戒厳令も敷けるのが真の民主主義かも



2020年2月23日19:00現在、イタリアの「COVID-19」患者数 は152に増加。北部のロンバルディア、ヴェネト、ピエモンテ、エミリア・ロマーニャ州と、中部のラッツィオの5州が感染地域です。

このうち最も感染者が多いのはミラノが州都のロンバルディア州。

ロンバルディア州とヴェネト州、ピエモンテ州の3州は、保育園から大学までの全ての学校を閉鎖し、公私に渡る集会や催し物、プロサッカーを筆頭にするあらゆるスポーツイベント、各種コンテストや祭り等々を当面の間は禁止するとしました。

ミラノのスカラ座を始めとする劇場や映画館、各種娯楽・歓楽施設も閉鎖します。また2月25日まで続くはずだったベニスカーニバルも即座に打ち切りとなりました。

またカフェやバールやパブやワインバーなどの営業は午後6時までに。ただしレストランは今のところは規制しません。だが状況によっては、明日にでも全ての店の閉鎖命令が出るものと考えられます。

厳しいように見えるそれらの措置は、過去にペスト流行の悪夢などを経験しているイタリアの基準では実はゆるい類の規制です。

今回、突然ウイルス流行の爆心地となったロンバルディア州の10の自治体と、欧州初の死亡者が出たヴェネト州の1つの自治体は、人の出入りを含む一切の活動が禁止・封鎖されました。

合計人口が5万人になるそれら11の自治体は、24時間態勢で警察の監視を受け軍隊もスタンバイします。つまりそこは、ほぼ戒厳令下に置かれることになったのです。

ほぼ戒厳令下に置かれているのは、筆者の住まいから遠くない地域です。筆者はロンバルディア州の住人なのです。

そればかりではありません。もうひとつの戒厳令発動地であるヴェネト州も、ロンバルディア州の隣接地です。ウイルス話や封鎖は他人事ではないのです。

さて、ここからはウイルスパニックにまつわるこぼれ話を記します。

事態が悪化すれば、筆者の住む村のあたりもたちまち“ほぼ”戒厳令下の状況に置かれる可能性が出てきました。そこで念のために明日にでも食料の買出しに出よう、と先刻妻と話し合いました。

ミラノから近く、筆者も息抜きのためにひんぱんに訪ねるスイスは、イタリア人通勤者を締め出さない、と表明しました。

スイスにはまだコロナウイルス感染者は出ていません。ところがイタリアのウイルス感染爆心地のロンバルディア州からは、多くのイタリア人が国境を越えてスイスに仕事に向かいます。

だからスイス政府は、イタリアの不安をやわらげようとして、わざわざそうコメントを出したのです。

一方、南部イタリアのナポリ湾に浮かぶ有名リゾート地のイスキア島は、北部のロンバルディア州人とヴェネト州人、また中国人の入島を拒否する、とわざわざ宣言しました。

ナポリもイスキア島も大好きな、且つロンバルディア州住民で中国人にも親近感を持つアジア人の筆者は、イスキア島の怖い主張に心が萎えました。

外国のスイスとはずいぶん違う対応だと少し悲しくもなりました。

新型コロナウイルス「COVID-19」」は厄介です。実にうっとうしく恐怖でもあります。だがもうひとつの真実も決して忘れてはなりません。

つまり「COVID-19」」は、今この時も世界中で蔓延しているインフルエンザに比べた場合、より小さな脅威です。インフルエンザの方がはるかに巨大な殺人疾患なのです。

それでも「COVID-19」が大問題であるのは、治療法が分からずワクチンもないからです。またその状況でウイルスが突然変異して、人類の制御力の及ばない死のパワーを獲得する可能性があるからです。

要するにわれわれは、ウイルスの正体が分からないからそれを恐れるのであり、また恐れなければなりません。それは真っ当な態度です。

だがイスキア島の態度は真っ当ではない。なぜなら島は、正体が分からないウイルスと正体が明らかな北部イタリア人と中国人を、敢えて一緒くたにして全て「分からないもの」と見なしているからです。

分からないもの」ですから、島は北部イタリア人と中国人を差別するのです。それは間違っています。

だが残念ながら、ウイルス・パニックは今後、世界中でイスキア島の誤謬と同じ現象や動きやトレンドをひんぱんに引き起こす可能性が高い。

その意味では「COVID-19」の真の恐怖は死の恐怖ではなく、それの蔓延によって人々の差別意識があらわになる現実であるのかもしれません。


※オリジナル記事2月24日 なかそね則のイタリア通信 より加筆転載

 

 

 

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バタフライ・エフェクト

「COVID-19」にまつわるイタリアの状況はめまぐるしく変化しています。言葉を替えれば、ウイルスの感染が急速に拡大しているのです。

イタリア時間の今朝早く筆者は、北部イタリアでふいに「COVID-19」患者が続出し、初の死者が出たと発信しました。それからほぼ9時間後の今、2人目の犠牲者が出たことを報告しなければなりません。

初めの死亡者は78歳の男性。今回の犠牲者は75歳の女性です。男性は感染経路が判然としない町の住人。女性は、38歳の男性を起点に広がっているミラノ近郊の感染被害者グループの一人です。

ちなみに亡くなった2人は、イタリアのみならず欧州初のヨーロッパ人の死者です。ヨーロッパで初めての「COVID-19」犠牲者は、先週フランスで死亡した80歳の中国人男性です。人種差別意識からではなく、多くの欧州の患者が中国人である(あった)事実を伝えるために、敢えて記しておきたいと思います。

ついでに言えば、2月21日以前の全てのイタリアの感染者はわずか3人。2人がイタリア旅行中の中国人。1人は武漢から帰国したイタリア人でした。

ところが、今日ここまでに感染者は40人近くにまで激増し、その全員がイタリア人です。感染は中国人の枠を超えて、明確に欧州地元の住人の間に広がっています。少なくとも2020年2月22日夕方現在のイタリアではそうです。

筆者は今、住まいからそう遠くない地域で感染が拡大している現実にこれまでにない危機感を覚えると同時に、イタリア政府が昨年、中国と「一帯一路」連携への覚書を交わした因果を深い感慨と共に繰り返し思ってます。

イタリア政府は低迷する経済へのテコ入れを主な理由に、反対するEUを押し切り国益を優先しつつ、独立独歩の精神にも恥じないやり方で中国と覚書を交わしました。結果、中国との関係が深まりヒトとモノの往来が急増しました。

それが今このときのイタリアの不幸を呼んでいるのではないか、としきりに思っています。

イタリアは中国で新型コロナウイルスの感染拡大が明らかになるや否や、中国政府の猛反発を意に介することなく台湾、香港、マカオを含む中国便を、世界で真っ先に全面禁止措置にしました。

その果断なアクションは恐らく間違っていません。

だが、そのときはすでに遅く、中国発の新型ウイルスは、イタリア-中国間の大量のモノとヒトの交流にまぎれてこの国に達してしまっていた。。。

いささか感傷的ながら、筆者はどうしてもそんな物思いから抜け出せずにいます。

※オリジナル記事2月24日 なかそね則のイタリア通信 より加筆転載

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イタリアの落とし穴

イタリア北部でふいに「COVID-19」が出現しました。ゾンビのように、という形容がそらぞらしいほどの唐突な印象。あるいは報道管制でも敷いていたのだろうか、と疑いたくなるほどです。突然に市中感染らしいケースも明らかになり、感染は急速に拡大しそうな様相を呈しています。

これまでのイタリアの「COVID-19」患者は3人でした。2人はイタリア旅行中の中国人夫婦。1人は武漢から専用機でイタリアに帰国した、56人のイタリア人のうちの1人で若いイタリア人男性です。中国人夫婦は回復し、イタリア人男性も状態は安定。ほぼ回復していました。

ところが事態は急展開。北部ロンバルディア州の街で集団感染にも近いケースが発覚しました。38歳のイタリア人男性が新型コロナウイルスに感染し男性の妊娠中の妻も感染。また男性が所属しているスポーツクラブのメンバーや医療関係者などにも感染していることが次々に明らかになっています。

同時にベニスが州都のヴェネト州でも2人の患者が出て、そのうちの78歳の男性が死亡。イタリア初の「COVID-19」犠牲者。こちらの2ケースは今のところ感染経路が不明です。

世界で初めて中国便をシャットアウトして、危機管理能力の高さを示したように見えたイタリアには、それ以前に既に新型コロナウイルスが侵入していた、ということのようです。

その見方が正しいなら、イタリアは中国の「一帯一路」構想を支持し、同国と覚書まで交わした政治のツケを払い始めた、とも言えるかもしれません。それというのも覚書以来イタリアには、中国人観光客が大量に押し寄せ、ビジネス関連の交流も活発になって人の行き来が急激に増えていたからです。

イタリアは突然、欧州で最も「COVID-19」患者の多い国になりました。劇的な展開に衝撃を受けているのは筆者だけではないでしょう。しばらくはこの驚異的な現象に目をこらしていこうと思います。それが「しばらくの間」の作業であることを祈りつつ。。。

※オリジナル記事2月22日 なかそね則のイタリア通信 より加筆転載

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コロナウイルスよりも毒性の強い魔物

2020年2月23日19:00現在、イタリアの「COVID-19」患者数 は152に増加。北部のロンバルディア、ヴェネト、ピエモンテ、エミリア・ロマーニャ州と、中部のラッツィオの5州が感染地域です。

このうち最も感染者が多いのはミラノが州都のロンバルディア州。

ロンバルディア州とヴェネト州およびピエモンテ州の3州は、保育園から大学までの全ての学校を閉鎖し、公私に渡る集会や催し物、プロサッカーを筆頭にするあらゆるスポーツイベント、各種コンテストや祭り等々を当面の間は禁止するとしました。

ミラノのスカラ座を始めとする劇場や映画館、各種娯楽・歓楽施設も閉鎖されます。また2月25日まで続く予定だったベニスカーニバルも即座に打ち切りとなりました。

またカフェやバールやパブやワインバーなどの営業は午後6時までに。ただしレストランは今のところは規制せず食料品店も同じ。だが状況によっては、明日にでも全ての店の閉鎖命令が出ることでしょう。

厳しいように見えるそれらの措置は、過去にペスト流行の悪夢などを経験しているイタリアの基準では実はゆるい類の規制です。

今回、突然ウイルス流行の爆心地となったロンバルディア州の10の自治体と、欧州初の死亡者が出たヴェネト州の1つの自治体は、人の出入りを含む一切の活動が禁止・封鎖されました。

合計人口が5万人になるそれら11の自治体は、24時間態勢で警察の監視を受け軍隊もスタンバイします。つまりそこは、ほぼ戒厳令下に置かれることになったのです。

ほぼ戒厳令下に置かれているのは、筆者の住まいから遠くない地域です。筆者はロンバルディア州の住人なのです。

そればかりではありません。もうひとつの戒厳令発動地であるヴェネト州も、ロンバルディア州の隣接地です。ウイルス話は他人事ではないのです。

さて、ここからはウイルスパニックにまつわるこぼれ話です。

事態が悪化すれば、筆者の住む村のあたりもたちまち“ほぼ”戒厳令下の状況に置かれる可能性が出てきました。そこで念のために明日にでも食料の買出しに出よう、と先刻妻と話し合いました。

ミラノから近く、筆者も息抜きのためにひんぱんに訪ねるスイスは、イタリア人通勤者を締め出さない、と表明しました。

スイスにはまだコロナウイルス感染者は出ていません。ところがイタリアのウイルス感染「爆心地」のロンバルディア州からは、多くのイタリア人が国境を越えてスイスに仕事に向かいます。

だからスイス政府は、イタリアの不安をやわらげようとして、わざわざそうコメントを出したのです。

一方、南部イタリアのナポリ湾に浮かぶ有名リゾート地・イスキア島は、北部のロンバルディア州人とヴェネト州人、また中国人の入島を全面拒否する、とわざわざ宣言しました。

ナポリもイスキア島も大好きな、且つロンバルディア州住民で中国人にも親近感を持つアジア人の筆者は、イスキア島の怖い主張に心が萎えました。

スイスとはずいぶん違うなぁ、と少し悲しくもなりました。

「COVID-19」の 新型コロナウイルスは厄介です。実にうっとうしく恐怖です。しかしもうひとつの真実も決して忘れてはなりません。

「COVID-19」」は、今この時も世界中で蔓延しているインフルエンザに比べたなら、より小さな脅威です。インフルエンザの方がはるかに巨大な殺人疾患です。

それでも「COVID-19」が大問題であるのは、治療法が分からずワクチンもないからです。またその状況でウイルスが突然変異して、人類の制御力の及ばない死のパワーを獲得する可能性があるからです。

要するにわれわれは、ウイルスの正体が分からないからそれを恐れるのであり、また恐れなければなりません。それは真っ当な態度です。

だがイスキア島の態度は真っ当ではありません。なぜなら島は、正体が分からないウイルスと正体が明らかな北部イタリア人と中国人を、敢えて一緒くたにして全て「分からないもの」と見なしているからです。

分からないものだから、島は北部イタリア人と中国人を差別するのです。それは間違っています。

だが残念ながら、ウイルス・パニックは今後、世界中でイスキア島の誤謬と同じ現象や動きやトレンドをひんぱんに引き起こす可能性が高い。

その意味では「COVID-19」の真の恐怖は、死の恐怖などではなく、それの蔓延によって人々の差別意識があらわになる現実かもしれません。

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ベニスカーニバルもサンレモ音楽祭も取り憑き殺す激爆ウイルス

2月のイタリアは例年、カーニバルとサンレモ音楽祭で活気づきます。カーニバルはイタリア全国で催される祭り。特にベニスのそれが有名です。また70年の歴史を持つサンレモ音楽祭は、5夜にわたって繰りひろげられるいわばイタリアの「紅白歌合戦」。

2月8日に幕を閉じたサンレモ音楽祭は、視聴率や広告収入が大幅にアップするなど近年にない盛り上がりを見せました。しかしメディアの注目が新型コロナウイルス・パニックに集中してしまい、本来ならもっと高くなるべき筈の祭りへの関心が、著しく削がれてしまいました。

一方ベニスカーニバルは、音楽祭と入れ替わるように2月8日に始まりました。ベニスには近年、時として地元の人々が嫌うほどの数の中国人観光客が押し寄せます。2月25日まで続くカーニバルには、しかし、中国人の姿は多くは見られません。新型コロナウイルスの侵入を恐れるイタリア政府が、1月末から全ての中国便を差し止めているからです。

イタリアが世界に先駆けて中国往来便を無期限全面禁止にしたのは、中国人観光客の激減という弊害はあるものの、どうやら正解だったようです。クルーズ船での感染問題が深刻な日本の状況と比較しての今のところの感触ですが、わざわざ日本とイタリアを比較するのにはそれとは別の理由があります。

新型コロナウイルス恐慌が起きる直前まで、日本は中国で最も人気の高いアジアの海外旅行先という統計が出ていました。一方イタリアは同時期、フランスやスペインまたイギリスなどの人気スポットを抑えて、中国人に最も人気のある欧州での旅行先になっていたのです。

欧州の4国はそれまでも同カテゴリーで熾烈な順位争いをしてきましたが、2019年3月、イタリアが中国との間に「一帯一路」への連携を約束する覚書を交わしたことで、この国に入る中国人観光客が爆発的に増えて、一躍トップに躍り出ました。

覚書以降、中国からの観光客は増え続け、昨年11月にベニスが史上まれに見る水害に襲われたときには、“水の都ベニスが中国人観光客の重さで急速に沈みつつある”というデマが飛ぶほどになりました。

そうした悪意ある風評は、中国人観光客のマナーの悪さや中国人移民の増加、また中国本土の一党独裁政権に対するイタリア国民の不信感など、これまでに醸成された負のイメージが相乗し錯綜して、深化拡大していったものです。

イタリアがいち早く中国便を締め出したのは、言うまでもなくパンデミックへの警戒感が第一義ですが、それ以外にもいくつかの理由があったと考えられます。その第一はEU(欧州連合)の反対を押し切って、G7国として初めて中国との間に前述の 「一帯一路」覚書を交わしたことへの反省です。

EUは中国の覇権主義への警戒感から覚書に難色を示しました。それに対してイタリアは「覚書は拘束力を持つものではなく、我々が望めばすぐに破棄できる」と弁解しました。だがEUの疑念は払拭されませんでした。そこで今回イタリアは、中国便を素早く且つ容赦ない形で排除して、EUの疑念を晴らそうとしたのです。

その施策は、国中にあふれるおびただしい数の中国人移民や、覚書を機に爆発的に増えた中国人観光客への違和感も持ち始めていたイタリア政府と国民にとって、都合の良い一手でもありました。また同時にそれは、観光産業への打撃を覚悟した策でもありました。

そうしたいきさつをひも解くと、イタリアと日本の置かれた状況は意外にも良く似ています。日本にはイタリアに見られるような中国人移民への苛立ちはないかもしれません。しかしながら観光客のマナーの悪さや、中国政府の覇権主義などへの反感は、イタリア同様に強いものがあるのではないでしょうか。

また、中国人観光客を拒否したときに、観光産業が強い悪影響を受ける点も両国は似ています。それでいながらイタリアは、たちどころに中国便を全面禁止にし、日本はそうはしませんでした。その違いが2月20日現在の両国のウイルス感染者数の差異になって現れた、と考えるのは荒唐無稽でしょうか。

日本に於けるウイルスの感染経路はクルーズ船であり航空ルートではない、という反論もありそうです。それに対しては「もしもクルーズ船のルートがあったならば、イタリアはきっとそこも大急ぎで閉鎖していただろう」と応じようと思います。要するに何が言いたいのかといえば、日伊両国間には危機管理能力の大きな差がある、ということです。

さらに話を続けます。伝統的にアバウトなようで実はしたたかなイタリア政府は、中国便を締め出す一方で、同国との仲を白紙撤回させる気はなく、航空便の全面禁止は行き過ぎだとして猛反発する中国政府に、施策は一時的な予防措置だと言葉を尽くして説得し、事態を沈静化させました。

畢竟イタリア政府は、EUや中国、ひいてはアメリカを始めとする世界の反応もしっかりと見据え考慮に入れながら、国としての峻烈な危機管理策をためらうことなく発動した、という解釈も成り立つのです。

いうまでもなく新型コロナウイルス恐慌がどこに向かうのか誰にも分かりません。またウイルスの脅威は実体よりも大きく喧伝されていて、今のところはむしろ風評被害また報道被害のほうがはるかに深刻なのではないか、というふうにさえ見えます。

いずれにしてもウイルスの暴走は気温が上がる春頃には終息に向かうと考えるのが妥当でしょうし、希望的観測も兼ねてそう願いたいと思います。そうなっても、また不幸にしてさらに長期化するにしても、イタリアの危機管理のあり方は日本が学ぶべき余地があるように思うのですが、いかがでしょうか。

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イタリアが大急ぎで中国便を締め出した理由(わけ)

イタリアの新型コロナウイルス感染者は、2月13日現在3人です。内訳はイタリア人1人と中国人旅行者夫婦。数は少ないもののメディアの騒ぎと国民の不安や関心は、世界中のどの国にも負けないほどに大きくなっています。

テレビの定時ニュースは、ほぼ間違いなくウイルス関連の話題で始まり、しかも放送時間も長い。それらのほかに特別番組が盛んに組まれています。

朝ワイドや昼ワイド、バラエティ番組やトークショーなどでも取り上げられ、新聞雑誌などの紙媒体もWEBも皆同じ。新型コロナウイルス一色になっています。

ウイルス関連情報の洪水の中で確実に醸成されていっているのが、中国や中国人への偏見差別や怨みや怒りです。

メディアはできるだけ人々の嫌中国人感情を煽らないように慎重な報道を続けていますが、事態が中国発の災難であることは子供でも知っていますから、人々の表立ってのあるいは秘匿した感情は抑えようがありません。

中国人移民の皆さんには気の毒ですが、そうした悪感情はSARSなど過去の中国発のリスクや、年々増え続ける中国人移民への苛立ち、また中国の一党独裁政権へのイタリア国民の反感などもからまっていて、一筋縄ではいきません。

イタリア政府はコロナウイルスの感染が中国で拡大し始めたのを見て、台湾、香港、マカオを含む中国便を、欧州で真っ先に全面的禁止措置にしました。先月末のことです。それは世界初の果断な動きでした。

イタリアの施策には中国本土はもとより台湾からも強い反発・抗議がありました。中国はイタリアのやり方は行き過ぎだと怒り、台湾はイタリアが「台湾も中国」とみなしていっしょくたにしたことに反発したのです。

各国に先駆けて、イタリアが中国往来便を締め出すというドラスティックな決定をしたのは、ウイルスへの恐怖もさることながら、昨年3月、中国との間に「一帯一路」構想を支持する旨の覚書を交わしたことが影響しているのではないか、と筆者は思います。

EUが懸念する中国の「一帯一路」構想に、イタリアがG7国として初めて支持を表明し、協力関係を構築する旨の覚書を交わしたときは、EU(欧州連合)は言うまでもなく米国を含む世界中が驚きました。

覚書は連立与党であるポピュリストの五つ星運動のゴリ押しで成立しました。一方の連立与党である極右の同盟はこれには懐疑的でした。また2019年9月、同盟に代わって連立政権に加わった民主党も、五つ星運動ほどには中国との連携には熱心ではありません。民主党はEU信奉者であるだけになおさらです。

「コロナウイルス狂乱が起きると“同時に”」と形容しても過言ではないほどの迅速な動きで、イタリアが中国便を全面禁止にした背景には、イタリア政府が、 「一帯 一路」問題でEUをいわば裏切ったことへの反省があったからではないか、と思います。

つまり、いの一番に中国便を締め出すことで、イタリアが中国とそれほど深い関係にあるのではない、とEUに向けてアピールしたかったのではないか。昨年3月に中国と覚書を交わした際イタリアは、EUからの批判に答える形で「覚書は拘束力を持つものではなくイタリアが望めばすぐに破棄できる」と弁解しました。しかしながらそれでEUの疑念が完全に払拭されたわけではありませんでした。

そこで今回イタリア政府は、中国便を素早く且つ容赦のない形で排除することで、中国との連帯がEUが疑うほど重いものではない、と当のEUと世界に向けて訴えようとしたのではないか。そしてそれは民意の大半にも沿うアクションであったと筆者は思います。

だが伝統的に、アバウトなようで実はしたたかなイタリア政府は同時に、中国との仲を白紙撤回させる気は毛頭なく、彼らの方策に抗議する中国政府に対しては、一時的な予防措置であることを、マタレッラ大統領を筆頭に政府首脳が言葉を尽くして説明し、事態を沈静化させました。

中国は一応抗議はしたもののイタリアの意図を受け入れました。イタリアの断固とした動きは中国政府をおどろかせた。いや、中国はイタリアのアクションをむしろ恐れさえしたのではないか。その証拠に中国本土で旧正月の休みを過ごしたイタリア在住の中国人の子供たちは、帰伊後に一斉に「自主的」に自宅待機を宣言して、しばらくは学校に行かないことを決めました。

その決定をしたのは、イタリアで中国人移民の割合が最も多い自治体「プラート」。フィレンツェの隣町です。町の中国人コミュニティは自らを進んで隔離して、子供たちが学校でウイルスを撒き散らす危険を避けたのです。その一糸乱れぬシンボリックな団体行動は、イタリアの思い切った処置に衝撃を受けた中国の強権政府が、住民に圧力をかけたから起きたと考えられます。

そうやって自粛行為をするのは、中国人移民にとっても恐らく為になることです。それというのも、コロナウイルスへの恐怖は残念ながらこの国の民心を惑わして、中国人への偏見差別を助長させています。それは伝播して日本人にまで及ぶ事態さえ起きました。中国人移民の皆さんが外出や目立つ行動を控えるのは、今の状況ではおそらく悪いことではない、というふうに見えます。

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ヤギ食えばおのこが立つかも島の秋

子ヤギ肉と成獣肉

先日、例によってイタリア・サルデーニャ島で子羊及び子ヤギ料理を探し求めていた筆者は、これまで味わった中では最も美味い羊の「成獣肉」膳に出会いました。子羊肉は中東や欧州ではありふれた食材ですが成獣肉のレシピはまれです。

筆者がヤギや羊肉料理(以下ヤギ肉に統一)にこだわるのは、単純にその料理が美味くて好き、というのがまず第一ですが、自分の中に故郷の沖縄へのノスタルジーがあるせいかも、と考えないでもありません。

沖縄の島々ではヤギ肉が食べられます。筆者が子供の頃は、それは貴重な従って高級な食材でしたので、豚肉と同様にあまり食べることはできませんでした。たまに食べるとひどく美味しいと感じました。

島々が昔よりは豊かになった今は、帰郷の際にはその気になればいくらでも食べることができます。が、昔のように美味いとは感じなくなりました。料理法が単調で肉が大味だからです。

ところがここイタリアを含む欧州や地中海域で料理される“子ヤギの肉”は、柔らかく上品な味がしてバラエティーにも富んでいます。ヤギ肉独特のにおいもありません。

貧困ゆえの食習慣

沖縄では子ヤギは食べません。成獣のみを食べます。子ヤギを食べないのは貧困ゆえの昔の慣習の名残りだろう、と筆者は勝手に推測しています。

小さなヤギは、大きく育ててから食肉処理をするほうがより多くの人の空腹を満たす食材になります。ですから島の古人は、子ヤギを食べるなどという「贅沢」には思いいたらなかったのです。

ヤギの成獣には独特のにおいがあります。それは多くの人にとっては不快な臭気です。だが臭気よりは空腹の方がはるかに深刻な問題です。それなので貧しい島人たちは喜んでヤギ肉を食べました。

食べるうちに人は臭みに慣れていきます。やがて臭みは臭みではなくなって食材の個性になります。さらに食べると、むしろ臭みがないと物足りない、というところまで味覚が変化していきます。それが島々のヤギ料理です。 


筆者の遠い記憶の中には、貧しかった島での、ヤギ肉のほのかなイメージがあります。たまにしか口にできなかったその料理のにおいは臭みではなく、「風味」だったのだと思います。

その風味は、筆者の中では今は成獣肉のそれではなく「子ヤギ肉の風味」に置き換えられています。つまりここイタリアを含む地中海域の国々で食べる「子ヤギ」肉の味と香りなのです。

子ヤギの肉にはヤギの成獣の肉の臭みはありません。肉の香ばしさだけがあります。食肉処理される子ヤギとは、基本的には草を噛(は)む前の小さな生き物だからです。

成獣肉の行方

筆者が知る限り、ここイタリアではヤギの成獣の肉は食べません。羊も同じ。牧童家や田舎の貧しい家庭などではもちろん食されているとは思いますが、市場には出回りません。臭みが強すぎるからです。

しかし、スペインのカナリア諸島では、筆者は一級品のヤギの成獣の肉料理を食べた経験があります。それにはヤギの臭みはなく肉もまろやかでした。秘伝を尽くして臭いを処理し調理しているのです。

トルコのイスタンブールでも、羊の成獣の肉らしい美味い一品に出会いました。その店はカナリア諸島のように「成獣の肉」と表立って説明してはいませんでしたが、風味がほんのりと子羊とは違っていました。

子ヤギや子羊肉を伝統的に食する文化圏の国々には、そんな具合に成獣の肉をうまく調理する技術が存在します。イタリアでも隠れた田舎あたりではおそらくそうなのだろう、と筆者が憶測するゆえんです。

人工処理

実は「レシピ深化追求」の歴史がなくともヤギの臭みをきれいに消すことはできます。そういう料理に筆者はなんとヤギ食文化「事件」当事者の沖縄で出会ったのです。ほんの数年前のことです。

ヤギ料理をブランド化し観光客にもアピールしよう、という趣旨で自治体がレストランに要請して、各シェフに新しいヤギ料理を考案してもらい、それを試食する会が那覇市内のホテルで開かれました。

たまたま帰郷していた筆者もそこに招待されました。びっくりするほど多彩なヤギ料理が提供されていました。どれも見た目がきれいで食欲をそそられます。

食べてみるとヤギ肉独特の臭みがまったくと言っていいほどありません。まずそのことにおどろかされました。だが味はどれもこれもフランス料理の、ま、いわば「二流レシピの味のレベル」という具合でした。

どの料理もシャレていて美しいのですが、味にあまり個性がない。ヤギ肉の臭みを消す多くの工夫がなされる時間の中で、肉の風味や個性も消されてしまった、とでもいうふうでした。

多くの場合、島々の素朴を希求して訪れる観光客に、それらのヤギ肉料理が果たして好まれるだろうか、と筆者はすぐに疑問を持ちました。

それらは全て美しくまとまり味がこってりとしていて、ひと言でいえば洗練されています。でもなにかが違います。いかにも「作り物」という印象で、島々の素朴な風情と折り合いがつかない。居心地がわるいのです。

女性が食の流行をつくる

言葉を替えれば、この飽食の時代に、ほとんどの日本人にとっては新奇、もっといえばゲテモノ風のヤギ肉料理が、はたして食欲をそそる魅力を持っているかどうか、という根本の疑念が筆者にはありました。

さらにいえば、それらの料理が女性の目に魅力的に映るかどうか、ということも気になりました。食の流行はほとんどの場合、女性に好まれたときに起きます。

それらの料理の「見た目の美しさ」はきっと、特に女性に好感をもたれるでしょう。だが、そもそもヤギ肉という素材自体には魅力を感じない女性の「嫌気」はどうするのか、という疑問がどうしても消えません。

肉の臭みが取れても、「ヤギは癒し系の動物」というイメージも食欲のジャマをしそうです。もっともヤギに限らず、全ての家畜とほとんどの野生動物は癒し系だと思いますが。

そうした疑念を吹き飛ばすほどの訴求力が、それらのヤギ料理にあるとは思えませんでした。案の定それ以後、披露された新しいヤギ料理が、島で流行ったり観光客の評判になった、という話は聞きません。

ヤギ肉料理喧伝法

ちょっと大げさに言えばヤギ肉料理を流行させる秘策が筆者にはあります。それは前述とは逆に、女性に嫌われるかたちでのヤギ肉料理のありかたです。つまりヤギ肉の持つ特徴を科学的に解明して、それを徹底的に宣伝し売り込む方法です。

ヤギ肉には精力増進作用があるといわれます。ならばその精力を、ズバリ「性力」と置き換えても構わないような、ほのかな徴(しるし)が肉の成分に含まれてはいないか。もしそれがあればシメたものです。

ヤギ肉を食べれば男の機能が高まる、精力絶倫になる、バイアグラならぬヤギアグラを食して元気になろう!などと喧伝すればいい。

もしもそれが露骨すぎるというのなら、少しトーンを落として「ヤギ肉を食べれば活力が生まれる」ヤギ肉はいわば「若返り薬」だ、などと主張してもいい。

もちろん女性にも好感を持ってもらえるような特徴的な成分がヤギ肉に含まれているのなら、そこを強調すればさらに良い。

たとえば、やはり「若返り作用」の一環で肌がみずみずしくなる、シミなどを抑える。あるいは牛肉や豚肉などと比較するとダイエットに良い効果が期待できる、など、優れた点を徹底的に探して喧伝するのです。

料理の見た目や味やレシピではなく、ヤギ肉が持つ他の食材とは違う「根本的な特徴」というものでも発見しない限り、ヤギ肉料理が日本で大向こう受けするのはきわめて難しいように思います。

それならばいっそ、今のまま、つまり昔からある料理法のままで、「珍味」が好きな少数の観光客に大いに喜んでもらえる努力をしたほうが良いのではないか。要するに薄利多売ではなく、「臭み」という希少価値を売り物にする元々の島ヤギ料理の商法です。



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イワシの大群は極論過激派を呑み込めるか

2020年1月26日、イタリア北部のエミリアロマーニャ州で即日投開票の州知事選挙が行われ、極右の同盟が率いる右派が敗退しました。同時に極左の五つ星運動も惨敗。左右の「極論主義」が否定された形です。同選挙の勝敗は国政選挙よりも重要、とさえ考えられていました。

エミリアロマーニャ州選挙で極右の率いる右派が勝てば、イタリアがトランプ主義者やBrexit信者などに圧倒される「危機の始まり」になると見られていました。かつてエミリアロマーニャ州は、隣のトスカーナ州やウンブリア州と共にイタリア共産党の拠点地でした。その流れは今も続いています。

右派のリーダーである極右のマッテオ・サルヴィーニ「同盟」党首は、過去72年間に渡って左派の根城であり続けた同州を制することで、右派の優勢を決定的なものにしようと考えました。それによって、左派の民主党と極左の五つ星運動が連立を組む現政権を崩壊させよう、というシナリオだったのです。

地方選挙である州知事選挙は、本来なら国政にはほとんど関わりはありません。しかし、現行の連立政権は民意の多数を代表していない、と批判されると同時に多くの問題を抱えて政権基盤も弱く、サルヴィー党首率いる同盟と右派連合の攻勢を受けて青息吐息です。

サルヴィーニ氏が先導する極右政党の同盟は昨年8月、唐突に連立政権から離脱しました。政権はその時点で瓦解するはずでした。それが政権を見限ったサルヴィーニ氏の狙いだったのです。ところが連立相方の五つ星運動は、それまで彼らと激しく対立していた民主党に声をかけて連立に取り込み、政権を存続させてしまいました

政権を崩壊させて総選挙に持ち込み、同盟主導の右派政権を樹立しようと考えたサルヴィーニ氏の思惑は大きく外れました。しかし同盟への国民の支持率は伸び続けました。それに伴って右派連合の勢力も強まりました。一方、野合集団にも見える政府は沈滞しました。

そうした政治状況があるため、同盟主導の右派連合が左派最大の牙城であるエミリアロマーニャ州を手中に収めれば、地方選挙とはいえ国政にまで激震が走って、左派の民主党と極左の五つ星運動が組む連立政権が崩壊する可能性も高い、と見られていたのです。

事実サルヴィーニ党首は、右派連合が勝利した場合は「ジュゼッペ・コンテ首相は辞任するべき」と公言し声高に吼えながら選挙運動を展開。その主張は国民的合意になりかねないほどに支持が広がって、選挙戦は過熱し緊張が高まっていました。

ヒートアップした選挙戦は驚きの展開も見せました。サルヴィーニ氏が、テレビカメラと支持者を引き連れて一市民の自宅玄関に押し掛け、一家をあたかも犯罪者のごとく見なして公けに糾弾する、という前代未聞の所業に出たのです。

それがいわゆる「Yassin君事件」です。17歳のYassin君はチュニジア人移民を両親に持つイタリア生まれのイタリア人。サルヴィーニ氏は、Yassin君が麻薬を密売しているという「噂」を頼りに彼の自宅に突撃し「Yassin君が麻薬の売人だという噂があるがそれは本当か」と詰問しました。繰り返しますが、多くのテレビカメラと自らの支持者を同行して。

サルヴィーニ氏は、彼の岩盤支持者である反移民・排外差別主義者へのアピールを念頭にパフォーマンスをした訳ですが、それはYassin君がアフリカ系移民の子供であることを意識しての暴挙だとして、さすがにイタリア中で強い反発が起きました。

サルヴィーニ氏は極右のコワモテ男らしく「自分の行動を後悔していない。必要ならまたやる」と開き直っています。が、多方面から非難が殺到しYassin君の両親の祖国であるチュニジア政府からも正式抗議が寄せられるなど、騒ぎが大きくなりました。

サルヴィーニ氏は、彼を批判する人々に向けて「私は極右でもなければファシストでもない。イタリア人の保護者」なのだとよく主張します。だが、人々の中にある偏見や悪意や誤解を意識して、それらを鼓舞する目的で宣伝効果を狙いつつ市民のプライベート空間に土足で入り込む行為は、まさに極右的な蛮行であり過激アクションです。

そうした行為は、彼の政党が政権を握った暁には必ずエスカレートして、制御や禁忌がなし崩しに瓦解して行き、究極にはファシズムやナチズムまた軍国主義がはびこった時代にも似た世界へと突入する可能性を高めます。だから極右主義は、またそれと同じ穴のムジナである極左主義も同様に、勢力を拡大する前に封じ込まれなければならないのです。

エミリアロマーニャ州選挙での左派の勝利で、イタリア現政権が今すぐに倒れる可能性はなくなりました。が、イタリアでは極右の同盟が主導するトランプ主義またBrexit賛同勢力の躍進は続いています。その証拠に同じ日に行われた南イタリア・カラブリア州の州知事選挙では、右派の押す候補が勝利しました。

一方、極右の躍進とは対照的なのが極左の五つ星運動の凋落です。同党は2018年、同盟と連立を組んで初めて政権の座にすわりました。だが2019年、既述のように同盟が突然政権を離脱して、五つ星運動は彼らの天敵とも言われた民主党と連立を組み直すことを余儀なくされました。

2018年の政権掌握以来、五つ星運動の支持率は下がり続けました。彼らが固執するベーシックインカム(最低所得保障)制への国民の反発に加えて、党自体が内部分裂を繰り返し存在感が日々薄れて行きました。所属議員の離党も相次ぎました。そして今年に入って早々に、若きルイジ・ディマイオ党首が辞任を表明。同党の退潮がさらに鮮明になりました。

そうした中で実施されたエミリア・ロマーニャ州選挙では、五つ星運動はたった3、5%の得票率に留まりました。また同党への支持率が高い南部のカラブリア州でさえ得票率7%という惨状に終わったのです。

五つ星運動はインターネットを駆使して、イタリアの既成政党や政治家の腐敗を正し断罪する手法で勢力を伸ばしました。しかしいま述べたように、政権掌握後は衰退の一途をたどり、いまや政党そのものの存続さえ危ぶまれる状況に陥っています。

エミリア・ロマーニャ州知事に選ばれたのは、五つ星運動の連立相手である民主党の候補です。両党は同じ政権与党ながら選挙協力ができずにそれぞれが別の候補を立てました。民主党は五つ星運動に似て内部抗争の激しい政党です。最近は党勢の弱体化も目立っています。

それでも民主党がエミリア・ロマーニャ州選挙を制したのは、昨年11月、同州の州都であるボローニャ市でふいに沸き起こった「イワシ運動」の力です。「イワシ運動」は、同盟のサルヴィーニ党首に対抗するために、若者4人が中心になって結成されました。反サルヴィーニの一点に集中する同運動は、また反ファシズム運動でもある、と創始者の若者らは語っています。

サルヴィーニ氏の政治主張や活動は、ここまでにも述べてきたようにかつてのファシズムのそれに近いものも多くあります。従って彼らの言い分は決して荒唐無稽ではありません。「イワシ運動」創始者の4人の若者は、運動がこの先政党へと成長することはない、と断言しています。しかし先行きは分かりません。「イワシ運動」は将来、五つ星運動に代わってまともな左派政党として成長していく可能性もあるように見えます。

「イワシ運動」がボローニャ市で興ったのは偶然ではありません。冒頭でも触れたように同市を中心とするエミリアロマーニャ州は、隣接するトスカーナ州などと共にイタリア共産党の拠点だった地域です。共産党が消滅した現在もリベラルの牙城であり続け、歴史的ないきさつもあって極右勢力への対抗心がどこよりも強い場所なのです。

「イワシ運動」は文字通り日ごとに、急速に大きくなって、ボローニャ市からエミリアロマーニャ州、さらにイタリア全土へと広まっていきました。そして今や欧州全体にまで広がる勢いを見せています。それは欧州を席巻しつつある「限りなく極右に近い右派」への対抗勢力として、今後ますます成長していくのかもしれません。

ところで、「イワシ(Sardine)運動」を彼らが毛嫌いするサルヴィーニ(Salvini)氏にかけた命名、という説明が日本のメディアで横行しているようですが、それはLとRの発音の区別がつかない日本人が編み出したフェイクニュースのようです。イタリア語では Sardineと Salviniは音も意味も全く違う言葉です。

「イワシ(Sardine)運動」のイワシとは、イワシの群れが固まって身を守るように、皆が寄り集まって固く連帯して極右のサルヴィーニ氏に対抗しよう、という意味です。いわば抗体としてサルヴィーニ氏の排外差別主義に立ち向かうこと、とも創始者たちは語っています。

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思い上がりが時間経過を速くする

またたく間に2019年が駆け過ぎて、2020年もクリスマスまでたったの342日となってしまいました!時間経過のあまりの速さに心中おだやかではないものが出没するのは年齢のせい、ときめつけるのはたやすいことです。それに続く言葉は「残された時間の短さや大切さを思って毎日を真剣に生きよう」などという類の陳腐なフレーズです。

還暦を過ぎた筆者自らの年齢を時々思ってみるのは事実ですが、そして残された時間をそのときに「敢えて」想像したりしないでもありませんが、実感は正直ありません。再び「敢えて」先は長くないのだから毎日しっかり生きよう、と自身を鼓舞してみたりもしますが、そんな誓いはまたたく間に忘れてしまうのだから無意味です。

年を取るごとに時間経過が速く感じられるのは、「人の時間の心理的長さは年齢に反比例する」というジャネーの法則によって説明されますが、法則は状況の報告をするだけで「なぜそうなるのか」の論説にはなっていません。

それを筆者なりに解読しますと、要するに人は年齢を重ねるに連れて見るもの聞くものが増え、さらにデジャヴ(既視)感も積層して物事への興味が薄れていく、ということなのだろうと思います。さしずめ、食べに食べ過ぎて次の一皿への食欲をなくしたスーパー・デブ、とでもいうところでしょうか。

どこかで既に実体験していたり経験したと感じることなので、人はそこで立ち止まって事案をしみじみと見、聞き、感じ、吟味して、勉強することが少ない。立ち止まらない分、人は先を急ぐことになり時間が飛ぶように過ぎて行くのです。NHKのチコちゃんはそれを「ときめかないから」と表現していましたね。

そこには自らの意志に反して心が乾いていく悲しさと、同時に大人のいわば驕りがあります。年齢を重ねて知っていることも事実多いのでしょうが、無駄に時間を費やし馬齢を重ねただけで、実は何も知らない知ったかぶりの大人は、筆者自身も含めて多くいるからです。それでも知ったつもりで、人は先へ先へと足早に進みます。死に向かって。

すると理論的には、知ったかぶりをしないであらゆるものに興味を持ち、立ち止まって眺め続ければ、人の時間はもっとゆっくりと過ぎて行く、と考えられます。しかし筆者の感じでは、それも少し違うように思います。第一、目の前に出現するあらゆるものの検分に時間をかけ過ぎれば、未知なるものに費やす時間がない、という物理的な問題が生じます。

知らないことがあまりにも多すぎて、その過大な未知のもろもろを学び、知り、体験するには、1日1日が短かすぎる。短かすぎる時間の経過(毎日)の積み重ねが、すなわち「時間の無さ」感を呼び起こすように思います。そして 「時間の無さ」感 とは、時間が「速く飛び去る感じ」のことです。

つまり、時間が疾風よりも光陰よりもさらに速く過ぎていくのは、「一生は短い」という当たり前の現実があるから、とも言えます。その短い一生を愚痴や、怨みや、憎しみで満たして過ごすのはもったいない。人生にはそんな無駄なことに費やす時間などありません。

と、何度も何度も繰り返し自らを戒めるものの、人間ができていない悲しさで日々愚痴を言い、怨み、憎む気持ちが起こります。そしてその度にまた自戒を繰り返します。自戒に伴って苦い悔恨が胸中に忍び入るのもいつものパターンです。

結局、人の人生の理想とは、多くの事柄がそうであるように、愚痴らず、怨まず、憎まない境地を目指して、試行錯誤を重ねていく『過程そのもの』にあるのではないか。そう考えれば、中々人間ができない情けない筆者自身にも、まだ救いの道があるようで少し肩の荷が軽くなる気がします。


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名誉教皇の「たわけ」の衝撃

2013年に退位して名誉教皇となったベネディクト16世(92)が、完全消滅とさえ見えた隠棲所からふいに表舞台に姿をあらわして、世迷い言にも見える主張をして多くの人々の顰蹙を買っています。

世迷い言とは、「カトリック教会は聖職者の独身制を守り通すべき」というものです。カトリック教会の司祭の独身制は、未成年者への性的虐待の元凶たる悪しき習慣として、いま世界中で厳しく批判されています。

そんな折に、ブラジルのアマゾンに代表される世界中の僻地での司祭不足がクローズアップされました。地球上の辺縁地ではカトリックの司祭の成り手がなく、ミサが開けないために信者への接触もままなりません。それは地域の信者のカトリック離れにつながります。

カトリック教はただでもプロテスタント他の宗派に信者を奪われ続けていて、バチカンは危機感を抱いています。フランシスコ教皇は、既婚者の男性も司祭になる道を開くことで、その問題に風穴を開けようとしました。

そこに突然反対を表明したのが、この世にほとんど存在しないようにさえ見えた名誉教皇、つまり旧ベネディクト16世なのです。彼は現役の教皇時代からバチカン守旧派のラスボス的存在でした。どうやら死んだ振り隠棲をしていたようです。

ベネディクト16世は2013年、719年ぶりに自由意志によって生前退位し名誉教皇になりました。高齢を理由に挙げましたが、歴代教皇はほぼ誰もが死ぬまで職務を全うしました。 その事実も影響するのか、ベネディクト16世の言動には違和感を覚える、という人が少なくありません。筆者もその1人です。

違和感の理由はいろいろあります。最大のものはベネディクト16世が、聖職者による性的虐待問題から逃げるために退位した、という疑惑また批判です。その問題は2002年に明らかになり、2010年には教皇の退位を要求する抗議デモが起きるなど、ベネディクト16世への風当たりが強まり続けました。

「教義の番犬」とも陰口されたベネディクト16世は、ガチガチの保守派で在位中にはほかにも少なくない問題を起こしました。例えば不用意なイスラム教のジハード批判や、ホロコースト否定者への安易な接近、あるいは「聖職者による性的虐待は“ アメリカの物質偏重文化 ”にも一因がある」というトンチンカン発言などです。

重篤なHIV問題を抱えるアフリカの地で、感染予防に用いられるコンドームの使用に反対する、とやはり無神経に発言したこともあります。産児制限、同性愛、人工妊娠中絶などにも断固反対の立場でした。またバチカンで横行するマネーロンダリングと周辺問題への対応でも彼は強く批判されました。

さらに言えば教皇ベネディクト16世は、聖職者による未成年者性虐待の元凶とされる、司祭の独身制の維持にも固執していました。そして今般、あたかもゾンビの出現にも似た唐突さで表舞台に現れて、十年一日のごとく「独身制を維持するべき」と発言したのです。

その主張への反発と共に、勝手に引退をしておきながらふいにまかり出たさらなる身勝手に、信者の間ではおどろきと反駁の嵐がひそかに起こっています。彼の言動はただでも抵抗の強いバチカン保守派を勢いづけて、フランシスコ教皇の改革を停滞させ、バチカン内に分裂をもたらす恐れもあります。むろん教会内の守旧派が名誉教皇を焚きつけて異例の声明を出させた、という見方もできます。むしろそちらの方が真相に近いでしょう。

世界13億の信者の心の拠り所であるバチカンの威儀は、2005年のヨハネ・パウロ2世の死後、まさしく今ここで言及しているベネディクト16世の在位中に後退しました。少なくとも停滞しました。 しかし2013年に第266代フランシスコ現教皇が就任すると同時に、再び前進を始めました。

清貧と謙虚と克己を武器に、保守派の強い抵抗の中バチカンの改革を推し進めようともがいている現教皇フランシスコは、聖人ヨハネ・パウロ2世に似た優れた聖職者です。少なくともベネディクト16世とは似ても似つかないように見えます。

ローマ教皇はカトリック教徒の精神的支柱です。その意味では、日本教という宗教の信者である日本国民の精神的支柱、と形容することもできる天皇によく似ています。両者にいわば性霊の廉潔が求められることも共通しています。

その例にならえば、自らの意思で退位したベネディクト名誉教皇は、同じく平成の天皇の地位から自発的に退位した明仁上皇のケースとそっくりです。退位の動機が高齢と健康不安からくる職務遂行への憂慮、というのも同じです。

だが、双方の信者の捉え方は全く違います。明仁上皇の人となりや真摯や誠実を疑う日本国民は少ないでしょう。一方ベネディクト名誉教皇の場合は、明仁上皇のケースとは正反対の意見を抱いている信者が多くいます。「不誠実で身勝手な存在」と声を潜めて言う信者を筆者も多数知っています。

それでも彼らは、名誉教皇が隠棲所に引っ込んで、この世にほとんど存在しないような状況が続いていた頃には、彼への反感を覚えることなどありませんでした。存在しないのですから反感の覚えようがありません。そして2013年以降はそれが常態でした。彼の存在の兆候はそれほどに希薄だったのです。

そんな人物がにわかに姿をあらわして、自らの持論をゴリ押しする態度に出たものですから人々が驚かないわけがありません。ましてやその主張が時流に真っ向から対峙する「聖職者の独身制を維持しろ」というものですから、反発する信者や関係者が多いのもうなずけます。

司祭の独身制は 単なる慣習です。カトリックの教義ではありません。12世紀以前には聖職者も普通に結婚していました。イエスキリストの一番弟子で初代教皇とされる聖ペテロが結婚していたことは明らかですし、イエスキリスト自身が既婚者だった可能性さえあります。少なくとも彼が独身であることが重要、という宗教的規範はありません。

カトリック教会が司祭の独身制を導入した直接の動機は、聖職者が家庭を持ち子供が生まれた暁に生じる遺産相続問題だったとされます。教会は子供を持つ聖職者に財産を分与しなければならなくなる事態を恐れたのです。そのことに加えて、精神を称えて肉体を貶める二元論の考え方も重要な役割を果たしました。

元々キリスト教は子を産む生殖つまり婚姻と性交を称揚します。そんな宗教が司祭の結婚を否定する奇天烈な因習にとらわれるようになったのは、肉体と精神のあり方を対比して説く二元論の影響があったからです。そこでは肉体に対する精神の優位が主張され、肉体の営為であるセックスが否定されます。だから聖職者の独身が奨励されるのです。

その論法には婚姻をあたかも肉体の行為のためだけのメカニズム、と捉える粗陋があります。婚姻は夫婦の性の営みと共に夫婦の精神的なつながりや行動ももたらす仕組みです。それなのに夫婦の性愛のみを問題にするのは、教会こそが男女のセックスのみを重視する色情狂である、と自ら告白しているようなものです。

聖職者が独身であることが、性的虐待行為の「引き金」の全て、という証拠は実はありません。また既婚者であることが虐待行為の完全抑止になる訳でもありません。しかし、ある程度の効力はあると考えられます。それだけでも独身制を破棄する意味があります。

だがそうしたことよりも何よりも、聖職者の結婚を不浄とみなす馬鹿げた考えを捨てる意味で、カトリック教会は独身制の継続を諦めるべきだと思います。それは不誠実で、偽善的で、卑猥でさえある教会の偏執に過ぎません。教会はそろそろそのことに気づくべきです。

名誉教皇の突然の寝ボケた声明は、世界中で湧き起こっている聖職者の性的虐待問題にひそかに油を注いでいます。燃え上がるのは反感の炎と共に保守派の気炎です。対立する二つの火焔はさらに燃え上がって、ローマ教会を焼き尽くし大きく分裂させる可能性もゼロではありません。

突然のようですが、しかし、最後に付け加えておきたいと思います:

名誉教皇ことベネディクト16世は、教皇在位の頃から時流や世間に合わないずれた言動をすることがよくありました。そんな彼の真の問題は実は、コミュニケーション能力の欠落にある、と筆者は考えます。教義と理論のみを愛する無味乾燥な神学者、と見えなくもなかった教皇ベネディクト16世は、温かく豊かな情感と信義と慈悲を教会に求める大部分の信者には不人気でした。彼はコミュニケーションが絶望的に下手だったのです。名誉教皇は今回の騒動で再び同じ轍を踏んでしまった、と筆者の目には映ります。


 

 

 

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