ボランティアという献身、利他主義という高潔

                                ウーゴさん

はじまり

カトリック系のイタリアの慈善団体、「マト・グロッソ」のウーゴさんが94歳で亡くなりました。

ウーゴさんとは、人生のほとんどを他人のためだけに生きてきた清高な男、カトリック・サレジオ(修道)会のウーゴ・デ・チェンシ神父のことです。

神父様ではなくウーゴさんと人々に愛称された彼はイタリア北部の生まれ。宣教師としてブラジルに行ったことがきっかけで、土地の名前を取ったマト・グロッソ」という慈善団体を立ち上げました。

「マト・グロッソ」はイタリア国内で年々発展を遂げ、多くのボランティアを南米各国に派遣するなど、広範囲にわたって慈善事業を展開しています。

マトグロッソは特に南米のペルーで大きく成長。今では同国で第2位の資産を有するまでになり、その資産を活用して事業を起こし、ペルー人を雇用し、貧者を支援するなどしています。

中でも貧しい青少年たちへの支援を中心に、学校事業や社会事業に多大な労力を注いで成果を挙げています。

ウーゴさんを訪ねて

先年、マト・グロッソBresciaの責任者夫妻と共に、ウーゴ神父を訪ねてペルーに行きまし。同国でのマト・グロッソの活動地域は、ほとんどが山中の貧しい場所です。

周知のようにペルーには、アンデス山脈、アマゾン川、ナスカの地上絵、マチュピチュ等々、魅惑的な観光スポットが数多くあります。

旅では標高約5千メートルの峠越え3回を含む、3700メートル付近の高山地帯を主に移動しました。言うまでもなくウーゴさんとマトグロッソの活動を見聞するためです。

目がくらむほどに深い渓谷を車窓真下に見る、死と隣り合わせの険しい道のりや、観光客の行かない高山地帯の村や人々の暮らしは、全てが鮮烈で面白いものでした。

面白いとは、旅人である筆者のノーテンキな感想で、ウーゴさんとマトグロッソのボランティアの皆さんは、日々厳しい慈善事業に精を出していました。

フィアットよりも大きな会社?

「イタリア最大の産業はボランティア」という箴言があります。イタリアのみならず欧米諸国の人々は概してボランティア活動に熱心です。

イタリアの場合は、カトリックの総本山バチカンを身内に抱える国らしく、欧米の平均に輪を掛けて人々が活動に一生懸命のような印象を受けます。

この国の人々は、猫も杓子もという感じで、せっせとボランティア活動にいそしみます。やはり博愛や慈善活動を奨励するローマ・カトリック教会の存在が大きいのでしょう。

奉仕活動をする善男善女の仕事を賃金に換算すれば、莫大な額になります。まさにイタリア最大の産業です。

「マト・グロッソ」のウーゴさんは、さしずめイタリアのその巨大産業の元締め、あるいは象徴的な存在の一人、と規定できるかもしれません。

チャリティーってなに?

チャリティーなんて金持ちやひま人の道楽、と考える人も世の中には多くいます。それはきっと日々の暮らしに追われている、豊かとばかりも言えない人々の正直な思いでしょう。

しかし、チャリティーは実は、貧富とは関係のない純粋な自己犠牲行為です。次の統計の一つもそのことを如実に物語っています。

慈善活動をする世界の人々のうちのもっとも裕福な20%の層は、収入の1、3%に当たる額を毎年寄付に回しています。

一方、 慈善活動をする世界の人口のうちのもっとも貧しい20%の人々は、彼らの収入の3、2%を寄付に回しています。貧しい人々は金持ちよりも寛大なのです。

他人の為に何かをするという行為は尊いものです。自己犠牲の精神からはほど遠い、俗物然とした心意しか持ち合わせのない筆者などは特にそう思います。

中でも「継続して」人のために活動をしている皆さんには頭が下がる思いがします。

思い続ける難しさ

たとえば災害時などに提供する義援金は、一度寄付をすればそこで終わりですが、「被災者を忘れない」という思いをずっと胸に抱き続けるのは難しいことです。

思い続けることはいたわりになり、それは行動になります。ボランティアやチャリティーも同じです。「続ける」ことが重要で、しかもそれはたやすいことではありません。

災害の被災者だけではなく、世界中の貧しい子供たちや不運な人たちを思い続けること。それが本物のボランティアやチャリティーの核心だと思います。

「にわかボランティア」や「にわか慈善行為」は、もちろんそれ自体がとても大切なことです。何はともあれ被災者や被災地に思いを寄せることだからです。

そしてボランティアや慈善行為を「続ける」ことができれば、さらにもっとすごいことです。だが、たぶん続けられる人はそれほど多くはいません。皆忘れます。「他人を心に思い続ける」のは至難の業なのです。

ゴルファーの藍ちゃんの失敗

チャリティーの精神を考えるとき、いつも頭に思い浮かぶエピソードがあります。

東日本大震災の直前に、アメリカの女子プロゴルフ界がチャリティーコンペを主催しました。チャリティーコンペですから賞金が出ません。賞金は全てチャリティーに回されるのです。

多くの欧米人プレーヤー参加したものの、宮里藍、上田桃子、宮里美香の日本人トッププレーヤー達は参加しませんでした。賞金が出ないからです。

ところがそのすぐ後に、東日本大震災が起こってしまいました。すると日本人3人娘が「被災地のためにチャリティーコンペをしよう」と呼びかけました。

それは良いことの筈なのですが、当時アメリカでは大変な不評を買いました。残念ながら彼女たちは、身内のことには必死になるが、他人のことには鈍感で自分勝手、と見破られてしまったのです。

自分や身内や友人のことなら誰でもいっしょうけんめいになれます。慈善やチャリティーやボランティアとは、全くの他人のために身を削る尊い行為のことなのです。

それは特に欧米社会では盛んで、有名人やセレブや金持ちたちには、普通よりも大きな期待がかけられます。

チャリティー活動が盛んではない国・日本で育った3人の日本人娘は、トッププレーヤーにはふさわしくない大失態を演じてしまいました。

しかしその後、彼女たちは懸命に頑張ってチャリティー活動を行い、1500万円余りの義援金を被災地に寄付したことは付け加えておかなければなりません。

それは「身内の日本人」被災者への思いやりで、彼女たちが「身内でない者」のためにも同じ気持ちで頑張るかどうか分からない、などと皮肉を言うのはやめましょう。身内のためにさえ動かない者がいくらでもいるのですから。

見返りを求めるチャリティーはない

チャリティー活動になじみのない日本人にありがちな、気をつけなければならないエピソードは、実は筆者の身近でも起こります。

筆者が関わった「マト・グロッソ」系のチャリティーイベントで、事前に告知されていたローストビーフが手違いで提供されなかったことがあります。それに怒った人々が担当者を突き上げました。

実はそうやって強くクレームをつけたのは残念ながら日本人のみでした。そこで大半を占めていたイタリア人は、一言も不平不満を言わなかったのです。

彼らはチャリティーとは得る(ローストビーフを食べる)ことではなく、差し出す(寄付する)ものであることを知りつくしていたからです。

イタリア人は、カトリックの大きな教義の一つである慈善やチャリティーの精神を、子供のころから徹底的に教え込まれます。

そうした経験がほぼゼロの多くの日本人にとっては、得るもの(食べ物)があって初めて与える(支払う)のがチャリティー、という思い違いがあるのかもしれない、と筆者はそのとき失望感と共にいぶかりました。

その一方、マトグロッソという慈善団体を立ち上げ、大きく育て、常に他人を思い利他主義に徹した「ウーゴさん」の尊い精神は、彼を慕うボランティアたちを介して今後も生き続けることが確実です。

ペルーでの思い出のみならず、イタリアでもチャリティー活動などを通して親しくさせていただいた偉大な男、“ウーゴさん”の逝去を心から悔やみつつ記します。

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親の壁

先日、筆者の父親が101歳で他界しました。またその数ヶ月前にはイタリア人の義母が92歳で逝きました。

義母は先年、日本の敬老の日を評して「最近の老人は、もう誰も死ななくなった。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と喝破したツワモノでした。

101歳の父と92歳の義母が「いつまでも死なない老人」であったかどうかはわかりません。しかし、その名文句 を言い放ったときの義母が89歳だったことを思えば、彼女の言う「いつまでも死なない老人」 の目安は90歳あたりです。

それというのも義母は正確に言えば、「《私を含めて》最近の老人は、もう誰も死ななくなった。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と自らの境遇に即して発言したのでした。

また当時、麻生太郎副総理兼財務相 が「90歳になって老後が心配とか、訳の分からないことを言う人がいる。一体いつまで生きているつもりだ」という趣旨の発言をして物議をかもしました。

筆者は日本の敬老の日の趣旨に続いて麻生さんの発言も義母に話しました。彼女は麻生さんの箴言に拍手喝采しました。そうしたいきさつからも「いつまでも死なない老人」の始まりは90歳前後、と筆者は考えます。

そしてその90歳という目安は、長寿がますます盛んになっていく昨今は、速い速度で95歳、100歳とどんどん先送りされていくことになるでしょう。

義母の「爆弾発言」は、日伊ひいては世界の大問題の一つである高齢化社会のあり方について、しきりに考えをめぐらせることが多い筆者に目からウロコ的な示唆を与えました。

高齢化社会の問題とは、財政と理念に基づく国のあり方であり、安楽死や尊厳死の解釈と当為の是非であり、命題としての一人ひとりの人間の死に様、つまり「生き様」のことです。

還暦を過ぎた筆者は、父や義母ほどの老人ではないかもしれませんが、いかに死ぬか、つまりいかに生きるべきか、という問いに不自然さを感じない程度の“高齢者”となりました。

老人の義母が「いつまでも死なない老人」と断罪したのは、「無駄に長生きをして周囲に疎まれながらもなお生存している厄介な超高齢者」という意味でした。

また彼女の見解では「疎まれる老人」とは、愚痴が多く、精神的にも肉体的にも自立していない退屈な高齢者、のことでした。

義母自身もまた筆者の父も、終わりの数年は愚痴の多い、あまり幸せには見えない時間を過ごしました。愚痴は老人の誰もが陥る晩年の罠ではなく、2人の生来の難しい性格から来ていました。

2人のさらなる長生きを願いながらも、筆者は彼らのあり方をいわば「反面教師」として、自らの老い先の道しるべにしよう、とひそかに思ったりもしました。

とまれかくまれ、父を最後に筆者の親と妻の両親、また双方の親世代の家族の人々がこの世から全ていなくなりました。それは寂しく感慨深い出来事です。

生きている親は身を挺して死に対する壁となって立ちはだかり、死から子供を守っています。だから親が死ぬと子供はたちまち死の荒野に投げ出されます。次に死ぬのはその子供なのです。

親の存在の有難さを象徴的に言ってみました。しかしそれはただの象徴ではありません。先に死ぬべき親が「順番通り」に実際に逝ってしまうと、子供は次は自分の番であることを実感として明確に悟るのです。

筆者自身が置かれた今の立場がまさにそれです。だが人が、その場ですぐに死の実相を知覚するのかといえば、もちろんそんなことはありません。

死はやがて訪れるものですが、生きているこの時は「死について語る」ことはできてもそれを実感することはあり得ません。

人は死を思い、あるいは死を感じつつ生きることはできません。「死を意識した意識」は、すぐにそのことを忘れて生きることに夢中になります。

100歳の老人でも自分が死ぬことを常時考えながら生きたりはしません。彼は生きることのみを考えつつ「今を生きている」のです。

まだ元気だった頃の父を観察して筆者はそのことに確信を持ちました。父は残念ながら100歳の手前でほとんど何も分からなくなりましたが、それまでは生きることを大いに楽しんでいました。

楽しむばかりではなく、生に執着し、死を恐れうろたえる様子さえ見せました。潔さへの憧憬を心中ひそかに育んでいる筆者は、時として違和感を覚えたほどでした。

ともあれ、死について父と語り合うことはついにありませんでしたが、筆者は人が「死ぬまで生き尽くす」存在であるらしいことを、父から教わったのでした。

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「バラマキ予算が最善」とEUに吠える伊ポピュリスト政権

EUの欧州委員会は11月21日、イタリア政府の2019年度予算案に関して「過剰財政赤字是正勧告(EDP)」を発動するための準備を開始する、と発表しました。

これに先立ち同委員会は10月、財政赤字を国内総生産(GDP)の2、4%に設定するとしたイタリアの2019年度予算案を、EUの財政規律から大きく逸脱しているとして、受容を拒否していました。

これに対してイタリア政府は、小幅な修正を盛り込んだ予算案を提出しましたが、欧州委員会はこれにも難色を示して、ついに最悪の場合には最大でGDP(国内総生産)の0、5%分の罰金が科される可能性もあるEDPの第一段階に入ったのです。

ただ制裁金が科されるまでの道のりは長く、先ず2週間以内にEU各国の副財務相と会計責任者らが勧告の内容を審査します。その後、勧告は各国財務相らで構成されるEU財務理事会に送られ、理事会は来年1月に会合を開いてEDP入りを正式に決定します。

制裁手続きが開始されると、EUはイタリアに対して最長6カ月以内に財政赤字の是正や公的債務の削減削策などを要求します。イタリアがEUの勧告に従わなければ段階的に制裁が強化され、最終的にGDPの0,2%~0,5%を無利子でEUに預け入れるように命じることになります。

イタリア・ポピュリスト政権の予算案は、赤字の対GDP比率が前政権の見積もりの3倍にも達するバラマキ財政。実施すれば構造的赤字が拡大し、公的債務も拡大することが必至と見られています。2018年10月現在イタリアの借金は国民1人当たり€37000(約481万円)でEU圏最大です。

イタリア政府の来年度の予算案に対しては、EUはもとより財界や各国中央銀行からも見直しを迫る声が相次いでいます。財政赤字の対GDP(国内総生産)比率が既述のごとく2、4%にものぼるバラマキ予算案だからです。

赤字の対GDP比率が2、4%という数字は民主党前政権が示した予想の3倍に当たり、来年の構造的債務を、GDP比で0.8%まで押し上げる計算になります。それは国内外のエコノミストやEUからの強い批判にさらされたほか、イタリア政府債利回りの大きな上昇も招いています。

同盟と五つ星運動が連立を組むポピュリスト政権は、一律15%の所得税導入、貧困層への1ト月一律約10万円余のベーシックインカム支給(最低所得保証)、年金給付年齢の「引き下げ」などを主張してことし3月の総選挙で勝利しました。

そして6月に政権運営が始まると同時に、選挙公約を実現しようとやっきになっています。イタリアは総額約2兆3000億ユーロ(約300兆円)の借金を抱えています。それはEUが緊急時に加盟国を支援する常設基金、ESM(欧州安定メカニズム)でさえ対応しきれない規模です。

その額は例えば、1100兆円に近い日本の累積債務に比較すると小さく見えるかもしれませんが、日本の借金が円建てでイタリアのそれがユーロ建てであることを考えれば、天と地ほどの違いがあります。

分かりやすいように極端なことを言えば、日本はいざ鎌倉の時には自国通貨を発行しまくって借金をチャラにすることができます。しかし、EUの共通通貨であるユーロの発行権を持たないイタリアにはそんな芸当はできません。

借金漬けの家計を整理し健全化するのではなく、さらなる借金で楽に暮らそうとする一家があるならば、その家族には必ず自己破産という地獄が訪れることになるでしょう。

イタリアの現政権が打ち出した2019年度の予算案は普通に考えれば、自己破産という地獄へ向けてまっしぐらに走る、「借金漬け一家」のクレージーな生活設計です。

政権の主張は減税と福祉支出等の増加によって経済成長を促すというもので、2019年の経済成長率を1.5%、2020年を1.6%、2021年を1.4%と予測しています。だがそれらの数字に対しては多くの専門家が楽観的すぎるとの批判を強めています。

政権の実質的なボスの1人であるディマイオ副首相(五つ星運動党首)は、ベーシックインカム導入に強い意欲を示し、年金給付年齢を引き上げた2011年の政府決定は、選挙を経ないテクノクラート内閣が決定したものであるから無効だ、と主張。

また 政権内で彼と同等以上の影響力を持つと見られているサルヴィーニ副首相(同盟党首)は、イタリアの来年の経済成長率は、政府が先に示した1,5%ではなく2%になる、とほとんど根拠のない主張をしています。

政権を担当することになった彼らの今の言動を待つまでもなく、五つ星運動と同盟が先のイタリア総選挙で勝利し連立政権を組んだところで、現在の状況が出現するであろうことはすでに分かっていました。

あらためて言うまでもなく彼らは、移民難民を排斥し、(票獲得のために)ありとあらゆるバラマキ策を実施し、米トランプ主義を大手を振って賞賛する、ということを繰り返し主張し実践し確認して、政権を掌握したのです。

いまさら彼らの施策につべこべ言うのは負け犬の遠吠えにも似た無益な態度です。たとえそれがイタリアを破壊しかねないものであっても、彼らは行き着くところまで行くべきだ、というのが筆者の思いです。

事実上の首相であるサルヴィーニ副首相兼内相とディマイオ副首相兼労働相は、内外からの批判に答えて、予算案の見直しは絶対にしない、と繰り返し発言しています。EUへの強い対抗意識がはたらいているからです。

また財界、野党、それにEUからの非難や懸念や罵倒などにも関わらずに、イタリア国民の連立政権への支持は強まっています。それはそうです。彼らはそれらの政策を選挙公約に掲げて戦い勝利を収めたのですから。

国民の支持率の高さは、ジュゼッペ・コンテ首相への信頼感と無関係ではありません。政治的には全く無名の存在だったコンテ首相は、政権の船出の頃こそ学歴詐称疑惑などでつまずき「ミスター・ノーバディ(名無しの権兵衛 )」などと揶揄される存在でした。

ところがその後、同首相の学者然とした落ち着いた慎重な物腰が好感され、且つ政治的には素人である彼の言動が、政治家のアクの強さに辟易しているイタリア国民の心をしっかりと捉えて人気が高まっています。

世論調査によると、コンテ首相の支持率は67%に達します。その数字はここ最近の彼の前任者の誰よりも高いものです。また彼よりも目立つことが多い連立政権の2人のリーダー、同盟のサルヴィーニ党首の57%、五つ星運動のディマイオ党首の52%よりも高くなっています。

コンテ首相への好感度も手伝って、ポピュリスト政権への支持率も64%に達します。また同盟と五つ星運動両党への支持率も合計で62,3%に昇ります。来年度予算を巡るEUとのやり取りが国民を失望させる可能性もありますが、政権発足から今日までの状況は彼らにとって願ってもないものです。

ポピュリストとも野合とも揶揄される政権が、国民から高い支持を受けているのは、選挙公約を忠実に実施しようとする彼らの「ぶれない」姿勢への評価もさることながら、政治不信に陥っているイタリアの有権者が、確かな「変化」の風を感じてポジティブなムードが国中に醸成されているところにあります。

EUがイタリアの2019年度予算案への対応を誤れば、イタリアの世論は共通通貨ユーロの否定、ひいてはEU離脱へ向けて一気に加速・膨張するかもしれません。そしてその道筋こそが実は、連立政権を担うポピュリストの五つ星運動と、反EUの極右政党・同盟が最終的に目指しているものなのです。

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肉料理の島の海鮮レシピ

イタリア・サルデーニャ島の料理の主流、あるいは正当な伝統料理の食材は肉です。ところがいま現在のサルデーニャ島には魚料理があふれていて、それは食の国イタリアのどの地域の海鮮料理にも全くひけをとらない味を誇っています。

島の魚料理はリゾート地として目覚ましく発展している沿岸地帯を中心に生長してきました。ミラノをはじめとする北イタリアの金持ちたちが、彼らの専属シェフとともに魚料理のレシピを持ちこんで流行らせたり、古くからある沿岸地帯の数少ない魚料理を改良(ある種の人々にとっては改悪)していったのです。

専属シェフを抱えるほどの経済的余裕や食への情熱をそれほどは持たない者は、島のレストランや招待先で彼らの知る「イタリア本土料理」の要諦を講釈し、そこへ向けて島料理が変化するように要求しました。そうやってサルデーニャの「島風魚料理」は、徐々に「イタリア本土風の味」に変ることを余儀なくされたのです。

言葉を変えれば、島の魚介膳は世界の誰もが知る「普通の」イタメシへと変貌していきました。イタメシだからそれはほとんどの人にとって美味しい煮炊きです。それがサルデーニャ島の海岸地域に見られる今日の魚介料理の状況です。いつどこで食べても美味い。だがそれは島本来の魚介レシピではないのです。

2018年夏、サルデーニャ訪問旅で筆者が行き逢った最善の魚料理は、滞在先のキャンプ場の中のレストランで食べたタコ料理でした。その一皿は茹でたタコをスライスしてマリネ風の漬け汁で包み固めたものですが、レシピも味も伝統料理とは異なっていました。

筆者はマリネに特別な嗜好を持ちません。むしろ嫌いなほうです。そんな自分がすぐに好きになったほどの料理のマリネ風漬け汁の味が、タコのデリケートな滋味にからまって、得も言われぬ 旨味 を生成していました。

巧みな湯温度と塩加減で茹でられた素材は、まろやかでコクがあるのにさっぱりしている。言ってみれば「味の矛盾」が蝟集して、ユニーク且つ確固たる佳味 の小宇宙を形成していたのです。見事の一言につきる一品でした。

地中海域には、筆者が体験しただけでもギリシャやトルコやイタリアなど、タコ料理の美味い国々があります。そこで共通しているのは、日干しのタコやイイダコなどをトマトソースやオリーブ油やワインなどを絡ませてじっくりと煮込む調理法で、どの国の膳も美味い。

サルデーニャ島を含む地中海の島々に根付いたオリジナルのそれらのタコ料理は、本来は新鮮なタコを茹でたり焼いたりするだけの原始的なものでした。ところが16世紀にトマトが南米から欧州に導入され、18世紀に食用として一般化すると、タコ料理はトマトにワインとオリーブ油を加えて煮込む調理法へと変わっていったのです。

今回食べたタコ料理は、地中海伝統のその煮込み膳とは全く違っていました。見た目はむしろ、海鮮サラダとして提供される時の「茹でダコのスライス」に近いものでした。だが味は初めて体験するもので、一般的な海鮮サラダとはまるで違う、豊饒でまろやかな舌触りが特徴の優れた一品だったのです。

それに続く魚介料理の発見は、滞在先近くの街、ポルト・トーレスの老舗レストランで体験した魚介の前菜(伊語アンティパスト、英語スターター或いはアペタイザー)です。エビやタコなどの通常素材をデリケートなタッチで仕上げた技が絶妙でした。また小鮫の肉の煮込み皿と、いくつかの魚肉をミンチにして混ぜ合わせ、丸めて油で揚げたpolpetta(ポルペッタ:魚肉ボール揚げ)は、味はさておくとして面白い仕上がりでした。

タコの新しい味わいを引き出した前述の一皿や、冒険心満載の前菜魚介などは元もと、島の外の人々、つまりリゾートに休暇でやって来るバカンス客を目当てに、島の外のシェフや料理通らが編み出したレシピです。だが今では島の人々も自家薬籠中の物にしてさらに進展しています。

一風変わったそれらの海鮮料理はさておいて、今回もよく食べたのが海鮮パスタでした。いや、「最も多く食べた」のが海鮮パスタだった、と言わなければなりません。アサリやムール貝のソース、ボッタルガ(マグロの卵のタラコ風塩漬け)、ミックス魚介ソース和えなどの「通常」パスタの味は、どこも抜群に美味しいものでした。

イタリア人観光客が多いサルデーニャ島のレストランで、魚介ソースのパスタを美味く仕上げられないなら、その店は完全にアウトです。だからどの店も必死に魚介ソースのパスタに磨きをかけます。魚介ソースのパスタは、サルデーニャ島を含むイタリアでは、どこでもいつでも美味いのが「当たり前」なのです。

ところが今回は、イタリア国外でよく遭遇する不味い魚介パスタにそっくりの代物にも行き会いました。極めて珍しい例なのでここで言及しておくことにします。

場所はアルゲーロ(Alghero)のレストラン。スペインのカタルーニャ人が多く渡来し住み着いた、ユニークな歴史街。アルゲーロのスペイン風の街並みと空気感を楽しんだ後に、車を駆って面白そうなレストランを探し回りました。

そうして見つけたのが、ビーチに杭を打ち立てて建造されたりっぱな建物のレストラン。水着姿の客も多い文字通りの「海際の」店でした。これ以上はないというほどのすばらしい立地です。

筆者はごく普通にボンゴレ(あさり)ソースのスパゲッティを頼み、同伴している妻は魚卵ボッタルガのスパゲティを注文しました。出てきたのは見た目がちょっとゆるい感じのソースがからまったボンゴレと、ボッタルガの量をケチったのが見え見えの薄っぺらな雰囲気の2皿。

味見をしました。さすがに2品ともにパスタのアルデンテ(歯ごたえのある)まで外すことはなかったのですが、ソースの不味さにおおげさではなく「驚愕」しました。見た目そのままの味だったからです。

ボンゴレは水っぽく、プチトマトの味も良くありませんでした。おまけに貝の量が恥ずかしいくらいに少ないのです。魚介の味がほとんど感じられませんでした。パスタ全体の味を語る前に、まず魚介の具を増やさなければ話にならない、というほどの貧しさです。プチトマトを生のものではなく、「乾燥トマト」を使っていれば、味はぐんと違っていたのでしょうが、「ないものねだり」というふうでした。

もう一皿のパスタも良くありません。こちらも具のボッタルガの量が少ないのに加えて、素材がぱさぱさに乾ききっていて魚卵の風味が損なわれていました。ボッタルガに絡ませる素材も全く考慮していないのが明らかな不手際ぶりでした。

その店の料理人は恐らく、夏場の超多忙な時期だけに雇われる三流シェフなのだと感じました。素人に毛が生えただけの料理人を雇って、質よりも量を重視して一気に稼ぐ手法の経営体制の店に違いない。よくある話です。しかし、パスタの本場のイタリアでは、ファーストコースの麺料理をないがしろにする店が成功するのは至難の業です。

それでも繁盛しているように見えるのは、顧客層が普通とは違っていたからです。イタメシの本場の味としてはいかにも貧弱なその店の客は、ほとんどが外国人だったのです。特にドイツを中心とする北欧各国からのバカンス客が多いようでした。彼らは少々のイタメシの粗悪にはなかなか気がつかないといわれます。

その悪口はイタリア人を始めとする欧州の食通たちの言い草です。見方によっては不遜と取られても仕方のない彼らのそうした評価は、まさに思い上がりそのものである場合もありますが、真実を突いた見解であることも少なくありません。

繰り返しになりますが、その店の顧客は常連客やリピターではなく、その場限りの通りすがりの外国人がほとんどだったのです。料理の寡少にも拘わらずにレストランが繁盛している陰には従って、あるいは食通たちの批判通りの現実があるのかもしれません。

同時に筆者は、20年前のサルデーニャ海鮮料理体験も思い出していました。妻と子供2人を伴って、3週間にわたってキャンピングカーでサルデーニャ島を巡った折、筆者は島の魚料理の貧しさに閉口して自分で魚介を買っては調理した経験があります。

20年後の今、サルデーニャ島の魚介レシピは目覚ましい発展を見せていますが、根元では肉料理が主体の「島料理」のメンタリティーはあまり変わっていないため、魚介膳のそうした不備が時々顔を出すのかもしれない、と思ったりもしてみたのでした。

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北斎・広重に見る近代的自我あるいはその欠如

昨年、イタリア・ミラノで大きな北斎展が開かれました。ほぼ同じ催し物が間もなく、世界最古の大学がある学生の街ボローニャでも始まります。筆者はミラノに続いてボローニャの展覧会も観に行こうと待ち構えています。

ミラノでは1999年に大規模な北斎展が行われて以来、かなり頻繁に江戸浮世絵版画展が開かれています。そこでは浮世絵への理解と関心が高いのですが、ミラノの感興はイタリア全土のそれになりつつあります。

展覧会では葛飾北斎のほかに歌川(安藤)広重と喜多川歌麿の作品も展示されます。合計の展示数は200余り。3巨匠の作品がそれだけの規模で一堂に会する展覧会を見るのは、筆者にとって昨年のミラノが初めての体験でした。

展示作品は全て素晴らしいものでしたが、筆者はそこでは特に、北斎の風景画3シリーズ「富嶽三十六景」「諸国滝廻り」「諸国名橋奇覧」と、広重の「東海道五十三次」が並ぶように展示されているのをひどく面白く思いました。

北斎と広重をほぼ同時並行に鑑賞しながらあらためて感じたことがあります。それは広重をはるかに凌駕する北斎の力量です。北斎はドライで造形的、広重は叙情的で湿っぽい、とよく言われますが、北斎は精密とダイナミズムで広重に勝り、人物造形でも広重より現代的だと感じました。

作品群の圧倒的な美しさに酔いしれながら、人の顔の描写にも強く気を引かれました。北斎は遠くに見える小さな人物の顔の造作も丁寧に描いていますが、広重はほとんどそこには興味を抱いていません。そのために描き方も雑で、まるで子供が描く「へのへのもへじ」と同じレベルにさえ見えます。

多くの絵で確認できますが、特に人物が多数描かれているケースでそれは顕著です。例えば「嶋田・大井川」の川越人足の顔は、ほとんど全員が同じ造作で描かれています。子供の落書きじみた文字遊戯の顔のほうが、まだ個性的に見えるほどの、淡白な描き方なのです。

東海道五十三次は全て遠景、つまり”ヒキあるいはロング”の絵です。大写し又はクローズアップの絵は一枚もありません。そこでは人物は常に景観の一部として描かれます。これは当たり前のようですが、実は少しも当たり前ではありません。そこには日本的精神風土の真髄が塗り込まれています。

つまり、人間は大いなる自然の一部に過ぎない、という日本人にとってはごく当たり前のコンセプトが、当たり前に提示されているのです。そこでは、個性や自我というものは、自然の中に溶け込んで形がなくなる。あるいは形がなくなると考えられるほどに自然と一体になります。

その流れで個性や自我の発現機能であるヒトの表情は無意味になり、その結果が広重の人物の表情の「どうでもよい」感満載の表現だと思います。のっぺらぼうより少しましなだけの、「へのへのもへじ」程度の顔の造作を「とりあえず」描き付けたのが、広重の遠景の人物の表情なのです。

それらの顔の造作は「東海道五十三次画」全体の精密と緊張、考究され尽くされた構図、躍動感を捉えて描き付けた動きやタッチ、等々に比べると呆気ないほどに粗略で拙いものです。作品の隅々にまで用いられた精緻な技法は、人物の表情には適応されていないのです。

厳密な意味では北斎の表情の描き方も広重と大差はありません。が、北斎は恐らく画家としての高い力量からくる自恃と精密へのこだわりから、これを無視しないで表情を描き加えています。だがそれとて自我の反映としての表情、つまり感情の露出した顔としてではなく、単なる描画テクニック上の必要性から描き加えたもの、というふうに筆者には見えます。

従って、広重よりはましとはいうものの、北斎もやはり人物の顔の描写をそれほど重視してはいません。たとえば彼の漫画などの人物の表情の豊かさに比べると、たとえ遠景の人物の表情とはいえ、どう見ても驚くほどにシンプルです。表情の描写には、彼の作者としての熱意や思い入れ、といった精神性がほとんど見られないのです。筆者はそこに近代精神の要である“自我”の欠落のようなものを発見して、一人でちょっと面白がりました。

“私”という個人の自我意識によって世界を見、判断して、人生を切り開いていく、という現代人の我々にとって当然過ぎるほど当然の価値観は、西洋近代哲学の巨人デカルトが“我思う、故に我あり”というシンプルな命題に託して、それまでの支配観念であった「スコラ哲学」の縛りを破壊した“近代的自我”の確立によって初めて可能になりました。

スコラ哲学支配下の西洋社会では、「個人」と「個人の所属する集団と宗教」は『不可分のもの』であり、そこから独立した個人の存在はあり得ませんでした。デカルトが発見した“近代的自我”がそのくび木を外し、コペルニクス的転回ともいえる価値観の変化をもたらしたのです。自我の確立によって、西洋は中世的価値観から抜け出し、近代に足を踏み入れたのでした。

日本は明治維新以降の西洋文明習得に伴って、遅ればせながら「自我の意識」も学習し、封建社会の精神風土とムラ社会メンタリティーに執拗に悩まされながらも、どうにか西洋と同じ近代化の道を進んできました。欧米を手本にして進み始めて以降の精神世界の変化は、政治・経済はもとより国民の生活スタイルや行動様式など、あらゆる局面で日本と日本人を強く規定しています。

しかし、西洋が自らの身を削り、苦悶し、過去の亡霊や因習と戦い続けてようやく獲得した“近代的自我”と、それを易々と模倣した日本的自我の間には越えられない壁があります。模倣は所詮模倣に過ぎないのです。それは自我と密接に結びついている、「個人主義」という語にまつわる次の一点を考察するだけでも十分に証明ができるように思います。

「個人主義」という言葉は日本では利己主義とほぼ同じ意味であり、それをポジティブな文脈の中で使う場合には、たとえば『いい意味での個人主義』のように枕詞を添えて説明しなければなりません。その事実ひとつを見ても、日本的自我はデカルトの発見した西洋近代の自我とそっくり同じものではないことが分かります。デカルトの自我が確立した世界では、「個人主義」は徹頭徹尾ポジティブな概念です。「いい意味での~」などと枕詞を付ける必要はないのです。

自我の確立を遅らせている、あるいは自我を別物に作り変えている日本的な大きな要素の一つが、多様性の欠落です。「単一民族」という極く最近認識された歴史の虚妄に支配されている日本的メンタリティーの中では、他者と違う考えや行動様式を取ることは、21世紀の現在でさえ依然として難しく、人々は右へ倣えの行動様式を取ることが多くなります。

それは集団での活動をし易くし、集団での活動がし易い故に人々は常にそうした動きを好み、結果、画一的な社会がより先鋭化してさらなる画一化が進みます。そこでは「赤信号も皆で渡れば怖くなく」なり「ヘイトスピーチや行動もつるんで拡大」しやすくなります。その上に多様性が欠落している分それらの流れに待ったをかける力が弱く、社会の排外志向と不寛容性がさらに拡大するという悪循環になります。

多様性の欠落は「集団の力」を醸成しますが、力を得たその集団の暴走も誘発し、且つ、前述したように、まさに多様性の貧困故にそれを抑える反対勢力が発生し難く、暴走が暴走を呼ぶ事態に陥って一気に破滅にまで進みます。その典型例が太平洋戦争に突き進んだ日本の過去の姿です。

江戸時代の北斎や広重にはもちろん近代的な自我の確立はありませんでした。しかし、彼らは優れた芸術家でした。芸術家としての誇りや矜持や哲学や思想があったはずです。つまり芸術家の「独創を生み出す個性」です。それは近代的自我に酷似した個人の自由意識であり、冒険心であり、独立心であり、批判精神です。

しかし、社会通念から乖離した個性、あるいは“近代的自我”に似た自由な精神を謳歌していた彼らでさえ、自らの作品の人物に「個性」を付与する顔の造作には無頓着でした。筆者は日本を代表する2人の芸術家が提示した美の中に、“近代的自我”を夢見たことさえないかつての日本の天真爛漫の片鱗を垣間見て、くり返しため息をついたり面白がったりしたのでした。

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サルデーニャ島「4人のムーア人旗」の由来~島民の誇りと屈折

島旗=州旗=国旗

イタリア・サルデーニャ島には4人の黒人の横顔をあしらった独特の島旗があります。イタリア語で「Quattro mori(4人のムーア人)」と呼ばれるその旗を、島人は州旗と称し「国旗」とも表現します。

日本の四国よりも少し大きなサルデーニャ島は、付随する離島と共にイタリアの20州のうちの一つの州を形成しています。従って旗が州旗と呼ばれても何ら問題はありません。むしろそれが正しい呼称でしょう。

だがそれを「国旗」と呼ぶと、意図するコンセプトに深刻か否かの違いはあるかもしれませんが、発言した者は明確な動機に基づいてそれを口にしています。

つまりサルデーニャ島民が発言する場合はそれは、イタリア共和国からのサルデ-ニャ島の「独立」を意味する文脈で語られているのです。

島民の独立志向は島の苦難の歴史の中から自然発生的に出てきたもので、一時期は大きなうねりとなってイタリアを揺るがせたこともあります。が、現在は静まっています。しかしそれはサルデーニャ島民の心が静まったことを意味するものではありません。

島がたどってきた複雑な歴史や、当事者たちの複雑な心境、また島人の不満とイタリア本土人の無関心、など、などという世界では割とありふれた現象が、当事者中の当事者である島人の心を鋭く抉らずにはおかないのは、それが彼らのアイデンデンティティーの根幹に関わる重大事案だからです。

起源

スペインのアラゴン王国、イタリア半島のピエモンテに本拠を置く「大陸の」サルデーニャ王国、そして最後にサルデーニャ島自身のシンボル旗となった4人のムーア人の旗は、ひとことで言えば、キリスト教徒とイスラム教徒の血みどろの長い厳しい闘争によって生み出されたものです。

具体的に言えば、旗の意匠はスペインのアラゴン王国が1096年、侵略者のムーア人つまりアラブ・イスラム教徒を撃退し4人の将軍の首を落として戦勝を祝った、とする伝説に基づいています。それを示す古い絵柄では4人の顔が目隠しされています。捕らえた敗軍の将に目隠しをして首を切り落とすのは、洋の東西を問わず戦国の世の習いでした。日本の戦国時代でも敵の首を切り落として戦利品としました。

アラゴン王国軍は、アルコラスの乱と呼ばれるその大きな戦を、聖ゲオルギウス(英:聖ジョージ)の手助けで勝利した、と言い伝えられています。4人のムーア人の顔と共に聖ゲオルギウスの象徴である白地に赤い十字が旗に描かれているのはそれが理由です。

またムーア人の4つの顔は、アラゴン王国が4つ大きな戦争、即ちサラゴザ、ヴァレンシア、ムルシア、バレアリス諸島での戦いに勝利したことを表す、という説もあります。そこに十字軍のシンボル的な存在でもある前述の聖ゲオルギウスの伝説がからんだ、と主張するものです。

しかし最も多く語られるのは、前述のアラゴン王国がアルコラスの戦いに勝利した際、4人のムーア人将軍の首を切り落として祝ったとするものです。宿敵のイスラム教徒への怨みと怒りがこもったその説の方が信憑性が高い、と筆者も思います。

意匠の変遷

旗のデザインと成り立ちに関しては、伝説と史実が入り乱れた多数の説がほかにも存在します。史実の最も古い証拠としては、1281年に作られたとされる鉛製の封印があります。そこに描かれたムーア人は髭を蓄えていて且つ鉢巻をしていません。

14世紀にサルデーニャ島がアラゴン王国の支配下に入ると、4人のムーア人の絵柄はサルデーニャ島でも、あたかも島独自のもののように使われた始めました。そして1380年頃には4人のムーア人旗はアラゴン王国統治下の島の旗と認定され、サルデーニャ軍は1571年、鉢巻をした4人が右を向いている図柄を記章として採用しました。

以後、ムーア人の図柄は額に鉢巻をしたりしなかったり、頭に王冠が描かれたり、髭を蓄えていたりいなかったり、目隠しをされたり、顔が左に向いたり逆になったり、肌が白く描かれたり等々、様々に変化して伝えられました。アラゴン王国は最終的にオリジナルの絵柄を尊重して、頭に鉢巻を巻いたものが正しい、という触れを出したほどです。

島民の抵抗

1720年、サルデーニャ島はシチリア島との交換でアラゴン王国からサヴォイア公国に譲り渡されました。以後サヴォイア公国は、国名を「サルデーニャ王国」と改名して島を支配しますが、王国の本拠はフランスの一部とイタリア本土のピエモンテが合体した「大陸」でした。王国の首都もそれまでと変わらずピエモンテのトリノに置かれました。そして1800年、4人のムーア人の鉢巻が目隠し姿に変わった図柄の旗が出回るようになります。

これはイタリア本土を本拠地にしていたサヴォイア家が、サルデーニャ島を獲得したことをきっかけに前述のように自らの公国をサルデーニャ王国と称し、支配地の島に圧政を行ったことに対する島民の抵抗の現れだとされています。目隠しの絵は、鉢巻姿だった古い旗の図柄をわざと間違えて伝え残したもの、とも言われています。

さらに旗の原型はアラゴン王国にあるとはいえ、4人のムーア人旗はアラゴン統治以前のサルデーニャ島の歴史を物語るとされる説もあります。その当時サルデーニャ島には ガルーラ、ログドーロ(トーレス)、アルボレア、カリアリという4つの小さな独立国があり、それぞれがイスラム教徒の侵略から頑張って島を守ったとされます。4人のムーア人はその4国を表すというのです。

しかしその主張は、島人たちの希望的憶測あるいは願望に過ぎないと筆者は思います。彼らには侵略者のイスラム教徒を撃破する軍事力はありませんでした。8世紀からイベリア半島を蹂躙し支配したイスラム教徒は、破竹の勢いで地中海の島々も配下に収めていきました。サルデーニャ島の住民は、他の被征服地の住民同様に、 欧州のキリスト教勢力がイスラム教徒を撃破するまで身を縮めるようにして生き延びた、というのが歴史の真相です。

サヴォイア家支配下の1800年頃から島に多く出回るようになった4人のムーア人の目隠しの図柄は、その後も広がり続け、サヴィオア家の支配が終わり、やがて2つの大戦を経て、イタリアが近代化し成熟社会を迎えた20世紀終盤まで続くことになります。

第2次大戦後の1950年、目隠し姿の4人のムーア人旗は、サルデーニャ州(島)の正式フラッグとして認定されました。そこでは4人の顔は目隠しをしたままでした。そして1999年、4人の顔は目隠しではなく額に鉢巻をし且つ旗竿を左に右向きの横顔であること、とこれまた正式に改訂されました。

屈折

何世紀にも渡って物議をかもし続けたムーア人旗の絵柄やコンセプトの変遷を見るにつけ、筆者は大きな感慨を覚えずにはいられません。すなわち、サルデーニャ島民がかつての支配者のエンブレムを自らのそれと認識し、且つ絵柄の中心である4人のムーア人を、あたかも自らの肖像でもあるかのように見做している点が気持ちに引っかかるのです。

そこには2重の心理のごまかしがあります。一つはアラゴン家及びサヴォイア家の紋章を引き継ぐことで、自らも支配者になったような気分を味わっていること。また戦いに負けて首を落とされて以降は、いわば「被害者」である4人のムーア人にも自らを重ね合わせて英雄視している点です。

彼らは支配者であると同時に支配される者、つまり被抑圧者でもあると主張しているようにも見えます。もしもその見方が正しいならば筆者は、前者にサルデーニャ島民の事大主義を、また後者に同じ島民の偽善を感じないではいられません。筆者の目にはそれは、抑圧され続けた民衆が往々にして見せる悲しい性であり、宿命でさえあり、歴史が悪意と共に用意する過酷な陥穽、というふうに見えなくもないのです。

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インスタントラーメンから見える中国の国力

かつては日本製品の猿まねをしただけの、臭くてまずくて多分不健康な中国製ラーメンは、今や日本のそれと見分けがつないほど品質が向上した製品も出ています。

日本製ラーメンのクォリティーをしのぐものもやがて出てくるに違いありません。それとももう出ているのかもしれないが、今日現在は筆者はまだ知りません。

日本に帰国する度に、大量の本とインスタントラーメンを買い込んでイタリアに戻るのが、長い間の筆者の習いです。

本は自分のため。ラーメンは家族と自分のため。息子2人もイタリア人の妻も日本製のインスタントラ-メンが好きです。イタリア人友人らに贈ることもあります。

毎回100食以上を持ち込みますが、けっこう早く食べ切ってしまいます。そういうときに中国で生産されてアメリカ経由でイタリアに入る(らしい)日本製品を買うことも過去にはありました。

どういう仕組みなのか、味噌ラーメンなどの日本オリジナルのものも中国製という触れ込みで出回っていました。ところがこれがほとんど偽物といってもよい品で臭いがきついものでした。

ラーメンを固める油が劣悪であるのが原因らしいのです。しかし乾燥具材や粉末スープは日本で買うものと何も変わりませんでした。。

そこで 揚げ麺だけを別に茹でて水を捨てる方法で臭いを消し、別の鍋で乾燥具材と粉末スープと共に再び調理をする、という迂遠な方法をとりました。それでも臭いがかすかに残りました。

そういう製品は最近は見かけません。その代わり、と言って良いかどうかわかりませんが、中国製や韓国製のインスタントラーメンがアジア食品店などを席巻しています。

最近、日本原産でたぶんライセンス生産をしている「出前一丁」を食べる機会がありました。麺の臭みはほとんど無く、日本製とは風味が違うが、それほど気にならない味がしました。

「出前一丁」は早くから香港や台湾でも大人気になったブランドですが、初めの頃はやっぱり麺の臭みがあった、という話を聞きました。

その体験を踏まえて、完全に中国製(生産)の即席ラーメンを買っておそるおそる食べてみました。こちらも臭みに関する限り日本製品とほとんど遜色のないクォリティでした。味への好悪はむろん別ですが。

ラーメンの品柄の向上は、そのまま中国の経済成長と裕福を反映している、とつくづく思います。貧しい中国国民が豊かになって、ラーメンの味にうるさくなったから麺の臭みがなくなったのです。

当然過ぎるほど当然の成り行きですが、少し前までの中国産物資のお粗末を見ている筆者の目には、まぶしいほどの変化に見えます。

イタリアの市場を席巻していた日本製の家電製品などが、韓国製や中国製に取って代わられてまだ日は浅いのですが、その状況はますます広がっています。

もしかするとインスタントラーメンもそんな運命にあるのかもしれません。もしそうなれば筆者はむしろうれしい。

なぜならそうなった暁には、わざわざ日本まで帰らなくてもイタリアのこの場で日本製と同じおいしいラーメンが手に入る、ということなのですから。。。

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デス・マス調とダ・デアル調のデスマッチ

日本語の敬体と常体、つまり「です。ます。」調と、「だ。である。」調の間にある齟齬についていつも考えています。

筆者はこのサイトでは「です。ます。」調の敬体で記事を書いていますが、実は自分が管理する個人ブログの記事は「だ。である。」調の常体で書いています。自分のこともここで使う「筆者」ではなく「僕」と表現しています。

ここで敬体を用いる理由は、このサイトがいわば公のブログという体裁を取っているので、不特定多数の読者の皆さんに敬意を表して、というつもりでその形を採用しました。

この記事でも同じ手法を用いますが、あるいは途中で「だ。である。」調に変換するかもしれません。そのことも含めた文体の是非について試行するのがこの記事の趣旨です。

書くという行為には、言うまでもなく自分を表現するという意味がありますが、自分を表現するには事前に考えをまとめておく必要があります。それでないと文章の意図が読み手にうまく伝わりません。

ところが同時に書く行為には、矛盾するようですが、「考えをまとめる」、という効能もあります。それは自己表現に勝るとも劣らない「書くことの喜び」の一つです。

しかしここでは喜びのためではなく、あくまでも考えをまとめる目的で先ずは書いてみることにしました。いわば推敲を表沙汰にすることなので、読みづらさや見苦しさがあるかもしれません。

常体と敬体の間にある齟齬は、筆者の感覚では“本音”と“建前”の間にある「落ち着かない感じ」と良く似ています。

両文体ともに書いている内容は同じですが、語尾を常体で締める代わりに敬体で締めると、「だ。である。」の場合よりも一歩後ろに引く感じがします。

常体は世界中にある恐らく全ての言語と同じ意味合いを帯びた文体です。いわば世界基準の表現方式。少なくとも筆者が多少は知っている英語とイタリア語に於いてはそうです。

実は 「だ。である。」調の常体が筆者の本分です。あるいは本分であるように感じます。しっくり来るのです。

「です。ます。」調の敬体はていねいである分、たとえば自分が強く主張したいことなどをオブラートに包んで、少しだけ角を取って丸くする感じがします。

「本音の主張が、突然そこで建前になる」というのは、少し誇張が過ぎるかもしれませんが、そうなりかねないような不安を呼び起こします。

ならば、「です。ます。」調はしっくり来ないのかと言いますとと、これがそうとばかりも断定できないのですから、ますます不思議です。

敬体を採用する時の自分の心が一歩うしろに引く感じ、建前になるような感じ、主張をオブラートに包むような感じ等々は、どちらかと言うと全てネガティブな作用です。

「自らの主張がオブラートに包まれて丸くなる感じ」などは特に、読み手の反応を恐れて弱腰になったり、あらかじめ逃げを打っていたりするようで男らしくない。

男らしくないという表現が滑稽なら、潔(いさぎよ)くない、と言い換えましょう。それでも、なおかつ収まりがつかず、卑怯な印象さえあるのです。その点は気に入りません。しかし、その文体には明らかな利点も存在します。

「です。ます。」調は敬体と規定されていることからも分かるように、また実際に言葉の響からも知覚できるように、読み手を敬うていねいな表現です。

そこには日本語独特の自然な優しさと同時に、自らの主張を是としない読み手もいるであろうことを予想して、その存在を認め、反対論者も是とする、とでもいうような至って寛容で闊達な心意気も隠されているようです。

つまり、断定し決めつけるのではなく、主張を公けに展開してそれに対する議論を待つ、という風なへりくだった態度、謙遜、思い上がりの無さ、慎み深さなどに通じる、ポジティブな様相を隠し秘めているのが「です。ます。」調の敬体なのではないか、と思うのです。

という訳で、筆者は常体と敬体の間でいつもゆれ動いています。実はこの記事を書いておいて、「次回からは常体で書く」と宣言するつもりでしたが、文章がうまくそこに流れませんでした。

今後は、あるいは混乱に見えたり不謹慎に見えたりするかもしれませんが、とらわれずに気の向くまま、常体で書いたり敬体で書いたりしてみようと思います。

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米朝首脳会談の茶番劇が犯した罪の大きさ

どんなに中身のない首脳会談になろうとも、二人は会わないよりは会った方が良い、とそれまで僕は思っていました。6月12日にシンガポールで行われたドナルド・トランプ大統領と金正恩委員長の首脳会談後に、トランプ大統領が発表した、共同声明の内容を聞くまでは。発表された共同声明の内容を詳しく知って、僕は膝から崩れ落ちそうになりました。これでは首脳会談をキャンセルした方がはるかにマシだったではないか!

朝鮮半島の非核化の実現は、大きく後退しました。肝心の北朝鮮が核兵器を廃棄するプロセスや時期、IAEAの査察など、北朝鮮に約束を守らせるために必要な、具体的な手順が何一つ決められていなかったからです。大切なのは北朝鮮に「核兵器廃絶するという約束」を取り付けることではありません。「約束」ならこれまでにも何回も北朝鮮は署名しています。「約束」しておきながら、それを守らない状態が長年続いているわけです。今回期待されたのは、「約束」をすることではなく、約束を「守らせる」こと、すなわち「具体的に実行させる」ことだったのですが、それが何一つ書かれていません。無意味を通り越して、後退させたと言うべきです。

「約束」なら、今年4月に南北首脳会談で発表された、板門店宣言を思い浮かべる人も多いでしょう。宣言では「朝鮮半島の完全非核化を目指す」とされています。それよりも国際的にこれまではどういう状態だったのか。米朝両国に日韓中ロの4か国を加えた6か国協議では、既に2005年9月に共同声明が発表されていて、北朝鮮がすべての核兵器と既存の核計画を放棄するとともに、NPT=核拡散防止条約に早期に復帰してIAEA=国際原子力機関の査察を受け入れることなど、具体的な措置が明記されています。2007年2月には6か国協議で、北朝鮮が60日以内にニョンビョン(寧辺)の再処理施設を含む核施設を停止し、これを確認するためのIAEAの査察官の活動を認める宣言がなされています。

核兵器廃絶の約束? そんなもん、何度でもサインしてやるよ。

ここまで具体的な「約束」を取り付けておきながら、北朝鮮は核実験を繰り返し、長距離弾道ミサイルの開発を続けてきました。すなわち約束など守る気は毛頭無かったのが北朝鮮です。それ故に経済制裁など国際社会から圧力を受けていたのです。ここに来て求められていたのは、アメリカ合衆国のポンペオ国務長官が絶対条件としていたとおり、「CVID=完全検証可能かつ不可逆的な非核化」であり、トランプ氏はその実現に向けた工程表を作成して金正恩氏と合意し、これを守らなかった場合の罰則規定まで盛り込むことだったはずです。しかしトランプ氏は従来通り、単に「核を廃絶するという約束」を繰り返しただけであり、その具体性のなさは過去の6カ国協議よりも大きくステップバックしてしまいました。

おまけに金正恩氏に対しては、現在の政治体制の維持を確約してしまいました。兄を暗殺し、側近を粛正し、国民には自由と人権を認めない、とんでもない北朝鮮の金正恩政権のやり方を、アメリカ合衆国が「是」と認めてしまったのです。かつてのアメリカ合衆国は、国際社会の中で、「自由と基本的人権を尊重する民主主義」を追求するリーダー役を務めてきました。天安門事件などで自国民の言論を弾圧し、少数民族を支配する中国に対しても、「人権上の問題がある」として警笛を鳴らしてきました。時にはお節介とも思えるほどの、このアメリカ流の正義感の押しつけについては、僕は個人的には好感を持ち、敬意さえ感じていました。

トランプ政権になって以来、この「自由、博愛、平等」といった人権尊重の倫理観を世界に広めるリーダーシップに、アメリカ合衆国はまるでこだわらなくなりました。ビジネスさえできる相手なら、どんな倫理観を持ったどんな政治体制の国であっても、平気で付き合う、金銭だけを重視する価値観の国に成り果ててしまったかのようです。僕がかつて好きだったハリウッド映画、アメリカの音楽、米文学。それらに込められた自由と人権を訴えるメッセージが、今のアメリカからは失われてしまったのでしょうか。今回のトランプ氏による、北朝鮮に対する体制維持の保証は、その意味でも僕をガッカリさせるものでした。

北朝鮮が完全な非核化を果たすには、最低でも2年とか10年かかると言われています。非核化に必要なお金も、戦後補償と言われる1兆円どころではすまないでしょう。なんと220兆円とも言われています。その費用を誰が負担するのか。それについてもトランプ氏は明言しています。

「日本と韓国が費用を負担することになるだろう」

え?我々の納税した税金が、注ぎ込まれるのか? 日本国民としては、今回の米朝首脳会談を、歴史的快挙などと持ち上げている場合ではありません。北朝鮮としては喉から手が出るほどほしい日本からの莫大な経済援助。これについては拉致被害者の解放に向けた努力と引き換えに、日本が経済援助をするという約束を、小泉純一郎氏が首相だった時に平壌を訪れてやらかしてしまっています。太平洋戦争の戦後補償という名目ですが、実質的には日本人の拉致被害者を解放する、身代金ではないかと考えられます。それに加えて、核兵器廃絶に必要な費用、という名目まで北朝鮮に与えてしまったのです。

かつての経済大国だった頃の日本ならいざ知らず、今の財政難にあえぐ日本から、まだ経済援助をしなくてはならないのかと、憂鬱な気持ちになります。トランプ大統領自身は、11月に行われる中間選挙に向けて、支持率アップを図る派手なパフォーマンスのつもりでご機嫌でしょうが、この軽はずみな行動が東アジアの安全保障に与えた悪影響は、計り知れないものがあります。

おまけに8月に行われる予定だった米韓合同軍事演習も中止するという、金正恩氏にとって笑いが止まらないサービスまでプレゼントしました。定期的な米韓の共同軍事演習は、朝鮮半島の安全保障において欠かせない、日米韓サイドの実戦配備の要です。国際安全保障は、微妙なミリタリーバランスの上に、拮抗して成り立つものです。米韓軍の「Fight Tonight」の実力は高く、中国、ロシアに対しても一定の脅威を与える役割がありました。それをポッカリ開けるということは、開けられた穴を防ぐために、何らかの軍事力増強が必要になります。それは在日米軍かも知れないし、自衛隊かも知れません。予算は当然のごとく日本に求められるでしょう。

トランプ大統領にとって、在日在韓米軍の駐留経費は、もともと削減したくて仕方がなかったのです。ですから今回は渡りに船とばかりに、合同演習の中止を決断したのでしょう。大局的な東アジアの軍事バランスというものが、まったく彼には見えていないように思えます。笑いが止まらないのは金正恩氏だけではなく、中国の習近平国家主席もにんまりしていると思われます。南沙諸島での軍事基地建設が、このまま進むことが、認められたも同然だからです。これによって中国は東南アジアにおける制海権を得ることができます。

ギブアンドテイクではなく、ギブアンドギブ。アメリカ側が北朝鮮の要求を丸呑みし、一方的に金正恩氏の勝利に終わった米朝首脳会談は、たしかに歴史に名を残すかも知れませんが、トランプ氏の罪深い大失態として名を残すでしょう。そして日本にとっては将来にわたって莫大な財政支出を求められる、危機的状況を作り出したのだと言えるでしょう。

今後開かれるであろう日朝首脳会談で、拉致被害者を無償で返還させることができるかどうか。アメリカに言われたからといって、ふざけた経済援助を引き受けることなく、毅然とした態度で交渉に臨めるかどうか。そして核廃絶への確実な履行能力を担保できるかどうか、これからの安倍政権の手腕に注目していきたいと思います。

花火のように炸裂し消滅したイタリア新首相の学歴詐称問題と日本人

イタリアの2大ポピュリスト政党である五つ星運動と同盟の連立政権が発足し、五つ星運動に近い大学教授のジュゼッペ・コンテ氏が第65代イタリア首相に就任しました。政治経験が一切ないコンテ氏の首相就任までには紆余曲折がありました。

議会第1党の五つ星運動と第2党の同盟が、長い連立政権協議を経てコンテ氏を首相候補としてマタレッラ大統領に推薦したのは5月21日。その6日後にコンテ氏は憲法の規定に則って閣僚名簿をマタレッラ大統領に提出しました。

ところが、閣僚認否権を持つマタレッラ大統領は、財務相候補者が反ユーロ、反EU主義者であることを理由にこれを否認。その瞬間にコンテ内閣の成立が不可能になりました。しかし、五つ星運動と同盟はあきらめずに別の財務相候補を立てて大統領に打診。マタレッラ大統領は新財務相候補を受け入れて、マタレッラ氏に再び組閣要請を出しようやくコンテ内閣の誕生となりました。

実は五つ星運動と同盟がコンテ氏を首相候補としてマタレッラ大統領に推薦した直後にも、コンテ内閣が不成立になっても不思議ではない「事件」がありました。コンテ首相候補が学歴を詐称しているという疑惑が飛び出して、イタリア中が騒然となったのです。

学歴詐称の真相

コンテ首相候補の学歴詐称疑惑は、彼が政治的に全く無名の存在だったことも手伝ってメディアの興味を掻き立て、マタレッラ大統領が「連立合意をした2政党の推薦に基づいてコンテ氏を首班に指名する」というシナリオも即座に白紙に戻った、と誰もが考えたほどの騒ぎに発展しました。

しかしマタレッラ大統領は、マスコミの騒ぎに便乗することはなく、コンテ首相候補と面会して長い会談を持ちました。その上で彼に予定通り組閣要請を出したのです。そうやって学歴詐称問題はメディアが騒ぐほどの案件ではない、との大統領の判断が下される形で自然消滅しました。

大統領は実際にコンテ氏の学歴について本人に質し、それに嘘があるという一部マスコミの主張の方こそ嘘だ、とは言わないまでも大げさすぎると判定したのでしょう。コンテ首相の学歴詐称問題は、コンテ氏が短期に学んだというニューヨーク大学の記録にその記述がない、という報道から火が点いて一気に燃え上がりました。

コンテ氏の学歴にはニューヨーク大学のほかに英ケンブリッジ大学、仏ソルボンヌ大学、米イェール大学でそれぞれ短期に学び、オーストリアやマルタの大学での短期受講なども含まれています。結局それらは、勉強熱心だった若かりし頃のコンテ首相が、休暇や空き時間を利用してせっせと世界中の大学に通い、交流し、体験を積み重ねた過去を書き連ねたものだったのです。

陰謀説

ニューヨーク大学の反応の速さと、直後の騒ぎの広がり方の激しさに驚いた人々は当初、五つ星運動と同盟の連立政権構想に恐怖感を抱く「体制」側の陰謀ではないか、との疑問も呈していました。そこでいう体制側とは、まず誰もが思い浮かべるのがベルルスコーニ元首相とその周辺です。

元首相は五つ星運動とほとんど「陰惨な」と形容してもいいような政治衝突を続けています。そこに朋友だった同盟が五つ星運動と連立を組み、元首相と同盟党首のサルヴィーニ氏との間にも齟齬が生まれ始めました。元首相はいま「恨み骨髄に徹する」心境であろうことは容易に推察できます。

また元首相は、彼に科されていた公職追放処分をミラノ地裁が破棄したことを受けて、選挙に立候補し再び首相職を目指すこともあり得る、と公言しています。元首相は、2013年に脱税容疑で有罪判決を受け、議員資格を剥奪されました。同時に6年間の公職追放処分も科されました。ところがミラノ地裁は、彼の行動が模範的であるとして先日、刑期を前倒しして免責処分としたのです。

それに気を良くしたベルルスコーニ元首相は、五つ星運動と同盟が共に推薦する首相候補が誰になるのか判明しなかった時期には「我こそ首相にふさわしい」と臆面もなく発言したほどです。

そんな元首相が、自らが所有するメディア王国の情報収集力を縦横に使って、「どこの馬の骨ともしれない」コンテ氏の首相昇格を阻むために動いた、と想像するのは荒唐無稽とは言えません。

もっともその意味では、五つ星運動および同盟と犬猿の仲にあるレンツィ元首相と、彼が支配する民主党主流派にも、同じ嫌疑がかかって然るべきです。選挙で大敗を喫した前政権与党の民主党は、これまた「恨み骨髄に徹する」気持ちを新政権にぶつけて憂さばらしをしようと躍起になっていますから。

元妻の証言

突然脚光を浴びたジュゼッペ・コンテ氏は、人柄の良い生真面目な人物であるらしいことが分かりました。風貌にもそれが現れているように思いますが、筆者は一つのエピソードを知ってさらにその感を強くしました。

コンテ氏は10歳の男児の父親ですが妻とは離婚しています。その別れた妻、ヴァレンティーナさんが次のように発言したのです。
私の元夫に対する誹謗中傷は馬鹿げている。ジュセッペはすばらしいイタリア首相になるでしょう。彼の履歴には嘘はありませんと。

離婚は世の中のありふれた不運です。しかし別れた相手を尊敬し、また尊敬される関係でいるのは、決して「ありふれた」ことではありません。筆者はコンテ氏の元妻の発言に、彼の人柄の良さがにじみ出ていると感じて、少し心が温かくなったような気がしたほどでした。

日本人vsイタリア人

コンテ氏の学歴詐称は、世界中の各大学での短期の受講や研究や交流などをこれでもかと、とばかりに書き連ねたことにあります。休暇などを利用して授業に出る外部の学生の記録が、大学に残らないことは珍しくありません。ニューヨーク大学の受講生記録にコンテ首相の名がなかったのは、そういういきさつなのでしょう。

それにしても、有能な弁護士であり大学教授でもあるコンテ氏は、多くの「どうでもよい」学歴など無視して「フィレンツェ大学法学部卒業」と記せば済むことでした。実をいえば学歴や履歴を必要以上にごちゃごちゃ書き込んだり、時には誇張とさえ見られかねない書き方をするのはイタリア人の特徴なのです。

そして実は、これが一番言いたいことなのですが、日本人も同じ性癖を持っている、と諸外国では見なされているのです。欧米の大学などでは、イタリアと日本からの留学生が携えてくる彼らの大学や担当教授の推薦文はよく似ている、という評価があります。どちらも言わずもがなのことを多く記載しているというのです。

学生に対する大学の推薦文は、普通は卒業証明と成績を簡潔に述べるだけですが、イタリアと日本からの推薦文は卒業証明と成績に加えて、身体頑健で活動的で明るいとか、外交的で思いやりがあり協調的などなど、「余計なこと」を書き連ねたものが多い、とされます。

イタリア人はほめまくることが好きな国民です。人々は顔を合わせるとお互いに相手の様子を持ち上げ、装いの趣味の良さに言及し、これでもかとばかりに相手の美点を探し出して賞賛し合います。それが対人関係の全般にわたって見られるイタリア人の基本的な態度です。

ほめ殺しとさえ言いたくなるポジティブ志向の人間関係の流れの延長で、大学や大学の恩師は学生をほめあげる推薦文を書き、一般的な履歴書や学歴紹介書でも、人々はこまごまと「自らと他人をほめる」 言葉を連ねます。コンテ氏の学歴紹介もそうした習わしの一環なのでしょう。

さて、ほめたり自慢することよりも、謙遜や慎み や韜晦が好きな日本人は、そうした態度が世界ではあまり理解されないことを知って、「外国向け」の履歴書や推薦文などを書くときに「正直」を期そうと懸命に意識します。

意識し過ぎるあまり、日本人は常軌を逸して思わず余計なことまで記載するのではないか、と思います。そうやっていわば明と暗、動と静、顕示と韜晦、のように違うイタリア人と日本人の文章が似たものになるのです。

実体験

実は筆者はそのことを身をもって体験したことがあります。筆者は日本で大学を卒業した直後に、映画を学ぶ目的で英国に留学しました。ロンドンの映画学校に入学しようとするとき、筆者も東京の大学の卒業証明書と恩師の手書きの推薦書を持っていたのです。

映画制作の実践を教えるその学校は、入学の条件として学生が大学卒業資格を持っているか、または2年以上の映画実作の助監督経験があること、としていました。その上でオリジナルの英文のシナリオを提出させて考査するのでした。

筆者の恩師の推薦文には、まさしく日本人の性癖・慣習が顕著にあらわれていて「彼(筆者)は成績優秀で、健康で社交的でかつ協調性も強く云々」という趣旨のことがえんえんと書かれていました。

筆者は全く優秀な生徒ではなかったので、「成績優秀で」のくだりはあからさまな嘘と言っても構いません。しかし、それに続く健康で社交的で云々、という記述は、ま、あたらずとも遠からずというところだったろうと思います。

そうした感傷的な推薦文は、何度も言うように日本人とイタリア人に特徴的なものなのですが、筆者はそのときはそれが当たり前だと考えて何の感慨も抱きませんでした。それがちょっと普通ではない推薦文だと知ったのは、何年か後にアメリカでドキュメンタリー制作の仕事しているときでした。ある大学関係者が笑いながらそういう事情を話してくれたのです。

あれからずいぶん時間が経って今の状況は分かりません。分かりませんが、ある意味でメンタリティーが水と油ほども違う日本人とイタリア人の、外国向けの履歴書や推薦文が良く似ているのはとても面白いことだと考えています。

極論者は皆似ている

それぞれの国内向けの履歴書や推薦文は、イタリアと日本では違う部分もきっとあることでしょう。いずれにしても双方共にあまり合理的ではなく、どちらかといえばやはり情に訴えたい気持ちがあらわな、感傷的で大げさなものである場合が多いのではないか、と思うのです。

履歴書や推薦文の世界でイタリアと日本が似ているのは、あるいは例えが突然かもしれませんが、本来は違う道を行くはずの左翼と右翼が、過激に走って「極左」と「極右」になったとたんに瓜二つになる、ということにも似ています。

嘘ではないものの、本来は書くべきではない些細な勉学の体験をいちいち書き連ねたために、まるで世界のトップ大学を幾つも卒業したのでもあるかのような印象を与えてしまった、コンテ・イタリア新首相の学歴詐称物語には、意外にも日伊共通の顔が隠されていると気づいて筆者は少し愉快になったのでした。

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なかそね則のイタリア通信