「クイ食いネー」と言われても食えねェ場合もある  

ペルーは南米でもっとも観光客に人気のある国とされます。アンデス山脈、アマゾン川、ナスカの地上絵、マチュピチュなど、など・・ペルーには魅惑的な観光スポットが数多くあります。

そのぺルーを旅した時の話。旅では標高約5千メートルの峠越え3回を含む、3700メートル付近の高山地帯を主に移動しました。

目がくらむほどに深い渓谷を車窓真下に見る、死と隣り合わせの険しい道のりと、観光客の行かない高山地帯の村々や人々の暮らしは、見るもの聞くものの全てが新鮮で大いに興奮しました。

その中でも特に面白かったのは「ペルーの豚」料理でした。面白かったというのは実は言葉のあやで、筆者は「ペルーの豚」料理に閉口しました。

ペルーには2種類の豚がいます。一つは誰もが知っている普通の豚。山中の村では豚舎ではなく、道路などでも放し飼いにされています。これはとてもおどろきでした。


でももう一種の豚はもっとおどろきです。それは普通の子豚よりもずっと小さな豚で、ここイタリアを含む欧米で「ギニア(西アフリカ)の豚」とか「チビ豚」また「インド豚」などとも称されます。

ペルーでは「クイ」と呼ばれ、それの丸焼き料理がよく食べられます。つまり先に触れた「ペルーの豚」料理です。レストランなどでも正式メニューとして当たり前に提供されています。

クイは見た目は体がずんぐりしていて頭が大きく、確かに極小の豚のようでもあります。だがクイは本当は豚ではなく、モルモットのことです。日本語では天竺鼠とも言います。

筆者はクイの丸焼き料理がどうしても食べられませんでした。天竺鼠の「ネズミ」という先入観が邪魔をして、とても口に入れる気になれないのでした。

クイの丸焼きの見た目は、どちらかと言えばウサギの丸焼きです。イタリアでよく食べられるウサギも、実は筆者は長い間食べることができませんでした。

が、郷に入らば郷に従え、と自分に言い聞かせて後には何とか食べられるようになりました。

ウサギ肉は、自ら望んで「食べたい」とは今も思いませんが、提供されたら食べます。クイもそのつもりでいました。しかしモルモットでありネズミである、という思いが先にたってどうしてもだめだったのです。

実を言うと筆者がクイを食べられなかったのは、ネズミという先入観が全てではありません。筆者が田舎者であることが真の理由なのだろうと思います。

田舎の人というのは新しい食べ物を受けつけない傾向があります。誤解を恐れずに言えば、いわゆる田舎者の保守体質です。

日本でもそうですが、ここイタリアでも田舎の人たちは、たとえば筆者が日本から土産で持ち込む食べ物を喜ばないことが多い。悪気があるのではなく、彼らは食の冒険を好まないのです。

生まれが大いなる田舎者の筆者は、イタリアに来て丸2年間生ハムを口にしませんでした。それが生肉だと初めに告げられたのが原因でした。ウサギ肉どころの話ではなかったのです。

イタリアでは生ハムは、ほぼ毎日と言っても良いくらいにひんぱんに食卓に供される食物です。2年後に思い切って食べてみました。以来大好きになり、今では生ハムのない食卓は考えもつきません。

ウサギを食べられるようになったのは、生ハムのエピソードからさらに10年以上も経ってからのことです。筆者はそんな具合に田舎者にありがちなやっかいな食習慣を持っています。

日本のド田舎を出て、ついには日本という祖国も飛び出して外国に住んでいる身としては、この「食の保守性」というか偏向性はちょっとまずい性癖です。世界の食は多様過ぎるほど多様なのですから。

それは良く分っているのですが、その面倒くさい性分は、標高が富士山よりはるかに高いアンデス山中でも変わることはありませんでした。

変わるどころか、土地の珍味を食べなくても別に死にはしない、と開き直っている自分がいました。まさに田舎者の保守性丸出しだったのです。

 

 

 

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マフィアの壊死が進まない

1992年5月23日、つまり30年前の今日、イタリア共和国シチリア島パレルモのプンタライジ空港(1995年に「ファルコーネ・ボルセリーノ国際空港」と改称)から市内に向かう自動車道を、時速約150キロ(140キロ~160キロの間と推測される)のスピードで走行していた「反マフィアの旗手」ジョヴァンニ・ファルコーネ判事の車が、けたたましい爆発音とともに中空に舞い上がりました。

それはマフィアが遠隔操作の起爆装置を用いて、1/2トンの爆薬を炸裂させた瞬間でした。正確に言えば1992年5月23日17時58分。ファルコーネ判事と同乗していた妻、さらに前後をエスコートしていた車中の3人の警備員らが一瞬にしてこの世から消えました。マフィアはそうやって彼らの天敵であるファルコーネ判事を正確に葬り去りました。

大爆殺を指揮したシチリアマフィアのボス、トト・リィナは、その夜部下を集めてフランスから取り寄せたシャンパンで「目の上のたんこぶ」ファルコーネ判事の死を祝いました。当時、イタリア共和国そのものを相手にテロを繰り返して勝利を収めつつある、とさえ恐れられていたトト・リィナは得意の絶頂にいました。が、実はそれが彼の転落の始まりでした。

敢然とマフィアに挑み続けてきた英雄ファルコーネ判事の死にシチリア島民が激昂しました。敵対する者を容赦なく殺戮するマフィアの横暴に沈黙を強いられてきた島の人々が、史上初めてマフィア撲滅を叫んで立ち上がりました。その怒りは島の海を越えてイタリア本土にも広がりました。折からのマニプリーテ(汚職撲滅)運動と重なってイタリア中が熱く燃えました。

世論に後押しされた司法がマフィアへの反撃を始めました。翌年1993年の1月、ボスの中のボスといわれたトト・リィナをついに警察が逮捕したのです。マフィアはその前にファルコーネ判事の朋友ボルセリーノ判事を爆殺し、リィナ逮捕後もフィレンツェやミラノなどで爆弾テロを実行するなど激しい抵抗を続けました。しかし司法はマフィアの一斉検挙を行ったりして、組織の壊滅を目指して突き進みました。

1996年5月20日、ファルコーネ判事爆殺テロの実行犯ジョバンニ・ブルスカが逮捕されました。彼はマフィアの襲撃防止のために高速走行をしていたファルコーネ判事の車の動きを、近くの隠れ家から双眼鏡で確認しつつ爆破装置を作動させた男。フィレンツェほかの爆弾テロの実行犯でもあります。100人~200人を殺したと告白した凶暴な殺人鬼でありながら、リーダーシップにも優れた男であることが判明しています。

ブルスカは当時マフィアの第3番目のボスと見られていました。組織のトップはすでに逮捕されたリィナ。ナンバー2が1960年代半ば以来逃亡潜伏を続けているベルナルド・プロヴェンツァーノでした。ブルスカは逮捕後に変心して司法側の協力者になり、逃亡先からマフィア組織を指揮していたプロヴェンツァーノは2006年4月に逮捕され、2016年6月、83歳で獄死しました。

現在のマフィアを指揮しているのは、トト・リィナが逮捕された1993年から逃亡潜伏を続けている マッテオ・メッシーナ・デナーロ(Matteo Messina Denaro 60歳)と見られています。警察はこれまでに何度か彼を逮捕しかけましたが失敗。やはり獄中で死亡したトト・リィナとなんらかの方法で連絡を取っていた、という見方も根強くありますが真相は闇の中です。

メッシーナ・デナーロが逮捕される時、マフィアの息の根が止まる、という考え方もありますが、それは楽観的過ぎるどころか大きな誤謬です。30年前、反マフィアのシンボル・ファルコーネ判事を排除してさらに力を誇示するかに見えたマフィアは、そこを頂点に確かに実は崩壊し始めました。だがその崩落は30年が過ぎた今もなお全体の壊滅とはほど遠い、いわば壊死とも呼べるような不完全な死滅に過ぎません。

イタリアの4大犯罪組織、つまりマフィア、ンドランゲッタ、カモラ、サクラ・コローナ・ウニータのうち現在最も目立つのはンドランゲッタであす。彼らを含むイタリアの犯罪組織を全て一緒くたにして「マフィア」と呼ぶ、特にイタリア国外のメディアのおかげで、真正マフィアは表舞台から姿を消したのでもあるかのように見えます。だがその状況はマフィア自身がその現実をうまく利用して沈黙を守っている、とも考えられるのです。

その沈黙は騒乱よりも不気味な感じさえ漂わせています。トト・リィナの逮捕後、潜伏先からマフィア組織を牛耳ったプロヴェンツァーノが2016年に獄死したとき、元マフィア担当検事で上院議長のピエトロ・グラッソ氏(Pietro Grasso)は「多くの謎が謎のまま残るだろう。プロヴェンツァーノは長い血糊の帯を引きずりながら墓場に行った。おびただしい数の秘密を抱え込んだまま・・」とコメントしました。

マフィアの力は、前述してきたように、過去およそ30年の間に確実に弱まってはいます。ファルコーネ判事の意思を継いだ反マフィア活動家たちが実行し続ける「マフィア殲滅」運動が、じわじわと効果をあげつつあるのです。またイタリアがEU(欧州連合)に加盟していることから来るマフィアへの圧力も強いと考えられます。しかし、マフィアは相変わらず隠然とした勢力を保っています。

反マフィアのピエトロ・グラッソ氏が指摘したように、多くの事案が謎に包まれた犯罪組織は絶えず蠕動し続けていて、死滅からは程遠いと言わざるを得ないのです。

 

 

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エーゲ海のカモメに会いたい

ことしは、6月または9月に、コロナ騒動で中断していた地中海行を復活させる計画です。

日本語のイメージにある地中海は、西のイベリア半島から東のトルコ・アナトリア半島を経て南のアフリカ大陸に囲まれた、中央にイタリア半島とバルカン半島南端のギリシャが突き出ている海、とでも説明できるでしょうか。

日本語ではひとくちに「地中海」と言って済ませることも多い広い海は、実は場所によって呼び名の違う幾つかの海域から成り立っています。

イタリア半島から見ると、地中海には西にバレアス海とアルボラン海があり、さらにリグリア海があります。東にはアドリア海があって、それは南のイオニア海へと伸びていきます。

イタリア半島南端とギリシャの間のイオニア海は、ギリシャ本土を隔てて東のエーゲ海と合流し、トルコのマルマラ海にまで連なります。

それら全てを合わせた広大な海は、ジブラルタル海峡を通って大西洋と合流します。

地中海の日差しは、北のリグリア海やアドリア海でも既に白くきらめき、目に痛いくらいにまぶしい。

白い陽光は海原を南下するほどにいよいよ輝きを増し、乾ききって美しくなり、ギリシャの島々がちりばめられたエーゲ海で頂点に達します。

エーゲ海を起点に西に動くとギリシャ半島があり、イオニア海を経てイタリア半島に至ります。

イタリア半島の西にはティレニア海があります。そこにはイタリア随一のリゾート地、サルデーニャ島が浮かんでいます。

サルデーニャ島は、一級の上に超が付くほどのすばらしいバカンス地です。

太陽はきらめき、地中海独特の乾いた環境が肌に心地よい。

エーゲ海の島々の空気感は、そのサルデーニャ島よりもさらに乾いて白いきらめきに満ちています。

地中海では西よりも東の方が気温が高く、空気ももっと乾燥しています。

そして多くの島々を浮かべたエーゲ海は、サルデーニャ島を抱くティレニア海よりも東にあります。

清涼感に富むエーゲ海の光がよりまぶしく、目に映るものの全てを白色に染めて輝くように見えるのは、そこが地中海の中でも南の、且つ東方に位置している碧海だからです。

夏のエーゲ海の乾いた島々の上には、雲ひとつ浮かばない高い真っ青な空があります。

雨はほとんど降らず、来る日も来る日も抜けるような青空が広がっています。

エーゲ海の砂浜に横たわって真っ青な空を見上げていると、ときおり白い線が一閃します。

目を凝らして追いかけると、白光は強い風に乗って飛ぶカモメの軌跡だったのだと気づきます。

空気が乾いて透明だから、白が単なる白ではなく、鮮烈に輝く白光というふうに見えるのです。

コロナパンデミックの闇に慣れた目には、エーゲ海の光は一段と輝いて見えるに違いありません。

すると空の青を裂いて飛ぶカモメの白い軌跡は、いったいどのような光彩となって目を射るのでしょうか。

目もくらみそうなまぶしい想像に、いまから心躍る思いを禁じえません。

 

 

 

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「時には娼婦のように」の革命的愉快

なかにし礼作詞の名曲「時には娼婦のように」は次のように綴られます。

『時には娼婦のように 淫らな女になりな 
真赤な口紅つけて 黒い靴下をはいて
大きく脚をひろげて 片眼をつぶってみせな 
人さし指で手まねき 私を誘っておくれ

バカバカしい人生より バカバカしいひとときが 
うれしい ム・・・・・

時には娼婦のように たっぷり汗を流しな 
愛する私のために 悲しむ私のために
時には娼婦のように 下品な女になりな 
素敵と叫んでおくれ 大きな声を出しなよ

自分で乳房をつかみ 私に与えておくれ 
まるで乳呑み児のように むさぼりついてあげよう

バカバカしい人生より バカバカしいひとときが 
うれしい ム・・・・・

時には娼婦のように 何度も求めておくれ 
お前の愛する彼が 疲れて眠りつくまで』

この歌が発表された時、筆者は東京の大学の学生でした。歌詞の衝撃的な内容に文字通り目をみはりました。歌謡曲詞の革命だとさえ思いました。今もそう思っています。

「時には娼婦のように」について書いておこうと思ったのは、それが理由です。

かつて三島由紀夫は詩が書けないから小説を書くんだと言いました。詩とはそれほど卓越したものです。そして音楽とともに存在する歌詞もまた詩の一種です。

なかにし礼という作詞家は、阿久悠と共に一世を風靡しました。日本歌謡詞界の双璧として一時代に君臨しましたが、「時には娼婦のように」を生み出した分、なかにし礼の方が少し上かな、と筆者は考えています。

歌詞に限らず、あらゆる創造的な活動とは新しい発見であり発明です。新しい考え、新しい見方、新しい切り口、新しい哲学、新しい表現法などなど、これまで誰も思いつかなかったものを提示するのが創造です。

「時には娼婦のように」はそういう創造性にあふれた歌詞です。際どい言葉の数々を駆使しながらポルノにならず、「歌詞」という型枠を嵌められた「詞」でありながら、自由詩の大きさや凄みの域に達していると思います。

男の下賎な妄想である「昼は貞淑、夜は娼婦」という女の理想像を、歌謡曲という子供も女性たちも誰もが耳にする可能性のある普遍的な表現手段に乗せて、軽々とタブーを跨(また)ぎ越え世の中に広めてしまいました。

もう一方の天才・阿久悠は、名曲「津軽海峡冬景色」を

<上野発の夜行列車おりた時から 青森駅は雪の中~>

と始めて短い表現で一気に時間を飛び越え、東京の上野駅と青森駅を瞬時に結んでドラマを構築しました。よく知られた分析ですが、こちらもまたすごいので一応言及しておこうと思います。

作詞家なかにし礼はそのほかにも多くの創造をしましたが、新人の頃には「知りたくないの」という訳詞でも物議をかもしましたた。

エルビス・プレスリーも歌った英語の名曲「I really don’t want to know」を「あなたの過去など知りたくないの~」という名調子で始めたのですが、歌い手の菅原洋一が「過去」という語はよくないとゴネたといいます。

でも彼は信念を押し通して、そのおかげで今ある名訳詞が世の中に出回ることになりました。ヨカッタ。

筆者の独断と偏見による意見では、イタリアにも「なかにし礼」はいます。

ファブリツィオ・デ・アンドレというシンガーソングライターです。

彼は20年以上も前に亡くなりました。が、歌詞でも音楽でも圧倒的な存在感を持っています。あえて日本の歌手にたとえれば、小椋佳と井上陽水を合わせて、さらに国民的歌手に作り上げた感じ、とでも言えるでしょうか。

実力人気ともに超がつく名歌手、名作詞家、名作曲家です。

デ・アンドレもよく娼婦の歌を作り歌いました。彼は娼婦に対してとても親和的な考えを持っていました。娼婦を不幸な汚れた存在とは見ずに、明るく生命力にあふれた存在として描きました。

娼婦や娼婦に似せた女を歌うタブーは、デ・アンドレの活動期の頃のイタリアには存在しませんでした。従って禁忌を勇敢に破って世に出た「時には娼婦のように」と、デ・アンドレの歌を同列には論じられないかもしれません。

しかし、筆者はどうしても両者の「歌詞」の一方を聞くたびに、片方を思い起こしてしまいます。

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サルが木から落ちないためにするべきこと

先年、ミラノの語学学校でイタリア語を勉強しているN・Y君が筆者のところにやって来ました。

N・Y君は将来、イタリアと日本を結んでデザイン関係の大きなビジネスをやりたい、と青雲の志に燃えています。

そのためにイタリア語をものにしようとけん命に取り組んでいます。が、なかなか思うように上達しないのが悩みだそうです。

「おれ、語学の才能がないんだと自分でも思っています。くやしいけど、そのことは口を大にして言ってもいいですよ。おれ、本気ではそんなことは毛頭認めたくないんですけど・・・」
N・Y君は深刻な顔で彼の悩みを語り始めました。
 
筆者はN・Y君のイタリア語がうまくならない理由が分かったと思ったので、なおも話し続けようとする彼を制して、笑って言いました。
「イタリア語もいいけど、日本の古典文学をまず勉強した方がいいな」
「へ?」
「たとえば“源氏物語”とか“枕草子”とか、日本の古典文学だよ」
「・・コテン・・・ブンガク・・?」
N・Y君は、まるで頭の中がコテン、とでんぐり返った男でも見るような顔で筆者を見ました。

少しふざけ過ぎたと思ったので、筆者は言葉を変えました。
 
「今は必死になってイタリア語を勉強しているのだから、日本語は関係がない、と君は思っているだろう。そこが一番の問題なんだ」
「・・・?」
「はっきり言うと君の日本語はおかしい。口を大にして、というのは正確には声を大にして、と言うんだ。本気では、というのもここでは使い方が間違っている。それを言うなら、本心では、と変えた方がいい。毛頭、という小むつかしい語の使い方も少しニュアンスが違う。ついでに言うなら、おれ、おれと言いながらデスマス調で言葉をしめくくるのも変だ」
筆者はあえて指摘しました。
 
N・Y君は決してバカではありません。特別でもありません。彼の世代の日本の若者は皆彼のような言葉遣いをします。しかし、変なものは変です。
 
日本語をしっかり話せない日本人は外国語も決して上達しない。それが長い間そこかしこの国で言葉に苦労した筆者が出した結論です。
 
語学のうまい、へた、は多くが「言い換え」の能力によって決まります。
 
たとえば<猿も木から落ちる>という諺を、一番分かりやすいように英語にしてみます。

格言の一字一句を英語に変える時にはたいていの日本人は、たとえば

<猿>⇒モンキー。
<も>はトゥー、あ、でもここでは<でも>の意味だから多分イーブン。
<木>⇒ツリー。
<から>はフロムなのでフロム・ツリー。
そして<落ちる>⇒ドロップ?フォール?多分フォール・・・

などと辞書を引き引き考えて、最終的に《EVEN A MONKY FALLS  FROM  A TREE》のように英文を組み立てるのではないでしょうか。

少なくとも受験勉強をしていた頃の筆者などはそうでした。
 
こういう直訳の英語で話しかけられた外国人は、目をパチクリさせながら、それでも言おうとする意味は分かりますから、苦笑してうなずきます。

それでは<猿も木から落ちる>と全く同じ意味の<弘法にも筆の誤り>を訳するときはどうするのでしょうか。

前者と同じやり方で《EVEN MR. KOBO MAKES MISTAKES WITH HIS PENCIL》とでも言おうものなら、ドタマの変な奴に違いないと皆が引いたり、避けて通っていくこと必定です。

<ミスター・コーボー>を<空海>と置き換えても、<ペンシル>を<ブラッシュ>と置き換えても事情は変わりません。
 
こういうときに、素早く言い換えができるかどうかによって語学のうまい、へた、が決まるのです。

2つの諺は<私達はみんな間違いを犯す>という意味です。

そこで素早く直訳して《WE ALL MAKE MISTAKES》と言い換えます。あるいは<人間は不完全な存在(動物)である>として《HUMANS ARE INPERFECT BEINGS 》などと言い換えます。

それらは既に《EVEN A MONKY FALLS FROM A TREE》よりもはるかに英語らしい英語だと思いますが、さらに言い換えて<人は誰でも間違いを犯す>《EVERYBODY MAKES MISTAKES》とでもすればもっと良い英語になります。

それをさらに言い換えて

<完全な人間などいない>つまり《NOBODY IS PERFECT》
と簡潔に言い換えることができれば、<猿も木から落ちる>や<弘法にも筆の誤り>のほぼ完璧な英訳と言ってもいいのではないでしょうか。

事は英語に限りません。外国語はそうやってまず日本語の言い換えをしないと意味を成さない場合がほとんどです。

日本語を次々と言い換えるためには、当然日本語に精通していなければなりません。語彙が豊富でなければならない。筆者がN・Y君に言いたかったのは実はその一点に尽きます。

言葉を全く知らない赤ん坊ならひたすらイタリア語を暗記していけばいい。しかし、一つの言語(この場合は日本語)に染まってしまっている大人は、その言語を通してもう一つの言語を習得するしか方法がありません。

N・Y君は日本語の聞こえないイタリアに来て、イタリア語にまみれてそれを勉強しています。それは非常にいいことです。

言葉は学問ではありません。単なる「慣れ」です。従ってN.Y君も間もなく慣れて、少しはイタリア語が分かるようになります。

しかし、うまいイタリア語は日本語をもっと勉強しない限り絶対に話せないと筆者は思います。

この先彼が何十年もイタリアに住み続け、彼の中でイタリア語が日本語に取って代わって母国語にでもなってしまわない限り・・・。

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悪を悪と呼べない客観性の眉つば

プーチン大統領に同情的らしい日本の友人に次のような手紙を書きました。

「 渋谷君

“ウクライナ戦争はいつ終わるのか。プーチンだけが悪ではなく、戦争が起きる欧州のあり方そのものが悪なのではないか”、というあなたのメッセージにはひどく驚かされました。

戦争がいつ終わるのかについては僕は答えられません。それは誰にも答えられない問いです。当事者のプーチン大統領も、ウクライナのゼレンスキー大統領もおそらく知らないでしょう。

だが、 「プーチンだけが悪ではなく、戦争が起きる欧州のあり方そのものが悪なのではないか」というあなたの問いには明確に答えることができます。

ウクライナ戦争を起こしたプーチン大統領は徹頭徹尾悪です。のみならずウクライナ紛争では、プーチン大統領だけが悪、と僕は断言します。

ウクライナ戦争の先行きについては、世界中の多くの人が意見を述べていますね。

そのうち日本の各種メディアに躍っている主張は、欧州の現実を知らない事情や、逆に欧州の情報を頭デッカチに詰め込んだだけの、いわゆる欧州専門家なる人々の突飛な意見など、的外れなものも少なくありません。

欧州は外交や対話を知らず、軍による暴力を優先させる未開地域、という馬鹿げた意見さえあります。あなたもややそれに近い考えを持っているようですね。

何よりも先ず、その思考は全くの的外れであることを指摘させてください。

真実はこうです。

欧州は紛争を軍事力で解決するのが当たり前の、野蛮で長い血みどろの歴史を持っています。そして血で血を洗う凄惨な時間の終わりに起きた、第1次、第2次大戦という巨大な殺戮合戦を経て、ようやく「対話&外交」重視の政治体制を確立しました。

それは欧州が真に民主主義と自由主義を獲得し、「欧州の良心」に目覚める過程でもありました。

僕が規定する「欧州の良心」とは、欧州の過去の傲慢や偽善や悪行を認め、凝視し、反省してより良き道へ進もうとする“まともな”人々の心のことです。

その心は言論の自由に始まるあらゆる自由と民主主義を標榜し、人権を守り、法の下の平等を追求し、多様性や博愛を尊重する制度を生みました。

良心に目覚めた欧州は、武器は捨てないものの“政治的妥協主義”の真髄に近づいて、武器を抑止力として利用することができるようになりました。できるようになったと信じました。

欧州はその後、「欧州の良心」を敷衍する努力を続けてきました。

2022年現在、「欧州の良心」に基づく政治勢力は欧州全体では過半数、世界では半分をほんの少し上回る程度に存在する、と僕は考えています。

かつて僕は、その勢力は世界の圧倒的多数だ、と幼稚にユートピア的に考えていました。

だが、トランプ主義の台頭、Brexit の実現、イタリアのポピュリスト政権の登場などを見て、それは過半数をかろうじて上回る程度の弱々しい多数派に過ぎない、と思い知るようになりました。

それらの動きに中露北朝鮮が率いる世界の専制国家群を加えると、対抗する「欧州の良心」はますます頼りない存在になってしまいます。「欧州の良心」に賛同する者(僕もその一人です)は、強い心でそれを死守するべく闘わなくてはなりません。

欧州の良心も、民主主義も、言論の自由も、その他あらゆる自由主義社会の良さは全て、闘って勝ち取るものです。黙っているとすぐに専制主義とそれを支持する勢力に凌駕されてしまいます。

「欧州の良心」に基づいて政治・社会・経済制度の改革を加速させる欧州は、ロシアも自らの一部と見なしました。

例えば西側を主導するG7クラブは、ロシアと協調する作戦を取り、同国をG7の枠組みに招待してG8クラブに作り変えたりしたほどです。

そこにはロシアを懐柔しようとする西側の打算と術数が秘匿されていました。

同時にロシアは、西側とうまく付き合うことで得られる巨大な経済的利益と、政治的なそれを常に計算してきました。

西側とロシアのいわば“化かし合いの蜜月”は、おおざっぱに言えば90年代の終わりに鮮明になり、プーチン大統領の登場によってさらに深化し定着しました。

なぜか。

西側がプーチン大統領の狡猾と攻撃性を警戒しながらも、彼の開明と知略を認め、あまつさえ信用さえしたからです。

言葉を替えれば西側世界は、性善説に基づいてプーチン大統領を判断し規定し続けました。

彼は西側の自由主義とは相容れない独裁者だが、西側の民主主義を理解し尊重する男だ、とも見なされたのです。

しかし、西側のいわば希望的観測に基づくプーチン観はしばしば裏切られました。

その大きなものの一つが、2014年のロシアによるクリミア併合です。それを機会にG8はロシアを排除して、元のG7に戻りました。

それでもG7が主導する自由主義世界は、プーチン大統領への「好意的な見方」を完全には捨て切れませんでした。

彼の行為を非難しながらも強い制裁や断絶を控えて、結局クリミア併合を「黙認」しました。

そうやって西側世界はプーチン大統領に蜜の味を味わわせてしまいました。

西側はクリミア以後も、プーチン大統領への強い不信感は抱いたまま、性懲りもなく彼の知性や寛容を期待し続け、何よりも彼の「常識」を信じて疑いませんでした。

「常識」の最たるものは、「欧州に於いては最早ある一国が他の主権国家を侵略するような未開性はあり得ない」ということでした。

プーチン・ロシアも血で血を洗う過去の悲惨な覇権主義とは決別していて、専制主義国家ながら自由と民主主義を旗印にする欧州の基本原則を理解し、たとえ脅しや嘘や化かしは用いても、“殺し合い”は避けるはずでした。

ところがどっこい、ロシアは2022年2月24日、主権国家のウクライナへの侵略を開始しました。

ロシアはプーチン大統領という魔物に完全支配された、未開国であることが明らかになったのです。

ロシアは欧州の一部などではなく、同時にプーチン大統領は、民主主義の精神とはかけ離れた独善と悪意と暴力志向が強いだけの、異様な指導者であることが再確認されました。

プーチン・ロシアはいわばアジアだと僕は考えます。ここでいうアジアとは、民主主義を理解しない中国的、アラブ的、日本右翼的勢力の全てです。

現代では主権国家を力でねじ伏せることは許されません。それは欧州が、日本が、アラブが、世界が過去に繰り返しやってきた蛮行です。

プーチン大統領がウクライナ侵略を正当化しようとして何かを言い、弁解し、免罪符を求めても、もはや一切無意味になりました。それらは全て枝葉末節であり言い逃れであり虚偽になったのです。

事態の核心は、彼が歴史を逆回転させて大義の全くない侵略戦争を始め、ウクライナ国民を惨殺していることに尽きます。

細部、あるいは枝葉末節は、それのみを切り取って語ると過激論に陥る危険を秘めています。細部を語るのではなく、先ず幹を捕捉して、それを凝視しつつ全体を語るべきです。

日本では幹を見るどころか、細部だけを捉えてロシアにも一理がある、NATOの脅威がプーチンをウクライナ侵攻に駆り立てた、ウクライナは元々ロシアだった、などなどのこじつけや欺瞞に満ちた風説がまかり通っています。

東大の入学式では、名のあるドキュメンタリー制作者がロシアの肩を持つ演説をしたり、ロシアを悪魔視する風潮に疑問を呈する、という論考が新聞に堂々と掲載されたりしていますね。それらは日本の恥辱と呼んでもいいほどの低劣な、信じがたい言説です。

そうしたトンデモ意見は、愚蒙な論者が偽善と欺瞞がてんこ盛りになった自らの考えを、“客観的”な立ち位置からの見方、と思い込んで吠え立てているだけのつまらない代物です。

僕は愚陋な意見を開陳する人々に言いたい。

ウクライナを侵略しているプーチン大統領の行為は、言い訳など無用の完全な悪です。

繰り返しなりますが、彼は彼の得意な脅しや、騙しや、嘘や、情報操作など、彼が過去にも現在も実行しまくり、将来も実践し続けるであろう蛮行の限りを尽くしても、決して主権国家を侵略し市民を虐殺するべきではなかったのです。

ここではその認識が巨大な木の幹に当たります。幹はあまりにも大きく重大なため、それ以外の全てはほとんど意味のない枝葉末節であり細部になります。

巨大な木の幹こそ重要です。ウクライナ危機を論ずる場合には、幹のみを見つめ育み大切にしなければなりません。

幹を見失って詳細だけを見、語ると、既述の日本の論者のようにウクライナ危機ではプーチン大統領にも理がある、というような誤謬に迷い込みます。

欧州による、「欧州の良心」を具体化しようとする努力が生み出す結果は、民主主義と同様にむろん未だ完璧ではありません。むしろ欠点だらけです。

だがそれは、ロシアや中国や北朝鮮やトランプ主義者、さらに日本右翼団体ほかの強権、全体主義勢力に比べた場合は、完璧以上の優れた体制です。

ロシアの蛮行を放置し、プーチン大統領の悪意を徹底して挫(くじ)かなければ、それらの負の政治勢力が勢いを増して、世界中にいくつものウクライナが生まれることは必定と考えます。 

                                    以上 」                                                               

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