バカの壁を壊せないイタリア政治

マリオ・ドラギ首相が辞任して、イタリアのお家芸の政治危機が始まりました。

近年は野心家のマッテオ・レンツィ元首相が政権をぶち壊す悪役を多く演じてきました。

だが2019年には政権与党だった極右「同盟」のマッテオ・サルビーニ党首が、第1次コンテ内閣を破壊しました。

そしてその2年後には、再びレンツィ元首相が悪役を演じて、第2次ジュセッペ・コンテ政権が崩壊しました。

その後に成立したマリオ・ドラギ政権が7月21日、事実上空中分解したのです。連立政権内の今回の裏切り者は、「五つ星運動」党首のジュゼッペ・コンテ前首相です。

自らの政権を木っ端みじんにされたコンテ前首相が、今度は他者の内閣を引き裂いた恰好です。

もっともドラギ政権の崩壊には、コンテ前首相に加えて同盟のサルビー二党首、ベルルスコーニ元首相などの反逆もからんではいますが。

コンテ前首相は、2021年の首相辞任後に彼の政権を支えた五つ星運動の党首に迎えられました。

つまりコンテ前首相はそうやって、極左の真っ赤なハチマキを巻き付けて吠えるポピュリスト政党の党首になりました。

とたんに彼は、自身が首相当時にNATOと約束した防衛費増額を認めない、と言い出して約束を平然と破る過激論者の一端を示しました。

そしてロシアがウクライナを侵略すると、彼のボスである五つ星運動創始者のベッペ・グリッロ氏に追随して、ロシアのプーチン大統領を擁護する立場を取りました。

五つ星運動は、ロシアと中国にきわめて親和的な組織。創始者のグリッロ氏はトランプ主義者でもあります。

2019年、イタリアはEUの反対を無視して、G7国では初めて中国との間に「一帯一路」構想を支持する覚書を交わしました。

その時のイタリア首相は件のコンテ氏。覚書に署名したのは、当時五つ星運動の党首だったディマイオ副首相。今は外務大臣です。彼もコンテ氏同様に中国が大好きな男です。

コンテ前首相とドラギ政権の対立が決定的になったのは、前者がイタリアのウクライナへの武器供与に強硬に反対したことです。

コンテ前首相は、武器の供与が戦争終結を遅らせる、と考える人々に近いように見えますが、実はプーチン・ロシアへの忖度が背後にあります。

彼は、武器に金を使うならイタリアの貧者を救済しろ、と叫ぶのが得意です。

ウクライナ危機は欧州危機であり、ロシアに対抗することが欧州の一部であるイタリアの救済にもつながることを理解しません。あるいは理解しない振りをしています。

五つ星運動の旗艦政策は、ベーシックインカムすなわち最低所得保障です。

五つ星運動党首で前首相のコンテ氏が、貧者を救済しろと吼えるのは、彼の政権が導入した最低所得保障制度を死守したいから。

それは五つ星運動の最大の票田につながっています。

イタリアの貧富の格差は開き続けています。

弱者はいうまでもなく救済されなければなりません。だがそのことを盾に金をバラまく五つ星運動のやり方は無残です。

金をバラまくのではなく、それが確実に弱者に行き渡る仕組みを作り、同時に仕事を創出する政策を考えるのが為政者の役割です。

現行の制度では多くの不正受給が明らかになっています。また特に南イタリアでは、予想されたようにマフィアやカモラなどの犯罪組織が交付金に喰らいついています。

言いにくいことを敢えて言いますが、怠け者で補助金に寄りかかることが得意な者も多い地域では、仕事をしない若者が増えています。

たとえ仕事をしても、報酬を闇で受け取って失業中を装い給付を受ける、という者も多い。

働き者が多い筆者の住む北イタリアにおいてさえ、給付金を目当てに仕事をしない者が増えて、人手不足が深刻化している現実さえあります。

五つ星運動のバラ巻き策は、百害あって一利なし、というふうです。いや、真に貧しい弱者へ行き渡る金もあるのですから、百利のうち五利ぐらいはあるのかもしれません。

それでもやはり、バラまき策は人心をたぶらかし、嘘と怠惰と不誠意を増長させると筆者は思います。

またウクライナが危機に瀕し、欧州もそれに巻き込まれている現在は、ウクライナに武器を供与して他の欧州の国々と共にロシアに対抗するべきです。

欧州の民主主義と自由と富裕は、ロシアのような覇権主義勢力の横暴を黙って看過すれば、たちまち破壊される類いの脆い現実です。それらは闘って守り、勝ち取るものなのです。

それは断じて戦争を推進するべき、という意味ではありません。攻撃され侵略された場合には、反撃し守りぬくべきということです。

欧州が破壊されイタリア共和国が抑圧されれば貧者も金持ちもありません。誰もが等しく地獄に落ちます。コンテ前首相と彼の周囲の過激論者にはそれが分からないようです。

4年前、イタリア政界に彗星のようにあらわれた素人政治家のコンテ氏は、世界に先駆けてコロナ・パンデミックの地獄に沈んでいたイタリアに、全土ロックダウンという前代未聞の施策を導入してこれを救いました。

あっぱれな仕事ぶりでした。

当時イタリアは、国家非常事態宣言下にありました。政府は議会に諮ることなく、閣議決定だけで法律を制定することができました。

コンテ首相はその制度に守られてほぼ自在に規制を行いました。

未曾有のコロナ恐慌に陥っていたイタリアの国民は、コンテ政権が打ち出すロックダウンほかの強烈な規制を唯々諾々と受け入れました。それしか道がなかったからです。

コンテ首相にそれなりの求心力があったのは確かですが、空前のパンデミックの中では、あるいは誰が首班であっても成し得た仕事だった可能性も高い。

ともあれ危機を抜け出したコンテ首相を待っていたのは、彼自身と彼を支える五つ星運動が「体制側」とみなして反発する政治勢力の巻き返しでした。

連立を組む小政党が離脱してコンテ政権は立ち行かなくなりました。またその前には冒頭で述べたように、連立相手の同盟が反乱を起こしてコンテ政権は危機に陥ったことがあります。

そして2022年7月、今度はコンテ氏率いる五つ星運動が反旗を翻して、ドラギ政権を崩落させました。彼はそうすることでイタリアに再びの政治危機をもたらすことになりました。

それはイタリアではありふれた政変劇です。一見するとカオスに見えますが、それがイタリア政治の王道です。

地方が都市国家の意気を持ち続けているタリアでは、中央政府の交代劇は深刻に捉えられはするものの、各地方はそれぞれが独立独歩の前進を試みようとします。

試みようとする意志を固く秘めています。だから大きくは動揺しません。それがイタリアの最大の長所である多様性の効能です。

だからといってコンテ前首相の罪が消えるわけではありませんが。。。

 

 

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エーゲ海の光と風~欧州のゆりかご

「ヨーロッパとは何か」と問うとき、それはギリシャ文明と古代ローマ帝国とキリスト教を根源に持つ壮大な歴史文明、という答え方ができます。

ということはつまり、現世を支配している欧米文明の大本(おおもと)のすべてが、地中海にあるということになります。

なぜなら、南北アメリカやオーストラリアやニュージーランドでさえ、天から降ったものでもなければ地から湧き出たものでもない。ヨーロッパがその源です。

また近代日本は欧米を模倣することで現在の繁栄を獲得し、現代中国も欧米文明の恩恵を蒙って大きく発展し続けています。世界中の他の地域の隆盛も同じであることは言うまでもありません。

ヨーロッパを少し知り、そこに住み、ヨーロッパに散々世話になってきた筆者は、これから先じっくりと時間をかけて地中海域を旅し、その原型を見直してさらに学んでみたいと考えています。

ただし、その旅はできれば堅苦しい「勉強」一辺倒の道行きではなく、遊びを基本にして自由気ままに、のんびりと行動する中で見えてくるものを見、見えないものは見えないままにやり過ごす、というふうな余裕のある動きにしたいと願っています。

テレビドキュメンタリーや報道番組に長く関わってきた筆者は、何事につけ新しく見聞するものを「もしかするとテレビ番組にできないか?」と、いつも自分の商売に結び付けてスケベな態度で見る癖がついてしまっています。つまり、いやらしく緊張しながら物事を見ているのです。

筆者はそのしがらみを捨てて、本当の意味で「のんびり」しながら地中海世界を眺めてみたい。

そうすることで、これまで知識として筆者の頭の中に刷り込まれている地中海、つまり古代ギリシャ文明や古代ローマ帝国やキリスト教などの揺籃となった輝やかしい世界を、ゆるい、軽い、自在な目で見つめてみたい。

それができれば、仕事にからめて緊張しながら見る時とは違う何かが見えてくるのではないか、と考えています。

基本的な計画はこんな感じ。

イタリアを基点にアドリア海の東岸を南下しながらバルカン半島の国々を巡り、ギリシャ、トルコを経てシリアやイスラエルなどの中東各国を訪ね、エジプトからアフリカ北岸を回って、スペイン、ポルトガル、フランスなどをぐるりと踏破する。

中でもギリシャに重きをおいて旅をする。また訪問先の順番にはあまりこだわらず、その時どきの状況に合わせて柔軟に旅程を決めていく計画。期間は10年程度、と見積もっていました。

ところが10数年前、筆者の地中海紀行が始まるとすぐに、イスラム過激派のテロが横行し始めました。

筆者は命知らずの勇気ある男ではありません。テロや誘拐や暴力の絶えない地域を旅するのは御免です。

地中海域のアラブまた北アフリカの国々は、「将来機会がある場合に訪ね歩く」と筆者はきっぱり割り切りました。

そうやって予定を変更し、世情が落ち着くまでは欧州内の旅行に限ることにしました。

そこではギリシャが筆者の関心の大部分を占めています。

地中海は場所によって呼び名の違う幾つかの海域から成り立っています。

地中海の日光は、イタリア北部を抱くリグリア海やアドリア海でも既に白くきらめき、目に痛いくらいにまぶしい。

白い陽光は海原を南下するほどにいよいよ輝きを増し、乾ききって美しくなり、ギリシャの島々がちりばめられたイオニア海やエーゲ海で頂点に達します。

乾いた島々の上には、雲ひとつ浮かばない高い真っ青な空があります。夏の間はほとんど雨は降らず、来る日も来る日も抜けるような青空が広がっているのです。

そこにはしばしば強い風が吹きつのります。海辺では強風に乗ったカモメが蒼空を裂くように滑翔して、ひかり輝く鋭い白線を描いては、また描きつづける。

何もかもが神々しいくらいに白いまばゆい光の中に立ちつくして、筆者はなぜこれらの島々を含む地中海世界に現代社会の根幹を成す偉大な文明が起こったのかを、自分なりに考えてみたりします。

ギリシャ文明は、大ざっぱに言えば、エジプト文明やメソポタミア文明あるいはフェニキア文明などと競合し、あるいは巻き込み、あるいはそれらの優れた分野を吸収して発展を遂げ、やがて古代ローマ帝国に受け継がれてキリスト教と融合しながらヨーロッパを形成して行きました。

その最大の原動力が地中海という海ではなかったのか。中でもエーゲ海がもっとも重要だったのではないか。

現在のギリシャ本土と小アジアで栄えた文明がエーゲ海の島々に進出した際、航海術に伴なう様々な知識技術が発達しました。それは同じく航海術に長けたフェニキア人の文明も取り込んで、ギリシャがイタリア南部やシチリア島を植民地化する段階でさらに進歩を遂げ、成熟躍進しました。

エーゲ海には、思わず「無数の」という言葉を使いたくなるほど多くの島々が浮かんでいます。それらの距離は、お互いに遠からず近からずというふうで、古代人が往来をするのに最適な環境でした。いや、彼らが航海術を磨くのにもっとも優れた舞台設定でした。

しかもその舞台全体の広さも、それぞれの島や集団や国の人々が、お互いの失敗や成功を共有し合えるちょうど良い大きさでした。

失敗は工夫を呼び、成功はさらなる成功を呼んで、文明は航海術を中心に発展を続け、やがてそれは彼らがエーゲ海よりもはるかに大きな地中海全体に進出する力にもなっていきました。

例えば広大な太平洋の島々では、島人たちの航海の成功や失敗が共有されにくい。舞台が広過ぎて島々がそれぞれに遠く孤立しているからです。だから大きな進歩は望めない。

また逆に、例えば狭い瀬戸内海では、それが共有されても、今度は舞台が小さ過ぎるために、異文化や新しい文明を取り込んでの飛躍的な発展につながる可能性が低くなる。

その点エーゲ海や地中海の広がりは、神から与えられたような理想的な発展の条件を備えていた・・

イタリアやギリシャ本土から島々へ、あるいは島から島へと移動する飛行機の中でエーゲ海を見下ろしながら、筆者はしきりとそんなことを考えます。

 

 

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エーゲ海の島々の歓喜と少しのアンニュイ

ゲイの島

ギリシャ・キクラデス諸島のうちのミコノス、パロス、ナクソス島を訪ねました。

このうちミコノス島には旅の初めに半日、終わりに一泊二日だけ滞在。乗り換えおよび中継地としてあわただしく通り過ぎました。

それでも島のにぎやかさと楽しさ、またオーバーツーリズム気味の歪みにも十分に触れたと感じました。同島では短い滞在の間に目からうろこの料理にも出会いました。

ミコノス島はLGBTQの人々が好んで訪ねる島としても知られますが、それは最近になって出てきた拡大解釈で、ゲイの人々が愛する島、というのが元々の状況だろうと思います。

ミコノスタウンの通りやカフェ、バーなどではゲイらしい男性カップルを見かけましたが、それは欧州のどこにでも見られる風景。そこだけが特別とは感じませんでした。

情報ではそれらの皆さんが集まる店やビーチや溜り場などが別にあるようです。

筆者はゲイではありませんが、明るい彼らが好きでゲイの友人も多くいます。ミコノス島でも会えるのをどこかで期待していました。

なぜゲイ旅行者の人々がコノス島を目指すようになったかというと、元ケネディ大統領夫人だったあのジャクリーン・オナシスさんが、1970年代にゲイの島として推奨・紹介したのが発端でした。

それとは全く別に筆者はギリシャ神話のアポロンにまつわる話を考えていました。

美しい青年の神・アポロンは、多彩な力を持ち恋愛にも多く関わりました。相手は女性が大半ですが、美少年のキュパリッソスやヒュアキントスとも愛し合いました

アポロンはミコノス島の目と鼻の先にある古代遺跡のメッカ、デロス島に祭られています。ゲイの人々は男を愛した美しいアポロンを慕って隣のミコノス島に集まるようになった。。

エピソードとしてはギリシャ神話にからめるほうが面白いと思うのですが、それはあくまでも筆者の妄想です。

有名観光地のミコノス島には、欧州全域をはじめとする世界各国から旅行者が押し寄せます。むろんゲイではない人々が大多数です。

宮古島よりも小さなミコノス島は開発が進み人があふれています。ギリシャ国内や世界の富裕層が家や別荘を所有しているため土地建物は極めて高価です。

物価もきわめて高いミコノス島は、将来は一般の観光客を締め出して、富裕層オンリーのリゾート地として特化されるのかもしれません。

だが、現在のところはクルーズ船などを利用して押し寄せる大衆観光客もあふれています。一見したところではオーバーツーリズム気味です。特に島の中心地のミコノスタウンの人出はすさまじい。

ミニ・ミコノス島

次に訪れたパロス島は、ミコノス島を追いかけて観光地化が急速に進み、滞在した島で第2の街ナウサは、ミニ・ミコノスタウンの趣きがありました。

洒落たカフェやバーやレストラン、各種店舗、またナイトスポッなどが目白押しだが、都会的な中に、いわばどうしても「垢抜け切れない」ような不思議な雰囲気が漂っていました。

それは不快ではなく、むしろほほえましい印象で興味深いものでした。

今回はナウサのホテルに滞在しましが、連日レンタカーで島の南岸のビーチに通いました。一帯のビーチが広く静かで美しかったからです。

借りた車では面白い体験もしました。

レンタカー会社に「小型の車を」と予約しておいたところ、なんとベンツに当たったのです。ベンツを運転したのは初めての体験。実際にハンドルを握ってみて、ベンツがなぜ優れた車なのかを体感しました。

道をがっしりと掴んで一気に加速するような走りで、爽快かつ安全確実な印象を常に抱き続けました。

パロス島の物価はミコノス島に匹敵するほど高騰しています。

しかし、島の中心地のパリキアやナウサを離れると、野趣あふれる野山や素朴な集落を背景にビーチが多くあって、宿泊費用もやや安い印象がありました。

食事も郊外のレストランがより美味しいと感じました。

ナウサの港には、数百から1千卓を並べて大型クルーズ船から吐き出される大量の観光客を受け入れているレストランなど、過剰に観光化した店も多くやや食傷させられました。

過度に観光化した全ての店の料理が不味いとは言えないでしょうが、あまりにも多くのツアー客が群がる店に足を向けるのは勇気がいります。

魅惑のカスバ

パロス島のすぐ隣にあるナクソス島は、キクラデス諸島最大の島です。ビーチも多く山岳地帯も広がっています。

島の中心地のホラ(ナクソスタウン)には、北アフリカなどのカスバを髣髴とさせる一画があって非常に驚きました。古い歴史的マーケットです。地元の人たちはその町をオールドタウンと呼んでいます。

北アフリカのアルジェリアあたりのカスバ、あるいはイスタンブールのバザールなどを、規模を小さくした上で洗練された店やレストランや装飾などをはめ込んだ街、とでもいうような雰囲気があります。

建物の全体は古い時代のものがそっくり残されていますが、そこに入っているあらゆるものがひどく趣があって垢抜けています。芸術的センスにあふれているのです。

店やレストランを経営する人々もイギリスやフランス、アメリカや北欧出身者が多い。

地元の経営者に混じって店を切り盛りする、それらの人々の新しいアイデアやセンスや営業方針などが相まって、市場の雰囲気を磨き上げている、と見えました。

いわば「都会的に洗練されたカスバ」がホラのオールドタウン、あるいは歴史的マーケットなのです。

パロス島ではホラから車で15分ほどのビーチ脇にアパートを借りました。

アパートからビーチに降りる小道の角にレストランがありました。

レストランでは子豚と子羊の丸焼きがほぼ毎日提供されていました。食べてみるとどちらも秀逸な味がしました。特に印象深かったのは子豚の丸焼きです。

子羊の丸焼きも疑いなく特上級の味でしたが、ナクソスでは他の店でも美味い子羊レシピが多々あったため、その分印象が薄れたのです。

ナクソス島は一級のバカンス施設を備えた魅惑的なリゾート地です。それでいながらミコノス島や隣島のパロス島と比べると、観光開発がすこし緩やかなペースで行われているように見えます。

観光業以外にはほとんど産業のないキクラデス諸島内にあって、ナクソス島は畜産や農業が盛んで食料の自給率も圧倒的に高い島です。

雄大な自然と洒落たリゾート施設が共存するナクソス島は、キクラデス諸島のうちのミコノス、ミロス、サントリーニ、パロスなどの島々よりは知名度は低い。

だが筆者にとっては、たちまち再訪したい島の筆頭格に躍り出ました。

 

 

 

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安倍元首相が銃撃され亡くなったのは悲しいことだ。だが。。

安倍元首相が銃撃されて亡くなったのは悲しいことです。あってはならない惨劇であったのは言うまでもありません。

衷心より哀悼の意を表します。

犯人の動機が何であれ、彼と背後関連者(存在するとして)は徹底して糾弾されなければなりません。

同時にこの事件の場合には「生前が何であれ死ねば全て許される。死者に鞭打つな」という日本独特の美しい慣わしを適応してはなりません。

政治家などの公人の場合には、必要ならば死者も大いに貶めるべきです。

ましてや権力の座にあった者には、職を辞してもたとえ死しても、監視の目を向け続けるのが民主主義国家の国民のあるべき姿です。

なぜなら監視をすることが後世の指針になるからです。

公の存在である政治家は、公の批判、つまり歴史の審判を受ける。

受けなければなりません。

「死んだらみな仏」という考え方は、恨みや怒りや憎しみを水に流すという美点もありますが、権力者や為政者の責任をうやむやにして歴史を誤る、という危険が付きまといます。決してやってはなりません。

他者を赦すなら死して後ではなく、生存中に赦してやるべきです。「生きている人間を貶めない」ことこそ、真の善意であり寛容であり慈悲です。

だがそれは、普通の人生を送る普通の善男善女が犯す「間違い」に対して施されるべき、理想の行為。

安倍元首相は普通の男ではありません。日本最強の権力者だった人物です。日本の将来のために良い点も悪い点もあげつらって評価しなければなりません。

亡くなったばかりの安倍元首相に対しては、ほとんどのメディアが賞賛一辺倒の報道をしています。彼の政治手法や哲学への批判や検証はなされていません。

それは危険な兆候です。

間違いや悪い点に対しては口をつぐむ、という態度はもってのほかです。

筆者は安倍元首相の政治手法や哲学や政策には基本的に反対の立場を貫いてきました。彼の歴史修正主義的な言動に強い違和感を抱き続けたのです。

安倍元首相は森友・加計・桜を見る会などに始まる疑惑と嘘と不実にも塗れていました。それらが解明されなくなるのは残念です。

そうはいうものの筆者は、決して彼への反対一辺倒ではなく、元首相のプラグマティストしての柔軟で現実的な政治手法を認めてもきました。

功罪相半ばする、とまでは言えませんが、ある程度は彼の政策に賛同するところもあったのです。

そうした筆者の思いや意見を記した記事は多い。そのうち幾つかのURLを貼付して、筆者の元首相へのお悔やみの印とします。

1.https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52291110.html

2.http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52128918.html

3.http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52173441.html

4.http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52258325.html

5.http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52273203.html


合掌

 

 

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ミコノス島の鮮烈Lamb料理

2022年6月、ギリシャのミコノス島で驚きの料理に出会いました。

子羊のモツの炭火炙り焼きです。

心臓、肝、胃、腎臓、横隔膜ほかの内臓をさばき腸に詰めて巻き固め、炭火でじっくりと回し焼いた一品。

腸を入れ物に使う食べ物の代表格としては、ミンチ肉を詰めて熟成させるサラミがありますが、完成するとサラミの皮になる腸は普通は食べません。

ところが子羊モツの炙り焼きは、サラミとは違って中身を詰めて巻きつけた腸自体も美味しく食べることができます。

肉とは違う食感と香り、そしてなによりも各部がこんがりと焼けた腸にからまって、絶妙な味わいを演出していました。

筆者はレバ(肝)の味が苦手です。日本で食べるレバニラ炒めも、レバ抜きで、と頼むほどです。

だが子羊モツの炙り焼きに含まれているレバは、えぐみが他の具材で抑えられていてほとんど気になりませんでした。

地中海域の旅では筆者はヤギ・羊肉料理を食べ歩いています。

その旅では言うまでもなく魚介料理をはじめ牛、豚、鶏などの当たり前の肉料理も楽しみます。

その合間に日本ではあまりなじみのない、だが世界ではよく食べられているヤギ・羊肉レシピを敢えて探し求めるのです。

ヤギ&羊肉は地中海域ではごく普通の食材です。珍味とは呼べません。それでも旅人の筆者らにとっては少し珍しい。

珍しさに魅かれて食べるうちに、その美味さにのめり込みました。今ではイタリア国内を含む旅先のレストランでは、メニューを手にするとすぐにヤギ・羊肉料理の項を探します。

10年以上も前に始まったその習慣は、筆者に付き合ってくれる妻が次第に「ヤギ・羊肉料理好き」になったことでますます深まりました。妻はかつてはヤギ・羊肉料理が嫌いな人だったのです。

筆者がこだわるヤギ・羊肉料理は、もともとは成獣の肉ではなく、子ヤギと子羊肉のレシピのことでしたた。

ヤギや羊の肉には独特の臭いがあります。それは成獣になるほど強くなります。

そのために両者の肉は幼獣のものが好まれ成獣のそれは避けられます。北部イタリアなどでは成獣の肉はほとんど市場に出回りません。

しかし南イタリアを含む南部の地中海沿岸では、成獣のヤギ・羊肉も食されます。その場合は独特の強烈な臭いが消されて風味へと昇華し、深みのある肉の味だけが生かされているケースがほとんどです。

子羊モツ炙り焼きUP650

筆者はこれまでにイタリアのサルデーニャ島、スペインのカナリア諸島、トルコのイスタンブールなどで絶品のヤギ・羊の成獣肉料理に出会いました。

子ヤギと子羊の場合は、地中海域のあらゆる国で優れたレシピがあります。

2022年現在、食べた子ヤギ・子羊レシピのベスト3は、敢えて言えば:

1.ギリシャのロードス島の山中の食堂の一品

2.クロアチア国境に近いボスニア・ヘルツェゴビナのレストランの丸焼き肉

3.イタリア、ギリシャの島々、またその他の地域の多くのレストランのレシピ

という具合いです。

要するに子ヤギ・子羊肉はどこでもよく食べられ、その結果レシピが発達してバラエティに富み、味も多彩になったということです。

長くトルコの支配下にあったギリシャの島々のヤギ&羊肉膳は特に奥が深い。

イスラム教徒のトルコ人は豚を食べません。代わりに羊やヤギを多く食べます。トルコ人の食習慣はギリシャの島々にも定着しました。

それは以前から根付いていたギリシャ独自のヤギ&羊肉文化と融合して、より奥深い味を生み出していきました。

ギリシャのヤギ&羊肉料理は、欧州ではいわば本場のレシピ。従って当たりはずれはほとんどありません。ほぼすべての店の膳が美味しい、と感じます。

その中でもミコノス島で今回食べた子羊モツの炙り焼きは、素材のユニークさもさることながら、モツの各部位が絶妙のバランスで融合して感動的なまでの味の良さでした。

ヤギ・羊肉料理は、既述のようにギリシャの島々からイタリアのサルデーニャ島、トルコや北アフリカなどで多くの素晴らしいレシピが存在します。しかし筆者はモツ料理には出会ったことがありませんでした。

2018年、サルデーニャ島のレストランでモツ焼き及びモツのパスタソースを味わいました。めざましいレシピでしたが、それは豚と子牛の内臓でヤギや羊のそれではなかったのです。

子羊の腸に内臓各部を詰めてからめて炙り焼き、深い滋味を作り出すミコノス島の店の手法は見事でした。

そこにはシェフの創造性と多くの努力と試行錯誤の歴史がぎゅうぎゅうに詰まっています。

意外性のある美味いレシピに出会う喜びの真諦は、味もさることながら、料理人の独創性に触れる感動なのです。

 

 

 

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島々の死者たち

ギリシャのクレタ島に滞在した時の話です。

借りたアパートからビーチに向かう途中に墓地がありました。そこには大理石を用いた巨大な石棺型墓石が並んでいました。

墓石はどれもイタリアなどで見られる墓標の4~5倍の大きさがあります。筆者はそれを見たときすぐに日本の南の島々の異様に大きな墓を想いました。

先年、母を亡くした折に筆者は新聞に次のような内容の文章を寄稿しました。

生者と死者と


死者は生者の邪魔をしてはならない。僕は故郷の島に帰ってそこかしこに存在する巨大な墓を見るたびに良くそう思う。これは決して死者を冒涜したりばち当たりな慢心から言うのではない。生者の生きるスペースもないような狭い島の土地に大きな墓地があってはならない。  

島々の墓地の在り方は昔ならいざ知らず、現代の状況では言語道断である。巨大墓の奇怪さは時代錯誤である。時代は変わっていく。時代が変わるとは生者が変わっていくことである。生者が変われば死者の在り方も変わるのが摂理である。

僕は死んだら広いスペースなどいらない。生きている僕の息子や孫や甥っ子や姪っ子たちが使えばいい。日当りの良い場所もいらない。片隅に小さく住まわしてもらえれば十分。われわれの親たちもきっとそう思っている。

僕は最近母を亡くした。灰となった母の亡き骸の残滓は墓地に眠っている。しかしそれは母ではない。母はかけがえのない御霊となって僕の中にいるのである。霊魂が暗い墓の中にいると考えるのは死者への差別だ。母の御霊は墓にはいない。仏壇にもいない。

母の御霊は墓を飛び出し、現益施設に過ぎない仏壇も忌避し、母自身が生まれ育ちそして死んだ島さえも超越して、遍在する。

肉体を持たない母は完全に自由だ。自在な母は僕と共に、たとえば日本とイタリアの間に横たわる巨大空間さえも軽々と行き来しては笑っている。僕はそのことを実感することができる。

われわれが生きている限り御霊も生きている。そして自由に生きている御霊は間違っても生者の邪魔をしようとは考えていない。僕と共に生きている母もきっと生者に道を譲る。

母の教えを受けて、母と同じ気持ちを持つ僕も母と同じことをするであろう。僕は死者となったら生者に生きるスペースを譲る。人の見栄と欺瞞に過ぎない巨大墓などいらない。僕は生者の心の中だけで生きたいのである。



日本の南の島々の墓が巨大なのは、家族のみならず一族が共同で運営するからです。生者は供養を口実に大きな墓の敷地に集まって遊宴し、親睦を深めます。

そこは死者と生者の距離が近い「この世とあの世が混在する共同体」です。生者たちは死者をダシにして交歓し親しみあうのです。島々の古き良き伝統です。

ところが、従前の使命が希薄になった現代の墓を作る際も、人々は虚栄に満ちた大きな墓を演出したがります。筆者はそこに強い違和感を覚えます。

ギリシャ南端のクレタ島には、ギリシャの島々の街並みによくみられる白色のイメージがあまりありません。山の多い島の景色は乾いて赤茶けていて、むしろアフリカ的でさえあります。

その中にあって、白大理石を用いた石棺型墓石が並ぶ霊園は明るく、強い陽ざしをあびて全体がほぼ白一色に統一されています。

大きな墓石のひとつひとつは、島の遅い夏の、しかし肌を突き刺すような陽光を反射してさらに純白にかがやいています。

死の暗黒を必死に拒絶しているような異様な白さ、とでも形容したいところですが、実はそこにはそんな重い空気は一切漂っていません。

墓地はあっけらかんとして清廉、ひたすら軽く、埋葬地を抱いて広がる集落の向こうの、エーゲ海のように心はずむ光景にさえ見えました。

ギリシャと日本の南の島々の巨大墓には、死者への過剰な思い入れと生者の虚栄心が込められています。

そして死者への思い入れも生者の精神作用に他ならないことを考えれば、巨大墓はつまるところ「生者のための」施設なのです。

あらゆる葬送の儀式は死者のためにあるのではない。それは残された遺族をはじめとする生者のためにあります。

死者は自らの墓がいかなるものかを知らないし、知るよすがもありません。

墓も、葬儀も、また供養の行事も、死者をしのぶ口実で生者(遺族)が集い、お互いの絆を確かめ、親睦を図るための施設であり儀式です。

死者たちはそうやって生者のわれわれに生きる道筋を示唆します。

死者は生者の中で生きています。巨大墓地などを作って死者をたぶらかし、暗闇の中に閉じ込めてはなりません。

通常墓や仏壇でさえ死者を縛り、貶める「生者の都合」の所産です。

死者は生者と共に自由に生きるべきです。

それどころか生者の限界を超えてさらに自由な存在となって空を飛び、世界を巡り、「死者の生」を生きるべきなのです。

筆者の中の、筆者の母のように・・

 

 

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エーゲ海の光と風~渋谷君への手紙~

〖 渋谷君

エーゲ海でまた10日間遊んできました。

いつものように仕事と遊びを兼ねた旅ですが、遊びを含む仕事なんて結局遊びに過ぎない、と僕は喜びとともに思い、そう言いふらしています。

訪ねたのはロードス島とヒポクラテスのコス島。

連日飽食しました。食事が美味いんだ。特にナス料理。また子羊とヤギ料理も良かった。

コス島からトルコのボドルムにも渡ったよ。

トルコでは成獣とおぼしき羊の肉の料理を食べました。羊肉の臭みが見事に消されて、ほのかな「風味」にまで昇華していました。

羊もヤギも料理法によってはホントにおいしい、ということの見本のようでした。

エーゲ海は想像したよりも光が白くて、まぶしくて、魂を揺さぶられました。

日本の最南端あたりの島の、強烈な日差しにまみれて育った僕が、あ然とするほどの輝かしい陽光とはどんなものか君に想像できるかい?

砂浜に横たわって真っ青な空を見上げていると白い線が一閃して、良く見るとそれが強い風に乗って遊ぶカモメ、というような美しい体験を次々にしたよ。

エーゲ海を吹き渡る風は豆台風並みに強いから、カモメの飛翔速度が電光石火、一閃する矢のごとし、というふうになるんだ。

また空気が乾いて透明だから、高速滑翔するカモメの白が単なる白じゃなく、鮮烈に輝く白光というふうに見えるんだね。

コス島では面白い場所を発見。

なんと断崖絶壁が海に落ち込むちょうど真下に温泉が湧いているんだ。

熱い湯に浸かっては、冷水代わりに澄んだ青い海に飛び込む、ということをくり返して遊びました。

僕はこの間、温泉にはあまり興味がないと君に言ったが、それは温泉に入ることに興味がないという意味ではないんだ。

温泉旅館とか、ホテルとか、温泉に付随する日本の施設があまり好きではないということなんです。

サービスがどうも押し付けがましいし、客のことを考えている振りをして自分達の都合ばかり考えているように感じる。

例えば食事時間の融通がきかないとか、食事をしているそばからすぐに布団を敷いていってさっさと仕事を終わりたがるとか・・なんだかしっくりこない。

しっくりこないと言えば、食事もやたらと量が多過ぎて、せっかくのおいしい料理もうまさが半減してしまうように感じたりもするんだ。

でも僕も日本人だから温泉に浸かることそのものは大好きだよ。この辺がイタリア人の僕の妻とは違う。

妻は西洋人の常で、「湯に浸かって体を温める」ことの良さや幸福を子供の頃から教えられているわけじゃない。だから、温泉には執着しない。熱い湯も好きじゃない。

温泉は飽くまでも医療セラピーとして入るんだ。

またキリスト教徒の本性で、素っ裸で他人とともに湯に浸かることにも明らかに抵抗感があるようです。

この間NHKが、外国の温泉に浸かる外国人の男を、日本風に素っ裸にして撮影していて、実に見苦しかった。

外国人が全裸で温泉に浸かることはありえない。プールの感覚だから、屋内外を問わずに男も女も必ず水着を着るのが常識です。

ディレクターが、あるいはそういう西洋社会の習慣やメンタリティーにうとかったのでしょう。

日本風を押し通して湯船の縁に裸の男を座らせて撮影してしまい、不自然さが全面に出て実に居心地の悪いえげつない絵になっていました。

でも恐らく、番組を作っているスタッフ同様に視聴者もそのことには気づいていない。怖い話だと僕は思ってしまうんだ。

なぜって、国際的な誤解というのはそういうささいなところから始まって、大きく深くなって行ったりする。

誤解をなくすつもりで制作した番組が、逆効果になってしまうことも多々あります。

だから社会的に強烈な影響力を持つテレビに関わっている僕のようなテレビ屋は、日々もっともっと勉強を続けていかなければならない。。

お、おふざけが好きな僕にしては、ちょっとマジ過ぎるメールになってしまいました。

ギリシャにいても、結局どこかで日本を考えていたりするのが僕の癖です。

今回もギリシャではいろいろなことを見て、いろいろなことを考えさせられました。

地中海巡りは仕事半分、休暇半分のつもりの旅行ですが、これまでのところは8~9割が仕事になってしまっています。

もう少し自由な時間を広げて、最終的には「リサーチ休暇」のようにするのが夢です。

何はともあれ、地中海世界は面白い。今後は何年もかけてどんどん地中海を見て回るつもりでいます。

                            それでは 〗

 

 

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プーチン暗殺、またクーデター論のケセラセラ

ロシアのウクライナ侵攻からほぼ80日が経った5月14日、ウクライナの諜報機関のボス、キリロ・ブダノフ准将が、ロシアでプーチン大統領を引きずりおろすクーデターが進行している、と英スカイニュースで公言しました。

だがその後は何事もなく時間が過ぎました。真相は闇の中ですが、ロシアの反プーチン勢力がクーデターを繰り返し画策していても不思議ではありません。

プーチン大統領の暗殺を目指して動くスパイや、特務機関の存在もしきりに取りざたされています。

そうした権謀術数は、しかし、今のところは成功の確率は非常に低い。限りなくゼロに近いと言っても構わないのではないでしょうか。

そうはいうものの、劇画やスパイ映画じみたそれらの計画が存在しないと考えるのは、プーチン大統領の暗殺が明日にでも成就する、と主張するのと同じ程度に荒唐無稽です。

前出のブダノフ准将は、公表されていないが3月にプーチン暗殺未遂事件が確かにあった、とも明言しています。

またブダノフ准将は、プーチン大統領がいくつかの病気に罹っていて、精神的にも肉体的にも追い詰められているとも断言。

イギリスのタイムズ紙も、プーチン大統領が「血液のがん」に侵されていると報告し、アメリカのメディアも同様に彼の健康状態が良くない、と伝えています。

また別の英紙によると、プーチン大統領は暗殺を恐れて疑心暗鬼になっている。食事や飲み物は毒見担当のスタッフが味見をした後でなければ口にしない、というのです。

クレムリン内ではかつてなくプーチン大統領の求心力が低下しているとされます。

だが、権力争いは活発化していません。なぜならプーチン時代の終わりを誰もが予感しているからです。

いま無理して争わなくてもプーチン大統領は間もまく失墜するか死亡する、と彼に続こうとする権力の亡者たちは踏んでいるようです。

巷に流れている情報がどこまで真実なのかはいまのところ誰にも分かりません。

ウクライナやアメリカの諜報機関も、ロシアのそれと同じくらいにフェイクニュースを発信して、情報のかく乱を目指しているからです。

一方では猫も杓子も希望的観測も、ひたすらプーチン大統領の失脚を待ちわびています。

そして先行きがまったく見えないまま、世界は徐々に戦争報道に飽きつつあります。人の集中力は長くは続かないのです。

プーチン大統領はその時をじっと待っているとも目されています。

世界の関心が薄れたとき、間隙を縫ってプーチン大統領の決定的な攻勢が始まる、という考え方もあります。

どこまで行っても一筋縄ではいかないのがプーチン大統領という魔物。

世界の多くが彼の転落を待ちわびていますが、楽観論に反して時間が彼に味方をし、大逆転劇が起きる可能性は五分五分というふうに見えます。

 

 

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美しく老いる肉体の真実

先日、イーロン・マスク氏の74歳になる母親のマイエ・マスクさんが、スポーツ誌の水着モデルになって話題を呼びました。

水着姿の彼女は美しく「セクシー」だ、という意見やコメントや批評が躍りました。

筆者はそこに違和感を持ちました。

マイエ・マスクさんは外見的には高齢の普通の女性です。

彼女が最高齢の水着モデルとして雑誌に採用されたのは、なにかと物議をかもすイーロン・マスク氏という億万長者の息子がいるからにほかなりません。

イーロン・マスク氏の強い話題性に乗っかって一儲けしようとする魂胆が、母親を雑誌の水着モデルに仕立て上げたのです。

よくある話であり、ありふれた手法です。

ふつうなら黙って見過ごすところですが、いま触れたように彼女の水着姿を「セクシー」だと言い張る声に強いひっかかりを覚えました。

水着姿のマイエ・マスクさんは、かわいく元気そうな女性ですが、断じてセクシーではありません。

老いてセクシーというのは、自然の摂理に反する空しいコンセプトです。

そしてもしもある個人が、高齢になってもセクシーであろうと足掻くのは悲しい生き方です。

セクシーとは性的な輝きのことです。

ところが閉経し膣に潤いがなくなった女性は、性においては輝きではなく性交痛に見舞われます。それは性交をするな、という自然の通達です。

高齢になって性交し妊娠するのは、母体にとって危険です。出産はもっと危険です。

だが自然はそれ以上の周到さで、高齢女性の性交を戒めています。

つまり女性が高齢で生む子供は、障害や弱さや死にまとわれる可能性が高い。それは種の保存、継続にとっての最大の危機です。だから膣を乾かせます。

膣に潤いがなくなるのは年齢のせいではない。自然がそう命令するのです。

むろん自然は男性の側にも同様の警告をします。だから男は年を取ると勃起不全になり性的攻撃性が減退します。それもまた自然の差し金です。

性交をしない、つまり性交ができない肉体はセクシーではありえません。美しくはあり得ても、それはセクシーではないのです。女もむろん男も。

年齢を重ねると女も男も肉体がひからび、くすんでいきます。自然現象です。

自然現象ですが、人間はまた自然現象に逆らうこともできる存在です。意志があり心があるからです。

ひからび、くすんでいく自然現象に立ち向かって、肉体を磨く人の行為は尊い。意志が、心がそれをやらせます。

肉体を磨く行為は、肉体を着飾る意思ももたらします。高齢になっても若やいだ、色鮮やかな装いをして颯爽と生きる人の姿は美しい。

ところで

肉体を磨くことに関しても衣装に関しても、特に女性の場合は日本人よりも西洋の女性のほうがより積極的であるように見えます。

多くの場合日本人は、年齢を意識してより落ちついたデザインや色彩の衣装を身にまといます。そこにはノーブルな大人の美があります。

だが、ただでもかわいてくすんでいく肉体を、より暗い地味な衣装でくるんでさらに老いを強調するのは理に合わない、という考え方もあります。

寂しい外見の肉体だからこそ、華やいだ衣装で包んで楽しく盛り上げるべき、という主張です。

明るい衣装が肉体の美を強調することになるかどうかはさておき、見た目が楽しくのびやかになるのは間違いありません。

年齢に縛られて、年相応にとか、年だから、などの言葉を金科玉条にする生き方はつまらない。

だが同時に、年齢に逆らって、望むべくもないセクシーさを追求するのは、悲しくもわびしい生き方です。

老いた肉体をセクシーにしようとすると無理がきます。苦しくなります。

老体の美は、セクシー以外の何かなのです。

何かの最たるものは心です。ひどく陳腐ですが、結局そこに尽きます。

老いを、つまりセクシーではない時間を受け入れて、心を主体にした肉体の健全と平穏を追求することが、つまり美しく老いるということではないでしょうか。

60歳代という老人の入り口に立っている筆者は、既に老人の域にいるマイエ・マスクさんのことが他人事には見えません。

幸い、彼女を「セクシー」だとはやし立てているのは、金儲けとゴマすりが得意な周辺の人々であって、彼女自身はそうでもないらしいのが救いです。

それというのも彼女はこう言っています:

「もしも私が雑誌の水着モデルになれると思ったら、頭のおかしい女性として無視されていたことでしょう」

と。

つまりマイエ・マスクさんは、自身の姿を客観視することができる健全な精神の持ち主なのです。

彼女のその健全な精神が、自身を水着モデルに仕立て上げたのは、成功あるいは金儲けを追い求める世間だったのだ、と主張しています。





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日本共和国はあり得るか

イタリアは昨日、共和国記念日で祝日でした。

第2次大戦後の1946年6月2日、イタリアでは国民投票により王国が否定されて、現在の「イタリア共和国」が誕生しました。イタリアが真に近代国家に生まれ変わった日です。

世界の主な民主主義国は、日本とイギリスを除いて共和国体制を取っています。筆者は民主主義国には共和国体制が最もふさわしいと考えています。

共和国制は民主主義と同様にベストの体制ではありません。あくまでもベターな仕組みです。しかし再び民主主義と同じように、われわれは今のところ共和制を凌駕する体制を知りません。

ベストを知らない以上、ベターが即ちベストです。

先年、筆者は熱烈な天皇制支持者で皇室尊崇派の読者から「あなたは天皇制をどう見ているのか」という質問を受けました。その問いに筆者は次のような趣旨の返事をしました。

天皇制については私は懐疑的です。先の大戦の如く、制度を利用して、国を誤らせる輩が跋扈する可能性が決してなくならないからです。

しかし「天皇制」と「天皇家」は別物です。天皇制を悪用して私利私欲を満たす連中は天皇家のあずかり知らないことです。

天皇家とその家族は善なる存在ですが、天皇制はできればないほうが良いと考えます。しかし、(天皇制を悪用する)過去の亡霊が完全に払拭されるならば、もちろん今のままの形でも構わない、とも思います。


筆者は今のところ、信条として「共和国主義が最善の政治体制」だと考えています。「共和主義者」には独裁者や共産党独裁体制の首魁などもいます。筆者はそれらを認めません。あくまでも民主的な「共和国主義」が理想です。

それはここイタリア、またフランスの共和制のことであり、ドイツ連邦やアメリカ合衆国などの制度のことです。それらは「全ての人間は平等に造られている」 という不磨の大典的思想、あるいは人間存在の真理の上に造られています。

民主主義を標榜するするそれらの共和国では、主権は国民にあり、その国民によって選ばれた代表によって行使される政治制度が死守されています。多くの場合、大統領は元首も兼ねます。

筆者は国家元首を含むあらゆる公職は、主権を有する国民の選挙によって選ばれ決定されるべき、と考えます。つまり国のあらゆる権力や制度は米独仏伊などのように国民の選挙によって造られるべき、という立場です。

世界には共和国と称し且つ民主主義を標榜しながら、実態は独裁主義にほかならない国々、例えば中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国なども存在します。

共和国と民主国家は同じ概念ではありません。そこを踏まえた上で、筆者は「共和国」を飽くまでも「民主主義体制の共和国」という意味で論じています。

筆者が読者への便りに「天皇制はできればないほうが良い」と言いつつ「今のままの形でも構わない」と優柔不断な物言いをしたのは、実は筆者が天皇制に関しては、自身がもっとも嫌いな「大勢順応・迎合主義」を信条としているからです。

大勢順応・迎合主義とは、何事につけ主体的な意見を持たず、「赤信号、皆で渡れば怖くない」とばかりに大勢の後ろに回って、これに付き従う態度でありそういう動きをする者のことです。

ではここではそれはどういう意味かと言いますと、共和国(制)主義を信奉しながらも、日本国民の大勢が現状のように天皇制を支持していくなら、筆者は躊躇することなくそれに従うということです。

共和国(制)主義を支持するのですから、君主を否定することになり、従って天皇制には反対ということになります。それはそうなのですが、筆者が天皇制を支持しないのは天皇家への反感が理由ではありません。

読者への返信で示したように、天皇制を利用して国家を悪の方向に導く政治家が必ずいて、天皇制が存続する限りその可能性をゼロにすることは決しできません。だから天皇制には懐疑的なのです。

しかしながら、繰り返しになりますが、日本国民の大多数が天皇制を良しとしているのですから、筆者もそれで良しとするのです。天皇家を存続させながら天皇制をなくす方法があれば、あるいはそれが適切かもしれません。

とはいうもののそのことに関しては、筆者は飽くまでも大勢に従う気分が濃厚なのです。そこには日本国民が、今さらまさか昔の過ちを忘れて、天皇制を歪曲濫用する輩に惑わされることはないだろう、という絶対の信頼があります。

 

 

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