熱風シロッコが吹くクリスマス

2023年のクリスマスは温い1日でした。温暖化に加えてシロッコが吹き、北イタリアガルダ湖畔にそびえるバルト山頂の雪も消えてはげ山のようでした。

シロッコはアフリカのサハラ砂漠由来の乾いた風。

そこの高気圧と地中海の低気圧がぶつかって生まれ、地中海に嵐を引き起こし、イタリアに到達するころには海の湿気をたっぷり飲み込んで蒸し暑い風となります。

欧州ではイタリアのシチリア島をなぶった後、北上してイタリア本土、フランスなどに序陸します。春や夏に吹くシロッコはただの蒸し暑い風ですが、冬にやってくるシロッコは異様です。

それは例えて言えば、自然の中に人工の何かが差し込まれたような感じ。つまり、寒気という自然の中に、シロッコの暖気という「人造の空気」が無理に挿入されたような雰囲気です。

シロッコも自然には違いないのですが、寒い時期にふいにあたりに充満する気流の熱は、違和感があって落ち着きせん。

暑い季節に吹く、さらに蒸し暑いシロッコには、不自然な感じはありません。それはただ暑さを猛暑に変えるやっかいもの、あるいはいたずらもの。

夏が暑かったり猛暑だったりするのは当たり前ですから、ほとんど気になりません。

しかし寒中に暖を持ちこむ冬場のシロッコには、どうしても「トツゼン」の印象があります。まわりから浮き上がっていて異様です。なじめません。

そう、冬場に吹くシロッコは、寒いイタリアに「トツゼン」舞い降りた異邦人。疎外感はそこに根ざしています。

シロッコは春と秋に多く生まれますが、一年を通して吹く風です。昨年、クリスマスの前後の日々を焼いていたシロッコは、12月22日の早朝に始まりました。

冬至の日の朝、窓の外扉を開けると殴るような風が吹いて扉を石壁に押しやりました。真冬だというのに強い気流にはむっとするほどの熱気がこもっていました。 

あ、シロッコだとすぐに悟りました。

地中海沿岸域に多く吹くシロッコは、時には内陸にまで吹きすさみ或いは暑気を送り込んで、環境に多大な影響を与えます。

中でも最も深刻なのは水の都ベニスへの差し響き。シロッコはベニスの海の潮を巻き上げて押し寄せ、街を水浸しにします。ベニス水没の原因の一つは実はシロッコです。

サハラ砂漠で生まれたシロッコが、イタリアひいては南欧各地を騒がすのは、ヒマラヤ起源の大気流が沖縄から東北までの日本列島に梅雨をもたらすのに似た、自然の大いなる営みです。

 

 

 

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たとえ裏金作りでも沽券は無いよりあったほうがいい 

金は、天下ならぬ政治の回り物。

政治と金の問題は世界中のどの国にもあります。どの国にもありますが、安倍派の裏金工作は中身がいかにも日本的なところが陰うつです。

日本的とは、裏金作りでさえ集団で成されている事実です。安倍派の閣僚がこぞって辞任したのを見るまでもなく、1人では何もできない者らが集まって悪事を働いていたことが分かります。

似たような事件が例えばここイタリアを含む欧州あるいは南北アメリカなどで起きたなら、それは政治家個々人の裁量でなされる悪事になるに違いありません。

悪事はひとりで働くほうが露見する可能性が低くなります。

同時にそれは、悪事とは言え、自主独立した一個の人格が自己責任において動く、という自我の確立した現代社会の一員としての当たり前の生き方です。

自主性また自我の確立が優先される集団では、それぞれの個性、つまり多様性が、画一主義に陥り全体主義に走ろうとする力を抑える働きをshます。集団の暴走に歯止めがかかるのです。

逆に自主性また自我よりも集団の論理が優先する社会では、何かが起きた場合は集団催眠状態に陥り全体が暴走する可能性が高くなります。

その典型例が国家全体で太平洋戦争に突き進んだ日本の在りし日の姿です。

集団で裏金工作にまい進する安倍派また自民党の各派閥は、第2次大戦という巨大な悲劇を経てもなお変わらない日本の汚点そのものです。

たとえばここイタリアでは2018年に極右と極左が手を結んで連立政権が生まれましたが、彼らが極端へと突っ走ることはありませんでした。

また2022年には極右のメローニ政権が誕生しましたが、これまでのところはやはり過激論には走らず、より穏健な「右派政権」であり続けています。

それらはイタリア社会が、自主性と確固とした自我が担保する多様性に満ちた世界であるがゆえの、ポジティブな現象です。

安倍派裏金工作では、日本の諸悪の原因のひとつである独立自尊の風の欠落、という一面ばかりが見えてやりきれません。

しかもそれらのどんぐりの背比べ政治家群は、安倍元首相という隠れ独裁者の手先だったところがさらに見苦しい。

彼らは集団で安倍元首相の配下になり、集団で裏金工作まで行うという恥ずかしい作業に夢中で取り組んだ節があります。

重ねて不快なのは、安倍派のひいては自民党の主勢力がトランプ主義者の集団である点です。

そのことは2016年、安倍元首相が大統領選に勝った「就任前の」トランプ氏をたずねて諂笑を振りまいた事件で明らかになりました。

ファシスト気質のトランプ前大統領は、一見するとソフトな印象に覆われた、だがその正体は彼と同じくファシスト気質の安倍元首相を、あたかも親友でもあるかのように見せかけて自在に操りました。

ラスボス・トランプ前大統領に仕えたチビボス・安倍元首相の子分の議員らが、「こぞって」犯したのが今回の安倍派裏金工作事件ではないでしょうか。

 

 

 

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ウーB 与力の喜悦

屋根上に伸びる木の枝に休んでいた鳩に狙いを定めて、ウーB与力はショットガンの引き金を引いた。ウーB与力が生まれて初めて獲物を撃った瞬間だった。

鳩が、石が落ちるように速く、真っ直ぐに落下した。なぎ倒されたというふうだった。落ちて屋根に叩きつけられた。ドサリ、と音がしたようだ。

ウーB与力は強烈な勝利の感覚を覚えた。相手を支配し、征服し、思いのままに翻弄した、と感じた。歓喜と充足感が全身を鷲づかみにしていた。

これが友人のハンター、ウーG村五が言っていた快感の正体だとウーB与力は悟った。

狩猟をする人々は、獲物を狩ってその肉を食べるのが目的ではない。

畑の作物を獣害から守るためでもない。 環境のために個体数を管理するなどという崇高な目的があるからでもない。

ハンターは殺すことを楽しまない、とハンターは言う。

違う。

殺すことが楽しく、しかもそれはハンター以外の人々には知られたくないもったいない心情であり喜びだから、彼らはあえてそう否定するのだ。

獲物を撃ち殺すのは楽しい。ウーB与力は腹からそう感じた。

ハンターは鳥や獣を打ち倒して自らの力を誇示したいのだ。虐め、支配し、貶め、制圧し、責め苛み横暴の限りを尽くして虐殺する。彼らにはそれが愉しいのだ。

鳩がウーB与力に撃たれて呆気なく、ドサリと屋根に落ちた瞬間、彼は充足し高まり、続いて射精するよりも遥かに大きな快感を覚えた。

腰抜けのウーB与力は、銃に対しても臆病だった。

盗賊ハンティングのために銃を持つ資格が国から与えられても、ヤクザ狩りのライセンスがヤクザ以外の全国民に発行されても、ウーB与力は銃を手に入れなかった。

操作どころか、実は銃に触ることさえウーB与力は恐ろしかったのだ。

かつて、ほぼ第100代目の総理大臣が威張っていたころ、日本は異形の国へと変貌を遂げた。

ほぼ第100代目の総理大臣が、超大国のカウンターパートの金魚のフンとなって撒き散らした狼藉の種が大きく育って、国会議事堂が陰謀論者ヤアウトローやアナキストやテロリストに頻繁に占拠される、まがまがしい国になった。

当時、超大国を牛耳っていラスボスは、民主主義の名の下に大統領になったが、一期目の終わりに負け選挙戦をクーデターで覆して再び大統領になり、同じ民主主義の名の下に独裁者になった。

彼は以後、日本の隣の独裁者や似非民主主義国の暴君やタイラント等とひんぱんに手を組んで、彼のポチである日本のほぼ第100代目の総理大臣を洗脳し、あたかもラスボスの刎頚の友でもあるかのように思い込ませて、やり放題に日本を狼藉国へと押しやった。

そうやって日本は、ほぼ第100代目の総理大臣が秘匿していた正体と総じて同じもの、つまり独裁と差別主義と権柄づくが跋扈する国となった。

専横と危険と暴力が支配する国では、銃を始めとするあらゆる武器を満艦飾に帯びた賊がはびこった。

賊のほとんどは、ほぼ第100代目の総理大臣の周囲の、権力機構の飼い犬だった。

普通の場合は権力機構は、権力を傘に着て支配し、且つ権力の源となる主体をしっかりと握ってなにがなんでも手離さないものだ。

だが、しかし、

ほぼ第100代目の総理大臣は、当時問題になっていた移民と難民の区別も知らないほどの無明の者で、当然のように排外差別主義者でもあった。

彼は当時、彼自身の思いつきで出稼ぎ外国人労働者を増やした。日本の人手不足を埋めた後には、こちらの都合で全員を彼ら自身の国に追い返す、というジコチューな気構えで実行した政策だった。

ほぼ第100代目の総理大臣が言い続けた「出稼ぎ外国人労働者」とは、言うまでもなく「移民」のことである。

日本にどっと入った外国人労働者つまり移民は、程なくしてほぼ第100代目の総理大臣の差別政策に不満を抱き、次々に移民としての当たり前の権利を行使し待遇改善を要求した。

それはSNS上での不満の声になり、デモを誘発し、ストライキとなって奔流した。官憲との対峙も頻発し時には暴力的な動きにも発展した。

ほぼ第100代目の総理大臣は、彼の言う外国人出稼ぎ労働者つまり移民への執拗な差別意識から、移民に対抗する手段として日本国籍の日本人は武器を保持してもよい、と法律を変えた。

日本国籍の日本人は自在に銃器を手に入れて移民に発砲し、ヤクザを狩り、自衛のために強盗などの賊を存分に襲撃しても良い、ということになった。

普通なら特権は仲間内で回して愛でて、それによって民衆を支配し抑圧するものなのに、ほぼ第100代目の総理大臣は余りにも強い移民への差別心と、そこから生まれた恐怖に判断力を失った。

結果、特権を全ての日本人に与えてしまった。

人々は我先にと武器を手に入れて、できるだけ早くその扱いに長けようとした。

ウーB与力は物騒な世の中になったので、自分も武装しようと思いつつ、銃コワガリのせいでままならずにいた。

ところが4年前、ウーB与力の家に賊が押し入った。武装した男3人がウーB与力と妻のタコヨシを縛り上げ、ウーB与力のコメカミに拳銃を突きつけて金を出せと迫った。

気丈なウーB与力の妻タコヨシが、金などない、他人の家に勝手に入るな、さっさと出て行け、などと怒鳴って賊をなじった。

すると賊の1人が銃尻でタコヨシを殴り、崩れ落ちる彼女の背中をもう1人が靴先で蹴り上げた。容赦のない打撃でタコヨシは気絶した。

ウーB与力は成すすべもなく立ち尽くした。男らはガタガタ震えている与力を蔑み、嘲笑いつつコメカミに当てていた銃と鉄拳で互い違いに何度も殴った。ウーB与力もさっさと気を失った。

その体験を経てウーB与力はようやく銃の扱いを習う決心をした。

自衛が目的の銃器保持だったが、ウーB与力は再び賊に襲われた場合は、攻撃的に立ち回りたいという気分でいた。

そんな折にウーB与力は鳩を撃った。あっさりと死んだ鳥を目の当たりにして、ウーB与力の中に眠っていた彼の本性が覚醒した。本性は獣性だった。

いやそれは正確ではない。人から見る獣性とは獣の食欲に過ぎない。獣は空腹を満たすために他の獣を狩る。それ以外の攻撃は彼が危険にさらされた時だ。

それは自衛のための暴力なのである。

だが人は楽しみや快楽や優越感から、さらに自慢やエゴを満たすためにも攻撃し、抑圧し、虐待し、殺す。

鳩を撃ち殺した瞬間に覚えたウーB与力の悦楽は、まさにその人間独特の獣性から来ていた。

しかもウーB与力は、たった一度の殺傷で、殺傷中毒になった。彼はすぐに次の虐殺を希求した。鳩でもイノシシでも鹿でも何でもいいから殺しまくりたいと思った。

賊が跋扈する日本では狩猟も盛んになっていた。

行政が熊、猪、鹿などの保護と駆除の間で揺れ動き、いかにも日本らしくうろたえまくる間に、爆発的な勢いで野生動物が増えた。

熊が集落近くに出没するのは当たり前になり、猪が全国の市町村内の目抜き通りを群れて歩き回ることさえ珍しくなくなった。

左寄りに寄り過ぎた動物愛護家や自然愛好家たちは、ヒトが熊や猪に殺されても「動物を愛そう、共生しよう」「動物は殺さない。殺すように仕向けたヒトが殺した」などと叫んで、猟銃や拳銃をヒトに向けて振り回しぶっ放した。

争いと罵声と暴力に寛大な超大国の首魁のお追従に忙しいほぼ第100代目の総理大臣と、彼に続いた彼の子分の日本の首相らは、移民と賊とヤクザ狩りに加えて狩猟も奨励し、日本中にさらに武器があふれた。

ウーB与力は鳩を撃ち、撃ち慣れると鹿や猪狩りにも出掛けた。やがて獲物は人間でも良いと彼は感じるようになった。

そうやってウーB与力の本格的な狩りの季節が始まった。

 

 

 

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被害者と加害者を問わず憎しみはみな空しく悲しい

映画のスティーブン・スピルバーグ監督が、ハマスを強く批判するコメントを出して注目されました。

ユダヤ人の彼がイスラエルを擁護するのは理解できます。多くの人々を殺害し人質も連れ去ったハマスの蛮行は糾弾されて然るべきです。

そのことを否定する人間はそう多くはいないでしょう。だが同時に、イスラエルのハマスへの報復攻撃の残忍さも許しがたいものです。

心ある人はユダヤ人の苦難の歴史を忘れません。ホロコーストという彼らの巨大な不幸と悲しみは察するに余りがあります。

そうではあるが、しかし、悲惨な過去はユダヤ人国家のイスラエルが無差別に、容赦なく、子供たちを含むパレスチナの民間人を殺戮する免罪符にはなりません。

ユダヤ人とイスラエルを支持する人々は、彼らの正義の後ろ盾に固執する余り、自身が犯している罪にはほっかむりを決め込んでいるようです。

スピルバーグ監督をはじめとして、地球上には有能で裕福で且つ強い影響力を持つユダヤ人が数多くいます。彼らは世界の政治経済文化など、あらゆる分野で巨大な“力“を持ちます。

アメリカが、そして欧州が、一方的にイスラエルの肩を持つのは、ユダヤ人を抑圧してきた歴史への後ろめたさと共に、その“力”のプレッシャーがあるからです。

“力”を形成している人々は、今こそ、偽善のベールに包まれた自らの“被害者”意識をかなぐり捨てて、パレスチナの罪無き“被害者”の群れにも思いを馳せるべきです。

スピルバーグ監督は残念ながらそれをしません。ならば例えばボブ・ディランは?マーク・ザッカーバーグは? マイケル・ブルームバーグは? ダスティン・ホフマンは?

影響力のあるユダヤ人や支持者がイスラエルの蛮行も指弾しなければ、グローバル世論は決して同国に寄り添うことはありません。寄り添うどころか、人々の心の中には嫌悪ばかりが募っていきます。

その先の先の挙句の果てには―恐ろしい想像ですが―巡りめぐってホロコーストまがいの惨劇を招かないとも言えないのではないか、とさえ筆者は密かに危惧します。

被害者のパレスチナがハマスを介して示す憎しみも、加害者のユダヤの民がイスラエルを介して見せる憎しみも、等しく空しい。等しく悲しい。

一刻も早く強い、心あるユダヤ教徒の皆さんの決起を期待したいと思います。

 

 

 

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いつものスカラ座・聖母マリア・ジョン・レノンが交錯する日々

毎年めぐってくる12月7日はミラノ・スカラ座の開演初日と決まっています。

スカラ座の開演の翌日は、ジョン・レノンの命日です。偉大なアーチストはちょうど43年前の12月8日、ニューヨークで理不尽な銃弾に斃れました。

筆者はジョン・レノンの悲劇をロンドンで知りました。当時はロンドンの映画学校の学生だったのです。

行きつけのパブで友人らと肩を組み合い、ラガー・ビールの大ジョッキを何杯も重ねながら「イマジン」を歌いつつ泣きました。

それは言葉の遊びではありません。筆者らはジョン・レノンの歌を合唱しながら文字通り全員が涙を流しました。連帯感はそこだけではなくロンドン中に広がり、多くの若者が天才の死を悲しみ、怒り、落ち込みましだ。

同じ12月8日はイタリアでは、聖母マリアが生まれながらにして原罪から解放されていたことを祝う、「無原罪の御宿り(Immacolata Concezione)」の日です。

イタリア人でさえ聖母マリアがイエスを身ごもった日と勘違いしたりします。が、実はそれは聖母マリアの母アンナが、聖母を胎内に宿した日のことです。

イタリアの教会と信者の家ではこの日、キリストの降誕をさまざまな物語にしてジオラマ模型で飾る「プレゼピオ」が設置されて、クリスマスの始まりが告げられます。

無原罪の御宿りの日を皮切りに12月24日のクリスマウイブの夜まで、土日も営業する店が増えて街はにぎやかなクリスマス商戦に彩られます。

多くの人々にとっての心浮き立つ日々がそうやってまた始まるのです。

 

 

 

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あっぱれイタリア!「一帯一路」から離脱すると中国に通知

イタリアのメローに政権が、中国の巨大経済圏構想「一帯一路」から離脱する、と中国に伝えました。

イタリアが今年末までに離脱しない限り、協定は2024年3月に自動更新される予定でした。

イタリアは2019年から、G7構成国のうちで唯一「一帯一路」に参画していました。

イタリアが構想に参加する旨の覚書を交わしたのは、当時連立政権を担っていた赤い政治勢力のうち、中国べったりの五つ星運動と同党党首のコンテ首相らがゴリ押ししたからです。

その頃は野党党首だったジョルジャ・メローニ首相は、中国との連携に強く反対していました。

「一帯一路」は、中国政府による政治的影響力拡大の試みであり、ローマにとっての利益は限られている、というのが彼女の主張でした。

メローニ氏が首相の座に就くと同時に、「一帯一路」からのイタリアの離脱が現実味を帯びました。

だが彼女は、「一帯一路」を否定すれば中国の報復もあり得ると考えて、慎重に離脱への地慣らしを進めてきました。

9月にデリーで行われたG20サミットで、「ローマがプロジェクトから離脱しても中国との関係を損なうことはない」と語ったことなども、中国を刺激しないための彼女の気遣いでした。

アッパレ、ジョルジャ・メローニ!

 

 

 

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Sunak英ココナッツ首相と仲間たちの危うさ

ここ最近イギリスのスナク首相の動向が気になっています。もっと具体的に言えば、スナク首相と彼の取り巻きの、特に有色人種の権力者らの動きです。

スナク英首相は先日、英国を訪問中だったギリシャのミツォタキス首相との会談をドタキャンしました。

ミツォタキス首相は、会談の直前に行われたBBCとのインタビューの中で、「大英博物館所蔵のエルギン・マーブル彫刻群”は、ギリシャのパルテノン神殿から盗み出されたものだ」と発言しました。

スナク首相はミツォタキス首相に歴史的事実を指摘されて逆切れ。返還はイギリスの法律によって禁止されている、と主張し一方的にギリシャ首相との会談をキャンセルしました。

盗人猛々しいとはこのことでしょう。パルテノン神殿から彫刻群を盗み出すのはギリシャの法律で禁止されています。それを犯して持ち去ったイギリスの外交官をギリシャが指弾し盗品の返還を求めるのは当然です。

ミツォタキス首相は、返還を求めるギリシャ政府の姿勢は今に始まったものではなく、かねてから表明された周知のものだ。また人は自分の見解が正しく公正だと確信していれば、反対意見を恐れたりはしない、としてスナク首相の態度を痛烈に批判しました。

ミツォタキス首相の見解はまっとうなものです。イギリスの歴代首相はギリシャの要求に対しては一貫して拒否してきましたが、痛いところを突かれて逆上した者はいません。

むろん首相同士の会見を、視野狭窄そのものとしか見えない形でキャンセルするなどの傲岸な行動に出る者もいませんでした。

スナク首相はハマスvsイスラエル戦争に関しても、強者のイスラエル擁護に狂奔しています。弱者のパレス人への思いやりのひとかけられも感じられない一方的な動きは見苦しい。

もう一人腑に落ちない有色人種の権力者がいます。ハマスvsイスラエル戦争で、パレスチナを支持する人々を「暴徒」「ヘイト犯罪者」などと批判して、職を解かれたスエラ・ブレイバーマン内相です。

彼女はリズ・トラス内閣でも内務大臣を務めましたが、強硬な反移民政策を推し進めて批判され職を辞しました。

ブレイバーマン前内相はスナク首相と同じくインド・パキスタン系移民の子供です。ところが自らの同胞を含む難民・移民には極めて厳しい態度で臨みます。必要以上に冷酷、と形容してもいい。

英国社会には峻烈な人種差別があります。しかもそれはあるかなきかの密やかな様態で進行します。例えばアメリカのそれとは大きく違います。

アメリカは人種差別が世界で最も少ない国です。

これは皮肉や言葉の遊びではありません。奇を衒(てら)おうとしているのでもありません。これまで米英両国に住んで仕事をしその他の多くの国々も見聞した、筆者自身の実体験から導き出した結論です。

米国の人種差別が世界で一番ひどいように見えるのは、米国民が人種差別と激しく闘っているからです。問題を隠さずに話し合い、悩み、解決しようと努力をしているからです。

断固として差別に立ち向かう彼らの姿は、日々ニュースになって世界中を駆け巡り非常に目立ちます。そのためにあたかも米国が人種差別の巣窟のように見えます。

だがそうではない。自由と平等と機会の均等を求めて人種差別と闘い、ひたすら前進しようと努力しているのがアメリカという国です。

長い苦しい闘争の末に勝ち取った、米国の進歩と希望の象徴が、黒人のバラック・オバマ大統領の誕生だったことは言うまでもありません。

物事を隠さず直截に扱う傾向が強いアメリカ社会に比べると、英国社会は少し陰険です。人種差別は、先述したようにさり気なく目立たない仕方で進行します。

人々は遠回しに物を言い、扱います。言葉を替えれば大人のずるさに満ちている。人種差別でさえしばしば婉曲になされます。そのため差別の実態が米国ほどには見えやすくない。

差別があからさまには見えにくい分、それの解消へ向けての動きは鈍ります。だが人種差別そのものの強さは米国に勝るとも劣りません。

人種差別の重篤な英国社会でのし上がった有色人種のスナク首相やブレイバーマン前内相は、もしかすると彼らを差別した白人に媚びて同胞に厳しく当たっているのではないか、と見えたりもします。

媚びるのは2重の心理的屈折があるからです。一つは有色人種の難民・移民は「私も嫌いだ」と白人に示して仲間意識を煽ろうとする心理。もう一つは同じルーツを持つ人々を拒絶して、(自らが参入することができている)白人支配層の権益を守りたい、という願いからの動きです。

後者には実利もあります。白人の権益を守れば自分のそれも庇護され上騰するからです。

保守党の有色人種の権力者である彼らは、元々のイギリス人つまり白人よりもより強い白人至上主義似の思想を秘匿していて、白人の保守主義者よりもさらに右よりの政治心情に傾くようです。

昨年10月、リシ・スナク氏が英国初の非白人の首相として颯爽と就任演説を行う様子を、筆者は同じアジア人として誇らしく見つめました。

政治的には相容れないものの、彼が白人支配の欧州で少数派の有色人種にも優しい眼差しを注ぐことを期待しました。

だがその期待は裏切られました。彼の政治手法は筆者が密かに懸念していたように、いわば“褐色のボリス・ジョンソン”とも呼ぶべき彼の前任者に似た白人至上主義系の流儀に親和的なものでした。

彼はまた、自らと同じ人種系列のスエラ・ブレイバーマン氏を内務大臣に招聘しました。ブレイバーマン氏は“赤銅色のドナルド・トランプ”とでも呼びたくなるほど、弱者への差別的な言動が多い人物です。

アジア人且つ黄色人種でありながら、意識してまた無意識のうちにも自らを白人と同じに見なす日本人は、表が黄色く中身が白い「バナナ」です。

そうした人々は、往々にしてネトウヨヘイト系排外差別主義者ですが、それは権力者も一般人も同じです。イギリスのネトウヨヘイト系の差別排外主義者の大物が、つまりスナク首相やブレイバーマン前内相、と考えれば分かりやすいかもしれません。

「バナナ」と同じ心理状況にあるらしいスナク首相やブレイバーマン氏は、さしずめ表が褐色で中身が白い「ココナッツ」でもあるでしょうか。

スナク首相やブレーマン前内相は、厳しい人種差別の眼差しを撥ね返してイギリス社会で出世しました。あるいは自らのルーツを嫌い同胞を見下し彼らにつらく当たる手法で出世の階段を昇りました。

出世した彼らは同国のエリートや富裕層がひしめく保守党内でものし上がりました。階段を上るに連れて、彼らは白人の保守主義者よりもより白人的な、いわば白人至上主義者的な保守主義者になって行きました。

そこには有色人種としての劣等感と自らを劣等ならしめている物を厭う心根がありました。彼らが白人の保守主義者よりも移民や難民またパレスチナ人などの弱者に冷たいのは、先に触れたように屈折した心理ゆえと考えられます。

アメリカの保守主義勢力、共和党内にも有力な有色人種の政治家はいます。例えばコリン・パウエル元国務長官、コンドリーザ・ライス元国務長官など。またロイド・オースチン現国防相も黒人です。

アメリカの有色人種の権力者たちは、イギリスの同種の人々とは違って誰もが穏やかです。あるいは常識的です。それはアメリカ社会が、紆余曲折を繰り返しながらも、人種差別を確実に克服して行く明るい空気の中にいるせいであるように見えます。

片やイギリスの有色人種の政治家の猛々しい言動が、攻撃的な中にも絶えず悲哀と憐憫のベールをまとっているように見えるのは、恐らくアメリカとはまた違う厳しい社会状況が生み出す必然、と感じるのは筆者だけでしょうか。

 

 

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ハマスをテロリストと呼ばないBBCの気骨

イギリス公共放送のBBCが、ハマスをテロリストと呼ばないことを批判する勢力があります。同国のスナク首相を筆頭にする保守主義者が中心です。

ハマスをテロリストと見るか否かは、政治的な立ち位置の問題に過ぎません。

BBCはそのことを正確に知っていて、「テロリストとは人々が倫理的に認めたくない集団を呼ぶ言葉」であり「政治的な色合いを伴う感情的な表現」と規定しています。

筆者も全く同じ考えでいます。

だが、もう少し自分の考えを付け加えればテロリストとは、政治的な目的を達成するために暴力を振るう自らと自らの支持者以外の者や組織のことです。

従って今このときの中東危機に照らして言えば、イスラエルから見るハマスはテロリストです。逆にイスラエルはハマスに言わせれば大テロリストです。

また、イスラエルを支持する欧米から見たハマスもテロリストの組織です。

片やハマスを支持するアラブ各国またイスラム教国のイランやトルコに言わせれば、イスラエルだけがテロリストです。

もっと言えば、無差別攻撃でパレスナ人民を殺害するテロリストであるスラエルに加担する欧米各国は、パレスチナ側の窮状を見て見ぬ振りをする偽善者でありテロ支援者です。

BBCの主張に戻ります。

BBCは前述の論点に加えて、「BBCは誰が誰に対して何をしているかを視聴者が自ら判断できるように客観的に報道する。また何が起きたのかを説明することで、視聴者に全貌を伝える」とも主張しています。

筆者はその姿勢を全面的に支持します。

BBCの立場に異を唱える者は、必ず自らの政治信条や思い込みまた感情を盾にし、拠り所にしていると知るべきです。

BBCとは違ってハマスをテロリストと呼ぶ者は、イスラエルをテロリストと呼ぶ者と全く同様に、自らの政治信条と倫理的好悪の感情に基づいてそう主張しています。

筆者は客観的に見て、両者ともにテロリストであり同時にテロリストではないと考えています。ただし両者ともに、テロリストではないと規定される場合でも、双方は「テロ行為を働いてている」と判断します。

そしてなぜ彼らがテロ行為を行うのかの「動機」を考えた場合、イスラエル側により大きな責任があると考えます。

なぜならイスラエルは、「パレスチナは神がユダヤ人に与えた土地」と主張するシオニストが、他人の土地を侵略しそこに住まう人々を追い出して作られた国家だからです。

パレスチナが神からユダヤ人に贈られた土地であるなら、そこは神がパレスチナ人に与えた土地でもあるのが理の当然です。

神話の世界に過ぎない旧約聖書の世迷言を根拠に、他人の土地を強奪した上に住人を殺戮し抑圧し排除しているのがイスラエルでありシオニストです。

パレスチナ側は1948年以来イスラエルの横暴に抵抗し続けました。その過程で生まれたパレスチナ解放運動がPLOでありハマスでありヒズボラ等々の組織です。

彼らをテロリストと呼ぶなら、イスラエルもテロリストです。しかも後者はより巨大且つ悪辣な国家テロ組織です。

BBCがハマスをテロリストと呼ばない頑なな姿勢は、報道者として見上げたものです。

ただBBCが、ハマスはテロリストではないのだから「テロ行為も働いていない」と考えているならば、イスラエルを一方的に擁護する英スナク首相やその他のほとんどの欧米首脳らと同じく、「たわけ」そのものだとも付け加えておきたいと思います。

 

 

 

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人の上に人を作る英国の虚空 

イギリスの天は人の上に人を作り、結果、人の下に人を作る。

同国のスナク政権は政治闘争に敗れて政界を去ったデヴィド・キャメロン元首相を、選挙の洗礼を経ずに貴族に仕立て上げて貴族院(上院)議員とし、さらに外務大臣にしつらえました。

世界一の民主主義国家とも評されるイギリスの、非民主主義的な一面を目にするたびに筆者の彼の国への尊敬は磨り減っていきます。特にBrexitを機にその傾向は深まるばかりです。

キャメロン新外相は自身が首相だった2016年、国民投票でイギリスの欧州連合離脱=Brexitが決まった責任を取って首相を辞任し、やがて下院議員も辞めて政界から引退しました。

ところが今回、Brexit推進派で彼の政敵だったスナク首相の要請を受け入れて、恥ずかしげもなく外相職を引き受けました。

日和見主義は政治家のいわば天質ですから、キャメロン氏を軽侮しつつも、敢えて太っ腹などと評価することもできないことはありません。

だが、人の上に人を作り人の下に人を作るイギリス社会の未開振りにはゲンナリします。言い方を替えれば王を戴く同国の身分制社会は胡散臭い。胸が悪くなる。

民主主義大国と謳われながら非民主主義的な傷ましい本質にも縛られている怪物国は、連合王国としての構造が破壊されない限り変容することはないでしょう。

筆者は英連合王国の解体を見てみたい。英国解体は決して荒唐無稽な話ではありません。

英国はBrexitによって見た目よりもはるかに深刻な変容に見舞われていると思います。

その最たるものは連合王国としての結束の乱れです。

イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド から成る英連合王国は、Brexitによって連合の堅実性が怪しくなりました。

スコットランドと北アイルランドに確執の火種がくすぶっています。

スコットランドはかねてから独立志向が強い。そこにBrexitの激震が見舞いました。住民の多くがBrexitに反発しました。今も反発しています。

スコットランドは今後も独立とEUへの独自参加を模索し続けることでしょう。北アイルランドも同じです。

筆者は若いころ首都ロンドンに足掛け5年間暮らしました。筆者の英国への尊敬と親愛と思慕の念はその5年の間にかつてないほど高まりました。

英国を去り、日本、アメリカ、そしてここイタリアと移り住む間も筆者の英国への思いは変わりませんでした。三嘆の心はむしろ深まりました。

Brexitを機に筆者の思念は揺れ動きました。それは筆者のアメリカへの思慕が、トランプ前大統領の誕生を機に一気にしぼんだことと軌を一にしていました。

英国は筆者が信じていた民主主義大国ではなく、生まれながらにして人の上に立つ王を崇める原始人メンタリティーの国民が多く住む悲惨な国だと改めて理解できました。

Brexit は古代精神に呪縛された保守主義者らが、時代に逆行して引き起こした惨事でした。

キャメロン元首相が、ふいに貴族となって貴族院議員になり、さらに外相になるという事態も、国王を上に戴き人を身分で選り分ける鬱陶しい体質故の奇態と理解できます。

 

 

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賊に立ち向かう

亡くなった義母の手伝いをしてくれたエクアドル人のガブリエラ・Cは、バスの運転手のマルコ・Rと結婚してミラノで子供3人を育てています。

そのガブリエラのエクアドルの山中の実家では、夜の帳が下りるころ父親が空に向けてショットガンを一発撃つ習慣がありました。

人里はなれた場所に多い押し込み強盗や山賊や殺人鬼などの闇の勢力に「銃で武装しているぞ。ここに来るな」と知らせるのです。

少し滑稽ですが切実でもあるその話をなぞって、筆者も先日、闇に包まれた山荘の窓から空に向けて猟銃を一発撃ちました。

ことしは山荘に賊が2度も侵入しました。いずれのケースでもドアに上下2つ付いている錠前のシリンダーを抜き取って無力化し、易々と押し入りました。

山荘には金目の物はなにもありません。ただ家屋が元修道院だった建物であるため、山小屋にしてはとても規模が大きくなっています。

山荘を見る者の中には立派に見える建物の中に、何か価値のある財物があると誤解するのでしょう。昔からしばしば賊に狙われてきました。

また山荘の一部は教会になっていて中に大理石製の祭壇があります。凶漢はそのことを知っていて、一部を剥がして持ち去るなどの計画を立てて侵入した可能性もあります。

小さな教会のさらに小さな祭壇ですが、それは建物と基礎と土台が堅牢に固められた構造の一部になっていて、建物全体を破壊でもしない限り切り離せません。

いわばローマ帝国得意の建築技術の粋が、その後の強大な教会の力を背景に研ぎ澄まされ改良されて応用されているのです。

いっぱしの盗賊ならそれぐらいのことは承知ですから、聖卓の細部を壊して持ち去ろうと企みます。だがそれも徒労です。切り離して売れるアイテムはとっくの昔に盗まれていて、もう何も残っていないのです。

2度目の侵入は破壊された錠前を新しく付け替えた数日後に起きました。錠前の壊し方がほぼ同じ手口だったので、筆者は同一人物あるいはグループの仕業ではないかと考えました。

しまし駆けつけた軍警察官は、山荘のような建物に侵入する場合は錠前のシリンダーを壊すやり方がほぼ唯一の方法だから、それだけで同一犯とは断定できない。

また同一犯なら最初の犯行で家内には目ぼしい物は置かれていないと分かったはず。再び押し入る理由が不明だ。むしろ別の犯人の可能性のほうが高い、と見立てました。

鬱蒼と茂る木々に囲まれた山荘は、夜になるとどこよりも深いと見える漆黒の闇に包まれます。

賊が侵犯して以降は、闇は大きな不安も伴ってやって来るようになりました。そこで筆者は宿泊する場合は猟銃を準備することにしたのです。

空に向かって銃撃すると恐怖心が少し薄まるような気がしました。むろんそれは気休めに過ぎません。だが銃はそこにあったほうが、無いよりは増し、と感じたこともまた確かです。

筆者は最近、拳銃の扱い方も習得しました。いうまでもなくそれの所持許可も取得しています。しまし拳銃そのものはまだ購入していません。来年夏には拳銃も準備して宿泊するつもりでいます。

そうはいうものの、自衛のためとはいえ、武器を秘匿しての山小屋滞在は少しも楽しくない、と先日の経験で分かっています。

業腹ですが、犯人が捕まったり警備状況が改善したりしない場合は、今後いっさい山荘には宿泊しない、と決める可能性も高いと思います。

イタリアは普通に危険な欧州の一国なのです。

 

 

 

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