新型コロナウイルスの息遣いが聞こえる

2020年3月21日現在(イタリアの数字は前日PM18時発表)、イタリアの新型ウイルス感染者数は47021人。既に中国を上回った死者数は予想通り増え続けて4032人。

どちらの数字も感染ピークが期待 されている3月25日前後までは伸び続けるだろうから言及するのが空しくさえあります。あまつさえ感染ピークの日にちは、飽くまでも予想できる最善の展開、という枕詞付きですから先行きは心もとない。

それでももう少し数字にこだわります。感染者数2万余のスペインに続いてほぼ2万人に達したドイツの感染者総数がイランを上回り、アメリカも恐らくすぐに2万人を過ぎてイランを追い越す勢いです。また3月19日に韓国を上回ったフランスも患者数はとうに1万人を凌いで増え続けています。

そうした危機的状況を受けてEU(欧州連合)のデア・ライエン欧州委員会委員長は、加盟各国は新型コロナウイルス対策のためなら幾らでも財政支出をしていい。EUはそれを支持し必要なら援助もする、とテレビ演説で異例の声明を出して、苦境の真っただ中にあるイタリア国民を感動させ、EU加盟各国民を勇気付けました。

欧州委員会委員長に就任したばかりの彼女はここまで、先日首相になって初めてのテレビ演説で「団結してCovid19と闘おう」と国民に呼びかけた独メルケル首相を髣髴とさせるリーダーシップを発揮しています。メルケル首相の退陣による欧州政治の穴をあるいは埋めてくれるかもしれません。

閑話休題

現在イタリア最大の、ということはつまり欧州最大の新型コロナウイルス感染地域、ロンバルディア州の住人である筆者は、まずイタリア初の州の全面封鎖に見舞われ、封鎖が全土に拡大されたことで、あれよという間に住まいのある人口1万1千人の村に閉じ込められました。

その後も事態は悪化して、筆者の村のあるブレッシャ県は隣のベルガモ県と共に、ロンバルディア州の中でも最大最悪のCovid19被害地域になりました。もはや中国武漢の人々もマッサオの不運ではないかとさえ思います。ブレシャ県は3月21日現在、人口約127万人中4648人が感染し人口約111万のベルガモ県はブレシャ県を上回る数の感染者を抱えてあえいでいます。
  
新型コロナウイルスの脅威はひたひたと筆者の身近にも寄せて包囲網ができあがり、これまでのところ友人知己のうちのかなりの人数がウイルスに感染したことが分かってきました。3つの衝撃的なケースと、もう一つ自分にとってひどく気になる逸話があります。

ここでは3つの衝撃的なケースのうち個人的に感慨深い2つのケースと、確認ができないが懸念しているエピソードを先ず書いておこうと思います。

一つはここまでの唯一の死亡例でかつ筆者の住む村での出来事。つい先年定年退職した「かかりつけ医(ホームドクター)」のジーノ・ファゾリ先生がCovid19で亡くなりました。イタリアの医療はホーム・ドクター制度を採っていて、住民は必ずかかりつけ医に所属します。

先生はあらゆるボランティアをすることで有名な人で、先日もわが家の庭でバーベキューをした際に招待しましたが、アフリカ移民の人たちの健康チェックに手を貸すボランティアで忙しく、顔を出せないと知らせてきました。

ファゾリ先生はボランティア活動の間にウイルスに感染し入院後に亡くなりました。年齢は70歳台半ばでしたから、Covid19の犠牲者としては比較的若い。何らかの持病があったようです。一週間ほど前までの統計では、イタリアのCovid19犠牲者の平均年齢はおよそ81歳。ほとんどが基礎疾患を持つ患者です。

2例目も驚きです。ブレシャ県ブレシャ市には国内でも有数の公立病院があります。それに次いで大きなキリスト教系病院の最高医務責任者W・G医師もCovid19に罹患しました。彼の奥さんのローズと筆者の妻はアフリカ支援団体にからんだ縁で親しい。その関係でW・G医師と筆者も知り合いです。

50歳代とCovid19患者としてはかなり若いW・G医師は、幸い退院して回復しつつあります。とはいうものの、亡くなったファゾリ先生といいW・G医師といい、医者が新型コロナウイルスに感染して死亡したり重症化するのが珍しくない状況が、イタリアの今の深い苦悩を如実に示しているように思います。

3つ目は最近知り合い親しくなった友人の消息です。

新型コロナウイルスの影も形も見えなかった12月半ば、ミラノに本拠を置くイタリア随一の新聞Corriera della seraの地方版から筆者を取材したいという連絡がありました。ここ2、3年遠い昔にアメリカで賞をもらったドキュメンタリーが蒸し返されることが続いたので、またそのことかと思いました。少しうんざりした、というのが本音でした。

ところが古い作品の話ではなく、ロンバルディア州のブレシャ県内に住む、プロフェッショナルの外国人を紹介するコーナーがありそこで筆者の人物紹介をしたい、と記者は電話口で言いました。断る理由もないので取材を受けました。

筆者の住まい兼仕事場まで足を運んでくれたのは、元イタリア公共放送局RAIの記者で、北イタリアのリゾート地イゼオ湖畔の街の市長も勤めた名のある人。人物も素晴らしい。取材を通してすっかり意気投合し、後日の再会も約束しました。

記事の掲載は3月11日になった、と連絡が入りました。ずいぶん遅くなったのはCovid19騒ぎのせいらしい。発行された新聞を見て少しおどろきました。丸々1ページを使いかつ何枚もの写真を伴って筆者のことが紹介されているのです。過去に新聞に取材をされた経験はありますが、1ページいっぱいに書かれた経験はありません。

アメリカで賞をもらったときでさえ、もっとも大きく書かれたのは日本の地方新聞に写真付きで紙面の4分の一ほどのスペースでした。全国紙にも紹介されましたが本人への直接の取材はなく、筆者の名前と受賞の事実を記しただけのベタ記事だったのです。それなものですから、1ページ全てを使った報道に目をみはりました。

時期が時期ですので、筆者はWEBで送られてきた記事の写真を新聞が手に入らないであろう友人らに送ったきりで、その後は記事については口をつぐんでいます。だが実は、記事の作り方が面白いので、コロナ騒ぎが収まった暁にはそれをブログなどで紹介しようとは思っています。

3月11日、発行された新聞に目を通したあとで記者に電話を入れました。礼を言おうと思ったのです。ところが通じず、夜まで待っても折り返しの電話もありません。珍しいことでした。律儀な人で連絡を欠いたことがないのです。だが、彼の多忙を気にしてこちらからのしつこい連絡は控えました。

翌日、記事を読んだ 妻の 従兄弟のフランチェスコからコメントの連絡が入りました。よい記事だと繰り返し褒めたあとで彼は「記者のR.Vとは彼が市長時代に仕事をしたこともありよく知っている。よろしく伝えてほしい」と締めくくりました。フランチェスコは大学の教授だった人です。

筆者はそれを言い訳に再び記者のR.Vに連絡を入れました。ただし電話ではなくSNSのメッセージで。「従兄弟のフランチェスコがよろしく、とのことです」。すると返事が来ました。「ありがとう。私からもよろしく言ってください。健康面でちょっと問題を抱えました」。

筆者の脳裏にほぼ反射的に「ウイルス感染」の大文字が浮かびましだ。彼は仕事柄、また市長さえ務めた社交的な性格も手伝って人付き合いが多い。時節柄リスクは高いに違いない。また電話に出ず、メッセージで病名を言わずに敢えて「健康面で問題を抱えた」と記したのが不吉に映りました。筆者はとても確認の連絡を入れる勇気がないまま、どこかから情報が入ってくるのをじっと待っています。

実はもう一点情報を集めている事案があります。やはり新型コロナウイルスにまつわるものです。そしてこちらも真偽を確認中の逸話です。真偽のどちらに転ぶにせよ、次の機会に報告しようと思います。できればR.V記者に関する筆者の懸念の真偽も共に。

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「イタリアCovid19危機」見舞いに答える


イタリアの対COVID-19戦の惨状を気遣って、日本から多くの見舞い電話やメールまたSNSメッセージなどをいただいています。

筆者は一つひとつに丁重にお礼を述べた後に必ず「日本もイタリアと同じ程度に心配です。どうぞお気をつけください」と付け加えています。

すると、きょとん、とした顔が見えるような言い方で「日本は心配は心配ですが、イタリアほどではない」というニュアンスの返答が多く来ます。

イタリアの、特に筆者の住むロンバルディア州の感染者数や死者数、また感染拡大のスピードなどのすさまじさは、言うまでもなく日本の比ではありません。

筆者の身の回りは一見平穏ですが、大病院に始まる医療施設は地獄の様相を呈しています。それは臨場感を伴う映像とともに、主要TV局などにはじまるメディアによって、これでもかとばかりに報道され 続けています。

筆者はそれに加えてインターネットで情報を収集し、衛星放送でリアルタイムに日本の状況を見、BBCその他の英語放送で欧米また世界の動きを逐一追っています。

そんな中で気になるのが、日本政府の「情報ぼかし」にも似た言動が醸し出す「もやもや感」です。情報ぼかしは主に、オリンピックをどうしても開催したい思いから始まったようです。

典型的な例の一つが、集団感染を敢えて「クラスター」と言い換える姑息さです。その言葉は政府の代弁者の専門家がNHKに出演して突然言い出しました。筆者はCovid19問題が表に出て以降、衛星生中継でNHKの夜7時と9時のニュースを欠かさず見てきたのでそのことにすぐに気づきました。

「集団感染」と言えばひどく生々しく、善良無垢な国民のうちには恐怖感を覚える者も多いに違いない。だからわざわざ「クラスター(cluster)」という疫学上の「感染者集団」を表す英語を用いることを思いついたのではないでしょうか。

日本語は実に便利です。外来語を使えば物事の本質をぼかす効果があるケースが多い。たとえば「性交」という日本語をセックスと言い換えれば、生々しさ感が薄れます。同じく「集団感染」を聞きなれないクラスターと言い換えれば、一息つくような安心感が出ます。

筆者にはその言い換えは、神頼みにも似た無責任な心理状況の顕現に見えます。だが新型ウイルスとの戦いも、その結果に左右されるオリンピック開催も、神頼みや希望的観測やゴマカシでは決して勝ち取ることはできません。

多くの労力と金と時間と人々の願いを注ぎ込んで準備をしてきたオリンピックを、万難を排してでも開催したい気持ちは理解できることです。だがCovid19問題で世界の状況は一変しました。日本もその世界の一部なのですが、例によって世界の情勢に追(つ)いていけず、ズレた言動と施策に固執しているように見えます。

何度でも言いますが、オリンピックを開催する時は「日本一国だけが新型コロナウイルスから自由」ではなく、「世界が新型コロナウイルスから自由」でなければならないのです。日本はその単純な方程式さえ読み解けないようです。あるいは読み解けない振りをしています。

日本の感染者数が本当に少ないのならば喜ばしいことです。だがそれがウイルス検査数の少なさから出ている結果なら、やっぱりどうしても危険だと思うのです。そのこともまた繰り返して言っておきたいと思います。

日本政府の高官や御用学者などが大好きな言い方を用いれば、イタリアは2月21日にクラスターに見舞われ(クラスターの存在が明らかになり)2月22日~23日にかけてオーバーシュート(爆発的感染拡大)が起き、今も起きつづけています。

2月21日までのイタリアは、武漢からの中国人旅行者夫婦と同地から帰国したイタリア人男性ひとり、合計3人の感染者をうまく隔離し、世界に先駆けて中国便を全面禁止にするなど、余裕しゃくしゃくと言っても過言ではない状況にありました。当時の日本の感染者は、クルーズ船を含めて80名前後でイタリアよりもはるかに深刻に見えました。

しかしイタリアの状況は一変して、誰もが知るように地獄絵的な状況になり、日本は一見、感染拡大を抑え込んで安全圏にいるように見えます。再び言います。それがまぎれもない真実ならこれに越したことはありません。だが筆者は今日も、2通の見舞いメッセージへのお礼文に「イタリアはとんでもないことになっています。でも日本もとても心配です」と書き加えずにはいられませんでした。

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日伊同舟

イタリア最大のCovid 19被害地、ロンバルディア州ベルガモ県の道路を昨夕、荷台を幌で覆った10台近い軍用トラックが列を作って通りました。

荷台に積み込まれた荷物は全てCovid19被害者の遺体です。ベルガモ県内の墓地も火葬場も受け入れ限界を超えたため、隣接のエミリアロマーニャ州まで運んで火葬されることになったのです。

Covid19によるイタリアの死者は3月19日AM6時現在、前日から475人増えて2978人。1日あたりの死亡者数はまたもや新記録となりました。霊柩車では間に合わず、また民間トラックには文字通り荷が重過ぎる任務なので、イタリア陸軍の出動となったのです。

イタリアの惨状は、もはや欧州全体のそれになりつつあります。イタリアに続いてスペイン、ドイツ、フランスの主要国が厳重な移動制限・封鎖体制を敷きました。

また小国のスイスの感染者数も激増。それに続いて、感染者数の多い順にオランダ、オーストリア、ノルウエー、ベルギー、スウェーデン、デンマークが危機に陥り、最小のデンマークの被害者数も1115人と節目の1000人を越えました。

また、EU(欧州連合)を離脱したばかりの英国は、「例によって」唯我独尊の精神を発揮して、まずイタリアが、そして前述の独仏スペインなどに始まる国々が、イタリアをなぞった施策を実行していくのを尻目に、学校閉鎖もしない、大小の各種イベントも禁止しない、国民に自宅待機も呼びかけない等々の方針を宣言してきました。

強気の英国のジョンソン首相を、気でも違ったのではないかと批判する声が多い中、筆者はそれらの方針を打ち出した英国の「科学的また論理的」な思考法を舌を巻く思いで見つめ、ひそかに応援もし、日々監視してきました。

筆者には英国のやり方が正しい、と自信を持って言うことはできません。またイタリアほかの国々も英国に倣うべき、とも思いません。だが、英国にはわが道を進んでいってほしい、とは思っています。なぜなら厳しい封鎖・移動制限策を取る欧州大陸各国が、Covid19の撃滅に成功するかどうかは誰にも分からないからです。

一方、英国の独自路線は、イタリアほかの国々が犯した、あるいは犯しているかもしれない失敗や不備を徹底的に研究分析して打ち出されたものです。学校閉鎖をしないのは新型コロナウイルスがインフルエンザと違って子供を直撃しないからであり、イベントを禁止しないのは外の広いスペースよりも自宅などの狭い空間の方がウイルスに感染しやすいという分析であり、自宅待機を呼びかけないのは、感染がピークに達する頃に、人々が自宅監禁に疲れて外に繰り出す危険を考慮した結果です。

冷静且つ論理的な分析には説得力があります。むろんそれを実行に移すのは困難です。ウイルスが人から人へ爆発的に伝播していく現実を前に、人混みに入るな、自宅待機をしろ、と国民に呼びかけずにいるのは政治的にほぼ不可能にさえ見えます。だが、ジョンソン首相はそれをしようとしました。

その勇気は見上げたものです。また、英国のやり方は、もしかすると欧州大陸各国の施策が失敗に終わる悪夢が到来したときに、人類を救う希望になるのかもしれません。生物多様性であろうとなかろうと人の多様な行動は、従って国家間の多様なあり方も、決して悪いことではないのです。

言うまでもなく英国は、欧州大陸の流儀が正しい、と将来証明されたときには、手ひどいしっぺ返しをこうむることになります。そうなったときには、EUを核にする欧州は必ず英国に救いの手を差し伸べるでしょう。逆に英国は、繰り返しになりますが、欧州大陸を救う道筋を示しているのかもしれないのです。

と、そんな具合に思いを巡らしてきましたが、ジョンソン首相が18日、英国全土の公立学校を20日から閉鎖し、私立の学校も政府の決定に従うようにと勧告しました。首相はついに政治的な圧力に耐え切れなくなったのでしょう。多くの人々が、ようやく英国もまともになった、と胸をなでおろしているのが見えるようです。だがそれが朗報であるかどうかは、今は誰にも分からない。筆者は個人的には残念な思いを禁じ得ません。

筆者はイタリアの感染爆心地、ロンバルディア州内に住んでいるため、Covid19に関してはイタリアの様子を主体にブログなどで報告を続けていますが、今書いたように英国ほかの世界の国々や日本の状況も逐一追いかけています。筆者はひとことで言えば、日本の様子がイタリアと全く同程度に心配です。情報隠蔽という言葉はさすがに当たらないでしょうが、日本は意図的かそうでないかに関わりなく、情報をぼかしているようでひどく違和感があります。

日本のウイルス感染者数が少ないのは-実際にそうであることを祈っていますが-やはりウイルス検査の数が少ないことが大きな理由なのではないか。イタリア、また欧州各国並みに検査を増やせば、感染者数が急激に多くなるということは本当にないのでしょうか。

世界の混乱と緊張を真摯かつ的確に感じ理解することができない日本の政治家らが、この期に及んでもオリンピックの開催に固執して、世界の感覚とは相容れない空気の読めない言動に終始しているのは、中止に伴う莫大な経済損失に目がくらむからでしょうが、もうそろそろ誤魔化しは終わりにするべきです。

欧州のような急激な感染爆発はないものの、じわじわと感染が増えている現実は、隠れた感染が進行していることを意味してはいないのか。突然の大規模流行、いわゆるオーバーシュートの危険はないのか。日本政府はせめて、“オリンピックは「延期」もやむなし”と内外に宣言して、Covid19の日本社会における真実を解き明かし、国民の健康を守るために死に物狂いで動くべきではないでしょうか。

オリンピックは日本一国だけではなく、世界中がコロナウイルスから解放されていなければ開催できません。また逆に世界がコロナウイルスを撃滅しても、日本が遅れてそれの餌食になるようなら、開催など夢のまた夢です。それどころか国民の大半が、今現在のイタリア・ロンバルディア州民のような苦悩の中に突き落とされないとも限りません。

日本とイタリアは敵対国ではない。従って両国の関係を呉越同舟という言葉でくくることはできません。また両国の感染状況も今のところ天と地ほどの違いがあります。だが筆者の目に映る日本とイタリアは、新型コロナウイルスとの戦いという観点では、同じ船に乗り同じ運命に身をゆだねている、いわば「日伊同舟」の存在にしか見えません。


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コロナウイルスに踊らされる時間の気ざわり

 

イタリアのCovid19危機は深まるばかりです。死者数、患者数ともにほぼ連日、一日あたりの増加数の記録を更新するような有り様。

嘘か実か中国の状況が改善するらしい中、3月17日AM6時現在、スペインの感染者数がほぼ10000人となり、韓国を抜いてイタリアに次ぐ欧州第2位の汚染国になりました。またドイツ、フランス、そしてついに人口の少ないスイスまでもが感染大国になってしまいました。

イタリアの苛烈な隔離・封鎖策がもしも正しいものであるなら、その効果は2週間ほど後に現れるとされます。従って今は状況が悪化しても我慢して待つしかありません。いえ、感染のピークが来るまではひたすら悪化するのでしょう。

ウイルス禍はひたひたと筆者の身近にも寄せて、友人知己が感染し亡くなる者まで出始めました。そのことはまた後で書きますが、ここでは今日未明に起きた「事件」と昨日のそれを記しておきたいと思います。

ごく普通のエピソードが、異常な時間の流れの中では違ったものに見えたり感じられたりすることの典型、と思うからです。ちなみに、もしかすると映画の一場面のような挿話に見えるかもしれない語りも全て実話です。

今朝AM4時過ぎ、家の周囲に張り巡らされている侵入・警戒警報がけたたましく鳴り響きました。飛び起きて、おののく妻を庇いつつ安全な部屋に移動しました。筆者はそこを勝手に避難所と呼んでいます。わが家は落ちぶれ貴族の古い館で、古い時代には盗賊に押し入られたりした歴史を持っています。

現在は警備システムで固められていて、警報は警備会社と軍警察に直結し数分後には武装した警備員が駆けつけてくれます。それまで家の者は安全な一室で待機します。

家の内側と外に向けて大きく鳴り響く侵入・警戒アラームは、ひんぱんとは言えませんが年に何回か作動します。幸いにこれまでは大事に至ったことはありません。

悪天候時に家の古い扉や窓が強風で押し開けられたり、物が飛来してシステムに触れたり、鳥などの生き物がぶつかったり、家族の誰かが家のどこかを閉め忘れたり、逆にアラームを解除せずに窓や扉を開けた場合などに容赦なく咆哮します。いつも不快で不安な音ですが、今朝のそれは取りわけて忌まわしいものでした。

普段はそれほどでもない恐怖感が筆者の全身を鷲づかみにしていたのです。臆病な妻は今にも泣き出しそうです。いつものことですが、今朝の場合は明らかに緊張感が違っていました。数日来、新型コロナウイルスに翻弄されている心労が、妻にもまた筆者にも悪い影響を及ぼしていました。

筆者の頭の中をすばやくよぎったのは、いま振り返って説明すれば「ウイルスの恐怖で混乱し萎縮している世の中の弱みに付け込んで賊が押し入ってきた!」という思いでした。それはいかにも現実味を帯びていました。普段はあまり覚えない恐怖を筆者が感じたのはそれが理由でした。

アラームが鳴る度に怯える妻と違って、筆者がいつも割り合い平常心でいるのは、決して自分が勇敢な男だからではありません。筆者は警報システムと警備員の能力を信頼し、頑丈に作られている避難部屋の安全に自信を持っているのです。

事態は次のように動きます。

警報のスイッチが入って、けたたましい非常ベルが響く。すると、即座に、と言ってもいい速さで固定電話が鳴ります。
受話器を取ると警備員の声が「どうしました?」と訊いてきます。
「分からない。安全な部屋に移動する。誰か送ってくれ」とこちらが答えます。
「暗証番号は?」と向こうはすぐに問います。こちらが暗証番号を言うと電話の相手は畳みかけます。
「あなたはどなたですか?」。こちらが名前を言うと、
「分かりました。すぐに向かいます」とつづきます。
警備員は電話に出るのは筆者か妻でなければならないと知っています。だから暗証番号に加えて名前も訊きます。電話に出たのが屋内に侵入した賊ではないことを繰り返し確認するのです。

時間が少しずれたり、こちらの都合で固定電話に出られなかったりすると、彼らは筆者の携帯電話に連絡を入れてきます。その時には筆者は十中八九妻を連れて避難部屋にいます。そこに待機していると、数分も経たないうちに再び筆者の携帯電話に連絡が入ります。「いま着きました。これから見回ります」と警備員は言って、拳銃を頼りに家周りを点検し、最後に庭に入って来ます。門扉の合鍵を持っているのです。

筆者は警備員の懐中電灯の明かりを確認して庭に出ます。彼らとともに、だが彼らが先に立って、われわれは階下の家の扉を開け、裏庭に回って一帯を点検します。安全が確認されたところで、警備員は出動証明書に必要事項を書き込んで筆者に渡します。そして帰っていきます。

そうした一連の動きが過去に何度も繰り返され、手続きが確実に実行されてきました。警備員はいつも落ち着いていて且つ勇敢です。闘争や銃撃に自信を持っていることがひと目で分かります。筆者は彼らを信頼し、そのために警報が鳴っても、妻とは違ってあまり慌てることがないのです。

今朝も手順は正確に実行されました。だが一点だけ違っていました。筆者は避難部屋の一角に厳重に仕舞ってある猟銃を手に庭に出たのです。普通はそういうことはしません。なぜなら彼らが家の周りを点検した時点で何事もないのなら、ほぼ100%安全が確認されたと分かるからです。

彼らはその後に庭に入って来ます。筆者は懐中電灯と、せいぜい携帯電話などを持って警備員に会いに行きます。裏庭を確認するのは念のためです。裏庭は彼らが既に周回した道順に隣接していますが、内部からも点検してさらに安心したいのです。

そんな慣習にもかかわらず、筆者は今回は猟銃を持って庭に出ました。不安だったのです。そこでも新型コロナウイルスの脅威が明らかに心理を圧迫していました。猟銃はもちろん合法的に手に入れた登録済みのものです。狩猟が目的ではなく、銃の扱いを習うために手に入れました。が、自衛の目的も完全にないとは言えません。それでも普通は猟銃を持ち出すことはしません。

朝4時前後の闇の中で覚えた恐怖感は、今この文章を書いている昼前の明るみの中では少しも感じません。むしろ強い恐れを抱いたのが異様に思えるほどです。だがそういうことがごく容易に起きる現実が、Covid19に呪われた今のイタリア社会を如実に物語っているように思います。

アラームが作動したのは、妻が普段は閉まっている幾つかの窓を昼間のうちに開け放って風通しをして、そのまま忘れたからでした。彼女がそうしたのは新型コロナウイルスを意識してのことです。ウイルスは風通しを良くしたほうが増殖しにくい、と聞いていたのだそうです。開いている窓から飛び込んだ蝙蝠か梟などにアラームが反応したのでしょう。あたりにはごく小型の蝙蝠や梟が出没します。昼間は鷹も飛び交います。ブドウ園が有機栽培に変わってからはそれらの好ましい野生動物の数は一段と増えたようです。

昨日はもうひとつの“事件”もありました。

昼過ぎにふいにインターネットが使えなくなったのです。それもまた珍しいことではありません。わが家では古い電話回線を使っているため、モデムやPCの状態とは関係のない支障もよく起きます。なにしろ光ファイバーが最近導入されたものの、それは道路の向こうまでのサービスに留まっていて、自家までは入って来ないという情けない状況なのです。

しかし、わが家には2つの回線があります。自宅と筆者の仕事場兼書斎に引かれた2回線です。全く違う系統のラインなので、一方が使えなくなっても片方は大丈夫、という場合がほとんどです。ところが昨日は両方の回線が落ちました。その事実にひどく打ちひしがれました。その場の状況も不安でしたが、この先コロナウイルス騒ぎがさらに沸騰して、インターネットが使えなくなるのではないか、という妄想がふいに脳裏に浮かんだのです。

それは電気が停まってテレビが消える連想を呼び起こしました。そこからまた連想がはたらいて、わが家にはラジオがないことに思い至りました。CDプレーヤーとセットになっているラジオを、下の息子が持ち出して行ったのです。もう数年も前のことです。そうすると非常事態に陥ったとき、わが家には情報入手の手段がない、と妄想はどんどん先に進みました。

恐慌に落ちそうな気持ちを抑えて、日本のNTTにあたるテレコム(TIM)に電話をしました。女性オペレーターが出て、今日からテレワーク中だという。もちろんCovid19絡みです。こちらの状況を詳しく説明し、2つある回線の両方が使えなくなったのは初めてだ、と締めくくってから、試しに言ってみました。「まさかウイルスの影響じゃないでしょうね」。

声から若い女性と想像できる電話の相手は、ふいに絶句しました。怖がる息遣いが聞こえてくるような異様な雰囲気。反省して「冗談ですよ」言いつつ声に出して笑いました。すると相手も明らかにほっとした気配の笑いを返し「分かっています」と照れたような声を出しました。

彼女は遠隔操作でいろいろ試みた後、回線やモデムには何も問題はないようだから、一度コンピュターをOFFにしてみてくれと言います。言われた通りにすると、あっさりとインターネットが回復しました。

次に同じ家屋内にある自宅の回線もチェックしましょうと告げられて、仕事場から自宅に移動してコンピュターの前に腰を下ろしました。つながったままの携帯電話を耳に押し当てながらインターネットを起動しました。するとオペレーターの操作を待つまでもなくラインは既に回復していました。

女性オペレーターの的確な対応に何度も礼を言い、ウイルスにくれぐれもお気をつけください、と念を押して電話を切りました。

ここ2週間ほどの間にイタリア社会の何かが壊れて、あることないことの全てが新型コロナウイルスの悪意に操作されているのでもあるかのような、不快な現象が見え隠れしないでもありません。気をつけないとまずい、と筆者はしきりに自分に言い聞かせています。

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心折れる週末を生きる 


イタリア全土に苛烈な移動制限に象徴される重い隔離・封鎖・監禁令が出されて初の週末を迎えました。

土曜日の昨日は、朝早い時間は一見なんの変哲もない週末の始まりに見えました。が、9時頃から「不要不急の外出を控えてください。自宅に留まって週末を過ごしてください」と繰り返しスピーカーで呼びかける役場の広報車が通りました。

今日は3月15日の日曜日。朝6時現在のイタリアの新型コロナウイルス感染者数は:

前日から3497人増えて21157人。死者の数は1441人。回復した者が1996人。

治癒者が死者の数を上回っているのがわずかな光明ですが、感染爆心地のここロンバルディア州では医療崩壊が間近に迫っています。いや、もう始まったと言うほうが正しいのかもしれません。病院に運び込まれるCovid19患者の数が収容能力の限界に達しているのです。

朝5時半起床。シャワーを浴びて朝食の後、イタリア随一とされる新聞Corriere della Sera の電子版が伝える、AM6時のCovid19関連リアルタイム状況をチェック。それが上記の数字です。

その直後、思いついて家の南窓からA4高速道路の交通量を確認しました。それが冒頭に掲載した2枚の写真です。同じポイントをヒキとヨリで切り取っています。

A4高速はミラノとベネチアを結ぶ自動車道。イタリアで最も重要な高速道とされます。1日24時間常に交通量が多く、文字通り片時の休みもなく大小の車が高速で行き交っています。

窓を開けて耳を澄ますと、A4高速を疾駆する車の音が重なって風の口笛のように響きます。ガラス窓を閉めるとその音は聞こえなくなります。わが家から高速道路まではそういう距離です。

A4高速はミラノを経てトリノからフランスまたスイスへと通じ、ロミオとジュリエットの街ベローナを介してオーストリアへと伸びます。そこからドイツ他の北欧各国につながります。

またベネチアからはスロベニアを横断して東欧全域へと伸びていきます。A4自動車道はイタリア経済の担い手である北部イタリアと、欧州全体を結ぶ経済の大動脈なのです。

イタリアの高速道路網の中では、太陽道とも呼ばれるA1高速が最もよく知られています。それはミラノからローマに直結し、さらにナポリほかの南イタリアへと伸びるもう一つの大動脈。

A1自動車道は、南下するに連れて輝きと熱気を増していく陽光を追いかける、いわばバカンス・ロード。だから“太陽道”なのです。

わが家はミラノとベニスの間のミラノ寄りにあります。高台になっていて、写真のように窓から東西に走るA4高速道が見えます。晴れた日には地平線の彼方にアペニン山脈の山々を望むこともできます。

冒頭にある右の写真中央、2軒の家の間の向こうに見える明るい四角の箱は、A4高速道を左のベネチア方向から右のミラノ方向に向けて進む大型トラックです。まだ夜が明けきらないために荷台を電気で飾りつけて走っています。

トラックの姿は5分近く待ってようやく捉えることができました。普段なら5分の間には、たとえ真夜中や早朝でも数え切れないほどの車両が高速で駆け抜けます。

ところが、今朝はほとんど車の姿が見えませんでした。それは日曜日の早朝という時間帯のせいだけではありません。イタリア全土が新型コロナウイルスに直撃されて呻吟し息をひそめているからです。

わが家の北の窓によると、スキーリゾートのあるカンピオーネ山がすぐ近くに迫り、遠方には前アルプス(アルプスへと伸びる北イタリアの連山)の山々の峰が望めます。

またわが家の西の角には筆者の仕事場兼書斎があります。そこの窓に寄ると自家のブドウ園が真下に見え、それは集落の家々の連なりを経て他家の 広い 何枚ものブドウ園へと伸展していきます。

広大なブドウ園の連なりの中を練ってのびる道路上には、今この文章を書き進めている午前11時現在、車の往来がありません。ましてや人影など文字通り皆無です。

窓から見えている村の集落内にも10人余りのCovid19患者がいます。そしてその先のミラノ方向に広がるロンバルディア州の全体は、いつ起きてもおかしくない医療崩壊の恐怖と死の影におびえています。

むろん窓から眺める村の集落もロンバルディア州の一部なのですが、表面はまるで平和ボケに浸る幸せな田園地帯、とでも形容したくなるような穏やかな景色です。

週末なのに筆者の心は全く弾まみません。弾むどころか沈うつそのものです。それでも先刻、ほんの少しほっとする知らせがありました。

自己申告の外出許可証(外出趣意書)を携行すれば、住民票のある村以外の場所での買い物も可能だ、と近くに住む友人がSNSで知らせてきたのです。

厳しい移動制限下では、基本的には自分の住まう自治体内での買い物が原則ですが、スーパーマケットで食料などを購入する場合は、少し離れた地域でも許されるとのこと。

筆者は、自分の村の集落内にあるスーパーでの買出しを少し重荷に感じていましたから、ほっとしました。そこは店内スペースが狭い上に品揃えも薄い。筆者がほしい鮮魚などは扱ってさえいません。

しかし品揃えの貧弱は実はそれほど問題ではありません。気になるのは店の規模です。田舎とはいえ村里の内に建つ店は土地が狭く、従って店舗も小さい。中では買い物客が押し合いへし合い動く、という印象があります。

普段ならその状況は、家族的で友好的、というふうに捉えることもできるでしょう。が、コロナウイルスが猛威を振るう現状では少し気が引けます。移動管制下の今は、店内に入る時は列を作って1人づつ順番に進むというルールはあるものの、人混みはできれば避けたい、というのが人情です。

そんなわけで、やや下賎で且つしみったれた根性だと我ながらいやにならないでもありませんが、郊外の広々としたスーパーで買い物ができるらしい知らせが嬉しい。買い物とはほとんどの場合食料の買出しです。今のところはその予定はありませんが、重苦しい空気の中でのささやかな朗報、と感じ入っています。

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銃声の聞こえない戦争 

イタリアの新型コロナウイルス感染者数は3月11日、ついに1万人超えの節目を経て、さらに増加を続けています。ロンバルディア州ほか北部の一部地域に限られていた移動制限などの厳しい隔離・封鎖措置は、全土に拡大施行されました。

3月9日、筆者は自身の管理するブログ

「封鎖地域内に閉じ込められたとはいうものの、僕の暮らしにはそれほどの変化はなく、隔離されたという実感もない。それはおそらく封鎖域がイタリアでも最大級の、且つ人口も1000万人以上になる、ロンバルディア州の全体であることが理由なのだろう。一昨日初めて感染者が出て、今日までに3人に増えた僕の住まう小さな村がその対象であったなら、きっと強い窒息感に見舞われていたことだろう。」


と書きました。

ところが個人の移動制限を柱とする規制は翌10日から徐々に強められ、またたく間にイタリア全土に適応されることになりました。住民はそれぞれの住まう自治体(日本の市町村)内に留まることを義務付けられました。仕事や病気やその他の緊急事態が理由の移動は許されますが、移動許可証を携帯しなければなりません。筆者はあれよという間に自分の住まう小さな村に閉じ込められることになったのです。

第2次世界大戦以来ともいわれる厳格な規制措置の内容は、 まず今述べたうむを言わさない厳重な移動管制。結婚式や葬式を含む全ての集会の禁止。カフェ、バール、レストラン、美容院、また日常必需品店以外のあらゆる店の完全閉鎖です。

一方、営業できるのは薬店、スーパー、食料品店。ほかにはガソリンスタンド、自動車修理工、キオスク(新聞売店)、タバコ屋、銀行など。またバスや列車などの公共交通機関はストップしない。さらに配管工など日常生活を支える職人も活動を許されます。

タバコ屋が開くのが不思議です。もしかするとそれは税収を失いたくない国の思惑なのでしょうか。あるいはまた、どうせ不可解なコロナウイルスに殺される命なら、せめて正体が明らかなニコチンで国民を殺してやろうという国家の親心かも、と嗤ってみたい気がしないでもありません。

全ての国民(むろん筆者のような外国人居住者を含む)は、住まいのある自治体(市町村)内での移動のみが許されます。たとえ隣の町や村であっても訪問は許されず、必要不可欠な場合のみ許可証(自己申請)持参で通行できます。必要不可欠な場合とは、仕事や病気や事故などにまつわる移動のこと。

要するに全ての国民は、不要不急の外出をせず基本的に自宅に留まれ、ということです。違反した者は3ヶ月の禁固刑、または重い罰金が科される。今のところ前述の禁止条項に当てはまらない業種での就労は認める、としていますが状況によってはさらなる締め付けが予想されます。

筆者は今回の規制のおかげで、普段買い物に出かける5軒のスーパーの全てが、自分の住む村ではなく隣接する自治体内にあることを初めて知りました。仕事でもプライベートでも遠出をすることが多く、足元の村のことをほとんど知らなかったのです。それらの店は全て車で10分以内の距離にあり、規模が大きく品揃えも豊富です。

だが今後は村内のスーパーで買い物をしなくてはならなくなりました。人口1万1千の村の領域はそれほど狭くはなく、スーパーもいくつかあります。しかしどの店も規模が小さく、鮮魚をはじめ多くの品が置かれていません。それが筆者の足が遠のく主な理由だったのですが、これからはそこだけが頼れる場所になってしまいました。今は我慢するしかありません。

買出しの不便を除けば、しかし、筆者は移動制限ほかの封鎖措置にそれほどの不自由は感じません。仕事も家でできるもの以外は全てキャンセルするか延期にしました。それは筆者の都合のみならず、相手の都合もからんでの成り行きです。なにしろ誰もが厳しい隔離・封鎖、また規制の中に置かれています。お互い様なのです。

今日3月13日AM6時現在のイタリアの総感染者数は15113。このうち1016人が亡くなり1258人が治癒しました。従って感染者の実数は12839人です。この数字は中国以外ではイランや韓国を抜いて最も高く、感染者が激増しているフランス、スペイン、ドイツなどに比較してもまだ圧倒的に多い人数です。

そうした過酷な現実を前にしては、辛い首かせも致し方ないと考えます。不便だがおそらくそれらは必要な規制です。予防措置や防衛手段や安全保障策は、過剰すぎるぐらいのほうがちょうど良い。なぜなら危機が過ぎた後で「大げさだったね」「バカだったね」と皆で笑い合うほうが、その時になって泣くよりも1億倍も望ましい未来だからです。



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井戸端会議はコロナウイルスの巣窟

2020年3月10日AM6時現在、イタリアのCovid19患者は前日より1797人増えて合計9172人に。また死者の総計は463人。

ロンバルディア州が事実上封鎖された3月8日から9日にかけては、1日の死者数が133人にも上って欧米のメディアが大きく取り上げる事態になりました。

9日から今日にかけての増加数は97人。依然として死者の数は多く、死亡率も異様に高い。が、ともあれ、1日あたりの増加は133という数字よりは低くなりました。133人増がピークであったことを祈ろうと思います。

イタリアのCovid19の死者のほとんどは、これまでのところ基礎疾患のある高齢者です。死亡者数が多いのは、イタリアが欧州随一の高齢化社会だから、という説明がなされます。

その説は今のところ、当のイタリアを含む欧州内のほぼ定説になっています。だが筆者は、個人的には違和感を禁じ得ません。死者の数が余りにも多い。それは将来考察されるべき事案ではないかと思います。

高齢者を含むCovid19の患者は、封鎖・隔離されたロンバルディア州を主体に増え続けて、医療体制の崩壊さえ懸念される危機に陥っています。

国と州は退職して年金生活に入っている医師に現場復帰を呼びかけ、看護学生などを含む医療関係者やボランティアの動員も進めています。

崩壊の危機にあるロンバルディア州の医療のレベルは、英国のBBCなどが「世界レベル」と形容するのを待つまでもなく、他の欧米先進国や日本などと同様に高い。北部のほとんどの州もそうです。もっともそれは残念ながら南に行くほど下がるのですが。

ロンバルディア州ほかの地域が封鎖され、イタリア全体も非常事態の体制下にありながら感染拡大が止まないのは、多くの国民が移動や外出を控えないことも大きな原因の一つです。

イタリアで先月、真っ先に封鎖されたロンバルディア州ほかの11の自治体の住民で、警察と軍の検問をくぐり抜けて夫婦2人でスキーに行ったケースや、南部の家族を訪ね歩いたりした者などがいます。

彼らは訪問先でCovid19を発症するなどして悪行が表に出ましたが、その前に移動中や立ち寄り先などでウイルスをばら撒いた可能性が高い。似たような悪行で表面化していないケースも必ずあるでしょうから、事態は深刻です。

社交好きで活動的な国民性もウイルスの拡散に寄与していると考えられます。老若男女がそうですが、特にたとえば男性高齢者などは、バールと呼ばれるカフェに集まってワインを飲みつつ日がな一日カード遊びに興じます。

そうでない者は広場や公園に蝟集して、政治を語り噂話に没頭します。イタリア国民は女性に限らず男も極めておしゃべりで、井戸端会議が大好きなのです。

外出をして社交にいそしみ活発に動き回るこの国の習俗は、人に会うときに握手をしハグをしまた互いに頬にキスをする習慣などと同様に、完全に歯止めをかけるのは難しい。加えてお上や権威の命令に従うことを善しとしない民族性もありますからなおさらです。

イタリアのみならず欧州全体でも初のCovid19の犠牲者となった78歳のイタリア人男性が先月、バールでの集いの間にウイルスに感染したと見られているのも象徴的な例のひとつです。

また封鎖の検問を逃れて他州にスキーに行った、前述のCovid19患者もイタリア的といえばイタリア的です。「高齢者」と報道されているその夫婦は、家でじっとしていることに耐えられずにスキーリゾートへと逃亡したのです。

ロンバルディア州が封鎖される直前に、急ぎ感染者の少ない南部の実家に逃れた人々も多い。封鎖された後も抜け道を探って移動する者が続出しているという報道もあります。彼らが無自覚にウイルスを拡散していないとは言えません。

そうした無責任で利己的な行動は、何もイタリア人だけの特権ではありません。人間全ての性でしょう。が、時として自制心が欠落しているのではないか、といぶかるほどに自由奔放なイタリア人メンタリティも、Covid19危機を増長させているのではないか、と筆者は恐れます。

権威や権力を嫌い、規制や規則に縛られることを善しとせず、ちゃらんぽらんにも見える明るさで活発に行動するイタリア人はすばらしい、と筆者は思い、だからこの国に住まうことを愛してもいます。だが今は、彼らに息をひそめてじっとしていてほしい、と願うばかりです。

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コロナウイルスでは花は枯れない

2020年3月8日AM8時現在のイタリアのCovid19死亡者は233人。感染者の総数は5883人に上ります。それは韓国に次ぐ世界3番目の数字ですが、死亡者数は韓国よりも多い。

感染の拡大が止まないことを受けてイタリア政府は、ロンバルディア州全体とその近隣の北部の州のうち、14県の封鎖・隔離を決定しました。

合計約1600万人の住民が4月3日まで居住地域からの移動を禁止され、違反者には3ヶ月の禁固刑が科されることになりました。

ロンバルディア州内に住む筆者も州境を超えての移動ができなくなりました。

住民の移動制限ばかりではなく、封鎖地域内では大学を含む全ての学校、体育館、プール、博物館、スキー場、ナイトクラブ等々が閉鎖され、結婚式や葬式を始めとするあらゆる宗教儀式も禁止されます。

レストランや喫茶店などは午前6時から午後6時まで営業してもよいとされますが、客席は最低1メートル以上離して設置しなければなりません。

とはいうものの、住民はできるだけ自宅に留まり、特に75歳以上の高齢者や65歳以上の病弱者は外出を控えること、と強く要請されています。

高齢者が敢えて名指しで注意を喚起されるのは、イタリアのCovid19死亡者が群を抜いて多く、しかもそのほとんどが老人であること。またイタリアが欧州で最も高齢化の進んだ社会である現実があるからです。

封鎖地域内に閉じ込められたとはいうものの、筆者の暮らしにはそれほどの変化はなく、隔離されたという実感もまだありません。

それはおそらく封鎖域がイタリアでも最大級の、且つ人口も1000万人以上になる、ロンバルディア州の全体であることが理由なのだろうと思います。

もしもそこが一昨日初めて感染者が出て、今日までに3人に増えた筆者の住まう小さな村がその対象であったならば、きっと強い閉塞感に見舞われていたことでしょう。

加えて実は筆者は、2月から3月にかけて日本に帰る予定でした。そのために今の時期のスケジュールはほぼ空白になっていて、移動計画などもありません。だから余計にプレッシャーを感じません。

しかしながら普通に働き活動している人々にとっては、移動制限を始めとするさまざまな日常生活の規制は、大きな犠牲を強いられるものだろうと思います。

はからずも今日3月8日は女性の日。イタリアでは女性に黄色いミモザの花を贈って祝います。だがCovid19騒ぎでどこもかしこもそれどころではない様相です。

それでも春の息吹はあたりに充満していて、日差しもけっこうまぶしく暖かい。ブドウ園に隣接する筆者の家の庭にも、白色ピンクの木蓮の花が咲いています。

また窓から望む前アルプスの山々(南アルプスへと続くイタリア北部の連山)も、頂はまだ雪に覆われているものの、木蓮に注ぐ光と同じ暖光に包まれて、春の精気を発散させています。

コロナウイルスは花を枯らすことはできません。季節の行く手を阻む力もありません。それどころか、輝かしい春の陽光に焼き尽くされて、あるいは消滅してしまうかもしれない。

たとえ消滅しなくても、花の香と季節の活気を味方につけた人々の知恵が、必ずそれを撃滅することでしょう。撃滅すると信じて隔離封鎖の不便を受け入れていこうと思います。

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正念場か、イタリア

2020年3月5日AM7時現在、イタリアの新コロナウイルス感染者は3089人。COVID-19による死亡者は107人に上昇。 これは過去24時間で28人が新たに死亡し587人の新規感染が確認されたことを意味します。

ここ数日は感染者は毎日およそ500人単位で増え続け死者の数も多い。どちらも不安な傾向ですが、実は治癒した人もこれまでに276人と増えてはいます。少しの朗報かもしれません。

感染はついに筆者の住まう人口約1万1千人の村(※1)にも及んで、昨日村で初めてのCovid-19患者が出ました。いつかこうなるかもしれないと予想していましたから、やっぱり、という思いと、まだ信じられないという思いとが交錯する暗うつな心境を持て余してます。

筆者の住む村から封鎖されているロンバルディア州の感染爆心地までは、直線距離で50キロメートル余り。すぐそこと形容してもいい近さですが、ここまで普段通りの生活をしてきているため緊迫感はありませんでした。しかし居住地域内に患者が出たことで少し状況が変わり始めました。

村での感染者発生のニュースを追いかけるように、封鎖されている北部イタリアの11自治体に課されているルールを全国にも適用する、と先ほど政府が決定しました。そのせいで事態の深刻さをあらためて思い知らされた気分にもなっています。

全国に適用するルールとは即ち、大学を含む全ての学校の閉鎖、図書館や博物館などに始まる公共施設の公開規制や閉鎖、イベントや集会の禁止、レストランやカフェやバーなどの閉鎖または営業短縮など、など。

また人との挨拶の際に握手やハグや頬へのキスを避けるように、という要請も政令に盛り込まれました。さらに人と会う時には1メートル以上の距離を置き、75歳以上の高齢者や持病のある65歳以上の人は外出を控えること、ともしています。

少しばかげたように見える条項まであるそのガイドラインは、COVID-19に取り憑かれたイタリアの必死の思いがてんこ盛りにされているようで、少々悲しい。だが人々は、真剣に政府の要請に応えようとしているような雰囲気が感じられます。

昨日、スーパーを巡って飲食物の買出しをしました。店はどこも平穏そのものでした。筆者が「感染爆発」と形容している集団感染が明らかになった直後の24日にも同じような行動をしました。その時は幾つかの店の精肉売り場に異変がありました。製品棚が空だったのです。

それは週末の感染爆発騒ぎに不安を覚えた人々のパニック買いの結果のように見えました。が、よく考えてみるとこの国には、金曜夜から日曜日の間に食料を食べ尽くした人々が、週明けの月曜日にどっと買い物に出る習慣があります。ですから先週目にした肉売り場の異変は、その習俗も重なっての現象だったのではないか、と静かな店内を見回していまさらながら思ったりしました。

ついでに県庁所在地の街まで足を伸ばしました。車で20分ほどの距離です。中華食材店で豆腐を買おうと思ったのです。しかし豆腐はありませんでした。新鮮な豆腐は火曜日と金曜日にミラノから運ばれます。だが金曜日にもまた前日の火曜日にも配達がなかったとのこと。むろんCOVID-19が原因です。

店は閑散としていましたが、以外にもイタリア人買い物客が2,3人いました。中華食料品店は普段でもあまり込み合うことがないので静寂は気にならなかったのですが、店員が皆マスクをしているのが印象的でした。イタリアも他の欧米諸国と同じで人々がマスクを付ける習慣はありません。COVID-19騒動でさすがにそれを付ける人は増えましたが、基本的に異物扱いで敬遠されます。

店員の中国人たちは、多人数の客に接するので防御のためマスクを付けているのでしょうが、いつもとは違って胡散臭く感じたのは、こちらの心理の微妙な波立ちのせいだったのでしょう。ちなみに筆者を含む客は誰もマスクを付けていませんでした。

じわじわとあたりの空気が淀んでいくようないやな気配がイタリア中に漂い始めています。COVID-19はまだ良く得体が知れずワクチンもありません。それがいやな気配の正体ですが、冷静にしていれば近い将来必ず平穏が戻るに違いない。だが人々の不安は消えません。

不安感があたりに暗いものを呼び寄せています。そうした中、人々の心に明かりを灯すような出来事もありました。COVID-19の蔓延を受けて休校となったミラノの高校の校長が、社会の現状を過去のペスト流行時の恐怖になぞらえて、「デマに振り回されることなく冷静に行動するように」と学校のホームページを介して全校生徒に語りかけ感動を呼んでいるのです。

ペストは過去に繰り返し欧州を襲った疫病です。14世紀の流行では欧州の人口のおよそ半分(3割~6割と学説に幅があります)が死滅し、世界では1億人が死亡したとされます。イタリアでは人口の8割が死んだ地方さえあります。校長先生は、ペストに襲われた17世紀のミラノの混乱とパニック、また恐怖を描いた小説を引き合いに出して、デマや妄想や集団の狂気に惑わされることなく普通に日々を送りなさい、と生徒を鼓舞しています。

校長はまた、現代の医学は14世紀や17世紀とは格段に違って進歩している。それを信じて休校のあいだ理性と秩序に基づいた生活を送り、読書をし、また機会があれば散歩に出かけて日々を楽しみなさい、とも言います。それでなければペスト(即ちCOVID-19)が私たちを打ち負かしてしまうかもしれません、と締めくくりました。

今イタリアに、また日本に、そして世界に求められているのは、まさにこの校長の主張する「デマに惑わされず冷静に普通に社会生活を送ること」です。それができれば、さらなる感染の拡大でさえ「恐るるに足らず」と構えていられる、と確信を持って思うのはおそらく筆者だけではないでしょう。


※1 イタリアには市町村という名称はなく、自治体は全てComune(コムーネ=コミューン)と呼ばれます。ローマやミラノなどの大都市も人口数百人の小さな集落も全て同格のComune(自治体)です。筆者は自身の住まう田園地帯のComuneを勝手に「村」と規定しています。

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自主規制

2020年3月5日AM7時現在、イタリアの新コロナウイルス感染者は3089人。COVID-19による死亡者は107人に上昇。 これは過去24時間で28人が新たに死亡し587人の新規感染が確認されたことを意味します。感染者は毎日およそ500人単位で増え続け、死亡者の数も多くなっています。

筆者はこのブログを含むSNS上で、イタリアのCOVID-19関連情報を発信してきました。その際、新型コロナウイルスに対する不安を象徴的に表すような絵を敢えて使ってきました。それはウイルス禍が速やかに消え去ることを信じつつ、恐怖に押し潰されないように殊更にそれを笑い飛ばす、という意味合いを込めての投稿でした。

しかしながら日伊を含む多くの国々での感染拡大は止まず、むしろ加速する状況です。残念ながら犠牲者も増え続けています。そうした中では筆者の記事の絵の意図が伝わり難くなっていると感じます。それどころか、見方によってはあるいはそれを不謹慎と感じる方もいるかも知れません。

そこで、将来COVID-19が克服されて世の中が明るく平穏になるまで、行過ぎて不安を煽るように見えるかもしれない絵をいったん削除し、別の絵に置き換えることにしました。ご了解を願います。

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