聖人も信徒も等しく死者になる

昨日、つまり11月2日はイタリアの盆でした。

一般には「死者の日」と呼ばれる万霊節。

「死者の日」という呼び名は日本語ではちょっとひっかかるニュアンスですが、その意味は「亡くなった人をしのぶ日」ということです。

やはり霊魂を慰める日本の盆や彼岸に当たると言えます。

ところで

死者の日の前日、すなわち11月1日は「諸聖人の日」でイタリアの祝日でした。

カトリックでは「諸聖人の日」は、文字通り全ての聖人をたたえて祈る日です。

ところがプロテスタントでは、聖人ではなく「亡くなった全ての信徒」をたたえ祈る日、と変化します。

プロテスタントでは周知のように聖人や聖母や聖女を認めず、「聖なるものは神のみ」と考えます。

聖母マリアでさえプロテスタントは懐疑的に見ます。処女懐胎を信じないからです。

その意味ではプロテスタントは科学的であり現実的とも言えます。

聖人を認めないプロテスタントはまた、聖人のいる教会を通して神に祈ることをせず、神と直接に対話をします。

権威主義的ではないのがプロテスタント、と筆者には感じられます。

一方カトリックは教会を通して、つまり神父や聖人などの聖職者を介して神と対話をします。

そこに教会や聖人や聖職者全般の権威が生まれます。

カトリック教会はこの権威を守るために古来、さまざまな工作や策謀や知恵をめぐらしました。

それは宗教改革を呼びプロテスタントが誕生し、カトリックとの対立が顕在化していきました。

カトリックは慈悲深い宗教であり、懐も深く、寛容と博愛主義にも富んでいます。

プロテスタントもそうです。

キリスト教徒ではない筆者は、両教義を等しく尊崇しつつ、聖人よりも一般信徒を第一義に考えるプロテスタントの11月1日により共感を覚えます。

また、教会の権威によるのではなく、自らの意思と責任で神と直接に対話をする、という教義にも魅力を感じます。

それでは筆者は反カトリックの男なのかというと、断じてそうではありません。

筆者は全員がカトリック信者である家族と共に生き、カトリックとプロテスタントがそろって崇めるイエス・キリストを敬慕する、自称「仏教系無心論者」です。

 

 

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