「怪物」より怪物的に面白い「アバウト・シュミット」

映画「怪物」の退屈にうんざりした直後、イタリアへと飛ぶ飛行機の中で、たまたまジャック・ニコルソン主演の米映画「アバウト・シュミット」を観ました。

面白く心を揺さぶられる内容でした。映画の良さを再確認しました。そこで先日批判した「怪物」との決定的な違いについて書いておくことにしました。

ジャック・ニコルソン演じるウォーレン・シュミットは、一流保険会社からの定年退職をきっかけに自身の人生を見つめなおす環境に置かれます。

妻のヘレンと2人で悠々自適の生活のはずが、仕事のない日常は退屈で不満だらけ。ストレスがたまっていきます。

わずかな救いは、アフリカの貧しい子供を救うプロジェクトに参加してささやかな寄付をし、手紙を通して6歳の男の子の養父となっていることでした。

そんな中、妻が突然亡くなり、遠くに住む一人娘とはたまにしか会えません。ひとりで悶々と暮らすうちに、死んだ妻が親友と浮気していたことを知り彼の心はすさみます。

彼は妻と2人で行くはずだったキャンピングカーを運転して、ひとりで自分探しの旅に出ます。孤独と挫折を経験しながら、シュミットは次第に人生の意味を学んでいきます。

最後には、自身が養父になっているアフリカの少年とのつながりも、美しい人生のひと駒であることを悟って、はらはらと涙をこぼす、という展開です。

「アバウト・シュミット」は、派手なアクションや麻薬や陰謀や殺人や戦闘シーン等々の活劇が無いヒューマンドラマです。その意味では「怪物」の系譜の映画です。

「アバウト・シュミット」が「怪物」と決定的に違うのは、出だしは少したるい展開だが、時間経過と共にストーリーが俄然面白くなる点です。

「怪物」は逆に始まりが興味深く、時間経過と共に話は重くわかりづらくなります。思い入れたっぷりの展開がうっとうしい。

「アバウト・シュミット」では、観る者は観劇の途中で余計なことは何も考えずにストーリーに引き込まれて行きます。そして笑い、ホロりとさせられ、感動する。

あげくには「観劇後に」いろいろと考えさせられます。優れた映画の典型的な作用です。

片や「怪物」では、観客はストーリーを追いかけるのに苦労し理解しようと考え続け、ついには「映画館で」疲れ果ててしまいます。

つまらない映画を観る観客がたどる典型的な道筋です。

実を言えば筆者は「アバウト・シュミット」という映画の存在を知りませんでした。

日本からイタリアまでの長いフライトに疲れてビデオ画面をいじくるうちに、ジャック・ニコルソンらしい画面が目に入りました。

筆者はジャック・ニコルソンのファンです。「アバウト・シュミット」が21年も前の作品だとは気づかず、俳優が今も若いことをかすかに喜びながらストーリーに引き込まれて行きました。

映画が2002年の制作で、ジャック・ニコルソンが先日死去したイタリアのベルルスコーニ元首相とほぼ同じ年齢の86歳と知ったのは、イタリアに戻ってネット検索をした時です。

筆者は名優のファンですが彼の年齢には無頓着でした。もはや86歳と知って少し寂しくなりました。

同時に21年の歳月を経ても色あせない「アバウト・シュミット」の名画振りを思い、改めて感慨に浸りました。





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ベルルスコーニの置き土産

2023年6月12日、人生と政治生命の黄昏に立たされても鈍い光沢を放ち、不死身にさえ見えたベルルスコーニ元イタリア首相が死去しました。

脱税、少女買春、利害衝突とそれを否定する法改悪、数々の人種・女性・宗教差別発言、外交失言、下卑たジョークの連発、などなど、彼は彼を支持する無知な大衆が喜ぶ言動と、逆に彼を嫌悪する左派インテリがいよいよ激昂する、物言いや行動を無意識にまた多くの場合はわざと繰り返しました。

そのために彼の周りでは騒ぎが大きくなり、ポピュリストしての彼の面目が躍動するというふうになりました。

ベルルスコーニ元首相は道化師のように振舞いましたが、常にカリスマ性を伴っていました。彼は一代で富を築いた自分を国民の保護者として喧伝し、国家の縛りに対抗して誰もが自分のように豊かになれる、と言い続けました。

彼はまたポリティカルコレクトネス(政治的正義主義)とエリートと徴税官と共産主義を嫌う大衆の心を知り尽くしていて、自分こそそれらの悪から国民を守る男だ、と彼の支配するメディアを通して繰り返し主張しました。

それからほぼ30年後にはアメリカに彼とそっくりの男が現れました。 それがドナルド・トランプ第45代米大統領です。

彼と前後して出たブラジルのボルソナロ前大統領、トルコのエルドアン大統領、ハンガリーのオルバン首相、果てはBrexitを推進した英国右翼勢力までもがベルルスコーニ元首相のポピュリズムを後追いしました。

美徳は模倣されにくいが、不徳はすぐに模倣される現実世界のあり方そのままです。悪貨は良貨を駆逐するのです。

ちなみにそれらのポピュリストとは毛並みが違うものの、ベルルスコーニ元首相の負の遺産と親和的という意味で、安倍元首相やプーチン大統領などもベルルスコーニ氏のポピュリズムの影響下で蠢く存在です。

世界のポピュリストに影響を与えたベルルスコーニ元首相は同時に、それらの政治家とはまったく異なる顔も持ちます。それが彼の徹頭徹尾の明朗です。

トランプ前大統領との比較で見てみます。

ベルルスコーニ元首相は、トランプ前大統領のように剥き出しで、露骨で無残な人種偏見や、宗教差別やイスラムフォビア(嫌悪)や移民排斥、また女性やマイノリティー蔑視の思想を執拗に開陳したりすることはありませんでした。或いはひたすら人々の憎悪を煽り不寛容を助長する声高なヘイト言論も決してやりませんでした。

言うまでもなく彼には、オバマ大統領を日焼けしている、と評した愚劣で鈍感で粗悪なジョークや、数々の失言や放言も多い。前述のようにたくさんの差別発言もしています。また元首相は日本を含む世界の国々で-欧州の国々では特に-強く批判され嫌悪される存在でもありました。

筆者はそのことをよく承知しています。それでいながら筆者は、彼がトランプ米前大統領に比べると良心的であり、知的(!)でさえあり、背中に歴史の重みが張り付いているのが見える存在、つまり「トランプ主義のあまりの露骨を潔しとはしない欧州人」の一人、であったことを微塵も疑いませ。

言葉をさらに押し進めて表現を探れば、ベルルスコーニ元首相にはいわば欧州の“慎み”とも呼ぶべき抑制的な行動原理が備わっていた、と筆者には見えます。再び言いますが彼のバカげたジョークは、人種差別や宗教偏見や女性蔑視やデリカシーの欠落などの負の要素に満ち満ちています。

だが、そこには本物の憎しみはなく、いわば子供っぽい無知や無神経に基づく放言、といった類の他愛のないものであるように筆者は感じます。誤解を恐れずに敢えて言い替えれば、それらは実に「イタリア人的」な放言や失言なのです。

あるいはイタリア人的な「悪ノリし過ぎ」から来る発言といっても構いません。元首相は基本的にはコミュニケーション能力に優れた楽しい面白い人でした。彼は自分のその能力を知っていて、時々調子に乗ってトンデモ発言や問題発言に走る。しかしそれらは深刻な根を持たない、いわば子供メンタリティーからほとばしる軽はずみな言葉の数々です。

いつまでたってもマンマ(おっかさん)に見守られ、抱かれていたいイタリア野郎、つまり「コドモ大人」の一人である「シルビオ(元首相の名前)ちゃん」ならではの、おバカ発言だったのです。

トランプ前大統領にはベルルスコーニ元首相にあるそうした無邪気や抑制がまるで無く、憎しみや差別や不寛容が直截に、容赦なく、剥き出しのまま体から飛び出して対象を攻撃する、というふうに見えます。

トランプ前大統領の咆哮と扇動に似たアクションを見せた歴史上の人物は、ヒトラーと彼に類する独裁者や専制君主や圧制者などの、人道に対する大罪を犯した指導者とその取り巻きの連中だけです。トランプ前大統領の怖さと危険と醜悪はまさにそこにあります。

最後にベルルスコーニ元首相は、大国とはいえ世界への影響力が小さいイタリア共和国のトップに過ぎませんでした。だが、トランプ前大統領は世界最強国のリーダーです。拠って立つ位置や意味が全く異なります。世界への影響力も、イタリア首相のそれとは比べるのが空しいほどに計り知れません。

その観点からは、繰り返しになりますが、トランプ前大統領のほうがずっと危険な要素を持っていました。

ベルルスコーニ元首相が亡くなって世界からひとつの危険と茶目が消えました。だが彼が発明して世界に拡散したポピュリズムの危険は、トランプ氏が再び米大統領に返り咲く可能性を筆頭に、奔流となってそこら中に満ち溢れています。

 

 

 

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「怪物」の怪物的退屈

鳴り物入りで上映が始まった映画「怪物」を、帰伊直前の慌ただしい中で観ました。

退屈そのものの内容に、時間を奪われた思いで少し腹を立てました。

カンヌ映画祭で脚本賞を受賞したのは何かの間違いではないか、と疑う気持ちにさえなりました。

だがしかし、むしろ思わせぶりの内容だからこそ映画祭での受賞となったのだろう、と思い直しました。

映画祭や賞や専門家は、大衆受けするエンタメよりも“ゲージュツ的難解”を備えたような作品を評価したがるものです。

映画の初めは興味津々に進みます。今きわめてホットなテーマ、イジメを深く掘り下げる話と見えたのです。

イジメではないか、と学校にねじ込む女主人公と対応する校長らとのやり取りの場面は、深く面白くなるであろう映画の内容を予感させました。

しかし期待は裏切られます。

イジメられているらしい子供の担任の教師が見せる矛盾や、時間経過と共に― 作者の意図するところとは逆に― 子供たちの存在が軽く且つ鬱陶しさばかりが募っていく展開に食傷しました。

映画の構成は重層的です。イジメとLGBTQと人間の二面性が絡みあって描かれます。謎解きのような魅力も垣間見えます。

時間を遡及する際に、過去のシーンの切り返しの絵を使って退屈感を殺そうとする試みも好ましい。

嵐のシーンの細部の絵作りもリアリティーがあります。

ところがそれらの努力が、全体のストーリー展開のつまらなさ故に全て帳消しとなって、ひたすらあくびを嚙み殺さなければならない時間が過ぎました。一昔前の芸術追従映画を観るようでした。

映画は映画人が、芸術一辺倒のコンセプトでそれを塗り潰して、独りよがりの表現を続けたために凋落しました。

言葉を換えれば、映画エリートによる映画エリートのための映画作りに没頭して、大衆を置き去りにしたことで映画産業は死に体になりました。

それは映画の歴史を作ってきた日仏伊英独で特に顕著でした。その欺瞞から辛うじて距離を置くことができたのは、アメリカのハリウッドだけでした。

映画は一連の娯楽芸術が歩んできた、そして今も歩み続けている歴史の陥穽にすっぽりと落ち込みました。

こういうことです。

映画が初めて世に出たとき、世界の演劇人はそれをせせら笑いました。安い下卑た娯楽で、芸術性は皆無と軽侮しました。

だが間もなく映画はエンタメの世界を席巻し、その芸術性は高く評価されました。

言葉を換えれば、大衆に熱狂的に受け入れられました。だが演劇人は、「劇場こそ真の芸術の場」と独りよがりに言い続け固執して、演劇も劇場も急速に衰退しました。

やがてテレビが台頭しました。すると映画人は、かつての演劇人と同じ轍を踏んでテレビを見下し、我こそは芸術の牙城、と独り合点してエリート主義に走り、大衆から乖離して既述の如く死に体になりました。

そして我が世の春を謳歌していた娯楽の王様テレビは、今やインターネットに脅かされて青息吐息の状況に追いやられようとしています。

それらの歴史の変遷は全て、娯楽芸術が大衆に受け入れられ、やがてそっぽを向かれて行く時間の流れの記録です。

大衆に理解できない娯楽芸術は芸術ではない。それは芸術あるいは創作という名の理論であり論考であり学問であり理屈であり理知また試論の類です。つまり芸術ならぬ「ゲージュツ」なのです。

気難しい創作ゲージュツを理解するには知識や学問や知見や専門情報、またウンチクが要ります。

だが「寅さん」や「スーパーマン」や「ジョーズ」や「ゴッドファーザー」や「7人の侍」等を愛する“大衆”は、そんな重い首木など知りません。

彼らは映画を楽しみに映画館に行くのです。「映画を思考する」ためではありません。大衆に受けるとは、作品の娯楽性、つまりここでは娯楽芸術性のバロメーターが高い、ということです。

「怪物」はそこからは遠い映画です。

映画祭での受賞を喧伝し、作者や出演者の地頭の良さをいかに言い立てても、つまらないものはつまらない。

追い立てられて映画館に走り、裏切られて嘆いても時すでに遅し。支払った入場料はもう返ってきません。

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ベルルスコーニの陰と罪と罰と少しの功と

2023年6月12日、醜聞まみれの大衆迎合政治芸人、ベルルスコーニ元イタリア首相が死去しました。

元首相は土建屋から身を起してテレビ、広告界に進出。イタリアの公共放送RAIに対抗するほど大きな3局の民放を武器に、ほぼあらゆる業界で事業を展開して席巻。押しも押されぬ金満家になりました。

そして1994年、ビジネスで得た財力を背景に政界に進出しました。進出するや否や自らの党・フォルツァイタリア(Forza Italia)が総選挙で第1党に躍進。党首の彼は首相にりました。

その後、浮き沈みを繰り返しながら4期ほぼ9年に渡って首相を務めました。

彼の政治キャリアについては、訃報記事用にあらかじめ用意されていたものを含め多くの報道がなされています。

そこで筆者は彼の経歴にまつわる議論はここで止めて、日本人を含む多くの世界世論がもっとも不思議に思う点について述べておこうと思います。

つまりイタリア国民はなぜデタラメな行跡に満ちた元首相を許し、支持し続けたのか、という疑問です。その答えの多くは、世界中のメディアが言及しないひとつの真実にあります。

つまり彼、シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相は、稀代の「人たらし」だったのです。日本で言うなら豊臣秀吉、田中角栄の系譜に連なる人心掌握術に長けた政治家、それがベルルスコーニ元首相でした。

こぼれるような笑顔、ユーモアを交えた軽快な語り口、説得力あふれるシンプルな論理、誠実(!)そのものにさえ見える丁寧な物腰、多様性重視の基本理念、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさ、などなど・・・元首相は決して人をそらさない話術を駆使して会う者をひきつけ、たちまち彼のファンにしてしまいました。

彼のそうした対話法は意識して繰り出されるのではなく、自然に身内から表出されました。彼は生まれながらにして偉大なコミュニケーション能力を持つ人物だったのです。人心掌握術とは、要するにコミュニケーション能力のことですから、元首相が人々を虜にしてしまうのは少しも不思議なことではありませんでした。

ここイタリアには、人を判断するうえで「シンパーティコ」「アンティパーティコ」という言葉があります。

これは直訳すると「面白い人」「面白くない人」という意味です。

面白いか面白くないかの基準は、要するに「おしゃべり」かそうでないかということ。

コミュニケーション能力に長けたベルルスコーニ元首相は、既述のようにこの点でも人後に落ちないおしゃべりでした。「シンパーティコ」のカタマリのような人物だったのです。

さらに言います。

イタリア的メンタリティーのひとつに、ある一つのことが秀でていればそれを徹底して高く評価し理解しようとするモメンタムがあります。

極端に言えばこの国の人々は、全科目の平均点が80点の秀才よりも、一科目の成績が100点で残りの科目はゼロの子供の方が好ましい、と考えます。

そして どんな子供でも必ず一つや二つは100点の部分があるから、その100点の部分を120点にも150点にものばしてやるのが教育の役割だと信じ、またそれを実践している節があります。

たとえば算数の成績がゼロで体育の得意な子がいるならば、親も兄弟も先生も知人も親戚も誰もが、その子の体育の成績をほめちぎり心から高く評価して、体育の力をもっともっと高めるように努力しなさい、と子供を鼓舞します。

日本人ならばこういう場合、体育を少しおさえて算数の成績をせめて30点くらいに引き上げなさい、と言いたくなるところだと思いますが、イタリア人はあまりそういう発想をしません。要するに良くいう“個性重視の教育”の典型なのです。

イタリア人は長所をさらに良くのばすことで、欠点は帳消しになると信じているようです。だから何事につけ欠点をあげつらってそれを改善しようとする動きは、いつも 二の次三の次になってしまいます。

ベルルスコーニ元首相への評価もそのメンタリティーと無関係ではありません。

醜聞まみれのデタラメな元首相をイタリア人が許し続けたのは、行状は阿呆だが一代で巨財を築いた能力と、人当たりの良い親しみやすい性格が彼を評価する場合には何よりも大事、という視点が優先されるからです。

ネガティブよりもポジティブが大事なのです。もっと深い理由もあります。

「人間は間違いを犯す。間違いを犯したものはその代償を支払うべきであり、また間違いを決して忘れてはならない。だがそれは赦されるべきだ」というのが絶対愛と並び立つカトリックの巨大な教えです。

ほとんどがカトリック教徒であるイタリア国民は、ベルルスコーニ元首相の悪行や嫌疑や嘘や醜聞にうんざりしながらも、どこかで彼を赦す心理に傾く者が多い。「罪を忘れず、だがこれを赦す」のです。

彼らは厳罰よりも慈悲を好み、峻烈な指弾よりも逃げ道を備えたゆるめの罰則を重視します。イタリア社会が時として散漫に見え且つイタリア国民が優しいのはまさにそれが理由です。

そうやってカトリック教徒である寛大な人々の多くが彼を死ぬまで赦し続けました。つまり消極的に支持しました。あるいは罪を見て見ぬ振りをした。

結果、軽挙妄動の塊のような元首相がいつまでも政治生命を保ち続けることになりました。

元首相は寛大な国民に赦されながら、彼のコミュニケーション力も遺憾なく発揮しました。

相まみえる者は言うまでもなく、彼の富の基盤であるイタリアの3大民放局を始めとする巨大情報ネットワークを使って、実際には顔を合わせない人々、つまり視聴者にまで拡大行使してきました。

イタリアのメディア王とも呼ばれた彼は、政権の座にある時も在野の時も、頻繁にテレビに顔を出して発言し、討論に加わり、主張し続けました。有罪確定判決を受けた後でさえ、彼はあらゆる手段を使って自らの無罪と政治メッセージを申し立てました。

だがそうした彼の雄弁や明朗には、負の陰もつきまとっていました。ポジティブはネガティブと常に表裏一体です。即ち、こぼれるような笑顔とは軽薄のことであり、ユーモアを交えた軽快な口調とは際限のないお喋りのことであり、シンプルで分りやすい論理とは大衆迎合のポピュリズムのことでもありました。

また誠実そのものにさえ見える丁寧な物腰とは偽善や隠蔽を意味し、多様性重視の基本理念は往々にして利己主義やカオスにもつながります。さらに言えば、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさは、徹頭徹尾のバカさだったり鈍感や無思慮の換言である場合も少なくありません。

そうしたネガティブな側面に、彼の拝金主義や多くの差別発言また人種差別的暴言失言、少女買春、脱税、危険なメディア独占等々の悪行を加えて見れば、恐らくそれは、イタリア国民以外の世界中の多くの人々が抱いている、ベルルスコーニ元首相の印象とぴたりと一致するのではないでしょうか。

 

 

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未だ「足る知る」を知らず

浮世の流れに無理に逆らえば息が詰まる。

始まったものは必ず終わる。

生まれたものはいつかは死ぬ。

無常がこの世の中の摂理である。

変わることを受け入れなければ生は地獄になる。

なぜなら変わらないと意地を張れば、足ることを知らなくなる。

足るを知らなければ生は欲望の連続に陥ってひたすら苦しくなる。

それは生きる地獄である。

流転変遷が人生の定めだ。

全てが生まれ、全てが変わる、という条理を受け入れれば生は楽になる。たのしくなる。

たのしまずとも、ともあれ苦しくはなくなるだろう。

菜園で野菜たちと戯れながら僕はよくそんなことを思う。

それはつまり未だ「足るを知る」境地を知らず、悩み葛藤している自分がいるからである。

それと同時に、老いてなお「足るを知る」ことなくもがいている人を見て、自らの先行きの反面教師にしよう、などと目論むからである。

その目論みもまた生の地獄である。

なぜなら、もがく老人を反面教師にするとは、それらの人々を見下し、憎むことにほかならない。

そして憎しみこそが地獄への誘い水の最たるものである。

 

 

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イタリア共和国記念日の快

毎年6月2日はイタリアの共和国記念日。祝日です。

第2次大戦終了の翌年、1946年6月2日、イタリアでは国民投票により王国が否定されて、現在の「イタリア共和国」が誕生しました。

イタリアが真に近代国家に生まれ変わった日です。

そのおよそ1年前の1945年4月25日、イタリアはナチスドイツとその傀儡だった自国のファシズム政権を放逐しました。

日独伊三国同盟で結ばれていたドイツとイタリアは、大戦中の1943年に仲たがいしイタリアはドイツに宣戦布告。完全に敵同士になっていました。

ナチスドイツとその操り人形と化していたムッソーリーニに立ち向かったのは、自由主義者・共産主義者・カトリック教徒・社会主義者の4者で構成されたレジスタンス運動です。

つまりそれは、ファシストとそれ以外の全てのイタリア人の戦い、と形容しても過言ではない広がりでした。

そして前述のようにレジスタンスは1945年4月25日、ムッソーリーニとナチスを完全撃滅します。むろんそこには連合軍の後押しもありました。

世界の主な民主主義国は、日本やイギリスなどを除いて共和国体制を取っています。

民主主義国には共和制が最もふさわしい。だが共和制は民主主義と同様にベストの政治体制ではありません。あくまでもベターな仕組みです。

われわれは今のところ民主主義に勝る政治理念を知りません。同様にわれわれは共和制を凌駕する政治システムもまた知りません。

ベストを知らない以上、ベターが即ちベストです。

今この時のベストの政治体制とは、ここイタリアまたフランスの共和制のことであり、ドイツ連邦やアメリカ合衆国などの制度のことです。

その制度は「全ての人間は平等に創られている」 という人間存在の真理の上に構築されています。

民主主義を標榜するするそれらの共和国では、主権は国民にあり、その国民によって選ばれた代表によって行使される政治体制が厳守されています。

多くの場合、そこでは大統領が元首も兼ねます。

真の民主主義体制では、国家元首を含むあらゆる公職が主権を有する国民の選挙によって選ばれ決定されるべきです。

つまり国のあらゆる権力や制度は、米独仏伊などのように国民の意志に基づいて創設されなければなりません。

その意味では王を頂く英国と天皇制を維持する日本の民主主義は歪です。

予め人の上に人を創出しているその仕組みは、いわば精神の解放を伴わない不熟な民主主義という見方もできます。

世界には共和国と称し且つ民主主義を標榜しながら、実態は独裁主義にほかならない国々、例えば中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国なども存在します。

共和国と民主国家は同じ概念ではありません。

そこを踏まえた上で、ここでは「共和国」を飽くまでも国民の意志に基づく政治が行われる「民主主義体制の共和国」、という意味で考えてみました。

 

 

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G7の光と影と日本メディアのディメンシア 

C7広島サミットを連日大々的に且つ事細かに伝える日本のメディアの熱狂を面妖な思いで眺めてきました。

ここイタリアもG7メンバー国ですがメディアは至って冷静に伝え、ほとんど盛り上がることはありません。

イタリア初の女性首相の晴れの舞台でもあるというのに少しも騒がず、金持ち国の集会の模様を淡々と報道しました。

それはイタリアメディアのG7へのいつもの対応です。そしてその姿勢は他のG7メンバー国のメディアも同じです。

国際的には影の薄い日本の畢生の大舞台を、日本のメディアがこれでもかとばかりに盛んに報道するのは理解できます。しかも今回は日本が晴れの議長国です。

だが国際的には空騒ぎ以外のなにものでもない日本の熱狂は、見ていてやはり少し気恥ずかしい。

ここイタリアは国際政治の場では、日本同様に影響力が薄い弱小国です。だがメディアは、たとえG7が自国開催だったとしても日本のメディアの如くはしゃぐことはまずありません。

イタリアは国際的なイベントに慣れています。政治力はさておき、芸術、歴史、文化などで世界に一目おかれる存在でもあります。スポーツもサッカーをはじめ世界のトップクラスの国です。

政府も国民も内外のあらゆる国際的なイベントに慣れて親しんでいて、世界の果てのような東洋の島国ニッポンの抱える孤独や、焦りや、悲哀とは縁遠い。

前述したようにイタリアは憲政史上初の女性首相を誕生させました。そのこと自体も喜ばしいことですが、メローニ首相が国際的なイベントに出席するという慶事にも至って冷静でした。

イタリアは同時期に、北部のエミリアロマーニャ州が豪雨に見舞われ、やがてそれは死者も出る大災害に発展しました。

メローニ首相にはG7出席を取りやめる選択もありました。が、ロシアが仕掛けたウクライナへの戦争を、G7国が結束して糾弾する姿勢をあらためて示す意味合いからも、敢えて日本に向かいました。

このあたりの事情は内政問題を抱えて苦慮するアメリカのバイデン大統領が、もしかするとG7への出席を見合わせるかもしれない、と危惧された事情によく似ています。

日本のメディアは米大統領の問題については連日大きく取り上げましたが、筆者が知る限りメローニ首相の苦悩についてはひと言も言及しませんでした。

あたり前です。G7構成国とはいうもののイタリアは、先に触れたように、日本と同じく国際政治の場ではミソッカスの卑小国です。誰も気にかけたりはしません。

そのことを象徴的に表していた事案がもう一つあります。

岸田首相が広島で開催されるG7という事実を最大限に利用して、核廃絶に向けて活発に動き各国首脳を説得したと喧伝しました。

だがそれは日本以外の国々ではほとんど注目されませんでした。
この部分でも大騒ぎをしたのは、政権に忖度するNHKをはじめとする日本のメディアのみでした。

アメリカの核の傘の下で安全保障をむさぼり、核廃絶を目指す核兵器禁止条約 にさえ参加していない日本が、唯一の被爆国であることだけを理由に核廃絶を叫んでも、口先だけの詭弁と国際社会に見破られていて全く説得力はありません。

G7国が岸田首相の空疎な核廃絶プログラムなるものに署名したのは、同盟国への思いやりであり外交辞令に過ぎません。

核のない世界が誰にとっても望ましいのは言わずと知れたことです。だが現実には核保有国がありそれを目指す国も多いのが実情です。

日本政府はそのことを踏まえて現実を冷静に見つめつつ廃棄へ向けての筋道を明らかにするべきです。

被爆国だからという感情的な主張や、米の核の傘の下にいる事実を直視しないまやかし、また本音とは裏腹に核廃絶を目指すと叫ぶ嘘などをやめない限り、日本の主張には国際社会の誰も耳を貸しません。

そうではあるものの、しかし、G7は民主主義国の集まりであり、中露が率いる専制国家群に対抗する唯一の強力な枠組み、という意味で依然として重要だと思います。

特に今このときは、ロシアのウクライナ侵略に対して、一枚岩でウクライナを支援する態勢を取っていることは目覚ましい。

2017年のG7イタリアサミットを受けて、筆者はそれをおわコンと規定しさっさと廃止するべき、と主張しました

だが、ロシアと中国がさらに専制主義を強め、G7に取って代わるのが筋と考えられたG20が、自由と民主主義を死守する体制ではないことが明らかになりつつある現在は、やはり存続していくことがふさわしいと考えます。

 

 

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ルツェルンの退屈、ロカルノの陰影

スイスのルツェルンとロカルノを仕事で巡りました。

ルツェルンは大分前にやはり仕事で訪ねていますが、その時の記憶が自分の中にほとんど残っていないと気づきました。

一方、イタリア語圏にあるロカルノには、これまでにも仕事場のあるミラノから息抜きのためによく通いました。

山国のスイスは言うまでもなく美しい国です。だが、地中海や、強い太陽の光や、ローマ、ベニス、フレンツェ、ナポリ、パレルモなどに代表される歴史都市を懐に抱いているイタリアはそれ以上に美しい、と筆者は感じています。

ならばなぜわざわざ外国のスイスに息抜きに行くのかといいますと、ミラノの仕事場から近いという理由もさることながら、「そこがスイスだから」筆者は喜んで気晴らしに向かう、というのが答えです。

スイスは町並が整然としていて小奇麗で清潔な上に、人を含めた全体の雰囲気が穏やかです。

筆者はロカルノの湖畔の街頭カフェやリゾートホテルのバー、またうっそうとした木々の緑におおわれた街はずれのビアガーデンなどでのんびりします。

イタリア語圏ですら、ロカルノではミラノにいる時とまったく変わらない言葉で人々とやりとりをします。

ところがそこには、イタリアにいる時の、人も自分もいつも躁状態で叫び合っているかのような騒々しさや高揚がない。雰囲気が静かで落ち着きます。 

その気分を味わうためだけに、筆者はあえて国境を越えてスイスに行くのです。

要するに筆者は、肉やパスタのようにこってりとしたイタリアの喧騒が大好きですが、時々それに飽きて、漬物やお茶漬けみたいにあっさりとしたスイスの平穏の中に浸るのも好きなのです。

今回訪ねたルツェルンはイタリア語圏ではありません。ドイツ語圏の都会です。だからという訳ではありませんが、ルツェルンはイタリア語圏のロカルノに比較すると少し雰囲気が重い。

言葉を替えればルツェルンは、同じスイスの街でもロカルノよりもっとさらに「スイス的」です。つまり整然として機能的で清潔。人々は今でも山の民の心を持っていて純朴で正直で優しい。

しましまさにそれらの事実が筆者には少し退屈に感じられました。やはり筆者は中世的なイタリアの街々の古色や曖昧や猥雑や紛糾が好きです。

ロカルノの街はスイスの一部でありながら、イタリア文化の息吹が底辺に感じられるために、筆者は心が落ち着くのだと今更ながら知りました。

それでもやっぱりロカルノは骨の髄までスイスです。

そのことを一抹の寂しさと共に最も強烈に感じたのは、レストランで頼んだスパゲティ・アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノのパスタが茹ですぎて伸びきっている事実でした。

コシのないパスタ麺を平然と皿に盛るのは、腐りかけた魚肉を刺身と称してテーブルに置くのと同程度の不手際です。

筆者は文字通りひと口だけ食べてフォークを置きました。あまりの不味さにがっかりして写真を撮ることさえ忘れました。

その店は、しかし、一日中食事を提供している観光客相手のレストランだったことは付け加えておきたいと思います。

イタリア的な店は普通、15時までには昼の営業を終えて休憩し19時頃に再び店を開けます。

要するにそこは、イタリアレストランを装った無国籍のスイス料理店だったのです。

 

 

 

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奇跡の正体

萌えたつ新芽や花の盛りに始まる季節の移ろいは奇跡である。

のみならず海の雄大と神秘、川の清清しさなど、自然のあらゆる営みが奇跡だ。

それらを“当たり前”と思うか“奇跡”と思うかで、人生は天と地ほども違うものになる。

奇跡は大仰な姿をしているのではない。奇跡はすぐそこにある。

ありきたりで事もないと見えるものの多くが奇跡なのだ。

わが家の庭のバラは一年に3回咲くものと、2回だけ花開くつるバラに分けられる。つるバラは古い壁を這って上にのびる。

ことしは1回目のバラの開花が4月にあり、5月初めにピークを過ぎた。ちょうどそこに雨が降り続いて一気になえた。

普段はバラの盛りの美しさを愛でるばかりだが、ふとしぼむ花々にスマホのレンズを向けてみた。

するとそこにも花々の鮮烈な生の営みがあった。

命の限りに咲き誇るバラの花は華麗である。

片や盛りを過ぎてしなだれていく同じ花のわびしさもまた艶と知った。

崩れてゆく花が劇的に美しいのは、芽生え花開き朽ちてゆくプロセス、つまり花があるがままにある姿が奇跡だからである。

 

 

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アナクロな儀式は時には演歌のようにとてつもなく面白くないこともない

テレビ中継される英国王戴冠式の模様を少しうんざりしながら最後まで見ました。

うんざりしたのは、儀式の多くが昨年9月に執り行われたエリザベス女王の国葬の二番煎じだったからです。

女王の国葬は見ごたえのある一大ショーでした。

かつての大英帝国の威信と豊穣が顕現されたのでもあるかのような壮大な式典は、エリザベス2世という類まれな名君の足跡を偲ぶにふさわしいと実感できました。

筆者はBBCの生中継をそれなりに感心しつつ最後まで見ました。しかし、荘厳だが虚飾にも満ちた典礼には、半年後に再び見たくなるほどの求心力はありません。

それでも衛星生放送される戴冠式を見続けたのは、祭礼の虚飾と不毛に心をわしづかみにされていたからです。

国王とカミラ王妃が王冠を頭に載せて立ち上がったときは、筆者は心で笑いました。首狩り族の王が骸骨のネックレスを付けて得意がる姿と重なったからです。

民主主義大国と呼ばれる英国に君主が存在するのは奇妙なものですが、象徴的存在の国王が政治に鼻を突っ込むことはないので民主制は担保されます。

だが真の民主主義とは、国家元首を含むあらゆる公職が選挙によって選ばれることだとするならば、立憲君主制の国々は擬似民主主義国家とも規定できます。

民主主義の真髄が国民に深く理解されている英国では、例えば日本などとは違って君主制を悪用して専制政治を行おうとする者はまず出ないでしょう。

英国の民主主義は君主制によって脆弱化することはありません。しかし、むろん同時に、それが民主主義のさらなる躍進をもたらすこともまたありません。

英国の王室は日本の皇室同様に長期的には消滅する宿命です。

暴力によって王や皇帝や君主になった者は、それ以後の時間を同じ身分で過ごした後は、確実に退かなければなりません。なぜなら「始まったものは必ず終わる」のが地上の定めです。

彼ら権力者とて例外ではあり得ません。

また王家や王族に生まれた者が、必然的にその他の家の出身者よりも上位の存在になることはありません。あたかもそうなっているのは、権力機構が編み出した統治のための欺瞞です。

天は人の上に人を作らない。生まれながらにして人の上位にいる者は存在しない。それがこの世界の真理です。

そうはいうものの、しかし、英国王室の存在意義は大きい。

なぜならそれには世界中から観光客を呼び込む人寄せパンダの側面があるからです。イギリス観光の目玉のひとつは王室なのです。

英国政府は王室にまつわる行事、例えば戴冠式や葬儀や結婚式などに莫大な国家予算を使います。

それを税金のムダ使いと批判する者がいますが、それは間違いです。彼らが存在することによる見返りは、金銭面だけでも巨大です。

世界の注目を集め、実際に世界中から観光客を呼び込むほどの魅力を持つ英王室は、いわばイギリスのディズニーランドです。

ディズニーランドも、しかし、たまに行くから面白い。昨年見たばかりの英王室のディズニィランドショーを、半年後にまた見ても先に触れたように感動は薄い。

それが筆者にとってのチャールズ英国王の戴冠式でした。

 

 

 

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