ドラマチックにダサいドラマもある

先のエントリーでNHKのドラマが無条件にすばらしいと誤解されかねない書き方をしたように思います。

そこでつまらないドラマについてももう少し明確に書いておくことにしました。

前項でも少し触れたようにNHKのドラマにも無論たいくつなものはあります。

実際に言及したものの中では 『子連れ信兵衛 』『ノースライト』『岸辺露伴は動かないⅡ』などが期待はずれでした。

また『正義の天秤』では、人間性とプロ意識が葛藤する場面で、主人公が弁護士バッジを外したり付けたりするアクションで問題を解決するシーンに、‘噴飯もの’と形容したいほどの強い違和感を抱きました。

それは最も重要に見えたエピソードの中での出来事だったため、それ以外の面白いストーリーの価値まで全て吹き飛んだような気分になりました。

また『70才、初めて産みましたセブンティウイザン』は、超高齢の夫婦が子供を授かった場合にあり得るであろう周囲の反応や、実際の肉体的また精神的苦悩が真剣に描かれていて、それが非常によかった。

しかし筆者はそのドラマの内容に関しては、ドラマそのものが成立し得ないであろう、と考えられるほどの致命的且つ根本的な疑問を持ち続けました。それについては長くなるので次の機会に回すことにします。

山本周五郎原作の 『子連れ信兵衛 』は、周五郎作品に時々見られる軽易な劇展開を真似たようなシーンが多々ありました。   

人物像も皮相で説得力がなかった。なによりもドラマの展延が偶然や都合のよいハプニングまた予定調和的なシーンに満ちていて、なかなか感情移入ができませんでした。

山本周五郎の作品は周知のように優れた内容のものが多い。だが、中にはおどろくほど安手の設定や人間描写に頼るドラマもまた少なくありません。それは多作が原因です。

多作は才能です。周五郎を含めた人気作家のほぼ誰もが多作であるのは、彼らの作品が読者に好まれて需要が高いからにほかなりません。

そして彼らはしっかりとその需要に応えます。才能がそれを可能にするのです。

だがおびただしい作品群の中には安直な作品もあります。それは善人や徳人や利他主義者などが登場する小説である場合が多い。

それらの話は、勧善懲悪を愛する読者の心を和ませて彼らの共感を得ます。徹底した善人という単純さが眉唾なのですが、一方では周五郎の深い悪人描写にも魅せられている読者は、気づかずに心を打たれます。

小説の場合には、絵的な要素を読者が想像力で自在に補う分、全き善人という少々軽薄な設定も受け入れやすい。だが、映像では人物が目の前で躍動する分、緻密に場面を展開させないと胡乱な印象が強くなります。

それをリアリティあふれる映像ドラマにするためには、演出家の力量もさることながら、小説を映像に切り換える道筋を示す脚本がものを言います。

さらに多くの場合は、リアリティを深く追求すればするほど制作費が嵩む、などのシビアな問題も生まれて決して容易ではありません。

それは2022年2月現在、ロンドン発の日本語放送で流れている「だれかに話したくなる  山本周五郎日替わりドラマ2 」でも起きていることです。

今このとき進行しているドラマでつまらないものをもう一本指摘しておきます。

「歩くひと」です。

NHKの説明では「ちょっと歩いてくるよ」と妻に言い残して散歩に出た主人公が、日本各地の美しい風景の中に迷い込み、触れ、楽しみ、そしてひたすら歩く話、だそうです。

そして“これまでにない、ファンタジックな異色の紀行ドラマ”がキャッチコピーです。

だが筆者に言わせればそんな大層な話ではありません。

紀行ドキュメンタリーではNHKはよくリポーターを立てます。リポーターは有名な芸能人だったりアナウンサーだったりしますが、要するに出演者の目線や体験を通して旅を味わう、とう趣旨です。

「歩くひと」では、井浦新演じる主人公が日本中を歩く。えんえんと歩く。歩く間に確かに美しい光景も出現します。

だが、「だからなに?」というのが正直な筆者の思いです。退屈極まりないのです。

筆者はこの番組のことを知らず、従ってそれを見る気もなくテレビをONにしました。すると見覚えのある顔の男が、酒でも飲んだのか路上で寝入る場面にでくわしました。

それが主人公の井浦新なのですが、筆者はそこでは彼の名前も知らないまま思わず引き込まれました。

それというのも井浦が出演するもうひとつのNHKドラマ、『路〜台湾エクスプレス〜』 の続編がちょうどこの時期オンエアになっていて、彼の顔に馴染みがあったのです。

『路〜台湾エクスプレス〜』でも、井浦が演じる安西という男が酒を飲んで荒れる印象深いシーンがあります。筆者は突然目に入った「歩くひと」の一場面と『路〜台湾エクスプレス〜』を完全に混同してしまいました。

『路〜台湾エクスプレス〜』が放送されているのだと思いました。展開を期待して見入りました。だが男は森や畑中や集落の中を延々と歩き続けるだけです。

番組が『路〜台湾エクスプレス〜』ではないと気づいたときには、筆者はもうすでに長い時間を見てしまっていました。退屈さに苛立ちつつも、我慢して見続けた自分がうらめしくなりました。

この記事を書こうと思いついて念のために調べました。日本語放送の番組表なども検分しました。そうやって筆者は初めて井浦新という俳優の名を知り、「歩くひと」という新番組の存在も知りました。

NHKは筆者の専門でもあるドキュメンターリー部門で、「世界ふれあい街歩き」という斬新な趣向の番組を発明し、今も制作し続けています。

カメラがぶれないステディカムや最新の小型カメラを駆使して撮影をしています。その番組が登場した時、筆者は「なんという手抜き番組だ!」と腹から驚きました。

世界中の観光地などを、観光客があまり歩かないような地域も含めてカメラマンひとりがえんえんと撮影し続けるのです。ディレクターである筆者にはあきれた安直番組と見えました。

ところが筆者は次第にその番組にはまっていきました。

今では訪ねたことのない街や国をそこで見るのが楽しみになっています。また愉快なのは、既に知っている国や街の景色にも改めて引き込まれて見入ることです。

前述のように観光客があまり行かず、紀行番組などもほとんど描写しないありふれた場所などを、丹念に見せていく手法が斬新だからです。

「歩くひと」にももしかするとそんな新しい要素があるのかもしれません。

だが筆者がそれを好きになることはなさそうです。歩く主人公は筆者が大嫌いな紀行物のリポーターにしか見えないからです。

また景観をなめ続けるカメラワークにもほとんど新しさを感じないからです。

ひたすら歩くだけの人物はさっさと取り除いて、景色をもっと良く見せてくれ、と思いつつテレビのスイッチを切りました。

おそらく、少なくない割合の視聴者が自分と同じことを感じている、と筆者はかなりの自信を持って言えます。

今後番組の評判が高まって、シリーズが制作され続ければ、視聴者としては大いなる日和見主義者である筆者は、あるいは改めてのぞいてみるかもしれません。

が、今のままではまったく見る気がしない。時間のムダ、と強く感じます。

 

 

 

 

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