「緊急事態宣言」という名の日本式ロックダウン

衛星生放送で日本から送られてきた緊急事態宣言の内容をぱっと見た印象をひとことで言えば、それは罰則を伴わない一部地域のロックダウンということです。

安倍首相はロックダウンではない、と強調していますが、発令されたのは罰則の代わりに国民の「同調圧力」を行政が利用するロックダウン以外のなにものでもありません。

国民の同調圧力とは、大半の国民が自発的に国や都道府県の自粛要請を受け入れ、それをしないものを反乱者、または戦時中の古い言い回しなどに従えば非国民、などと指弾して社会から排除する衆寡敵せずの圧力のことです。

言葉を替えれば、何事につけ主体的な意見を持たず、「赤信号、皆で渡れば怖くない」とばかりに大勢の後ろに回ってこれに付き従う者、つまり大半の日本国民の行動パターンであリメンタリティーです。筆者はそれを「大勢順応・迎合主義」と定義しています。

政府は日本社会のその悪弊あるいはムラ気質を利用しつつ、自主的に行動を規制するという建前が、実は強制以外のなにものでもないことを、見て見ぬ振りをしています。いつものことです。

だがそうはいうものの、緊急事態宣言が新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるならこれに越したことはありません。日本社会のムラ精神は宿弊そのものの不快な存在ですが、今はCovid19の殲滅が全てに優先します。

また、戦前・戦中の国家による国民の監視と統制の歴史と、それを完全には総括していない日本の民主主義の脆弱を慮った場合には、強制を伴わないロックダウンは歓迎するべき事態、という見方もできます。

しかしながら7都道府県に限定した緊急事態宣言、あるいは「日本式ロックダウン」は、おそらく十分ではないと考えます。経済をできる限り停滞させることなく新型コロナも抑止する、という野望はここイタリアに始まる欧州各国とアメリカが必死で目指しているものです。が、誰一人として成功していません。

安倍政権が至難の目標を掲げて国を引導しようとするのは頼もしいことです。しかし、経済を構成する多くの事業や事業者や労働者が「自粛する」とは、裏を返せば人々が活動を「自主的に」継続して外出をしては動き回ることを意味し、それはウイルス感染拡大の大きなリスクを伴う行為であることを忘れるべきではありません。

日本はここまで確かに感染拡大のスピードをうまくコントロールしているようにも見えます。オーバーシュートつまり突然の感染爆発が起きていないのがその説明です。だがもしも感染爆発が起きて事態が制御不能になったときには、安倍首相は、今このときに強制力を伴った正しい意味のロックダウンを行わなかった責任を負わされる羽目に陥るかもしれません。


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この期に及んでの権力の不正直

新型コロナウイルス関連では毎日のように世界記録が樹立されています。去った4月2日にも大きなものが2つ出ました。

一つ、世界の感染者数がはじめて100万人に達しました。この記録は今こそ驚きですが、1ヶ月もすればかわいい懐かしい数字に見え、1年もするとバカバカしく低い数字に見えるほどに、感染者が世界中で溢れかえっている可能性があります。

一つ、アメリカの1日あたりの死亡者が1169人となって、スペインの前日の世界記録932をあっさりと破りました。この項目ではイタリアがダントツのトップで毎日のように記録を塗り替えてきましたが、数日来スペインがイタリアの地位を奪って記録更新を競う勢いになっていました。

今後はアメリカが1日あたりの死者数の記録を伸ばし続けそうです。アメリカもいつかはどこかの国に抜かれるのでしょうが、その頃には世界はどれほどの傷を負っているのでしょうか。世界がまだ生きていれば、の話ですが。。

イタリアの全土封鎖・ロックダウンは間もなく一ヶ月になります。一方日本は、感染者数が4000人に迫ろうとする今日も、十年一日のごとく感染爆発の瀬戸際にいると言い、医療崩壊の危険が迫っていると壊れたレコードのように反復し続けています。

安倍首相をはじめとする政府の権力中枢の頭の中はいったいどうなっているのでしょう。もはや緊急事態宣言を出して新型ウイルスの猛攻に備えるべきなのに、感染拡大防止をめざして全世帯に布マスク2枚を配布するという、今となってはほとんどブラックジョークにしか見えない策を大真面目で言い出す始末です。

そのことに関しては、文章を練っていてはとても間に合わないと感じるので、筆者はSNSでとりあえず次のように発信しました。

お~いニッポン!お前はいったいどこにいるんだぁ~?火星か?地球か?火星にいるなら今のまま行け。地球にいるなら地球人のやり方で新型コロナに対峙しろ~

ロックダウンも視野に入ったと明確に国民に告げつつ厳重な外出禁止令を発動しろ~経済のロスは取り返せるが、国民の命は取り返せないぞ~

マスク散布は以前なら上等な政策だった可能性があるが、今となってはベニヤ板の壁で巨大津波を止めるようなものだ~

コロナをやっつける独創的なアイデアがあるならいいが、ないのならさっさと緊急事態宣言を出して殺人コロナと戦え~~~


筆者の正直な思いです。この週末も東京や大阪を始めとする自治体が外出を自粛してほしいと住民に呼びかけていました。が、悠長な外出自粛ではなく、少なくとも東京だけでも外出禁止令を出して死に物狂いで感染拡大を抑え込みにいくべきです。ぐだぐだと理由をつけては決定を先延ばしにしている場合ではありません。

まだオーバーシュートに至っていない、という言い訳は許されません。ここイタリアの惨劇に始まる欧州の苦境と、それに続くアメリカの危難が目に入らないのでしょうか。そこから教訓を見出して大至急行動を起こすべきなのに、安倍首相と政権はぐずぐずしている。信じがたい光景です。

近代日本の権力機構はしばしば、あるいは常に国民に対して不正直に振舞ってきました。典型的な例が第二次大戦を招いた愚劣な統帥機関です。彼らは不正直のカタマリのような行動規範によってあっさりと国を滅ぼしました。

それ以前の権力も「国民への正直」とは程遠いところで国を統治しました。江戸幕府の権力中枢は論語の「民は由らしむべし 知らしむべからず」に拠って、しかも本来の意味を意図的に曲解して「バカな人民には理由など知らせず、一方的に法に従わせればよい」という方針で臨みました。

権力の思い上がった在り方は、お上を畏怖する従順な「ひつじ的」人民の存在もあって、明治維新を経て第二次大戦の巨大な世直しを見ても変わりませんでした。いや、民主主義の仮面を付けて一見変わったようには見えました。だが本質は変わっていません。

そうした権力の不正直が、本音と建前を使い分ける文化と相まってしばしば露呈するのが、日本の政治の一大特徴です。安倍政権が新型コロナウイルスがもたらす兇変の足音を聞きながら、優柔不断にも見える動きで緊急事態宣言への決断を先延ばしにしているのがその典型です。

政権は不正直と思い上がりに絡めとられて政策を誤っています。子供だましにも等しい姑息な主張や理由付けや詭弁を弄して、世界が第二次世界大戦以来の未曾有の危機と捉えて果断に動くのを尻目に、素早く行動することをためらっています。それは取り返しのつかない事態を招く可能性があります。



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決死の戦いはとことんまで

4月に入って、イタリアの新型ウイルス感染者の一日あたりの増加数が、上限に達して安定期に入った可能性が高い、という説があります。だが例えそうでも、あくまでも安定期なのであり、終息に向かい始めたというのはまだ全く当たらないと考えるべきでしょう。

感染状況が安定期に入ったらしいという国民保健局の報告を受けて4月1日、イタリア政府は外出禁止令を緩めて、親が付き添っての子供の散歩を認める、との達しを出しました。すると国中が騒然となりました。

自宅に閉じ込められて苦痛を強いられている人々の間には歓声が上がりました。特に子供のいる家庭は喜びました。学校閉鎖で自宅に詰め込まれた子供も、面倒を見る親も、ストレスが高まっているのです。

一方で激しい非難も沸き起こりました。Covidi19の毒牙に苦しむロンバルディア州を中心とする北部各州は、いま規制を緩めればここまでの努力が水の泡になるとして、政府の告示を「無意味で無責任、且つ狂気の沙汰」とまで呼んで猛烈に反発したのです。

北部各州の抗議は健全なものです。たとえ感染状況が真に安定期に入っているとしても、イタリアのCovid19禍の現状は依然として無残極まりないものです。ここで厳しい移動規制に象徴される封鎖・隔離策あるいはロックダウンを解くのは危険が多すぎる。

北部の州知事らの猛烈な糾弾にさらされたイタリア政府は、あっさりと間違いを認めました。翌日には早速方針を転回して、コンテ首相は全土の封鎖を4月13日まで継続する、とテレビ演説で表明しました。

4月13日まで、としたことには理由があります。4月12日はキリスト教最大の祭り、復活祭(イースター)です。復活祭当日は家族や友人、またゆかりの人々が集って大食事会を開きます。

復活祭の食事会では子ヤギや子羊の肉が供されます。ことしは恐らくそれらの肉の消費も大きく落ち込むことでしょう。

新型コロナウイルスは多くの人の命を奪う代わりに、たくさんの子ヤギと子羊のそれを救うという、残虐と慈悲が交錯する皮肉なドラマも演出しそうです。

復活祭の翌日の13日は小復活祭(パスクエッタ)と呼ばれる休日。その日は多くの人々が、やはり家族や友人などと共に野山に出てピクニックを楽しむ習慣があります。

コンテ政権は祭りの両日の人の集まりを規制することで、感染拡大を防止しようと考えているのです。政府は同時に、あたかも4月14日には全土の封鎖が解除されるかのようなもの言いもしていますが、今の状況では規制はその後も継続される、と見るのが妥当でしょう。

いずれにしてもイタリアのロックダウンは、状況を確認しながら最長7月いっぱいまで継続される、と以前から決められています。それはつまり、7月以前の全面解除もある代わりに、期限の後も規制が続く可能性がある、ということです。

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日本は即刻、イタリアの轍を踏まない準備に走るべき

新型コロナウイルスをめぐるイタリアの苦境について新聞に次のように書きました。

新型コロナウイルスに急襲されたイタリアは国家の存亡を賭けて厳しい戦いを強いられている。

突然の危機は2020年2月21日から23日にかけて起こった。北イタリアの小さな町でクラスター(小規模の感染者集団)の存在が明らかになり、それは患者が入院した病院での院内感染も伴っていた。

クラスターはすぐに爆発的感染流行いわゆるオーバーシュートを招いた。オーバーシュートはその後止め処もなく発生し、イタリアは中国の武漢にも勝るとも劣らないCovid-19地獄に陥った。

2月21日までのイタリアは、武漢からの中国人旅行者夫婦と同地から帰国したイタリア人男性3人の感染者をローマでうまく隔離し、世界に先駆けて中国便を全面禁止にするなど、新型コロナウイルスとの戦いでは余裕しゃくしゃくと言ってもいい状況にあった。

当時はクルーズ船を含めて80名前後の感染者を抱えていた日本の方がイタリアよりもはるかに深刻な状況に見えたのである。イタリアの不運の一つは、疫学調査上「0号患者」と呼ばれる感染者集団内の最初の人物を特定できなかったことだった。

当時の状況では0号患者は中国への渡航暦のある者でなくてはならない。だがクラスター内の最初の患者は中国へ行ったことがない。彼は0号患者の次の患者、つまり「第1号患者」に過ぎなかった。

0号患者は当時も今もイタリアに多い中国人ビジネスマンや移民、また中国本土からの観光客だった可能性がある。姿の見えないその0号患者は、第1号患者と同様に、あるいはそれ以上の規模でウイルスを撒き散らした可能性がある。それは将来必ず明らかにされなければならない課題だ。

だが今は、悪化し続ける感染地獄から抜け出すのがイタリア最大、喫緊の問題であることは言うまでもない。

日本の医療専門家や評論家の中には、イタリアがほぼ医療崩壊に陥った事態を、医療レベルが低いから、としたり顔で指摘する者が少なくありません。

彼らは日本式画一主義あるいは大勢順応・迎合主義にでっぷりと浸っていて、その毒に侵された目とドタマでしか物が見えず考えられない。

そこで多様性に富む-別の言葉で言えば残念ながら地域格差の大きな-イタリアの実情も自らの土俵に呼び込んで、「画一的」思考で判断しイタリアの医療レベルは低いと断じます。

彼らのつまらなく平板な曇った目には、個性や多様性というものが映らず、ドイツもイギリスもフランスもそしてイタリアもみな一緒くたにして「類型的」に論じます。

彼らは北イタリアのロンバルディア州が、欧州全体でもトップクラスのGDPや生活水準を誇る場所であることさえ知りません。従ってそういう場所は当然、医療レベルもトップクラスのものを備える、ということもまた知りません。

さらに言えば、多様性が持ち味のイタリア社会には-その是非は別にして-平均的事案が少なく、突出しているものと劣悪なものが並存している。医療分野もその例に洩れません。

ロンバルディア州の医療レベルが突出したものであり、残念ながら南部のそれなどが、北部に比べた場合は劣悪な部類に色分けされます。

ロンバルディア州の高レベルの医療体制が崩壊したのは、感染爆発による患者の数があまりにも多く、特に高齢者が主体の重症者が劇的に増えて、収容能力をあっさりと超えたのが最大の原因です。

日本の医療レベルはロンバルディア州のそれに匹敵します。その日本の首都の東京の、3月30日現在の感染症指定医療機関のCovid-19重症者受け入れ病床数はたったの140です。その140も元々の118床から急遽増やしたばかりなのです。

東京都は、近隣各県とも協力して500床まで確保できる体制になった、と主張していますが、筆者が新聞に書いたような事態、つまり2月21日から23日にかけて、ここイタリアのロンバルディア州で起きたような突然の感染爆発が起きたらどうするのでしょうか?

118床を140床にし、500床はなんとかできるかもしれない、などと悠長なことを言っていてはならないのです。国を挙げて即刻緊急病床を増やすべきです。東京都は将来は4000床を目指す、とも表明しています。だが将来ではなく今すぐに備えるべきです。ロンバルディア州の、つまり「イタリアの轍を踏まないための準備に走れ」とはそういう意味です。

オリンピックの開催が来年7月と決まったことを受けて、日本ではまたそれへの関心が高まったようにも見えます。だが今はそれどころではないのです。Covid19が猛威を振るえばオリンピックの開催などまたどこかへ吹き飛ばされてしまいます。今はそこに注ぐ気力と金を緊急医療設備の拡充に投入するべきです。

欧州ではスペインがイタリアの轍を踏み、フランスもそれに続きつつあります。両国ともにイタリアの惨状を目の当たりにしながら急ぎ準備を進めたましたが間に合いませんでした。日本は欧州の事例を参考に、大急ぎで体制を整えるべきです。日本にはその能力があります。

イタリアの他の地域は、ロンバルディア州の医療現場の困窮を見ながらも同州を助けることができませんでした。ロンバルディア州に似た医療体制を持つ北部の各州、つまりヴェネト、ピエモンテ、エミリアロマーニャ州などが、ロンバルディア州に続いてCovid-19の猛攻にさらされたからです。中南部の各州は北部への援助どころか、次は確実に彼らを襲うであろう新型ウイルスの脅威に備えるだけで手がいっぱいでした。今もそうです。

経済力も組織力もある日本は、まず首都圏に東京都が目指す4000床を備え、さらに多くの病床を確保するべく行動を起こしたほうがいい。そうしておいて、東京以外の危険地域、たとえば大阪や東海や福岡などで感染爆発による緊急事態が発生したときは、直ちに首都圏に準備されている病床を送り込むのです。その同じ体制で北海道から沖縄までをカバーできるようにします。

そしてもしも幸いにもそれらの準備が無駄に終わったなら、つまり日本が無事に危機を脱した場合は、それらの医療機器またノウハウを世界の困窮地域に提供します。豊かな日本にはその能力があるし義務もある。中国が、おそらく自らの失態を糊塗する目的もあって、世界の国々を支援しているのとは違い、日本からの誠心誠意の援助は世界を感動させ、日本への信頼と尊敬もさらに高まるに違いありません。


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新型コロナを斬る~独裁への挑戦

アメリカの新型コロナウイルス感染者の数が、イタリアのそれを追い抜くのは時間の問題と考え、ブログにもそう書いたりしていたところ、早くも同国は3月26日、イタリアどころか中国も追い越して世界最大の感染国になってしまいました。もっともイタリアの総感染者数も中国を上回ってしまいましたが。

危機的な状況にもかかわらず、かのトランプ御大は「4月12日のイースター(復活祭)までにアメリカは新型コロナウイルスから解放されるだろう」と表明しました。楽観的な態度は悪いことではないと思いますが、今のこの状況でのその発言は「あんた、ドタマ大丈夫?」と訊いてみたくなります。口から出まかせの失言の多いこの人が米国大統領なのですから、今さらながらため息が出ます。

3月22日の日曜日から水曜日までの4日間、連続して1日当たりの感染者の数が減っていたイタリアの統計が26日、逆転してまた増加を記録しました。死者数も相変わらず多い。筆者の身近での事態の悪化も続いています。友人の兄のドクターがCovid19を発症して集中治療室に収容されたのです。彼は退職したばかりだったのですが、志願して医療の前線に戻っていました。彼を介して友人夫婦と2人の子供も感染したのではないか、という大きな懸念が出てきました。

イタリアでは医療スタッフの感染も深刻です。3月26日現在、なんと39人もの医師がCovid19によって死亡しています。イタリア政府は6日前、退職して年金生活に入っている医師に呼びかけて、300人のボランティア・スタッフを緊急募集しました。ほぼ医療崩壊に陥っているロンバルディア州ほかの被災地に送り込むためです。すると24時間以内に定員の25倍以上にあたる約8000人が名乗り出ました。

彼らはむろん今このときに医療現場へ戻ることの危険を百も承知しています。その上で、集中医療機器どころか医療スタッフのマスクさえ足りない絶望的な環境の中、人命救助のために自らの命さえも危険にさらしている現役の同僚を助けようと立ち上がったのです。ロンバルディア州に代表されるイタリアの医療前線の過酷な状況は、日本などの知ったかぶり評論家がしたり顔で言いたがる医療レベルの高低の問題ではありません。爆発的感染拡大のあまりの速さと、巨大津波並みの威力に体制が全く対応できなかったのです。

ロンバルディア州の、従ってイタリアの困難はそのままスペインに受け継がれて行っています。スペインはイタリアの惨状を目の当たりにして準備を進めていたはずなのに、自家の火事を防ぐことができずにいます。なぜでしょうか。いま言及したようにCovid19の拡散パワーと攻撃力があまりにも凄まじいからです。そして欧州ではスペインに続いてフランスもウイルスの激しい打撃に苛まれつつあります。大西洋を隔ててアメリカも欧州と同じ運命をたどりそうです。

イタリアは民主主義世界では初めて、独裁国家中国の施策に肉薄するほどの苛烈な規制を国民に強いてCovid19に立ち向かっています。欧州各国もまた世界の多くの国も、それに追従する形でパンデミックに対峙しようとしている。だが前線のイタリアの作戦の成否はまだ分かりません。昨日まで見えていたかすかな勝利の兆しが、今日はまた消えるという厳しい戦いが続いています。

民主主義国家のイタリアは、独裁国家の中国のように力で国民を抑え込むことはできません。イタリア国民の中には事態が切迫した今になっても、国の移動規制や各種管制を無視して、自由を求めて勝手に動き回る者が後を絶ちません。イタリア警察は全土の封鎖が始まって以降の2週間でおよそ250万人の市民を職務質問し、そのうちの11万人を法令違反で検挙しました。また、感染爆心地の北部を捨てて、南イタリアへと違法に逃れて行った者も多くいます。

それでも実は、イタリア国民の96%もが政府の苛烈な規制策に賛成、という統計が出ています。時として分裂国家にも見えるほど各地域の独自色が強く、多様性が国家の命とさえ言えるイタリアにおいては、その数字は異様に見えるほどに高い。規制や強制を嫌って動き回る者や、北部のウイルスを南部に運ぶリスクを推し量ることもなく、自己中心的な思惑のみで南部に逃れた不届き者らは、96%の国民を危険にさらす4%の反乱者という見方もできます。

独裁国家の強権に匹敵する民主主義国家の力とは、民意です。民意は政権と対話をし政権を動かします。そして民意は高い民度の総意であればあるほどより大きな力になります。現在のイタリアのような非常事態下で身勝手に動き回るのが、いわゆる民意の低い国民です。独裁国家なら彼らを力で抑えつけてルールに従わせるか抹殺してしまいます。民主主義国家ではそれをしません。辛抱強く彼らを説得し教育して民意を上げる努力をします。

今イタリアを始めとする欧米各国が取り組んでいるのは、Covid19への挑戦に名を借りた民主主義の再認識と確認であり、そして何よりもその再評価へ向けての戦いです。つまり国民を抑圧するのではなく、国民との対話によって社会を動かして、死臭に満ちた不気味なウイルスを制圧する。それができなければ自由主義世界は、“既にCovid19を抑え込んだ”と豪語する一党独裁国家、中国の前に跪くことになるのかもしれません。


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かくしてウイルスは宿りを増やした

2020年3月23日午後4時現在、アメリカの新コロナウイルス感染者数は35225人。筆者はほんの一昨日、アメリカの感染者総数が19624人だった時点で「アメリカも恐らく今日中には2万人を過ぎてイランを追い越す勢 い」と書きました。

ところがもはや感染者の数は3万人も軽く上回って、ひょっとすると2、3日中には中国以外ではもっとも感染者が多いイタリアさえ追い越しそうな熾烈さです。だが数日中には感染のピークを迎えるという見方もあるイタリアも、依然として厳しい情勢であることに変わりはありません。

この直前のエントリーで、筆者の周囲に聞こえるCovid19にまつわる噂や自身のの懸念の真偽をいつか伝えられたら伝えたい、と書きました。早くもその時が来たので報告します。

先ず、筆者への取材を通して一気に親しくなったR.V記者の消息です。筆者の直感通りやはり新型コロナウイルスに感染、Covid19を発症して緊急入院していました。ブレシャ市で漫画と版画を専門に活動している息子たちの人的つながりの中に、彼の同僚の若い記者がいて意外にも早く情報が入ったのです。

幸い彼の容体も回復に向かっているとのこと。安心しました。彼は筆者より少し若い50歳代終わりあたりの男ですから、Covid19 と闘う患者の中では「若者」の部類に入ります。容体が改善しているならもう大丈夫でしょう。基礎疾患がない限り「これまでのところ」、Covid19患者は60歳~70歳代の者でも安全圏にいるとされます。死亡するイタリアの患者の多くは依然として、80歳代以上のかつ基礎疾患を持つ病人なのです。

次は集団感染の噂がどうやら事実らしいと判明した話です。表ざたになる可能性はとても低いので「事実らしい」としか言えません。

イタリア最大の、ということはつまり欧州最大の新型コロナウイルス感染地域は、ミラノが州都のロンバルディア州です。ロンバルディア州には12の県があります。その中でも感染者数や死者が多いのは隣接する2つの県、ベルガモ県とブレシャ県です。そして筆者の住む村は後者に属しています。

ブレシャの県都は、州内で人口がミラノに次いで多いブレシャ市。そこは県内でもっとも感染者が多い。そのブレシャ市で、いわゆる上流階級の人々のパーティーがあり、そこで集団感染が発生しました。時期はロンバルディア州内の小さな町でイタリア初の集団感染が発覚し、たちまちオーバーシュートつまり爆発的感染流行へとつながっていった、カーニバルの前後です。

当時はまだ隔離・封鎖や移動制限は施行されていませんでしたが、75歳以上の高齢者は外出を控え、住民もできるだけ集団での行事や行動を控えるように、との注意喚起がしきりになされていました。やがて爆発的感染流行が始まり、イタリアばかりか欧州でも初のCovid19死亡者が出ました。死者はすぐに3人に増え、ベニスカーニバルほかのビッグイベントが打ち切られるなど、新型コロナウイルスに急襲されたイタリアにはふいに暗黒の時間が流れ始めていました。

世の中の自粛ムードを尻目に、むしろそういう時期だからこそ明るく過ごそう、というポジティブな空気も満ちる中、ブレシャのいわゆるエスタブリッシュメント階級内で趣向を凝らした驕奢な行事が進行しました。そして集団感染が発生しました。実はそのグループを筆者はよく知っています。メンバーの中には友人も多い。

筆者は家族の縁があってそのグループの大パーティーによく招待されます。いや、招待されました。しかし、よりシンプルな生活スタイルが信条の筆者と家族は、もう大分前から大きな集まりへの顔出しを遠慮しています。それでも年齢の近い友人同士の集まりには相変わらず招ばれます。グループの構成員は筆者よりも高齢の人が大半です。招ばれたのが小人数の気の合う人々の集いなら筆者と家族はできるだけ出席します。招待されて拒否し続けるのは、招待されて返礼(招待し返す)しないのと同じ程度に礼を失します。

そうやって親しい友人らを介して筆者と家族は、街に歴然として存在するが目立たない、且つ閉じられた世界とも相変わらずつながりを持っています。集団感染の情報は、グループの構成員の間から口伝えに漏れてきました。峻厳な移動規制が敷かれていることもあって、人々は最近は皆家に閉じこもっています。そんな中、電話やNSNを介して人々が近況を知らせあったり噂話に花を咲かせるうちに、少しづつ漏洩してきたのです。

ここまでに分かっているだけでも9人の感染者がいます。漏れ聞くところではひとりが重症で3人が加療中。2人が退院して残る3人が自宅隔離ということです。しかしパーティーに出なかった友人らの印象では、感染者はまだかなりいそうな雰囲気らしい。幸いこれまでのところは死者は出ていません。ただし参加者のひとりの父親(90歳代)が、Covid19で亡くなったという情報があります。参加した息子から感染したのでしょう。

イタリアのCovid19禍は深刻になるばかりでまだ全く先が見えなません。そこには感染爆発の元凶となった第一号患者への対応の誤りがありますが、その後の事態の悪化は、イタリア人の社交好きな性格とそれを遺憾なく発揮しての生活スタイルや社会慣習にも大きな原因があります。

感染爆発が進行しても、人々はカフェやバールやレストランに集って歓談することをやめず、広場や公園や家の中でも三々五々集まっては社交を繰り広げました。そうした流れの延長線上にあるのがここまで書いている、ブレシャ県の上流階級の人々の盛大なパーティーです。

ブレシャの事案とは別に、社会のあらゆる階級の社交行事は、厳しい移動制限や封鎖が強要された後も-特に始まりの頃には-多くあったに違いありません。事実筆者の住む村のカフェやバールでも、ルールに従わない人々が集っては歓談している姿が多く見られました。そうやって感染爆発は単発的ではなくほぼ間断なく起きて、今の地獄絵巻が出現したと考えられます。

しかし、楽天的が過ぎるほどに社交好きなイタリア人も、感染者の増大が止まず死者の数が中国のそれを軽く超えてさらに増え続ける現実に、さすがに重大な危機感を抱くようになりました。今日この時点の統計では、イタリア国民の96%が政府の厳しい隔離政策を支持し、全国民のCovid19との戦いの本気度は最高潮に達したように見えます。

一党独裁国家、中国の施策にも似た苛烈な監禁策を、民主主義国家の中でもさらに国民の自由希求意識の強いイタリアで実行できるとは、当のイタリア人をはじめ欧米諸国民は誰も考えていませんでした。しかしイタリアは-まだ4%の反乱者はいるものの-それをほぼ完全実行つつあります。取り組みの結果が出るのはまだ先でしょうが、そこには希望の光が点り出しています。点り出していると信じたい。

新型コロナウイルスとの壮絶な戦いにイタリアが勝てば、イタリアと同様の施策を敷いて進み始めた欧州各国やアメリカなどの先行きにも明かりが見えるようになります。それらの国々では、厳しい移動制限を国民が守らないなど、戦いの初期の頃のイタリアで見られた事態とそっくり同じ問題も起きています。またその点ではいま述べたようにイタリアも依然として完璧ではありません。が、欧米各国はこぞって隔離・封鎖の度合いを強化してCovid19に対抗しようとしています。そうするしかないのです。そうしなければ破滅なのですから。

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新型コロナウイルスの息遣いが聞こえる

2020年3月21日現在(イタリアの数字は前日PM18時発表)、イタリアの新型ウイルス感染者数は47021人。既に中国を上回った死者数は予想通り増え続けて4032人。

どちらの数字も感染ピークが期待 されている3月25日前後までは伸び続けるだろうから言及するのが空しくさえあります。あまつさえ感染ピークの日にちは、飽くまでも予想できる最善の展開、という枕詞付きですから先行きは心もとない。

それでももう少し数字にこだわります。感染者数2万余のスペインに続いてほぼ2万人に達したドイツの感染者総数がイランを上回り、アメリカも恐らくすぐに2万人を過ぎてイランを追い越す勢いです。また3月19日に韓国を上回ったフランスも患者数はとうに1万人を凌いで増え続けています。

そうした危機的状況を受けてEU(欧州連合)のデア・ライエン欧州委員会委員長は、加盟各国は新型コロナウイルス対策のためなら幾らでも財政支出をしていい。EUはそれを支持し必要なら援助もする、とテレビ演説で異例の声明を出して、苦境の真っただ中にあるイタリア国民を感動させ、EU加盟各国民を勇気付けました。

欧州委員会委員長に就任したばかりの彼女はここまで、先日首相になって初めてのテレビ演説で「団結してCovid19と闘おう」と国民に呼びかけた独メルケル首相を髣髴とさせるリーダーシップを発揮しています。メルケル首相の退陣による欧州政治の穴をあるいは埋めてくれるかもしれません。

閑話休題

現在イタリア最大の、ということはつまり欧州最大の新型コロナウイルス感染地域、ロンバルディア州の住人である筆者は、まずイタリア初の州の全面封鎖に見舞われ、封鎖が全土に拡大されたことで、あれよという間に住まいのある人口1万1千人の村に閉じ込められました。

その後も事態は悪化して、筆者の村のあるブレッシャ県は隣のベルガモ県と共に、ロンバルディア州の中でも最大最悪のCovid19被害地域になりました。もはや中国武漢の人々もマッサオの不運ではないかとさえ思います。ブレシャ県は3月21日現在、人口約127万人中4648人が感染し人口約111万のベルガモ県はブレシャ県を上回る数の感染者を抱えてあえいでいます。
  
新型コロナウイルスの脅威はひたひたと筆者の身近にも寄せて包囲網ができあがり、これまでのところ友人知己のうちのかなりの人数がウイルスに感染したことが分かってきました。3つの衝撃的なケースと、もう一つ自分にとってひどく気になる逸話があります。

ここでは3つの衝撃的なケースのうち個人的に感慨深い2つのケースと、確認ができないが懸念しているエピソードを先ず書いておこうと思います。

一つはここまでの唯一の死亡例でかつ筆者の住む村での出来事。つい先年定年退職した「かかりつけ医(ホームドクター)」のジーノ・ファゾリ先生がCovid19で亡くなりました。イタリアの医療はホーム・ドクター制度を採っていて、住民は必ずかかりつけ医に所属します。

先生はあらゆるボランティアをすることで有名な人で、先日もわが家の庭でバーベキューをした際に招待しましたが、アフリカ移民の人たちの健康チェックに手を貸すボランティアで忙しく、顔を出せないと知らせてきました。

ファゾリ先生はボランティア活動の間にウイルスに感染し入院後に亡くなりました。年齢は70歳台半ばでしたから、Covid19の犠牲者としては比較的若い。何らかの持病があったようです。一週間ほど前までの統計では、イタリアのCovid19犠牲者の平均年齢はおよそ81歳。ほとんどが基礎疾患を持つ患者です。

2例目も驚きです。ブレシャ県ブレシャ市には国内でも有数の公立病院があります。それに次いで大きなキリスト教系病院の最高医務責任者W・G医師もCovid19に罹患しました。彼の奥さんのローズと筆者の妻はアフリカ支援団体にからんだ縁で親しい。その関係でW・G医師と筆者も知り合いです。

50歳代とCovid19患者としてはかなり若いW・G医師は、幸い退院して回復しつつあります。とはいうものの、亡くなったファゾリ先生といいW・G医師といい、医者が新型コロナウイルスに感染して死亡したり重症化するのが珍しくない状況が、イタリアの今の深い苦悩を如実に示しているように思います。

3つ目は最近知り合い親しくなった友人の消息です。

新型コロナウイルスの影も形も見えなかった12月半ば、ミラノに本拠を置くイタリア随一の新聞Corriera della seraの地方版から筆者を取材したいという連絡がありました。ここ2、3年遠い昔にアメリカで賞をもらったドキュメンタリーが蒸し返されることが続いたので、またそのことかと思いました。少しうんざりした、というのが本音でした。

ところが古い作品の話ではなく、ロンバルディア州のブレシャ県内に住む、プロフェッショナルの外国人を紹介するコーナーがありそこで筆者の人物紹介をしたい、と記者は電話口で言いました。断る理由もないので取材を受けました。

筆者の住まい兼仕事場まで足を運んでくれたのは、元イタリア公共放送局RAIの記者で、北イタリアのリゾート地イゼオ湖畔の街の市長も勤めた名のある人。人物も素晴らしい。取材を通してすっかり意気投合し、後日の再会も約束しました。

記事の掲載は3月11日になった、と連絡が入りました。ずいぶん遅くなったのはCovid19騒ぎのせいらしい。発行された新聞を見て少しおどろきました。丸々1ページを使いかつ何枚もの写真を伴って筆者のことが紹介されているのです。過去に新聞に取材をされた経験はありますが、1ページいっぱいに書かれた経験はありません。

アメリカで賞をもらったときでさえ、もっとも大きく書かれたのは日本の地方新聞に写真付きで紙面の4分の一ほどのスペースでした。全国紙にも紹介されましたが本人への直接の取材はなく、筆者の名前と受賞の事実を記しただけのベタ記事だったのです。それなものですから、1ページ全てを使った報道に目をみはりました。

時期が時期ですので、筆者はWEBで送られてきた記事の写真を新聞が手に入らないであろう友人らに送ったきりで、その後は記事については口をつぐんでいます。だが実は、記事の作り方が面白いので、コロナ騒ぎが収まった暁にはそれをブログなどで紹介しようとは思っています。

3月11日、発行された新聞に目を通したあとで記者に電話を入れました。礼を言おうと思ったのです。ところが通じず、夜まで待っても折り返しの電話もありません。珍しいことでした。律儀な人で連絡を欠いたことがないのです。だが、彼の多忙を気にしてこちらからのしつこい連絡は控えました。

翌日、記事を読んだ 妻の 従兄弟のフランチェスコからコメントの連絡が入りました。よい記事だと繰り返し褒めたあとで彼は「記者のR.Vとは彼が市長時代に仕事をしたこともありよく知っている。よろしく伝えてほしい」と締めくくりました。フランチェスコは大学の教授だった人です。

筆者はそれを言い訳に再び記者のR.Vに連絡を入れました。ただし電話ではなくSNSのメッセージで。「従兄弟のフランチェスコがよろしく、とのことです」。すると返事が来ました。「ありがとう。私からもよろしく言ってください。健康面でちょっと問題を抱えました」。

筆者の脳裏にほぼ反射的に「ウイルス感染」の大文字が浮かびましだ。彼は仕事柄、また市長さえ務めた社交的な性格も手伝って人付き合いが多い。時節柄リスクは高いに違いない。また電話に出ず、メッセージで病名を言わずに敢えて「健康面で問題を抱えた」と記したのが不吉に映りました。筆者はとても確認の連絡を入れる勇気がないまま、どこかから情報が入ってくるのをじっと待っています。

実はもう一点情報を集めている事案があります。やはり新型コロナウイルスにまつわるものです。そしてこちらも真偽を確認中の逸話です。真偽のどちらに転ぶにせよ、次の機会に報告しようと思います。できればR.V記者に関する筆者の懸念の真偽も共に。

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「イタリアCovid19危機」見舞いに答える


イタリアの対COVID-19戦の惨状を気遣って、日本から多くの見舞い電話やメールまたSNSメッセージなどをいただいています。

筆者は一つひとつに丁重にお礼を述べた後に必ず「日本もイタリアと同じ程度に心配です。どうぞお気をつけください」と付け加えています。

すると、きょとん、とした顔が見えるような言い方で「日本は心配は心配ですが、イタリアほどではない」というニュアンスの返答が多く来ます。

イタリアの、特に筆者の住むロンバルディア州の感染者数や死者数、また感染拡大のスピードなどのすさまじさは、言うまでもなく日本の比ではありません。

筆者の身の回りは一見平穏ですが、大病院に始まる医療施設は地獄の様相を呈しています。それは臨場感を伴う映像とともに、主要TV局などにはじまるメディアによって、これでもかとばかりに報道され 続けています。

筆者はそれに加えてインターネットで情報を収集し、衛星放送でリアルタイムに日本の状況を見、BBCその他の英語放送で欧米また世界の動きを逐一追っています。

そんな中で気になるのが、日本政府の「情報ぼかし」にも似た言動が醸し出す「もやもや感」です。情報ぼかしは主に、オリンピックをどうしても開催したい思いから始まったようです。

典型的な例の一つが、集団感染を敢えて「クラスター」と言い換える姑息さです。その言葉は政府の代弁者の専門家がNHKに出演して突然言い出しました。筆者はCovid19問題が表に出て以降、衛星生中継でNHKの夜7時と9時のニュースを欠かさず見てきたのでそのことにすぐに気づきました。

「集団感染」と言えばひどく生々しく、善良無垢な国民のうちには恐怖感を覚える者も多いに違いない。だからわざわざ「クラスター(cluster)」という疫学上の「感染者集団」を表す英語を用いることを思いついたのではないでしょうか。

日本語は実に便利です。外来語を使えば物事の本質をぼかす効果があるケースが多い。たとえば「性交」という日本語をセックスと言い換えれば、生々しさ感が薄れます。同じく「集団感染」を聞きなれないクラスターと言い換えれば、一息つくような安心感が出ます。

筆者にはその言い換えは、神頼みにも似た無責任な心理状況の顕現に見えます。だが新型ウイルスとの戦いも、その結果に左右されるオリンピック開催も、神頼みや希望的観測やゴマカシでは決して勝ち取ることはできません。

多くの労力と金と時間と人々の願いを注ぎ込んで準備をしてきたオリンピックを、万難を排してでも開催したい気持ちは理解できることです。だがCovid19問題で世界の状況は一変しました。日本もその世界の一部なのですが、例によって世界の情勢に追(つ)いていけず、ズレた言動と施策に固執しているように見えます。

何度でも言いますが、オリンピックを開催する時は「日本一国だけが新型コロナウイルスから自由」ではなく、「世界が新型コロナウイルスから自由」でなければならないのです。日本はその単純な方程式さえ読み解けないようです。あるいは読み解けない振りをしています。

日本の感染者数が本当に少ないのならば喜ばしいことです。だがそれがウイルス検査数の少なさから出ている結果なら、やっぱりどうしても危険だと思うのです。そのこともまた繰り返して言っておきたいと思います。

日本政府の高官や御用学者などが大好きな言い方を用いれば、イタリアは2月21日にクラスターに見舞われ(クラスターの存在が明らかになり)2月22日~23日にかけてオーバーシュート(爆発的感染拡大)が起き、今も起きつづけています。

2月21日までのイタリアは、武漢からの中国人旅行者夫婦と同地から帰国したイタリア人男性ひとり、合計3人の感染者をうまく隔離し、世界に先駆けて中国便を全面禁止にするなど、余裕しゃくしゃくと言っても過言ではない状況にありました。当時の日本の感染者は、クルーズ船を含めて80名前後でイタリアよりもはるかに深刻に見えました。

しかしイタリアの状況は一変して、誰もが知るように地獄絵的な状況になり、日本は一見、感染拡大を抑え込んで安全圏にいるように見えます。再び言います。それがまぎれもない真実ならこれに越したことはありません。だが筆者は今日も、2通の見舞いメッセージへのお礼文に「イタリアはとんでもないことになっています。でも日本もとても心配です」と書き加えずにはいられませんでした。

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日伊同舟

イタリア最大のCovid 19被害地、ロンバルディア州ベルガモ県の道路を昨夕、荷台を幌で覆った10台近い軍用トラックが列を作って通りました。

荷台に積み込まれた荷物は全てCovid19被害者の遺体です。ベルガモ県内の墓地も火葬場も受け入れ限界を超えたため、隣接のエミリアロマーニャ州まで運んで火葬されることになったのです。

Covid19によるイタリアの死者は3月19日AM6時現在、前日から475人増えて2978人。1日あたりの死亡者数はまたもや新記録となりました。霊柩車では間に合わず、また民間トラックには文字通り荷が重過ぎる任務なので、イタリア陸軍の出動となったのです。

イタリアの惨状は、もはや欧州全体のそれになりつつあります。イタリアに続いてスペイン、ドイツ、フランスの主要国が厳重な移動制限・封鎖体制を敷きました。

また小国のスイスの感染者数も激増。それに続いて、感染者数の多い順にオランダ、オーストリア、ノルウエー、ベルギー、スウェーデン、デンマークが危機に陥り、最小のデンマークの被害者数も1115人と節目の1000人を越えました。

また、EU(欧州連合)を離脱したばかりの英国は、「例によって」唯我独尊の精神を発揮して、まずイタリアが、そして前述の独仏スペインなどに始まる国々が、イタリアをなぞった施策を実行していくのを尻目に、学校閉鎖もしない、大小の各種イベントも禁止しない、国民に自宅待機も呼びかけない等々の方針を宣言してきました。

強気の英国のジョンソン首相を、気でも違ったのではないかと批判する声が多い中、筆者はそれらの方針を打ち出した英国の「科学的また論理的」な思考法を舌を巻く思いで見つめ、ひそかに応援もし、日々監視してきました。

筆者には英国のやり方が正しい、と自信を持って言うことはできません。またイタリアほかの国々も英国に倣うべき、とも思いません。だが、英国にはわが道を進んでいってほしい、とは思っています。なぜなら厳しい封鎖・移動制限策を取る欧州大陸各国が、Covid19の撃滅に成功するかどうかは誰にも分からないからです。

一方、英国の独自路線は、イタリアほかの国々が犯した、あるいは犯しているかもしれない失敗や不備を徹底的に研究分析して打ち出されたものです。学校閉鎖をしないのは新型コロナウイルスがインフルエンザと違って子供を直撃しないからであり、イベントを禁止しないのは外の広いスペースよりも自宅などの狭い空間の方がウイルスに感染しやすいという分析であり、自宅待機を呼びかけないのは、感染がピークに達する頃に、人々が自宅監禁に疲れて外に繰り出す危険を考慮した結果です。

冷静且つ論理的な分析には説得力があります。むろんそれを実行に移すのは困難です。ウイルスが人から人へ爆発的に伝播していく現実を前に、人混みに入るな、自宅待機をしろ、と国民に呼びかけずにいるのは政治的にほぼ不可能にさえ見えます。だが、ジョンソン首相はそれをしようとしました。

その勇気は見上げたものです。また、英国のやり方は、もしかすると欧州大陸各国の施策が失敗に終わる悪夢が到来したときに、人類を救う希望になるのかもしれません。生物多様性であろうとなかろうと人の多様な行動は、従って国家間の多様なあり方も、決して悪いことではないのです。

言うまでもなく英国は、欧州大陸の流儀が正しい、と将来証明されたときには、手ひどいしっぺ返しをこうむることになります。そうなったときには、EUを核にする欧州は必ず英国に救いの手を差し伸べるでしょう。逆に英国は、繰り返しになりますが、欧州大陸を救う道筋を示しているのかもしれないのです。

と、そんな具合に思いを巡らしてきましたが、ジョンソン首相が18日、英国全土の公立学校を20日から閉鎖し、私立の学校も政府の決定に従うようにと勧告しました。首相はついに政治的な圧力に耐え切れなくなったのでしょう。多くの人々が、ようやく英国もまともになった、と胸をなでおろしているのが見えるようです。だがそれが朗報であるかどうかは、今は誰にも分からない。筆者は個人的には残念な思いを禁じ得ません。

筆者はイタリアの感染爆心地、ロンバルディア州内に住んでいるため、Covid19に関してはイタリアの様子を主体にブログなどで報告を続けていますが、今書いたように英国ほかの世界の国々や日本の状況も逐一追いかけています。筆者はひとことで言えば、日本の様子がイタリアと全く同程度に心配です。情報隠蔽という言葉はさすがに当たらないでしょうが、日本は意図的かそうでないかに関わりなく、情報をぼかしているようでひどく違和感があります。

日本のウイルス感染者数が少ないのは-実際にそうであることを祈っていますが-やはりウイルス検査の数が少ないことが大きな理由なのではないか。イタリア、また欧州各国並みに検査を増やせば、感染者数が急激に多くなるということは本当にないのでしょうか。

世界の混乱と緊張を真摯かつ的確に感じ理解することができない日本の政治家らが、この期に及んでもオリンピックの開催に固執して、世界の感覚とは相容れない空気の読めない言動に終始しているのは、中止に伴う莫大な経済損失に目がくらむからでしょうが、もうそろそろ誤魔化しは終わりにするべきです。

欧州のような急激な感染爆発はないものの、じわじわと感染が増えている現実は、隠れた感染が進行していることを意味してはいないのか。突然の大規模流行、いわゆるオーバーシュートの危険はないのか。日本政府はせめて、“オリンピックは「延期」もやむなし”と内外に宣言して、Covid19の日本社会における真実を解き明かし、国民の健康を守るために死に物狂いで動くべきではないでしょうか。

オリンピックは日本一国だけではなく、世界中がコロナウイルスから解放されていなければ開催できません。また逆に世界がコロナウイルスを撃滅しても、日本が遅れてそれの餌食になるようなら、開催など夢のまた夢です。それどころか国民の大半が、今現在のイタリア・ロンバルディア州民のような苦悩の中に突き落とされないとも限りません。

日本とイタリアは敵対国ではない。従って両国の関係を呉越同舟という言葉でくくることはできません。また両国の感染状況も今のところ天と地ほどの違いがあります。だが筆者の目に映る日本とイタリアは、新型コロナウイルスとの戦いという観点では、同じ船に乗り同じ運命に身をゆだねている、いわば「日伊同舟」の存在にしか見えません。


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コロナウイルスに踊らされる時間の気ざわり

 

イタリアのCovid19危機は深まるばかりです。死者数、患者数ともにほぼ連日、一日あたりの増加数の記録を更新するような有り様。

嘘か実か中国の状況が改善するらしい中、3月17日AM6時現在、スペインの感染者数がほぼ10000人となり、韓国を抜いてイタリアに次ぐ欧州第2位の汚染国になりました。またドイツ、フランス、そしてついに人口の少ないスイスまでもが感染大国になってしまいました。

イタリアの苛烈な隔離・封鎖策がもしも正しいものであるなら、その効果は2週間ほど後に現れるとされます。従って今は状況が悪化しても我慢して待つしかありません。いえ、感染のピークが来るまではひたすら悪化するのでしょう。

ウイルス禍はひたひたと筆者の身近にも寄せて、友人知己が感染し亡くなる者まで出始めました。そのことはまた後で書きますが、ここでは今日未明に起きた「事件」と昨日のそれを記しておきたいと思います。

ごく普通のエピソードが、異常な時間の流れの中では違ったものに見えたり感じられたりすることの典型、と思うからです。ちなみに、もしかすると映画の一場面のような挿話に見えるかもしれない語りも全て実話です。

今朝AM4時過ぎ、家の周囲に張り巡らされている侵入・警戒警報がけたたましく鳴り響きました。飛び起きて、おののく妻を庇いつつ安全な部屋に移動しました。筆者はそこを勝手に避難所と呼んでいます。わが家は落ちぶれ貴族の古い館で、古い時代には盗賊に押し入られたりした歴史を持っています。

現在は警備システムで固められていて、警報は警備会社と軍警察に直結し数分後には武装した警備員が駆けつけてくれます。それまで家の者は安全な一室で待機します。

家の内側と外に向けて大きく鳴り響く侵入・警戒アラームは、ひんぱんとは言えませんが年に何回か作動します。幸いにこれまでは大事に至ったことはありません。

悪天候時に家の古い扉や窓が強風で押し開けられたり、物が飛来してシステムに触れたり、鳥などの生き物がぶつかったり、家族の誰かが家のどこかを閉め忘れたり、逆にアラームを解除せずに窓や扉を開けた場合などに容赦なく咆哮します。いつも不快で不安な音ですが、今朝のそれは取りわけて忌まわしいものでした。

普段はそれほどでもない恐怖感が筆者の全身を鷲づかみにしていたのです。臆病な妻は今にも泣き出しそうです。いつものことですが、今朝の場合は明らかに緊張感が違っていました。数日来、新型コロナウイルスに翻弄されている心労が、妻にもまた筆者にも悪い影響を及ぼしていました。

筆者の頭の中をすばやくよぎったのは、いま振り返って説明すれば「ウイルスの恐怖で混乱し萎縮している世の中の弱みに付け込んで賊が押し入ってきた!」という思いでした。それはいかにも現実味を帯びていました。普段はあまり覚えない恐怖を筆者が感じたのはそれが理由でした。

アラームが鳴る度に怯える妻と違って、筆者がいつも割り合い平常心でいるのは、決して自分が勇敢な男だからではありません。筆者は警報システムと警備員の能力を信頼し、頑丈に作られている避難部屋の安全に自信を持っているのです。

事態は次のように動きます。

警報のスイッチが入って、けたたましい非常ベルが響く。すると、即座に、と言ってもいい速さで固定電話が鳴ります。
受話器を取ると警備員の声が「どうしました?」と訊いてきます。
「分からない。安全な部屋に移動する。誰か送ってくれ」とこちらが答えます。
「暗証番号は?」と向こうはすぐに問います。こちらが暗証番号を言うと電話の相手は畳みかけます。
「あなたはどなたですか?」。こちらが名前を言うと、
「分かりました。すぐに向かいます」とつづきます。
警備員は電話に出るのは筆者か妻でなければならないと知っています。だから暗証番号に加えて名前も訊きます。電話に出たのが屋内に侵入した賊ではないことを繰り返し確認するのです。

時間が少しずれたり、こちらの都合で固定電話に出られなかったりすると、彼らは筆者の携帯電話に連絡を入れてきます。その時には筆者は十中八九妻を連れて避難部屋にいます。そこに待機していると、数分も経たないうちに再び筆者の携帯電話に連絡が入ります。「いま着きました。これから見回ります」と警備員は言って、拳銃を頼りに家周りを点検し、最後に庭に入って来ます。門扉の合鍵を持っているのです。

筆者は警備員の懐中電灯の明かりを確認して庭に出ます。彼らとともに、だが彼らが先に立って、われわれは階下の家の扉を開け、裏庭に回って一帯を点検します。安全が確認されたところで、警備員は出動証明書に必要事項を書き込んで筆者に渡します。そして帰っていきます。

そうした一連の動きが過去に何度も繰り返され、手続きが確実に実行されてきました。警備員はいつも落ち着いていて且つ勇敢です。闘争や銃撃に自信を持っていることがひと目で分かります。筆者は彼らを信頼し、そのために警報が鳴っても、妻とは違ってあまり慌てることがないのです。

今朝も手順は正確に実行されました。だが一点だけ違っていました。筆者は避難部屋の一角に厳重に仕舞ってある猟銃を手に庭に出たのです。普通はそういうことはしません。なぜなら彼らが家の周りを点検した時点で何事もないのなら、ほぼ100%安全が確認されたと分かるからです。

彼らはその後に庭に入って来ます。筆者は懐中電灯と、せいぜい携帯電話などを持って警備員に会いに行きます。裏庭を確認するのは念のためです。裏庭は彼らが既に周回した道順に隣接していますが、内部からも点検してさらに安心したいのです。

そんな慣習にもかかわらず、筆者は今回は猟銃を持って庭に出ました。不安だったのです。そこでも新型コロナウイルスの脅威が明らかに心理を圧迫していました。猟銃はもちろん合法的に手に入れた登録済みのものです。狩猟が目的ではなく、銃の扱いを習うために手に入れました。が、自衛の目的も完全にないとは言えません。それでも普通は猟銃を持ち出すことはしません。

朝4時前後の闇の中で覚えた恐怖感は、今この文章を書いている昼前の明るみの中では少しも感じません。むしろ強い恐れを抱いたのが異様に思えるほどです。だがそういうことがごく容易に起きる現実が、Covid19に呪われた今のイタリア社会を如実に物語っているように思います。

アラームが作動したのは、妻が普段は閉まっている幾つかの窓を昼間のうちに開け放って風通しをして、そのまま忘れたからでした。彼女がそうしたのは新型コロナウイルスを意識してのことです。ウイルスは風通しを良くしたほうが増殖しにくい、と聞いていたのだそうです。開いている窓から飛び込んだ蝙蝠か梟などにアラームが反応したのでしょう。あたりにはごく小型の蝙蝠や梟が出没します。昼間は鷹も飛び交います。ブドウ園が有機栽培に変わってからはそれらの好ましい野生動物の数は一段と増えたようです。

昨日はもうひとつの“事件”もありました。

昼過ぎにふいにインターネットが使えなくなったのです。それもまた珍しいことではありません。わが家では古い電話回線を使っているため、モデムやPCの状態とは関係のない支障もよく起きます。なにしろ光ファイバーが最近導入されたものの、それは道路の向こうまでのサービスに留まっていて、自家までは入って来ないという情けない状況なのです。

しかし、わが家には2つの回線があります。自宅と筆者の仕事場兼書斎に引かれた2回線です。全く違う系統のラインなので、一方が使えなくなっても片方は大丈夫、という場合がほとんどです。ところが昨日は両方の回線が落ちました。その事実にひどく打ちひしがれました。その場の状況も不安でしたが、この先コロナウイルス騒ぎがさらに沸騰して、インターネットが使えなくなるのではないか、という妄想がふいに脳裏に浮かんだのです。

それは電気が停まってテレビが消える連想を呼び起こしました。そこからまた連想がはたらいて、わが家にはラジオがないことに思い至りました。CDプレーヤーとセットになっているラジオを、下の息子が持ち出して行ったのです。もう数年も前のことです。そうすると非常事態に陥ったとき、わが家には情報入手の手段がない、と妄想はどんどん先に進みました。

恐慌に落ちそうな気持ちを抑えて、日本のNTTにあたるテレコム(TIM)に電話をしました。女性オペレーターが出て、今日からテレワーク中だという。もちろんCovid19絡みです。こちらの状況を詳しく説明し、2つある回線の両方が使えなくなったのは初めてだ、と締めくくってから、試しに言ってみました。「まさかウイルスの影響じゃないでしょうね」。

声から若い女性と想像できる電話の相手は、ふいに絶句しました。怖がる息遣いが聞こえてくるような異様な雰囲気。反省して「冗談ですよ」言いつつ声に出して笑いました。すると相手も明らかにほっとした気配の笑いを返し「分かっています」と照れたような声を出しました。

彼女は遠隔操作でいろいろ試みた後、回線やモデムには何も問題はないようだから、一度コンピュターをOFFにしてみてくれと言います。言われた通りにすると、あっさりとインターネットが回復しました。

次に同じ家屋内にある自宅の回線もチェックしましょうと告げられて、仕事場から自宅に移動してコンピュターの前に腰を下ろしました。つながったままの携帯電話を耳に押し当てながらインターネットを起動しました。するとオペレーターの操作を待つまでもなくラインは既に回復していました。

女性オペレーターの的確な対応に何度も礼を言い、ウイルスにくれぐれもお気をつけください、と念を押して電話を切りました。

ここ2週間ほどの間にイタリア社会の何かが壊れて、あることないことの全てが新型コロナウイルスの悪意に操作されているのでもあるかのような、不快な現象が見え隠れしないでもありません。気をつけないとまずい、と筆者はしきりに自分に言い聞かせています。

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