アナクロな儀式は時には演歌のようにとてつもなく面白くないこともない

テレビ中継される英国王戴冠式の模様を少しうんざりしながら最後まで見ました。

うんざりしたのは、儀式の多くが昨年9月に執り行われたエリザベス女王の国葬の二番煎じだったからです。

女王の国葬は見ごたえのある一大ショーでした。

かつての大英帝国の威信と豊穣が顕現されたのでもあるかのような壮大な式典は、エリザベス2世という類まれな名君の足跡を偲ぶにふさわしいと実感できました。

筆者はBBCの生中継をそれなりに感心しつつ最後まで見ました。しかし、荘厳だが虚飾にも満ちた典礼には、半年後に再び見たくなるほどの求心力はありません。

それでも衛星生放送される戴冠式を見続けたのは、祭礼の虚飾と不毛に心をわしづかみにされていたからです。

国王とカミラ王妃が王冠を頭に載せて立ち上がったときは、筆者は心で笑いました。首狩り族の王が骸骨のネックレスを付けて得意がる姿と重なったからです。

民主主義大国と呼ばれる英国に君主が存在するのは奇妙なものですが、象徴的存在の国王が政治に鼻を突っ込むことはないので民主制は担保されます。

だが真の民主主義とは、国家元首を含むあらゆる公職が選挙によって選ばれることだとするならば、立憲君主制の国々は擬似民主主義国家とも規定できます。

民主主義の真髄が国民に深く理解されている英国では、例えば日本などとは違って君主制を悪用して専制政治を行おうとする者はまず出ないでしょう。

英国の民主主義は君主制によって脆弱化することはありません。しかし、むろん同時に、それが民主主義のさらなる躍進をもたらすこともまたありません。

英国の王室は日本の皇室同様に長期的には消滅する宿命です。

暴力によって王や皇帝や君主になった者は、それ以後の時間を同じ身分で過ごした後は、確実に退かなければなりません。なぜなら「始まったものは必ず終わる」のが地上の定めです。

彼ら権力者とて例外ではあり得ません。

また王家や王族に生まれた者が、必然的にその他の家の出身者よりも上位の存在になることはありません。あたかもそうなっているのは、権力機構が編み出した統治のための欺瞞です。

天は人の上に人を作らない。生まれながらにして人の上位にいる者は存在しない。それがこの世界の真理です。

そうはいうものの、しかし、英国王室の存在意義は大きい。

なぜならそれには世界中から観光客を呼び込む人寄せパンダの側面があるからです。イギリス観光の目玉のひとつは王室なのです。

英国政府は王室にまつわる行事、例えば戴冠式や葬儀や結婚式などに莫大な国家予算を使います。

それを税金のムダ使いと批判する者がいますが、それは間違いです。彼らが存在することによる見返りは、金銭面だけでも巨大です。

世界の注目を集め、実際に世界中から観光客を呼び込むほどの魅力を持つ英王室は、いわばイギリスのディズニーランドです。

ディズニーランドも、しかし、たまに行くから面白い。昨年見たばかりの英王室のディズニィランドショーを、半年後にまた見ても先に触れたように感動は薄い。

それが筆者にとってのチャールズ英国王の戴冠式でした。

 

 

 

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マスクを神聖視する羊群の危うさ

5月8日を興味津々に待っています。正確には5月8日以降の日本の光景。

5月8日はいうまでもなくコロナが日本でも季節性インフルエンザとみなされる日です。それに伴って人々がついにマスクを手放すかどうか、筆者は深い関心を抱いて眺めています。

マスク着用が個人裁量にゆだねられても、人々はマスクを外しませんでした。ちょうど帰国中だった筆者はそれを自分の目でつぶさに見ました。

異様な光景を見たままにそう形容すると、ほとんど侮辱されたのでもあるかのように反論する人もいました。しかし異様なものは異様です。

鏡に顔を近づけ過ぎると自分の顔がぼやけて見えなくなります。日本国内にいてあたりの同胞を見回すと同じ作用が起きやすい。距離が近過ぎて客観的な観察ができなくなるのです

政府が3月13日以降マスクの着用は個人の自由、と発表したにもかかわらず日本国民のほとんどはそれを外すことがありませんでした。その事実を軽視するべきではない。

人々がマスクを外さないのは、①周りがそうしているので自分も従ういわゆる同調圧力、②真にコロナ感染が怖い、③花粉症対策のため、などの理由が考えられます。

このうちの花粉症対策という理由はうなずけます。日本人のおよそ4人に1人が花粉症とされます。それどころか国民の約半数が花粉症という統計さえあります。

そうしたことを理由に日本人がマスクを外さないのは花粉症対策のためと主張する人も多い。

だがそれは最大およそ5割の日本人が花粉症としても、残りのほぼ5割もの国民がマスクに固執している理由の説明にはなりません。

また雨の日や夜間は花粉が飛ばない事実なども、マスクに拘泥する現象のミステリー度に拍車をかけます。

日本にはインフルエンザに罹ったときなどに割と気軽にマスクを着ける習慣があります。習慣は文化です。マスク文化がコロナという怖い病気の流行によって極端に強まった、という考え方もできるでしょう。

文化とは地域や民族から派生する、言語や習慣や知恵や哲学や教養や美術や祭礼等々の精神活動と生活全般のことです。

それは一つ一つが特殊なものであり、多くの場合は閉鎖的でもあり、時にはその文化圏外の人間には理解不可能な「化け物」ようなものでさえあります。

文化がなぜ化け物なのかというと、文化がその文化を共有する人々以外の人間にとっては、異(い)なるものであり、不可解なものであり、時には怖いものでさえあるからです。

そして人がある一つの文化を怖いと感じるのは、その人が対象になっている文化を知らないか、理解しようとしないか、あるいは理解できないからです。だから文化は容易に偏見や差別を呼び、その温床にもなります。

ところが文化の価値とはまさに、偏見や恐怖や差別さえ招いてしまう、それぞれの文化の特殊性そのものの中にあります。普遍性が命の文明とは対照的に、特殊であることが文化の命です。

そう考えてみると、日本人がいつまでもマスクにこだわること、つまり日本の文化のひとつを異端視することは当たらない。

ところが筆者は日本人です。日本の文化には親しんでいて理解もしています。その筆者の目にさえいつまでもマスクを外さない人々が多い景色は異様に見えるのです。

異様に見えるのは、その主な原因が花粉症対策というよりも同調圧力にあると疑われるからです。同調圧力そのものも異様ですが、それに屈する国民が多い現実はさらに異様であり危険、というのが筆者の気掛かりです。

同調圧力は多様性の敵対概念です。同調圧力の強い社会は排他性が強く偏見や差別が横行しやすい。またひとたび何かが起こると、人々が雪崩を打って一方向に動く傾向も強い。

片や多様性のある社会では、政治や世論が一方に偏り過ぎて画一主義に陥り全体主義に走ろうとする時、まさに多様な民意や政治力やエネルギーが働いてそれの暴走を回避します。

日本社会の画一性は古くて新しい問題です。日本国民の無個性な大勢順応主義は、間接的に第2次大戦勃発の原因にさえなりました。

いまこの時は、ロシアのウクライナ侵攻によって引き起こされた欧州の危機感が日本にも伝播して、中国を念頭に軍拡が急速に進もうとしています。

そこには正当な理由があります。だが、まかり間違えば政治が暴走し再び軍国主義が勢いを増す事態にもなりかねません。それを阻止するのが社会の多様性です。

おびただしい数のマスクが、人々の動きに伴って中空を舞う駅や通りの光景を目の当たりにして、筆者は少なからぬ不安を覚えていました。

5月8日以降もしっかり見守ろうと思います。

 

 

 

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ジョルジャ・メローニの幸運

毎年4月25日はイタリアの終戦記念日です。イタリアでは解放記念日と呼ばれます。

イタリアの終戦はムッソリーニのファシズムとナチスドイツからの解放でもありました。だから終戦ではなく「解放」記念日なのです。

日独伊三国同盟で結ばれていたドイツとイタリアは大戦中の1943年に仲たがいしました。日独伊3国同盟はその時点で事実上崩壊し、独伊は敵同士になりました。

イタリアは日独と歩調を合わせて第2次世界大戦を戦いましたが、途中で状況が変わってナチスドイツに立ち向かう勢力になったのです。

言葉を替えればイタリアは、開戦後しばらくはナチスと同じ穴のムジナでしたが、途中でナチスの圧迫に苦しむ被害者になっていきました。

ナチスドイツへの民衆の抵抗運動は、1943年から2年後の終戦まで激化の一途をたどり、それに伴ってナチスによるイタリア国民への弾圧も加速していきました。

1945年4月、ドイツの傀儡政権・北イタリアのサロー共和国が崩壊。4月25日にはレジスタンスの拠点だったミラノも解放されて、イタリアはナチスドイツを放逐しました。

日独伊三国同盟で破綻したイタリアが日独と違ったのは、民衆が蜂起してファシズムを倒したことです。それは決して偶然ではありません。

ローマ帝国を有し、その崩壊後は都市国家ごとの多様性を重視してきたイタリアの「民主主義」が勝利したのです。むろんそこには連合軍の後押しがあったのは言うまでもありません。

イタリア共和国の最大最良の特徴は「多様性」です。

多様性は時には「混乱」や「不安定」と表裏一体のコンセプトです。イタリアが第2次大戦中一貫して混乱の様相を呈しながらも、民衆の蜂起によってファシズムとナチズムを放逐したのはすばらしい歴史です。

イタリアは大戦後、一貫してファシズムとナチズムからの「解放」の日を誇り盛大に祝ってきました。

ことしの終戦記念日は、しかし、いつもと少し違います。極右とさえ呼ばれる政党が連立を組んで政権を維持しているからです。

イタリア初の女性トップ・ジョルジャ・メローニ首相は、ファシスト党の流れを汲む「イタリアの同胞」の党首です。

彼女は国内外のリベラル勢力からファシズムと完全決別するように迫られていますが、未だに明確には声明を出していません。

それは危険な兆候に見えなくもありません。だが筆者は日本の右翼勢力ほどにはイタリアの右翼政権を危惧しません。なぜなら彼らは陰に籠った日本右翼とは違い自らの立ち位置を明確に示して政治活動を行うからです。

またイタリアの政治状況は、第2次大戦の徹底総括をしないために戦争責任が曖昧になり、その結果過去の軍国主義の亡霊が跋扈してやまない日本とは違います。

極右と呼ばれるイタリアの政治勢力は、危険ではあるもののただちにかつてのファシストと同じ存在、と決めつけることはできません。なぜなら彼らもファシトの悪を十分に知っているからです。

だからこそ彼らは自身を極右と呼ぶことを避けます。極右はファシストに限りなく近いコンセプトです。

第2次大戦の阿鼻地獄を知悉している彼らが、かつてのファシストやナチスや軍国主義日本などと同じ破滅への道程に、おいそれとはまり込むとは思えません。

だが、それらの政治勢力を放っておくとやがて拡大成長して社会に強い影響を及ぼします。あまつさえ人々を次々に取り込んでさらに膨張します。

膨張するのは、新規の同調者が増えると同時に、それまで潜行していた彼らの同類の者がカミングアウトしていくからでです。

トランプ大統領が誕生したことによって、それまで秘匿されていたアメリカの反動右翼勢力が一気に姿を現したのが典型的な例です。

彼らの思想行動が政治的奔流となった暁には、日独伊のかつての極右パワーがそうであったように急速に社会を押しつぶしていきます。

そして奔流は世界の主流となってついには戦争へと突入します。そこに至るまでには、弾圧や暴力や破壊や混乱が跋扈するのはうまでもありません。

したがって極右モメンタムは抑さえ込まれなければなりません。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきです。

イタリア初の女性首相メローニ氏は、ガラスの天井を打ち破った功績に続いて、イタリア右派がファシズムと決別する歴史的な宣言を出す機会も与えられています。

その幸運を捉え行使するかどうかで、彼女の歴史における立ち位置は大きく違うものになることでしょう。

 

 

 

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厳島神社で祝う復活祭も悪くない

東京から金沢に行き、日本海沿岸沿いに西に進んで下関から九州を一周する。次に博多から山陽道、京都を経由して東京へという旅を計画しました。

ほぼ全線をJRで巡り、順不同でしたが計画通りに進みました。

東京の前には沖縄にも飛びましたので、四国を除く東京以西のほぼ全土を訪ねたことになります。

筆者は四国、信越、北陸、東北なども過去に仕事で巡っています。従って筆者が知らない日本は今のところ北海道だけになりました。

今回は欧州でよくやるリサーチ旅。換言すれば食べ歩きを兼ねた名所巡りのつもりでした。

そう言いつつ、しかし、神社訪問に主な関心を置きながら歩きました。

筆者は自らを「仏教系の無神論者」と規定しています。

そのことを再確認するのも今回旅の目的のひとつでした。

イタリア語で言うパスクア(復活祭・イースター)を今年は旅の途中の宮島で過ごしました。

パスクアはイエス・キリストの復活を寿ぐキリスト教最大の祭りです。

カトリックの総本山を抱くイタリアでは特に盛大に祝います。

キリスト教の祭典としては、その賑やかさと非キリスト教国を含む世界でも祝される祭礼、という意味で恐らくクリスマスが最大のものでしょう。だが、宗教的には復活祭が最も重要な行事です。

なぜならクリスマスはイエス・キリストの生誕を祝うイベントに過ぎませんが、復活祭は磔(はりつけ)にされたキリストが、「死から甦る」奇跡を讃える日だからです。

誕生は生あるものの誰にでも訪れる奇跡です。が、「死からの再生」という大奇跡は神の子であるキリストにしか起こり得ません。それを信じるか否かに関わらず、宗教的にどちらが重要な出来事であるかは明白です。

イエス・キリストの復活があったからこそキリスト教は完成した、とも言えます。キリスト教をキリスト教たらしめているのが、復活祭なのです。

今回帰国では筆者は神社仏閣を主に訪ね歩きました。

厳島神社で迎えた復活祭は感慨深かった、と言いたいところですが、筆者は何事もなかったように時間を過ごしました。実際に何事も起こりませんでした。

仏教系無神論者」を自認する筆者はあらゆる宗教を受け入れます。教会で合掌して祈ることもあれば、十字は切らないながらも寺でイエス・キリストを思うことも辞さない。無論神殿でも。

しかし、ことしの復活祭では筆者はそれさえもしないで、厳島神社の明るい景色とスタイルと美意識に酔いしれただけでした。

宗教についてあれこれ思いを巡らすよりも、日本独自の文化をありのままに享けとめ喜ぼうと努力したのです。

その努力は幸い実を結びました。

 

 

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マスク着用はむしろ危険な場合もある 

ちょうどマスク着用が国民1人ひとりの自由裁量になった日に筆者は日本に帰りました。

正確にはその前日の3月12日に羽田に着いたのです。予想していたものの着いた瞬間にほぼ誰もがマスク姿であることに少なからず衝撃を受けました。

日本に向かうITAエアーウエイズの飛行機の中でも日本人は全員がマスクをしていました。

片や外国人はほぼ全員がマスクなし。それはイタリアを含む欧州では当たり前の光景です。

入国すると送迎の人々や空港職員にはじまる誰もがむろんマスクで身を固めていました。

翌日、緩和が開始されても街中の光景には何の変化もないように見えました。マスクをしていない日本人を探すのはむしろ困難でした。

マスク着用が緩和されてもほとんどの国民がそれを外さない日本の景色は、生真面目を通り越して異様にさえ見えました。

パンデミックの当初、手本にする相手もないまま地獄を味わったイタリアでは、マスク着用が緩和されたとたんに多くの国民がわれ先にとそれを外して自由を謳歌しました。

ワクチン接種が広く行き渡ったこともありますが、外すことがむしろコロナへの挑戦、という人々の意気込みさえ感じられました。

それはイタリアのみならずほとんどの欧州の国が同じでした。

片や日本を見ると、ウイルスではなく世間の目が怖いからマスクを外せない人と、真にコロナ感染が怖いから未だにマスクを付け続けている人がいるようです。

その2者の数を合わせると、日本の閉鎖性と特異体質の総量が見えてきます。

世間への忖度は同調圧力ゆえであり、未だに感染が怖いのは非合理的な思い込みゆえです。

感染を恐れ、感染を避けようと努力するのは、むろん重要且つ正しい動きです。

だがそこには、外から見ると奇怪とさえ映る日本独特の現実があります。

欧米では歴史的に多くの人種が行き交って感染症が頻発し、それと対峙することで医学が発達し人々の認識が高まりました。

一方島国の日本は無防備であり、そこから派生する病気への対処法も未熟なまま歴史を刻みました。

その様相はかつて外界と接触しないで生きていた南米大陸のインディオの多くが、スペイン人のもたらした流行病や感染症であっけなく死んでいった歴史をも想起させます。

世界から隔絶されて、いわば純粋培養状態で生きる民はウイルスへの抵抗力が弱くなります。

だからこそ流行り病が起きたときは、流行がある程度終息した時点でむしろそれを「積極的に」放置しウイルスを泳がせて、人々の免疫力を高める努力も必要になります。

理由がなんであれ、マスクを付けっぱなしでウイルスの拡散を滞らせる対処法は、むしろ危険な場合もあるのです。

コロナパンデミックはエンデミックに移行したと断定するのはまだ時期尚早という意見もあります。だが、ワクチンの普及によって危険性が大幅に低下したのも事実です。

病院や高齢者施設また人が多く集まる閉鎖空間などの特別なケースを除き、マスク着用を止めて普通に行動するべき時が来ています。

それは科学的にも正しい在り方であり、情緒的にも極めて重要なプロセスです。

マスクのない素顔でコミュニケーションを取ることは、大人もそうですが特に感情の発達が未熟な子供たちにとっては重要なアクションです。

子供たちは子供たち同士で情緒の交換をしつつ、大人の表情を見て感情の抑制や開放や発展を学びます。つまり情感を発達させます。

マスク姿の大人からは子供は多くを学べず、心の機微が歪な大人になっていく可能性が高い。

だが大人にとっても子供にとっても何より重要なのは、マスクを外して自由になり同調圧力に立ち向かって精神の開放を取り戻すことでしょう。

日本国民の皆さん、マスクを捨てて街に出ようよ、と筆者は提唱します。

 

 

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高市早苗オヤジ型女性政治家はフェイクっぽい

「捏造でなければ辞職」と啖呵を切った、高市早苗経済安全保障担当相の驕りは今に始まったことではありませんが相変わらず見苦しい。

同じ穴のムジナだった安倍元首相に倣ったらしい宣言によって、彼女は思い上がりに思い上がってついに天井にぶつかり墜落す運命を選んだようにも見えます。

ファシスト気質の高市氏は、性根が秘匿ファシストだった彼女のボスの安倍元首相よりもよりファシスト的というのが筆者の見方です。

だがジェンダーギャップの激しい日本で女性政治家が頑張る様子を、筆者は政治的立場をさて置いてずっと応援する気持ちでいたことも告白しておきます。

高市氏はここイタリアのジョルジャ・メローニ首相に似ているところがあります。言うまでもなくファシスト的な気迫の政治スタンスやメンタリティーです。

だが同時にふたりはかけ離れた右翼活動家でもあります。ひとことで言えば、メローニ首相が明の右翼政治家、片や高市氏は陰にこもったキャラクターです。

もっと言えば高市氏は自ら大いに右翼運動を担うのではなく、例えば安倍元首相に庇護されて国会を睥睨したように威光を笠に着て凄むタイプ。一方のメローニ氏は自ら激しく動いて道を切り開くタイプです。

イタリアで初の女性首相となったジョルジャ・メローニ氏は、ファシスト党の流れを汲む「イタリアの同胞」を率いて選挙を勝ち抜きました。

選挙中、彼女は右寄りの政策を声高に叫びつつ一つのスローガンをさらに大声で主張しました。

いわく、「私はジョルジャだ。私は女性だ。私は母親だ。そして私はイタリア人だ」と。

「私はジョルジャだ」は自らが自立自尊の人格であることを、「私は女性だ」は女性であることを誇ると同時にジェンダー差別への抗議を、「私は母親だ 」は愛と寛容を、「私はイタリア人だ」は愛国の精神を象徴していると筆者は見ました。

メローニ氏はそうやって国民の支持を得て首相の座に上り詰めました。

上り詰めると同時に、彼女は激しい言葉を避け、険しい表情をゆるめ、女性また母親の本性があらわになった柔和な物腰にさえなりました。

政治的にも極端な言動は鳴りをひそめ、対立する政治勢力を敵視するのではなく、意見の違う者として会話や説得を試みる姿勢が顕著になりました。

彼女のそうした佇まいは国内の批判者の声をやわらげました。筆者もその批判者のひとりです。

また同氏に懐疑的なEUのリベラルな主勢力は、警戒心を抱きながらもメローニ首相を対話の可能な右派政治家、と規定して協力関係を構築し始めました。

肩書きが人間を作る、というのは真実です。

ジョルジャ・メローニ首相は資質によってイタリア初の女性首相になりましたが、イタリアのトップという肩書きが彼女を大きく成長させているのもまた疑いのない事実です。

高市大臣は、あるいは日本初の女性宰相となり、その肩書きによって人間的にも政治的にも成長するかもしれない、と筆者は秘かに考えていたましたが、少しバカらしくなってきました。

メローニ首相と同じ右翼政治家の高市大臣には、イタリアのトップに備わっている女性としての自立心や明朗な政治姿勢や誇りが感じられません。

その代わりに虎の威を借る狐の驕りや男に遠慮する女性オヤジ政治家の悲哀ばかりが透けて見えます。女性オヤジ政治家は旧態依然とした男性議員を真似るばかりで進取の気性がない。その典型が高市氏です。

日本にはまた男に媚びるブリッコ・オバハン政治家も多い。その典型は稲田朋美元防衛大臣です。それらのブリッコ・オバハン政治家は人間としてのまた政治家としての在り様が不自然で主体性がありません。

ブリッコ・オバハン政治家は女性オヤジ政治家の対極にあるようにも見えます。だが彼女たちは“不自然で主体性がない“というまさにそのことによって、全員が女性オヤジ政治家に分類される存在でもあります。

それらのタイプの政治家は実はイタリアにも多い。つまり「オヤジ型女性政治家」が跋扈する社会現象は、まさにイタリアや日本などの「女性の社会進出が遅れている国」に特有のものです。

女性オヤジ政治家 は恐らく肩書きによっても変えられない存在です。主体性とそこから生まれるぶれない政治姿勢また真実が欠けているからです。

肩書きによって作られる人格とはつまるところ、元々それらの特質を備えている人物が、責任ある地位に着くことでさらに磨かれていくことです。

メローニ首相は頑迷固陋なイタリア政界の壁を突き破って輝いた女性です。

筆者は彼女の政治姿勢には同調しませんが、日本に似た男社会で見事に自己主張を貫き通す姿勢には拍手を送りあす。

拍手するその手を返して、高市早苗大臣の面前にかざしNOとひとこと言えればどんなにか胸がすくことでしょう。

 

 

 

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舞い上がりそうな「舞いあがれ」かも

いつまでも舞い上がらない朝ドラの「舞いあがれ」は、舞い上がらないままに面白くないこともありませんが、ドラマとしての連続性がないのがもどかしい。

だが主人公・舞の親友の久留美が、なぜか長崎の総合医療病院でフライトナースになるらしい展開は、主人公の舞がいよいよ「舞上がる」ための伏線、と読めないこともありません。

つまり舞は、久留美を追いかけて長崎の島々を結ぶ医療関連の飛行機のパイロットになる、という話の流れではないでしょうか。

あるいは五島などの離島に飛んでいる航空会社の飛行機を舞が作って、且つ彼女がそのパイロットになる、という筋書きかもしれません。

そうなれば舞がパイロットとして舞い上がる、というドラマの暗黙の約束が果たされることになります。

だが筆者はそんな経過になっても不満です。なぜなら舞には多くの旅客を運ぶ飛行機のパイロットになってほしいからです。

ドラマは初っ端、夢の中で旅客機の機長となった舞が機内アナウンスをするところから始まりました。

続いて男尊女卑のパイロット界で女性飛行士の舞が奮闘するストーリーが強く示唆され続けました。

それなのに、主人公が町工場の改革者になったり、小型飛行機のパイロットに納まったりするのはちょっと物足りません。

脚本や演出にとっては、舞がジェンダーギャップを乗り越えて男社会で活躍していくストーリーは荷が重すぎたのでしょうか?

ドラマはまだ終わっていないので詰めの展開は分かりません。

筆者はストーリーが最後には舞い上がるのかどうか、という興味もあって朝ドラを見続けています。

 

 

 

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流転変遷は人生の華

流転変遷は人生の華である。

この世の中で変わらない者は、変わりたくても変われない死者があるばかりだ。

変わるのは生きているからである。

ならば流転変遷は、生きている証、ということである。

死ねば変化は起きないのだ。

流転変遷の極みの加齢も変化である。

そして変化するのはやはり生きているからである。

生きているのなら、生きている証の変化を楽しまなければつまらない。

死ねば変化も楽しみも何もないのだから。

変化を楽しむとは言葉を替えれば、あるがままに、ということである。

なぜなら人はあるがままの形で変化していく存在だからである。

あるいは人は、変化するままにしか存在できない存在だからである。

あるがままに存在することを受け入れるとき、人は楽しむ。

楽しまなくとも、心は必ず安まるのである。

舞い上がらない「舞いあがれ」を舞い上がらせたい

寂しい出来だったNHK朝ドラ「ちむどんどん」に続く「舞いあがれ」を欠かさず見ています。

ロンドン発の日本語放送が1日に5回も放送します。そのうちの1回を録画予約しておき、クレジットを速回しで飛ばしながら空き時間に目を通します。

存在自体があり得ないデタラメな登場人物・ニーニーが、ドラマをぶち壊しにした前作とは違い、「舞いあがれ」は落ち着いた雰囲気で安心してみていられる作りになっています。

ところが今回作は、ドラマツルギー的には「ちむどんどん」よりもさらに悪い出来になりかねない展開になっています。

「舞いあがれ」はこれまでのところ、前半と後半が全く違う展開になっているのです。そのままで終われば構成が破綻した話になるのが確実です。

主人公の舞がパイロットになるため勉強に励む前半と、夢を捨てて町工場を立て直そうと奮闘する後半が、分裂と形容しても構わないほどに互いに独立した内容になっています。

ひとりの若者が夢を諦めてもう一つの人生を歩む、というのは世の中にいくらでもある話です。従って主人公が家業を手伝う流れは自然に見えます。

だがこのドラマの場合は、ひとりの女の子がパイロットになるという夢を抱いてまい進する様子が前半の核になっています。いや、物語の全てはそこに尽きています。

成長した主人公の舞は大学を中退してまで航空学校に入学し、パイロットになる夢を追いかけて格闘します。その内容はきわめて濃密です。

パイロット養成学校の内幕と人間模様を絡めつつ、「男尊女卑のパイロット界」で、女性パイロットが道を切り開いていくであろう未来を予想させながら、説得力のあるドラマが続きます。

そこに父親の死と家業存続の危機が訪れます。舞はプロのパイロットになる直前で一時歩みを止めて家業の手助けをする決心をします。

そこには時代の流れで、舞の就職先の航空会社が採用を先延ばしにする、というアクシデントが絡まります。だから話の推移は納得できます。

舞は一度立ち止まるが、どこかで再びパイロットになるために走り出すだろう、と誰もが思います。なぜならドラマは冒頭からそれを示唆する形で進んできたからです。

ドラマの内容のみならず、「舞いあがれ」というタイトルも、紙飛行機が舞うクレジットのイラスト映像も、何もかもがそのことを雄弁に語っています。

ところがドラマは、町工場の再建に悪戦苦闘する舞と家族の話に終始して、パイロットの話は一向に「舞いあがらない」。忘れ去られてしまいます。

今後、そこへ向けてのどんでん返しがあることをひそかに期待しつつ、ドラマがこのまま「町工場周辺の話」で終わるなら、それはほとんど詐欺だとさえ言っておきます。

そうなればドラマツルギー的にも、構成がデタラメな失敗作になります。

ところが― 矛盾するようですが ―パイロット養成学校を巡る成り行きが主体の前半と、町工場の建て直しがコアの後半の内容は、それぞれが甲乙付け難いほどに面白い。

大問題は、しかし、このままの形で終わった場合、前半と後半が木に竹を接いだように異質で一貫性のないドラマになってしまうことです。

朝ドラは前作の「ちむどんどん」を持ち出すまでもなく、細部の瑕疵が多い続き物です。

物語が完結したときに、それらの瑕疵が結局全体としては問題にならない印象で落ち着くことが、つまり成功とも言える愉快なシリーズです。

「ちむどんどん」はそうはなりませんでした。主人公の兄の人物像が理解不可能なほどにフェイクだったのが大きな原因です。

「ちむどんどん」の大きな瑕疵はしかし、飽くまでも細部でした。話の本体は主人公暢子の成長物語です。

「舞いあがれ」がパイロットの物語を置き去りにしたまま町工場周辺の話のみで完結した場合、それは細部ではなくストーリーの主体が破綻したまま終わることを意味します。

そうなればドラマツルギー的には呆れた駄作になること請け合いです。

それとは別に個人的なことを言えば、パイロットの育成法や彼らのプロとしての生き様に強い関心を抱いている筆者は、それらが中途半端にしか描かれないことにさらなる不満を抱きます。

加えて女性パイロットが、いかに「冷静沈着」な職業パイロットへと成長して男どもと対峙し、また理解し合い、飛行時の困難や危険を回避して「舞いつづける」かも見たかったので腹が立ちます。

今が旬のジェンダーギャップ問題にも大きな一石を投じる機会だったのに、と余計に残念です。

「舞いあがれ」は複数の脚本家が担当しているという話を聞きました。そのせいで前半と後半のストーリーが違う、という言い訳もあるようです。だがそれはおかしな主張です。

構成が破綻した脚本を受け入れる演出家も、その成り行きを許すプロデュサーも理解しがたい。前作の「ちむどんどん」に関しても筆者はよく似た疑問を呈しました。

NHKは大丈夫か?とさえ締めくくりたくなりますが、流石にそれはできません。なぜならNHKのドラマ部門は、報道やドキュメンタリー部局に全く引けを取らない充実した作品を作り続けているからです。

衛星放送のおかげで、外国に居住しながらNHKの番組を多くを見続けている筆者はそのことを知悉しています。

朝ドラの不出来は、やはり一本一本の瑕瑾と見なすべきものです。

その伝で言えば「ちむどんどん」にはがっかりしたが、「舞いあがれ」は欲求不満でイラつくというふうです。

むろん、どんでん返しでパイロットのストーリーが展開されれば話はまた別、と言いたい。

だが、終盤が近い今の段階で展開が変わっても、尻切れトンボになる気配が濃厚であるように思います。

物語を元の軌道に戻すには町工場の話が長過ぎたと見えます。それを力ずくで大団円に持ち込むことができるならば演出の力量はすばらしいものになります。

筆者はここまでドラマツルギーと言い、構成と言い、一貫性や破綻と言いました。あるいは論理や方法論などと口角泡を飛ばして批判することもあります。だがそれらは飽くまでも傍観者の評論です。

論理や方法論で人を感動させることはできません。たとえそれらが破綻していても、視聴者を感動させ納得させることができればそれが優れたドラマです。

そして朝ドラはよくそれをやってのけます。

ここから終幕まで、演出のお手並み拝見、といきたいと思います。



 

 

 


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令和の不惑は60歳がふさわしい

40歳をあらわす不惑という言葉には、周知のように人間の成熟は40歳で完結するという意味合いがあります。

人は若年ゆえに悩み、惑い、経験不足ゆえに未熟な時間を経て40歳で自信に満ちた生活に入る、ということです。

それは人生、つまり寿命が50年程度だった頃の道徳律、と解釈すれば分かりやすい。

つまり人は寿命の10年ほど前に人生の何たるかを理解し、実り豊かに時間を過ごしてやがて死んでいく、ということです。

不惑という概念はおよそ2600年前に孔子が編み出しました。また60歳を表す還暦、70歳の古希、77歳を意味する喜寿なども中国由来の言葉です。

一方で80歳をあらわす傘寿、88歳の米寿、90歳の卒寿etc..は日本独自の表現法とされます。だが根底にはやはり中国由来のコンセプトがあるのかもしれません。

昔は大ざっぱに言えば人生は50年程度だった、という日本人の固定観念は、織田信長由来のものである可能性が高い。

信長が好んだ幸若舞「敦盛」の一節の、“「人間50年 下(化)天のうちを比ぶれば 夢まぼろしのごとくなり~♪”が犯人のようです。

そこでいう人間(じんかん)50年とは、人の平均寿命が50年という意味ではなく、人の命は宇宙の悠久に比べるとあっという間に終わるはかないものだ、という趣旨です。

人の平均寿命は、実は昔は50年にも満たなかったと考えられています。

平均寿命が50歳ほどになったのは、明治時代になってからに過ぎない、とさえ言われます。人は長い間短命だったのです。

はかない命しか与えられていなかった古人は、不惑の次の50歳を死期に至った人間が寿命や宿命を悟る時期、という意味で「50歳にして天命を知る」すなわち“知命”と名づけました。

さらにその先の「還暦」の60歳は、死んでいてもおかしくない人間が生きている、要するにおまけの命だからもう暦をゼロに戻して、人生を新しく生きるということです。

そんなふうに人間が短命だった頃の70歳なんてほぼ想定外の長生き、希(まれ)な出来事。だから前述したように古希。

さらに、88歳をあらわす「米寿」という言葉は、88歳などという長生きはある筈もないから、八十八を遊び心で組み立てて米という文字を作って、これを「米寿」と呼ぶという具合になりました。

ただ時代も令和になって、これまでの年齢に対する定義は意味を成さなくなったように思います。

今このときの平均寿命のおよそ80歳が、一気に大きく伸びるわけではありませんが、かくしゃくとした90歳や100歳の長寿者をいくらでも見かけます。

もはや「‘人生100年’の時代がやって来た」と表現しても、それほど違和感を覚えない時世になりました。

そんな訳で令和時代には、論語ほかの古典が出どころの年代を表すあらゆる言葉の内容も、もはや違ってしかるべきと感じます。

その筆頭が「不惑」です。

不惑は40歳などではなく、50歳もいっきに飛び越して60歳とするべきではないか、と思います。

40歳どころか60歳でも人は惑い悩みまくります。還暦過ぎの今この時の筆者が良い見本。60歳が不惑と定義されてもまだ若すぎると感じるほどです。

その伝でいくと知命(50)が70歳。還暦は80歳。古希(70)が90歳となり喜寿(77)は97歳。かつて「想像を超える長生き」の意味があった米寿は108歳です。

だが正直に言いますと、人の寿命が伸びつづける今は108歳でさえ想像を超えた長生き、というふうには感じられません。

筆者には想像を絶する長生きは108歳ではなく、またここイタリアのこれまでの長寿記録の最高齢である117歳でもなく、120歳をはるかに超える年齢というふうに感じられます。

「想像を超える」とは、実在するものを超越するコンセプトのことでしょうから、ま、たとえば130歳あたりが令和の時代の米寿ではないか、とさえ思うのです。

 

 

 

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