「表現の不自由展」中止事件が物語るもの

「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」が開始3日後に中止になった事件は、様々な表現者団体が次々と抗議声明を出すなど、大きな波紋となっています。

僕は今回の展示がこのまま中止となると、「脅せば表現は封印できる」という前例となり、同様の事件が急増する恐れがあると考えています。またそれを恐れて公的セクターやマスコミの間に萎縮が広がるとしたら、それこそ非常に問題ではないでしょうか。

ちまたでは従軍慰安婦問題に関する韓国側の主張を象徴する「平和の少女像」を展示したことの是非が、最も大きな問題点であるかのように論じられているようです。

当然のことながら、こういった展示を行った芸術監督の津田大介氏の見識に批判的な声が上がり、その一方では展示に反発した保守系政治家の言動が、言論・表現の自由に対する政治の圧力だと批判されています。

河村たかし名古屋市長は、「どう考えても日本人の、国民の心を踏みにじるもの。いかんと思う」などと述べて、少女像の撤去を求め、企画展の中止が決まった後も、「やめれば済む問題ではない」として、謝罪を要求しました。少女像の展示は「『数十万人も強制的に収容した』という韓国側の主張を認めたことになる」とも語りました。

自民党の保守系議員らの集まりが、この少女像について「事実上の政治プロパガンダだ」として、「公金を投じるべきでなく、国や関係自治体に適切な対応を求める」との意見表明を行いました。さらに、代表者が首相官邸で西村康稔官房副長官と面会。西村氏は「自民党愛知県議団を中心に対応を始めている」と応じたというから、政治家の反応にちまたの注目が集まるのも無理はありません。

しかし僕はちまたで飛び交うこういった議論に興味はありません。興味は無いというか、こういった論点で盛り上がること自体が、「真犯人」の姿を見えにくくし、「真犯人」の思うつぼにはまっていると感じています。

こういった論点のすり替えは、残念ながらしばしば起こります。先日の吉本興業で、所属芸人が直営業で反社会的勢力のイベントに参加していた件で、謝罪会見をめぐり、芸人本人である宮迫博之さんと、会見を封じた吉本興行側の岡本昭彦社長のどっちが悪いか、という論点でワイドショーは賑わっていました。

たまたまテレビを観ていた妻は、「バカじゃないの。いちばん悪いのは振り込め詐欺をした犯人グループに決まっているじゃない。その話をしないで、宮迫さんや岡本社長を批判しても意味がない」と言ってテレビを消しました。マスコミは声の大きい有名人の言動を元に、ストーリーを作って議論したがりますが、それは時に事件の本質をミスリードしてしまいます。

今回の「表現の不自由展」中止事件の場合も、誰が「真犯人」なのか、何がいちばん悪いのか、という点にキチンと注目して議論しないと、論点がすり替わってしまう危険性があると僕は思いました。

「真犯人」は言うまでもなく、少女像について「大至急撤去しろや、さもなくば、うちらネットワーク民がガソリン携行缶持って館へおじゃますんで」と、京都アニメーションの事件を思わせるFAXを送りつけて脅迫した人物であり、その背後で「電凸」と呼ばれる電話暴力で主催者を脅し続けた多くの卑怯な人間たちであります。

当然のことながら、ガソリン携行缶で主催者を脅したテロリスト稲沢市稲沢町の会社員堀田修司容疑者は、威力業務妨害で警察に逮捕されました。テロに屈した芸術祭の実行委員会の会長を務める大村秀章・愛知県知事の弱腰を批判する意見ももちろんありますが、県知事はあくまでも被害者だと言うべきでしょう。

気に食わない表現活動を、脅しによって封殺しようとするのは、同企画展に対する威力業務妨害というにとどまらず、表現の自由を掲げるわが国に対する重大なテロ行為であります。また、このような脅し文句は、京アニの事件で奪われた35人の命や、それを悲しむ多くの人たちに対する冒涜でもあって、断じて許しがたいものです。

「電凸」については後に述べますが、私達はどんな良い意見を主張するためであっても、「ガソリン携行缶を持ってお邪魔」などしてはいけない。ましてや意見の分かれる案件に関して、暴力をもって相手側の言論・表現行為を封じることは、絶対にあってはならないことなのです。

今回の「真犯人」の思惑は、少女像などの展示を撤去させることであり、こういった自分たちの気に入らない表現活動を、日本で今後やりにくい風潮を作ることでした。主催者、マスコミを含めて私達は、まんまと「真犯人」の思惑に乗せられているような気がしてなりません。

決して少女像の展示の是非などに、論点をすり替えてはいけません。事件は暴力による言論封殺のテロリズムなのです。従軍慰安婦問題については私はまた別の観点から記事を書いていますから、読んで頂ければ幸いです。

何がいちばん悪いのか、と言うとガソリン携行缶FAXで脅迫した堀田容疑者はもちろんのこと、この男と五十歩百歩というべき「電凸」を実行した、数多くの卑怯な「名無しさん」たちの存在です。

「電凸」という名前の組織的な電話暴力があることを、僕は今回の津田大介氏の会見で初めて知りました。

「事務局の電話が常に鳴っている状況。一昼夜続いた。そこがパンクし、つながらないとなると、県立美術館や文化センターにかける。(そこの職員は)そういう電話が回されることも知らない。待たされてさらに激高している状態の人が、事情を知らないオペレーターの方に思いをぶつけてしまう。それがひっきりなしに続く状況を目の当たりにし、続けられないと判断した」(津田氏)

ネット上で炎上したテーマに関して、クレーム電話を公的セクターの窓口などに一斉にかけて回線をパンクさせてしまう手口の、最近のネット社会ならではの陰湿な組織的暴力です。通常は公的機関は代表電話やお問合せ窓口の番号を公開していますが、その番号に一度に大量の電話をかけると、電話回線が足りなくなりクレーム処理ができなくなります。そこを狙ったのが「電凸」に参加するネット民たちというわけです。

マスコミなどでは多大な反響が予想される、賛否の分かれそうな内容の生放送をする時、事前に数100回線ほどの電話を用意し、対応する要員を配置する作戦をとります。僕もNHKで働いていた頃、視聴者参加型の政治討論生放送にかり出された経験がありますが、広いスタジオに組まれたひな壇にずらりと並んだ電話が一斉に鳴る光景は凄みのあるものでした。

そういう時でなくとも視聴者ふれあいセンターには、それなりのクレーム対応を訓練されたオペレーターが常時配備されていて、デリケートな内容の番組を放送した直後には、右からも左からも押し寄せる、様々な怒れる視聴者の声を受け止める業務をこなします。

しかし日頃から激しいクレーム処理に長けた要員を擁するマスコミ組織とは違って、県立美術館などの受付窓口に座っているのは、平和な美術展などの問い合わせに対応するだけの事務員さんたちです。いきなり政治的な議論を吹きかけられたって、返答もしどろもどろになり、パニックになるでしょう。

そもそも県立美術館などで電話対応に当たる職員は、通常は日常業務を抱えていて、その合間に問い合わせの電話にも出る、というのが実情です。突然クレーム電話が殺到したら、誰もが電話に出るだけで精一杯になり、日常業務がストップしてしまいます。

そんな事務局の事情を知っていながら、わざとネット上で示し合わせて、集団で一斉にクレーム電話をかける「電凸」はもはや現代の組織暴力です。憎むべきテロのひとつと位置づけて良いと思います。

今回の「表現の不自由展」中止事件は、この「電凸」にも成功体験を与えてしまった、というのが非常に残念なところです。卑怯な「名無しさん」たちに、気に入らない言論を封じ込める手口があることを教えてしまった、重い責任を津田氏には感じてもらいたいです。

津田氏お得意の炎上商法を試みたつもりでしょうが、リアルな世界で炎上を起こすからには、それを受け止めるクレーム対応要員なり電話回線なりを準備し、リアルな会場で整然とシンポジウムを開催できるような場を提供する仕掛けが必要だったことは間違いありません。

芸術家が政治活動をやってもいいし、政治家が芸術活動をやるのももちろんかまわないことです。でも芸術と政治を混同してはいけません。政治をそのまま芸術として表に出すことは、プラクティカル・アートとしても認められないし、そもそも真の芸術家に対して失礼だと僕は考えています。

その意味で僕は個人的に、今回の企画展に出品された少女像を始めとする問題の作品群に対して、芸術的に価値が高いとは感じていません。感動するかと言われれば感動しないし、むしろ不快感さえあります。それでも、です。それでも表現行為を封殺してはならないのです。展示したうえで、駄目な作品だと評価すれば良いことだと思います。

今回の企画展中止が悪しき前例となって、自治体や公的組織が萎縮し、表現活動に対して自粛、忖度をするようになることだけは避けて欲しいです。そして反骨精神ある芸術家が、さらに洗練された表現活動をのびのびと行える社会であって欲しい、と強く願っています。

###

ニュース、みてますか? -プロの「知的視点」が2時間で身につく- (ワニブックスPLUS新書)
クリックでアマゾンへ飛べます。
896円
読めば明日からあなたのニュースの見方が変わります!

ワイン飲みのうんちくとワイン造りの苛烈

世の中にはワイン通と呼ばれる人たちのワインに関するうんちくがあふれていますが、ワインは自分が飲んでおいしいと感じるものだけが良いワインであり真にうまいワインです。

ワイン通のうんちくはあくまでもその人の好みのワインの話であって、他人の好きなワインとは関係がありません。

ただ一般論として言えば、値の張るワインは質の良いものである可能性が高い。当たり前じゃないかと言われそうです。

だが、ワインは複雑な流通の仕組みや、金もうけの上手な輸入業者の仕掛け等で値段が高くなることもありますから単純な話ではありません。

ここからはうんちく話ではなく、つい最近まで商業用のワインを造っていた筆者の妻の実家のワイン醸造現場で、筆者が実際に体験してきたシビアなビジネスの話をしようと思います。

本物の良いワインの値段が張るのは、製造に手間ひまがかかっているからです。同じ土地の同種のブドウを使っても、時間と労力と金をかけると明らかに違うワインが出来上がります。

具体的にいえば、たとえばブドウを搾るときは、葉っぱや小枝の切れ端や未熟の実や逆に熟し過ぎた実や腐った実など、ブドウ収穫時に混じったり紛れこんだりした要素もすべていっしょくたにして機械で絞ります。

それでも普通においしいワインができます。自家のワインもそうでした。これを上質のさらにおいしいワインにしたいのなら、絞る前に葉っぱや小枝などに始まる夾雑物 を除き、ブドウも選別して良いものだけを集めます。これには手間と費用がかかるのはいうまでもありません。

ブドウの選別という観点でいえば、ブドウの実は古木であればあるほど質が良い。したがって古木の実だけを使ってワインを作ればさらに良いものができます。

だがブドウは古木になればなるほど果実が少ない。古木の実だけでワインを作れば上質のものができますが、大量には作れません。原料費もぐんと高くなります。

従って中々それだけではまかなえませんが、一部だけでも古木の実を混入して醸造すればやはり味が良くなります。だからそれを混ぜて使ったりもします。そうしたことはすべてコスト高につながります。

またワインを熟成させることも非常に費用のかかる工程です。たとえば3年熟成させるということは、ワイナリー内の熟成装置や熟成場を3年間占拠することです。熟成場は借家かもしれません。

借家の場合は家賃がかかります。加えて作業員や酒造りの専門家も3年間余計に雇わなければなりません。それは熟成場が自家のものであっても同じです。

それだけでも膨大な金ががかかります。また3年間熟成させるとは、単純にいえば3年間そのワインを販売することができない、ということです。

つまりワイナリーは3年間収入がないのに、人件費や醸造所の維持や管理を続けなければならない。ワイナリーの負担はふくらむばかりなのです。

ごく単純化して言えば、上質なワインとはそのようにして作られるものです。生産に大変な費用がかかっています。ボトル1本1本の値段が高いのがあたり前なのです。

たとえばうちでは造っていた赤ワインの原料のブドウをもっと厳しく選別して質を向上させたかったのですが、そのためには多くの資金が要ります。それでいつまでも二の足を踏んでいました。

ところがすぐ近くの業者は、同じ地質の畑の同じ種類のブドウを使って、手間ひまをかけた赤ワインを造っていて、値段もうちのワインの5倍ほどしました。

そしてそのワインは客観的に見て自家のものよりも質が良かった。この事実だけを見ても筆者の言いたいことは分かってもらえるのではないでしょうか。

ところでわれわれがワイン造りをやめたのは、醸造所(ワイナリー)を経営していた義父が亡くなったからです。筆者が事業を継ぐ話もありましたが遠慮しました。

筆者はワインを飲むのは好きですが、ワインを「造って売る」商売には興味はありません。その能力もありません。それでなくても義父の事業は赤字続きでした。

ワイン造りはしなくて済みましたが、筆者は義父の事業の赤字清算のためにひどく苦労をさせられました。彼の問題が一人娘の妻に引き継がれたからでした。

この稿は「うんちく話ではない」と筆者は冒頭でことわりました。それは趣味や嗜好や遊びの領域の話ではなく商売にまつわる話だから、という意味でした。

しかし、ま、つまるところ筆者のこの話も見方によってはワインに関する“うんちく話”になったようです。うんちく話は退屈なものが多い。できれば避けたかったのですが、文才の不足はいかんともしがたい。

最後に、ワインを造るのはどちらかといえば簡単な仕事です。日本酒で言えば杜氏にあたるenologo(エノロゴ)というワイン醸造の専門家がいて、こちらの要求に従ってワインを造ってくれます。

もちろんenologoには力量の違いがあり、専門家としてのenologoの仕事は厳しく難しい。ワイン造りが簡単とは、優秀なenologoに頼めば全てやってくれるから、こちらは金さえ出せばいい、という意味での「簡単」なのです。

ワインビジネスの真の難しさは、ワイン造りではなく「ワインの販売」にあります。ワイン造りが好きだった義父は、enologoを雇って彼の思い通りにワインを造っていました。しかし販売の能力はゼロでした。

だから彼はワイナリーの経営に失敗し、大きな借金を残したまま他界しました。借金は一人娘の妻に受け継がれ、筆者はその処理に四苦八苦しました。それは断じてうんちく話ではありません。どちらかといえば苦労譚です。

 

acebook:masanorinakasone     official siteなかそね則のイタリア通信

 

名誉殺人という怪異も「多様性」として許されるべきか

筆者はイスラム教徒とイスラム過激派はまったく違うものであり、これを混同してはならない、といつも考えまたそう主張もしています。それに異議を唱える人はあまりいないと思います。ところが同時に、イスラム教の持つ極端な保守性が、過激派のテロリストと一般のイスラム教徒を同一のものに見せてしまうような事案ひんぱんに起こるのも事実です。たとえば次のような事件です。

先年、中東ドバイのビーチに家族で遊びに来ていた20歳の娘が波に呑みこまれ、助けを求める叫びに応えて居合わせた救助員2人が海に飛び込も うとしました。すると屈強な体格の娘の父親が彼らを力ずくで引き止めました。見ず知らずの男に触られたら娘が汚れる、そうなるくらいなら彼女は死んだほうがいい、 と暴力がらみで救助を拒み続け娘はついに溺れて死にました。

イスラム教徒が起こす類似の事件は欧州でも頻発します。少し前にはここイタリアでパキスタン人移民の娘が父親に喉を掻き切られて殺害され、遺体を庭に埋めら れました。犯行動機は娘が父親の意向に背いて「西洋風」に自由に生きようとし、挙句に「キリスト教徒の」イタリア人若者と付き合っている、というものでした。父親の兄弟が共犯者になりました。娘が西洋風に自由に生き、西洋人を恋人にまでしたのは、一族の名誉を汚す行為だからそれは名誉の殺人だと彼らは主張しました。

そうした凶悪事件ばかりではなく、親が娘に暴力を振るったり、イタリア人の友人を作ることを禁止したり、親の決めた相手との結婚を強制したりという横暴が 次々に明るみに出ています。移民社会におけるそうした女性虐待の流れの一つで、イタリア国内だけで年間2000件程度の強制未成年者結婚が行われていると推 定されています。この場合の犠牲者も全て女性です。似たような事件は欧米のそこかしこで発生しています。

犬が人に噛み付いてもニュースにはなりませんが、人が犬に噛み付けばニュースになる。異常な出来事だからです。イスラム教徒によるそれらの事件は、人が犬に噛 み付くケースと同様の異変です。従ってそれらを持ってすべてのイスラム教徒が同じだと考えてはならない、というのは理想的なあるべき態度です。しかし現 実はそううまくは運びません。

それらの異様な事件は、キリスト教徒(イスラム教徒と対立する)が多数を占める欧米社会に強い衝撃を与え、少数派のイスラム移民への偏見や差別を増幅させます。 そのことがひるがえって中東移民を主体とするイスラム社会の反発を招き、憎悪が憎悪を呼ぶ悪循環が繰り返されます。結果、欧米で生まれ育ったイスラム教徒の息子らが、テロを起こしたり中東のイスラム過激派に身を投じたりします。

欧米社会の良心ある人々は、歴史的に一貫して中東移民との融和を唱えて行動してきました。そして現在は事態が悪化するごとに危機感を覚えて、イスラム社会との対話をさらに強く模索しています。イスラム系移民への欧米側の偏見と差別は糾弾されて然るべきです。同時にイスラム系移民も自らが所属する欧米社会の文化を尊重し、郷に入らば 郷に従え、の精神で欧米社会に順応しようと懸命の努力をするべき、というのが欧州住民で且つ第3者的な立場にいる「日本からの移民」の筆者の意見です。

ドバイの事件もイタリアの事件も、根底にあるのは子供、特に女子を親の所有物でもあるかのように見なす時代錯誤な保守性です。それをほとんど未開性と呼 んでもかまいません。見知らぬ男に触れられた娘は傷物であり、従って売り物にならない、つまり嫁に行けない。それは一家の不名誉である。処女信仰も加わった イスラム特有の考え方は奇怪ですが、実はそうした考え方や風習はその昔、ヨーロッパにもまた日本にもあったものです。

今の日本では考えられないことですが、娘を物のように扱って遊郭に売り飛ばしたり、強制的に労働させたり結婚させたりしたのは、つい最近まで日本でも普通に あったことです。時期は違うものの西洋でも事情は同じでした。娘ばかりではありません。かつて子供は男女とも親の所有物でした。少なくとも親の所有物に近い存 在でした。子供が生まれながらにして一個の独立した存在であり人格である、と認めそのように社会通念を変えていったのは欧米人の手柄です。

われわれ日本人はイスラム圏の人々よりも一歩早くその恩恵にあずかって、子供、特に女子を親の思いのままに扱う野蛮な文化を捨てました。しかし何百年も続いた 習わしはそう簡単には消えません。日本社会に根強く残る女性差別、男尊女卑の風はその名残です。そればかりではありません。親が子供を自己の所有物と見なす風俗 さえも実は日本社会には残っています。それが如実に表れる例の一つが親子の無理心中です。自分が死んだ後に残される子供が不憫だ、という理由で親が子を道連 れにするのは、子供の人格を認めずに自らの所有物だとどこかで見なしているからです。

そこまで極端な例ではなくとも、日本社会には同じ陥穽におちいっている現象が多い。たとえば親子の間に会話がなく、思春期の子供が激しく親に反抗する事態なども 実はその遠因に子供を独立の人格と認めない、つまり自らの所有物と見なす精神構造が関係しています。幼児から子供を独立の人格と見なしていれば、親は子供と対等に対話をせざるを得ないし、ただひたすらに勉強しろ、いい大学に入れと問答無用に強制し続けることも無くなります。

今イタリアを含む欧米のイスラム系移民社会で起こっていることは、どこかで日本の過去にもつながっています。欧米の過去にもつながっています。欧米も日本も試行錯誤を重ねて「学習」し今の自由な社会を築きました。それはそこかしこに問題の多い、まだまだ不完全な自由社会ですが、少なくとも中東のイスラム教社会よりは進歩した社 会です。この進歩とは欧米的基準あるいは日本的基準で見る進歩です。従ってイスラム教徒がそれを進歩とは認めないと主張するなら、彼らがそう主張する 権利と自由を認めつつも、やはりこちらの社会の方が進歩している、とわれわれが宣言する進歩です。

イスラム系移民がその進歩した社会に適合する努力をすることと、彼らが自らの宗教を守りその教義を実践することとはいささかも矛盾しません。欧米社会はそこ でもまた不完全ながら、多様性を重視しようと日々努力をしています。イスラム教徒の信仰を認め尊重することを欧米社会はためらいません。しかしそれを他人に押 し付けようとしたり、自らの宗教を盾に欧米社会の価値基準に挑もうとする者は容赦なく排除しようとします。

宗教は個人的内面的なものであり、社会の価値基準は公共の財産である。もしも宗教が公共の社会的価値基準に抵触する行動や主張をしなければならない場合にはこれを慎む、ということが西洋社会における最重要な暗黙の合意事項です。それは無論、自らの神のみが絶対だと信じて疑わないイスラム教徒も当てはまります。しかしながら、イス ラム系移民はこのことを知らず、あるいは知っていてもルールを認めずに我を通そうとすることが多い、と自称「仏教系無神論者」の筆者などの目には映ります。

イスラム系移民のかたくなさは、たとえば先年テロに遭った仏風刺新聞シャルリー・エブドのジョークや風刺を受け入れない狭量にもつながります。シャルリー・エブドのイスラム風刺はもちろんイス ラム教徒への侮辱です。だが同時にそれは、違う角度から見たイスラム教やイスラム教徒やイスラム社会の縮図でもあります。立ち位置によって一つのものが幾つ もの形に見える、という真実を認めるのが多様性を受け入れるということです。そして多様性を受け入れない限り、欧米社会における中東移民と地元住民との融合はありえません。それはもちろん欧米側の住民にも求められていることです。

 

facebook:masanorinakasone     official siteなかそね則のイタリア通信

 

イタリア人がベルルスコーニを許す理由(わけ)

 

2019年5月、イタリアの欧州議会議員選挙でベルルスコーニ元首相が率いる「フォルツァ・イタリア」は8議席を獲得しました。ベルルスコーニ氏自身も欧州議会議員に名を連ねました。2013年に脱税で有罪判決を受けて以来、初の公職復帰です。

元首相は少女買春容疑等を含む数々の醜聞や訴訟事案を抱えながらも、1994年から約20年に渡ってイタリア政界を牛耳り、首相在任期間は4期9年余に及びました。2011年に失脚しその2年後に議員資格を剥奪されてからも、自身が率いるFI(フォルツァ・イタリア)党の党首として居座り続けてきました。

他の先進民主主義国ならありえないようなデタラメな言動・行跡に満ちた彼を、なぜイタリア国民は許し、支持し続けるのか、という疑問が国際社会では良く提起されます。その答えは、世界中のメディアがほとんど語ろうとしない、一つの単純な事実の中にあります。

つまり彼、シルヴィオ・ベルルスコーニ元イタリア首相は、稀代の「人たらし」なのです。日本で言うなら豊臣秀吉、田中角栄の系譜に連なる人心掌握術に長けた政治家、それがベルルスコーニ元首相です。

こぼれるような笑顔、ユーモアを交えた軽快な語り口、説得力あふれるシンプルな論理、誠実(!)そのものにさえ見える丁寧な物腰、多様性重視の基本理念、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさ、などなど・・・元首相は決して人をそらさない話術を駆使して会う者をひきつけ、たちまち彼のファンにしてしまいます。

彼のそうした対話法は意識して繰り出されるのではなく、自然に身内から表出されます。彼は生まれながらにして偉大なコミュニケーション能力を持つ人物なのです。人心掌握術とは、要するにコミュニケーション能力のことです。従って元首相が、人々を虜にしてしまうのは少しも不思議なことではありません。

元首相はそのコミュニケーション力で日々顔を合わせる者をからめ取ります。加えて彼の富の基盤である、自身が所有するイタリアの3大民放局を始めとする巨大情報ネットワークを使って、実際には顔を合わせない人々、つまり視聴者まで取り込んで味方にしてしまうのです。

イタリアのメディア王とも呼ばれる元首相は、政権の座にある時も在野の時も、ひんぱんにテレビに顔を出して発言し、討論に加わり、飽くことなく政治主張をし続けてきました。有罪判決を受けて以降も、彼はあらゆる手段を使って自らの潔白と政治メッセージを明朗に且つ雄弁に申し立ててきたのです。

しかしながら彼の明朗や雄弁には、負の陰もつきまとっています。ポジティブはネガティブと常に表裏一体なのです。即ち、こぼれるような笑顔とは軽薄のことであり、ユーモアを交えた軽快な口調とは際限のないお喋りのことであり、シンプルで分りやすい論理とは大衆迎合のポピュリズムのことでもあります。

また誠実そのものにさえ見える丁寧な物腰とは、偽善や隠蔽を意味し、多様性重視の基本理念は往々にして利己主義やカオスにもつながります。さらに言えば、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさは、徹頭徹尾のバカさだったり鈍感や無思慮の換言である場合も少なくありません。

そうしたネガティブな側面に、彼の拝金主義や多くの差別発言また人種差別的暴言失言、少女買春、脱税、危険なメディア独占等々の悪行を加えて見れば、恐らくそれは、イタリア国民以外の世界中の多くの人々が抱いている、ベルルスコーニ元首相の印象とぴたりと一致するのではないでしょうか。

それでもイタリア国民は彼を許し続けています。その証拠に彼は政界で命脈を保ち、先日は欧州議会議員にさえ選ばれました。ポジティブ志向のイタリア国民は、元首相のネガティブな側面よりも彼の明朗に多く目を奪われます。短所はそれを矯正するのではなく、長所を伸ばすことで帳消しにできる、とイタリア国民の多くは信じています。短所よりも長所がはるかに重要なのです。

例えばこういうことです。この国の人々は全科目の平均点が80点のありふれた秀才よりも、一科目の成績が100点で残りの科目はゼロの子供の方が好ましい、と考えます。そして どんな子供でも必ず一つや二つは100点の部分があるから、その100点の部分を120点にも150点にものばしてやるのが教育の役割だと信じ、またそれを実践しようとします。

具体的な例を一つ挙げます。ここに算数の成績がゼロで体育の得意な子供がいるとします。すると親も兄弟も先生も知人も親戚も誰もが、その子の体育の成績をほめちぎり心から高く評価して、体育の力をもっともっと高めるように努力しなさい、と子供を鼓舞するのです。

日本人ならばこういう場合、体育を少しおさえて算数の成績をせめて30点くらいに引き上げなさい、と言いたくなるところでしょうが、イタリア人はあまりそういう発想をしません。要するに良くいう“個性重視の教育”の典型です。醜聞まみれのデタラメな元首相をイタリア人が許し続けるのも、子供の教育方針と似た理由からです。

元首相は未成年者買春や収賄や脱税などの容疑にまみれた男である。同時に彼は性格が明るく、コミニュケーション能力に長け、一代で巨万の富を築いた知略を持つ傑出した男でもある。ならば後者をより重視しよう、という訳です。繰り返しになりますが、短所を言い募るのではなく長所を評価するべき、と考える人が多いのです。

実はそこには「過ちや罪や悪行を決して忘れてはならない。しかしそれは赦されるべきである」 というカトリック教の「赦し」の理念も強く作用していると筆者は思います。人々は元首相の負の側面を決して忘れてはいない。忘れてはいないがあえてそれを赦して、彼のポジティブな要素により重きをおいて評価をしている、とも考えられるのです。

しかし、イタリア人の忍耐と寛容にももちろん限界があります。元首相はかろうじて彼の政治生命を保っていますが、コアな支持者を別にすれば、多くの国民が時間と共に元首相に見切りをつけています。彼が率いる政党への支持率が年々落ち込んでいるのがその証拠です。議員として返り咲いた元首相ですが、再び乱行を重ねれば、さすがの慈悲深いイタリア国民も今度こそ完全にそっぽ向いてしまうことでしょう。

facebook:masanorinakasone

official siteなかそね則のイタリア通信

美味いヤギ料理はいつも世界一に見える

 

2019年6月、イタリア・サルデーニャ島でバカンスを過ごしました。前年と合わせて2年連続での同島への休暇旅になりました。自然が豊かなサルデーニャ島では、名所旧跡巡りよりもビーチで過ごす時間や食ベ歩きが主な楽しみになります。

サルデーニャ島の、いわばソウルフードともいうべき深みのある郷土食また伝統食は、肉料理です。島でありながら魚料理よりも肉料理が充実したのは、外敵の侵略にさらされ続けた島人が、内陸部に逃げ込んで定住した歴史があるからです。

島の肉料理の素材は、豚・牛・鶏・羊・山羊・馬・猪・鹿・驢馬等々です。驢馬を別にすればそれらの食材は欧州ではありふれたもの。また驢馬肉はサルデーニャ島でも珍しい部類の食品です。ひんぱんには見られるものではありません。

サルデーニャ島の有名肉料理にポルケッタ(島語ではporceddu=ポルチェッドゥ)があります。つまり子豚の丸焼き。乳飲み子豚が最高級品とされます。また牛、豚、羊、ヤギなどは肉以外の内臓や器官もよく食べられます。ポルケッタを別にすれば、筆者は島のヤギ及び羊料理が好きです。

牧羊が盛んな島なのでヤギ肉や羊肉(以下=ヤギ・羊肉)も良く食べられていますが、豚や牛や鶏肉などに比較すると目立たちません。通常食材の豚・牛・鶏肉が多く食べられるのは、島が「イタリア本土化」し、経済的に豊かになったからです。かつては ヤギ・羊肉 は島の食文化の中心にありました。

島の「イタリア本土化」つまり島の近代化は、魚介料理の発達ももたらしました。魚料理は昔からもちろん島にはありました。しかし現在の豊富な魚介膳は、イタリア本土の金持ちバカンス客らによって導入された側面が大きい。そしてリゾート地としての同島の中心食は、今や海鮮料理なのです。

四方が海の島だけにサルデーニャの海産物は新鮮です。新鮮であれば魚介は何でも既に美味い。刺身が美味いのがその証拠です。そこにさらに、本土由来の豊穣なイタリア料理のレシピが導入されたのですから、島の魚介膳が飛躍的に発展したのもうなずけます。

特に魚介を使ったパスタは今では、イタリア全国でも屈指の美味さを誇るほどになりました。筆者は島ではいつものように肉料理、中でもヤギ・羊肉料理を探し求めましたが、同時に魚料理も積極的に食べました。ただ魚料理といってもメインコースではなく、魚介パスタのファーストコースが主でした。

今回旅ではアサリとボッタルガ(カラスミの一種)をはじめとするミックス魚介のパスタに見るべきものが多くありました。秀逸な具材の組み合わせと味付けは、舌の肥えたバカンス客を相手にすることが多い、サルデーニャ島のレストランならではの品々だと痛感しました。

だが実は筆者は昨年、よく似た種類のパスタで最悪の味の一皿に同じサルデーニャ島で出会っています。その店の顧客は多くが北欧や旧共産主義圏のバルカン半島からの観光客でした。彼らは食物の味におおらかで、イタメシなら何でも美味い、と思い込んでいるとも評価されます。

それが理由の一つなのかどうか、その店のアサリとボッタルガのスパゲティは両方とも水っぽく、具材の良さが完全に失われた粗悪な一品でした。パスタの本場のイタリアでは麺料理はほぼ常に美味い。それだけに店の不手際は少し異様にさえ見えました。

今年は魚介の美味い店に多く行合いましたが、肉料理には当初は見るべきものがありませんでした。それでも情報を集めてポルケッタが美味いと評判のアグリツーリズモにたどり着きました。しかしそこの料理の味は、昨年食べたポルケッタには遠く及びませんでした。

昨年は島の北部のレストランで、サルデーニャ本来の少し風変わりだが濃厚な味の肉料理を堪能しました。しかし今回は勝手が違うようなので同じ雰囲気の店を探すことは諦め、それ以後はイタリア本土が起源の、だが島独自の要素もふんだんに盛り込んだ、海鮮料理に的をしぼって食べ歩くことにしました。

 

前述のように魚介の店は、ハズレがほとんどない場所の連続でした。その中でも海辺のレストランで食べた、上の写真のアサリ&ボッタルガのスパゲティが超一級品でした。やはり昨年、似たような立地のビーチレストランで食べたパスタとは、似ても似つかない素晴らしい味だったのです。

滞在先に近い島の中心都市カリャリにも足を伸ばしました。そこでは昨年のサルデーニャ肉料理店と良く似た体験をしました。想定外のおどろきのヤギ肉料理に出会ったのです。成獣のヤギ肉をサフランで煮込んだ一皿で、昨年の一大発見である「 羊の成獣の骨付き焼肉 」に勝るとも劣らない風味を閉じ込めた絶品でした。

冒頭の写真がそれです。見た目は、例えば沖縄のヤギ汁から汁だけを取り除いたような一品ですが、味わいはヤギ汁とは雲泥の差のある極上、且つ上品なものでした。上質なヤギ・羊肉料理の常で、独特の豊かな風味は残しながら、それらの肉の最大の欠点である異臭がきれいさっぱり消し去られていました。

ヤギや羊の成獣の肉には、独特の臭気という深刻な障害があります。そこで出色の店は、ハーブや香辛料やワインや酢やリキュール等々を駆使して肉をさばいて臭みを消します。その店ではサフランに加えて、おそらくワインも併用して見事に消臭を成し遂げていました。

ヤギと羊の成獣肉には肉質が非常に硬いという難点もあります。成功した調理法では、異臭を消すと同時に、肉も柔らかく且つ上品な歯ごたえに改良されているケースがほとんどです。筆者が知る限りでは舌触りも必ずまろやかになっています。むろんその店の仕上がりも同様でした。

ヤギ肉のサフラン煮込みとは正反対のサプライズもありました。子羊の骨付き肉のローストを頼んだところ、肉がタイヤのように硬くて、ナイフで切り分けるのも一苦労、という信じがたい代物が出てきたのです。ようやく切り分けて口に含むとやはり異様に硬い。

味は、ま、普通の味でしたが、肉質の硬さが料理を完全にぶち壊しにしていました。成獣肉のサフラン煮込みという見事なレシピを編み出したシェフが、なぜこんなにも粗悪な料理を提供するのか、と筆者は不審になりました。よほどクレームを入れようかと思いましたが、やめにしました。

子羊肉はサルデーニャでは秋から春が旬の食材、という話を思い出したからです。牧羊が盛んなサルデーニャ島では、子羊料理が一年中食べられると思い込んでいた筆者は、再び昨年、子羊料理は季節限定の品だとレストランで告げられてひどくおどろいた経験があります。

冷凍技術が発達した現在では、子羊肉はイタリアでは一年中出回っています。ましてや牧羊が活発なサルデーニャ島なのだからいつでもどこでも食べられると思ったのです。だが牧羊が盛んで羊肉を良く知っているからこそ、サルデーニャの人々は新鮮な子羊肉にこだわる、ということのようでした。

間違った季節に子羊料理を注文した自分が悪い、と筆者は思い直しました。ヤギ成獣肉のサフラン煮込みのあまりの美味さが、子羊料理のガッカリ感を吹き飛ばしていたこともあります。また最高と最悪の味が同居している島の食環境は面白い、という思いもありました。

昨年は最悪の味のアサリとボッタルガのスパゲティを食べました。今年は一転して、妙妙たる口当たりのアサリ&ボッタルガのパスタに出会いました。そして今、超ド級の味覚のヤギ成獣肉を頬張りながら、木切れのように味気ない子羊肉を咀嚼している。実に面白い、と筆者はひとり密かにつぶやきました。

そうやって筆者のヤギ・羊肉料理体験記には、また一つ「世界一」と格付けしたくなる極上レシピがリストに加えられました。そのリストは実は、子ヤギ・子羊料理のランク付けとして始まったものですが、いつの間にかヤギ・羊の「成獣肉」料理の一覧になりつつあります。

ヤギ・羊の成獣肉は、子ヤギ・子羊の肉よりもはるかに臭気が強く肉質も硬い。従って料理の切り盛りも幼獣肉のそれよりずっと難しい。良く言えば珍味、どちらかと言えば“ ゲテモノ ”の部類に入るであろうヤギ・羊の成獣肉を、目覚ましい食材に変貌させるシェフたちの意気と技量に、筆者は大いに感じ入ることが多くなりました。

 



facebook:masanorinakasone
official site:なかそね則のイタリア通信

ベニスを見てから死ね

ベニスは街の全体が巨大な芸術作品と形容しても良い場所です。

その意味では、街じゅうが博物館のようなものだと言われる、ローマやフィレンツェよりもはるかに魅力的な街です。

なぜなら博物館は芸術作品を集めて陳列する重要な場所ではありますが、博物館そのものは芸術作品ではないからです。

博物館、つまり街の全体も芸術作品であるベニスとは一線を画すのです。

ベニスは周知のように、何もない海中に人間が杭を打ちこみ石を積み上げて作った街です。 

そこには基本的に道路は存在しません。その代わりに運河や水路や航路が街じゅうに張り巡らされて、大小四百を越える石橋が架かっています。

水の都とは、また橋の都のことでもあるのです。

ベニスの中心部には自動車は一台も存在せず、ゴンドラや水上バスやボートや船が人々の交通手段となります。

そこは車社会が出現する以前の都市の静寂と、人々の生活のリズムを追体験できる、世界で唯一の都会でもあるのです。

道路の、いや、水路の両脇に浮かぶように建ち並んでいる建物群は、ベニス様式の洗練された古い建築物ばかり。

特にベニスの中心カナルグランデ、つまり大運河沿いの建物はその一つ一つがい謂(いわ)れのある建物群。全てが歴史的建造物。

それぞれの建物は、隅々にまで美と緊張が塗りこめられて大運河の全景を引き立て、それはひるがえって個別の建築物の美を高揚する、という稀有(けう)な街並みです。 

しかしこう書いてきても、ベニス独特の美しさと雰囲気はおそらく読む人には伝わりません。

 ローマなら、たとえばロンドンやプラハに比較して、人は何かを語ることができます。またフィレンツェならパリや京都に、あるいはミラノなら東京やニューヨークに比較して、人はやはり何かを語ることができます。

ベニスはなにものにも比較することができない、世界で唯一無二の都会なのです。

唯一無二の場所を知るには、人はそこに足を運ぶしか方法がありません。

足を運べば、人は誰でもすぐに筆者の拙(つたな)い文章などではとうてい表現し切れないベニスの美しさを知ります。

ナポリを見てから死ね、と良く人は言います。

しかし、ナポリを見ることなく死んでもそれほど悔やむことはありません。

ナポリはそこが西洋の街並みを持つ都市であることを別にすれば、雰囲気や景観や人々の心意気といったものが、たとえば大阪とか香港などにも似ています。

つまり、ナポリもまた世界のどこかの街と比較して語ることのできる場所なのです。

見るに越したことはないが、見なくても既に何かが分かります。

ベニスはそうはいかない。

ベニスを見ることなく死ぬのは、世界がこれほど狭くなった今を生きている人間としては、いかにも淋しいことです。

facebook:masanorinakasone
official site:なかそね則のイタリア通信

地中海のカモメがつぶやいた

昨年に続き地中海のサルデーニャ島でひと足先にバカンスを過ごしました。6月の地中海の気温は高く、だが風は涼しく空気は乾いてさわやかでした。

日本語のイメージにある地中海は、西のイベリア半島から東のトルコ・アナトリア半島を経て南のアフリカ大陸に囲まれた、中央にイタリア半島とバルカン半島南端のギリシャが突き出ている海、とでも説明できるでしょうか。

日本語ではひとくちに「地中海」と言って済ませることも多いのですが、実はそれは場所によって呼び名の違う幾つかの海域から成り立っていて、イタリア語を含む欧州各国語で言い表される地中海も、もっと複雑なコンセプトを持つ言葉です。

地中海にはイタリア半島から見ると、西にバレアス海とアルボラン海があり、さらにリグリア海があります。東にはアドリア海があって、それは南のイオニア海へと伸びていきます。

イタリア半島とギリシャの間のイオニア海は、ギリシャ本土を隔てて東のエーゲ海と合流し、トルコのマルマラ海にまで連なります。それら全てを合わせた広大な海は、ジブラルタル海峡を通って大西洋にあいまみえます。

地中海の日差しは、北のリグリア海やアドリア海でも既に白くきらめき、目に痛いくらいにまぶしい。白い陽光は海原を南下するほどにいよいよ輝きを増し、乾ききって美しくなり、ギリシャの島々がちりばめられたイオニア海やエーゲ海で頂点に達します。

乾いた島々の上には、雲ひとつ浮かばない高い真っ青な空があります。夏の間はほとんど雨は降らず、来る日も来る日も抜けるような青空が広がっています。

さて、エーゲ海を起点に西に動くとギリシャ半島があり、イオニア海を経てイタリア半島に至ります。その西に広がるシチリア島を南端とする海がティレニア海です。

地中海では西よりも東の方が気温が高くより乾燥しています。そして筆者が2年連続でバカンスを過ごしたサルデーニャ島は、地中海のうちでも西方に当たるティレニア海にあり、一方でギリシャの島々の多くは東方のエーゲ海に浮かんでいます。

サルデーニャ島よりもさらに気温が高く空気も乾いているギリシャの島々では、目に映るものの全てが透明感を帯びていて、その分だけ海の青とビーチの白色が際立つように見えます。

ギリシャの碧海の青は、乾いた空気の上に広がる空の青につながって融合し一つになり、碧空の宇宙となります。そこには夏の間、連日、文字通り「雲ひとつない」時間が多く過ぎます。

カモメが強風に乗って凄まじいスピードで真っ青な空間を飛翔します。それはあたかも空の青を引き裂いて走る白光のようです。

サルデーニャ島とギリシャの島々の空と海とビーチの空気感を敢えて比べて見れば、エーゲ海域をはじめとするギリシャの方がはるかに魅力的です。

サルデーニャ島の海やビーチは言うまでもなく素晴らしい。またサルデーニャ島の海上にもカモメたちは舞い、疾駆します。しかし白い閃光のような軌跡を残す凄烈な飛翔は見られません。

上空に吹く風が弱いためにカモメの飛行速度が鈍く、また空にはところどころに雲が浮かんでいて、青一色を引き裂くような白い軌跡は、雲の白に呑み込まれて鮮烈を失うのです。

そうした光景やイメージに、それ自体は十分以上に乾燥しているものの、ギリシャに比較すると湿り気を帯びているサルデーニャ島の環境の「空気感」が加わわります。

それらのかすかな違いが重なって、どこまでもギリシャを思う者の心に、サルデーニャ島の「物足りなさ」感がわき起こります。それは超一級のバカンス地であるサルデーニャ島にとっては、少し理不尽な物思いといわなければなりませんが。

facebook:masanorinakasone
official site:なかそね則のイタリア通信

NHKは矜持を失ったか

私がNHKに対して批判的な記事を書くのは、おそらく今回が始めてではないかと思います。これまでも自分のOFFICIALサイトで度々NHKについて書いてきましたし、お仕事として依頼された原稿を提供している産経デジタル社のサイト、「iRONNA」にも会長問題、受信料問題など書いてきました。

私の論調は一貫してNHK擁護の立場でありました。NHKには時の政権からのいかなる圧力にも屈することなく、不偏不党で中立公正にジャーナリズムの王道を走って欲しい。そのための受信料だから、当然支払うべきだと昔から主張してきました。

かくいう私も長年にわたってNHK内部の人間であり、NHKで働いて禄を食み、子供のミルク代を得てきたという恩義もあります。このサイトを共同で主宰している仲宗根さんと30年前にローマで出会った時、私は株式会社NHKクリエイティブという、今はなきNHKの関連企業に籍を置いていました。自らの社名にクリエイティブと名付けるとは、ずいぶん気負った会社だなと思いましたが、まあいいでしょう。とにかくNHKについて私は知り尽くしています。

時代は令和になって、そこここからNHKの報道姿勢に疑問を持つ声が、急速に高まってきました。「みなさまのNHK」ではなく「安倍様のNHK」に成り果てているのではないかという指摘です。これについては、さすがの私も擁護しきれません。ハッキリ言いましょう。ここ数年間でNHKは80年の伝統で培ってきた中立公正なNHKの矜持をかなぐり捨て、安倍政権の広報機関へと大きく舵を切りました。変貌してしまったのです。もはや長年私がお世話になった古き良きNHKは、どこかへ消え去ってしまったかのようです。

何がNHKを変えてしまったのでしょうか。1万2千人の職員と数万人の外部スタッフが、そう簡単に考え方を変えるでしょうか。NHKの体質に何か根本的な変容があったのでしょうか。

組織の体質などというものはそう簡単に変わるものではありません。私が思うには、体質、などという漠然としたものについて語ってもあまり意味がないのではないでしょうか。あえてNHKの組織としての体質は、と問われるなら、それは役人と職人を融合したような体質だ、とお答えしておきましょう。役人ですから上司の命令には忠実です。一方では「いかなる圧力にも屈せず自らの良心のみに基づいて判断する」という崇高な理念があり、職員は常にその狭間で揺れ動いています。それは今も昔も変わっていないでしょう。

体質ではなく何が変わったのか。それは極めてわかりやすくシンプルです。ズバリ会長人事です。役人組織ですからトップの意向でいかようにも変貌します。NHKの会長は経営委員会で選任されますが、長年にわたってNHK内部からのたたき上げの職員が就任したら、次の会長は外部から選ぶ、その次はまた内部から、と交互に就任してきました。少なくとも私の現役時代はそうでした。

私がNHKにいた頃は内部からのたたき上げの人物が、歴代の会長を務めていました。1989年からの島桂次会長、1991年からの川口幹夫会長、1997年からの海老沢勝二会長と20年にわたって内部からの人選でしたが、内部で派閥を構成する報道局政治部出身と番組制作局出身から交互に選ぶことによって、局内のバランスも取れていました。

それが2008年以降、外部から招聘された会長の代が続くのです。アサヒビールから来た福地茂雄会長、JRから来た松本正之会長、三井物産から籾井勝人会長、現在の上田良一会長と既に10年あまりにわたって、異例の外部出身会長が続いています。会長の人選は経営委員会が行いますが、その経営委員たちは内閣総理大臣によって直接指名されます。

この10年は、安倍晋三の政権期間と見事に一致しています。籾井勝人氏はNHK会長就任の際に「政府が右と言っている時に左とは言えない」と発言して物議をかもしましたが、そういった発言を口に出すか出さないかの違いこそあれ、安倍首相に直接選任された会長がNHKを牛耳っている限り、「みなさまのNHK」ではなく「安倍様のNHK」になるのは当然のことだと私は思います。

画面上のことで言うと、かつて硬派のジャーナリストであった国谷裕子さんがクローズアップ現代から降ろされた頃、その変化は多くの人に感じ取られたと思います。変わって安倍首相にずっと密着して取材を続けてきた報道局政治部の岩田明子記者が、今やメインの解説者として度々ニュースの画面に登場しますが、話す内容はまさに政府広報です。

NHKの経営委員会をここまで指揮下に収めることができたのは、安倍首相の長期政権によるものだと言ってよいでしょう。日本の議院内閣制はたてまえは三権分立ですが、実際には立法、行政、司法の三権が内閣総理大臣に集まりやすくなっています。特に長期政権が続くとその傾向は強まります。三権に続いて四番目の権力と言われるマスコミまで手中に収めた安倍政権は、もはや怖いものなしの独裁者になっているようです。

国民から選挙で選ばれた代議士であり、その代議士から選挙で選ばれた総理大臣なのだから、最も国民の意思を代弁しているはず、という民主主義の原則に基づいていることは間違いないでしょう。だからといって総理大臣は何をしてもよい、というわけではないはずです。

ファシズムは民主主義から生まれます。ヒトラーは公正な選挙によって選ばれ独裁者になったわけで、クーデターでも犯罪を犯したわけでもなかったのです。私はこの日本でもマスコミが政府に牛耳られ、言論が封殺されるようになったなら、それは十分国家の危機だと言うべきだと思います。

NHKにはまだ希望を捨てていません。役人としてだけではなく職人としての資質も持ち合わせているのだから、職員一人ひとりが己の信念に基づいて行動する勇気を持てば、独裁者に屈することなくジャーナリズムを貫徹できるはずだと信じています。信じさせてください。

Stand Up!Wake Up!

9月に会いましょう

イタリアでは毎年6月にもなると、それほどひんぱんには会わない人同士の別れの挨拶として、「9月に会いましょう」というのが多くなります。

夏のバカンス後にまたお会いしましょうね、という意味です。

さらに7月にもなると、しょっちゅう会っている人同士でも、この「9月に会いましょう」が別れの常套句、あるいは合言葉のようになります。

何が言いたいのかといいますと、イタリア人にとっては夏の長期休暇というのはそれほどに当然のことで、人々の日常の挨拶にも如実にあらわれるということです。

良く言われるように、長い人は1ヶ月の休みを取ることも珍しくありません。もちろんそれ以上に長いバカンスを過ごす者もいます。休暇の長さは、人それぞれの仕事状況と経済状況によって、文字通り千差万別です。

裕福な人々や幸運な道楽者のうちには、子供の学校の休みに合わせて、3ヶ月の休暇を取るようなトンデモ人間もいたりしますが、さすがにそれはごく少数派。

それでも、子供の休みに合わせて、妻以下の家族が6月から8月の間は海や山のセカンドハウスに移住し、夫は都市部に残って通常通りに働きながら週末だけ家族の元に通うケースもよくあります。

筆者はそれを「通勤バカンス」と勝手に呼んでいますが、通勤バカンスを過ごす男たちも、もちろんどこかで長期の完全休暇を取ることはいうまでもありません。

休むことに罪悪感を覚えるどころか、それを大いに賞賛し、鼓舞し、喜ぶ人々が住むこの国では、そんな風にさまざまなバカンス模様を見ることができます。

とはいうものの実は、大多数のイタリア国民、つまり一般の勤め人たちは、最低保証の年間5週間の有給休暇のうち、2週間の「夏休み」を取るのが普通です。

それは法律で決まっている最低限の「夏期休暇の日数」で、たとえば筆者がつい最近まで経営していた個人事務所に毛が生えただけのささやかな番組制作会社でも同じです。

会社はその規模には関係なくスタッフに最低2週間の有給休暇を与えなければなりません。零細企業にとっては大変な負担です。

しかし、それは働く人々にとってはとても大切なことだと筆者は感じます。人間は働くために生きているのではない。生きるために働くのです。

そして生きている限りは、人間らしい生き方をするべきであり、人間らしい生き方をするためには休暇は大いに必要なものです。

イタリアでは2週間の夏の休みは、8月初めから同月の半ば頃までの間に取る人が圧倒的に多い。会社や工場などもこの期間は完全休業になります。

ところが、時間差休暇というものがあって、時間に融通のきく仕事を持っている人々の中には、多くの人の休暇が集中する8月の混乱期を避けて、バカンスを前倒しにしたり、逆に遅らせて出かける者も相当数います。

そうすると、普通の期間に休みを取る人々は、休み前にも休みが明けてもクライアントがいなかったり、逆に自らがクライアントとなって仕事を出す相手がいなかったりします。

どんな仕事でも相手があってはじめて成り立ちますから、休暇前や休暇後に相方不在の状況に陥って、仕事の量が減り能率もがくんと落ちてしまいます

そこに長期休暇を取る人々の仕事の空白なども加わって、7月から8月末までのイタリアは、国中が総バカンス状態のようになってしまうのです。

すると人々の心理は、7月特に8月なんてどうせ仕事にならない、というふうに傾いてさらに労働意欲が失せて、ますます仕事が遠のきます。

だから6月にもなると、7月と8月を飛び越して、「9月に会いましょう」が仕事上の人々の合言葉になるわけです。

イタリアがバカンス大国であるゆえんは、夏の間は仕事が回らないことを誰もが納得して、ゆるりと9月を待つところにあります。

プロのテレビ屋としてロンドン、東京、ニューヨークに移り住んで仕事をした後にこの国に来た筆者は、当初は仕事の能率の上がらないイタリアの夏の状況を怒りまくり、ののしりまくっていたものです。

しかし今はまったく違います。これだけ休み、これだけのんびりしながらも、イタリアは一級の富裕国です。働く人々の長期休暇が極端に少ないたとえば日本などよりも、豊かさの質がはるかに上だとさえ感じます。

9月に会いましょう!と明るく声をかけあって、イタリア的に休みまくるのはやはり、誰がなんと言おうが、いいことなのだと思わずにはいられません。

facebook:masanorinakasone

official siteなかそね則のイタリア通信

スイスの銃は発砲されなければならない

「そこにある銃は発砲されなければならない」とする“チェーホフの銃”は、ドラマツルギーの一環としての創作法を提示するに過ぎませんが、“ スイスの銃 ”は現実社会の病の一つを体現する事象としてより深刻です。

2019年5月、スイスでEU(欧州連合)と同じ厳しい銃規制策を採用するかどうか、を問う国民投票が行われました。スイスは伝統的に銃を所有している国民が多い国です。

スイスの人口当たりの銃の保有数は世界で4番目に高い。同国には徴兵制度があり、兵役を終えた人々が軍隊で使った銃を自宅で保管できる独特の仕組みがあります。

スイス国民は彼らの1人ひとりが自国防衛にたずさわるべき、という堅牢な考えを持っています。そのため兵役を終えた後も、自宅に銃を置いて“いざ鎌倉”に備えるのです。

スイスは永世中立国です。従って理論的にはこちらからは戦争を仕掛けません。しかし、国土が侵略された場合は速やかに立ち上がって戦う、というのが彼らの決意です。そして戦いには銃が必要です。

スイス国民、特に男性は、銃の扱いに慣れるように教育されます。銃の使い方を学ぶのは彼らの義務なのです。そのことを象徴するように、13~17歳の少年を対象にした全国的な射撃コンテスト等も行われます。

スポーツとしてのライフル射撃なども同国では人気があります。また自己防衛や狩猟等のために銃を保有するのは当然の権利、という基本理念もあります。そうしたことの全てがスイス人の銃所持の壁を低くします。

日本とは大きく違って、欧米をはじめとする世界の国々では、銃保有は当然の権利と捉えられるのが普通です。スイスも例外ではないということです。

スイスの銃規制はゆるいとは言えませんが、銃保有の割合が高いために、同国はEU(欧州連合)から国内の銃保有率を下げるように、としきりに要請されてきました。

スイスはEU加盟国ではありません。しかし、人とモノの移動の自由を定めた「シェンゲン協定」には加盟しています。そのためにEUは、スイスが銃規制策も彼らと同基準にするように求め続けたのです。

それを踏まえてスイスは先日、EUの要請を受けるかどうかを問う国民投票を実施したのです。その結果、EUと足並みをそろえるという主張が勝利。スイスの銃規制は強化されることになりました。

スイスは既述のように国民の銃保有率が高い国ですが、イスラム過激派のテロが頻発する昨今のEU各国や、歴史的に銃が蔓延する米国のような銃乱射事件はほとんど起きません。

最後に銃乱射事件が起きたのは2015年5月9日。スイス山中の静かな村で、男が別れた妻の両親と弟を銃撃した後、偶然通りかかった隣人も殺害し、自らも自殺して果てる事件が起きました。

背景には複雑な家族の問題がありました。男は暴力的で、彼から逃れるために妻が子供3人を連れて家を出ました。逆恨みした男は妻の実家を襲って犯行に及んだのです。

家族間のトラブルから来る発砲事件はここイタリアでもよく起こります。それなのにイタリアのメディアは当時、外国のスイスのその事件を大きく伝えました。それが「スイスでの事件」だったからです。

スイスはイタリアよりもはるかに銃保有率の高い国です。兵役後も成人男性のほとんどが予備役または民間防衛隊の隊員であるため、既述のように多くの家庭に自動小銃や銃弾が保管されています。

それにも関わらずに、銃を使ったスイスでの犯罪はイタリアよりも桁違いに少ないのです。スイスでは過去30年以上に渡って、銃による虐殺事件は前述の2015年のケースも含めてたった9回しか起きていません。

だからこそニュースになるのですが、その時はちょうどイタリア・ミラノの裁判所で被告人が弁護士や裁判官を銃撃する、という前代未聞の事件が起きた直後でした。それだけに、イタリアのメディアはスイスの「珍しい」銃撃事件を大きく報道したのです。

銃犯罪が少ない一方でスイスでは、銃を使った自殺が多発します。銃によるスイスの自殺者の数は逆に、イタリアとは比べものにならないくらいに多いのです。

スイスでは一日あたり3~4人が自殺をします。年間では交通事故の死亡者数の4倍にも上る数字です。そのうち銃で自殺をする人の割合は25%弱。欧州で最も高い割合です。

銃で自殺をする人が多いのは、そこに銃があるからです。自殺のほとんどは衝動的なものです。とっさに自殺したくなった時に、わざわざ銃を買いに行く者はいません。身近にある銃に手を伸ばすのです。

しかし、スイスで銃による自殺が多いのはそれだけではないように思えます。スイスでは安楽死及び尊厳死が合法化されています。正確に言えば自殺幇助が許されているのです。

不治の病に冒された人や耐え難い苦痛に苦しむ人々が死を望めば、医師が自殺を幇助してもよい。スイスには自殺願望のある不運な人々が国内はもとより世界中から集まります。

安楽死や尊厳死を認めるスイス社会の在り方が、スイス人1人ひとりの心中に潜む自殺願望を助長しあるいはそれへの抵抗感を殺ぎ、結果として銃による自殺の割合も欧州で最も高くなる、という見方もできます。

安楽死や尊厳死というものはありません。死は死にゆく者にとっても家族にとっても全て苦痛であり、悲しみであり、ネガティブなものです。あるべきものは幸福な生、つまり安楽生と、誇りある生つまり尊厳生です。

不治の病や限度を超えた苦痛などの不幸に見舞われ、且つ人間としての尊厳をまっとうできない生はつまり、安楽生と尊厳生の対極にある状態です。人は 安楽生または尊厳生を取り戻す権利があります。

それを取り戻す唯一の方法が死であるならば、人はそれを受け入れても非難されるべきではありません。死がなければ生は完結しません。全ての生は死を包括します。安楽生も尊厳生も同様です。

その観点から筆者は安楽死・尊厳死を認めるスイス社会のあり方を善しと考えます。しかしそれがスイスにおける銃自殺率の高さに貢献しているのであれば、銃規制の厳格化はもちろん朗報です。

銃がそこになければ、銃によるスイスの人々の自殺率は、世界中のほぼ全ての国と同じように国民の銃保有率と正比例するだけの数字になり、もはや驚くほどのものではなくなるでしょう。



facebook:masanorinakasone
official site:なかそね則のイタリア通信