄です。また実質は「移民」である外国人労働者に対する仕打ちも、世界の常識では測れない冷たいものであり続けています。

日本国内に確実に増え続けている、混血の子供たちへの対応も後手後手になっています。彼らをハーフと呼んで、それとも気づかないままに差別をしているほとんどの国民を啓蒙することすらしない。

世界がひそかに嘲笑しているジェンダーギャップ問題への対応もお粗末です。対応する気があるのかどうかさえ怪しいくらいです。

守旧派の詭弁

夫婦同姓制度についても、女性差別だとして日本は国連から夫婦別姓に改正するよう勧告を受けています。

するとすぐにネトウヨヘイト系保守排外差別主義者らが、日本の文化を壊すとか、日本には日本のやり方がある、日本には夫か妻の姓を名乗る自由がある、などという詭弁を声高に主張します。日本政府は惑わされることなく、世界スタンダードを目指すべきなのに、それもしません。

夫婦別姓で文化が壊れるなら、世界中のほとんどの国の文化が壊れていなければなりません。だが全くそうはなっていません。

その主張は、男性上位社会の仕組みと、そこから生まれる特権を死守したい者たちの妄言です。

日本の法律では夫か妻の姓を名乗ることができるのは事実です。だがその中身は平等とはほど遠い。ほとんどの婚姻で妻は夫の姓を名乗るのが現実です。そうしなければならない社会の同調圧力があるからです。

同調圧力は女性に不利には働いています。だから矯正されなければならない、というのが世界の常識であり、多くの女性たちの願いです。

言うまでもなく日本には、何事につけ日本のやり方があって構わない。だがその日本のやり方が女性差別を助長していると見做されている場合に、日本の内政問題だとして改善を拒否することは許されません。国内のトランプ主義者らによる議論のすり替えに惑わされてはならないのです。

五輪は世界に平和をもたらさない

それらの問題は、日本が日本のやり方で運営し施行し実現して行けばよい他の無数の事案とは違って、「世界の中の日本」が世界の基準や常識や要望また世論や空気を読みながら、「世界に合わせて」参画し矯正していかなければならない課題です。

日本が独自に解決できればそれが理想の形ですが、日本の政治や国民意識が世界の常識の圏外にあるばかりではなく、往々にして問題の本質にさえ気づけないような現状では、「よそ」を見習うことも重要です。

日本は名実ともに世界の真の一員として、世界から抱擁されるために、多くの命題に本音で立ち向かい、結果を出し、さらなる改善に向けて行動し続けなければなりません。

「絆を深めよう」とか、「五輪で連帯しよう」とか、「五輪マークを(神輿のように)大事にしよう」とか、あるいは今回の五輪のスローガンである「感動でつながろう(united by emotion)」などというお題目を、いくら声高に言い募っても問題は解決しません。

オリンピックは連帯や共生やそこから派生する平和を世界にもたらすことはありません。世界の平和が人類にオリンピックをもたらすのです。

そして平和や連帯は、世界の国々が世界共通の問題を真剣に、本音で、互いに参画し合って解決するところに生まれます。

今の日本のように、世界に参加するようで実は内向きになっているだけの鎖国体制また鎖国メンタリティーでは、真に世界と連携することはできません。

五輪開会式に漂う日本式の「naive」なコンセプトに包まれたパフォーマンスを見ながら、筆者はしみじみとそんなことを頭に思い描いたりしました。

無垢な誤謬

この際ですから次の事柄も付け加えておこうと思います。

古い日本とモダンな日本の共存、というテーマも五輪の意義や理想や連帯にこだわりたい人々が督励したコンセプトです。

そのことは市川海老蔵の歌舞伎十八番の1つ「暫(しばらく)」と女性ジャズピアニストのコラボに端的に表れていました。

日本には歴史と実績と名声が確立した伝統の歌舞伎だけではなく、優秀なモダンジャズの弾き手もいるのだ、と世界に喧伝したい熱い気持ちは分かりますが、筆者は少しも熱くなりませんでした。

必死の訴えかけにやはりnaiveな孤独の影を見てしまったのです。

古い歌舞伎に並べて新しい日本を世界に向けてアピールしたいなら、例えば開会式の華とも見えた「2000台近い発行ドローンによる大会シンボルマークと地球の描写」をぶつければよかったのに、と思いました。

ドローンによるパフォーマンスこそ日本の技術の高さと創造性が詰まった新しさであり、ビジョンだと感じたのです。日本の誇りである「大きな」且つ「古い」歌舞伎に対抗できるのは、ひとりのジャズピアニストではなく、その新しいビジョンだったのではないでしょうか。

さらに、意味不明のテレビクルーのジョークはさて置き、孤独なアスリートや血管や医療従事者などのシンボリックなシーンは、手放しでは祝えない異様な五輪を意識したもの、と考えれば共感できないこともありません。だが、残念ながらそこでも、再び再三違和感も抱きました。

そもそも心から祝うことができないない五輪は開催されるべきではありません。

しかし紆余曲折はあったものの、既に開催されてしまっているのですから、一転してタブーを思い切り蹴散らして、想像力を羽ばたかせるべきではないか、と感じました。アートに言い訳など要らないのです。

オリンピックは、例えば「バッハ“あんた何様のつもり?”会長」の空虚でむごたらしいまでに長い「挨拶風説教」や、政治主張や訓戒や所論等々の強要の場ではなく、世界が参加する祝祭です。祝祭には祝祭らしく、活気と躍動と歓喜が溢れているほうがよっぽど人の益になると考えます。

最後に、自衛隊による国旗掲揚シーンは、2008年中国大会の軍事力誇示パフォーマンスほど目立つものではありませんでしたが、過去の蛮行を一向に総括しようとはしない守旧日本の潜在的な脅威の表象、という意味では中国の示威行動と似たり寄ったりのつまらない光景、と筆者の目には映りました。

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秘境のヤギ煮込みは噛むほどに味が深まる「秘すれば花」レシピだった

6月から7月初めにかけて滞在したカラブリア州では、いつものように地域グルメを満喫しました。

今回の休暇でも、1日に少なくとも1回はレストランに出かけました。昼か夜のどちらかですが、初めの1週間はこれまた例によって、1日に2度外食というのがほとんどでした。

しかし時間が経つに連れて、美食また飽食に疲れて2度目を避けるようになったのも、再び「いつもの」成り行きでした。

海のリゾートなので食べ歩くレストランではまず魚介料理に目が行きました。

海鮮のパスタは全く当たり外れがなく、全てが極上の味でした。

イタリアではそれが普通です。パスタの味が悪いイタリアのレストランは「あり得ない」と断言してもかまいません。 もしあるならそれはまともなレストランではありません

イタリアにおけるレストランのレベルは、パスタを食べればすぐに分かる、というのが筆者の持論です。

一方、魚そのものの料理の味わいは、いつも通りだと感じました。

つまり日本食以外の世界の魚料理の中では1、2を争う美味さだが、日本の魚料理には逆立ちしてもかなわない、という味です。

そんな訳で結局、魚介膳はパスタに集中することになりました。

それに連れて、メインディッシュは肉料理が多くなりました。

そこでもっとも印象に残ったのは、黒豚のロースト・秘伝ソース煮込みです。肉を切るのにナイフはいらず、フォークを押し当てるだけでやわらく崩れました。

口に入れるととろりと舌にからんでたちまち溶けました。

芳醇な味わいと、甘い残り香がいつまでも口中に漂いました。

肉料理に関してはさらに驚きの、全く予期しなかった出来事もありました。

なんと筆者が追い求めているカプレット(子ヤギ肉)の煮込み料理に出会ったのです。味も一級の上を行くほどの秀逸なレシピでした。

場所はカラブリア州コセンザ県の山中の町、チヴィタのレストランです。

チヴィタは15世紀頃にバルカン半島のアルバニアからイタリアに移り住んだ、「アルブレーシュ」と呼ばれる人々の集落です。アルブレーシュの集落がコセンツァ県には30箇所、カラブリア州全体では50箇所ほどあるとされます。

キリスト教のうちの正教徒であるアルブレーシュの人々は、彼らの故郷がイスラム教徒のオスマントルコに侵略されたことを嫌って、イタリア半島に移住しました。

チヴィタは広大なポッリーノ国立公園内にあるよく知られた町で、アルバニア系住民を語るときにはひんぱんに引き合いに出されます。

アルブレーシュの人々は、むろん今はイタリア人です。彼らは差別を受けるのでもなければ、嫌われたりしているわけでもありません。

イタリア人は、日本人を含む世界中の全ての国民同様に、混血で成り立っています。

そのことをよく知り且つ多様性を誰よりも愛するイタリア人は、自らのルーツを忘れずに生き続けるアルブレーシュの人々を尊重し親しんでいます。

筆者はそうした知識を持って滞在地から30キロほど離れた山中にあるチヴィタを訪ねました。

そこでチヴィタ独特のカプレット(子ヤギ)料理があると聞かされたのです。

それまではアルブレーシュの人々が、ヤギや羊肉料理に長けているとは思ってもみませんでした。

筆者はイタリアを含む地中海域の国々を訪ねる際には、いつもカプレットや子羊を含むヤギ&羊肉料理を食べ歩きます。むろん他の料理も食べますが、ヤギや羊肉は地中海域独特の膳なので集中して探求するようになりました。

初めは珍味どころか、ゲテモノの類いにさえ見えていたヤギ&羊肉膳は、最近ではすっかり筆者の大好きな料理になっています。

以前はそれを見るさえいやだ、と怒っていた妻も、今では筆者と同じか、あるいはさらに上を行くかもしれないほどのヤギ&羊肉料理愛好家になってしまいました。

カラブリア州でも「ヤギ&羊肉を食べるぞ」計画を立てて乗り込みましたが、海際のリゾート地にはそれらしい料理は見当たりませんでした。

山中のチヴィタで初めて、思いがけなく出会ったのです。

チヴィタで食べたカプレットの煮込みは、これまでに食べたヤギ&羊肉料理のなかでもトップクラスの味がしました。

食べながら少し不思議な気がしました。

ヤギや羊肉を好んで食べるのは、イスラム教徒を主体にする中東系の人々です。宗教上の理由から豚肉を避ける彼らは、自然にヤギや羊肉の調理法を発達させました。

アルバレーシュはキリスト教徒です。従ってイスラム教徒やユダヤ教徒、また中近東系のほとんどの人々とは違いヤギや羊を好んでは食べない、と筆者は無意識のうちに思い込んでいました。

だが思い返してみると実際には、地中海域のキリスト教徒もヤギや羊をよく食します。イスラム教徒の影響もあるでしょうが、ヤギや羊は地中海地方のありふれた家畜ですから、彼らも自然に食べるようになった、というのが歴史の真実でしょう。

チヴィタでよく知られたレストランは、どこでもカプレット料理を提供していました。他のアルブレーシュの町や村でも同じだといいます。

アルブレーシュ風のヤギ・羊肉膳は、ソースやタレで和えた煮込みと焼きレシピが主ですが、肉を様々にアレンジしてパスタの具にする場合もあります。

チヴィタでは日にちを変えて3件のレストランを訪ね、それぞれが工夫を凝らしたカプレット料理を堪能しました。

また、滞在地から遠くない内陸の村にもアルブレーシュの女性が経営するレストランがあり、カプレット料理を出すことが分かりました。チヴィタのレストランで得た情報です。

早速訪ねてカプレットの煮込みを食べてみました。そこの味も出色でした。

場所が近いのでもう一度訪ねて、今度はカプレットの炭火焼きに挑戦しようと思いましたが、時間が足りず叶いませんでした。

そのレストランもチヴィタの店も、もう一度訪ねたい気持ちは山々ですが、旅をしたい場所や国は多く、人生は短い。

果たして再び行き合えるかどうかは神のみぞ知る、というところです。


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発展途上のリゾート地も面白い

エーゲ海まで

6月から7月初めにかけての2週間イタリア本土最南端のカラブリア州に遊びました。

正確に言えば、カラブリア州のイオニア海沿岸のリゾート。

ビーチを出てイオニア海をまっすぐ東に横切ればギリシャ本土に達する。そこからさらに東に直進すればエーゲ海に至る、という位置です。

地中海は東に行くほど気温が高くなり空気が乾きます。

今回の滞在地は、西のティレニア海に浮かぶサルデーニャ島と東のエーゲ海の中間にあります。エーゲ海の島々とサルデーニャ島が筆者らがもっとも好んで行くバカンス地です。

2021年初夏のカラブリア州のビーチは、定石どおりにサルデーニャ島よりは気温は高いものの、空気はやや湿っていました。

しかし、蒸し暑いというのではなく、紺碧の空と海を吹き渡る風が、ギラギラと照りつける日差しを集めて燃え、心地良い、だが耐え難い高温を運んでは去り、またすぐに運び来ました。

それは四方を海に囲まれた島々にはない、大陸に特有の高温です。筆者はイタリア半島が、まぎれもなく大陸の一部であることを、いまさらのように思い起こしたりしました。

今回も例によって仕事を抱えての滞在でした。だが、やはり例によって、できる限り楽しみを優先させました。

イタリア最貧州と犯罪組織

カラブリア州はGDPで見ればイタリアで1、2を争う貧しい州です。

だがそこを旅してみれば、果たして単純に“貧しい”と規定していいものかどうか迷わずにはいられません。

景観の中には道路脇にゴミの山があったり、醜悪な建物が乱立する無秩序な開発地があったり、ずさんな管理が露わなインフラが見え隠れしたりします。

行政の貧しさが貧困を増長する、南イタリアによくある光景です。カラブリア州の場合はあきらかにその度合いが高いと分かります。

時としてみすぼらしい情景に、同州を基盤にする悪名高い犯罪組織“ンドランゲッタ”のイメージがオーバーラップして、事態をさらに悪くします。

イタリアには4つの大きな犯罪組織があります。4つとも経済的に貧しい南部で生まれました。

それらは北から順に、ナポリが最大拠点のカモラ、プーリア州のサクラコロナユニタ 、カラブリア州のンドランゲッタ、そしてシチリア島のマフィアです。

近年はンドランゲッタが勢力を拡大して、マフィアを抑えてイタリア最大の犯罪組織になったのではないか、とさえ見られています。

貧困の実相

それらの闇組織は貧困を温床にして生まれ、貧困を餌に肥え太り、彼らに食い荒らされる地域と住民は、さらに貧しさの度合いを増す、という関係にあります。

だが、そうではあるものの、カラブリア州の貧しさは「“いうなれば”貧しい」と枕詞を添えて形容されるべき類いの貧しさだと筆者は思います。

つまりそこは、やせても枯れても世界の富裕国のひとつ、イタリアの一部なのです。

住民は費用負担がゼロの皆保険制度によって健康を守られ、餓死する者などなく、失業者には最低限の生活維持に見合う程度の国や自治体の援助はあります。

それとは別に、よそ者である筆者らが2週間滞在したビーチ沿いの宿泊施設は快適そのものでした。海に面した広大なキャンプ場の中にある一軒家です。

海で休暇を過ごすときにはほぼ決まって筆者らはそういう家を借ります。今回の場合は普通よりもベランダが広々としていて、快適度が一段と増しました。

旅人たちは憩う

筆者らは朝早い時間と夕刻にビーチに向かいます。

波打ち際を散歩し、泳ぎ、パラソルの下で読書をし、気が向けばアペリティブ(食前酒)を寝椅子まで運んでもらい、眠くなれば素直にその気分に従います。

そうした動きもまた、海で休暇を過ごすときの筆者らのお決まりの行事です。

今回は少しだけ様子が違いました。

昼食後にビーチに向かう時間が普段よりもかなり遅くなりました。降り注ぐ日差しが強烈過ぎて、午後6時ころまでビーチに出る気がしないのです。

空気は熱く燃え、ビーチの砂は裸足で歩けば確実に火傷をするほどに猛っていました。

今回の休暇でも、1日に少なくとも1回はレストランに出かけました。昼か夜のどちらかですが、初めの1週間は、これまた例によって1日に2度外食というのが普通でした。

しかし時間が経つに連れて、美食また飽食に疲れて2度目を避けるようになったのも、再び「いつもの」成り行きでした。

食べ歩いたレストランはどこも雰囲気が良く、頼んだ料理はことごとく一級品でした。

カラブリア州の可能性

宿泊施設もレストランもあるいは地元住民とは無縁の、「貧しさの中の富裕」とでも形容するべき特権的な事象かもしれません。

しかし、旅人が利用する宿泊施設はさておき、レストランは地元民も利用します。それは地元の人々の嗜好を反映し、いわば民度に即した形で存在する施設です。

そこで提供される食事も、特に地域グルメや郷土料理の場合は、地元民自身が美味い食事をしていない限り、旅人にとってもおいしいという料理は生まれません。

つまり強烈な陽光と青い海に恵まれた「貧しい」カラブリア州は、イタリア随一のバカンス地であるサルデーニャ島や、ギリシャのエーゲ海域にも匹敵する可能性を秘めた、いわば「発展途上の」リゾート地というふうに感じられました。

 

 

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