トランプ再選より不穏なドイツAfDの躍進

米大統領選に向けた共和党の候補者選びで、トランプ候補が第1戦第2戦と連勝しました。

共和党は11月の米大統領選へ向けて、どうやらトランプ候補を彼らのエースと決めたようです。

それを受けて世界の魑魅魍魎たちがあちこちでが呟いています。

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先ずイスラエル・ネタニヤフ首相:

米大統領選までは何があっても戦争は止めない。トランプが勝てばこっちのものだ。俺と同じ穴のムジナのトランプにとっては、パレスチナ人なんて虫けら以下だ。極端なイスラエル擁護者の彼は、大統領に返り咲けばわれらがユダヤの国を徹底的に支援するだろう。ああ、トランプの再選が待ち遠しい。

ロシア・プーチン大統領:

ウクライナへのエンパシーはかけらも持ち合わせない2期目のトランプ大統領は、アメリカの支出を削減するという理由だけでもウクライナに停戦を要求するだろう。ウクライナはアメリカの支援がなければ戦争を続けられない。奴らは失った領土とずたずたにされた誇りと愛国心を抱えたまま、絶望の底で停戦に応じることになる。俺の狙い通りだ。

北の将軍様:

トランプは頭の中身も体型も俺とそっくりだから大好きだ。早く俺に並ぶ独裁者の地位に戻れ。

中国・習近平主席:

バイデンもトランプも悪魔だ。だがEUや日本などともつるみたがるバイデンよりも、1人で騒ぎまくるトランプの方が御しやすい悪魔だ。

岸田首相:

死んでも私のアイドルである安倍氏に倣います。トランプ大統領閣下、どうかいつまでもあなたの金魚のフンでいさせてくださいませ。

ドイツAfD:

ホロコーストはすぐには起こさないつもりだ。今はユダヤ人より移民のほうがマジ臭い。次は総統様がおっしゃった黄色い猿の日本人や、規則を知らない未開人のイタ公は抜きで、プーチン、北のデブ、シューキンペーなどをたぶらかし巻き込んで、白人至上主義を宇宙にまで撒き散らす計画だ。

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第1次トランプ政権の最大の脅威はトランプ大統領自身でした。しかし、アメリカも世界も4年間で彼への対処の仕方を学びました。

トランプ大統領は相変わらず民主主義への挑戦ではあり続けるでしょう。

しかしトランプ再選の最大の脅威は最早トランプ大統領ではなく、彼に親和的なドイツの極右AfDがさらに勢力を伸ばすことです。

AfDがかつてのナチスと同様にホロコーストを起こす危険があるという意味ではありません。AfDの不寛容な怒りっぽい性格は危険です。が、彼らとてナチズムの悪と失敗は知悉しています。

ヒトラーとナチズムとホロコーストを経験したドイツは、そしてひいては世界は、それらの再現を許しません。なぜなら「欧州の良心」がそれを阻むからです。

「欧州の良心」とは、欧州が自らの過去の傲慢や偽善や悪行を認め、凝視し、反省してより良き道へ進もうとする“まともな”人々の心のことです。

それは言論の自由に始まるあらゆる自由と民主主義を標榜し、人権を守り、法の下の平等を追求し、多様性や博愛を尊重する制度を生み出しました。

「欧州の良心」はトランプ主義に異議を申し立て、プーチンロシアに対峙し、習近平中国の前にも立ちはだかります。

ヒトラーはヒトラーを知らず、ムッソリーニはムッソリーニを知りませんでした。だが今この時の欧州の極右は、ヒトラーもムッソリーニも知っています。

そして彼らは、ヒトラーとムッソリーニを極限のさらに向こうの果てまでも否定する、欧州の民意も知悉しています。

また彼らのうちの少しの知性ある者つまり指導者層も、ナチズムとファシズムの悪を知り尽くしています。だから彼らはヒトラーにもムッソリーニにもなり得ないでしょう。

だが、人々の怒りをあおり、憎しみの火に油を注ぎ、不寛容の熾き火を焚きつけるのが得意な彼らの悪意は、易々と世の中を席巻することが多い。歴史がそれを証明しています。

従って彼らは拡大する前に殲滅されたほうがいい。放っておくとかつてのヒトラーのNSDAP (国民社会主義ドイツ労働者党 )、つまりナチスのごとく一気に肥大し制御不能な暴力に発展しかねません。

とはいうものの、繰り返し強調しておきます。欧州の今この時の極右勢力はヒトラーのナチズムやムッソリーニのファシズムと同じではありません。

悪魔の危険を知り、悪魔ではないように慎重に行動しようとする悪魔が、現今の欧州の極右なのです。

それは2022年10月、イタリアで政権を握った極右政党「イタリアの同胞(FDI)」の在り方を検証するだけでも明らかです。

「イタリアの同胞」のジョルジャ・メローニ党首は、激しい反移民言論やEU懐疑思想を全面に押し出して総選挙を勝ち抜きました。

そして彼女は首相の座に就くと同時に選挙戦中の極右丸出しの主張を引っ込めて、より「穏健な極右」あるいは「急進的な右派」政治家へとシフトしました。

それにはイタリア独特の政治風土が大きく関わっています。

各地方が精神的に自主独立している自治体が、寄り合って統一国家を成しているのがイタリア共和国です。

多様性が何よりも優先されるイタリア共和国の政治は頻繁に乱れます。だがそれは外から眺めただけのイタリアの“見た目”に過ぎません。

イタリア政治には混乱はありません。多様性が担保する殷賑と狂乱と興奮が織り成す、百花繚乱というイタリア的な秩序があるだけです。

多様性は政治に四分五裂の勢力をもたらします。過激思想も生みます。極論者も政治的過激論者も跋扈します。

それらの過激勢力は、互いに相手を取り込もうとしてさらに過激に走るのではなく、より穏健へと向かいます。身近な実例が、1018年に発足した極左の五つ星運動と極右の同盟の連立政権です。

政権を樹立した彼らは、選挙運動中の過激な主張どおりにEUを否定し独立独歩の道を行くということはなく、いわば“穏健な過激派政権”となりました。

そして2022年に政権の座についた極右のメローニ首相も、選挙前の剽悍な言動を抑えて「穏健な過激派」へと変貌しました。それが彼らの正体、というのがふさわしいと思います。

ネオナチあるいはネオファシストとも呼ばれるAfDも、政権奪取あるいは連立政権入りを果たした暁には、メローニ首相が率いるイタリアの同胞(FDI)と同じ道を辿ることでしょう。

だがAfDは― 世界的には政治的弱小国に過ぎないイタリアではなく― EUを主導する大国ドイツの極右です。政権を握れば、イタリアの極右とは違う大きなインパクトを欧州に、そして世界に与えます。

そして最も重大な懸念は、彼らが反EUあるいはEU懐疑主義思想を深めることで、EUがひいては欧州が弱体化することです。

なぜなら世界がかく乱された第一次トランプ政権時代、ファシズム気質のトランプ主義に敢然と立ち向かったのは、EUを核に団結した強い欧州だけでした。

その欧州は同時に、中露の専制主義に立ち向かえる唯一の力であることも、またその時代に証明されました。

要するに欧州の弱体化は、本質的に世界の弱体化と同じです。

世界の民主主義の盟主は、専制主義とほぼ同義語のトランプ主義でさえ政権奪取が可能な米国ではなく、“欧州の良心”を堅固な民主主義で死守しようとする、EUを核とする欧州そのものなのです。

第2次トランプ政権が後押しをしそうに見えるドイツAfDの勢力拡大は、欧州の力を確実に大きく削ぎます。それこそがトランプ再選の最大の痛手であり脅威です。

 

 

 

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SNSの広がりと限界

テレビをはじめとする大手メディアは資金や人的資源を豊富に持っています。彼らはそれを縦横無尽に使って一次情報を収集します。大手メディアの報道や番組は一次情報の宝庫です。

いうまでもなく一次情報は、それがありのままに正直に提示されたものなら、客観的な事実であり真実である場合がほとんどです。

片やSNSで情報を発信している個人には、自分以外には人材も金もないため、足と時間と労力を使って得る独自情報や見聞は少ない。せいぜい身の回りの出来事が精一杯です。

そこで彼らは大手メディアが発信する一次情報を基に記事を書いたり報道したりすることになります。それが2次情報です。

2次情報を見てまた誰かが記事を書く。それが3次情報・・と次々に情報が拡散されていきます。そしてその度に発信者の解釈や意見や感じ方が盛り込まれます。

その結果、ネット空間には偏向や偏見や思い込みに基づく表現もあふれることになります。

筆者はSNSでは今述べた現実をしっかり意識しながら発信しています。

つまり、自身が体験したことや自分の足で集めた情報以外は、あらゆるメディアやツテや友人知己からの一次情報を自分なりに解釈し考察して、その結果を発信するということです。

そこでは事実や事件の正確な報告よりも「自分の意見を吐露」することが優先されます。換言すれば、他から得た情報や事実や見聞に対して自らの意見を述べるつもりで記事を書くのです。

テレビ局やプロダクション、またスポンサーや出版社などから制作費をもらって番組を作り取材をする場合は、むろん自分の足で動き取材対象に向き合いインタビューをします。

そこで得るのは全て一次情報です。一次情報を制作費を出した側にそのまま渡すのが取材。加工して渡すのが番組制作であり記事執筆です。

筆者は小さな番組制作会社を率いた時期を含め一貫してフリーランスですが、大手メディアから制作費をもらって仕事をする際は、いわば彼らの一員となって仕事をこなすことになります。

SNS発信は違います。

大小の商業メディアから資金の出ない、かつ無報酬(ほとんどの場合)のSNSでは、一次情報の発信には限界があります。

無報酬のSNS記事だけを書くために、取材と称して例えば日本からガザに向かったりウクライナの前線を訪ねたりする者はいないでしょう。

SNSでは筆者は大手メディア、特にBBC、CNN、Al Jazeera、Euronews、またNHKなどを活用して一時情報を手に入れ、新聞その他の媒体でさらにそれらを確認し追加しながら「自らの意見を述べる」ことを信条にして発信しています。

一次情報取得のために大手メディアと競うのはほとんど無意味だし不可能です。それはSNSが情報発信において大手メディアに敗北したということではなく、組織と個人の情報収集法の違いに過ぎません。

SNSでの「自らの」発信と、既存メディア上で行った「自らの」発信、つまり報道取材や番組制作は全く質が異なります。そこを履き違えると滑稽な結果になりかねません。

 

 

 

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経歴フェチみたいな人もいる

SNS発信では、今何をしているかが重要であって、過去の出来事はあまり意味がない、と筆者は考えています。

SNSの面白さはSNSが出発点、というところにあります。

例えば筆者はFacebookでは、いただく友達申請のほかに、これはという投稿を見た場合はこちらからも迷わずに友達申請をします。その際には自分については「イタリア在住者です」とのみ名乗っています。

「今筆者が何を発信しているか」だけが重要だから、敢えて余計なことは書かないのです。

後はその方が筆者のタイムラインを見て、申請を受けるか否か判断する、と考えています。

過去や経歴を知らない人が、何か面白いこと、役に立つこと、印象深いこと等を書いているなら、それは本当に面白いこと、役に立つこと、印象深いことです。

片や執筆者の経歴を知っている場合は、特にその人が有名人だったりすると、経歴に引きずられてつまらない文章も輝いて見えたりします。

それではSNSを利用する意味がないと思います。

最近SNS上である人とやり取りをするうち、突然お前の生業はなんだ、と訊かれておどろきました。進行中の議論では生業は問題ではなく、お互いの「今の」考えのやり取りだけが重要だったからです。

それでも彼の言いを尊重して「私の生業はテレビドキュメンタリーと報道番組制作です」と返信しました。

するとすぐにまた「本当にTVドキュメンタリー制作者なら、お前の実績を教えろ。代表作はなんだ?会社名と作品を教えろ」とたたみかけてきました。

こちらの問いにはほとんど答えず、一方的に自説を繰り返すだけなので議論が成り立ちません。放っておこうとも思いましたが、またどうということもない経歴ですが、それまでのやり取りに免じて要望にこたえ経歴を送りました。

送ったあとで、まてよ、と考え直しました。

筆者は自分の経歴や生業については、個人ブログの中などで度々書いてきました。そのブログのタイトルも「【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信」と、TVディレクターのブログであることを示唆する内容にしました。

読者は不特定ですが友人知己も多く、それらの皆さんは筆者の経歴については記事を読まなくても知っています。しかし交流サイトと言われるFacebookでは、友人知己を除けば筆者の経歴を全く知らない人がほとんどだと気づきました。

従って投稿を読んでくださるFB友のなかには、彼のように筆者の生業を気にする人もいるのではないか、と思い至りました。むしろその方が人情かもしれません。

そこで生業はなんだ?と訊いた相手に送ったものとほぼ同じ説明をここにも記しておくことにしました。

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MASANORI NAKASONE  (仲宗根雅則)  なかそね則

テレビディレクター(ドキュメンタリー&報道)

慶応義塾大学卒業   ロンドン国際映画学校卒業。

(職歴)

USケーブルTVディレクター(テレジャパン) 報道番組多数(日本にて)

NHK番組制作。NHKスペシャル、衛星放送報道番組&ドキュメンタリー、ほか報道番組取材多数、WOWOWほか民放番組取材多数。

1984年から2年間はニューヨークでアメリカ公共放送PBSの番組制作。

1989年―2010年番組制作プロダクション「ミラノピュー」代表。

以後フリーランス&自称ブロガー

(受賞歴)

1.ロンドン国際映画学校在学中に短編小説「新人賞」によって「小説新潮」月間新人賞・佳作入選。

2. 1986年、アメリカPBS放送のドキュメンタリー番組「のり子の場合」により「モニター賞」報道・ドキュメンタリー部門最優秀監督賞受賞。

3. 1996年制作のNHKドキュメンタリー番組「素晴らしき地球の旅~パリオ・中世の競馬~」によりNHK年間優秀番組賞受賞(衛星放送局長賞)。

(執筆歴)

「三田文学」(小説)、「トレンドセッター」「VACATION」「ウインド」「BURUTAS」その他の雑誌記事・連載・特集記事、新聞コラムなど。

WEB執筆:次のブログを管理・主催・執筆。

1.【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

2.ピアッツァの声

数年前までYahoo個人、アゴラ等、公のブログにも寄稿していました。?

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SNS発信は、言うまでもなく既存メディアのそれとは違います。筆者は既存メディアのうちテレビと紙媒体でプロとして仕事をしてきました。プロとしての仕事とは、制作費をいただいてテレビ番組を作り、取材をし、別の時間には新聞雑誌等に記事を書いたりもした、という意味です。肩書きはテレビのドキュメンタリーおよび報道番組ディレクターでする。新聞雑誌に書く記事また雑文などは、ディレクターとしての筆者の仕事があってはじめて発生した、と考えています。

箇条書きの履歴を少し説明しておきます。

ロンドンの映画学校で学んだ後は日本に帰国し、USケーブルネットワークの報道取材を多数こなしました。ケーブルテレビ全盛の頃で、若造だった筆者の企画も面白いように通りました。そのため多くの報道番組を作りました。ほぼ毎日ロケで日本全国を駆け回っていたような記憶があります。

その後、ニューヨークに来ないかという話があり渡米。アメリカでは主に公共放送・PBSの番組を作りました。Dick Cavettが全体のプレゼンターとナレーションを務めた「Faces of Japan」です。

13本シリーズのうち4本を筆者が監督し、残りの9本は数人の米国人監督が分担して撮りました。

筆者が作った4本のうち、シリーズの冒頭を飾った「The Story of Noriko」が国際モニター賞の報道・ドキュメンタリ部門監督賞を受賞しました。

その後イタリアに移住してNHKの衛星放送と地上波ドキュメンタリーでも仕事をしました。NHKとつながりができたのは、ニューヨークで受賞したことがきっかけでした。

NHK衛星放送は黎明期でもあり、そこではUSケーブルネットワーク 時代と同じように筆者の企画も良く採用され、パリ局とロンドン局を介して多くの番組を作り、取材もしました。

民放の仕事ではTBSほかの地上波を少々とWOWOWに多く関わりました。

NHK衛星放送とWOWOWでは、それまで全く知らなかったファッション番組とサッカーの衛星生中継もこなしました。貴重な体験になりました。

ミラノにささやかな番組制作プロダクションを開いてからは、スタッフを雇いNHKほかのコーディネーションの仕事も多く受けました。

報道とSNSに関する筆者の基本的な考えは

に記されています。

また仕事に絡まるブログ記事は:

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/51615705.html
https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch…/52253014.html
https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch…/52313511.html
https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52278691.html
https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch…/52290592.html
https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch…/52325526.html
https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch…/51719662.html
https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch…/51723726.html
https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch…/51724123.html
https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch…/51725115.html
https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch…/51725746.html
https://terebiyainmilano.livedoor.blog/arch…/51725826.html


等を参照していただければと思います。

 

 

 

 

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“ザ極右“の隠し切れない尻

イタリアは年初からポッツォロ事件で揺れています。

国会議員のエマヌエレ・ポッツォロ(Emanuele Pozzolo)氏が、年忘れパーティーにあろうことか拳銃をポケットに忍ばせて出席し、それが“暴発”して一人が負傷しました。

ポッツォロ氏は38歳。極右で与党の「イタリアの同胞」所属の代議士です。

ポッツォロ議員は拳銃は自分が発砲したのではないと主張。事態が紛糾しました。

代議士の主張はこうです。

彼はポケットにピストルを忍ばせたオーバーコートを椅子の背もたれに掛けた。するとピストルがこぼれ落ちた。(あわてた)ポッツォロ氏がそれを拾い上げたとき、はずみで銃が暴発したといいます。

だがそこにいた人々の中には、ポッツォロ議員が意図的に発砲した、と証言する者もいて、今も混乱が続いています。

彼の所属党、イタリアの同胞党首でもあるメローニ首相は事件に激怒。彼を党から除籍すると息巻きましたが。結局党資格停止処分になりました。

メローニ首相はネオファシストと規定されることさえある右派政治家ですが、昨年首相に就任してからは、極右的な激しい言動を控えてより中道寄りの物腰と政策を心がけています。

それは効を奏して、彼女はEU本部からも国内の野党からも、対話が可能な右派政治家として見なされ、それに沿って「普通に」仕事をこなしていると見えます。

自由都市国家メンタリティーの集合体であるイタリア共和国には強い多様性が息づいています。そこでは政治勢力が四分五裂して存在し極論者や過激派が生まれやすい。

ところがそれらの極論者や過激派は、多くの対抗勢力を取り込もうとして、より過激に走るのではなく、より穏健になる傾向が強い。

多様性が政治の過激化を抑制するのです。

2018年に船出した極右「同盟」と極左「五つ星運動」による連立政権は、政治的過激派が政権を握っても、彼らの日頃の主張がただちに国の行く末を決定付けることはない、ということを示しました。多様性の効能です。

イタリアの同胞が主導する右派政権も、ここまでは同じ道を辿っています。

メロ-ニ首相は ポッツォロ事件では代議士を激しく非難。先に触れたように彼は党員資格を停止されました。処分は今後の成り行きではさらに重くなると見られています。

メロ-ニ首相は―事件の真相が何であれ―ポケットに拳銃を忍ばせて大晦日の年越しパーティーに出席するという異様且つ「暴力的」な行動は、いかにも極右的と国民に受け止められることを知っていたに違いありません。

彼女の市民感覚は極めて正常だと証明されたと言ってもいいでしょう。

年越しパーティー兼新年会に、ピストルを持ち込む国会議員とは一体なんでしょう?ほとんど狂気に近い行動ではないでしょうか。

極右の問題はそういうところにあります。やることが暴力的に過激なのです。それは左の極論者も同じです。

過激派を放っておくと、やがて拡大成長して社会に強い影響を及ぼします。あまつさえ人々を次々に取り込んでさらに膨張します。

膨張するのは、新規の同調者が増えると同時に、それまで潜行していた彼らの同類の者がカミングアウトしていくからです。

トランプ大統領が誕生したことによって、それまで秘匿されていたアメリカの反動右翼勢力が、一気に姿を現したのが典型的な例です。

彼らの思想行動が政治的奔流となった暁には、日独伊のかつての極右パワーがそうであったように急速に社会を押しつぶしていきます。

そして奔流は世界の主流となって、ついには戦争へと突入します。そしてそこに至るまでには、弾圧や暴力や破壊や混乱が跋扈するのはうまでもありません。

したがって極右モメンタムは抑さえ込まれなければならない。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきです。

ポッツォロ事件の真の怖さは、銃を発砲したしないの問題よりも、そもそも「年越し兼新年会パーティー」に拳銃を持ち込む感覚がすでに異様で暴力的、という点だと思います。

ネオファシストとさえ呼ばれたメーローニ首相は、既述のように政権奪取以来より穏健で中道寄りに傾く政策を採っています。

しかし彼女が率いる極右政党は、ポッツォロ代議士のようなトンデモ人間を包含して存在する、という現実を片時も忘れてはなりません。

 

 

 

 


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ボーイング737MAXも787も乗らないに越したことはない

先日運行停止になったボーイング社の問題児、737MAXが空を翔るのはまだ先になりそうです。

ブティジェッジ米運輸長官が1月10日、規制当局が安全飛行が可能と判断するまで737MAXは地上待機をしなければならないと語ったからです。

737MAXは前回、2018年に起きたインドネシア・ライオン航空の墜落事故と、2019年に起きたアフリカ・エチオピア航空の墜落事故を受けて運行停止になりました。

今回は上昇中に側壁が吹き飛ぶという信じられないような事故でした。

ボーイング737MAXは鬱陶しいが、ボーイングの787ドリームライナーもすっきりしない飛行機です。

ボーイング787は低燃費、安全性を旗印に市場に出ましたが、2013年にバッテリーの不具合という深刻な問題でコケました。

バッテリー事故のあと、ボーイング社は故障の原因究明を懸命に行ないました。

だが結局分からず、可能性のある80通りのケースを想定して、これに対応する形での改善策を米FAA・連邦航空局に提示して了承されました。

以来同様の事故は起きていません。

でもボーイング社もFAAも当時、いわば

「故障しない保証はないが、大事故はない。だから心配するな」

という形で幕引きを図りました。

だがなんにも頼るもののない空の上で、飛行機が火事になったら、あるいはバッテリーが発火して火事になりそうになったら、はたまたそういう可能性があるかもしれない、と考えたりしながら座席に座っていても少しも楽しくない、と筆者は当時思い、今も同じ気持ちでいます。

飛行機に乗るのならば100%の安全やゼロリスクというのはもちろんあり得ない。しかし、故障の原因は分からないが「故障は封じ込めたから安心しろ」というのは、どうもしっくりきません。

片や737MAXは墜落事故の後、飛行制御ソフトウェアの不具合が事故の原因と特定されました。

ボーイング社は飛行制御ソフトウェアの設計変更に取り組み、アメリカ連邦航空局(FAA)が承認して飛行禁止を解除しました。

787ドリームライナーのバッテリー問題も、737MAXのソフトウェアの不具合も愉快ではないが、事故原因が特定できなかった787のほうがより嫌だ、と筆者は思います。

むろん機体の側壁が吹き飛んだ今回の737MAXの事故原因が、しっかりと究明されるという前提での話です。

 

 

 

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安倍派ガサ入れはマフィア逮捕劇の兄弟ドラマ

先日、裏金工作事件に関連して安倍派の池田佳隆衆議院議員が逮捕されました。東京地検特捜部はひょっとすると本気で巨悪に挑もうとしているのかもしれません。

昨年12月、東京地検特捜部が安倍派の事務所に家宅捜索に入りました。

それは良いニュースであり悪いニュースでもありました。

良いニュースとは、特捜部が安倍派に歯向かったことです。

安倍晋三というひとりの議員に過ぎない者が、一国の司法を抑圧し闇の力を行使するなど断じてあってはならないことです。

安倍元首相の力が悪徳の隠ぺいに一役買っていたのなら、彼は死して後もなお、実行犯の議員らと同様に徹底糾弾されるべきです。

死者を鞭打つなという日本独特の美徳は、権力者に対しては示されるべきではない。公の存在である政治家は、公の批判、つまり歴史の審判を受けます。受け続けなければならない。

悪いニュースは、司法が権力者の前ではへつらっていたくせに、その権力者が死ぬとほぼ同時に復讐に出た卑劣さです。

司法が真に三権の一角を担う存在なら、彼らは安倍元首相が君臨していたころから毅然として、まかり通る理不尽に立ち向かうべきでした。忖度などもってのほかだったのです。

日本の検察は、1警官ごときが「オイ、コラ」と威張っていた未開時代からあまり進歩していません。

検察が罪をでっち上げた最近の冤罪事件「大川原化工機事件」を持ち出すまでもなく、権力を傘に着た専制的な動きが普通に起きます。

東京地検の安倍派へのガサ入れには喝采するものの、そこには彼らの前近代的で傲岸なメンタリティーも一役買っているように見えるのが憂鬱です。

政治に抑圧されていた司法が、闇の力の消失あるいは弱体化によって一気に力を盛り返す事例は、民主主義が歪に発達した国で特によく起こることです。

その分かりやすい例を挙げます。

イタリアで2006年、43年間潜伏逃亡をし続けたマフィアの大ボス、ベルナルド・プロヴェンツァーノが逮捕されました。

プロヴェンツァーノは逃亡中のほとんどの時間を、時には妻子までともなってシチリア島のパレルモで過ごしたことが明るみに出ました。

するとマフィアのトップの凶悪犯が、人口70万人足らずのパレルモ市内で、妻子まで引き連れて40年以上も逃亡潜伏することが果たして可能か、という議論がわき起こりました。

それは無理だと考える人々は、イタリアの総選挙で政権が交替したのを契機に何かが動いて、ボス逮捕のGOサインが出たと主張しました。

もっと具体的に言えば、プロヴェンツァーノが逮捕される直前、当時絶大な人気を誇っていたイタリア政界のドン、シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相が選挙に 負けて政権から引きずり下ろされました。

そのためにベルルスコーニ元首相はもはやマフィアを守り切れなくなり、プロヴェンツァーノ逮捕のGOサインが出た、というものです。

真偽のほどは今後の検証で明らかにされるでしょうが、政治が組織犯罪に翻弄されることもあるイタリアの民主主義は、日本ほど歪ではないものの未熟で見苦しい点も多々あります。

安倍晋三というラスボスの死去を受けて司法が反撃に出たらしい状況は、ベルルスコーニという権力者の没落と同時に、大ボスの逮捕に向かったイタリアの司法の必殺のチャンバラ劇を思い起こさせます。

昨年末のガサ入れの後、特捜部の動きは少し腰砕けになりつつある、という見方もありました。

しかし、彼らが安倍派の議員の逮捕に踏み切ったのは、特捜部のガッツが本物である証にも見えて頼もしい。ぜひ踏ん張って捜索を強行していってほしいと思います。

 

 

 

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殺人鬼ブレイビクを忘れない

2011年7月、アンネシュ・ブレイビクがノルウエーの首都オスロでほとんどが若者だった77人を殺害し禁固21年の刑を受けました。

ブレイビクは先日、彼が受けている懲罰としての隔離は、人権侵害また非人道的な扱いを禁止する欧州人権条約(ECHR)第3条に違反していると主張しました。

彼は現在、キッチン、食堂、ゲーム機Xbox付きのテレビ室(娯楽室)、バーベル、トレッドミル、ローイングマシン等を備えたフィットネスジム付きの、2階建ての独房に収監されています。

ブレイビクは、2016年にも同様の申し立てをして制限つきの自由を要求し、却下されました。

事件が起きた2011年7月以降しばらくは、ブレイビクが死刑にならず、あまつさえ「たった」21年の禁固刑になったことへの不満がくすぶりました。

だがその不満は実は、日本人を始めとする死刑制度維持国の国民だけが感じているもので、当のノルウェーはもちろん欧州でもそれほど問題にはなりませんでした。

なぜなら、欧州ではいかなる残虐な犯罪者も死刑にはならず、また21年という「軽い」刑罰はノルウェーの内政だから他者は口を挟みませんでした。

人々はむろん事件のむごたらしさに衝撃を受け、その重大さに困惑し怒りを覚えました。

だが、死刑制度のない社会では、犯人を死刑にしろという感情は湧かず、そういう主張もありませんでした。

ノルウェー国民の関心の多くは、この恐ろしい殺人鬼を刑罰を通していかに更生させるか、という点にありました。

ノルウェーでは刑罰は最高刑でも禁固21年です。従ってその最高刑の21年が出たときに彼らが考えたのは、ブレイビクを更生させること、というひと言に集中しました。

被害者の母親のひとりは「 1人の人間がこれだけ憎しみを見せることができたのです。ならば1人の人間がそれと同じ量の愛を見せることもできるはずです」と答えました。

また当時のストルテンベルグ首相は、ブレイビクが移民への憎しみから犯行に及んだことを念頭に「犯人は爆弾と銃弾でノルウェーを変えようとした。だが、国民は多様性を重んじる価値観を守った。私たちは勝ち、犯罪者は失敗した」と述べました。

EUは死刑廃止を連合への加盟の条件にしています。ノルウェーはEUの加盟国ではありません。だが死刑制度を否定し寛容な価値観を守ろうとする姿勢はEUもノルウェーも同じです。

死刑制度を否定するのは、論理的にも倫理的にも正しい世界の風潮です。筆者は少しのわだかまりを感じつつもその流れを肯定します。

だが、そうではあるものの、そして殺人鬼の命も大切と捉えこれを更生させようとするノルウェー国民のノーブルな精神に打たれはするものの、ほとんどが若者だった77人もの人々を惨殺した犯人が、“たった21年”の禁固刑で自由の身となることにはどうしても割り切れないものを感じます。

死刑がふさわしいのではないか、という野蛮な荒ぶった感情はぐっと抑えましょう。死刑の否定が必ず正義なのですから。

しかし、犯行後も危険思想を捨てたとは見えないアンネシュ・ブレイビクの場合には、せめて終身刑で対応するべきではないか、とは主張しておきたい。

その終身刑も釈放のない絶対終身刑あるいは重無期刑を、と言いたいところですが、再びノルウェー国民の気高い心情を考慮して、更生を期待しての無期刑というのが妥当なところでしょうか。

 

 

 



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能登半島地震は「原発を止めろ!」と叫んでいるように見える

能登半島地震直後の世界の報道の様子は、かなリラックスしたものでした。

震度(マグニチュードではない)7という恐ろしい数字の割には、死者もなく被害も小さいというニュアンスの報告が多く流れました。

英BBCは、かつて日本駐在で今は台湾在の記者の報告として、日本人によるもの悲しい「日本ってすごい」類いの発信かと見紛うほどの日本礼賛記事さえ書きました。

それらの影響もありましたが、震度7という不快な数字にも関わらず被害が最小限に抑えられているらしい、と筆者はすっかり安心しました。

間もなく事態は深刻だということが明らかになりました。が、時すでに遅く、筆者はあちこちに「明けましておめでとう」とノーテンキな年賀を発送してしまっていました。

慶賀とは真逆の、犠牲者の数と被害の大きさが連日増幅されていきました。

打ち明ければ最近、特に日本経済の不振を見続けるうちに、原発の再稼動、推進も致し方ないのではないか、と思ったりしたこともありました。

だが能登半島地震を見て、やはり日本には原発は置いてはならない、と改めて考え直していいます。必ず再生可能エネルギーへとシフトしていくべきです。

コストがかかり過ぎるなどと言ってはいられません。今後必ず来るであろう原発地域への大地震と津波被害をカバーする費用と、労力と、心理的ダメージ等の巨大さを思えば、再生可能エネルギー転換へのコストは知れたものです。

国の地震調査委員会の「全国地震予測地図」によると、能登半島を含む石川県の地震発生率は、南海トラフ地震の発生確率に比べるとほぼゼロと形容できるほどに低い。

程度の差はありますが、全国の発生確率予測も同様です。言葉を替えれば、南海トラフ地震の発生確率」だけが、政治的意図によって真実以上に高く評価されています。

今後30年ほどの間に大地震の起きる確率が「0.1%~3%未満」とされていた能登半島の巨大な揺れは、未知の断層で起きた可能性があります。

日本列島が乗っかっている活断層は、徴しが地表にも現われる極くわずかな部分を除いて、ほとんどが謎。未知の領域です。

危険が比較的高く、また政治的な狙いも加わって、発生確率が実際よりも異様に高く評価されているとされる南海トラフ地震域ほどではなくとも、北海道から沖縄までの日本列島はどこもかしこも危険地域です。

もはや一刻の猶予も許されません。日本は脱原発に舵を切るべきです。一斉に稼動を止めるのはさすがに無理でしょうが、古い原発から順に廃炉にしていく計画を立てて、それに並行して再生可能エネルギーへとシフトして行くべきです。

今回の能登地震は不幸中の幸いとも言うべきものです。被害は甚大ですが原発事故は起こりませんでした。

再び福島原発のような惨事が発生すれば、日本は2度と立ち上がれない可能性が高いと思います。




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渋谷君への手紙~初夢の深層心理

渋谷君

明けましておめでとうございます。

夏は一般公開もしているガルダ湖畔の妻の実家の館で年末年始を過ごしています。

早や60歳代も終盤になった年の正月となりました。

気はまるで変わりません。体もあちこちでガタがきていますが至って元気です。しかし、年齢を考えると、この先いつ何が起きてもおかしくないのだと自分に言い聞かせています。

ところで

芥川賞の最年長受賞記録は70歳と信じていたのですが、実はそれは75歳が正しいと先日知りました。

すごいですね。高齢になっても新鮮な感覚(多分)の小説が書けるという才能は。

僕も若いころから下手な小説を書いています。そういう若者の常で23歳までに芥川賞を取るつもりでした。が、ダメでした。

ところが25歳で「小説新潮」の月間新人賞佳作にまぐれ当たりしました。

その頃は小説家は諦めて、映画屋またテレビ屋として食べていこうと考え、ロンドンの映画学校で学んでいました。

「小説新潮」の月間新人賞にはロンドンから応募したのです。

ご存じのように「小説新潮」は直木賞及びエンターテイメント系の小説雑誌です。

東京での学生時代の僕の人生設計は、前述のように23歳までに芥川賞を取り、その後はエンターテイメント小説でがっぽり儲ける、というものでしたから狂喜しました(笑)。

僕はロンドン中のありたけの友人を呼び集め、日本から送られてきた賞金で安ワインを大量に買って、お祝いに飲んで騒ぎました。

ささやかな成功で「いっぱしの作家気分」を味わった僕は、小説書きはとりあえず脇に置いておいて、当時面白かった映画制作の勉強に夢中になって行きました。

やがてプロのテレビ屋となりドキュメンタリーや報道系番組の制作に奔走しました。

そんな日々の中でも、小説を書くことに関しては僕は根拠の無い自信にあふれていました。

また少しは書いてもいました。やっとこさで仕上げた作品が文芸雑誌に掲載されたこともありました。

しかし、ほとんどの場合は仕上げまでに至らず、書きかけの原稿がホコリにまれていく時間が過ぎました。

やがて僕は、思い通りに書かないのは“書けない”からであり、それは才能不足が原因、という当たり前の事実に気づきます。

それと同時に根拠がいっぱいの自信喪失の穴の中に落ちていきました。

そんな折、SNSに出会いました。

僕はそこを通して再び書くことの喜びを知りました。記事やエッセイやもの思いを書き続けるうち、小説を書きたいという気持ちも頭をもたげました。

だが新作には至らず、つまり新作は書けず、過去に書き損じていた作品を推敲し直してまとめ、SNS上に恐る恐る投稿するという形で今日まできました。

そんな時間が続くある日、つまり昨晩、僕は芥川賞最年長受賞記録に挑戦しようと決意する初夢を見ました。

今の記録である75歳まではまだ時間があるので、そこまでは文章修行に打ちこみ、76歳から挑戦しようというのです。

そこに行くまでに、どなたかが例えば80歳で受賞などと記録を伸ばしてくださるなら、どうぞ。と僕は歓迎します。

なぜならその場合は僕の目標は81歳となり、またチャンスが広がるからです。

最年少受賞記録を塗り替えるのは大変ですが、最年長受賞記録はたやすい。なにしろ記録年齢の数字を越えればいつでもOK、ということですから。

つまりタイムリミットがありません。

最悪の場合は生きている間には取れなくてもいいということですね。

もしも来世で取れればますます良い。

なぜなら生きていた時よりも、死んでいる年数の分さらに年を取っているわけですから、最年長受賞記録をもっとさらに大幅に更新、ということになります。

いやぁ、実にやり甲斐のある挑戦だなぁ。胸がふるえます。

などと武者震いをしながら僕は初夢から覚めました。

でもね

実は芥川賞は挑むものではなく、向こうが勝手にくれるもの。なので何もせず、寝て果報を待つことにします。

そんな訳でことしは何作の小説が書けるか分かりませんが、もしも書きあげたらお知らせします。

もしかしたら芥川賞受賞作品かもしれない僕の幻の小説を見逃さないように、いつも緊張しながら気をつけて見ていてくださいね。

へてからに

本年もよろしくお願い申し上げます。

 

 



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安倍派ガサ入れの意義

2023年12月19日朝、東京地検特捜部が安倍派と二階派の事務所に家宅捜索に入りました。

大物議員の逮捕起訴には大きなハードルがあるとされる中、裏金工作事件で東京地検特捜部がおよそ19年ぶりに安倍派と二階派の事務所にガサ入れをした、というニュースは新鮮でした。

政治に抑圧されていた司法が、闇の力の消失あるいは弱体化によって一気に力を盛り返す事例は、民主主義が歪に発達した国で特によく起こることです。

例えばイタリアで2006年、43年間潜伏逃亡をし続けたマフィアの大ボス、ベルナルド・プロヴェンツァーノが逮捕されました。

プロヴェンツァーノは逃亡中のほとんどの時間を、時には妻子までともなってシチリア島のパレルモで過ごしたことが明るみに出ました。

するとマフィアのトップの凶悪犯が、人口70万人足らずのパレルモ市内で、妻子まで引き連れて40年以上も逃亡潜伏することが果たして可能か、という議論がわき起こりました。

それは無理だと考える人々は、イタリアの総選挙で政権が交替したのを契機に何かが動いて、ボス逮捕のGOサインが出たと主張しました。

もっと具体的に言うと、プロヴェンツァーノが逮捕される直前、当時絶大な人気を誇っていたイタリア政界のドン、シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相が選挙に 負けて政権から引きずり下ろされました。

そのためにベルルスコーニ元首相はもはやマフィアを守り切れなくなり、プロヴェンツァーノ逮捕のGOサインが出た、というものです。

その説はベルルスコーニ元首相とマフィアが癒着していると決め付けるものでした。醜聞が多かった元首相にはマフィアがらみの黒い報告も少なくないのです。

東京地検特捜部が、特に安倍派をターゲットに「ふいに」捜索を強めた様子は、ベルルスコーニ元首相とマフィアのエピソードをも想起させます。

安倍元首相というラスボスが死去したことを受けて、司法が反撃に出たようにも見えるのです。

特捜部の動きは少し腰砕けになりつつある、という見方もあるようだが、ぜひ踏ん張って捜索を強行していってほしい。

なぜならひとりの議員が一国の司法を抑圧し闇の力を行使するなど断じてあってはならないことだからです。

死者を鞭打つなという日本独特の美徳は、権力者に対しては示されるべきではない。

公の存在である政治家は、公の批判、つまり歴史の審判を受ける。受けなければなりません。

安倍元首相の力が悪徳の隠ぺいに一役買っていたのなら、彼は死して後もなお、実行犯の議員らと同様に徹底糾弾されるべきです。

 

 

 

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